刺客心得/(武術・武道)
- 2017/11/02(Thu) -
 合気道家であり直心影流の剣客でもある野中日文先生の著述については、折に触れて拝読させていただき、日々の稽古や生活行動の道しるべとさせていただいている。

 以下の一文は、先生のブログに記されていたものを、自分の覚書として控えておいたものだ。

 私を含め、現代の武術・武道人は刺客となるようなことはないし、そういうことはあってはならないが、武人の心法のひとつとして、このような先人の教えを胸に置いておくことも、意義あることではないかと思う。
  

 敗戦直後の混乱期の関東、戦地帰りの先輩方には男の見本のような人が多かったが、この中でも新宿の街を連れ歩いて飲ませたり食わせたりしながら、何を思ったか急に

「ひと太刀あびせて手ごたえあったと引き揚げてくるようではだめですよ 確実にとどめをさして、そのまま畳に縫い付けて、畳ごと担いでもどってくるんですよ」

 と小生に刺客の心得を教えた島田和繁さん(学習院が三島由紀夫の同期の学徒出陣組)の印象が強烈である。

 野中日文師/『野中日文の垂直思考 武の世界からの直球・曲球』(2012/02/1)
 http://nonakahihumi.blog.fc2.com/blog-entry-104.html



 (了)
スポンサーサイト
この記事のURL | 武術・武道 | ▲ top
もののあはれ/(武術・武道)
- 2017/10/31(Tue) -
 武友のA氏から、過日、B氏が死去したという話を聞いた。

 B氏は、Cという武道の関係者で、自身のブログで他流への誹謗中傷を繰り返したり、陰謀論やニセ医学に基づいたヘイトスピーチをたびたび書くなどして、まともな武術・武道関係者はもとより、医療や科学関連など、幅広いジャンルの人々から顰蹙をかっていた人物である。

 B氏のネット上での他流派への口撃やヘイトスピーチは、その後、志ある人物の勇気ある行動によって鎮静化し、ブログは閉鎖に追い込まれたのだが、その後もB氏は別ブログで細々と、ニセ医学や陰謀論に関する持論を展開していたようである。

 私も数年前に、B氏の他流攻撃やヘイトスピーチ、ニセ医学や陰謀論のバカバカしさについて、本ブログで批判を加えたことがあるので、同氏が病死したという話を聞いて、いささかの感慨がある。


 B氏は、徹底的に自分が所属する流派とその指導者を神格化し、一方で他流を声高に、そして口汚くののしるような文章を書いて、多くの武術・武道人の反感を買っていたのだが、死去後、B氏の関係者が公表した記事などを読むと、そもそもB氏は虚弱なタイプの人で、成人後かなり遅い時期から武道の世界に入り、そのためもあってか、自流の指導者を狂信的に信奉していたのだという。

 つまり、武術・武道人としての身体的・精神的な虚弱さがルサンチマンとなり、それが内的には自流とその指導者への妄信、外的には過激な他流批判や他武道への口撃という行動に繋がっていたのだろう。

 心身の弱い者や己に自信の無い人ほど、ネットという“守られた世界”では、逆により過激に他者を攻撃したり、他罰的な発言を繰り返す傾向があるが、B氏についてもそういう傾向の人物だったということだ。

 一方でB氏の死去を受けて、その死を悼む関係者の記述も、少ないながらいくつか見られた。

 思うに、過激なネット上での言動で多くの人から嫌われている者も、他方では現実世界での暮らしがある。

 そこでは彼や彼女の周囲にも、家族、知人、友人、同僚、上司や部下、先輩や後輩などがおり、それらの人に囲まれて彼や彼女もひとりの社会人として、最低限の人間関係や社会性を持って生きている。

 ゆえに彼や彼女は、ネット上で口汚く他者を罵る文章を書きちらす一方で、会社では上司に頭を下げ、客先ではゴマのひとつもすり、稽古場では師匠や先輩に厳しく叱られているのかもしれない。

