流祖の故郷、幸手にて/(柳剛流)
- 2017/11/18(Sat) -
 祥月命日である旧暦9月24日(新暦10月25日)からはずいぶん日が過ぎてしまったが、本日ようやく時間をとることができ、流祖の墓参のため幸手に向かった。

 流祖のご実家であるA家の方にご挨拶の上、墓前に線香を手向けて手を合わせ、柳剛流のさらなる練磨、伝承と普及を改めて誓う。

 その後、A家でお茶をいただきながら、流儀の近況などを報告させていただき、帰路についた。

 その際、「早い時期に収穫したものなので、ひと月ほどはもちますから、冬至の柚子湯にどうぞ」と、庭で採れた柚子をいただいた。

 流祖のご実家で育った柚子で、冬至の柚子湯をいただく。

 柳剛流を修行する者として、これほど名誉なことはない。

 これからも日々、倦まず弛まず柳剛流の稽古に励み、一人でも多くの志ある門人に流祖伝来の「術」を伝え、50年後、100年後も、柳剛流が日本のどこかで稽古されているように、最善を尽くしていこうと思う。


柳剛流  岡田惣右衛門奇良

東武の人なり。始めに心形刀流を習い、後に諸州で修行、而して脚を撃つことの妙を得る。潜して柳剛流という。文政九戌年九月死す。門人多し。~『新撰武術流祖録』より~




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▲ご実家の方々に大切に守られている、柳剛流祖・岡田惣右衛門尉源奇良の墓

 (了)
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形の意味/(柳剛流)
- 2017/11/17(Fri) -
 先日の空手道の稽古にて。

 師範から仰せつかり、有級の方々にバッサイ(大)の形を指導する。

 皆さんすでにかなりの期間、バッサイの形の稽古をしているはずなのだが、何しろ週1回のしかも集団指導での稽古なので、残念ながらアラが目立つ。

 なにより、分解(形に表現された技の使い方)の意味を十分に理解していないので、形における一挙手一投足が、武技の体をなしていない・・・・・・。

 そこで途中からは、分解を中心に指導する。

 手刀受けの意味と使い方、掛け手の意味と使い方、突き受けの意味と使い方など、1つ1つの動きの基本的な意味と使い方を解説。

 中でもバッサイ大の特長的な技である、掛け手での一本取りからの関節蹴りについては丁寧に、応用も含めて解説したのは、いささか自分の趣味に走りすぎたきらいもあるかもしれない。

 応用の解説をしていくうちに、なんだかだんだん柔の技みたいになってしまったのは・・・・・・ま、流れ武芸者ゆえの暴走である。



 武芸の稽古では、あまり理屈優先になると、エセ評論家のような者を量産することになりかねないので注意が必要だけれど、一方で大人、特に中高年の人への指導では、その動作や動きの意味と使い方を適宜明確に解説・指導していかないと、当人たちのモチベーションも上がらないのではなかろうか?

 特に空手の形のように、極限まで「記号化」された動きの場合、稽古する者にいわゆる「観の目」がないと、動作の意味に思いが至らず、本当に単なる体操になってしまう。

 これは古流武術の稽古でも同じだ。

 若くてイキの良い青年に対しては、「がたがた言わずに、右剣と左剣の形を100万回繰り返せ!」とか、「あれやこれや考えるヒマが有ったら、居合の向一文字を千回抜け!」的な指導でもよいだろう。

 こうした問答無用の過酷な稽古は、武術・武道人にとって、いずれかの時点で必ず1度は経験しておくべきことであるし、適切に行われれば、その効果も非常に大きい。

(逆に言えば、この手の稽古は適切に行われないと、単なるシゴキやイジメ、スリコミや洗脳の道具に堕してしまうので注意が必要である)。

 しかし一般的には、ある程度理屈の分かる中高年の稽古者や、すでに武芸の素養のある人に対しては、個別の技、運足や体捌き、運刀、そして形の原理や意味、使い方について、流儀の掟が許す範囲でできるだけ分かりやすく解説することが、指導する上で重要なのだと思う。



 柳剛流で考えれば、なぜ初学者は、最初に剣術の「右剣」と「左剣」の形を学ぶのか?

 指導する者は、その意味と目的、効果や効用について、弟子に明確に説明できなければならない。

 なぜ、柳剛流では脚を斬るのか?

 なぜ、飛び違いながら斬るのか?

 なぜ、「右剣」と「左剣」の次に居合を学ぶのか?

 なぜ、目録で学ぶ「柳剛刀」6本の形を当流極意というのか?

 なぜ、免許秘伝が長刀(なぎなた)なのか? 

