門は、叩けば必ず開かれる/(柳剛流)
- 2017/09/19(Tue) -
 新案件の作業のために、パソコンのディスプレイを新品に交換。

 画面サイズの大きさに、いささか戸惑う・・・・・・。

 それまでは、2003年に購入したソーテック(!)のディスプレイを、延々、14年間使い続けてきたのだが、新案件の作業に必須なウェブ上の共有サイトが、うちのディスプレイの画面のサイズでは小さくて、セルの右側が見られないのだ。

 この14年物のディプレイは、それ以外に不具合などはなく、まだまだぜんぜん現役で使えるものなので、交換するのは後ろ髪が引かれる思いなのであるが、仕事ができないのではどうしようもない。

 それにしても、まだ使えるものを破棄するというのは、昭和時代に生まれ育った者としては、たいへん心が痛む。

 おかげで拙宅では、ケーブル回線なこともあり、いまだにブラウン管テレビが現役で大活躍してたりするわけだが、それはモノを大切にする旧世紀の人間としては、なかなかにあらまほしきことではないかと思っている。



 家電製品の代替わりのサイクルだけではなく、とにかく何事もスピーディで、移り変わりの早い世の中に、個人的にはたいへん辟易している。

 私は商業出版業界では、手書き入稿での編集作業をしていた最後の世代であるけれど、DTPが存在しなかった牧歌的時代の雑誌や本作りというのは、今や遠い昔の記憶だ。

 写植屋さんに指定を入れた原稿をもっていって写植を作ってもらい、それをカッターナイフで切り張りして、ロットリングで線を引いた台紙にスプレー糊で張り付けて版下を作り、それを印刷屋さんにもっていき、印刷用フィルムを作ってもらうという時代。

 スマホもパソコンも、PDFもメールも、インターネットも何もない時代だが、雑誌や本はちゃんと発行されていたし、取材や原稿執筆もできていたし、世界中の人々はそれなりに日々を生きて幸せであった・・・・・・。



 武術・武道の世界を見ても、昭和時代の情報源と言えば、『月刊空手道』か『月刊 武道』くらいしかなく、ベースボールマガジン社の『空手と武術』はその後、『近代空手』と『中国武術』となったが、結局短命であったように思う。

 『秘伝』の創刊は平成元(1990)年で、月刊化されたのは平成9(1997)年。そのほかには、書店に並ぶ黄色い背表紙の愛降堂の武道本シリーズくらいであった。

 遠方の有名な先生に入門を乞うには、まずは手紙を出した上で(できればそれなりの立場の方の添え状も合わせて)、次いで電話でお話しをさせていただき、その後に面談、入門といった具合であった。

 ちなみに私は高校生の頃、天然理心流の加藤伊助先生に入門を乞うたことがあるが、「剣道参段をとってからでないと教えない」と断られてしまった。

 あるいは、天神真楊流の久保田敏弘先生には、当時の古武道協会の会長であった小笠原流の小笠原清信先生を通してご教授をお願いし、ゆるされたことも懐かしい思い出である。

 それが今や、入門願いはメールでいきなり来る時代だ。

 もっとも当庵の場合、私にコンタクトをとる方法はメールかHPの掲示板しかないので、それは特に問題ではない。

 しかしメールの文面を読むと、起筆や時候の挨拶が無いどころか、文体がため口であったり、発信者の名前すら書いていないものなどもあり、暗澹たる気分になることも少なくない。

 なにはともあれ、宛名と署名は書こうね、と思うのは私だけではあるまい。

 つうか友達じゃあないんだから、メールでもちゃんと普通の手紙文の体裁で文章を書けよと思うのは、私だけなのだろうか・・・?



 こうした時代の流れの中、古流武術の普及のためには、もっと敷居を低くするべきだといった意見もあるようだけれど、私は個人的にはあまりそのように思わない。

 なぜなら、どうしてもその武芸を学びたいという想いがあるのであれば、敷居が高かろうが低かろうが、その人は流儀の門を何としても叩くであろうし、入門後は一生懸命稽古に励むであろうし、武技はもちろん流儀に伝わる掟や礼法もしっかりと学ぶであろうし、流儀に関する事跡の調査や研究にも取り組むであろう。

 逆に言えば、そういった情熱を持った人が門を叩かなくなり、結果としてその流儀を継承する人がいなくなり、伝系が途絶えてしまうのは、たいへん残念だがやむを得ないことなのであろう。

 自分自身のこととして考えれば、柳剛流という素晴らしい武芸が、師や私たち門弟の世代で途絶えてしまうことはなんとしても避けたいし、そのためにあらゆる努力をしていく所存だ。

 しかし、そのために流儀の掟を破ったり、形をゆがめたり、伝統を軽んじたり、なにより品位を汚すようなことはしたくない。

 たとえば、武術の本質を忘れたパフォーマンスで門弟を集めようとすることを、流祖・岡田惣右衛門は望んでいるだろうか?

