梅雨寒むの中での野天稽古/(身辺雑記)
- 2018/06/16(Sat) -
 本日は翠月庵の稽古。

 梅雨寒むのいまにも降り出しそうな曇天ながら、野天道場とはいえ降るまでは稽古をする!



 まずは八戸藩伝神道無念流立居合十二剣。

 荒川沿いの田園に、裂帛の掛け声が響き渡る。

 ひとしきり剣を振るったあと、先日の本部稽古に参加できなかったY氏に対して、柳剛流剣術切紙之巻の伝授式を行う。

 古式に則って切紙之巻を伝授し、Y氏も、また彼の師たる私も、柳剛流を受け継ぎ伝承していくことの責務をあらためて感じた次第である。

 式の後は、水月塾制定日本柔術(甲陽水月流)の稽古。

 野天に茣蓙をしいての稽古にも、ずいぶん慣れてきた。

 激しく叩きつけるような投げ技以外の形であれば、ほとんどの形稽古はこの状態でできるようになった。

 幸い、稽古場の地面は草地で柔らかいので、各種の逆取の形はもちろん、丸く投げるような投げ業による形もまったく問題はない。

 それどころか野天での柔術稽古のおかげで、畳での稽古が実に楽になった今日この頃である。

 本日は、初伝逆取10本と逆投10本を丁寧に復習。さらに中伝逆取の最初までを指導する。

 稽古の〆は、柳剛流剣術。

 「右剣」から「相合刀」までをおさらいしたあと、 「青眼右足刀」の脚斬りと「相合刀」での体術的接触技法について、じっくりと指導を行った。



 それにしても柔術をみっちり稽古すると、家に帰ってからも、やっぱり体に堪える・・・・・・(苦笑)。

 しかたがないので、お神酒の余りで晩酌をしながら、山下達郎が自ら歌う名曲『硝子の少年』で癒される。

 静かな土曜日の夜。


▲梅雨時になるとヘヴィーローテーションで聴きたくなる、山下達郎の名曲。なぜか画像は、『BLACK LAGOON』?


 (おしまい)
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6月の水月塾本部稽古~柳剛流、甲陽水月流柔術・短棒/(武術・武道)
- 2018/06/13(Wed) -
 先の日曜は、朝から水月塾本部での稽古であった。

 午前中、まずは師に打太刀を執っていただき、柳剛流剣術の稽古。

 残心についてと、「青眼右足刀」について、手直しをいただいた。



 その後、午前の稽古後半と、昼食をはさんで夕方まで、水月塾制定日本柔術(甲陽水月流)の太刀捕りと短棒を稽古する。

 本部師範代のO氏、柴真揚流を専科とするN氏、そして埼玉支部のU氏の3名と共に、師よしご指導をいただきつつ、受けと捕りを交代しながら形を繰り返す。

 甲陽水月流の太刀捕りは、「引倒」「屏風倒」「足捻」「巻締」「外無双」「車投」「小手返」「負投」「体落」「獅子洞入」の10本。

 いずれの形もシンプルかつ強烈な投げや当身等で構成されており、稽古はなかなかに激しいものとなる。

 なかでも「車投」は、斬り込んでくる相手に巴投げをかけ、そのまま相手の上に馬乗りになり、両足で相手の両腕を固めつつ襟締めで極めるという豪快な業だ。

 それだけに、受けでも捕りでも、非常にフィジカルに堪える。

 おまけに私は、本日の稽古者中の最年長であり(涙)、あと1年で知命之歳を迎えようという老兵なわけだが、ここで若い武芸者たちに弱みを見せるわけにはいかぬ。

 「どんどん、やりましょう!」と、相手をとっかえひっかえして形を打つ。

 おかげで稽古から2日が過ぎた今日になっても、全身が痛い(苦笑)。

 そろそろ、アラフィフとしての自覚を持たねばなるまい。

 なにしろ江戸時代なら、もう隠居する歳なのだ。

 しかし、柔術の稽古はやっとうとはまた違った楽しさがあり、厳しくも心地よいものだ。



 その後の短棒の稽古は、いつものことながら、いやまったく本当にすごく痛い。

 どれくらい痛いかというと、翠月庵でも時折短棒の稽古をするのだが、そのたびに武道歴何十年という古強者の門人たちが、「ぐぇぇ」とか「ぎゃっ」とか、「うおぉ」とかいう呻き声を出すほど痛いのである。

