100年後の柳剛流を想う/(柳剛流)
- 2017/06/22(Thu) -
 多忙である・・・・・・。

 障害者福祉と小児医療というジャンルの異なる2冊の単行本の原稿を毎日6000文字ほど執筆しつつ、毎月の定期ものである医療系インタビュー記事やルポルタージュ、インバウンド向けの旅行関係の記事なども執筆しているため、ここ1週間ほどは、毎日14時間ほど、机にかじりついている。

 この調子があと半月続くのだが、果たして自分の体力がそこまで持つのか、我ながらはなはだ不安だ。



 そんな毎日ではあるが、なんとか時間を工面し、日々、稽古はできるだけ欠かさぬように心がけている。

 今週は特に柳剛流の長刀について、丁寧に自分の業を見直している。

 構え、拍子、間積りはもとより、各々の形の理合、位、打太刀の動きなどについて、自身の稽古手控えを見返しつつ、あるいは他流の古流長刀の資料なども参考にしながら、短い時間を無駄にしないよう稽古を行う。



 たいへん残念なことに、現在、柳剛流の長刀は国際水月塾武術協会が継承する仙台藩角田伝にしか残されておらず、それを第8代相伝者である小佐野淳先生から学んだ者は、兄弟子たちや私を含めて、わずか4名しかいない。

 このままでは、遠からず失伝してしまうリスクがたいへん高いだけに、翠月庵/国際水月塾武術協会埼玉支部としては、一人でも多くの門下に、免許秘伝の長刀までを含めた仙台藩角田伝柳剛流のすべての業と口伝を、余すところなく継承してもらいたいと強く願っている。

 そのために、まず私自身が柳剛流の業を「見事に活きた術」として習得、練磨し、それを1つずつ丁寧に門下に伝えていかなければならない。

 50年後、100年後にも、仙台藩角田伝柳剛流が誰かに受け継がれているようにするために、今ここで微力を尽くすことは、市井のいち武術・武道人として、まさに男子の本懐だとしみじみ思う。

1706_刀勝
▲柳剛流長刀「刀勝」。打太刀・小佐野淳師、仕太刀・瀬沼健司

 (了)
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流祖が示す課題/(柳剛流)
- 2017/06/18(Sun) -
 飛び違いによる斬撃は、かつて不世出の女武芸者・園部ひでををして、「跳斬之妙術」と言わしめた、 「断脚之法」と並ぶ柳剛流の特長である。

 古流剣術諸派には、同じような飛び違いを用いる形のある流派も見られるし、あるいは現代武道である空手道や打撃系格闘技でも、こうした体の使い方は、「スイッチ」とか「スイッチステップ」などといって、組手やスパーリングによく用いられる。

 例えば私が学んでいた玄制流空手道には、土佐邦彦先生が制定された「五本組手」という、玄制流ならではの独自色の強い技をまとめた約束組手があるのだが、その中の1つに、こうしたスイッチステップ=飛び違いを用いる業があった。

 具体的には、彼我、互いに左半身に構え、相手が右中段追突きにくるところを、我はその場で飛び違いながら右半身になりつつ相手の突きを内受け(自分の体の外側から内側へ向けての受け)し、右上段裏拳打ちで極める、というものである。

 このように、「飛び違い」そのものは、柳剛流以外に皆無の技というものではないけれど、柳剛流の特筆すべき点は、この飛び違いを初学の切紙から目録、そして免許秘伝の長刀まで、一貫した「術」=体の使い方の根幹に置いていることであり、その体の使い方を修行人に学ばせるための、明確な体系としての「形」の階梯が整備されている点にある。



 これまで本ブログでたびたび指摘しているように、柳剛流の術の根幹を練り、しかも極意に至るあらゆる要素が内包されているのが、修行人がまず最初に学ぶ「右剣」と「左剣」の形だ。

 当然ながら飛び違いについても、この2つの形に、術の基礎と応用が凝縮されている。

 さらに柳剛流を修行する者として、「深いなあ」としみじみ思うのが、まず最初に「右剣」を学び、次いで「左剣」を学ぶという順序=階梯だ。

 具体的な術技やポイントは師伝のためここでは詳述しないが、飛び違いは、まず一番最初に学ぶ「右剣」の形に含まれるのだが、次に学ぶ「左剣」においては、さらに高度な体の使い方による飛び違いを要求されるのである。