 流儀の技を切り売りすることを、仙台藩角田伝の祖・一條左馬輔は求めているだろうか?

 流儀の存続という目的のために、流祖以来、9代にわたって受け継がれてきた「術」や「形」が、見世物や大道芸のごとく変形してしまうのであれば、それは本末転倒であろう。

 あくまでも、流祖以来伝えられてきた伝統的な日本の武芸として、柳剛流が50年後も100年後も継承されているように、私たちは全力を尽くしていきたいと思う。

 このような志を同じくする、未来の柳剛流剣士の登場に期待したい。

 私達はあくまで、少数精鋭で行こう。

 そして流儀の門は、叩けば必ず開かれる。


   師と弟子の心に隔てあるならば
             幾く世経るとも道に入るまじ(柳剛流 武道歌)



1709_柳剛流長刀
▲松代藩文武学校での柳剛流長刀の演武(打太刀:小佐野淳師 仕太刀:瀬沼健司)


 (了)
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柳のごとく剛(つよ)くあれ/(柳剛流)
- 2017/09/09(Sat) -
 誰しも、この浮世に生きておれば、理不尽なことに遭遇することも少なくない。

 それでも人として、柳のごとく剛(つよ)くありたい。



 「柳剛流」に関して、

 「流名の由来は、岸辺の柳が強い風で川面を打っているのを見たことから名付けられたとされる」

 という話しは俗説であり、

 現存する各地の柳剛流に関する頌徳碑や奉納額、あるいは柳剛流各派の伝書にも、そのような「逸話」は記されていない。

 というのは以前、本ブログで指摘した通りである。

 とはいえ、「柳の枝に雪折れはなし」という、日本武芸に託されたしなやかな強さを、流祖が自らの流儀名に込めたことは間違いないであろう。

1601_田丸伝形演武


 「柳剛」

 という言葉に託された流祖や先人たちの想いを、柳剛流を学ぶ者として己が人生に活かすことも、21世紀の現在、流儀を受け継ぐ我々の、大いなる使命のひとつなのではなかろうか。

 (了)
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断脚之術小考/(柳剛流)
- 2017/08/29(Tue) -
 先日の翠月庵では、柳剛流剣術の基本である「右剣」と「左剣」について、丁寧に稽古をした。

 柳剛流といえば断脚之術、ありていに言えば脚斬りであり、そのエッセンスのすべてが凝縮されているのが、入門者が最初に学ぶ形である「右剣」と「左剣」であり、まさに基本にして極意の形=業である。



 多くの人が、脚斬りというと、たとえば上段や中段の構えから、あるいは帯刀の状態からおもむろに相手の脚を斬ると考えがちであるようだ。

 これは、スポーツチャンバラの試合のイメージの影響などもあるのかもしれない。

 たしかに、反射神経と動体視力にものを言わせて、ちょっとしたフェイントのみでいきなり相手の脚を斬るというのも、禁忌というわけではないが、流祖・岡田惣右衛門が編み出した柳剛流の業は、そのような浅いものではない。

 柔で言うところの崩しの理と同様に、技を施すにあたっての「作り」と「掛け」があり、それがあるからこそ脚斬りが完全に決まるという構造になっている。

 この理を学び、技を体に徹底的にしみこませ、「術」のレベルにまで押し上げるのが、「右剣」と「左剣」の鍛錬である。

 ゆえに柳剛流では、切紙の段階での剣術形は、この2本しかない。

 往時、初学者が学ぶ剣術の形は、このたった2本だけ。加えて居合で下半身の強さと運刀を学び、即効的な護身業として突杖を学ばせ、あとは徹底的に撓を使った撃剣稽古を行ったという。

 「右剣」と「左剣」は、基本でありまた極意である業だけに、非常に繊細な体の使い方を要求されるのだが、一方で、ある程度理合が分かれば、撃剣での激しい打ち合いにもすぐに応用できる、即応性の高い技でもある。

 この点が、理合有優先の形而上的な形との大きな違いと言えるだろう。



 登米伝柳剛流の大師範に、半田卵啼がいる。

 この人の師匠は幕府御家人で、流祖の直弟子であった吉田勝之丞という人であり、江戸・神田と登米を行き来しながら柳剛流を指導していた。

 ある日、江戸から登米を尋ねてきた弟弟子の吉田道四郎という若者と勝之丞が、撃剣で立ち合ったのだが、その激しさは目にもとまらぬ早さであり、稽古後、勝之丞は、「これくらいの立合いは、田舎ではめったに見られぬものだ」と語ったという。

 ちなみにこの吉田勝之丞は、当時、仙台本藩を代表する試合剣術の名手であった桜田敬輔と立合い、まったく寄せ付けなかったという。

 吉田勝之丞と道四郎との、目にも止まらぬ早さの立合いとは、どのようなものであったか?

