監獄長光よ/(身辺雑記)
- 2018/07/20(Fri) -
 暑い・・・・・・。

 そして、ニュースや新聞を見ても、世の中嫌な事ばかりである。

 賭場を合法化するとか、水道を外資に売り渡すとか、難病患者への社会保障を打ち切るとかいう一方で、立派な大学を出て官僚や政治家になった人々は、忖度をしあるいは私腹を肥やしながら、公の場でも平気で嘘をつく。

 無知な大人たちの無責任な指導で子どもや学生たちは熱中症で倒れ、貧しい高齢者はエアコン代を節約するために熱射病で死ぬ。

 私ごとき、街角の暗がりでひっそりと生きる流れ武芸者が天下国家を憂いてみても、まったく意味がないことは重々承知だが、それにしてもここ数年来のこの国の在り様には、暗澹たる思いしかない。



 とはいえ飯のタネを稼がねば生きていくことはできず、朝9時から深夜0時まで、ひたすら机にかじりついて年商数百億円という大企業の経営者インタビューなんぞの音源起こしをしていると、まったくしみじみと、生きていくのが嫌になるというものだ(苦笑)。

 さりとてすすんで自裁するほどのガッツもないので、今晩もいそいそと稽古着に着がえ、深夜、柳剛流と荒木流の居合を抜く。

 今晩は、精神の滞りを斬り捨てようと、久々に我が愛刀である市原“一龍子”長光を遣った。

1807_長光


 銘「長光」。

 2尺2寸1分、反り4分 元幅1寸5厘、先幅7分7厘、元重2分6厘、先重1分8厘。

 昭和初期の作。陸軍受命刀匠。昭和19年陸軍軍刀技術奨励会入選。平成の兜割試斬成功の剛刀としても知られ、銘は「一龍子長光」「市原長光」などとも切る。

 先の大戦中、当時の岡山刑務所内での授産事業として鍛刀を行ったとされ、「監獄長光」「刑務所長光」などの異名もあるが、近年の研究では、これに対する異論もある。

 身幅は3.2~2.35cmと広く、重ねも元重8.0㎜、先重5.5mmと厚い。

 切先は古風かつ豪壮な猪首風で、刺突に適す。

 刃文はのたれに丁字風乱れを加え、沸え崩れや飛び焼きが独特の景色を見せる。

 拵は現代のもので、鞘は紅色に金散らしである。



 私の好きな時代劇のひとつである市川崑の名作『盤嶽の一生』は、天涯孤独、真面目で馬鹿正直な浪人である阿地川盤嶽が、旅先で毎回様々な人たちに騙され、その結果、剣を振るう物語だ。

 騙されるたびに盤嶽は、こう吼える。

 「世の中、嘘でいっぱいだ!」

 「嘘はいかん!」

 そんな盤嶽の唯一の心の拠り所が、剣術の師から託された名刀・日置光平だ。

 孤独な剣客である彼は、ことあるごとに愛刀に対して「日置光平よ!」と問いかける。

 ひとりぼっちの貧しい素浪人の、哀しい性(さが)である。



 盤嶽を気取るわけではないけれど、私も心が乱れたときには、愛刀・監獄長光を手にとり、居合を遣い心を鎮めることが少なくない。

 身幅広く、重ね厚く、寸の短い、「実戦刀」という言葉がぴったりのこの一口に、心の乱れや緩みを断ち斬ってもらうのだ。

 美術刀剣としては価値の低い一口ながら、(現代ではありえないけれど)一朝有事の際、己の命を託すにはこれほど頼りがいのある刀はないと、私は信じている。

 それにしても、監獄長光よ。

 世の中、嘘でいっぱいだ!

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 (了)
 
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鉄扇術/(武術・武道)
- 2018/07/19(Thu) -
 私は普段、和装で過ごすことが多く、たまさかの外出時には、無くしてしまっても気に病まない廉価な鉄扇を帯に手挟んでいくこともある。

 なぜ、「無くしてしまっても気に病まない廉価な鉄扇」なのかというと、金が無いので高価な「ちゃんとした鉄扇」を購入することができないからだ。

 門人がもっと増えて、月謝をたんまりと払ってくれるようになると、「ちゃんとした鉄扇」も買えるのかもしれない。

 しかし、この酷暑の中、まったく陽ざしを遮るもののない野天稽古場で、一刻以上に渡って4尺4寸2分の長木刀で組太刀を繰り返し、あるいは地面の上に蓆(むしろ)を敷いた上で、当て・投げ・極める柔(やわら)を取り、さらには4~5間間合で手裏剣を延々と打ち込むという、荒稽古が名物の翠月庵である(笑)。

