或る茶会/(武術・武道)
- 2018/02/15(Thu) -
 過日、とある茶会の記事を読んだ。

 その茶会では、衆人環視の中、裸体の女性を器に見立てて菓子を盛り、手前を行ったのだという。

 またこの茶会の亭主は、政府や海外の要人を招いた茶会も催している高名な人物だそうな。

 ま、日本は自由の国であるし、本来茶の湯というものは、もてなしのために「作意」の新しさを工夫するものであるが、これほど侘茶の志からかけ離れた、見世物としての茶事も珍しいのではあるまいか。

 かつて山上宗二は、

我が茶湯をば取り乱し、天下へ出で、坊主顔する者は、梅雪同前なり。



 と、世におもねる茶湯者を厳しく批判した。

 また『南方録』には、

思ひ々々さまざまの事をたくみ出し、古伝にちがいたること、いくらと云数を知らず。十年を過ぎず、茶の本道捨たるべし。すたる時、世間にては却つて茶の湯繁昌と思べきなり。ことごとく俗世の遊事に成りてあさましき成りはて、今見るがごとし。



 とある。

 もっとも、利休や宗二が求めた「修行得度」としての茶の湯など絶えて久しいのであろうし、ならば裸の女性を茶室に入れるといった常軌を逸した茶事を、利休直系の流派の名のある師範が行うというのも、むべなるかなと思う。

 そういえば数年前ある雑誌で、茶室内で半裸の男が打刀を脇に置いて茶を服している写真が掲載されたことがあったが、これなども茶の湯の伝統と精神を根底から冒涜する、あまりにも酷い演出写真であり、その撮影意図に首を傾げたのは私だけではあるまい。



 さて、翻って武術・武道の世界でも、見世物まがいのパフォーマンスで、衆人の耳目を集めようとする人々がいる。

 それはそれ、何をしようが公共の福祉に反しさえしなければ自由であり、私には関わり合いのないことだ。

 しかしグレシャムの法則を持ち出すまでもなく、そういったあさましい行為が日本の武術の伝統だと、世間一般の皆さんに誤って認知されてしまうようであれば、それはまことに困った事であり、斯界の末席を汚す者として憂慮に堪えない。

 「悪貨は良貨を駆逐する」というようなことにならないよう、心から願う次第である。

 (了)
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柔(やわら)の稽古/(武術・武道)
- 2018/02/13(Tue) -
 昨晩の稽古は柔術を中心に行った。

 といっても、自宅での自主稽古なので相手がいない。

 捕りにせよ受けにせよ、柔(やわら)の稽古というのは、相手がいないとままならないものなのであるが、こうした点で、柳生心眼流は素振りがあるのでありがたい。

 まずは、表、中極、落、切と、素振り二十八ヶ条を行う。

 元々空手道で培われた打撃感覚が強かったこともあり、心眼流を習い始めた当初は、その動きになかなか体の感覚がなじまなかったのであるが、最近になってようやく、心眼流の素振りが体になじみ始めてきたかなという感覚が(わずかだが)してきたように思う。

 当身についても、当初は独特の柔らかい握りに対する違和感が強かったが、最近では掌と拳それぞれの特長を兼ね備えた心眼流独特の握拳で、「当てられるな」という実感が少しずつ育ってきた。

 次いで、取放と取返の各七ヶ条を復習。さらに、実践応用稽古を行う。

 柳生心眼流の体動のある部分は、柳剛流剣術に含まれる体術的技法にも通じるところがあり、その辺りについても念頭に置きながら稽古をする。

 心眼流に続いては、水月塾制定日本柔術。

 初伝逆取から中伝逆投までの動きを、単独動作で復習する。

 ここで、当身の部位を確認していた時にふと思ったのであるが、楊心流系の殺では、右肋は「稲妻」または「電光」、左肋が「月影」というのが一般的だが、柳剛流の殺活術では、右肋は「右脇」、左肋が「稲妻」となっていることに改めて気づく。

 この点は注意しておかないと、「稲妻」の部位を混同してしまいそうだ。

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▲仙台藩角田伝柳剛流の殺活術では、右肋は「右脇」、左肋は「稲妻」と称す。これは昭和14(1939)年の伝書でも、文久2(1862)年の伝書でも同様である


 稽古の〆は柳剛流の殺について、当身の単独動作を行いながら部位を確認。

 仙台藩角田伝柳剛流の殺十八ヶ条に加え、武州岡安伝柳剛流の殺十三ヶ条と五ヶ所大當も復習する。

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▲武州岡安伝柳剛流の殺活術に伝えられた「五ヶ所大當」


 現在、私の武術修行の本義は柳剛流と手裏剣術であるが、そもそも自分の武術修行の始まりは12歳から始めた柔術であったこともあり、柔の稽古は実に楽しく興味深い。

 幸いなことに、今年からは翠月庵でも門下諸子とともに柔術の稽古がしっかりとできるようになったので、今後もさらに稽古を積んでいきたいと思う。

 (了)
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稽古時間の延長/(武術・武道)
- 2018/02/10(Sat) -
 昨年まで翠月庵の定例稽古は、毎週土曜の午後3時から5時までの2時間だったのだが、この1月から開始時間を1時間早め、午後2時から5時まで3時間、稽古を行っている。

