柳生心眼流 「取返」/(武術・武道)
- 2017/06/26(Mon) -

「できない」ことが「できる」ようになる過程とは「自己調整と過剰適応を繰り返すことによって自己理解を深めていく過程」として捉えることができる。

冨永哲志・豊田則成・福井邦宗「できない」ことが「できる」ようになる過程についての質的研究
スポーツ心理学研究 2015年第42巻第2号P51-65 より
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjspopsy/42/2/42_2015-1415/_pdf




 昨日は、水月塾本部での稽古であった。

 今回はハンガリー支部長以下、門人の方々が稽古に来ており、午前中は全員で水月塾制定の日本柔術(甲陽水月流)の稽古を、午後からはそれぞれの学んでいる流儀の稽古ということで、私は関西支部長で兄弟子のY師範に相手をしていただき、小佐野淳先生より柳生心眼流をご指導いただいた。

 以前にも書いたけれど、柳生心眼流は、私が幼少のころから憧れていた流儀であったのだが、長年、これを学ぶ機会がなく時が過ぎてきた。

 しかし水月塾にて仙台藩角田伝柳剛流を学ぶ中、師に相談をさせていただいた上で、柳剛流と併せて柳生心眼流のご指導をしていただくようになった。

 これは、そもそも昔からの憧れの流儀であったことのほか、柳生心眼流の特長である「素振二十八ヶ条」は、月1回の通いの弟子である私にとって、他の古流柔術よりも自習がしやすいであろうこと、また登米伝柳剛流における近代の名人・沼倉清八師範が柳剛流と併せて柳生心眼流も深く修めておられたという逸話にあやかりたいという気持ちもあった。

 とはいえ、皆さんご存知のように、柳生心眼流と言えば、たとえば受けが後方に宙返りをしつつ逃れる「ムクリ(まくり)」と呼ばれる動きが必須であり、これは到底、アラフィフの自分には無理だろうなということで、学び始めた頃は内心、せめて単独での素振りだけでも憶えられればという気持ちでもあった。

 ところが、師の導きやY師範のご協力のおかげで、驚くことにバク転やバク宙はまったくできないアラフィフのおっさんながらも、なんとか形でムクリもできるようになったという話は、以前、本ブログに書いたかと思う。

 その後、「表」、「中極」、「落」、「切」と二十八ヶ条の素振、それぞれの「向い振り」、七ヶ条の「取放」を学んだのだが、やはりこの段階で内心、自分の柳生心眼流の学びもここまでかな・・・・・・、といささかあきらめの気持ちがあった。

 というのは、「取放」の次に学ぶのが、「取返」七ヶ条だからである。



 柳生心眼流の「取返」は、「梃子の原理を最大限に活用しながら攻防を繰り返し、技の極まらぬうちに逃れ、反撃に移る技法を形として伝えるもの」(『柳生心眼流兵術』小佐野淳師著)だ。

 この七つの形では、彼我、背中合わせの状態で、相手が我の襟首をつかんで背負い投げするところを、我は倒立後方回転、つまりバク転をして着地しながら逃れ、すかさず体を入れ替えて相手を投げ倒すという動きが必ず含まれている。

 背中合わせで後ろ向きに背負い投げをされたところを、バク転して着地し、すかさず飛び違えて相手を投げ返す・・・・・・。

 ・・・・・・。

 絶対に無理である、アラフィフのくたびれた流れ武芸者には。

 そもそもバク転=倒立後方回転どころか、私は倒立つまり逆立ちさえもできないのだ。

 それがですよ、バク転して着地し、すかさず飛び違えて相手を投げ倒すと!?

 しかもそれで形は終わりではなく、さらにここで投げ倒された相手は、さらに投げから逃れて我を極め倒すのである!

 あは、ははははは・・・・・・・(涙目)。



 そんな心持ちでいたのであったのが、師から「今日は心眼流の取返をやりましょう!」と言われ、内心「絶対無理だろう、オレには・・・」と思いつつ、師とY師範のご協力をいただき、補助的な基礎鍛錬から指導していただき、いよいよ「取返」の形を打つ。

 最初は当然ながら、頭から落下する恐怖で着地どころか、後ろ向きに転がることすらままならない。本能的に恐怖を感じ、体を変にひねって横に転がってしまったり、立ちすくんで足が居着いてしまうのである。

 しかし、何度も何度も繰り返し、師やY師範にアドバイスをいただきながらトライしていくうちに、「あれ!? もしかしたらこれ、できるかもしんない・・・」という気持ちが芽生え始めた。

 すると不思議なもので、なんとなく体の動きが形を打つごとにそれらしくなり、なんと驚くことに、いや本当に驚くことに(!)、2時間ほどたつと、バク転して着地、飛び違えて投げを打ち、それを受けた相手がさらに我を極め倒すという、実にアクロバチックな形について、捕りでも受けでも、ようよう打てるようになってきたのである!!!