 門人が増えるわけがないのは、自覚している。

 おかげでいつでも少数精鋭・個別指導、言いかえれば閑古鳥が鳴き道場主の赤字だけが増えていく貧乏道場なわけだが、ま、それはそれで別にいい。

 技芸の学びというのは、四書五経の帝王たる『易経』に曰く。

 「我童蒙を求むるにあらず。童蒙我に求む」

 である。

 本当に武芸を学びたい人だけが、当庵の門を叩けばよいのだ。

 おまけに来月には、私の銀行口座に7億円が入金される予定だしな。

 カモン! サマージャンボ!!

 ・・・・・・。



 話が脱線してしまったが、「ちゃんとした鉄扇」は高価なので買えないということに加え、私の場合、出先で酔っ払ってしまい、鉄扇を無くしてしまうことが少なくないのである。

 30代からいままでのおよそ20年間で、多分7~8本は、酔っ払って鉄扇を無くしているだろう。

 このため、5万も10万もするような「ちゃんとした鉄扇」など、とても普段使いにはできない。

 そこで和装での外出時には、「無くしてしまっても気に病まないレベルの廉価な鉄扇」を角帯にぶち込んで出かけるわけだ。

 とはいえ、諏訪工芸謹製の廉価版の方の八寸鉄扇でも5,000円くらいするわけで、それを飲み過ぎて前後不覚になった挙句にたびたび無くしてしまうというのは、なかなかに財布に堪える。

 たしか去年の正月も、甥っ子の家に新品の鉄扇を忘れてきたような気がする。

 というか私は今回、何の話を書こうと思ったんだっけ・・・・・・。

 ああ! 鉄扇術の話だ。



 さて、先の本部稽古では、甲陽水月流の鉄扇術を伝授していただいた。

 合計5本のシンプルなものであるが、たいへんに興味深く稽古のしがいがある。

 甲陽水月流の鉄扇術には、鉄扇の要部分に結ばれた手抜き紐を使った捕縛技法も含まれているのだが、手持ちの鉄扇術稽古用の木扇には手抜き紐が無かったので、さっそく正絹の組紐を購入して結んでみた。

 なかなか良い感じである。

 鉄扇術は、術技の本質としては短棒術と変わらないのだけれど、鉄扇ならではの形状を活かした打突や極め、手抜き紐を活かした捕縛技法などが、短棒術とは大きく異なる特長だ。

 加えて、「鉄扇術」という言葉の響き、また鉄扇という武具そのものが持つ造形的な魅力からも、個人的に強く惹かれる武技である。

 そんなことをつらつらと考えつつ、みっちりと復習に励んでいる今日この頃であった。

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 (了)
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脚を斫る之術、是より先の諸家未だ嘗て講ぜざる/(柳剛流)
- 2018/07/17(Tue) -
 酷暑であり、しかも多忙である。

 しかし、西日本の豪雨災害で被災された方々の直面している厳しさを考えれば、なんのこともない。

 私など、ただ暑さにまいり、押し寄せて来る締め切りと原稿料の安さにまいっているだけだ。


 仕事を終えて稽古着に着がえ、4尺4寸2分の柳剛流の長木刀を手に、しばし稽古。

 わずか小半刻、木太刀を振るっているだけで、汗が滝のように流れる。

 今晩はあまり時間がないので、柳剛流剣術の「右剣」と「左剣」に集中する。

 これまでも、くどいほど何度も指摘していることだが、柳剛流の門を叩く者が最初に学ぶこの2つの剣術形に、当流の「業」と「術」の全てのエッセンスが込められている。

 誤解を恐れずに極論すれば、目録で学ぶ「当流極意」といわれる6本の柳剛刀にしても、あるいは免許秘伝の長刀にしても、突杖を除く全ての柳剛流の業は、この「右剣」と「左剣」の応用変化であるといって過言ではない。

 だからこそ初心者も熟練者も、業前の浅い深いに関わりなく、柳剛流を修行する全ての人は、この2つの形を生涯をかけて、「術」として成り立つものとなるよう磨いていかなければならない。