 これは近年、当庵で指導および稽古する内容が増えるなか、従来の2時間の定例稽古だけでは十分な指導や稽古がままならないなと感じていたからである。



 そこで今年から定例稽古の開始時間を1時間早め、基本的に柔術1時間、手裏剣術1時間、柳剛流1時間というような割り振りで稽古を行うようにしている。

 これにより、たとえば手裏剣術の稽古では、みっちり1時間手裏剣を打つことができ、門下に対しても2~3間の基本打ちに加え、移動しながらの打剣の基本である運用形や刀法併用手裏剣術を、時間に余裕をもって指導することができるようになった。

 柔術や柳剛流についても同様で、稽古時間に余裕がある分、これまで以上にひとりひとりの門人に丁寧な指導ができるようになったと思う。



 本日も、まずは野天に敷いた茣蓙の上でたっぷり1時間、当て、投げ、抑え、固めて、柔術の稽古。

 ま、一応まだ、コンクリートの上でも受け身くらいは取れるけれども・・・・・・などと見栄を張りつつ、地べたの上で柔術の稽古をしていると、内心、「畳というのは、ほんとうに柔らかいものだな・・・」としみじみ思うわけだ(爆)。

 その後は、手裏剣を2~5間間合いでビシビシと打ち込むこと30分。

 次いで、帯刀した状態から手裏剣を打ち抜刀する、刀法併用手裏剣術の指導を30分。

 そして柳剛流剣術と突杖について、ひとりひとりの門下を相手に、休むことなく打太刀を執る事1時間。

 本日は特に、目録・柳剛刀の一手である「無心剣」をじっくりと指導。

 柳剛流剣術の業の中でも、特にこの無心剣は、気押しと位取が重要になる、難しい形のひとつである。

 それだけに、何度も繰り返し、丁寧に指導する。



 こうして3時間の稽古は、あっという間に終了。

 欲を言えば柳剛流の稽古は、さらにもうプラス1時間くらいやりたいのであるが、さすがにそれは諸般の事情で難しいところである。

 その分、門下諸子も、私自身も、稽古場以外での日々の自主稽古を、欠かさぬようにしていかなければならない。

 (了)
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1月の水月塾本部稽古~柳剛流、甲陽水月流/(武術・武道)
- 2018/01/29(Mon) -
 昨日は水月塾本部での稽古であった。

 今回は埼玉支部の門下として、当庵のY氏とU氏も参加し、午前中は柳剛流の稽古。

 師に打太刀をとっていただき、Y・U両氏は剣術を、私は剣術・突杖・長刀をご指導いただく。

 昼食後は伝書講義。今回は柳剛流を剽窃した流儀である加賀の水野一傳流をはじめ、中将流、さらに姫路支部長の西躰師範が持参された各種の伝書類も拝見させていただく。

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▲柳剛流をほぼそのまま剽窃している水野一傳流の初伝伝書



 午後は、水月塾制定の日本柔術(甲陽水月流)の稽古。中伝逆取を復習する。

 稽古後は、師に同道させていただき、居酒屋にて皆さんとの小宴。

 全員うわばみの埼玉支部一同は、いつものごとく鯨飲馬食し、千鳥足で武州への帰路に着いた。

 (了)
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空手道寒中稽古/(武術・武道)
- 2018/01/20(Sat) -
 今週は、私が所属している県連の空手教室の寒中稽古・・・だったのだが、仕事が忙しくて結局昨晩の稽古のみ参加。

 県立武道館の主道場で、みっちり絞られる。

 私は、今年初めての空手の稽古でもあったので、いやはやなんともフィジカル的にきつかった。

 移動基本は堪えるネ(爆)。



 現在の住まいに転居した際、それまで所属していた流派を退き、たまたま見つけたこの空手教室に参加するようになって早や6年。

 そもそもが県連のアンテナショップ的な位置づけの教室であり、初心者向けの稽古会だったため、私が参加し始めた当初、一般部の参加者は全て初心者だった。

 それから時は流れ、昨晩の寒稽古ではこの空手教室生え抜きの黒帯が2人、他流・他会派から稽古に来る黒帯が2人、そして万年弐段(もう15年近く昇段審査を受けていない・・・)の私を含め、一般部に参加する有段者の数は5人となった。

 やはり、大人の黒帯がある程度の人数いると、稽古が引き締まるというものだ。

 以前も書いたが、この教室は県連主催のため、糸洲流、玄制流、剛柔流、糸東流など様々な流派の先生方が指導に当たることから、自分の学んだ流派以外の形や業を学ぶことができるのが魅力だ。

 昨晩は、糸洲流のN先生に平安をご指導いただくが、私が学んできた玄制流の平安とは大きく異なるので、戸惑いが大きく、しかし楽しい。

 またN先生は、古いスタイルの形の分解についても丁寧に指導してくださるので、私のような、もう競技に出場しない(最後に組手と形の試合に出たのは、もう7年前か・・・)市井の中年空手愛好家にとっては、たいへんモチベーションの高まる稽古となる。

 今回の稽古では猫足立ちからの隠し技としての下段前蹴り、上段突きの際の正拳と縦拳の使い分け方、空手道の基本的な呼吸法と組手時の呼吸の読み方などについてご指導をいただき、たいへんに勉強になった。



 空手道の修行について、私はもう昇段や競技会出場を目指すつもりはない。

 なぜなら私の今、そしてこれからの武術人生の本義は、あくまでも柳剛流を中心とした古流武術だからだ。

 しかし市井のいち愛好家として、空手道の稽古はこれからも細く長く続けていくつもりである。

 思い切り突き、存分に蹴り、自由に体と体がぶつかり合う空手の稽古は、本当に爽快で楽しい!

 (了)
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