読書撃剣/(手裏剣術)
- 2017/09/07(Thu) -
 多忙である。

 月曜は17時間労働、火曜は16時間労働、今日水曜は13時間労働である。

 それでも日当で割ると、2万にすらならぬ。

 働き方改革万歳!

 立て、プレカリアートの同志たち!

 そして有象無象の資本家たちに死を!!

 ・・・とまでは思ってはいない(爆)。

 命はみんな、大切だ。



 ま、なにはともあれ、稽古はしなければならぬ。

 しかし、さすがにこれだけの長時間労働の毎日となると、仕事を終えてから稽古着に着替え、木太刀をとって柳剛流の稽古をする気力が出ない。

 仕事が終われば、もう深夜なのだ。

 そこで、手裏剣術の稽古である。

 拙宅では座打で2間しかとれないのだが、一打必倒の気勢で翠月剣を打つ。

 往時、手裏剣術の稽古は、別名「読書撃剣」とも呼ばれたとか。

 書見の合間に、剣を打って稽古をしたことから、このように言われたという。

 多忙ゆえの心身の疲労と、理不尽な生業への怒りを込めて、板金を打つ心にて、我が翠月剣を打つ。

 それにしても久々の打剣とはいえ、たかが二間座打で、かろうじて七寸的の集剣では、我ながらお寒い次第。

 草場の陰で、Hも苦笑いしておろう。

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 柳剛流の稽古が中心となる今日この頃であるが、翠月庵のもう1つの看板は手裏剣術ゆえ、再び気を入れて稽古をしなければならぬと実感した次第。

 生死一重の至近の間合からの、渾身の一打への道は遠い。

 (了)
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手裏剣は「投げる」ものではない、「打つ」ものである/(手裏剣術)
- 2017/03/31(Fri) -
 言葉は、彼我の世界を規定する。

 「はじめに言葉ありき」とは『ヨハネによる福音書』の一節だが、我々人間は言葉があるからこそ、抽象的な概念や行為を実存として把握し認識することができる。



 武芸における手裏剣術では、古来から手裏剣は「投げる」ものではなく「打つ」ものとされてきた。

 いくつか古典の記述を拾ってみよう。

 「小笠原忠政、敵に胸板と肌との間を鑓にて突き返されたるが、忠政脇差を抜きて手裏剣に打ちたるに、敵ひるんで鑓を抜きたるによりて命助かりたり」(『大阪軍記』)

 「武村武蔵子は与左衛門と云いけり。父に不劣剣術の名人手裏剣の上手なり。川に桃を受けて打つに桃の核を貫きたり」(『幸庵対話』)

 「黒河内兼規、その手裏剣におけるも、小的を柱にかけ、一丈八尺を隔ててこれに打ち、一も過らず」(『会津藩教育考』)



 このように、手裏剣術に関する古典的な史料では、一部に「投げる」という記述も見られるが、ほとんどの場合「打つ」と表現されている。

 その理由はつまびらかではないが、たとえば杭は「打つ」という。あるいは釘も「打つ」と表現する。

 慣習として、先端のとがった棒状のものを何かに突きさす行為は「打つ」と表現することから、棒状あるいは短刀状の手裏剣についても、これを「打つ」と表現したのではなかろうか?



 もう1つ、これは手裏剣術ではないが、剣術の斬撃について、二天一流の宮本武蔵(手裏剣術についても名手であり、始祖のひとりでもある)は、その著書『五輪書』水の巻において、「打とあたると云事」という一文を記している。

一 打とあたると云事。
うつと云事、あたると云事、二つ也。
うつと云こゝろハ、何れのうちにても、
おもひうけて、たしかに打也。
あたるハ、行あたるほどの心にて、
何と強くあたり、忽敵の死ぬるほどにても、
これハ、あたる也。
打と云ハ、心得て打所也。吟味すべし。
敵の手にても、足にても、
あたると云ハ、先、あたる也。
あたりて後を、強くうたんため也。
あたるハ、さはるほどの心、
能ならひ得てハ、各別の事也。
工夫すべし。