1706_柳剛流「右剣」


脚を斫る之術、是より先の諸家未だ嘗て講ぜざる所にして、先生意を以て之を剏め、特に其妙を極む。(「柳剛流祖岡田先生之碑」石巻市大門崎)



 (了)
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謎の統成会伝柳剛流(後編)/(柳剛流)
- 2018/07/11(Wed) -
 『月刊空手道 2月号別冊 極意』に掲載されている、「古流武術・空手家たちの裏芸 第1回藤本貞治《前編》」という記事では、国際空手道尚武会の藤本貞治先生が修行したという古武道統成会伝の柳剛流について、長刀(なぎなた)の技が紹介されている。

 記事中ではかぎカッコ付きの藤本先生のコメントとして、

「柳剛流は普通の刀ではなく、棒の柄先へ刀身をつけた長巻の技が基本になっている」(同誌P5)



 とした上で、

「柳剛流の操法は、薙刀の動きが基本です。ここでは薙刀で、柳剛流の技を行います」(同誌P70)



 として、5本の技が紹介されている。

 コメントにおいて「薙刀」と「長巻」が混同されているが、これについては文意を汲んであえて問わない。


 しかし、ここでまず注意したいのが、本誌で紹介されている5つの技が、柳剛流の長刀の技(形)なのか、それとも柳剛流の剣術の技を長刀で演じているのか、この記事の文章では明確に判断できないということである。

 上記の藤本先生のコメントを読むと、ここで紹介されているのは長刀の技ではなく、剣術の技を長刀を使って解説している、というふうに読むのが自然であろうか?

 またこの記事では、藤本先生のコメントも記者が書いている地の文でも、「なぎなた」という言葉が「薙刀」という漢字で記されている。

 ところが柳剛流においては、私が確認している限り江戸から大正にかけて記されたいずれの伝書においても、あるいは私たちが継承している角田伝の伝承でも、「なぎなた」は必ず「長刀」と表記されており、「薙刀」と書かれたものを私は見たことがない。

 柳剛流の免許伝書では、角田伝でも武州伝でも、あるいは田丸伝でも、免許で伝授される「なぎなた」は、必ず「長刀秘伝」という表記なのである。

 この「長刀」と「薙刀」の表記の差異が、単に柳剛流に不案内な執筆者・編集者による誤った表記統一の結果なのか、あるいは統成会伝の柳剛流では意図して「なぎなた」を「長刀」ではなく「薙刀」という漢字で表記していたのだろうか?

 以上の2点は、まず前提として引っかかるところだ。



 紹介されている5つの技は、個別の名称は記されず、「一本目」「五本目」といった表記のみが示されている。

 通常、柳剛流では長刀は免許秘伝として伝授されるため、伝書に形の名称は記されない。

 「長刀」あるいは「長刀秘伝」とのみ、示されることがほとんどである。

 ただし、幕末期に江戸府内で興隆した岡田十内の系統では、例外的に伝書に長刀の形の名称が記されている。

 岡田十内系柳剛流の長刀の形の名称は、以下の5本である。

・右足
・左足
・弾突
・返シ胴
・八方剣

 統成会伝として本誌で紹介されている薙刀の実技もちょうど5本であるが、それが上記の岡田十内系統の5本の長刀の形と共通しているのか、あるいはまったく違うのかは、史料や情報が少なく、判断することができない。

 なお、私たちが継承している仙台藩角田伝柳剛流の長刀の形は、岡田十内伝よりも2本多く合計7本であり、形の名称も岡田十内伝とは全て異なっている。


 本誌に掲載されている統成会伝の柳剛流薙刀(剣術?)の実技については、掲載されている分解写真の点数が少ない上に、それぞれの動作解説の文章が分かりにくく、誤植もあるため、今一つ明確に技の動きを実感することができない。

 しかし、仙台藩角田伝柳剛流の剣術や長刀を伝承・稽古している立場から言わせてもらうと、本誌掲載の分解写真と動作解説をみるかぎり、角田伝の「長刀」と統成会伝の「薙刀」はまったく別物であり、共通する業=形は皆無であった。

 何よりも気になるのが、統成会伝においては柳剛流の真面目であり核心的技法である、「跳び違い」や「跳び斬り」が全く用いられていないことだ

 これについても、たとえば雑誌の掲載用にあえて「跳び違い」や「跳び斬り」を秘したのか、それとも統成会伝の薙刀や剣術では「跳び違い」や「跳び斬り」が用いられていなかったのかは、記事を読むだけでは判然としない。

