柳剛流の重層的な稽古体系/(柳剛流)
- 2018/02/22(Thu) -
 本日も仕事が夜半まで押してしまったため、拙宅内にて柳剛流備之伝、備フセギ15ヶ条秘伝、そして剣術と居合、突杖の稽古を行う。

 以前まで深夜の室内での稽古では、剣術にせよ居合にせよ、跳び違いの際の足音や衝撃が課題であった。

 しかし、師よりご指導いただいた柳剛流居合における口伝の鍛錬法の成果で、最近になってようやく、深夜の屋内でも足音や衝撃をあまり気にせず、跳び違いができるようになってきた。



 本ブログでもたびたび指摘してきた通り、総合武術である柳剛流は、剣術~居合~長刀(なぎなた)の「術」が、それぞれ連関し円環していることが特長で、剣術の鍛錬のために居合があり、それらを仕上げるために長刀があり、長刀に熟練することで剣術がさらに深まるという、重層的な稽古体系の構造となっている。

 稽古を通じて、柳剛流は剣・居・長刀がそろうことで初めて、その「跳斬之妙術」と「断脚之術」が活きた業として磨かれていくのだということを、しみじみと実感できる。

 一方で、これらの技術的な連環から外れている柳剛流突杖(杖術)は、未だ剣に熟練していない初学者、往時の農民や町人でも比較的容易に習得できる、即応性の高い武技として位置づけられているように思われる。

(とはいえ突杖の技法が簡単だというわけではない。むしろある意味で、剣術や居合以上にシビアな難しさを秘めているともいえる)

 そして殺活術は、免許者が武芸者として嗜むべき秘伝として伝授されたのであろう。


 全体として形の数こそ少ないものの、こうした重層的な古流武術の術技を、系統立てて学ぶ事ができるというのは、総合武術たる柳剛流の大きな魅力といえるだろう。

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▲柳剛流免許秘伝の長刀「左首巻」

 (了)
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悪所通いの報いか・・・/(身辺雑記)
- 2018/02/21(Wed) -
180221_214009.jpg


 終わることの無い激務による体調不良で免疫が低下。

 若い頃の悪所通いの報いか、ついに花柳病を発症してしまった・・・・・・。



 というのは真っ赤な嘘デス。

 先日、台所で揚げ物を作っていたらウズラの卵が破裂してしまい、油が跳ねて顔に飛んできた。

 咄嗟に手で払って避けたため、思い切り馬手に油を浴びてしまった次第。

 これぞまさに、『男殺油地獄』である。

 ちょっと調べたところ、ウズラを揚げていて破裂した黄身の破片が目に入ってしまい、失明してしまった料理人もいるとか。

 飛んできた油の塊(熱した油は跳ねると塊になって飛んでくる!)を右手で払ったものの、結局、飛沫になった油が目にもかかってしまったのであるが、幸いなことにメガネをかけていたので大事無かった。

 近眼&老眼で良かったヨ。

 なんというか、刺客に遠当ての術を喰らったような気分である(爆)。

 しかし、こりゃあ痣が残るな、きっと・・・・・・。

 いずれにしても、調理中の油跳ねにはご用心。

 跳ねるのは、柳剛流の跳び違いだけで十分である。

 (おしまい)
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夫れ武は仁義の具、暴を誅し乱を救う/(柳剛流)
- 2018/02/17(Sat) -
 柳剛流の伝書は、流祖・岡田惣右衛門が学んだ心形刀流の影響が強く、たとえば柳剛流目録の前文などは、その多くが心形刀流の伝書の文言とほとんど同じである。

 一方で角田伝の祖であり柳剛流2代目である一條(岡田)左馬輔直筆の伝書に限っては、切紙、目録、免許のいずれの伝書の文言も、すべて心形刀流のものとは異なる。

 それどころか岡田惣右衛門筆の伝書とも、また武州系の中心である岡安系や江戸で最大の勢力を誇った岡田十内系とも、その内容は異なっている。

 このように、一條左馬輔筆の伝書の文言が非常に独自性が高い事、しかし後年の角田伝の伝書の前文はいずれも武州系や江戸系とほぼ同じ文言に変化していることは、いずれも非常に興味深く、今後の調査・研究課題のひとつである。



 その上で、一條左馬輔の伝書の文言は、他の柳剛流諸派の伝書の文言に比べると簡潔で分かりやすく、剣の理合や武芸者としてのあるべき姿を、誰にでも理解できる分かりやすい言葉で指摘しており、とても好感が持てると私は感じている。