 そしてこの日の稽古が終わるころには、師より「なんとか、かたちになってきたね」とのお言葉をいただけるようになった。



 それにしても、まさか自分がこの年(47歳と7か月・・・)にもなって、柳生心眼流の「取返」ができるようになるとは、本当に想像だもしていなかった。

 これほど明確に、「できないこと」が「できるようになる」体験というのは、子どもの頃、初めて自転車に乗れた時や、できなかった逆上がりができるようになった体験以来である。

 今、改めて自省すると、それはできるようになるために先人方が工夫されてきた流儀の稽古体系=学びの階梯があるからであり、師と兄弟子の導きがあってこそであると、しみじみ思う。

 ま、ひと様からすれば、「それはよかったね(笑)」という程度のことであろうし、柳生心眼流を稽古されているたくさんの先達の皆さんからすれば、「なにを大げさな・・・」と苦笑されるであろう。

 なにより業として、まだまだ未熟極まりないものではあるが、私にとっては実に、いや本当に実に驚愕の感動的な稽古体験であった。

 (了)
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怪談の季節/(身辺雑記)
- 2017/06/24(Sat) -
 夏至も過ぎ、本格的な夏ももう目前だ。

 そして夏と言えば、やはり怪談である。

 私は霊魂とか死後の世界とか、そのたぐいのものはこれっぽっちも信じていない、限りなく唯物論者に近い不可知論者なのだけれど、一方で怪談やオカルト映画は大好物である。

 そういう意味では、最近はめっきりオカルト映画に見ごたえのある作品が無くなってしまい、2005年の『エミリー・ローズ』以後、鑑賞するに値する作品がまったく見当たらないのは残念なことだ。

 しかたがないので、史上最恐のオカルト映画である、フリードキンの『エクソシスト3』を、飽きることなく繰り返し見ている今日この頃である。

 『エクソシスト』というと、どうしても1作目が注目されるのだが、ジョージ・C・スコット主演の『エクソシスト3』の方が、断然面白いと思う、個人的には・・・・・・。



 ところで最近は落語ブームだろうで、高座や人気落語家の独演会などにたくさんの若い人が集まっているそうだが、落語でもこの時期に欠かすことのできないのが怪談噺だ。

 落語の神様・三遊亭圓朝の名作、『牡丹燈籠』や『真景累ヶ淵』、『怪談乳房榎』などは、ベテラン噺家が取り組む大長編として、実に聞きごたえのあるものである。

 しかし残念なことに、最近ではこれらの長講に取り組む噺家は少なく、せいぜい『牡丹燈籠』なら「お札はがし」、『真景累ヶ淵』であれば「豊志賀の死」を単発でやる程度だ。

 個人的にも、最近では小朝の独演会で一昨年に「豊志賀の死」と「お札はがし」聴いた程度である。

 なお余談だが、小朝の「お札はがし」は、1998年に練馬文化センターで録音した音源がCDとなっている。

 奇遇なことに、私が独演会で小朝の「お札はがし」を聴いたのも同じ練馬文化センターだったのだが、まことに残念なことに、2015年に生で聴いたものよりも、その17年前の音源のほうがはるかにレベルの高いものであった。

 春風亭小朝ほどの天才でも、「下達」、ありていに言えば芸がへたくそになるというのは、個人的にはかなりの衝撃であった・・・。

 人は上達することもあれば、下達することもある。オレも気を付けよう。



 さて、このように圓朝作の長編怪談は、近年、もはや発端から終焉までを通してやる噺家はほとんどいないのだけれど、唯一、これらの大長編に意欲的に取り組んできたのが、桂歌丸師匠である。

 このため私は、4年ほど前から意識して歌丸師匠の出る高座や独演会に通いつめ、なんとか『真景累ヶ淵』については、発端の「深見新五郎」から、圓朝以来100数十年ぶりの復活となった結末の「お熊の懺悔」まで、全5話を3年がかりで全て独演会で聴くことができた。

 歌丸師匠は、こういってはなんだが、特別噺のうまい落語家ではない。また横浜生まれなので、たとえば志ん朝のような心地よい江戸ことばでの噺というわけでもない。

 しかし、親しみ深い声音と、偏りのない美しい日本語での話芸は、傾聴に値すると思っている。



 こうして『真景累ヶ淵』はすべて聞くことができたので、次は『牡丹燈籠』だなと思っていたところ、昨年あたりからは歌丸師匠の体調不良で、高座や独演会への出演休止が目立ってきた。

 私がチケットを買ったものでも、昨年神奈川での独演会と今年4月の国立演芸場で、いずれも会場に着いたところ、体調不良で代演ということがあった。

 ま、4月の国立演芸場では、代演で鶴光の長講が聴けたのはめっけもんだったけれども。

 最近も、歌丸師匠は入退院を繰り返されていて休演が目立っているし、そうなると逆に人気が集まるようで、昨年くらいからチケットがたいへんとりづらくなっている。

 歌丸ファンとしては、師匠の噺を生で聴こうという人が増えるのはうれしいことだが、チケットがとりにくくなるのは残念であるし、なによりご本人の健康状態が心配である。

 一番最近、歌丸師匠の噺を聴いたのは、去年5月に練馬文化センターで行われた小朝との二人会での「紺屋高尾」だが、なんとかせめてもう1回、いやいや、10回でも20回でも、生で師匠の噺を聴きたいと願っている。