 先に述べたように、この統成会伝の「薙刀」の解説が、長刀の形ではなく剣術の技を薙刀で示しているとしても、柳剛流の命ともいうべき「跳斬之妙術」が示されていないのは、実に不可解である。



 誌面で解説されている薙刀(剣術?)の技は、

・一本目/右下段(?)に構え、打太刀の正面斬りを摺り上げて、体を左に開きつつ脚斬り。
・二本目/左下段に構え、打太刀の正面斬りを右脇構えに変化しつつ入身して、脚斬り。
・三本目/右霞(直心影流薙刀でいうところの下段構)に構え、打太刀の正面斬りを送り足で引きつつ抜いて、脚斬り。
・四本目/右霞に構え、打太刀の正面斬りを右足を引いてかわしつつ長刀を旋回させて持ち替え、脚斬り。
・五本目/右中段に構え、打太刀の正面斬りを右八相に構えつつ抜き、小手斬り。

 となっている。

 一瞥すると、いずれも非常にシンプルな「形」・・・、というよりも、「形」以前の基本技と言った方が適切なように思える。

 こうした点からも本誌で解説されているのは、長刀(薙刀)の形ではなく、「剣術の技を長刀で行っている」という可能性の方が濃厚なのかもしれない。

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▲『極意』誌に掲載された、統成会伝柳剛流の技



 以上、1997年に発行された、『月刊空手道 2月号別冊 極意』に掲載されている、藤本貞治先生が伝承されているという統成会伝柳剛流の記事について、前後2回に渡り駆け足で検討を加えてみた。

 結語としては、本記事は(誌面のボリュームの関係もあるだろうが)伝系についても実技についても不明確な点が多く、柳剛流の実践者としては、史料としても実技解説としても不満の多い内容であるのは残念である。

 なにぶん20年以上も前の出版物であり、取材・執筆者の武芸の素養や取材・編集・執筆能力にもよるが、武術史の記録として、あるいは実技解説として、より質の高いものを掲載してもらいたかったというのが、正直な感想である。

 なかでも、本ブログの記事前編ですでに書いたが、本誌記事における柳剛流祖・岡田惣右衛門の「諱」の誤りについては、ここで改めて指摘しておきたい。

 流祖の諱について、古くから多くの史料や書籍で誤って記載されている「寄良」という誤記がされているのならまだしも、従来の史料や刊行物ではまったく見あたらない「吉良」という、誤った記述あるいは校正ミス・誤植を、訂正することなくそのまま記事に掲載していることは、柳剛流を継承する者のひとりという立場からはもちろん、取材・執筆を生業とする出版業界の同業者という立場からも、あってはならない大きな間違いである。

 一方で、角田伝でも田丸伝でもない第三の柳剛流が現在まで伝わっていたという事実を取材し、公刊物上で発表することで、その記録を後世に残したということは、本誌編集部と取材・執筆者である帯刀智氏のたいへん大きな功績であったということも、ここに強調して記しておきたい。

 なお、これは関係者から直接聞いたのだが、藤本先生は柳剛流や疋田陰流、制剛流など、ご自身が伝承された統成会伝の古流武術については、現在は希望者がいても指導はしないとのことである。

 先生なりのお考えがあるのだろうが、こうした失われつつある貴重な伝統武道の伝承は、可能な限り次代に繋いでいただきたいものだと思う。

 なぜなら武芸の伝承は、一度途切れてしまえば、どんなに詳細な史料で再興したとしても、それは「復元」に過ぎないのだから。


■参考文献
『幸手剣術古武道史』辻淳/剣術流派調査研究会/2008年
『戸田剣術古武道史』辻淳/剣術流派調査研究会/2013年
『柳剛流剣術古武道史 千葉・東金編』辻淳/剣術流派調査研究会/2015
『増補・改訂 宮城県 角田地方と柳剛流剣術-日本剣道史に残る郷土の足跡-』/南部修哉/私家版/2016年
『日本剣道史 第十号 柳剛流研究(その1)』森田栄/日本剣道史編纂所/1973年
『学校薙刀道』園部ひでを/成美堂書店/1938年
『新なぎなた教室』全日本なぎなた連盟編/大修館書店/2008年

 (了)
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7月の水月塾本部稽古~柳生心眼流、柳生志限流、甲陽水月流柔術・鉄扇術・鉄鎖術/(武術・武道)
- 2018/07/09(Mon) -
 昨日は水月塾本部での稽古で、埼玉支部からは私とY氏が出席した。

