平成30年度苗木城武術演武会/(武術・武道)
- 2018/04/17(Tue) -
 先週末に行われた「平成30年度苗木城武術演武会」は、つつがなく終了した。

 今回、演武した内容は以下の通り。

1.手裏剣術/3間打ち
2.同/4間打ち
3.同/運用形
4.同/刀法併用手裏剣術
5.八戸藩伝神道無念流立居合十二剣


 当初、手裏剣術は3間打ちと刀法併用手裏剣術のみを披露する予定であったが、演武時間が予想以上にとれることになったため、急遽、4間打ちと運用形(突進)を披露。

 最初の3間打ちから刀法併用まで、個人的には「まあまあ」の出来であった。

 つまり、まだまだ百発百中には及ばないということである。さらに精進せねば。

 手裏剣術の後は、八戸藩伝神道無念流立居合十二剣を披露。

 こちらは最初の刀礼から12本の形、そして終わりの刀礼までを全て行った。

 神道無念流立居合を演武で披露するのは初めてだったこともあり、やや硬いところがあったかもしれない。これもまた、今後に向けて精進していかなければならぬ。

 自分の演武後は、戸山流居合抜刀術美濃羽会中津川稽古会の皆さんの演武。

 基礎居合から斬り、小太刀、鎗などの妙技をじっくりと拝見させていただいた。



 こうして、今年の苗木城での演武も無事終了。

 来年に向けて、再び稽古を積み重ねていこう。

 (了)
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西へ/(武術・武道)
- 2018/04/14(Sat) -
 本日は毎年恒例となっている、岐阜県中津川市にある苗木城での演武だ。

 今回は諸般の事情で、翠月庵/国際水月塾武術協会埼玉支部としては、私ひとりでの参加である。

 演武は年間で4回ほどあるが、手裏剣術を披露するのは、この苗木での演武のみだ。

 考えてみると、演武で初めて手裏剣を披露したのは今から11年前、2007年の香取神宮における奉納演武であった。

 この時はまだ、手裏剣屋としてはひよっこだったので(笑)、間合2間からの逆体の打剣と刀法併用手裏剣術を披露した。

 今思えば、間合い2間からの打剣など、手裏剣術者としてひと様の前で披露するようなレベルのものではないのだが、それでも50人以上の他流武術家の前で行う手裏剣の演武の緊張感は、なまなかなものではなかった。

 以来、10年が過ぎ、手裏剣術の演武は何度も行ってきたけれど、何回やっても緊張することに変りはない。

 これまで苗木での演武では、4間打ちや脇差を打つ飛刀術なども披露してきたけれど、今日は原点に還って基本のシンプルな3間打ちを行うつもりだ。



 手裏剣の演武に加え、昨年は柳剛流の剣術や突杖、居合を演武したのだが、今年は私ひとりでの参加ということから、八戸藩伝神道無念流立居合十二剣を披露する。

 神道無念流の立居合は、柳剛流に次いで師に伝授していただいたものだ。

 柳剛流には居合があるけれど、立合での抜刀術がないので、両者の併修はバランスもよいだろうとのことで、以来、柳剛流の稽古と合わせて取り組んできた。

 逆袈裟の抜打ちと袈裟斬りの二の太刀を中心に構成される、八戸藩伝の神道無念流立居合は、他系統の神道無念流の立居合とは、かなり趣きが異なるという。

(実は私は、他系統の神道無念流の立居合を拝見したことが無いので、どう違うのかあまり実感していないのであるが・・・)

 いずれにしても師伝に恥じない演武を披露すべく、ここ数週間は門人に柳剛流を指導する以外、自分の稽古では手裏剣と神道無念流の稽古に専念してきた。

 すでに手裏剣の切先は研ぎあげ、刀の目釘も打ち換えた。



 では、西へ向かうとしよう。


 切り結ぶ太刀の下こそ地獄なり
             踏み込んでみよ極楽もある(柳剛流 武道歌)



140106_円明流手裏剣1


 (了)
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古の有様に心安くてこそあらまほしく侍れ/(武術・武道)
- 2018/04/08(Sun) -
 ネットで武術関係の書き込みや記事などを読んでいると、本当にいろんな人がいるなあと、しみじみ思う。

 私など、せっかく江戸時代から続く武芸を稽古しているのだから、できるだけ流派の史実についても知りたいと思うのだが、「自流の歴史には、まったく興味がない」と断言する人がいる。

 また、古流武術というのは近代よりも前の社会の有職故実、動作や慣習などと密接な関係にあり、業はもとより流儀固有の礼法や作法も貴重な無形文化・身体文化だと思うのだが、「流儀の礼法や作法には関心がない」と明言する人もいる。

