柳剛流の重層的な稽古体系/(柳剛流)
- 2018/02/22(Thu) -
 本日も仕事が夜半まで押してしまったため、拙宅内にて柳剛流備之伝、備フセギ15ヶ条秘伝、そして剣術と居合、突杖の稽古を行う。

 以前まで深夜の室内での稽古では、剣術にせよ居合にせよ、跳び違いの際の足音や衝撃が課題であった。

 しかし、師よりご指導いただいた柳剛流居合における口伝の鍛錬法の成果で、最近になってようやく、深夜の屋内でも足音や衝撃をあまり気にせず、跳び違いができるようになってきた。



 本ブログでもたびたび指摘してきた通り、総合武術である柳剛流は、剣術~居合~長刀(なぎなた)の「術」が、それぞれ連関し円環していることが特長で、剣術の鍛錬のために居合があり、それらを仕上げるために長刀があり、長刀に熟練することで剣術がさらに深まるという、重層的な稽古体系の構造となっている。

 稽古を通じて、柳剛流は剣・居・長刀がそろうことで初めて、その「跳斬之妙術」と「断脚之術」が活きた業として磨かれていくのだということを、しみじみと実感できる。

 一方で、これらの技術的な連環から外れている柳剛流突杖(杖術)は、未だ剣に熟練していない初学者、往時の農民や町人でも比較的容易に習得できる、即応性の高い武技として位置づけられているように思われる。

(とはいえ突杖の技法が簡単だというわけではない。むしろある意味で、剣術や居合以上にシビアな難しさを秘めているともいえる)

 そして殺活術は、免許者が武芸者として嗜むべき秘伝として伝授されたのであろう。


 全体として形の数こそ少ないものの、こうした重層的な古流武術の術技を、系統立てて学ぶ事ができるというのは、総合武術たる柳剛流の大きな魅力といえるだろう。

1705_柳剛流長刀_モノクロ
▲柳剛流免許秘伝の長刀「左首巻」

 (了)
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夫れ武は仁義の具、暴を誅し乱を救う/(柳剛流)
- 2018/02/17(Sat) -
 柳剛流の伝書は、流祖・岡田惣右衛門が学んだ心形刀流の影響が強く、たとえば柳剛流目録の前文などは、その多くが心形刀流の伝書の文言とほとんど同じである。

 一方で角田伝の祖であり柳剛流2代目である一條(岡田)左馬輔直筆の伝書に限っては、切紙、目録、免許のいずれの伝書の文言も、すべて心形刀流のものとは異なる。

 それどころか岡田惣右衛門筆の伝書とも、また武州系の中心である岡安系や江戸で最大の勢力を誇った岡田十内系とも、その内容は異なっている。

 このように、一條左馬輔筆の伝書の文言が非常に独自性が高い事、しかし後年の角田伝の伝書の前文はいずれも武州系や江戸系とほぼ同じ文言に変化していることは、いずれも非常に興味深く、今後の調査・研究課題のひとつである。



 その上で、一條左馬輔の伝書の文言は、他の柳剛流諸派の伝書の文言に比べると簡潔で分かりやすく、剣の理合や武芸者としてのあるべき姿を、誰にでも理解できる分かりやすい言葉で指摘しており、とても好感が持てると私は感じている。

 たとえば、「武術・武道を修行する目的とは何か?」というのは、今も昔も、武芸に携わる人間が抱える普遍的な命題である。

 これについて、左馬輔は次のように明快に語る。

夫れ武は仁義の具。暴を誅し乱を救う。皆民を保つの所以にして仁義の用に非ざるなし。(「柳剛流免許之巻」より。以下、同じ)



 さらに、そのような「武」のあるべき姿について、以下のように諭す。

是を以て之を用うるに仁・孝・忠なれば即ち天下の至宝なり。之を用うるに私怨奸慝(かんとく)なれば即ち天下の凶器なり。※奸慝(よこしまな隠れた悪事)