 そのように考えると、ネット上での発言が過激で攻撃的であればあるほど、「かわいそうな人だなあ・・・・・・」としみじみ思うのは、私だけではないだろう。

 加えて、ネット上ではニセ医学を声高に主張し、標準医療を真っ向から否定していたB氏だったが、実際には慢性疾患の治療のために、医療機関での継続的かつ標準的な治療を受けていたという話を聞くと、当時、同氏による過激かつ非科学的な医療批判の論調を見聞きしていた人間のひとりとしては、これもまた憐れをさそう話だ。


 とはいえ、死んでしまえばみな仏様。

 泉下の氏が、武術・武道へのルサンチマンや標準医療へ誤謬から解放され、心静かに冥っていることを願う次第である。

 (了)
この記事のURL | 武術・武道 | ▲ top
神武不殺/(武術・武道)
- 2017/10/30(Mon) -
 思うところがあり、今晩の自宅での稽古では木太刀を執って鏡に向かい、備十五ヶ条フセギ秘伝に集中する。

 鏡に映る己の構えとそこからの太刀筋に対し、フセギ秘伝で応じ、そして相手の脚を薙ぎ、面を打ち割り、小鬢を斬り裂き、小手を落とし、胴を抜き、当身を入れ、体当たりを加え、足がらをかけ、倒れた相手にさらに斬りつけ、最後には組敷いて留めを刺す。

 鏡の中の己の相手にした、地稽古のようなものだ。

 柳剛流における備十五ヶ条フセギ秘伝の稽古は、形稽古と撃剣の間をつなぐ中間的な鍛錬であると実感する。

 ここから撃剣による地稽古までは、もう一足飛びであろう。

 ひとしきり剣を振った後は、柳生心眼流の素振。

 「表」、「中極」、「落」、「切」、さらにそれぞれの向振り、取返、取放の形を錬る。

 心眼流の素振でも、鏡に映る己を仮想の敵とし、すべての拳・足・肘・肩などによる当身が、武技となっていることを心掛ける。

 稽古が終われば、もう肌寒い季節だというのに、稽古着が汗で重い。



 翠月庵での門下との稽古や、水月塾本部での師や兄弟子たちとの稽古と異なり、自宅ではどうしても単独稽古にならざるをえないが、武技である以上、常に制敵・殺敵の気組みをもって取り組まなければならない。

 そうでなければ武技たるものが、殺陣や踊りなどのような見世物になってしまう。

 かつて柳剛流祖・岡田惣右衛門は、次のように語った。


「世の剣術家は皆、斬足之法を知らず、ゆえに剣を学ぶ者は足を斬ることを愧じとしているが、戦場では相手の足を斬らないという理はない。(中略)。身体四肢のどこを斬っても突いても構わず、勝負が決しなければ組打ち投げつけるのだ」(「奉納御宝前」より意訳)


 あるいは、私淑する講武実用流の平山行蔵は剣術の神髄を、


「夫剣術は敵を殺伐する事也。其殺伐の念慮を驀直端的に敵心へ透徹するを以て最用とすることぞ」(平山子龍『剣説』より)


 と喝破した。

 武芸の鍛錬とは、たとえ相手のいない一人稽古だとしても、心法のひとつのあり方として、常にそういうものでければならない。

 これまで36年間の武術・武道稽古を通して思うのは、形武道でも競技武道でも、古武道でも現代武道でも、「ハラ」の錬れていない者は弱いということだ。

 だからこそ武芸を志す者は、稽古を通じて「一人一殺」、「一殺多生」のハラを錬らなければならない。

 その上で、目指すべき武術の至極こそが、東洋哲学の帝王たる『易』繋辞伝が示すところの、


 「神武不殺」


 なのであろう。


1710_柳剛流居合 「向一文字」
▲柳剛流居合 「向一文字」


 (了)
この記事のURL | 武術・武道 | ▲ top
古武術の保存といふ事について~成瀬関次著『臨戦刀術』より/(武術・武道)
- 2017/10/23(Mon) -
 根岸流手裏剣術の成瀬関次師と言えば、桑名藩伝山本流居合の相伝者でもあり、戦中は軍刀整備を担う軍属として大陸の戦場に赴いたことでも知られている。