 柳剛流を指導する者は、これらにすべてについて、その意味と目的、効果や効用について、弟子に問われれば明確に分かりやすく答えることができ、しかも当然ながらそれらの業について、武技として十分に実践できなければならない。

 その上で己も弟子も、これらの鍛錬の涯てに、万古不易の「天地の道理」を見いだす。

 武術を稽古し、それを人に教え、次代に伝えるという行為の真面目とは、そういうものではないだろうか?


 ~花紅葉冬のしら雪時しそと
           思えばくやしいろにめてけり~(柳剛流 武道歌)



 (了)
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柳剛流の特徴~山本邦夫教授の論考から(その4)/(柳剛流)
- 2017/11/16(Thu) -
 山本論文において、3つめの柳剛流の特徴として挙げられているのが、「かわった用具」だ。

 ここで山本教授は、柳剛流の木太刀、太刀、そして脛当について記している。

 まず木太刀については、以下のような記述がみられる。

 幕末にいたるまでの剣術のどの流派の木刀も「直刀」が多かったが、柳剛流のそれも同様である。



 これについて、幕末から明治にかけて制作され、実際に稽古で使用された柳剛流の木太刀で、現在まで伝わっていることが確認されているのは、私の知る限り武州・日光御成道沿いに教線を張った師範家である深井師範家伝来のものと、紀州藩田丸伝の5代である村林師範家伝来のもののみだ。

 このうち村林家伝来の柳剛流の木太刀は、長さ106cm(3尺4寸9分)、反り1.5cm(約5分)と、現在の剣道形で使われる普及型の木刀とそれほど変わらない寸法である。

 これに対して深井家伝来の木太刀は、最も短いもので129センチ(4尺2寸5分)、最も長いもので134センチ(4尺4寸2分)と、刀に写せば3尺刀にあたる長大な長木刀で、反りのない直刀である。

 山本論文で指摘されている柳剛流の「直刀」の木太刀は、深井家伝来のものを指していることは間違いないだろう。

 これは、山本教授が実際に深井家を訪れて、「伝書の調査と合わせて、長木刀を実見していった」という、現在の深井家御当主の証言からも明らかである。

木太刀2
▲日光御成道沿いで、幕末から明治そして大正まで、3代に渡って柳剛流を伝えた深井師範家に伝来する柳剛流の木太刀。この木太刀の寸法を真剣に置き換えると、茎が1尺、刃長が3尺2~4寸程度となる



 さて山本論文の問題は、この木太刀の後の記述、太刀に対しての部分である。

 しかし、太刀は、非常に変わっている。(中略)柳剛流では、薙刀の利点を刀法に取り入れた関係上、使用する太刀は3尺(約90センチメートル)以上という長いもので、普通よりも約20センチメートルも長かった。その上さらに切先3寸(約9センチメートル)のミネの部分にも刃がついていた。即ち諸刃である。これは脛を払い相手にかわされたら、そのまま返す刀のミネの部分の刃で切るという実用主義にのっとったものであった。



 まず、柳剛流の剣客が実際に佩用していた刀については、現在、出所が明らかなものは2つある。

 1つは、武州系を代表する柳剛流の剣客である岡田十内佩用のもので、刃長が93.5センチメートル(3尺8分)、切先が諸刃となっている。

 もう1口は、仙台藩角田伝の佐藤彌一郎師範佩用のもので、刃長は96センチメートル(3尺1寸6分)、切先は一般的な小切先である。

 このように現状では、わずか2口しか柳剛流の剣客が差料とした実物の刀は確認されていないのだが、そのいずれもがいわゆる3尺刀であるというのは、上記の深井家伝来の長木刀の寸法を考えても、たいへんに興味深い。

 一方で切先については、岡田十内の佩刀は山本論文にあるような諸刃の切先だが、佐藤彌一郎師範の佩刀は一般的な切先であり、私としては岡田十内の佩刀の形状のみを根拠に、「諸刃の切先の刀が、柳剛流の特徴である」と断言するのは、いささか勇み足ではないかと思う。

 ましてや、「脛を払い相手にかわされたら、そのまま返す刀のミネの部分の刃で切るという実用主義にのっとったものであった」との一文にいたっては、

1)仙台藩角田伝の柳剛流剣術や柳剛流居合の形=業には、そのような技は存在しない。
2)日本刀の構造上、峰部分での打突は刀に少なからぬ負担がかかるので、一般的にはほとんど用いられない。
3)運刀上、もし脚斬りがかわされた場合でも、わざわざ峰部分に刃を付けておいて斬る必要はなく、またそのような運刀は不自然であり非合理的である。脚斬りがかわされた場合、手首を返して普通の刃の部分を使って斬る方が、はるかに合理的である。
4)そもそも柳剛流剣術には、脚斬りをかわされた場合に対処するための形=業が存在しており、わざわざ諸刃の太刀という特殊な武具をあつらえて、それに特化した運刀上不合理な業を稽古する必要がない

 という4点からも、非常に信憑性の低いものだと考えられる。

 おそらく山本教授は、柳剛流の実技をまったく知らない状態で、岡田十内佩用の刀の諸刃の切先を見て、このような「推論」をしたのではないだろうか。

 そうでなければ、同教授はどのような史料や調査結果に基づいて、諸刃の切先を使った技法についての知見を得たのであろうか?