 じつに明快な考え方であり、実直な教えだ。

 そして左馬輔は、

故に剣法を知り至誠偽り無きの道、以て謹まざるべけん哉。



 と結ぶのである。

 また、これは以前にも本ブログで紹介したが、勝負に臨んでの心法について左馬輔は、

敵の盈虧(えいき)を察し、必勝を求めずして、自然に勝つべきに於いて勝つ。何を以てか之を譬えん。其の際に髪を容れるべからず。※盈虧(満ち欠け)(「目録之巻」より)



 と喝破する。

 この、「必勝を求めずして、自然に勝つべきに於いて勝つ」という心法は、普段の稽古において私はいつも念じ、門下へもこの心法を第一に指導している。

 相手に勝とうという気持ちを棄て、ただ自然に剣の道理に従って術を遣う。

 その「術」が剣の道理、実の道に背いていなければ、おのずから勝ちを得ることができるのだ。

 こうした剣の理は、言葉こそ違えど平山子竜の言う、

其殺伐の念慮を驀直端的に敵心へ透徹するを以て最用とすることぞ。(「剣説」)



 と、通じる所は同じであろう。



 私は(想定としての)闘争においては、

 「相手に勝とうと思う必要はない。ただ、自分も死ぬが必ず相手も殺す。多勢に囲まれて打ち殺されるとしても、必ず一人は道連れにして殺す。闘争における必勝の勝口は、この気勢を持って対するのみである」

 と常々考えており、門下にも稽古を通じてこうした心法を錬るよう指導している。

 武芸における強さとは、綺麗ごとや理屈ではなく実体として、最終的には術技の巧緻を超えた、「一人一殺」「一殺多生」の心法に収れんするのではあるまいか?

 その気勢を錬るために、我々は何千何万何十万回と、流祖以来連綿と伝えられてきた「形」を日々繰り返し、「術」を磨き続けるのだ。

1705_演武_モノクロ
▲柳剛流居合 「向一文字」

 (了)
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小渕観音院の柳剛流奉納額の願主は、松田源吾ではない/(柳剛流)
- 2018/02/08(Thu) -
 ひと様の誤りを、逐一あげつらって訂正するというのは、なにやら底意地が悪いようであまり気が進まない・・・・・・。

 気が進まないのだが、流儀に連なる者として、間違った史実が流布されるのを見過ごすわけにはいかないので、まるで意地悪な小姑みたいでなんだが、こうしてつらつらと、ネット上の柳剛流に関する間違いを指摘するわけだ。

 「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂」

 といった心持ちである。



 さて過日、ツイッターで、moroさんという方が、埼玉県春日部市にある小渕観音院に掲げられている柳剛流の奉納額について、つぶやかれていた。

 https://twitter.com/morokoshoten/status/961256850686541824


 このつぶやきでは、奉納額の願主を松田源吾だと記しておられるのだが、そうではなく、

 奉納の願主は、岡安英斎(禎助)だと考えられる。

 この奉納額については、以前、本ブログにて詳細を紹介しているので、まずはそちらも参照されたい。

 「柳剛流の奉納額(その2)」 2016/03/28(Mon)
 http://saitamagyoda.blog87.fc2.com/blog-entry-895.html

1603_小渕観音奉納額2
▲小渕観音院に掲げられている柳剛流の奉納額


 さて、この小渕観音院の柳剛流奉納額は、現在、長年の風雨の影響で額文はまったく判別できなくなっている。

 しかし幸いなことに、大正7(1918)年に刊行された『吉田村誌』に、この額文の翻刻が記されている。

 さらにその翻刻も含めた『吉田村誌』の全文が、平成13(2001)年に発行された『幸手市史調査報告書 第十集 村と町・往時の幸手』(幸手市教育委員会編)に掲載されている。

