先師方の面影を感じつつ・・・/(柳剛流)
- 2018/05/19(Sat) -
 本日は夕方から、県立武道館で稽古。

 今回は他の利用者がいなかったことから、極上の武道場を独占して剣術から居合、突杖、そして長刀(なぎなた)まで、存分に柳剛流を稽古する。

 ひと気のない武道場で、息を整えるためにしばし着座し黙想をすれば、流祖・岡田惣右衛門以下、歴代の柳剛流師範家の先師方に見守られているような、不思議な感覚にとらわれる。

 もちろんそれは、私の妄想だ。

 しかしこれもまた、己の柳剛流に対する想いである。



 一刻ほどかけて、存分に柳剛流の業を鍛錬し、帰路に着いた。


 ~師と弟子の心に隔てあるならば
       幾く世経るとも道に入るまじ(柳剛流武道歌)~



1805_柳剛流_長刀
▲柳剛流長刀「切上」(打太刀:小佐野淳師、仕太刀:瀬沼健司)

 (了)
スポンサーサイト
この記事のURL | 柳剛流 | ▲ top
忙中の一剣/(柳剛流)
- 2018/05/17(Thu) -
 多忙である。

 昨日は都内で鉄道関連のガイドブックの出張校正。

 2時間で終わる予定が4時間以上もかかってしまい、おかげでその後の予定が一気にあと倒し・・・・・・。

 このため、本日の取材のための準備が終わったら、もう23時。

 夜が明けたら始発で静岡へ向かわなければならないのだが、一方で次の演武まであと10日である。

 ここで稽古をサボるわけにはいかぬ。

 気力を振り絞って(苦笑)、木太刀を執り柳剛流の稽古。

 備之伝から備フセギ十五ヶ条秘伝、そして剣術を「右剣」から「相合剣」まで。

 木太刀を振るっていると、浮世のよしなしごとはいつしか意識から消え去り、流祖・岡田惣右衛門伝来の「形」と己との、剣と身体を通した無言の交感に没入する。

 そして気が付けば、あっという間に小半刻が過ぎていた。

 こうなるともう少し稽古を続けたいところであるが、金曜までヘヴィーな取材が続くだけに、今晩の稽古は軽めにして切り上げ。

 サッと寝て、取材に備えよう。


1805_柳剛流_剣術_中合剣
▲柳剛流剣術「中合剣」

 (了)
この記事のURL | 柳剛流 | ▲ top
剛毅/(身辺雑記)
- 2018/05/16(Wed) -
           180515_230527.jpg


 1835年に作られた「デラロッカのタロット」の復刻版である、『エイシェント・イタリアン・タロット』の、「剛毅(力)」というカード。

 こうした古典的なデッキにせよ、20世紀初頭に世に出たスミス・ウェイト版にせよ、「剛毅(力)」というカードは、タロットを構成する22枚の寓意画の中でもお気に入りの一枚だ。

 この手札に象徴されるのは、怒りや暴力、あるいは妬みや嫉みといった低次の衝動は、知性や倫理、廉恥心などによって陶冶され、高次の力たる「勇徳」に昇華されなければならないという教えである。

 古代東洋の兵法で云うならば、

主は怒りをもって師を興すべからず、将は慍りをもって戦いを致すべからず。利に合して動き、利に合せずして止む。怒りはもってまた喜ぶべく、慍りはもってまた悦ぶべきも、亡国はもってまた存すべからず、死者はもってまた生くべからず。ゆえに明君はこれを慎み、良将はこれを警む。(孫子 火攻篇)