 また個人的には、喬太郎あたりが圓朝作の長編怪談を、じっくりやってくれないかなと思う。

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 (おしまい)
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100年後の柳剛流を想う/(柳剛流)
- 2017/06/22(Thu) -
 多忙である・・・・・・。

 障害者福祉と小児医療というジャンルの異なる2冊の単行本の原稿を毎日6000文字ほど執筆しつつ、毎月の定期ものである医療系インタビュー記事やルポルタージュ、インバウンド向けの旅行関係の記事なども執筆しているため、ここ1週間ほどは、毎日14時間ほど、机にかじりついている。

 この調子があと半月続くのだが、果たして自分の体力がそこまで持つのか、我ながらはなはだ不安だ。



 そんな毎日ではあるが、なんとか時間を工面し、日々、稽古はできるだけ欠かさぬように心がけている。

 今週は特に柳剛流の長刀について、丁寧に自分の業を見直している。

 構え、拍子、間積りはもとより、各々の形の理合、位、打太刀の動きなどについて、自身の稽古手控えを見返しつつ、あるいは他流の古流長刀の資料なども参考にしながら、短い時間を無駄にしないよう稽古を行う。



 たいへん残念なことに、現在、柳剛流の長刀は国際水月塾武術協会が継承する仙台藩角田伝にしか残されておらず、それを第8代相伝者である小佐野淳先生から学んだ者は、兄弟子たちや私を含めて、わずか4名しかいない。

 このままでは、遠からず失伝してしまうリスクがたいへん高いだけに、翠月庵/国際水月塾武術協会埼玉支部としては、一人でも多くの門下に、免許秘伝の長刀までを含めた仙台藩角田伝柳剛流のすべての業と口伝を、余すところなく継承してもらいたいと強く願っている。

 そのために、まず私自身が柳剛流の業を「見事に活きた術」として習得、練磨し、それを1つずつ丁寧に門下に伝えていかなければならない。

 50年後、100年後にも、仙台藩角田伝柳剛流が誰かに受け継がれているようにするために、今ここで微力を尽くすことは、市井のいち武術・武道人として、まさに男子の本懐だとしみじみ思う。

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▲柳剛流長刀「刀勝」。打太刀・小佐野淳師、仕太刀・瀬沼健司

 (了)
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流祖が示す課題/(柳剛流)
- 2017/06/18(Sun) -
 飛び違いによる斬撃は、かつて不世出の女武芸者・園部ひでををして、「跳斬之妙術」と言わしめた、 「断脚之法」と並ぶ柳剛流の特長である。

 古流剣術諸派には、同じような飛び違いを用いる形のある流派も見られるし、あるいは現代武道である空手道や打撃系格闘技でも、こうした体の使い方は、「スイッチ」とか「スイッチステップ」などといって、組手やスパーリングによく用いられる。

 例えば私が学んでいた玄制流空手道には、土佐邦彦先生が制定された「五本組手」という、玄制流ならではの独自色の強い技をまとめた約束組手があるのだが、その中の1つに、こうしたスイッチステップ=飛び違いを用いる業があった。

 具体的には、彼我、互いに左半身に構え、相手が右中段追突きにくるところを、我はその場で飛び違いながら右半身になりつつ相手の突きを内受け(自分の体の外側から内側へ向けての受け)し、右上段裏拳打ちで極める、というものである。

 このように、「飛び違い」そのものは、柳剛流以外に皆無の技というものではないけれど、柳剛流の特筆すべき点は、この飛び違いを初学の切紙から目録、そして免許秘伝の長刀まで、一貫した「術」=体の使い方の根幹に置いていることであり、その体の使い方を修行人に学ばせるための、明確な体系としての「形」の階梯が整備されている点にある。



 これまで本ブログでたびたび指摘しているように、柳剛流の術の根幹を練り、しかも極意に至るあらゆる要素が内包されているのが、修行人がまず最初に学ぶ「右剣」と「左剣」の形だ。

 当然ながら飛び違いについても、この2つの形に、術の基礎と応用が凝縮されている。

 さらに柳剛流を修行する者として、「深いなあ」としみじみ思うのが、まず最初に「右剣」を学び、次いで「左剣」を学ぶという順序=階梯だ。

 具体的な術技やポイントは師伝のためここでは詳述しないが、飛び違いは、まず一番最初に学ぶ「右剣」の形に含まれるのだが、次に学ぶ「左剣」においては、さらに高度な体の使い方による飛び違いを要求されるのである。