 このため普段の定例稽古で、「今日は短棒の稽古をするよ」というと、皆の顔が一瞬曇るのがなんともいえない。

 当然のことながら、本部で短棒の稽古をする時には、私自身も受けをとる際に、「ぐぇぇ」とか「ぎゃっ」とか「うおぉ」などと、心の底から呻き声をあげているのは、言うまでも有馬温泉・・・・・・。

 それくらい短棒の稽古は痛いのだが、一方でまた、実に楽しい。

 我ながら武芸バカだなあと、しみじみ思う(苦笑)。
  


 稽古後はいつもの通り、師に同道させていただき小宴。

 最高の馬モツや馬刺しと、灘の旨酒を心ゆくまで楽しんで、武州への帰路についた。

 (了)
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柳剛流剣術切紙之巻の伝授/(柳剛流)
- 2018/06/11(Mon) -
 昨日、国際水月塾武術協会本部にて、埼玉支部門人の吉松章氏と宇田川浩二氏へ、柳剛流剣術切紙之巻が伝授された。

 伝授式では仙台藩角田伝柳剛流兵法8代師範の小佐野淳先生より、古式に則って宇田川氏に巻物が伝授され(吉松氏は所用にて欠席)、不肖私も9代師範として伝書に花押署名・押印の上、式に立合わさせていただいた。

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 こうしてまた新たに、柳剛流を後世に伝えるための伝承がなされたと思うと、流儀を愛する者のひとりとしてまことに感慨深いものがある。

 流祖・岡田惣右衛門以下、角田伝の祖である二代・岡田(一條)左馬輔から歴代先師の方々も、きっと泉下で喜んでくれているのではないだろうか。

 吉松・宇田川両氏の、さらなる柳剛流の研鑽に期待すると共に、私もまた柳剛流師範の名に恥じぬよう己の業を磨き、さらにひとりでも多くの有為の人士に、今後も柳剛流を広く伝えていきたいと気持ちを新たにした次第である。

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 習へ遠く心や雲となりにけり
            晴てそたたぬ有明の月(柳剛流 武道歌)


 (了)
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伝蔵伝説/(時評)
- 2018/06/09(Sat) -
 このブログでは、あまり政治的な話題は書かないようにしている。

 今の時代、SNSでは右も左も百家争鳴であり、私如き街の片隅でひっそりと生きる低所得階層の流れ武芸者が、いまさら言うこともあるまいと思っているからだ。

 私は、雨露がしのげて3度の食事がとれ、たまさかには晩酌をし(ま、実際には毎晩だが・・・)、ときには伝統芸能を鑑賞し、図書館で読みたい本が借りれ、日々武芸の稽古ができる程度のささやかな暮らしが送れれば、それで十分に満足だ。

 にもかかわらず、昨今の新聞やニュースを目にすると、この国と社会の毀れっぷりに、さすがに唖然とする。



 数年前、子供の貧困問題に関する取材をしたことがあるけれど、今この時点でも、月末になると米やパン、パスタなどといった最低限の主食以外、おかずを食べることができない子どもたちがいる。

 先進国でござい、経済大国でございといいながら、今、日本の子どもの6人に1人が貧困にあるのだ。

 その一方で企業の内部留保は、史上最高額を記録しているという。

 あるいは過労死が大きな社会問題になるなか、定額働かせ放題を実現させる悪法が平然と可決されようとしている。

 役人は平気で公文書を改ざんし、大学スポ―ツの監督は生徒とコーチに責任をなすり付けて自らの保身に走り、総理大臣はお友達たちの利益誘導に余念がない。

 責任ある大人たちが平気で嘘をつき、金儲けや地位のために強者が、社会の片隅で生きる弱い人たちを平然と踏みにじるのが、今のこの国のあり様なのだ。



 かつて井上日昭が唱えたように、「一殺多生」が実現可能であれば、これほど腐りきった政治と経済が弱者を踏みにじるなかでは、テロルもまた1つの意味を持つであろう。

 クセルクセスやネロ、始皇帝の時代であれば、「個」としての強者を殺害することで、社会の不条理や矛盾を解決することも可能であったかもしれない。

 しかし、今のこの社会の矛盾や不条理は、政治家や資本家といった個人ではなく、彼ら強者たちの集合である社会のシステムそのものが、弱者を搾取し踏みにじるようになっており、収奪する「個」の命を奪っても、社会全体の矛盾や不条理を解決することはできない。

 だから我々「持たざる者」たちは、ただ頭を低くし、社会の片隅で日々を生き抜くのみである。

 ときに、明日の新潟県知事選はどうなることか?