 ということか。

 いずれにしても、武術・武道人にとって含蓄のある一枚だと言えるだろう。

 (了)
この記事のURL | 身辺雑記 | ▲ top
カードを手繰る/(身辺雑記)
- 2018/05/15(Tue) -
180515_113046.jpg


 最近、占断はもっぱら周易が中心だったのだが、「ぜひタロットで!」とのご依頼を受けてカードを手繰る。

 普段はあまりケルト十字法はやらないのだが、ちょっと思うところあって、久々にこの伝統的な占法を用いた。

 それにしても、クライアントの問いに対しスプレッドの結果がビシッと決まると、実に読みやすいものだ。

 これもまた、伝統のなせる業か。



 総合判断の結果は「剣の2」。

 さらに補助的に1枚を開くと、「金貨の3」。

 なるほど、意味深長ですナ。

               1123_剣の2


占いとは相談者を取り巻く状況とカードを合わせて解釈することで、問題を再認識し深く隠された可能性を見つける作業である。(『開かない眼』より)



 (おしまい)
この記事のURL | 身辺雑記 | ▲ top
雨の日曜日/(身辺雑記)
- 2018/05/13(Sun) -
 静かな日曜。

 11時過ぎまでゆっくりと寝て、昼からは八海山を飲みながら、先日録画した高麗屋三代同時襲名の際に掛けられた『菅原伝授手習鑑 寺子屋』を鑑賞。

 しかし、やっぱり歌舞伎より人形浄瑠璃の方がいいなあ。

 大阪の国立文楽劇場で浄瑠璃をみて、黒門市場あたりの魚の旨い飲み屋で一杯ひっかけ、大阪市立東洋陶磁美術館で青磁の名品をじっくり鑑賞する・・・・・・。

 そんな休日を過ごしてみたいものだが、武州中山道から摂津の国は、金も暇もない貧乏浪人にとってはあまりに遠い。

 仕方ないので、文楽鑑賞は三宅坂で、一杯ひっかけるのは家呑みで、青磁鑑賞はうちにある今様の似せ物で我慢するしかあるまいね。

 ひとしきり呑んだ後、ひと風呂浴びて、今日から始まった東京場所をテレビで眺めつつ、いつのまにかうつらうつら。

 つうか白鵬、また立合いで張るのかよ。



 気が付けば、もう日が暮れ、夕方から降り出した雨が本降りになっていた。

 『西郷どん』を見ながら素麺の夕食。さらにNスペの『人類誕生』第二集を鑑賞。私にもネアンデルタール人のDNAが含まれているのかと思うと、妙な気分である。

 呑んで、テレビを見て、風呂に入って、寝るだけの日曜というのもあまりに芸がないので、稽古着に着がえて半刻ほど稽古。

 今晩は柳生心眼流に集中。

 表・中極・落・切の素振二十八ヶ条から、表・中極・落の向い振り、取放・取返・小手返の各七ヶ条を復習。

 さらに実践応用技を繰り返す。ここでミット打ちができれば、一人稽古として言うことはないのだが、さすがにサンドバックや打ち込み台を置くスペースは、我が家にはないのが残念だ。

 それにしても、最近になってようやく、心眼流の動きが少しばかり体になじんできたように思う。

 仙台藩登米伝 柳剛流の大家・沼倉清八師範は、剣は柳剛流、柔は柳生心眼流を修め、両流とも免許皆伝であったという。

 私も、こうした先師の軌跡を見習いたいと思う。



 さて、今週は後半から出張校正や取材が続き、いささか多忙になる。

 また、松代の演武まで、あと2週間となった。

 そろそろ仕事も稽古も、再び臨戦モードにしていかなければなるまいね。

 (おしまい)
この記事のURL | 身辺雑記 | ▲ top
長刀の折損/(柳剛流)
- 2018/05/12(Sat) -
 本日、翠月庵の定例稽古中、柳剛流長刀(なぎなた)の形稽古で長刀と木太刀を打ち合わせたところ、長刀が折れてしまった。

 この長刀は、門人が稽古用に昨年購入した全日本なぎなた連盟規格のもので、7尺・赤樫・革鍔付きの物である。

 しかし、新品で購入してからまだ1年ほどしかたっていないにも関わらず、形稽古でこのように折れてしまうというのは、武具の品質としていかがなものだろうか?