 柳剛流の跳斬之術は、切紙の剣術や居合で学ぶものが楷書、目録の剣術・柳剛刀で学ぶのが行書、そして免許秘伝の長刀が草書というような明確な階梯となっている。

 同様に、切紙で学ぶたった2本のみの剣術形でも、1本目の「右剣」と2本目の「左剣」は、明確な上達への階梯関係、あるいは修行者へ求められる課題の高度化が示されているのである。

 ありていに言えば、1本目の「右剣」で行われる飛び違いに比べると、2本目の「左剣」の形で行う飛び違いは、はるかに難しいのだ。

 これは流祖・岡田惣右衛門から突き付けられた、柳剛流を学ぼうという修行人への大きな課題である。

 同じ飛び違いでも、「右剣」の飛び違いに比べ、「左剣」の飛び違いは、たいへんシビアな状態からの動作を求められる。筋力を使った単純な跳躍では、「右剣」での飛び違いはなんとかなっても、「左剣」での飛び違いはいかんともしがたいのだ。

 そこで、以前にも本ブログで記したが、「地(床)を蹴らずに飛び違う」ことが求められる。

 これができて初めて、目録で学ぶ柳剛刀に示される柳剛流ならではの実践刀法が遣えるようになり、重厚長大な長刀を飛び違いながら用いる免許秘伝の長刀への道が開けるのである。



 こうした意味で、私自身、今でも「右剣」と「左剣」の稽古は欠かさず特に心を砕いており、ことに「左剣」の形は、「なんでこんなに難しいのだ?」と、己の未熟さを痛感させられることしきりだ。

 200有余年の時を経て流祖が示す課題に取り組むというのは、古流の武芸を学ぶ者だけが知る厳しさであり、そしてまた大きな喜びでもあるといえるだろう。

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▲柳剛流剣術「左剣」

 (了)
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善く易を為る者は占わず/(身辺雑記)
- 2017/06/17(Sat) -
 20年来の知人であるA氏から、新規の事業展開などあるので、直近の全般的な運勢など占断をしてほしいとの依頼があった。

  Aさんは、50代の実業家で、以前、何度か占断の依頼いただき、その都度、差し上げた助言が功を奏したとのことで、折に触れて占ってほしいと連絡がある。

 最初は、ひさびさに西洋占星術で観てみるかと思い、天宮図を作って読み込んでみたのだが、なんとなくしっくりこず、結局、大まかな運勢の巡りは九星気学で、メインの占断は周易で行った。

 それにしても易での占断は、一刀両断の切れ味というか、快刀乱麻の妙味があり、これがはまると占断をしてる自分自身も驚くような、ズバリ的中を得ることがあるのが面白い。

 この点、占星術や気学というのは、武芸でいえば太刀行きが遅いのである。



 これは私の持論なのだけれど、人生における占いなどというのは、本来、君子や武人が頼るべきものではない。

 栄養でたとえれば、学問や体育が炭水化物やたんぱく質だとすれば、占いなどはビタミンや脂質ですらない。せいぜい、プラセボ程度の効果しか期待できない、ミネラルのサプリメント程度のものである。

 ゆえに、人生の重大事における選択や決断は、占術などに頼るべきではない。

 それは自らの志と、経験と、合理的な知見に基づく未来への推論に基づいてなされるべきものだ。

 かつて、荀子は占いとしての易ではなく義理(哲学)としての易を重んじて、

 「善く易を為(おさむ)る者は占わず」

 と喝破した。

 あるいは孔子は、易の『繋辞上伝』において、

 「易に聖人の道四あり。もって言う者はその辞をたっとび、もって動く者はその変をたっとび、もって器を制する者はその象をたっとび、もって卜筮する者はその占をたっとぶ」

 としている。



 それでは占いなどは、人生においてまったくの無用の長物なのであろうか?

 思うに、私を含めて多くの人は、本当の意味での君子や大丈夫ではない。

 迷いもすれば悩みもする、大人であろうと志すも、日々の暮らしに追われ、小事に悩み、些事に煩う小人、凡夫である。

 凡夫は凡夫なりに、君子でありたいと願い、人生の岐路においては志を持って決断・選択をするのであるが、そこで何か自分の決断をそっと後押しをしてくれるもの、あるいはちょっとした注意を促してくれるものがあれば心強い・・・・・・。

 私自身を含めた市井の無名氏にとって、占いとはそういうものであろうし、そうあるべきだと思う。

 朝、新聞の片隅にある「あなたの今日の運勢」をチラリと見て、ちょっと喜んだり、落ち込みつつも気を引き締めたり。

 占術は、人知による決断や選択をほんの少し後押ししたり、平凡な日々の暮らしにちょっとした彩りを添える、ささやかな香辛料であればそれでよい。

 あるいは深遠厖大な疑似科学の体系として、閑人の知的好奇心を満たしてくれれば、それで十分だと思う。


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 (おしまい)
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打突部位を明確に意識すること/(武術・武道)
- 2017/06/15(Thu) -
 今日から7月上旬まで、地獄の原稿ラッシュが続くので、昨晩は早めに寝ようと晩酌をして23時前に就寝したものの、こういうときに限って悪夢&持病の逆流性食道炎のコンボで目覚めてしまい、その後なんとなく寝付けず、こんな時間(深夜3時)にブログをつらつらと書いている。