 願わくば、落下傘よりもおっかさんの方が良いのではないかと、埼玉県民の私は思う。



 今から134年前、武州・秩父では、政府の悪政と高利貸したちの収奪によって、数多くの養蚕農家が身代限り(破産)に追い込まれた。

 困窮からの救済を求める人々に対して、明治政府は「貧乏人は死ねばよい」とした。

 これに対して秩父の農民たちは、抜刀隊約200人、鉄砲隊約300人、竹鎗隊その他、合わせて約3,000人の「革命軍」を編成。自由自治を目的に決起し、政府と資本家たちに叛旗を翻す。

 世にいう、秩父事件である。

 結果的に、叛乱は政府軍に鎮圧され、主な指導者たちは即決裁判で死刑に処せられ、生き残った者たちも徹底的に断罪・弾圧され、持たざる農民たちによる自治を目指した義挙は、「暴動」として記録され辱められた。

 しかし、農民軍リーダーのひとりであった井上伝蔵は、ついに官憲の追求を逃れ続けて、その天寿を全うした。

 その後、秩父地方では、世が乱れると再び井上伝蔵が現れて世直しをしてくれるという、「伝蔵伝説」が伝えられるようになったという。

 なお秩父地方は、言わずと知れた武州の名流・甲源一刀流剣術のおひざ元である。

 この秩父事件にも、有名無名の甲源一刀流剣士たちが農民軍に参加し、政府軍の銃火に対して、鍛えに鍛えた剣技と伝来の秋水を以て立ち向かったという。



 さて、明治から大正、そして昭和をへて、いよいよ来年で平成も終わる。

 しかし相も変わらずこの国は、弱者が収奪され、嘘と世渡りの旨い者たちだけが肥え太る、「仁」も「義」もない不徳の国のままのようだ。

 いやそれどころか、社会的弱者の置かれた状況は、むしろ年々、悪化しているように思えてならない。

 今、武州の山並みの間では、再び「伝蔵伝説」が囁かれているだろうか・・・・・・。


圧制を変じて良政に改め、自由の世界として人民を安楽ならしむべし(秩父事件を好意的に記録した、秩父下吉田村貴布祢神社の神官・田中千弥の日記より)




 (了)
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明日は三重へ/(身辺雑記)
- 2018/06/06(Wed) -
 明日からは2日間、旅行雑誌の取材で三重県某所の老舗リゾートホテルに滞在する。

 そして三重県といえば、言わずと知れた紀州藩田丸伝柳剛流のお膝元である。

 時間と金に余裕があれば、ホテルの取材後、1~2日かけて玉城町周辺の柳剛流関連の史跡を巡ったり、図書館で郷土史料などを調べたいのであるが、まことに残念なことに、私には時間も金にもまったく余裕がない。

 三重からとんぼ返りで金曜夜から土曜午前まで原稿執筆、そして土曜の午後からは翠月庵での指導、さらに日曜は水月塾本部で稽古、週明けも月曜からビジネス関連のインタビュー原稿や医療雑誌の締め切りが続く。

 月給なし、ボーナスなし、雇用保険なし、退職金なし、厚生年金なし、貯金なしの貧しい零細個人事業者は、ただひたすら働いて日銭を稼がねば、武芸の稽古を続けることすらままならないのである。


 「人生は過酷だ。生きていくためには金がいる」(byサム・ペキンパー)




 とまあそんなわけで、今晩は(も)、いつもの通り柳剛流の稽古に気を入れる。

 剣術、居合、突杖、長刀について、仕太刀に加えて打太刀も丁寧に繰り返す。

 稽古の〆は、殺活の当て18カ所の鍛練で終了。


 
 さて、こからひと風呂浴びたら、先日入手した『極意』1997年冬号に掲載されている、藤本貞治先生の柳剛流の記事を再読しながら休むとしよう。

 明日は始発で出発だ。

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 (了)
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初夏の文楽/(身辺雑記)
- 2018/06/05(Tue) -
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 先月の国立小劇場では、文楽「本朝廿四孝」と「義経千本桜」を鑑賞。