180512_薙刀


 以前から、近年木刀などに使われている赤樫(実際にはイチイ樫)には、脆く弱い外材が多く使われているという話は聞いていたし、当庵でも新品で購入した赤樫の小太刀が、組太刀の稽古中に折れてしまったこともあった。

 また、柳剛流長刀の稽古では、打太刀が4尺4寸2分の長木刀を使うので、一般的な木刀に比べると打ち合った際の衝撃が強いかもしれない。

 それにしても、木刀や小太刀に比べて稽古用の木製の長刀は1万5,000円~2万円ほどとそれなりに高価なものだけに、この程度の使用状況で稽古中に折れてしまうというのは、金銭的な負担という点でもいささか納得できない。



 私個人は柳剛流長刀の稽古では、師よりお譲りいただいた時代の物の重厚な白樫製長刀のほか、全日本なぎなた連盟規格の白樫の長刀も使っているが、いずれも強度には問題はない。

 こうした点を考えると柳剛流長刀の稽古では、重厚で強度が十分にあるいわゆる「男長刀」、あるいは細身の長刀でも必ず白樫製の物の使用を推奨するべきであろう。

 質の悪い外材の使用で耐久性がここまで低くなっているとなると、稽古上の安全面や稽古者の費用負担の面からも、残念ながら現行の赤樫製の武具は、当庵としては稽古に使用できないと言わざるをえない。

 個人的には、赤樫の木製武具の手触りや質感は嫌いではないだけに、まことに残念なことである。

 (了)
この記事のURL | 柳剛流 | ▲ top
初学の門にして極意の形/(柳剛流)
- 2018/05/12(Sat) -
 体調が回復してきたので、木曜の晩から稽古を再開。

 しかし、4日も稽古を休んだのは久しぶりだ。

 とはいえ、まだなんとなく喉の腫れと痛みが完治していないので、金曜の晩も、軽めの調整とする。

 備之伝~フセギ秘伝からはじめ、「右剣」から「相合剣」まで剣術形をひと通りおさらい。

 特に「右剣」と「左剣」は、丁寧にゆっくりと繰り返す。

 くどいようだが、柳剛流のエッセンスは、すべてこの2つの剣術形に凝縮されているといっても過言ではない。

 初学の門にして極意でもあるこの2つの形を、どれだけ己がものとすることができるのかが、柳剛流修行の眼目である。

 合わせて、翌日の翠月庵での指導内容についても、つらつらと考える。

 今回は柳剛刀の形を、みっちりと指導することとしようか?

1805_柳剛流_剣術_レトロ1


 (了)
この記事のURL | 柳剛流 | ▲ top
戸を出でずして/(身辺雑記)
- 2018/05/10(Thu) -
 寒い・・・・・・。

 といっても、ひと昔前のワイドショーの怪奇コーナーに出てくるイタコではない(爆)。

 昨日も今日も、武州中山道の我が家は、本当に寒いのである。

 寒暖の差の激しさからか、なんとなく体調が思わしくなく、大事をとって昨日は空手の稽古をサボり、卵酒を飲んで21時前に就寝した。

 おかげで今日は、特段発熱などもないのだけれど、それでもなんとな~く体が重い。

 『傷寒論』でいうところの、「少陽の病たる、口苦く、咽乾き、目眩くなり」という感じである。

 幸い、今週は重たい原稿を日曜の晩に入稿し終えたこともあり、比較的仕事が暇だからよいのだが、来週は制作会社に出向いての出張校正や地方での産業関連の現地取材、都内で大手通信会社幹部へのインタビューなどが連続してあるので、今のうちに体調を整えておかねばならぬ。

 とりあえず今日は酒を控えて、補中益気湯でも飲んでおこうか。


  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *


 静かで簡素な(質素ではない)生活がしたいなと思う。

 特に今日のような、朝からしとしとと小雨が降り薄明るい空の広がる心地よい日は、そんな気持ちが強くなるものだ。

 老聃先生は、

戸を出でずして以て天下を知り、牖(まど)より闚(うかが)わずして以て天道を見る。其の出ずること弥(いよ)いよ遠くして、其の知ること弥(いよ)いよ少なし。是(ここ)を以って聖人は、行かずして知り、見ずして名(あきら)かにし、為(な)さずして成す。