 柳剛流の跳斬之術は、切紙の剣術や居合で学ぶものが楷書、目録の剣術・柳剛刀で学ぶのが行書、そして免許秘伝の長刀が草書というような明確な階梯となっている。

 同様に、切紙で学ぶたった2本のみの剣術形でも、1本目の「右剣」と2本目の「左剣」は、明確な上達への階梯関係、あるいは修行者へ求められる課題の高度化が示されているのである。

 ありていに言えば、1本目の「右剣」で行われる飛び違いに比べると、2本目の「左剣」の形で行う飛び違いは、はるかに難しいのだ。

 これは流祖・岡田惣右衛門から突き付けられた、柳剛流を学ぼうという修行人への大きな課題である。

 同じ飛び違いでも、「右剣」の飛び違いに比べ、「左剣」の飛び違いは、たいへんシビアな状態からの動作を求められる。筋力を使った単純な跳躍では、「右剣」での飛び違いはなんとかなっても、「左剣」での飛び違いはいかんともしがたいのだ。

 そこで、以前にも本ブログで記したが、「地(床)を蹴らずに飛び違う」ことが求められる。

 これができて初めて、目録で学ぶ柳剛刀に示される柳剛流ならではの実践刀法が遣えるようになり、重厚長大な長刀を飛び違いながら用いる免許秘伝の長刀への道が開けるのである。



 こうした意味で、私自身、今でも「右剣」と「左剣」の稽古は欠かさず特に心を砕いており、ことに「左剣」の形は、「なんでこんなに難しいのだ?」と、己の未熟さを痛感させられることしきりだ。

 200有余年の時を経て流祖が示す課題に取り組むというのは、古流の武芸を学ぶ者だけが知る厳しさであり、そしてまた大きな喜びでもあるといえるだろう。

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▲柳剛流剣術「左剣」

 (了)
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柳剛流殺活術についての補足と整理~「水月」と「心中」の殺ほか/(柳剛流)
- 2017/06/14(Wed) -
 前回の記事をはじめ、本ブログでは何回か、柳剛流の殺法を解説した。

 その中で、「水月」と「心中」について、自分の中でやや混乱した、あるいはいささか雑な認識になっていたほか、「玉連」や「骨当」といった部位についても、新たに入手した史料によって見立てが変わったところがあるので、ここで改めて殺法に関する最新の知見をまとめておきたいと思う。

 過去、本ブログの記事では、柳剛流と天神真楊流の殺法を比較する際、柳剛流の「水月」=天神真楊流「水月」、柳剛流の「心中」=天神真楊流の一部伝書に記載されている「少寸」に当たると記してきた。

 (「柳剛流の殺活術について(後編)」http://saitamagyoda.blog87.fc2.com/blog-entry-750.html

 この点について、改めて柳剛流殺活免許巻や、その他の当身に関する史料を検討してみると、もう少し慎重な考察が必要だと思われる。



 まず、ここで改めて柳剛流殺活免許巻を見ると、文久2(1862)年に記されたもの(以下、文久2年伝書)でも、昭和14(1939)年に記されてもの(以下、昭和14年伝書)でも、いずれの場合も、胸骨下部から腹部中心部分にあたる殺は、「水月」と「心中」の2つが書き分けられている。

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▲昭和14(1939)年に記された仙台藩角田伝の柳剛流殺活免許巻に記載されている図


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▲文久2(1862)年に記された仙台藩角田伝の柳剛流殺活免許巻に記載されている図



 2つの図を素直に見る限り、「水月」は胸骨直下・上腹部にあり、一方で「心中」は臍の上・腹部の中心を示している。

 この2つの殺について、私は以前の本ブログ記事で、文久2年伝書を元に、以下のように考察した。

「水月」については、柳剛流も天神真楊流も同じく、腹部の上胸部の下であろう。「此は柔術形に於いては尤必要也」と『柔術生理書』で井口松之助が書いている通り、水月の殺は日本柔術の当身で最も重要な部位であるだけに、その部位に当流の殺も天神真楊流の殺も違いがないであろうというのはたいへん興味深い。

 (中略)

 続く「右脇」と「心中」だが、この2つの殺は、伝書掲載の図では部位の引き出し線が重なっており、正しい位置が不明確である。常識的に考えて「右脇」というのは右の肋骨下部、天神真楊流で言うところの「稲妻」であり、「心中」は水月と明星の中間、天神真楊流の一部伝書に記載されている「少寸」という部位にあたると考えてよいのではなかろうか。