 5代目吉田玉助襲名披露の口上も行われた。

 咲太夫、寛治、清治、簑助、和生といった、重鎮たちの至芸を堪能。

 個人的には、呂勢太夫を贔屓にしたい。

 さて、次の三宅坂での公演は9月。

 3か月のおあずけは、長いのう・・・・・・。

 (おしまい)
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下陰からの太刀筋と運刀-上川原神道香取流からの示唆/(柳剛流)
- 2018/06/02(Sat) -
 翠月庵の稽古場の最寄り駅は、JR高崎線の行田駅である。

 このため便宜上「行田稽古場」と呼称しているからか、稽古場が行田市にあると誤解されることが多い。

 実のところ行田市の中心は秩父鉄道の行田市駅周辺であり、JR行田駅は行田市の端っこに位置しており、うちの稽古場の所在地は行田市ではなくその隣の市なのだ。

 さらに蛇足ながら、私の住まいは稽古場から徒歩と電車で約1時間ほど離れたところにあり、週末ごとに稽古場まで、武具をかかえて通っている。

 もっとも7年前までは、練馬の自宅から行田稽古場まで2時間かけて通っていたので、随分と楽になったものだ。

 ・・・・・・とまあ、そんな話は世間の皆さまにはどうでもよいことであろうし、なにより県外の方はもとより埼玉県民でも、高崎線沿線に住んでいる人でないとピンとこない話題であろう。



 ところでJR行田駅の隣にあるのが、日本有数の酷暑地・熊谷市の玄関口であるJR熊谷駅だ。

 こちら熊谷市の上川原地区には、室町時代から続き、今もその地域の相続人(長男)にしか伝授されない秘剣である「神道香取流」が伝えられている。

 現在は「上川原神道香取流棒術」として市の指定文化財になっているが、実際には剣術であり、形は表12本・裏12本の合計24本。

 一般に公開されているのは表の形だけで、裏の形は修行者以外には非公開なのだという。

 いわゆる古武道に比べると、こうした村落共同体で伝承されている「芸能武術」は、武術・武道関係者からは、やや低く見られがちかもしれない。

 しかし、こうした芸能武術には、ときとして一般的な古武道以上に、昔ながらの身体や武具の使い方が色濃く伝承されていることがあるので、予断を持たずに拝見するよう心掛けている。



 過日、youtubeにて神道香取流の動画を見ていて、ふと柳剛流備之伝における下陰の構えからの動きに関連する強い示唆を感じた。

 そこで先日来、自宅での稽古ではその動きを確認することに専念していたのだが、たいへん大きな新しい気づきを得る事ができた。

 なお、こうした工夫はあくまでも私個人としての剣技・剣理の探求であり、それを伝来の形の動きや理合に混同させるようなことは、厳に慎まなければならないのは言うまでもない。

 しかし、自分なりの工夫伝として鍛錬し、技として磨くことは、ひとりの武術修行人として、たいへんに重要なことであるとも思う。

 今回、このように神道香取流の太刀筋から、柳剛流の下陰の構えからの太刀筋や運刀について新たな知見を得る事が出来たわけだが、一方で4尺4寸2分の柳剛流の長木刀でその動きを過度に繰り返すと、左手首に非常に大きな負担がかかるようである。

 おかげで昨日、左手首を痛めてしまった・・・・・・(爆)。






 上川原神道香取流は、毎年春と夏の2回、表の太刀のみが公開されるという。

 機会があればぜひ、現地でその妙術を拝見したいと思う。


■参考URL
上川原神道香取流棒術
http://www.city.kumagaya.lg.jp/kanko/rekisi/bunkazai/mukeiminzoku/boujutu.html

村落における武術伝承組織の検討:神道香取流を事例として
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpehss/62/2/62_16102/_article/-char/ja

 (了)
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柳剛流と柳生心眼流/(柳剛流)
- 2018/05/30(Wed) -
 松代での春の演武も終わり、今年上半期の主な武術関連の行事はひと通り終了した。