 あるいは、流儀の「業」には関心があり稽古はするが、伝承や普及、後進の育成はどうでもよいという者もいる。己の上達にしか関心が無いというタイプだ。

 当然ながら、稽古をする動機は人それぞれなので、流儀の事績に関心がないのも、礼法・作法に興味がないのも、伝承や普及はどうでもよいと考えるのも、ひとりひとりの自由だ。

 しかし、古流武術を指導する立場から言えば、もし自分の弟子にこうした考えを持つ者がいたとすれば、その者の師としてまことに残念であるし、流儀を愛する者としてたいへんに悲しく思う。



 たとえば柳剛流にも、固有の礼法がある。

 それに対して、関心が無いと心の中で思うのは自由だが、(他者の内心は規制できないし、内心の自由は誰にも侵されるべきものではない)、指導者は稽古においてそれを弟子に尊重させなければならないし、流儀の礼法を正しく行ずることのできない者には、どんなに「業」が上手かろうと、稽古年数が長かろうと、切紙や目録、免許といった伝位を与えないのは当然のことだ。

 そして古流の武術では、伝位ごとに学ぶことの許される「業=形」が決められているのが一般的であり、伝位が与えられないということは、実際の稽古において初心者向け以上の上級の形や業、口伝が伝授されないということである。

 つまり、流儀の礼法や作法を重んじない者は、少なくとも柳剛流の先人が云うところの“吾が党”においては、永遠に初歩の稽古しかできないということだ。



 根源に「制敵」という大目的がある武芸の修行が、「業」や「術」の鍛錬に偏るのはある意味で仕方がないことである。自分自身を振り返っても、若い頃から流儀の作法や礼法、有職故実や事績を、今ほど重んじてきたわけではない。

 また、どんなに作法や礼法が(一見)見事であり、事績に関する蘊蓄が豊富であっても、肝心の「業」や「術」のレベルが低く、武人としての「肚」が錬られていない者は、他流に侮られるどころか、素人の粗野な暴力にすら圧倒されてしまうだろう。

 それでは到底、武人とは言えまい。

 武術における礼法や作法、知識というのは、あくまでも根底に武力による「威」があってのものだ。

 だからこそ古流武術の指導者は、門人に対して、武術として通用する「業」と「肚」を練り上げさせると同時に、流儀における礼法や作法の意義、事績を学ぶことの大切さ、伝承し次代に伝えることの重要性を、折に触れて言い聞かせ、啓発していかなければならない。



 業や術に偏った指導は、「規範意識の低い反社会的人物」を生み出すことになりかねない。

 一方で作法や知識に偏った指導は、「見かけ倒しの橙武者」を育てるだけだろう。

 反社会的人物も、橙武者も、いずれも“吾が党”には不要である。

 武術・武道に携わる者は、「事」と「理」に対する中庸の徳を、能々吟味するべきであろう。


1804_柳剛流礼法2
▲仙台藩角田伝 柳剛流の礼法。形を行ずる際には、所定の動作をもって必ず股立をとる


 (了)
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4月の水月塾本部稽古~渋川一流、柳剛流、甲陽水月流/(武術・武道)
- 2018/04/02(Mon) -
 昨日は、水月塾本部での稽古。

 数日前から、ドイツ・ベルリン支部長のカルステン師範が2名の門下の方々とともに本部に来訪しており、今回は私も共に稽古をさせていただいた。

 午前中は、カルステン師範と門下のS氏が学んでいる渋川一流の稽古に、私も加えていただく。

 渋川一流の形を学ぶのは初めてであったが、古流ならではの質実剛健な業の趣きを感じることができた。



 昼食後は、一同で近隣にある富士山眺望の名所へ。

 300数十段の急階段の上り下りは、ちょっとした鍛錬である。

 こちらの展望台から稽古場への帰路、清流沿いに青々とした見事な柳の木があり、「ああ、柳剛流だ・・・」としみじみ思う。

 我ながら、本当に物狂いである(苦笑)。

180401_142331.jpg



 午後は、師に打太刀を執っていただき、柳剛流の稽古。

 剣術、突杖、長刀をみていただいた。

 また、本部師範代のOさんに2尺8寸の差料をお借りして、柳剛流居合を抜く。

 柳剛流の居合の稽古は、やはりこれくらいの長さの刀で行わないとしっくりこない。頑張ってお小遣いを貯めて、私も2尺8寸の居合刀を作らねば。

 稽古の〆は、師より甲陽水月流短棒術の奥伝を2手、御指南いただく。

 これがまた、実に痛い。

 いつもながら、骨に染み入るような痛さであるだけでなく、技法としてかなり危険なものであり、「奥伝の業はすさまじいなあ」と、しみじみ思った次第。



 稽古後は、師やベルリン支部の皆さんなどに同道させていただき小宴。

 いつものごとく、私は酩酊。しかし、酔っ払っても英語はなかなかうまくならないものだ。

 ディファレントとディフィカルトの違いが・・・・・・。

 ひとしきり酒宴を楽しんで、良い頃加減に酔っ払いながら武州への帰路についた。

 (了) 
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演武小考/(武術・武道)
- 2018/03/02(Fri) -
 3月、弥生である。いよいよ、春だ。