 その上で過日、神道六合流の当身に関する資料をつらつら読んでいて、水月の殺について思うところがあった。

 同流における当身の解説では、「水月」については「俗にいうみぞおちで胸骨の真下」とする一方で、その上部に「胸尖」という殺を示し、これを「胸骨の下端部、すなわち剣状突起の所」と示している。

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▲『奥秘柔術教授書特科虎之巻』(野口潜龍軒著)の図。「水月」と「胸尖」が別個に記されているのが分かる。


 一方で、明治29(1896)年発行の天神真楊流・井口松之助著『柔術整理書』を見ると、「水月の殺」とは、腹部の上胸部の下、すなわち胸膜の間、体内の中央真中を言う。胃腑、剣状突起の真下を突撃する所なり、としている。

 ここで改めて、上記の昭和14年伝書に記された柳剛流殺活免許巻の図を見ると、「水月」の殺の部位は胸骨直下にあり、「心中」の位置はその下、腹部中心のやや上よりとなっており、文久2年伝書の図でも、「水月」は明らかに両乳下端を結んだ線上の下にあり、「心中」は腹部のほぼ中心部を示している。



 これらの各資料の比較から、より厳密に柳剛流の殺法の「水月」と「心中」の部位を記せば、

 ・柳剛流の「水月」=神道六合流の「胸尖」=胸骨下端の剣状突起

 ・柳剛流の「心中」=天神真楊流/神道六合流の「水月」=腹部の上胸部の下、胸膜の間、体内の中央真中、胃腑、剣状突起の真下


 と考えるのが、より妥当性が高いのではないだろうか?



 また、本ブログの「柳剛流の殺活術について(後編)」において、私は文久2年伝書の図を元に、柳剛流の「玉連」はいわゆる「下毘」、柳剛流の「骨当」は天神真楊流の「肢中」ではないかと考察したが、これらについても昭和14年伝書の図を突き合わせて考えると、正しくは「玉連」は「肢中」、「骨当」は天神真楊流における「ダン中」に当たると思われる。

 さらに柳剛流の「二星」については、やはり「柳剛流の殺活術について(後編)」において、文久2年伝書に基づいて両目の下として考察した。これについては、武州の岡安伝による柳剛流の殺法図でも両目の下に点が記されている。ところが、昭和14年伝書では左右の目そのものとなっている。

 これらを勘案すると、古流の常識として左右の目は「日月」、つまり2つの星と称されることから、柳剛流の「二星」も、昭和14年伝書が示すように、両目そのもののことではないだろうか?

 文久2年伝書や岡安伝の史料では、両目の下部分に殺点が置かれ、そこから引き出し線が描かれているのは、作画上の方便であると考えるのが、より妥当性が高いように思われる。


 
 以上の点を踏まえ、改めて仙台藩角田伝柳剛流の殺18ヶ条の部位を、天神真楊流および神道六合流の殺と比較してまとめると、以下のようになる。


 仙台藩角田伝柳剛流の殺18ヶ条と、天神真楊流および神道六合流の殺との比較一覧

1)天道(柳剛流)=天道・天倒(天神真楊流・神道六合流)=前頭骨と左右頭頂骨の縫合部分
2)面山(柳剛流)=鳥兎(天神真楊流・神道六合流)=前頭骨と鼻骨の縫合部分、いわゆる眉間
3)二星(柳剛流)=該当なし=両眼
4)虎一点(柳剛流)=人中(天神真楊流・神道六合流)=左右上顎骨の縫合部分、鼻の下部、口の上
5)剛耳(柳剛流)=独鈷(天神真楊流・神道六合流)または耳孔=耳の後部真下のくぼみ、または耳の孔そのもの
6)雁下(柳剛流)=該当なし=二の腕の中心部内側
7)玉連(柳剛流)=肢中(天神真楊流・神道六合流)=首の正面、舌骨と胸骨上端との中間、いわゆる喉笛
8)骨当(柳剛流)=ダン中(天神真楊流・神道六合流)=胸骨中心部、両乳を結んだ線上の胸骨部分
9)松風(柳剛流)=雁下(天神真楊流)、月影(神道六合流)=乳の下部、柳剛流では左乳の下を言う
10)村雨(柳剛流)=雁下(天神真楊流)、月影(神道六合流)=乳の下部、柳剛流では右乳の下を言う
11)水月(柳剛流)=胸尖(神道六合流)=胸骨の下端部、剣状突起
12)心中(柳剛流)=水月(天神真楊流・神道六合流)=胸骨・剣状突起の真下
13)右脇(柳剛流)=電光・稲妻(天神真楊流・神道六合流)=右側の肋骨下部
14)稲妻(柳剛流)=月影(天神真楊流)、稲妻(神道六合流)=左側の肋骨下部
15)明星(柳剛流)=明星(天神真楊流・神道六合流)=臍の下約1寸
16)玉水(柳剛流)=釣鐘(天神真楊流)、陰嚢(神道六合流)=睾丸
17)高風市(柳剛流)=夜光(神道六合流)=大腿上部の前内側
18)虎走(柳剛流)=草靡(天神真楊流・神道六合流)=下腿後方の中央部、いわゆるふくらはぎ



