平成29年度 苗木城武術演武会/(武術・武道)
- 2017/04/10(Mon) -
土曜

 朝からあいにくの雨。

 刀の柄が濡れないように養生し、荷物を担いで朝7時に家を出る。

 「青春18きっぷ」を使い、新宿から塩尻を経由して中津川へ。所要約8時間の各駅停車の旅なり。

 中津川駅で翠月庵のY氏・U氏と合流し、戸山流居合抜刀術美濃羽会中津川稽古会のO先生のご自宅へ向かう。

 本日は午後から、中津川稽古会の皆さんを対象とした恒例の手裏剣術講習会なのだが、こちらも天気は雨。しかもかなりの降りだ。

 講習はO先生のご自宅の庭が会場なので、せっかく皆さんに集まってもらったのに、残念ながら中止かなと思ったのだが、少しずつ雨が小降りになり、また皆さんがブルーシートなどで即席の天幕を張ってくれたこともあって、間合はたった1間半程度しかとれないのだが、せっかくなので講習を実施。

 長剣を使った基本の打剣の後、今回は刀法併用手裏剣術についても手ほどきを行う。

 一刻ほどの稽古の後は、O先生をはじめ中津川稽古会の皆さんと、我々翠月庵一同とで夕食。

 食事とともに、いつも通り武術談義に花が咲く。

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▲長剣を使った基本の打剣。指導は翠月庵筆頭の吉松章氏



 歓談中に電話があり、今日の昼に父が他界したとのこと。

 とはいえ、私が12歳のときに離別して以来、親として担うべき責任を放棄して勝手気ままに生きてきた人なので、人並な悲しみはあまりない。

 ただ、最後は親族のだれにも看取られることなく、施設でひとり死を迎えたという父が、今際の際に己の人生をどう総括したのか、いずれ私が三途の川を渡った後、機会があれば尋ねてみたいと思う。

 野辺の送りその他、もろもろのよしなし事は親族に任せ、私は明日の演武に専念する、ただそれだけだ。


日曜

 残念ながら今日も雨。

 演武の会場は屋根付きの野外ステージなので雨でも中止になることはないのだが、見学者は少なくなってしまうだろう。

 O先生宅で朝食をいただき、最寄りの体育館で1時間ほど稽古。演武内容を確認する。

 その後会場に移動し、10時から苗木城桜まつり武術演武会の開始である。

 今年は、中津川稽古会の皆さんの演武からスタート。

 基本の組太刀から精緻な試斬、小太刀や鑓の演武など、普段のたゆまぬ稽古の成果を感じさせる、見事で安定した演武であった。

 そしていよいよ、我が翠月庵の演武である。

 まずはY氏、そして私による手裏剣の3間直打。

 そして刀法併用手裏剣術。Y氏は「右敵」の形の変化、私は「前後敵」の形を行う。

 続いて、柳剛流の演武。

 まずは仕太刀・U氏、打太刀・私による柳剛流剣術。「右剣」、「左剣」、「無心剣」、「中合剣」、「相合剣」を行う。

 次に、仕杖・Y氏、打太刀・私による柳剛流突杖。「ハジキ」、「ハズシ」、「右留」、「左留」、「抜留」を披露。

 最後はU氏による柳剛流居合。「向一文字」、「右行」、「左行」、「後詰」、「切上」の5本を抜く。

 こうして、我々の演武は終了した。

 今回、翠月庵/国際水月塾武術協会埼玉支部としては、初めての柳剛流の演武であったが、各人が十分な手ごたえと課題を感じることのできた、貴重な体験となった。

 私は手裏剣術以外、今回は柳剛流の指導と打太刀に徹したのだが、Y氏、U氏ともに、気迫のこもった柳剛流の業前を披露してくれたことを、たいへんうれしく思う。

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▲演武終了後、戸山流居合抜刀術中津川稽古会の皆さんと翠月庵一同で記念撮影



 演武終了後は、昼前に解散。

 Y氏とU氏は車で帰京。私はふたたび列車に乗り込み、8時間各駅停車の旅である。

 塩尻で乗り継ぎの合間、キヨスクで買った安ワインで、鬼籍に入った父に献杯した。

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 (了)
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一体一気溜りなければ/(武術・武道)
- 2017/04/08(Sat) -
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 目釘を改める。


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 手裏剣の切先を立てる。


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 そして、柳剛流の木太刀に油をひく。



 いよいよ明日は美濃にて、真剣勝負の演武である。

 心静かに、彼の地へ向かうとしよう。


  敵と我二人と見るは愚かなれ
               一体一気溜りなければ(柳剛流道歌)


 (了)
 
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独座観念/(武術・武道)
- 2017/03/25(Sat) -
 桜田門外ノ変で討たれた井伊直弼は、居合に達した武人であり、侘び茶を深く極めた茶湯者でもあった。

 その著書『茶湯一会集』に、独座観念という教えがある。


 主客とも余情残心を催し、退出の挨拶終れば、客も露地を出るに、高声に咄さず、静かにあと見かへり出で行けば、亭主はなおさらのこと、客の見へざるまでも見送るなり、扨、中潜り、猿戸、その外戸障子など、早々〆立てなどいたすは、不興千万、一日の饗応も無になる事なれば、決して客の帰路見えずとも、取りかた付け急ぐべからず、いかにも心静かに茶席に立ちもどり、この時にじり上りより這入、炉前に独座して、今暫く御咄も有るべきに、もはや何方まで参らるべき哉、今日、一期一会済て、ふたたびかへらざる事を観念し、或は独服をもいたす事、この一会極意の習いなり、この時寂莫として、打語らうものとては、釜一口のみにして、外に物なし、誠に自得せざればいたりがたき境界なり


 これは武芸の稽古にも通ずる、深い心得ではなかろうか?