 また、これらを元にした額文の翻刻は、平成20(2008)年に刊行された辻淳先生の『幸手剣術古武道史』にも掲載されている。

 これら史料の記述によれば、この奉納額が献納されたのは慶應2(1866)年であるが、松田源吾はその14年前である嘉永5(1852)年に、すでに亡くなっている。

 また、額文の翻刻には願主の氏名に関する記載はないものの、柳剛流が流祖・岡田惣右衛門から松田源吾、そして岡安英斎と受け継がれ、英斎の門下は数百数千に及ぶ興隆ぶりであり、神と師の恩に報いるために、この額と2口の剣を奉納する旨が記されている。

 さらに額文には記されていないが、この奉納額が献納された慶應2年は、岡安英斎の嫡子である禎三郎が、父より柳剛流の免許を允許された年でもある。

 このように、

1)松田源吾はこの額が奉納される14年前に死去している。
2)額文では流祖~松田源吾~岡安英斎という、3名の道統と来歴が記されている。
3)額文では岡安英斎一門の興隆が、具体的に記されている。
4)額が奉納された慶應2年は、岡安英斎の嫡子・禎三郎が柳剛流の免許皆伝となった記念すべき年である。



 以上の点から、本奉納額の願主は松田源吾ではなく、岡安英斎であるとするのが最も自然であろう。

1603_小渕観音奉納額4
▲辻淳先生の『幸手剣術古武道史』に掲載されている、額文の翻刻


 本来は私が直接、moroさんに、こうした内容をツイッターでお伝えするべきなのであるが、私はツイッターは閲覧専門で書き込みなどはしていないので、本ブログにこのように書いた。

 縁があれば、ネット上を巡り巡って、先様に正しい情報が伝わるであろうし、できればそれを願っている次第である。



 それにしても、柳剛流に関する正しい情報の発信や、通説の誤りの訂正などについて、どうすればより良いのかを考える今日この頃である。

 とはいえ、あくまでも私の本義は、柳剛流の実技の研鑽と伝承であり、史実の調査研究や啓発活動はあくまでも二義的なものだ。

 大切な事は、師より受け継いだ仙台藩角田伝 柳剛流の「業」と「術」を、見事なものに磨き上げ、その実技をひとりでも多くの門人に伝えていくことである。

 こうした実伝を通じて、流儀の正しい伝承や史実も、門人たちに併せてしっかりと伝えていくことが、結局は最善の方法なのであろう。

 流祖・岡田惣右衛門が編み出した柳剛流の「断脚之太刀」を学びたいという志のある人には、私たち武術伝習所 翠月庵/国際水月塾武術協会埼玉支部の門は、いつでも広く開かれている。


 ■参考文献
 『幸手市史調査報告書 第十集 村と町・往時の幸手』(幸手市教育委員会編)
 『幸手剣術古武道史』(辻淳著)

 (了)
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ありがとうございます/(柳剛流)
- 2018/02/06(Tue) -
 先日、本ブログにて「松平主税助の流儀は「柳剛流」であり、流祖の諱は「奇良」である」という記事を書き、神無月久音さんがツイッターでまとめられていた剣豪ランキングに含まれる、松平主税助や岡田惣右衛門に関する一部記述について指摘をさせていたいた。

 その上で、先ほどツイッターを閲覧すると、さっそく訂正をしてくださったとのこと。

 神無月様、ありがとうございます。

 また、やはりツイッターにて、みんみんぜみさんが、「今回のランキングは、ネット検索ヒット数の集計なので、「奇良」よりも「寄良」の方が多くなっているのだ」と、ご解説くださっており、なるほどと得心いたしました。

 みんみんぜみ様、ありがとうございます。

 私としましては、柳剛流に関する正しい情報が、より多くの皆さんに伝わるようになればうれしいという気持ちのみですので、今回、差し出がましい事を申しまして恐縮でしたが、ご寛恕いただければと思います。



 こういうメッセージこそツイッターで書けばよいのですが、私はツイッターは閲覧専門なので、こちらにてお二方にお礼申し上げます。

 翠月庵 瀬沼翠雨 拝

 (了)
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松平主税助の流儀は「柳剛流」であり、流祖の諱は「奇良」である/(柳剛流)
- 2018/02/03(Sat) -
 ツイッターで神無月久音さんという方が、ネット上での剣豪の知名度ランキングというのを集計・発表されていて、「ほほう」っと思い、楽しく閲覧させていただいた。

 その中に、松平主税助の名前があり、「おお、こんなマニアックな柳剛流の剣客も入っているとは!」とうれしく思ったのだが、なんと流派名が柳剛流ではなく、制剛流になっているではないか!