(訳)
一 打つと当るという事
 打つということ、当るということ、(これは)二つ(別々のこと)である。
 打つという意味は、どんな打ちでも、しっかりと心得て、確実に打つということである。当るというのは、(たまたま)行き当るという程のことであり、どれほど強く当って、敵が即死してしまう程であっても、これは当るということである。打つというのは、心得て打つ場合である。(ここを)吟味すべし。
 敵の手でも足でも、当るというのは、まず、当るのである。(それは)当った後を強く打つためのものである。(だから)当るというのは、触る〔様子をみる〕という程のことであり、よく習得すれば、まったく別のことだ(とわかる)。工夫すべし。

 ~出典:「武蔵の五輪書を読む 五輪書研究会版テクスト全文 現代語訳と注解・評釈」(播磨武蔵研究会「宮本武蔵」ホームページhttp://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/g00.htmlより)~


 『五輪書』では、斬撃において「打つ」と「当たる」の違いを、主体である剣術者の意念の違いで分別している。

 手裏剣術においても、「打つ」(Strike)と「投げる」(Throw)とでは、術者の意識としてたいへん大きな違いがあり、それは区別すべき精神状態=心法である。

 あくまでも武技として手裏剣術を稽古するのであれば、一打をもって敵の死命を制するだけの気勢を込めた、「打ち」でなければならない。

 「投げる」という言葉・表現・行為には、こうした武芸としての、生死一如の厳しさが無いのである。



 遊戯やスポーツとしての的当てであれば、手裏剣は「投げる」ものであって構わない。しかし、それを武芸と位置付けるのであれば、手裏剣は必ず「打つ」ものでなければならない。

 特に手裏剣術の初学者は、この点を十分に踏まえて稽古に臨む必要がある。

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 ■引用・参考文献
 『五輪書』(宮本武蔵著・渡辺一郎校注/岩波文庫)
 『宮本武蔵の戦闘マニュアル 精解 五輪書』(兵頭二十八著/新紀元社)
 『手裏剣術』(染谷親俊著/愛隆堂)

 (了)
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翠月剣・長剣の新作と、不二心流の手裏剣/(手裏剣術)
- 2017/03/12(Sun) -
 当庵で柳剛流と手裏剣術を稽古している宇田川氏が、稽古用に長剣と翠月剣を制作したということで、先日の稽古で試打させてもらった。

 どちらの剣も、これまで私たちが使っていた長剣や翠月剣とまったく同じ打ち心地であり、素晴らしい仕上がりである。

 ここ2年ほど、新規の手裏剣制作ができない状況が続き、新たに入門した人には翠月庵の手持ちの手裏剣を使ってもらっていたのだが、今後は同氏に制作を依頼できるようになり、ほっとしている。

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▲宇田川氏制作による25年式翠月剣


170311_新旧の翠月剣
▲新作の翠月剣(上)と、私が現在使っている翠月剣(下)


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▲私が使っている翠月剣(上)と、宇田川氏制作による長剣(下)。翠月庵では、まず長剣で直打の基本を体得し、その後、翠月剣での稽古を行う


 宇田川氏は当庵で柳剛流と手裏剣術を学ぶ一方、自身で幽玄会という団体を主催し、千葉県八千代市の教場で夢想神伝流と不二心流、合気剣杖を指導されている(http://www.geocities.jp/spirit_vision_lesson/index.html)。