 たとえば、「武術・武道を修行する目的とは何か?」というのは、今も昔も、武芸に携わる人間が抱える普遍的な命題である。

 これについて、左馬輔は次のように明快に語る。

夫れ武は仁義の具。暴を誅し乱を救う。皆民を保つの所以にして仁義の用に非ざるなし。(「柳剛流免許之巻」より。以下、同じ)



 さらに、そのような「武」のあるべき姿について、以下のように諭す。

是を以て之を用うるに仁・孝・忠なれば即ち天下の至宝なり。之を用うるに私怨奸慝(かんとく)なれば即ち天下の凶器なり。※奸慝(よこしまな隠れた悪事)



 じつに明快な考え方であり、実直な教えだ。

 そして左馬輔は、

故に剣法を知り至誠偽り無きの道、以て謹まざるべけん哉。



 と結ぶのである。

 また、これは以前にも本ブログで紹介したが、勝負に臨んでの心法について左馬輔は、

敵の盈虧(えいき)を察し、必勝を求めずして、自然に勝つべきに於いて勝つ。何を以てか之を譬えん。其の際に髪を容れるべからず。※盈虧(満ち欠け)(「目録之巻」より)



 と喝破する。

 この、「必勝を求めずして、自然に勝つべきに於いて勝つ」という心法は、普段の稽古において私はいつも念じ、門下へもこの心法を第一に指導している。

 相手に勝とうという気持ちを棄て、ただ自然に剣の道理に従って術を遣う。

 その「術」が剣の道理、実の道に背いていなければ、おのずから勝ちを得ることができるのだ。

 こうした剣の理は、言葉こそ違えど平山子竜の言う、

其殺伐の念慮を驀直端的に敵心へ透徹するを以て最用とすることぞ。(「剣説」)



 と、通じる所は同じであろう。



 私は(想定としての)闘争においては、

 「相手に勝とうと思う必要はない。ただ、自分も死ぬが必ず相手も殺す。多勢に囲まれて打ち殺されるとしても、必ず一人は道連れにして殺す。闘争における必勝の勝口は、この気勢を持って対するのみである」

 と常々考えており、門下にも稽古を通じてこうした心法を錬るよう指導している。

 武芸における強さとは、綺麗ごとや理屈ではなく実体として、最終的には術技の巧緻を超えた、「一人一殺」「一殺多生」の心法に収れんするのではあるまいか?

 その気勢を錬るために、我々は何千何万何十万回と、流祖以来連綿と伝えられてきた「形」を日々繰り返し、「術」を磨き続けるのだ。

1705_演武_モノクロ
▲柳剛流居合 「向一文字」

 (了)
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メメント・モリ/(身辺雑記)
- 2018/02/16(Fri) -
 本日は確定申告の提出開始日。

 昨日、1日がかりで書類をまとめ、先ほど提出を終えた。

 それにしても、2017年も1年間、馬車馬のように働いてきたが、沈没寸前の出版業界の不況の影響で、年収は右肩下がりである。

 出版不況と武術・武道の関係でいえば、先月9日、『剣道日本』の発行元であったスキージャーナル株式会社が、約4億円の負債で破産した。

 昨今の出版業界の不況と紙媒体の凋落を考えれば、むべなるかなというところだ。

 東京商工リサーチの報道によると、スキージャーナル社は、


平成4年5月期の売上高は約16億5,000万円を計上していたものの、近年は出版不況による発行部数の減少に歯止めが掛からず売上が落ち込み、27年5月期の売上高は約5億5,500万円に低下。その後も業況が好転せず、資金繰り悪化から債務の支払遅延なども発生し、29年12月8日に資金ショートを起こしていた。



 のだそうな。

 売上が最盛期の3分の1では、倒産もやむをえまいと思う一方で、業界全体の落ち込み方も似たようなものだと実感する。

 私のようなフリーランスの記者の原稿料をみても、たとえば旅行ガイドブックでは平成7年ごろ、取材なし・執筆のみで1ページ1万2,000円だったギャラが、平成30年現在、同じ条件で1ページ3,000円程度にまで下落している。

 或いは、比較的不況の影響を受けにくい医療専門誌の原稿料も、平成12年ごろは取材・執筆込み4ページ12万円程度だったものが、今は同じページ数で6万円以下だ。

 一文字換算の原稿料で考えると、平成20年ごろまでは1文字10円の仕事は安すぎて断っていたのが、いまや1文字4円とか3円の仕事などざらである。

 つまり、私のような個人事業者レベルで考えても、近年の売上高は最盛期の2分の1から4分の1に低下してしまっているわけで、スキージャーナルの減収と同じような状態なのだ。

 それでもなんとか借家の家賃を払い、スーパーの見切り品の刺身を肴に紙パックの安酒で酔っ払い、一方で稽古場を維持し、必要な武具を用意し、思う存分武芸に打ち込んでいられるのはなぜか?