 春は、私にとっては演武の季節である。

 4月には苗木城武術演武会(岐阜県)、5月には富士北口諏訪明神社奉納演武会(山梨県)と松代藩文武学校武道会武術武芸会(長野県)がある。

 私が参加する武術の演武会は、上記以外には、秋にもう1度行われる松代藩文武学校武道会武術武芸会のみで、合計して年間4回である。

 上記演武会は全て翠月庵の稽古場がある埼玉県外での開催なので、できれば年に1回くらいは埼玉県内で何がしかの演武を行いたいとは思うのであるが、いまのところ、その「場」と「機会」がない状態だ。

 年にたった4回の演武だが、私としてはこれくらいがちょうどよいのかなとも思っている。

 私にとって武芸の演武は、神前での奉納にしても、観覧者向けのものであっても、心法の在り様は「真剣勝負」だと捉えている。

 ゆえに、演武に向けては万全の調整をした上で、形而上・下いずれにおいても、その時の自分が発揮できる最高の業前を披露できるよう心掛けている。

 だからこそ演武修了後の心身の消耗はなかなかなもので、それを年に10回も15回も、あたかも興行のようにこなすことは到底無理だ。



 これまで何度か、公開の場で外国人を中心とした観光客を対象にした、手裏剣術や剣術の演武と体験のための指導をしてくれないか、という依頼がきたことがある。

 しかしいずれの場合も、 日本の伝統文化である武術の普及啓発というよりも、テーマパークの観光客向けチャンバラ・ニンジャショーといった趣きの営利目的であることが明白だったことから、丁重にお断りした。

 最近、外国人訪日客が激増する中、この手のショーやイベントが各地で増えているようだが、私個人としては、自分が心血を注いで研究・編纂・稽古してきた武術としての手裏剣術や、流祖・岡田惣右衛門から脈々と受け継がれてきた柳剛流の業を、そのような見世物まがいの金儲けのネタにするというのは、到底考えられない。

 仙台藩角田伝柳剛流では、「武術は暴を誅し乱を救う、仁義の具である」と諭している。

 あるいは、武州松田源吾伝の柳剛流では、「 武術之儀は国之護り」としている。

 そのような武芸を、物見遊山で飲み食いをしている人々の前で、見世物として披露し対価を得るというのは、流祖から我が師に至るまで、八代・二百有余年に渡って柳剛流を伝承してきた、歴代師範や流儀の先人たちへの冒涜以外の何ものでもないだろう。

 そもそも柳剛流の起請文には、「仮に親兄弟のためといえども、やたらに他見・他言すべからず」という誓いが記されており、営利目的での武技の公開というのはありえない事なのだ。



 ところで先日、国立劇場で近松の文楽『女殺油地獄』を鑑賞したのだが、それは私の観劇歴の中でも一二となるような最高のひと幕であった。

 文楽をはじめ、能・狂言、歌舞伎といった伝統芸能は、観客から金銭をいただいて磨きぬいた芸を披露するものである。

 ただし、そこには演者と観客との間に静かな緊張感と形而上での火花が散るような位取りがあり、加えて見る側に演者の技芸を賞翫できるだけの観の目と耳、そして伝統文化に対する深い敬意と理解があるからこそ成り立つ、芸術であり娯楽なのだ。

 一方で幇間芸からはじまった落語は、その出自からか、今でも飲食・酒席の場での芸の披露をいとわないが、それでも小三治や歌丸といった当代の名人クラスの高座や独演会で、主任の長講をワンカップ大関とあたりめを手にし、酔いころ加減で噺を聞くような剛毅な落語ファンは、あまりいないだろう。

(鈴本はまだ、客席で飲酒可だったっけ?)

 このように、他者に「観せる」「聴かせる」ことが前提の芸能でさえも、その披露の「場」には、彼我の(心地よい)緊張関係とたしなみ、気づかいが求められる。

 いわんや、本質的に人の死命を制する技芸であり、本来は他者に見せるべき「術」ではない武芸の演武では、より高いレベルでの厳しさと節度が求められるのは言うまでもない。



 ゆえに当庵は、興行のような営利目的での演武は行わないし、飲食・酒席の場での武技の披露などはしない。

 一方で、真摯に学び次代に向けて流儀を伝承していこうという志を持って門を叩く人には、術技と口伝を惜しむことなく伝授する次第である。

1709_松代演武_柳剛流長刀
▲柳剛流長刀(なぎなた)の演武 (打太刀:小佐野淳師 仕太刀:瀬沼健司)


 「道は秘するにあらず。秘するは、しらせむが為也」(兵法家伝書)


  (了)
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