 このため昨日の稽古では、不二心流の手裏剣を持ってきてくれたので試打させていただいた。

 不二心流の手裏剣は、香取神道流の手裏剣の形状をそのままにサイズアップしたような形である。

 秤が無かったので正確な重さは分からないが、おそらく70~80グラムほどはあるだろうか。これくらいの重さがあると、手裏剣もたいへん打ちやすい。

 しかし、この手裏剣は独特の形状から後ろ重心になっており、翠月庵の手裏剣術の基本となっている、無滑走2点打法で打つことはできないので、滑走打法で打つ。

 このため1間半~2間程度では問題ないが、3間以上で的中させるには少々の稽古と慣れが必要だ。

 もっとも総合武術である不二心流においては、小太刀を使った刀法併用手裏剣術として、この手裏剣を用いるとのことで、おそらく間合も3間以上は想定していないであろうから、このような中距離以上では打ちにくい後ろ重心の形状でも、あまり問題にはならないであろう。

170311_不二心流手裏剣
▲不二心流の手裏剣


 (了)
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翠月庵の手裏剣術/(手裏剣術)
- 2017/03/04(Sat) -
 翠月庵で柳剛流を稽古しているU氏が、先週から手裏剣術の稽古を始めた。

 一般的に手裏剣術の稽古は、古流でも現代流派でも、的から1間程度のごく近い間合から稽古を始める。そして徐々に間合を遠くしていくのだが、多くの場合、2間から2間半ぐらいのところで直打では刺さらなくなり、稽古の壁にぶつかる。

 このため「間合3間」というのは、ある意味で手裏剣術者のメルクマールであり、10歩の間合からの「板金を打つ心」(フルパワー)の打剣で、八寸的に六割以上の的中が錬士相当・目録(成瀬関次師著『臨戦刀術』より)という実力の目安であると言われる。



 そこで当庵では、初学者にいきなり3間直打から稽古を始めてもらう。

 しかも、長剣と重心理論に基づいた無滑走2点打法で打ってもらうために、女性も含めてほとんどの人が、稽古初日から何本かは3間直打で手裏剣を的に刺すことができるようになる。

 もちろん、間合い3間で「板金を打つ心」、つまり武術的に意味のある速度と威力がのった打剣ができるようになるには、数年の稽古が必要だ。

 それにしても、生まれて初めて手裏剣を打つ人に、稽古初日から直打で3間を通させる稽古場というのは、本邦でもなかなか無いのではなかろうか?

 とはいえ実は、「術」の稽古の本質という点では、最初から3間を通させるというのは、それほど大きな意味はない。

 しかし、重心理論に基づいた直打というものを確実に体感してもらうためと、3間という間合に気後れしないメンタルを養成するために、当庵ではできるだけ早い段階で、3間直打を実現してもらいたいと考えているのである。



 U氏の場合、稽古初日から3間直打はもちろん、実践的な間合である2間での「板金を打つ心」に近い打剣でも、3割前後の的中がみられ、さらに当庵では中級者向けの翠月剣でも、刺中が見られたのは少々驚きであった。

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▲U氏による、逆体の構えから踏み込んで2間順体打ち、「板金を打つ心」での打剣


 もっともこれは、同氏が居合・剣術家として20年以上もの稽古を積み重ねてきていることから、体幹や運足、腕の振りなどが出来上がっているからこそであって、さすがにまったくの武術未経験者が、誰でも初日からここまで打てるわけではない。

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▲U氏の場合、長年の居合・剣術の修行で「体」と「力の統一の感覚」ができているので打剣の上達も早い



 さて、来月は恒例の苗木城での演武があるので、私もそろそろ気を入れて手裏剣を打たねばと思う、今日この頃である。


 (了)
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旧友を悼む/(手裏剣術)
- 2017/02/23(Thu) -
 無冥流の鈴木崩残氏が、ご逝去されたとのことです。

 崩残氏には、翠月庵の立ち上げ以前、私が武学倶楽部として活動していた当時から、ひとかたならぬお世話になりました。

 一昨年、故あって私は氏と袂を分かちましたが、無冥流投剣術・鈴木崩残という手裏剣術者が希代の天才であり不世出の名人であったことは、10年来の旧友として、ここに改めて明言するところです。

 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 武術伝習所 翠月庵
 瀬沼健司
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