 たしか映画『エミリー・ローズ』では、「深夜3時は悪魔が活動する時間」というセリフがあったような・・・・・・。

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 昨夜は空手の稽古。

 かなり湿度の高い武道場で、その場基本~移動基本まで1時間コッテリと絞られ、その後、松村ローハイの形稽古を中心にさらに30分と、久しぶりに「ちょっと身体がキツイなあ・・・」と感じる稽古であった。

 こういうフィジカルなキツさというのは、普段の古流の稽古ではそれほどないので(柳剛流の居合は別だが・・・)、空手の稽古で定期的に、みっちり心身を絞られるのも、武人のたしなみとして大切かなと思う。

 稽古中は、昨日のブログで柳剛流の殺法の記事をまとめたこともあり、急所を意識した打突を心掛ける。

 中段突きであれば「水月」や「心中」、上段突きであれば「虎一点」や「面山」、中段蹴りであれば「心中」や「明星」など、打突部位を明確に意識してその場基本や移動基本、形や組手を行うというのは、空手道に限らず当身のある武芸の稽古における基本中の基本だと思うのだが、周囲の有級者や低段者を見渡すと、どうもそういった意識が薄いように思われる。

 特に、これは私の通っている稽古場だけではなく、最近の伝統派空手道の稽古者全般に当てはまるように思うのだが、中段突きがかなり上段寄りになっているのが気になる。

 柳剛流の殺の部位に当てはめれば、本来、中段突きは上記の通り「水月」や「心中」を打突すべきものが、「骨当」(胸骨中心部)から「玉連」(喉ぼとけの下)辺りを突いている人が少なくない。

 当然ながら、「骨当」も「玉連」も殺の部位であるから、それらを意図して突いているのであればかまわないのだが、無意識のうちに、というか漫然と中段突きが上段寄りになっているように思えてならない。

 もっとも現在の全空連の定義では、「中段とは腹部・胸部・背部・脇腹」という部位の指定になっているので、中段突きの部位は「心中」~「水月~「骨当」の範囲内であれば、どこでも可ということになるわけだ。

 それにしても「玉連」では、中段突きとしては打突部位が高すぎると思うのだが、有段者クラスでも、この辺りを中段突きとして突いている者が時折見られる。

 いずれにしても、急所を意識しない漫然とした打突/当身は、武道としての空手道としては、いかがなものだろうか?

 空手道の稽古場では、私は師範や指導員ではなく単なるいち有段者なので、ことさら意見や指摘ははばかっているけれど、古流武術師範という立場から言わせてもらえば、改善した方がよいと強く感じている。



 などという駄文をつらつらと書いている暇があったら、とっとと眠るべきであろう。明日・・・いや既に今日からは、原稿地獄なのだ。

 とりあえず次は、悪夢ではなく良い夢が見たいものである。

 では、チャントを唱えてあと3時間ほど眠るとしよう。

 Eko, Eko, Azarak, Eko, Eko, Zomelak,Eko, Eko, Cernunnos, Eko, Eko, Aradia!

 (了)
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柳剛流殺活術についての補足と整理~「水月」と「心中」の殺ほか/(柳剛流)
- 2017/06/14(Wed) -
 前回の記事をはじめ、本ブログでは何回か、柳剛流の殺法を解説した。

 その中で、「水月」と「心中」について、自分の中でやや混乱した、あるいはいささか雑な認識になっていたほか、「玉連」や「骨当」といった部位についても、新たに入手した史料によって見立てが変わったところがあるので、ここで改めて殺法に関する最新の知見をまとめておきたいと思う。

 過去、本ブログの記事では、柳剛流と天神真楊流の殺法を比較する際、柳剛流の「水月」=天神真楊流「水月」、柳剛流の「心中」=天神真楊流の一部伝書に記載されている「少寸」に当たると記してきた。

 (「柳剛流の殺活術について(後編)」http://saitamagyoda.blog87.fc2.com/blog-entry-750.html

 この点について、改めて柳剛流殺活免許巻や、その他の当身に関する史料を検討してみると、もう少し慎重な考察が必要だと思われる。



 まず、ここで改めて柳剛流殺活免許巻を見ると、文久2(1862)年に記されたもの(以下、文久2年伝書)でも、昭和14(1939)年に記されてもの(以下、昭和14年伝書)でも、いずれの場合も、胸骨下部から腹部中心部分にあたる殺は、「水月」と「心中」の2つが書き分けられている。

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▲昭和14(1939)年に記された仙台藩角田伝の柳剛流殺活免許巻に記載されている図


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▲文久2(1862)年に記された仙台藩角田伝の柳剛流殺活免許巻に記載されている図