 原稿料が3分の1や2分の1に下がった分、30代の頃の2倍も3倍も働いてしているからだ。

 これは正直、後2年で五十路を迎えようという初老の男には、結構つらい。

 若い頃のように、毎日12時間・1週間ぶっとうしで原稿を書くとか、1週間通しでの地方取材とか、1日5人続けて一人1時間のインタビューとかいうのは、体力的にも精神的にもそろそろ限界である。

 それでも、これくらいハードな仕事をしないと、15年前の年収は維持できないわけだ。

 もう1つ、今のような経済状態でもなんとか人並みの生活が維持できているのは、養うべき家族がいない独り者だからである。

 現状の年収では、とうてい子供に十分な高等教育を受けさせられないし、奥さんと一緒に銀座の『BEIGE ALAIN DUCASSE TOKYO』での外食など絶対に無理である(爆)。



 かつて、同じ学校で出版人を志した仲間の多くは、出版不況の悪化にともなって転職し、出版業界から去ってしまった。

 この25年間で、失踪したまま行き方知れずになってしまった者や、自ら命を絶ってしまった者もいる。

 とはいえ、この仕事は誰に強制されたわけでもなく、売文稼業を選んだのは自分自身であるし、四半世紀に渡って業界に踏みとどまっているのも自分の意思だ。

 そもそも、五十路にならんとする潰しのきかないフリーの記者の転職先など、ほとんど無いのが現実なのだが、誰か年収800万円くらいでいいから雇ってくれんもんだろうかネ。

 あるいは、月謝1万円で弟子が100人くらいいれば、経費を差っ引いても余裕のある生活ができるのだがナ・・・・・・(苦笑)。



 この先、どこまで売文業で食っていけるか分からないし、最終的には私のような零細自営業者の場合、高齢になり仕事が無くなれば、満額でも月々6万4,000円の国民年金しか収入がない状態となる。

 それどころか私の場合、若いころは無頼三昧なその日暮らしで年金を払えなかった時期があるので、年金の受給額は毎月2万円強にしかならないし、資産や貯金は現時点で皆無である。

 こうした状況を鑑みた上で、医療・介護・社会福祉領域を専門とする記者として自分の将来を客観的に推測するとだね、宝くじでも当たらない限り、私の老後は生活保護&孤独死が100%確定しているわけだ。

 それでも私は今、きちんと税金や社会保険料などの支払を済ませ、自分で稼いだ金で酒を飲み、柳剛流をはじめとした古流武術や手裏剣術の稽古と研究に打ち込み、自分の稽古場で門下への指導を行い、月に一度親しい人と好きな歌舞伎や文楽と食事を楽しむことができる、ささやかなこの暮らしに結構満足している。

 その上で、最終的には孤独死する覚悟は、とうの昔にできている。

 あるいは西部邁氏ではないが、状況と必要によっては自裁という選択もありだろう。

 ちなみに死後、自分の死骸や貰い手のない家財道具等を処理してもらうための最低限の資金確保は、必ずあらかじめしておきたいものだ。

 死んだ後にまで、世間様にご迷惑を掛けてはならぬ。立つ鳥跡を濁さずである。

 私の場合、今のところ県民共済の死亡保障で、自分の死体の後片付け等の代金は賄える予定だ。



 そんなこんなで、今日も今日とて原稿を書きまくり明日を生き抜くための金を稼ぎつつ、木太刀を執って柳剛流の稽古に勤しむわけだ。


 「吾れ死なば焼くな埋むな野に晒せ 痩せたる犬の腹肥やせ」
                         (小野小町)

 
   (おしまい)
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或る茶会/(武術・武道)
- 2018/02/15(Thu) -
 過日、とある茶会の記事を読んだ。