 土曜からはカナダ稽古会代表のC氏も来訪しており、本部の皆さん共々、にぎやかな中での稽古となった。

 私は、まず師にお相手をしていただき柳生心眼流の向振り。そして柳生志限流の素振を、初めてご教授いただいた。

 心眼流以上に当身を次々と繰り出す柳生志限流の素振は、当身拳法が好きな私としては、実に興味深いものであり稽古のしがいを感じる。

 次いで、甲陽水月流の鉄扇術5本をご指南いただく。

 短棒術と比べると、鉄扇ならではの形状を活かした業の数々がユニークで、そしてこれがまた実に痛い(苦笑)。

 個人的に、鉄扇というのは好きな武具のひとつなので、鉄扇術の形もしっかりとモノにしたいものだ。

 午前中の稽古後半、そして午後の稽古では、甲陽水月流の柔術をみっちりと。

 本日は稽古者も多いので、できるだけ相手を変えながら、形稽古を繰り返す。

 そして稽古の〆は、甲陽水月流の鉄鎖術。

 捕手の業としての鉄鎖術について、師より口伝も含めた細かいご指導をいただく。

 こうして充実した稽古三昧の一日が終了。

 稽古後はいつものように、師に同道させていただき、最高の馬モツと馬刺し、そして日本酒をいただき、ほろ酔い気分で武州への帰路についた。

 (了)
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柳剛流の4人/(柳剛流)
- 2018/07/07(Sat) -
 本日の翠月庵の定例稽古では、久々に門下全員が集合。

 およそ3時間にわたってみっちりと、柳剛流を中心とした稽古を行った。

 「門下全員」などと言うとなんとも大仰であるが、私を含めてたった4人である(苦笑)。

 しかしこの4人は、仙台藩角田伝 柳剛流兵法の未来を担う、かけがえのない有志たちであることは間違いない。

 願わくば、この4人全員が晴れて免許皆伝者となり、各々が師範家としてさらに関東各地で門下を育ててゆくことを願っている。

 そうすることが、流祖生誕の地である武州での柳剛流再興に繋がるはずだ。

 往時のように「門人幾千人」とはいかずとも、なんとか50年後、100年後にも柳剛流が伝承されることを願い、その希望を流祖・岡田惣右衛門の墓前に報告することができれば、これほどうれしいことはないと思っている。


171223_稽古納め

  打つ人も打たるる人も打太刀も
             心なとめず無念無心そ(柳剛流 武道歌)


 (了)
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あげたりさげたり/(身辺雑記)
- 2018/07/06(Fri) -
 昨晩の自分のブログを読み直して、「なんだか、我ながら上から目線だなあ・・・・・・」と思い、掲示を取りやめた。

 最近こういうことが多く、すでに読んでいただいた皆さんにはたいへん申し訳ないのだけれど、どうも時事ネタや政治的な話、他人様をくさすような話題というのは、書いている当人(つまり私自身ですな)は正論をぶちかまして自分の言葉に陶酔しているのだけれど、改めて読み返すと書き手の自己顕示欲や承認欲求がむき出しになっているようで、死にたく成る程こっぱずかしくなること請け合いだ。

(ちなみに昨晩の記事は、素面で書きました。いや、本当に飲んでなかったんデス。いやホント、マジで・・・)

 そんな駄文を、忙しい生業や稽古の合間を使い、睡眠時間を削って2時間も3時間もかけて推敲しながら書き、あまつさえそれを不特定多数の人の目に触れるweb上に掲示しておくというのは、我ながら実にクダラナイことだとしみじみ思った次第。

 そんな暇があるなら居合の一本でも抜いたほうが、よっぽど有意義な人生だ。

 たいへん失礼いたしましたm(_)m。


  大海の磯もとどろに寄する波 
          割れて砕けてさけて散るかも(源実朝)



 (おしまい)
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荒木流抜剣を遣う/(武術・武道)
- 2018/07/04(Wed) -
 今週に入ってから、いささか厄介な仕事が始まりストレスが溜まる。

 そこで今晩の稽古は、真剣で荒木流抜剣を遣う。

 普段の稽古では、指導上の方便や鍛練としての寸法の点から模造刀を使うことが多いのだが、自宅での自分ひとりの稽古では、やはり真剣を遣う方がはるかに心身が引き締まり、短い時間でも稽古の密度が濃くなる。