 という。

 今日の私も、なんとなくそんな気分である。

  水車小屋に降る雨

  (おしまい)
この記事のURL | 身辺雑記 | ▲ top
再び、次の「場」へ/(柳剛流)
- 2018/05/08(Tue) -
 去る土曜日、水月塾本部主催の山梨での演武を終え、翌日の日曜は締め切りに追われて終日原稿書きであったが、月曜・火曜とちょうど仕事が締め切りと締め切りの合間で落ち着いていたこともあり、いささか脱力気味である。

 私は稽古はもとより、演武においてはそれ以上に、

「夫剣術は敵を殺伐する事也。其殺伐の念慮を驀直端的に敵心へ透徹するを以て最用とすることぞ」(平山子龍『剣説』より)

 という心法を第一に臨むよう心がけている。

 このため演武後は精神的な疲労がどっと出てしまい、それから2~3日の間は、毎回かなりの放心状態になってしまうのだ。

 おかげで日曜から今日まで、もう3日も稽古をしていない・・・・・・。



 とはいえ今月はもう1回、27日に長野県で、松代藩文武学校武道会による春の武術演武会が控えているので、そろそろ平常の稽古に戻らねばならない。

 今回の松代の演武では、師に打太刀を執っていただき、柳剛流剣術を披露する予定だ。

 ここでの演武は、多くの他流の先生方が集まる場だけに、流儀の名に恥じぬ業前を披露しなければならない。

 といっても、「場」に臨む心持ちは、平生と変わることはない。

 懸待一如で剣を執り、殺伐の念慮を驀直端的に敵心へ透徹するのみである。

1805_柳剛流_中合剣
▲柳剛流剣術「中合刀」(仕太刀:宇田川浩二、打太刀:瀬沼健司)


 (了)
この記事のURL | 柳剛流 | ▲ top
水月塾主催 第33回諏訪明神社奉納演武会/(柳剛流)
- 2018/05/07(Mon) -
 去る5月5日は、水月塾主催の第33回諏訪明神社奉納演武会であった。

 午後1時から始まった演武には、国際水月塾武術協会本部をはじめ、関西支部、兵庫県姫路支部、横浜稽古会、そして我々埼玉支部も加わり、それぞれが日頃の鍛錬の成果を神前に奉納した。

 埼玉支部からは私を含めて3名が参加。

 神道無念流立居合、柳剛流兵法を披露した。

1805_神道無念流立居合
▲八戸藩伝 神道無念流立居合 「4本目」(吉松章、宇田川浩二)


1805_柳剛流居合
▲仙台藩角田伝 柳剛流居合 「右行」(瀬沼健司)


1805_柳剛流突杖
▲仙台藩角田伝 柳剛流突杖(杖術) 「右留」(仕太刀:吉松章、打太刀:瀬沼健司)


1805_柳剛流剣術
▲仙台藩角田伝 柳剛流剣術 「青眼左足刀」(仕太刀:宇田川浩二、打太刀:瀬沼健司)


1805_柳剛流長刀
▲仙台藩角田伝 柳剛流長刀 「上段右足」(仕太刀:瀬沼健司、打太刀:小佐野淳師)


1805_水月塾演武記念写真
▲師と埼玉支部一同にて、演武後の記念撮影


 昨年までは、師に打太刀を執っていただき私が一人、仕太刀を務めさせていただいたが、今年は当庵から吉松・宇田川の両氏が参加し、それぞれ日頃の稽古の成果を存分に発揮した。

 少しずつ、少しずつだが、柳剛流を受け継ぐ新たな芽が、流祖生誕の地・武州で再び芽吹きはじめている。

 (了)
この記事のURL | 柳剛流 | ▲ top
| メイン | 次ページ