 その茶会では、衆人環視の中、裸体の女性を器に見立てて菓子を盛り、手前を行ったのだという。

 またこの茶会の亭主は、政府や海外の要人を招いた茶会も催している高名な人物だそうな。

 ま、日本は自由の国であるし、本来茶の湯というものは、もてなしのために「作意」の新しさを工夫するものであるが、これほど侘茶の志からかけ離れた、見世物としての茶事も珍しいのではあるまいか。

 かつて山上宗二は、

我が茶湯をば取り乱し、天下へ出で、坊主顔する者は、梅雪同前なり。



 と、世におもねる茶湯者を厳しく批判した。

 また『南方録』には、

思ひ々々さまざまの事をたくみ出し、古伝にちがいたること、いくらと云数を知らず。十年を過ぎず、茶の本道捨たるべし。すたる時、世間にては却つて茶の湯繁昌と思べきなり。ことごとく俗世の遊事に成りてあさましき成りはて、今見るがごとし。



 とある。

 もっとも、利休や宗二が求めた「修行得度」としての茶の湯など絶えて久しいのであろうし、ならば裸の女性を茶室に入れるといった常軌を逸した茶事を、利休直系の流派の名のある師範が行うというのも、むべなるかなと思う。

 そういえば数年前ある雑誌で、茶室内で半裸の男が打刀を脇に置いて茶を服している写真が掲載されたことがあったが、これなども茶の湯の伝統と精神を根底から冒涜する、あまりにも酷い演出写真であり、その撮影意図に首を傾げたのは私だけではあるまい。



 さて、翻って武術・武道の世界でも、見世物まがいのパフォーマンスで、衆人の耳目を集めようとする人々がいる。

 それはそれ、何をしようが公共の福祉に反しさえしなければ自由であり、私には関わり合いのないことだ。

 しかしグレシャムの法則を持ち出すまでもなく、そういったあさましい行為が日本の武術の伝統だと、世間一般の皆さんに誤って認知されてしまうようであれば、それはまことに困った事であり、斯界の末席を汚す者として憂慮に堪えない。

 「悪貨は良貨を駆逐する」というようなことにならないよう、心から願う次第である。

 (了)
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柔(やわら)の稽古/(武術・武道)
- 2018/02/13(Tue) -
 昨晩の稽古は柔術を中心に行った。

 といっても、自宅での自主稽古なので相手がいない。

 捕りにせよ受けにせよ、柔(やわら)の稽古というのは、相手がいないとままならないものなのであるが、こうした点で、柳生心眼流は素振りがあるのでありがたい。

 まずは、表、中極、落、切と、素振り二十八ヶ条を行う。

 元々空手道で培われた打撃感覚が強かったこともあり、心眼流を習い始めた当初は、その動きになかなか体の感覚がなじまなかったのであるが、最近になってようやく、心眼流の素振りが体になじみ始めてきたかなという感覚が(わずかだが)してきたように思う。

 当身についても、当初は独特の柔らかい握りに対する違和感が強かったが、最近では掌と拳それぞれの特長を兼ね備えた心眼流独特の握拳で、「当てられるな」という実感が少しずつ育ってきた。

 次いで、取放と取返の各七ヶ条を復習。さらに、実践応用稽古を行う。

 柳生心眼流の体動のある部分は、柳剛流剣術に含まれる体術的技法にも通じるところがあり、その辺りについても念頭に置きながら稽古をする。

 心眼流に続いては、水月塾制定日本柔術。

 初伝逆取から中伝逆投までの動きを、単独動作で復習する。

 ここで、当身の部位を確認していた時にふと思ったのであるが、楊心流系の殺では、右肋は「稲妻」または「電光」、左肋が「月影」というのが一般的だが、柳剛流の殺活術では、右肋は「右脇」、左肋が「稲妻」となっていることに改めて気づく。

 この点は注意しておかないと、「稲妻」の部位を混同してしまいそうだ。

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▲仙台藩角田伝柳剛流の殺活術では、右肋は「右脇」、左肋は「稲妻」と称す。これは昭和14(1939)年の伝書でも、文久2(1862)年の伝書でも同様である


 稽古の〆は柳剛流の殺について、当身の単独動作を行いながら部位を確認。

 仙台藩角田伝柳剛流の殺十八ヶ条に加え、武州岡安伝柳剛流の殺十三ヶ条と五ヶ所大當も復習する。

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▲武州岡安伝柳剛流の殺活術に伝えられた「五ヶ所大當」


 現在、私の武術修行の本義は柳剛流と手裏剣術であるが、そもそも自分の武術修行の始まりは12歳から始めた柔術であったこともあり、柔の稽古は実に楽しく興味深い。

 幸いなことに、今年からは翠月庵でも門下諸子とともに柔術の稽古がしっかりとできるようになったので、今後もさらに稽古を積んでいきたいと思う。

 (了)
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幕間、希望と追憶/(身辺雑記)
- 2018/02/12(Mon) -
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 世間様は3連休なのだなということを、今朝、改めて知った。