 この、諸刃の切先とそれを使った技という信憑性の低い話は、柳剛流の特徴として割合広く知られているものであるが、柳剛流の実技を伝承する者として、その間違いの可能性の高さを、改めてここに指摘しておく次第である(※)。



 山本論文では、「かわった用具」の一文の最後に、柳剛流で用いられた防具の脛当について、

 稽古のときには「脛当」を着用したことも他流では見られない大きな特徴であった。



 と述べている。

 この稽古用の脛当は、田丸伝の村林師範家に実物が伝来しているという。


※)ただし紀州藩田丸伝の柳剛流に、このような諸刃の切先を活かした技がある可能性は、(私は田丸伝の技法を詳細には存じ上げないために)、否定できない。また角田伝および武州系の各派では、岡田十内の佩刀のような特殊な刀の形状が有効であろうと思われる、ある特殊な業が存在するため、(これについては口伝のため、技法の詳細は秘す)、諸刃の太刀に関して、「柳剛流の技法とは、まったく関連性がない形状である」とまで断言することは、避けたいと思う。

 (つづく)
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柳剛流の特徴~山本邦夫教授の論考から(その3)/(柳剛流)
- 2017/11/10(Fri) -
 山本論文では、「柳剛流の特徴」の2つ目として「総合武術」という点を挙げている。

 柳剛流は仙台藩角田伝、武州系の各派、紀州藩田丸伝のいずれにおいても、剣術、居合、突杖(杖術)、体術(柔・殺活)で構成される総合武術であり、この点について山本論文の指摘は間違っていない。

 ただし山本論文では、上記に加えて「鎗」が含まれているとしている。

 剣術をはじめとして居合、突杖、薙刀、鎗、体術(死活之巻)などを合わせ稽古鍛錬するもので、総合的な武術といえる。



 この「鎗」についての記述は、柳剛流諸派で目録において伝授される「鎗 長刀 入伝」を元にしたと思われるが、柳剛流では鎗術そのものを稽古するということはない。

 この点で山本論文の記述は、「柳剛流では槍術の稽古体系や技もある」という誤解をされかねない表現となっており注意が必要だ。



 さらに山本論文では、柳剛流が総合武術であることの根拠として、岡安貞助が関根丈吉に授与した切紙と目録、岡田十内が飯箸鷹之輔に伝授した免許を翻刻して論文中に記載している。

 ところがこの翻刻の中でも、切紙の部分は誤りが多く、読む者の誤解を招く記述になっているのは非常に残念だ。

 山本論文に記された切紙の翻刻は、次のように掲載されている。

 切紙
 〇備之伝
  ・上段 ・中段 ・下段 ・向青眼
  ・平青眼 ・斜青眼 ・中道 ・右陰
  ・左陰 ・下陰 ・丸橋 ・右車
  ・左車 ・八艸 ・頓保
 〇右剣
 〇左剣
  ・ハジキ ・ハズシ ・右留
 〇風心刀
  ・居合 ・向一文字 ・右行 ・左行
  ・後詰 ・切上
 〇突杖
  ・左留 ・抜留




 この山本論文の翻刻では、本来3本で一連となっているべき剣術形(右剣、左剣、風心刀)から「風心刀」のみが分離され、しかも居合の総称が「風心刀」であるかのような記載となっている。

 そしてなにより、突杖については完全に分断された形で記載されており、まるで突杖の形が左留と抜留の2本しかなく、ハジキ・ハズシ・右留の3本は、あたかも「左剣」に含まれる形のような記載となっている。

 柳剛流の切紙で伝授される基本的な技法体系は、正しくは以下の通りだ(※)。

 切紙
 〇備之伝
  ・上段 ・中段 ・下段 ・向青眼
  ・平青眼 ・斜青眼 ・中道 ・右陰
  ・左陰 ・下陰 ・丸橋 ・右車
  ・左車 ・八艸 ・頓保
 〇右剣
 〇左剣
 〇風心刀
 〇居合
  ・向一文字 ・右行 ・左行
  ・後詰 ・切上
 〇突杖
  ・ハジキ ・ハズシ ・右留
  ・左留 ・抜留




 山本論文ではなぜ、このように読む人が内容を完全に誤解するような翻刻を掲載しているのか?

