柳剛流剣術切紙之巻の伝授/(柳剛流)
- 2018/06/11(Mon) -
 昨日、国際水月塾武術協会本部にて、埼玉支部門人の吉松章氏と宇田川浩二氏へ、柳剛流剣術切紙之巻が伝授された。

 伝授式では仙台藩角田伝柳剛流兵法8代師範の小佐野淳先生より、古式に則って宇田川氏に巻物が伝授され(吉松氏は所用にて欠席)、不肖私も9代師範として伝書に花押署名・押印の上、式に立合わさせていただいた。

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 こうしてまた新たに、柳剛流を後世に伝えるための伝承がなされたと思うと、流儀を愛する者のひとりとしてまことに感慨深いものがある。

 流祖・岡田惣右衛門以下、角田伝の祖である二代・岡田(一條)左馬輔から歴代先師の方々も、きっと泉下で喜んでくれているのではないだろうか。

 吉松・宇田川両氏の、さらなる柳剛流の研鑽に期待すると共に、私もまた柳剛流師範の名に恥じぬよう己の業を磨き、さらにひとりでも多くの有為の人士に、今後も柳剛流を広く伝えていきたいと気持ちを新たにした次第である。

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 習へ遠く心や雲となりにけり
            晴てそたたぬ有明の月(柳剛流 武道歌)


 (了)
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下陰からの太刀筋と運刀-上川原神道香取流からの示唆/(柳剛流)
- 2018/06/02(Sat) -
 翠月庵の稽古場の最寄り駅は、JR高崎線の行田駅である。

 このため便宜上「行田稽古場」と呼称しているからか、稽古場が行田市にあると誤解されることが多い。

 実のところ行田市の中心は秩父鉄道の行田市駅周辺であり、JR行田駅は行田市の端っこに位置しており、うちの稽古場の所在地は行田市ではなくその隣の市なのだ。

 さらに蛇足ながら、私の住まいは稽古場から徒歩と電車で約1時間ほど離れたところにあり、週末ごとに稽古場まで、武具をかかえて通っている。

 もっとも7年前までは、練馬の自宅から行田稽古場まで2時間かけて通っていたので、随分と楽になったものだ。

 ・・・・・・とまあ、そんな話は世間の皆さまにはどうでもよいことであろうし、なにより県外の方はもとより埼玉県民でも、高崎線沿線に住んでいる人でないとピンとこない話題であろう。



 ところでJR行田駅の隣にあるのが、日本有数の酷暑地・熊谷市の玄関口であるJR熊谷駅だ。

 こちら熊谷市の上川原地区には、室町時代から続き、今もその地域の相続人(長男)にしか伝授されない秘剣である「神道香取流」が伝えられている。

 現在は「上川原神道香取流棒術」として市の指定文化財になっているが、実際には剣術であり、形は表12本・裏12本の合計24本。

 一般に公開されているのは表の形だけで、裏の形は修行者以外には非公開なのだという。

 いわゆる古武道に比べると、こうした村落共同体で伝承されている「芸能武術」は、武術・武道関係者からは、やや低く見られがちかもしれない。

 しかし、こうした芸能武術には、ときとして一般的な古武道以上に、昔ながらの身体や武具の使い方が色濃く伝承されていることがあるので、予断を持たずに拝見するよう心掛けている。



 過日、youtubeにて神道香取流の動画を見ていて、ふと柳剛流備之伝における下陰の構えからの動きに関連する強い示唆を感じた。

 そこで先日来、自宅での稽古ではその動きを確認することに専念していたのだが、たいへん大きな新しい気づきを得る事ができた。

 なお、こうした工夫はあくまでも私個人としての剣技・剣理の探求であり、それを伝来の形の動きや理合に混同させるようなことは、厳に慎まなければならないのは言うまでもない。

 しかし、自分なりの工夫伝として鍛錬し、技として磨くことは、ひとりの武術修行人として、たいへんに重要なことであるとも思う。

 今回、このように神道香取流の太刀筋から、柳剛流の下陰の構えからの太刀筋や運刀について新たな知見を得る事が出来たわけだが、一方で4尺4寸2分の柳剛流の長木刀でその動きを過度に繰り返すと、左手首に非常に大きな負担がかかるようである。

 おかげで昨日、左手首を痛めてしまった・・・・・・(爆)。






 上川原神道香取流は、毎年春と夏の2回、表の太刀のみが公開されるという。

 機会があればぜひ、現地でその妙術を拝見したいと思う。


■参考URL
上川原神道香取流棒術
http://www.city.kumagaya.lg.jp/kanko/rekisi/bunkazai/mukeiminzoku/boujutu.html