 私は今日も、ひたすら原稿書き。



 昨晩、カズオ・イシグロの『忘れられた巨人』を読了。

 静謐な良作であった。 


 (おしまい)
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稽古時間の延長/(武術・武道)
- 2018/02/10(Sat) -
 昨年まで翠月庵の定例稽古は、毎週土曜の午後3時から5時までの2時間だったのだが、この1月から開始時間を1時間早め、午後2時から5時まで3時間、稽古を行っている。

 これは近年、当庵で指導および稽古する内容が増えるなか、従来の2時間の定例稽古だけでは十分な指導や稽古がままならないなと感じていたからである。



 そこで今年から定例稽古の開始時間を1時間早め、基本的に柔術1時間、手裏剣術1時間、柳剛流1時間というような割り振りで稽古を行うようにしている。

 これにより、たとえば手裏剣術の稽古では、みっちり1時間手裏剣を打つことができ、門下に対しても2~3間の基本打ちに加え、移動しながらの打剣の基本である運用形や刀法併用手裏剣術を、時間に余裕をもって指導することができるようになった。

 柔術や柳剛流についても同様で、稽古時間に余裕がある分、これまで以上にひとりひとりの門人に丁寧な指導ができるようになったと思う。



 本日も、まずは野天に敷いた茣蓙の上でたっぷり1時間、当て、投げ、抑え、固めて、柔術の稽古。

 ま、一応まだ、コンクリートの上でも受け身くらいは取れるけれども・・・・・・などと見栄を張りつつ、地べたの上で柔術の稽古をしていると、内心、「畳というのは、ほんとうに柔らかいものだな・・・」としみじみ思うわけだ(爆)。

 その後は、手裏剣を2~5間間合いでビシビシと打ち込むこと30分。

 次いで、帯刀した状態から手裏剣を打ち抜刀する、刀法併用手裏剣術の指導を30分。

 そして柳剛流剣術と突杖について、ひとりひとりの門下を相手に、休むことなく打太刀を執る事1時間。

 本日は特に、目録・柳剛刀の一手である「無心剣」をじっくりと指導。

 柳剛流剣術の業の中でも、特にこの無心剣は、気押しと位取が重要になる、難しい形のひとつである。

 それだけに、何度も繰り返し、丁寧に指導する。



 こうして3時間の稽古は、あっという間に終了。

 欲を言えば柳剛流の稽古は、さらにもうプラス1時間くらいやりたいのであるが、さすがにそれは諸般の事情で難しいところである。

 その分、門下諸子も、私自身も、稽古場以外での日々の自主稽古を、欠かさぬようにしていかなければならない。

 (了)
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小渕観音院の柳剛流奉納額の願主は、松田源吾ではない/(柳剛流)
- 2018/02/08(Thu) -
 ひと様の誤りを、逐一あげつらって訂正するというのは、なにやら底意地が悪いようであまり気が進まない・・・・・・。

 気が進まないのだが、流儀に連なる者として、間違った史実が流布されるのを見過ごすわけにはいかないので、まるで意地悪な小姑みたいでなんだが、こうしてつらつらと、ネット上の柳剛流に関する間違いを指摘するわけだ。

 「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂」

 といった心持ちである。



 さて過日、ツイッターで、moroさんという方が、埼玉県春日部市にある小渕観音院に掲げられている柳剛流の奉納額について、つぶやかれていた。

 https://twitter.com/morokoshoten/status/961256850686541824


 このつぶやきでは、奉納額の願主を松田源吾だと記しておられるのだが、そうではなく、

 奉納の願主は、岡安英斎(禎助)だと考えられる。

 この奉納額については、以前、本ブログにて詳細を紹介しているので、まずはそちらも参照されたい。

 「柳剛流の奉納額(その2)」 2016/03/28(Mon)
 http://saitamagyoda.blog87.fc2.com/blog-entry-895.html