 こうした経験から成瀬師は、現代における白兵戦での日本刀の実情を記した記録を数多く残しており、なかでも『戦ふ日本刀』や『実戦刀譚』、『臨戦刀術』などの著書は、たいへん示唆に富んだ記録として私も味読している。



 昨夜、柳剛流と柳生心眼流の稽古をひとしきり行った後、選挙速報をつらつらと聞きながら、ひさびさに昭和19(1944)年刊行の『臨戦刀術』を紐解いていたのだが、次のような一文が目に留まった。


 古武術の保存といふ事について序に小見を述べて置きたい。近来古武術の伝統が、だんだん世に表れて来るやうになつた事は、まことに結構な事であるが、それが多くは、その形だけを保存するにとどまるといふ事は一考すべきではなからうか。

 成る程、一本の針を吹きまたはこれを打って敵を防いだといふやうな一つの術でも、これが失われたが最後現世に於いて再び得る事は出来ない。これを保存し、これを伝えるといふ事は重要ではあらうが、それと共に各流祖なり伝統者なりが、血を以てこれを創めこれを伝えた歴史と伝統精神とを、同時に保存するものでなくてはならないのである。

 この三者を具備しない、単に形だけの古武術なるものには、随分如何はしいものが少なくない。中には古い流名だけをとって、形は全く別種のものではないかと思はるゝやうなものさへある。

 さうしたものが、古武術勃興の時世に便乗して、白昼公然と演武されるといふやうな苦々しい事は、武道の尊厳を保つ上から見て、断乎として排除すべきではなからうか。



 このように記した上で成瀬氏は、国の公的機関を設け、そこで流儀の真偽等について吟味させるべきであるとの意見を述べている。

 なおちなみに、現在、国内には古流武術に関する公的な団体としては、日本古武道振興会や日本古武道協会があるが、これらの団体はいずれも、それぞれに参加している流儀の歴史的正当性や真偽を、学術的に担保するものではないということは、改めて認識しておくべきであろう。

 なかには、「古武道振興会に参加していない流儀は、すべてニセモノである!」などと公言している武術関係者のブログもあるようだが、なんというか、これはとんでもない暴論だ(苦笑)。

 これらの団体に参加していなくとも、長年にわたって地域で伝承されてきた古流武術は全国に数多くあり、逆にこうした団体に参加していながら伝承に疑義が指摘される流儀もあることは、ある程度のキャリアと見識のある武術・武道関係の皆さんならば、ご存知の通りである。

 武術・武道の事跡調査や研究に関わる者は、安易な権威主義に踊らされてはならない。

 そしてまた、いつの世も伝統を騙る「ニセ古武術」の芽が尽きないというのは、なんとも残念なことだ。

 (了)
この記事のURL | 武術・武道 | ▲ top
農民剣法と現代における武士道/(武術・武道)
- 2017/10/22(Sun) -
 江戸時代後期、武州では多くの武術流派が興隆した。

 それらの流儀の多くが、武士階級以外の階層出身者によって創流され、あるいは広く稽古されていことは、たとえば剣道範士で武州における武術研究の先駆けであった志藤義孝埼玉大学教授の論文、「江戸時代における埼玉県の剣術」(武道学研究11-3/1979)に詳しい(https://www.jstage.jst.go.jp/article/budo1968/11/3/11_1/_pdf)。