 現時点において、仙台藩角田伝柳剛流の殺18ヶ条については、このような部位としての認識が、最も妥当なものであると考えられる。

■本文記載以外の参考文献
『日本柔術当身拳法』(小佐野淳師著/愛隆堂)
『実戦古武道 柔術入門』(菅野久著/愛隆堂)
『月刊空手道』第24巻第1号「現代空手の礎 柔術当身活殺術」(福昌堂)
『増補・改訂 宮城県 角田地方と柳剛流剣術-日本剣道史に残る郷土の足跡-』(南部修哉/私家版)
『一條家系譜探訪 柳剛流剣術』一條昭雄/(私家版)
『幸手剣術古武道史』(辻淳/剣術流派調査研究会)

 (了)
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柳剛流殺活免許巻に基づいた当身の稽古/(柳剛流)
- 2017/06/09(Fri) -
 柔術(体術)に関して私は今、甲陽水月流と柳生心眼流を稽古しているが、10代の頃ははじめに八光流を、次いで天神真楊流を学んだ。

 このため当身の部位、いわゆる「殺」の名称については、今もなんとなく天神真楊流系の名前で記憶している。

 一方で私の武術修行の本義は、現在、仙台藩角田伝柳剛流だ。

 角田伝の柳剛流では、現在、殺活術については活法のみの伝承となっており、殺法については残念ながら実伝は失われてしまった。

 しかし幸いなことに、柳剛流の殺活については伝書や資料類が充実しており、殺の部位や名称に関しても明らかになっているので、個人的には柳剛流の殺の部位や名称もしっかりと憶えておき、あくまでも復元・考証であることを明言した上で、門下への伝承や指導の一環に加えたいと考えている。



 このため最近は、毎日の稽古の最後に、柳剛流殺活免許巻を読みながら殺の部位・名称を憶えるようにしているのだが、ただ名前と部位を憶えるだけでは芸がないので、実際に当身の稽古と合わせて名称を記憶するようにしている。

 たとえば天道には手刀あるいは拳槌打ち、二星には目打ち、面山や虎一点には裏拳打ち、玉水や虎走には蹴当てなどといった具合だ。

 このように、動作とともに名称(言語)を覚えると、よりしっかりと記憶に刻まれるように感じるのは私だけだろうか?

 もっとも、仙台藩角田伝柳剛流の殺法は18ヶ条しかないので、そんなふうにしなくても、普通に覚えられるだろうと言われればそれまでなのだが・・・・・・。

 五十路も目前となると、もの覚えが悪くってねえ(苦笑)。

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▲仙台藩角田伝柳剛流における殺法の部位と名称


 (了)
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柳剛流二刀伝/(柳剛流)
- 2017/06/07(Wed) -
 以前から気になっていたのだが、ネット上にある柳剛流関係の記事で、二刀の技法にふれているものがある。

 「剣術流派紹介」
 http://www.geocities.jp/mb_records2004/ryuuha-ryuugouryuu.html

 このページは武術・武道関係のものではなく、1990年代に放映された時代劇ドラマに関するホームページに付随したもののようだ。

 こういったページの剣術関連の記事は、武術・武道の実践者ではなく歴史ファンが資料を基にまとめているケースが多く、技術的にも考証としても、残念ながらあまり質の高いものは多くない。