 単なる編集ミスというにはあまりにも大きな誤りであり、謎は深まるばかりである・・・・・・。

 ここでひとつ言える事は、柳剛流の実技を知っている者、稽古を実際にしている者であれば、このような意味不明な並びの翻刻は絶対にするわけがないということだ。

 この点からも山本教授が、伝書や口承、史料のみを参照し、柳剛流の実技を知らずに本論文を執筆したことが、強く推察できるのである。


※)武州系の一部、仙台藩角田伝、紀州藩田丸伝では、切紙で伝授される剣術に「風心刀」は含まれない。田丸伝では「右剣」「左剣」に加えてさらに6本の形が、切紙の段階で伝授される。また田丸伝では、突杖は切紙ではなく目録段階で伝授される。

 (つづく)
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柳剛流の特徴~山本邦夫教授の論考から(その2)/(柳剛流)
- 2017/11/08(Wed) -
 山本邦夫教授は、『浦和市史研究 第2号』(浦和市総務部市史編さん室)掲載の「浦和における柳剛流剣術」(以下、山本論文)において、柳剛流の特徴を以下のようにまとめている。

1.斬足の法
2.総合武術
3.かわった用具
4.資格取得の簡略化
5.師家の無制約



 まず、1.の「斬足の法」についてから論考を始めよう。

 山本論文ではこの一節の最初に、

 斬足の法という奇抜な刀法が最大の特徴といえる。



 と記している。

 これについては私も異論はなく、そもそも柳剛流祖・岡田惣右衛門自身、斬足の法こそが当流の真面目であるとしている。

 ただ、ここで注意が必要なのは、これも本ブログではたびたび指摘してきたことではあるが、古流剣術において相手の脚を斬る技はけして特殊な、あるいは珍しいものではなく、諸流の形にも散見されるものだということだ。

 私が知っている限りでも、駒川改心流、力信流、柳生心眼流、天然理心流、直心影流(薙刀)などの形に、刀で相手の脚を斬る技を見ることができる。また、いわゆる「棒の手」といわれるものでも、相手の脚を斬る動きというものはよく見られるものだ。

 こうした点から「斬足の法」は、必ずしも柳剛流だけの完全無欠なオリジナル技法というわけではないという点は、修行者はしっかりと念頭に置いておくべきであろう。

 己が使う業は、相手も使う蓋然性があることを忘れてはならない。

1705_松代演武_柳剛流左剣
▲相手の脚を斬る「斬足の法」は、柳剛流最大の特徴



 続けて山本論文では、「斬足の法」についての解説の中で以下のような論考を記している。

 次の特徴は、頭や胴体、手足のどことも決めず、斬るのではなく突いて突いて突きまくるという点にあった。



 これは、山本論文の中でも最大の誤りであり、まったくの事実誤認であることを、ここで明確に指摘しておきたい。

 山本教授のこの記述は、三重県のM氏所蔵と言われる『奉献御寶前』という奉納額の写しの一文である、

 知身体四肢無一所不斬突也



 という部分の誤読であろう。

 柳剛流が江戸時代後期の他流試合などにおいて、小手や面に限らず、胴そして脚など、全身を広く打突部位としたというのは、当時の神道無念流の剣客の覚書にも記されており、「身体四肢について、斬ったり突いたりしないという場所はない」というこの一文を裏書きしている。

 しかし、どういうわけか山本論文では、これが「斬らずに、突いて突いて突きまくる」と、誤読されてしまっているのだ。

 実技から検討しても、少なくとも仙台藩角田伝 柳剛流剣術の実技・実伝においては、「斬らずに、突きまくる」、といったことはまったくない。

 むしろ剣技としての突きは、柳剛流では特段重視されていないことを、明言しておく次第である。



 そして山本論文では、「斬足の法」の一節を、以下のようにまとめている。

 太刀での優劣が終りまでつかないときは、剣を棄てて当身をくらわせ勝負を決めるというもので、極めて実戦的なものであった。



 この記述については、やはり先に挙げた『奉献御寶前』の一節に、

 闘数合而不見優劣則棄剣手捉以決勝敗



 とある。

 また実技・実伝からみても、

・かつての柳剛流諸派には、柔術技法や殺活術が伝えられていたこと

・仙台藩角田伝の柳剛流においては、現在、柔術技法や殺法は失伝しているが、免許で伝授される「組打」や「法活」(活法)は、実技が伝えられていること

 以上の点から、この部分の記述については、山本論文の指摘する通りだといえるだろう。

 (つづく)
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