1603_小渕観音奉納額2
▲小渕観音院に掲げられている柳剛流の奉納額


 さて、この小渕観音院の柳剛流奉納額は、現在、長年の風雨の影響で額文はまったく判別できなくなっている。

 しかし幸いなことに、大正7(1918)年に刊行された『吉田村誌』に、この額文の翻刻が記されている。

 さらにその翻刻も含めた『吉田村誌』の全文が、平成13(2001)年に発行された『幸手市史調査報告書 第十集 村と町・往時の幸手』(幸手市教育委員会編)に掲載されている。

 また、これらを元にした額文の翻刻は、平成20(2008)年に刊行された辻淳先生の『幸手剣術古武道史』にも掲載されている。

 これら史料の記述によれば、この奉納額が献納されたのは慶應2(1866)年であるが、松田源吾はその14年前である嘉永5(1852)年に、すでに亡くなっている。

 また、額文の翻刻には願主の氏名に関する記載はないものの、柳剛流が流祖・岡田惣右衛門から松田源吾、そして岡安英斎と受け継がれ、英斎の門下は数百数千に及ぶ興隆ぶりであり、神と師の恩に報いるために、この額と2口の剣を奉納する旨が記されている。

 さらに額文には記されていないが、この奉納額が献納された慶應2年は、岡安英斎の嫡子である禎三郎が、父より柳剛流の免許を允許された年でもある。

 このように、

1)松田源吾はこの額が奉納される14年前に死去している。
2)額文では流祖~松田源吾~岡安英斎という、3名の道統と来歴が記されている。
3)額文では岡安英斎一門の興隆が、具体的に記されている。
4)額が奉納された慶應2年は、岡安英斎の嫡子・禎三郎が柳剛流の免許皆伝となった記念すべき年である。



 以上の点から、本奉納額の願主は松田源吾ではなく、岡安英斎であるとするのが最も自然であろう。

1603_小渕観音奉納額4
▲辻淳先生の『幸手剣術古武道史』に掲載されている、額文の翻刻


 本来は私が直接、moroさんに、こうした内容をツイッターでお伝えするべきなのであるが、私はツイッターは閲覧専門で書き込みなどはしていないので、本ブログにこのように書いた。

 縁があれば、ネット上を巡り巡って、先様に正しい情報が伝わるであろうし、できればそれを願っている次第である。



 それにしても、柳剛流に関する正しい情報の発信や、通説の誤りの訂正などについて、どうすればより良いのかを考える今日この頃である。

 とはいえ、あくまでも私の本義は、柳剛流の実技の研鑽と伝承であり、史実の調査研究や啓発活動はあくまでも二義的なものだ。

 大切な事は、師より受け継いだ仙台藩角田伝 柳剛流の「業」と「術」を、見事なものに磨き上げ、その実技をひとりでも多くの門人に伝えていくことである。

 こうした実伝を通じて、流儀の正しい伝承や史実も、門人たちに併せてしっかりと伝えていくことが、結局は最善の方法なのであろう。

 流祖・岡田惣右衛門が編み出した柳剛流の「断脚之太刀」を学びたいという志のある人には、私たち武術伝習所 翠月庵/国際水月塾武術協会埼玉支部の門は、いつでも広く開かれている。


 ■参考文献
 『幸手市史調査報告書 第十集 村と町・往時の幸手』(幸手市教育委員会編)
 『幸手剣術古武道史』(辻淳著)

 (了)
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ありがとうございます/(柳剛流)
- 2018/02/06(Tue) -
 先日、本ブログにて「松平主税助の流儀は「柳剛流」であり、流祖の諱は「奇良」である」という記事を書き、神無月久音さんがツイッターでまとめられていた剣豪ランキングに含まれる、松平主税助や岡田惣右衛門に関する一部記述について指摘をさせていたいた。

 その上で、先ほどツイッターを閲覧すると、さっそく訂正をしてくださったとのこと。

 神無月様、ありがとうございます。

 また、やはりツイッターにて、みんみんぜみさんが、「今回のランキングは、ネット検索ヒット数の集計なので、「奇良」よりも「寄良」の方が多くなっているのだ」と、ご解説くださっており、なるほどと得心いたしました。

 みんみんぜみ様、ありがとうございます。

 私としましては、柳剛流に関する正しい情報が、より多くの皆さんに伝わるようになればうれしいという気持ちのみですので、今回、差し出がましい事を申しまして恐縮でしたが、ご寛恕いただければと思います。



 こういうメッセージこそツイッターで書けばよいのですが、私はツイッターは閲覧専門なので、こちらにてお二方にお礼申し上げます。

 翠月庵 瀬沼翠雨 拝

 (了)
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