 下半期についても、演武に出場するのは秋に行われる松代の演武会のみであり、気分的には翠月庵/国際水月塾武術協会埼玉支部としての、今年の公式な対外活動は9割方済んだという感じである。

 というわけで、あとは日々、粛々と稽古をするのみだ。

 ・・・・・・と、そんな気持ちもあり、今晩の稽古では柳剛流ではなく、柳生心眼流の体術に集中した。



 私の体術修行は12歳から学んだ八光流が始まりだけれど、その後29歳から41歳まで12年間に渡って稽古に集中し、今も細々とだが稽古を継続している伝統派空手道が、身体の使い方の大きな素養のひとつとなっている。

 こうしたこともあり、素振二十八ヶ条による一人稽古が鍛錬の柱となる柳生心眼流は、たいへんにとっつきやすく、稽古のしやすさを感じている。

 もっとも当初は、空手道や他の柔術とはあまりに異なる柳生心眼流の身体の使い方に大いに戸惑ったのだけれど、ようやく最近になって、素振や相対稽古、打ち込み稽古などをしていても、違和感を感じなくなった。

 稽古が進み、師より実践応用技法(空手道でいうところの分解ですな)の口伝も少しづつ伝授していただけるようになり、この古流武術の独特な体術技法の数々に興味は増すばかりである。



 ところで仙台藩角田伝の柳剛流剣術には、相手を地面に倒してから斬る「相合剣」という業がある。

 この業で用いる体術的接触技法は、柳生心眼流の動きや技に一脈通じるものがあり、私は両者を稽古することでより深く「術」の理合を知ることができると感じている。

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▲体術的な接触技法で相手を地面に倒してから斬撃を加える、柳剛流剣術「相合剣」


 (了)
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松代藩文武学校武道会 第24回 春の武術演武会/(柳剛流)
- 2018/05/27(Sun) -
 本日、長野県長野市松代町にある松代藩文武学校にて、「松代藩文武学校武道会 第24回 春の武術演武会」が開催され、私も国際水月塾武術協会の一員として参加をさせていただいた。

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▲松代藩文武学校武道会の先生方と、象山神社に参拝後の記念撮影


 午前中は、象山神社に参拝し、武運長久を祈願。

 そして午後から演武となる。

 私は師に打太刀を執っていただき、仙台藩角田伝 柳剛流剣術の「右剣」「左剣」「青眼右足刀」「青眼左足刀」「相合剣」と、5本の形を披露させていただいた。

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▲柳剛流剣術「青眼右足刀」(打太刀:小佐野淳師、仕太刀:瀬沼健司)


 松代藩文武学校にて、柳剛流の演武をさせていただくのは今回で3回目だが、本物の藩校の武道場での演武は、何度行っても凛としたこの場所ならではの緊張感が心地よい。

 5月の薫風の中で、自分なりに存分に木太刀を振るうことができた。
 
 次回、この場所での演武は9月。

 さらに己の業を磨いて、再びの演武に臨みたいと思う。

 (了)
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「跳斬之術」を磨く/(柳剛流)
- 2018/05/25(Fri) -
 昨晩および今晩の稽古では、「左剣」と「青眼左足刀」における跳斬りについて、体捌きと運刀にわずかながら違和感を感じた。

 この2つの形=業に限らず、跳違いの体捌きと運刀に少しでもズレがあると、形而上的な意味で、柳剛流の「跳斬り」は成立しない。

 この点を修正するために、丁寧に形を繰り返す。


 
 不世出の女武芸者・園部秀雄をして「跳斬之妙術」と言わしめた柳剛流の跳斬りは、相手の脚を斬る「断脚之術」と並ぶ当流儀の真面目であり、初学の者が最初に学ぶ「術」でもある。

 この「跳斬之術」を生涯かけて磨き抜くことは、柳剛流を修行する者に課せられた使命といって過言ではない。

 地を蹴ることなく、太刀の道に従い、自然に跳び違いながら、自在に相手を斬る。

 そこに、

   「必勝を求めずして、自然に勝つべきに於いて勝つ」
   (岡田左馬輔筆「目録之巻」より)



 という、柳剛流の極意があるのだろう。

 修行の行き着く先は、未だ遥か彼方だ・・・・・・。
  
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▲柳剛流剣術「青眼右足刀」(仕太刀:宇田川浩二、打太刀:瀬沼健司)


 (了)
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