 詳しい記録は残されていないが、「おそらくこのような業を使ったのではないか?」という見立てが、私にはある。

 そのヒントは、やはり「右剣」と「左剣」にあるのだ。

 この見立てが実際にどのようなものなのかは、実伝のためここでは書かないけれど、先日の翠月庵の稽古では、古流諸派の脚斬りの業との比較も交えて、その辺りの撃剣・試合剣術への応用法についても丁寧に説明・指導した。

 ひとつだけ明言できるのは、柳剛流においては、いきなり何の「作り」も「掛け」もなく、相手の脚に斬りつけるような業は、1つとして無いということである。



 流祖が編み出した「断脚之術」の形と理合を、一分も変えることなく大切に守り、次代に伝えなければならないことは言うまでもない。

 一方で、その形と理合を活きた業、つまり「術」として我がものとしていくことも、我々修行人の重要な使命であろう。

 なぜなら往時、江戸や武州、みちのくにおいて、柳剛流は実戦的な総合武術であると同時に、比類なき「試合剣術」としても名を馳せ、流祖自身、自ら面をつけ撓をとり、撃剣に励みながら、流儀を広めていったのだから。

 こうした点での稽古・鍛錬も、現在の柳剛流修行者が、改めて取り組むべき課題のひとつだといえるだろう。

170829_流祖面その2
▲柳剛流祖・岡田惣右衛門が、撃剣の稽古に用いたと伝えられる面(石川家蔵)


 ■参考文献
 『日本剣道史 第十号 柳剛流研究(その1)』(森田栄)

 (了)
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流祖が示す無限の円環/(柳剛流)
- 2017/08/24(Thu) -
 本日も深夜まで仕事であったため、稽古は柳剛流備之伝・備十五ヶ条フセギ秘伝を中心とする。

 等身大の鏡に写った我を相手に、気押しを込めながら備え、また防ぎ、無言の攻防を繰り返す。

 ある構えに対して不敗の構えをとり、その構えに対してさらに不敗の構えをとる。

 それはまるで、大陸に伝わる「矛盾」の故事のようで、どこまでも円環する無限世界を表しているようで興味深い。

 鏡に向かって気を込めながら、構えを次々にとるだけの静かな稽古であるが、緊張感のたいへんに高い集中力のいる稽古でもある。



 柳剛流備之伝・備十五ヶ条フセギ秘伝で示される多種多様な構えの中でも、最も重要な構えのひとつが中段=青眼の構えである。

 中段の構えの重要さなどというと、剣術や剣道に熟練した人からは「何を今さら」と苦笑されるであろう。

 しかし柳剛流備之伝・備十五ヶ条フセギ秘伝の稽古をしていると、剣術・剣道では当たり前とされている中段の構えの「強さ」や「厳しさ」を、改めてリアルに感じることができる。

 ことに真剣で稽古を行うと、よりその「強さ」と「厳しさ」が体感できるものだ。



 神道無念流の中山博道師は、

 「中段の構えの強いところは、如何なる術にも対応ができる点、また攻撃に最良な点である一方、我が入り易い分、敵も入り易い、結局難しい構えということになる」(『中山博道剣道口述集』より)



 と指摘している。

 これは柳剛流備之伝・備十五ヶ条フセギ秘伝の稽古においても全く同様であり、中段=青眼の構えは、非常に有用で即応性の高い構え=術であるが、彼我ともにその術を遣えば、互いの関係性、つまり勝敗は難しいものとなるのは言うまでもない。

 そこで、柳剛流の備十五ヶ条フセギ秘伝には、中段=青眼の構えに対する不敗必勝の構え=術が置かれているわけだ。

 ところがさらに、その中段に必勝の構えに対して、さらに不敗の構えがあり、さらにさらにその不敗の構えに対する必勝の構えが存在する・・・・・・。

 こうした彼我の剣による、不敗必勝の無限の円環を学び、感じることで、私は200有余年の時空を超えて、柳剛流祖・岡田惣右衛門の見い出した「剣の境地」に触れられるような気がしてならない。

 これぞまさに、古流武術を修行する者だけが知る醍醐味なのではなかろうか。

170823_柳剛流


 「兵法は立たざる先の勝にして
              身は浮しまの松の色かな」(柳剛流 武道歌)



 (了)
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有楽町で柳剛流/(柳剛流)
- 2017/08/18(Fri) -
 本日は夕方から有楽町で、医療雑誌取材の打ち合わせ。

 灼熱の埼玉からくると、東京は涼しくてよい。

 帰路、京浜東北線のホームからふとビックカメラの建物を見ると、auのキャラクターである三太郎のでかい看板が目に入る。

 浦島太郎は晴眼、桃太郎は八相、金太郎は下段をはずした無構えか。

 ふむ、では柳剛流備十五ヶ条フセギ秘伝にて、それぞれの相手の構えに対すれば・・・・・・。

 と、思わずホームで脳内稽古に励んでいた。

 170818_170810.jpg


 「月は我れ我は月かと思うまで
               隅なき月にすがる我かな」 (柳剛流 武道歌)


   (了)
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