 2つの図を素直に見る限り、「水月」は胸骨直下・上腹部にあり、一方で「心中」は臍の上・腹部の中心を示している。

 この2つの殺について、私は以前の本ブログ記事で、文久2年伝書を元に、以下のように考察した。

「水月」については、柳剛流も天神真楊流も同じく、腹部の上胸部の下であろう。「此は柔術形に於いては尤必要也」と『柔術生理書』で井口松之助が書いている通り、水月の殺は日本柔術の当身で最も重要な部位であるだけに、その部位に当流の殺も天神真楊流の殺も違いがないであろうというのはたいへん興味深い。

 (中略)

 続く「右脇」と「心中」だが、この2つの殺は、伝書掲載の図では部位の引き出し線が重なっており、正しい位置が不明確である。常識的に考えて「右脇」というのは右の肋骨下部、天神真楊流で言うところの「稲妻」であり、「心中」は水月と明星の中間、天神真楊流の一部伝書に記載されている「少寸」という部位にあたると考えてよいのではなかろうか。




 その上で過日、神道六合流の当身に関する資料をつらつら読んでいて、水月の殺について思うところがあった。

 同流における当身の解説では、「水月」については「俗にいうみぞおちで胸骨の真下」とする一方で、その上部に「胸尖」という殺を示し、これを「胸骨の下端部、すなわち剣状突起の所」と示している。

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▲『奥秘柔術教授書特科虎之巻』(野口潜龍軒著)の図。「水月」と「胸尖」が別個に記されているのが分かる。


 一方で、明治29(1896)年発行の天神真楊流・井口松之助著『柔術整理書』を見ると、「水月の殺」とは、腹部の上胸部の下、すなわち胸膜の間、体内の中央真中を言う。胃腑、剣状突起の真下を突撃する所なり、としている。

 ここで改めて、上記の昭和14年伝書に記された柳剛流殺活免許巻の図を見ると、「水月」の殺の部位は胸骨直下にあり、「心中」の位置はその下、腹部中心のやや上よりとなっており、文久2年伝書の図でも、「水月」は明らかに両乳下端を結んだ線上の下にあり、「心中」は腹部のほぼ中心部を示している。



 これらの各資料の比較から、より厳密に柳剛流の殺法の「水月」と「心中」の部位を記せば、

 ・柳剛流の「水月」=神道六合流の「胸尖」=胸骨下端の剣状突起

 ・柳剛流の「心中」=天神真楊流/神道六合流の「水月」=腹部の上胸部の下、胸膜の間、体内の中央真中、胃腑、剣状突起の真下


 と考えるのが、より妥当性が高いのではないだろうか?



 また、本ブログの「柳剛流の殺活術について(後編)」において、私は文久2年伝書の図を元に、柳剛流の「玉連」はいわゆる「下毘」、柳剛流の「骨当」は天神真楊流の「肢中」ではないかと考察したが、これらについても昭和14年伝書の図を突き合わせて考えると、正しくは「玉連」は「肢中」、「骨当」は天神真楊流における「ダン中」に当たると思われる。

 さらに柳剛流の「二星」については、やはり「柳剛流の殺活術について(後編)」において、文久2年伝書に基づいて両目の下として考察した。これについては、武州の岡安伝による柳剛流の殺法図でも両目の下に点が記されている。ところが、昭和14年伝書では左右の目そのものとなっている。

 これらを勘案すると、古流の常識として左右の目は「日月」、つまり2つの星と称されることから、柳剛流の「二星」も、昭和14年伝書が示すように、両目そのもののことではないだろうか?

 文久2年伝書や岡安伝の史料では、両目の下部分に殺点が置かれ、そこから引き出し線が描かれているのは、作画上の方便であると考えるのが、より妥当性が高いように思われる。