 この方は、古流剣術について詳しい方のようなので、おそらく間違いというより誤字・入力ミスの類だと思うのだけれど、それにしてもまことに、いやまったく、まことに無念である・・・・・・(涙)。

 松平主税助の流儀は「制剛流」ではなく、「柳剛流」です!!

 よっぽど直接メッセージを送るかなにかしようかと思ったのだけれど、私はツイッターは閲覧のみで、書き込みなどはまったくしていないし、そもそも書き込みなどの仕方がよく分からない。

 リツイートと返信の違いって、何なの?

 ま、今のところは、そのようなツイッターの使い方を覚えようとも思わないので(私には、もっと他に覚えなければならないことや、やらなければならないことが山ほどある)、代わりにここに記しておく。

 縁があれば、ネット上を巡り巡って、先様が間違いに気づいてくれるかもしれないことを期待する次第である。

 繰り返しますが、

 松平主税助の流儀は「制剛流」ではなく、「柳剛流」です。



 また、やはりこのランキングの中に、柳剛流祖・岡田惣右衛門の名も揚げられているのだけれど、これまたまことに残念なことですが、名前(諱)が間違っている・・・・・・(涙)。

 岡田惣右衛門の諱は正しくは「奇良(よりよし)」なのだが、ここでは誤って「寄良」とされているのである。

 岡田惣右衛門の諱は、「寄良」ではなく「奇良」です!!!

 流祖の正しい諱については、石川家文書をはじめとした古文書や、全国に3つある江戸から明治にかけて建立された流祖の頌徳碑といった一次史料によって、

 「寄良」は間違いで、正しくは「奇良」である


 ことが十分に確認され、森田栄先生や辻淳先生などの柳剛流に詳しい研究家の皆さんも、その旨を指摘・公表しているにも関わらず、世間的にはなかなか正されずに誤った文字による諱が流布しているのは、本当に無念である。



 そういえば、ウィキペディアにも、松平主税助(松平忠敏)の記載があるのだけれど、剣客としていささか否定的なニュアンスで書かれていることが気になる。

 松平主税助は、柳剛流祖・岡田惣右衛門の弟子であった直井勝五郎の門下として柳剛流を修め、安政3 (1856)年に講武所剣術教授方に、さらにその後、講武所師範役に昇進し、旗本としては最高位の諸太夫従五位下上総介に任じられている。

 このように、松平主税助は柳剛流の歴代剣士の中でも、名実ともに有数の剣客であるにも関わらず、ウィキペディアの記述では、

 「剣豪タイプの人というよりは官僚的な旗本」

 「後世には相当な腕の剣客としての虚名が広がるようになる」



 と、ずいぶん否定的なニュアンスで書かれているのである。

 それにしても、「虚名」というのは、まことに失礼極まりないと思うのは私だけだろうか?

 そうまで書くのなら、ぜひ、その「虚名」とやらの根拠を知りたいものだ。

 史料価値や信憑性の低いネット百科の記述とはいえ、こうした根拠のない誹謗中傷は、それこそ「司馬遼太郎の呪い」の二の舞になりかねない。

 とはいえ、ツイッターと同様、ウィキペディアについても、私は編集の仕方など全く分からないし、いまのところ編集の仕方を覚えるつもりもないので(私には、もっと他に覚えなければならないことや、やらなければならないことが山ほどある)、代わりにここに記しておく。

 縁があれば、ネットを巡り巡って、誰かが間違いを正してくれるかもしれないことを期待する次第である。


「平日に咄しするとも真剣と
            思うて言葉大事とそしれ」(柳剛流 武道歌)



 (了)
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