 「落花」、「千鳥」、「折返」、「岸浪」、「後詰」、「誘引」、「筏流」と、わずか座業7本の形であるが、不思議に私はこの荒木流の居合が好きだ。

 柳剛流を愛する心とは、また少し違った心持ちで、荒木流の剣は身体になじむのである。

 ほんの小半刻ほどの間だが、日々の仕事も暮らしのよしなし事も忘れ、ただ無心に剣を振るう。



 さて、明日もまた、生業に励まねばならぬ。

 嗚呼、人生不可解。

1807_荒木流抜剣
▲荒木流抜剣 「折返」


宗教においては未来がわれらの背後にある。芸術においては現在が永遠である。(岡倉覚三)




 (了)
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桂歌丸師匠逝去/(身辺雑記)
- 2018/07/02(Mon) -
 今日の昼前、桂歌丸師匠が他界されたとのこと。

 三遊亭圓朝作の『真景累ヶ淵』や『牡丹燈籠』といった長講の怪談噺を通しで聴きたくて、6年ほど前からできるだけ高座で歌丸師匠の噺を聴くように心がけていた。

 しかし、『笑点』の司会を引退したころからチケットがとても取りにくくなり、またようやくチケットが取れたと思ったら、体調不良で急遽代演ということもしばしばであった。

 私が最後に歌丸師匠の高座を聞いたのは、去年8月の国立演芸場の中席、演目は圓朝作の怪談の中で私が一番好きな、牡丹灯籠の発端である「お露新三郎」であった。

 高座で歌丸師匠の「お露新三郎」を聴くのは、この時が初めてであったが、CD音源ではすでに100回以上聴いているものである。

 この日は、前から2列目という最高の席で、じっくりと名人の長講を満喫することができた。

 残念ながら、牡丹灯籠の続きを高座で聴くことはできなくなってしまったけれど、たくさんの音源で、いつでもあのややかすれた耳心地の良い声音と、江戸言葉とは一味違った端正な日本語を楽しませてもらうことができる。

 この記事も、歌丸師匠の「お露新三郎」を聴きながら書いている。


 桂歌丸師匠のご冥福をお祈りいたします。

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 (了)
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稽古を振り返る/(武術・武道)
- 2018/07/01(Sun) -
 まだ6月だというのに梅雨が明け、昨日の稽古は32.5度という酷暑の中であった。

 炎天下、なにも陽ざしを遮るもののない荒川沿いの田園の一角で、門下と共に4尺4寸2分の長木刀を振るい、杖を握り、居合を抜いて、一刻もの間、柳剛流を稽古していると、さすがに帰宅後は疲労困憊の極みだ。

 ひと息ついてから風呂で汗を流し、鱸の刺身で冷酒を呑みつつ、ひとり静かに今日の稽古を振り返る。

 流儀の形を、正しく指導できたか?

 その形が示す「術」を体得させるために、仕太刀の業前を十分に引き出せたか?

 師範として、門人に対して恥ずかしくない業前を示すことができたか?

 今日1日の稽古で、彼らの技量を昨日よりも少しでも伸ばすことができたか?

 稽古は厳しくとも、清々しいものであったか?

 そんなことをつらつら考えていると、常に反省することしきりだが、一方で流儀を継承し伝える役割を担う者としては、至福のひと時でもある。



 それにしても、武芸を人に教えるということは、なんと難しいことだろう。

 当庵の門人は、片手で数えても余るほどしかいないのだけれど、それでも一人ひとり、武術人としての経験や背景、実力や性向が異なっている。

 そんな彼らに対して、それぞれの才と技量を伸ばす指導ができているかを、いつでも自分に問わなければならない。

 その一方で、まがりなりにも門人たちから「先生」と呼ばれるに値するだけの自分の「術」と「技」を磨き、気勢と肚を錬り、武人として身を修め、正しい流儀の事績を伝えるための調査や研究も怠ることができない・・・・・・。

 いやはやまったく、ひと様に武芸を教え流儀を伝えるというのは、なんともたいへんなことである。

 しかし、12歳で初めて旧師から柔(やわら)の手解きを受けて以来、37年間歩んできた、この道だ。

 倦まず弛まず、一手一手を磨き、教え、伝えていくこと、それに尽きるのだろう。


1806_柳剛流_突杖
▲柳剛流突杖(仕杖:吉松章、打太刀:瀬沼健司)


 (了)
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