 
 以上の点を踏まえ、改めて仙台藩角田伝柳剛流の殺18ヶ条の部位を、天神真楊流および神道六合流の殺と比較してまとめると、以下のようになる。


 仙台藩角田伝柳剛流の殺18ヶ条と、天神真楊流および神道六合流の殺との比較一覧

1)天道(柳剛流)=天道・天倒(天神真楊流・神道六合流)=前頭骨と左右頭頂骨の縫合部分
2)面山(柳剛流)=鳥兎(天神真楊流・神道六合流)=前頭骨と鼻骨の縫合部分、いわゆる眉間
3)二星(柳剛流)=該当なし=両眼
4)虎一点(柳剛流)=人中(天神真楊流・神道六合流)=左右上顎骨の縫合部分、鼻の下部、口の上
5)剛耳(柳剛流)=独鈷(天神真楊流・神道六合流)または耳孔=耳の後部真下のくぼみ、または耳の孔そのもの
6)雁下(柳剛流)=該当なし=二の腕の中心部内側
7)玉連(柳剛流)=肢中(天神真楊流・神道六合流)=首の正面、舌骨と胸骨上端との中間、いわゆる喉笛
8)骨当(柳剛流)=ダン中(天神真楊流・神道六合流)=胸骨中心部、両乳を結んだ線上の胸骨部分
9)松風(柳剛流)=雁下(天神真楊流)、月影(神道六合流)=乳の下部、柳剛流では左乳の下を言う
10)村雨(柳剛流)=雁下(天神真楊流)、月影(神道六合流)=乳の下部、柳剛流では右乳の下を言う
11)水月(柳剛流)=胸尖(神道六合流)=胸骨の下端部、剣状突起
12)心中(柳剛流)=水月(天神真楊流・神道六合流)=胸骨・剣状突起の真下
13)右脇(柳剛流)=電光・稲妻(天神真楊流・神道六合流)=右側の肋骨下部
14)稲妻(柳剛流)=月影(天神真楊流)、稲妻(神道六合流)=左側の肋骨下部
15)明星(柳剛流)=明星(天神真楊流・神道六合流)=臍の下約1寸
16)玉水(柳剛流)=釣鐘(天神真楊流)、陰嚢(神道六合流)=睾丸
17)高風市(柳剛流)=夜光(神道六合流)=大腿上部の前内側
18)虎走(柳剛流)=草靡(天神真楊流・神道六合流)=下腿後方の中央部、いわゆるふくらはぎ



 現時点において、仙台藩角田伝柳剛流の殺18ヶ条については、このような部位としての認識が、最も妥当なものであると考えられる。

■本文記載以外の参考文献
『日本柔術当身拳法』(小佐野淳師著/愛隆堂)
『実戦古武道 柔術入門』(菅野久著/愛隆堂)
『月刊空手道』第24巻第1号「現代空手の礎 柔術当身活殺術」(福昌堂)
『増補・改訂 宮城県 角田地方と柳剛流剣術-日本剣道史に残る郷土の足跡-』(南部修哉/私家版)
『一條家系譜探訪 柳剛流剣術』一條昭雄/(私家版)
『幸手剣術古武道史』(辻淳/剣術流派調査研究会)

 (了)
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柳剛流殺活免許巻に基づいた当身の稽古/(柳剛流)
- 2017/06/09(Fri) -
 柔術(体術)に関して私は今、甲陽水月流と柳生心眼流を稽古しているが、10代の頃ははじめに八光流を、次いで天神真楊流を学んだ。

 このため当身の部位、いわゆる「殺」の名称については、今もなんとなく天神真楊流系の名前で記憶している。

 一方で私の武術修行の本義は、現在、仙台藩角田伝柳剛流だ。

 角田伝の柳剛流では、現在、殺活術については活法のみの伝承となっており、殺法については残念ながら実伝は失われてしまった。

 しかし幸いなことに、柳剛流の殺活については伝書や資料類が充実しており、殺の部位や名称に関しても明らかになっているので、個人的には柳剛流の殺の部位や名称もしっかりと憶えておき、あくまでも復元・考証であることを明言した上で、門下への伝承や指導の一環に加えたいと考えている。



 このため最近は、毎日の稽古の最後に、柳剛流殺活免許巻を読みながら殺の部位・名称を憶えるようにしているのだが、ただ名前と部位を憶えるだけでは芸がないので、実際に当身の稽古と合わせて名称を記憶するようにしている。

 たとえば天道には手刀あるいは拳槌打ち、二星には目打ち、面山や虎一点には裏拳打ち、玉水や虎走には蹴当てなどといった具合だ。

 このように、動作とともに名称(言語)を覚えると、よりしっかりと記憶に刻まれるように感じるのは私だけだろうか?

 もっとも、仙台藩角田伝柳剛流の殺法は18ヶ条しかないので、そんなふうにしなくても、普通に覚えられるだろうと言われればそれまでなのだが・・・・・・。

 五十路も目前となると、もの覚えが悪くってねえ(苦笑)。

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▲仙台藩角田伝柳剛流における殺法の部位と名称


 (了)
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柳剛流二刀伝/(柳剛流)
- 2017/06/07(Wed) -
 以前から気になっていたのだが、ネット上にある柳剛流関係の記事で、二刀の技法にふれているものがある。

 「剣術流派紹介」
 http://www.geocities.jp/mb_records2004/ryuuha-ryuugouryuu.html

 このページは武術・武道関係のものではなく、1990年代に放映された時代劇ドラマに関するホームページに付随したもののようだ。

 こういったページの剣術関連の記事は、武術・武道の実践者ではなく歴史ファンが資料を基にまとめているケースが多く、技術的にも考証としても、残念ながらあまり質の高いものは多くない。

 ところが上記ホームページの柳剛流に関する記事については、これまでほとんど公開されたことのないであろう柳剛流二刀伝の技法について、ずいぶん具体的な記述がなされており、「いったいこの記事は、どういう人が書いたのだろう?」と、常々、不思議に思っていた。