 稽古の後、木太刀や刀、手裏剣などに拭いをかけ、油を引き、磨きながら、今日の稽古のあれこれを想う。

 これもまた、武芸者のたしなみであり、楽しみでもある。

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▲稽古後、4尺2寸9分に及ぶ柳剛流の長大な木太刀に
油を引きつつ、本日の稽古に想いを致す


 (了)
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3月の水月塾本部稽古~柳剛流、伝書講義、甲陽水月流短棒術/(武術・武道)
- 2017/03/13(Mon) -
 昨日は水月塾本部での稽古。

 午前中は柳剛流。

 小佐野先生に打太刀を執っていただき、剣術、突杖、居合をご指導いただく。

 居合は通常、本部稽古の際は師の2尺7寸の居合刀をお借りして稽古しているのだが、今回はさらに長尺である2尺8寸の居合刀をお借りして稽古する。

 最初はその長さにやや戸惑ったが、本来、柳剛流居合は長尺刀で稽古すべきものだけに、慣れてくるとこの長さが形の動きになじんでくる。

 また、この居合刀は柄の長さも1尺2寸ほどあり、その長さ故、刀身とのバランスが絶妙で、実に遣い心地が良い。試みに、神道無念流立居合の形もいくつか抜いてみたが、これまた実にしっくりとくる。

 鍛錬用の居合刀として、いずれはぜひ、このサイズの差料を所有したいものだ。

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 昼食の後は伝書講義。

 今回は、古文書をテキストに、花押に関する有職故実をご教授いただいた。

 花押を構成する各線やハネの意味はもちろん、陰陽五行や易との関連についても、大変興味深い示唆をいただいた。

170312_花押古文書



 午後の稽古は、水月塾制定の日本柔術・甲陽水月流の短棒術を、初伝から中伝まで20本、ご教授いただく。

 私は水月塾で学ぶまで、短棒術については系統だって稽古したことがなかったのだが、これがまた実に・・・・・・痛い(苦笑)。

 短棒術で極められると、その痛みは柔術の逆とも、あるいは打撃の痛みとも異なる、「骨に染み入る」ような痛みなのである。

 また柔術の逆では、経験上、どれくらい相手に効いているのかがある程度は分かるのだが、短棒術で捕りをやっていると、自分では大して効いていない感じでも、実は非常に激しく効いていることが多いようだ。

 加えて、素手の逆とはまったく違った、「何がなんだかよく分からない形で極められてしまう・・・・」という、短棒を使った技ならではの捕り口の数々は、たいへん興味深いものである。

 護身術という観点でも、たとえば小太刀の動きに基づいた警棒等の使用では、どうしても斬りの動き、つまり打撃になってしまい、対象に必要以上の障害を与えてしまう可能性を排除しきれない。

 一方で短棒術であれば、「骨がきしむほど痛い」にも関わらず、必要以上に相手を傷つけることがないというのも、たいへん優れている点であろう。

 短棒術、これはなかなか楽しいぞ! ・・・・・・痛いケド(笑)。

 (了)
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スタンレー・プラニン氏の訃報に想う/(武術・武道)
- 2017/03/11(Sat) -
 『合気ニュース』の編集長であった、スタンレー・プラニン氏が、亡くなったとのこと。

 まずは同氏のご冥福をお祈り致します。


 私は同氏とは面識はなかったけれど、自分の武術歴の始まりが八光流柔術だったこともあり、いち読者として同氏が編集長を務めていた当時の『合気ニュース』は、愛読していた。

 しかし残念ながら、2009年頃からだろうか、同誌が自己啓発セミナーを精力的に主催している空手家のU氏が中心となるような形で、『合気ニュース』から『道』というタイトルの雑誌になって以来、あまりに偏向した内容から、まったく読まなくなってしまった。

 プラニン氏が編集長時代の『合気ニュース』は、合気会も養神館も、富木流も大東流も、ある種公平に扱う、バランスの良い編集方針の武術雑誌であったものが、U氏の広報誌になってしまった『道』誌は、教条的な道徳雑誌になってしまったことは、ある意味で日本の武術・武道史にとっても、たいへん大きな損失だったと言えるだろう。


 個人的な話をすると、私が手裏剣術の稽古場を開設した当時、U氏のセミナーに心酔している人が手裏剣の稽古に来ていたのだが、彼から聞く話があまりにバカバカしいものだったことから、(たとえばU氏は、電話で生徒に「気」なるものを入れ、それによって普通はできない業や体の動きができるようになる云々など)、たいへん残念な気持ちになったものである。

 「晩節を汚す」という言葉があるけれど、まことに残念なことだ、いろんな意味で。

 (了)
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