 志藤教授は、こうした江戸中期以降に農民や町人の間で盛んになった武術の新興流派を「庶民武道」と定義しているが、その代表的な流派のひとつが、我が柳剛流である。

 流祖・岡田惣右衛門をはじめ、武州最大師範家だった岡安英斎、江戸府内と武州の両方で教線を張り数多くの門人を育てた松田源吾など、特に武州一帯で勢力を誇った柳剛流師範家の多くが豪農の子弟であった。あるいは、江戸で1000人以上の門人に柳剛流を伝えた岡田十内は、医者の息子である。

 司馬遼太郎は作品中で、柳剛流を「野卑な田舎剣法」などとたびたび辱める発言をしており、まったく困った国民作家なのだが(苦笑)、たしかに柳剛流は農民出身の流祖が編み出し、広く武州の庶民階級に稽古された典型的な「庶民武道」であり「農民剣法」である。

 私なども毎週末、荒川沿いの田園地帯にある莚を敷いた野天稽古場で、門人と共に柳剛流を稽古していると、

 「これぞまさに、農民剣法だなあ・・・・・・」

 と、(肯定的な意味で)しみじみとした感慨に浸ることも少なくない。

 一方で柳剛流は、江戸府内においては、講武所師範で浪士隊や新徴組にも深くかかわった長沢松平家の第18代当主・松平忠敏、藤堂家士で千葉栄次郎や桃井春蔵とも撓を交えた押見光蔵、幕臣で彰義隊頭取の伴門右衛門、仙台藩角田伝柳剛流の祖であり伊達家筆頭の家柄である石川家の剣術師範となった一條左馬輔、後に無刀流を開いた剣聖・山岡鉄舟などなど、数多くの武士階級の者がその業を学び、稽古に汗を流していたこともまた事実である。

 このように江戸時代の日本では、ある意味で封建体制が社会の隅々まで行きわたっていながら、一方で身分階層の間を自在に行き交うことのできる「ある種の方便」がいくつもあり、そのひとつが剣術をはじめとした「武芸」であった。

 武州葛飾郡惣新田の裕福な農家に生まれた岡田惣右衛門が、18歳で青雲の志を胸に江戸へ向かい、さらに諸国での武者修行を経て柳剛流を号し、以来、武士から百姓・町人まで、身分を問わずに門弟数千を数えたというのは、まさに江戸期における身分制度の流動性と、そのダイナミズムを象徴しているといっても過言ではないだろう。



 そして平成の今、我々は日本国憲法のもとで、出自や職業、資産の有無に関わらず、国民として平等の権利と義務を有しており、身分制度は絶えて久しい。

 にも関わらず、必要以上にことさら「武士」や「侍」、「武士道」といったものを強調して主張する人たちが、武術・武道の世界にも少なくない。

 私は新渡戸稲造師の名著『武士道』を座右の書とし、己を律するための大切な指針のひとつにしているけれど、一方で「武士道」と言う言葉そのものは、あまり日常では使いたくないし、なるべく使わないように心がけている。

 なぜなら現代の日本においては、あまりにも新渡戸師が喝破し再構築した「武士道」という言葉の本質が汚され、誤解され、ある種の思想的に偏った人々に都合のよい形で消費されているように思えてならないからだ。

 思うに、ことさら侍を自称したり、武家の文化や伝承を売りモノにせずとも、人として真面目に、正直に、慎ましく、嘘をつかず、誇りを持ち、他者に優しく、節義を重んじて生きていれば、その人は出自や家系、職業や資産、社会的な名声の有無などに関わりなく、日本の伝統的な風土と文化が育んできた理想の人間像としての、「武徳の士」だと言えるのではないだろうか?



 翻って自省すれば、こんな一文を書いている私自身もまた、矛盾を抱えたまま日々を生きる、ひとりの弱い人間に過ぎない。

 だからこそ柳剛流をはじめとした武芸の鍛錬を通じて、あるべき人間の理想像である「武徳の士」を目指したいと、心密かに願っているのだ。


     ~ しき嶋のやまとごゝろを人とはゞ
                      朝日にゝほふ山ざくら花~


 (了)
この記事のURL | 武術・武道 | ▲ top
| メイン | 次ページ