 そんななか過日、松代の演武会に参加した帰路、水月塾関西支部長のY師範とお話しをしていたところ、柳剛流の話題となった。

 その際、2000(平成12)年に発行された田中普門氏著の『古流剣術概論』(愛降堂)という本に、紀州藩田丸伝柳剛流の記事があると教えていただいた。

 これについては以前、『幸手剣術古武道史』などの著者で、武州一帯に伝播した柳剛流に関する研究の第一人者である辻淳先生からも、教えていただいたことがあったのだが、すっかり失念していたのである。

 私はなにしろ「武術オタク」なので(笑)、武術関連の書籍などはそれなりに所蔵しているのだが、どういうわけか田中普門氏の著作は、これまで1冊も購入したことがなく、すべてパラパラっと立ち読みで済ましていたので、ま、不覚といえば不覚であった。

 そして後日、Y師範が同書の柳剛流に関する記述のあるページを送ってくださり、それを読んで上記の疑問が氷解した。

 

 同書には、紀州藩田丸伝柳剛流を伝える三重県在住の三村幸夫先生が仕太刀、著者の田中氏が打太刀となり、柳剛流二刀伝の技法が2本、帯刀した状態から脚斬りで始まる剣術形が2本紹介されている。

 そして、上記ホームページの柳剛流二刀伝に関する記述と、この『古流剣術概論』の記事がほとんど一致していることから、ホームページの筆者は、この本を基に当該記事を書いたのだと思われるわけだ。

 ま、ただそれだけの事なのであるが、柳剛流マニアとして、ここ数年来の疑問が1つ氷解し、今、私はたいへんすっきりとした気分である(苦笑)。

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▲田中普門氏著『古流剣術概論』(愛降堂)に掲載されている、紀州藩田丸伝柳剛流の二刀技法



 柳剛流における二刀技法は、角田伝にしても武州の系統でも、あるいは田丸伝においても目録で伝授されるものだが、いずれの場合も伝書上の記述は全て「二刀(伝) 口伝」となっており、形の名称などはどの系統の伝書にも記されていない。

 その上で、私たちが伝承している仙台藩角田伝柳剛流においては、いつの頃からか定かではないが、二刀伝は形ではなく純粋な口伝、つまり「口訣(くけつ)」として今に伝えられている。

 これに対して、紀州藩田丸伝柳剛流における二刀伝は、形としての技法群として伝承されているということで、その一端が上記の田中氏の著書で紹介されているわけだ。

 なお村林正美先生の論文『柳剛流剣術の特色』(武道学研究/1989)によれば、紀州藩田丸伝柳剛流の二刀技法については、先代の清水誓一郎先生から当代の三村幸夫先生への伝授において、形の名称は伝えられておらず、実技のみの伝承であり、個々の形の名称は不明なのだという。

 しかし幸いなことに、現存する唯一の流祖・岡田惣右衛門直筆の伝書と伝えられる、石川家伝来の目録に、二刀伝におけるすべて形の名称が記されてる。

 このため、石川家の目録伝書と田丸伝柳剛流の二刀伝の形の順序や本数を突き合せれば、それぞれの形の名称や技の異同などを確認することができるわけで、すでに田丸伝の先生方は、そういった検証をされているのではないだろうかと思われる。



 なおちなみに、流祖直筆伝書に記された柳剛流二刀の形名称は、以下の八カ条である。

 二刀
  上段防(ジョウダンボウ)
  青光刀(セイコウトウ)
  不乱刀(フラントウ)
  青眼破(セイガンハ)
  車水刀(シャスイトウ)
  利支剣(リシケン)
  心剛刀(シンゴウトウ)
  鷹羽剣(ヨウウケン)


 また、流祖・岡田惣右衛門が学んだ流派である心形刀流の二刀形も同じく、以下のような八カ条の伝承となっている。

 二刀
   向満子
   横満子
   横満子残
   刀合切
   相捲
   清眼破
   柳雪刀
   鷹之羽


 
 これら、柳剛流と心形刀流の二刀技法がどのように関連しているのかについても検証できれば、柳剛流研究において非常に興味深い考察のひとつになるであろう。

 (了)
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語りえぬもの/(身辺雑記)
- 2017/06/06(Tue) -
 ウィトゲンシュタインは、その著書『論理哲学論考』の結びで、「語りえぬものについては、人は沈黙せねばならない」という金言を記した。

 私もぜひそうしたいところなのだが、爪の先に火を灯すようにして街の片隅で暮らす貧しい流れ武芸者ゆえ、わずかばかりの原稿料のために、語りえないことでも沈黙することは許されない・・・・・・。

 というわけで、今日はAKB48に関連するちょっとした一文を書かねばならぬのだが、私は女優の前田敦子氏がかつて所属していたアイドルグループであるというくらいしか、AKB48について知見がない。

 京マチ子とか山田五十鈴なら、そこそこ分かるんだがね。

Machiko_Kyō_1955


 「人生は過酷だ、生きていくためには金がいる」(サム・ペキンパー)

 (おしまい)
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