村落における武術伝承組織の検討:神道香取流を事例として
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpehss/62/2/62_16102/_article/-char/ja

 (了)
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柳剛流と柳生心眼流/(柳剛流)
- 2018/05/30(Wed) -
 松代での春の演武も終わり、今年上半期の主な武術関連の行事はひと通り終了した。

 下半期についても、演武に出場するのは秋に行われる松代の演武会のみであり、気分的には翠月庵/国際水月塾武術協会埼玉支部としての、今年の公式な対外活動は9割方済んだという感じである。

 というわけで、あとは日々、粛々と稽古をするのみだ。

 ・・・・・・と、そんな気持ちもあり、今晩の稽古では柳剛流ではなく、柳生心眼流の体術に集中した。



 私の体術修行は12歳から学んだ八光流が始まりだけれど、その後29歳から41歳まで12年間に渡って稽古に集中し、今も細々とだが稽古を継続している伝統派空手道が、身体の使い方の大きな素養のひとつとなっている。

 こうしたこともあり、素振二十八ヶ条による一人稽古が鍛錬の柱となる柳生心眼流は、たいへんにとっつきやすく、稽古のしやすさを感じている。

 もっとも当初は、空手道や他の柔術とはあまりに異なる柳生心眼流の身体の使い方に大いに戸惑ったのだけれど、ようやく最近になって、素振や相対稽古、打ち込み稽古などをしていても、違和感を感じなくなった。

 稽古が進み、師より実践応用技法(空手道でいうところの分解ですな)の口伝も少しづつ伝授していただけるようになり、この古流武術の独特な体術技法の数々に興味は増すばかりである。



 ところで仙台藩角田伝の柳剛流剣術には、相手を地面に倒してから斬る「相合剣」という業がある。

 この業で用いる体術的接触技法は、柳生心眼流の動きや技に一脈通じるものがあり、私は両者を稽古することでより深く「術」の理合を知ることができると感じている。

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▲体術的な接触技法で相手を地面に倒してから斬撃を加える、柳剛流剣術「相合剣」


 (了)
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松代藩文武学校武道会 第24回 春の武術演武会/(柳剛流)
- 2018/05/27(Sun) -
 本日、長野県長野市松代町にある松代藩文武学校にて、「松代藩文武学校武道会 第24回 春の武術演武会」が開催され、私も国際水月塾武術協会の一員として参加をさせていただいた。

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▲松代藩文武学校武道会の先生方と、象山神社に参拝後の記念撮影


 午前中は、象山神社に参拝し、武運長久を祈願。

 そして午後から演武となる。

 私は師に打太刀を執っていただき、仙台藩角田伝 柳剛流剣術の「右剣」「左剣」「青眼右足刀」「青眼左足刀」「相合剣」と、5本の形を披露させていただいた。

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▲柳剛流剣術「青眼右足刀」(打太刀:小佐野淳師、仕太刀:瀬沼健司)


 松代藩文武学校にて、柳剛流の演武をさせていただくのは今回で3回目だが、本物の藩校の武道場での演武は、何度行っても凛としたこの場所ならではの緊張感が心地よい。

 5月の薫風の中で、自分なりに存分に木太刀を振るうことができた。
 
 次回、この場所での演武は9月。

 さらに己の業を磨いて、再びの演武に臨みたいと思う。

 (了)
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「跳斬之術」を磨く/(柳剛流)
- 2018/05/25(Fri) -
 昨晩および今晩の稽古では、「左剣」と「青眼左足刀」における跳斬りについて、体捌きと運刀にわずかながら違和感を感じた。

 この2つの形=業に限らず、跳違いの体捌きと運刀に少しでもズレがあると、形而上的な意味で、柳剛流の「跳斬り」は成立しない。

 この点を修正するために、丁寧に形を繰り返す。


 
 不世出の女武芸者・園部秀雄をして「跳斬之妙術」と言わしめた柳剛流の跳斬りは、相手の脚を斬る「断脚之術」と並ぶ当流儀の真面目であり、初学の者が最初に学ぶ「術」でもある。

 この「跳斬之術」を生涯かけて磨き抜くことは、柳剛流を修行する者に課せられた使命といって過言ではない。

 地を蹴ることなく、太刀の道に従い、自然に跳び違いながら、自在に相手を斬る。

 そこに、

   「必勝を求めずして、自然に勝つべきに於いて勝つ」
   (岡田左馬輔筆「目録之巻」より)



 という、柳剛流の極意があるのだろう。

 修行の行き着く先は、未だ遥か彼方だ・・・・・・。
  
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▲柳剛流剣術「青眼右足刀」(仕太刀:宇田川浩二、打太刀:瀬沼健司)


 (了)
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