 ところが上記ホームページの柳剛流に関する記事については、これまでほとんど公開されたことのないであろう柳剛流二刀伝の技法について、ずいぶん具体的な記述がなされており、「いったいこの記事は、どういう人が書いたのだろう?」と、常々、不思議に思っていた。



 そんななか過日、松代の演武会に参加した帰路、水月塾関西支部長のY師範とお話しをしていたところ、柳剛流の話題となった。

 その際、2000(平成12)年に発行された田中普門氏著の『古流剣術概論』(愛降堂)という本に、紀州藩田丸伝柳剛流の記事があると教えていただいた。

 これについては以前、『幸手剣術古武道史』などの著者で、武州一帯に伝播した柳剛流に関する研究の第一人者である辻淳先生からも、教えていただいたことがあったのだが、すっかり失念していたのである。

 私はなにしろ「武術オタク」なので(笑)、武術関連の書籍などはそれなりに所蔵しているのだが、どういうわけか田中普門氏の著作は、これまで1冊も購入したことがなく、すべてパラパラっと立ち読みで済ましていたので、ま、不覚といえば不覚であった。

 そして後日、Y師範が同書の柳剛流に関する記述のあるページを送ってくださり、それを読んで上記の疑問が氷解した。

 

 同書には、紀州藩田丸伝柳剛流を伝える三重県在住の三村幸夫先生が仕太刀、著者の田中氏が打太刀となり、柳剛流二刀伝の技法が2本、帯刀した状態から脚斬りで始まる剣術形が2本紹介されている。

 そして、上記ホームページの柳剛流二刀伝に関する記述と、この『古流剣術概論』の記事がほとんど一致していることから、ホームページの筆者は、この本を基に当該記事を書いたのだと思われるわけだ。

 ま、ただそれだけの事なのであるが、柳剛流マニアとして、ここ数年来の疑問が1つ氷解し、今、私はたいへんすっきりとした気分である(苦笑)。

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▲田中普門氏著『古流剣術概論』(愛降堂)に掲載されている、紀州藩田丸伝柳剛流の二刀技法



 柳剛流における二刀技法は、角田伝にしても武州の系統でも、あるいは田丸伝においても目録で伝授されるものだが、いずれの場合も伝書上の記述は全て「二刀(伝) 口伝」となっており、形の名称などはどの系統の伝書にも記されていない。

 その上で、私たちが伝承している仙台藩角田伝柳剛流においては、いつの頃からか定かではないが、二刀伝は形ではなく純粋な口伝、つまり「口訣(くけつ)」として今に伝えられている。

 これに対して、紀州藩田丸伝柳剛流における二刀伝は、形としての技法群として伝承されているということで、その一端が上記の田中氏の著書で紹介されているわけだ。

 なお村林正美先生の論文『柳剛流剣術の特色』(武道学研究/1989)によれば、紀州藩田丸伝柳剛流の二刀技法については、先代の清水誓一郎先生から当代の三村幸夫先生への伝授において、形の名称は伝えられておらず、実技のみの伝承であり、個々の形の名称は不明なのだという。

 しかし幸いなことに、現存する唯一の流祖・岡田惣右衛門直筆の伝書と伝えられる、石川家伝来の目録に、二刀伝におけるすべて形の名称が記されてる。

 このため、石川家の目録伝書と田丸伝柳剛流の二刀伝の形の順序や本数を突き合せれば、それぞれの形の名称や技の異同などを確認することができるわけで、すでに田丸伝の先生方は、そういった検証をされているのではないだろうかと思われる。



 なおちなみに、流祖直筆伝書に記された柳剛流二刀の形名称は、以下の八カ条である。

 二刀
  上段防(ジョウダンボウ)
  青光刀(セイコウトウ)
  不乱刀(フラントウ)
  青眼破(セイガンハ)
  車水刀(シャスイトウ)
  利支剣(リシケン)
  心剛刀(シンゴウトウ)
  鷹羽剣(ヨウウケン)


 また、流祖・岡田惣右衛門が学んだ流派である心形刀流の二刀形も同じく、以下のような八カ条の伝承となっている。

 二刀
   向満子
   横満子
   横満子残
   刀合切
   相捲
   清眼破
   柳雪刀
   鷹之羽


 
 これら、柳剛流と心形刀流の二刀技法がどのように関連しているのかについても検証できれば、柳剛流研究において非常に興味深い考察のひとつになるであろう。

 (了)
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