易の入門書/(書評)
- 2016/11/18(Fri) -
 とあるwebサイト向けの記事として、人工知能(AI)関連のエンジニアと、やはりAIに造詣の深い現役医師との対談原稿を書いている。

 約1万7000文字の対談を、合計6000文字の記事に整えなければならない。

 1対1のインタビュー記事に比べると、いささか手のかかる仕事なのだが、たぶん明日中には、なんとか仕上がりのメドはつくかなという感じである。

 対談中、最先端のAIに詳しい両氏がともに指摘した点で興味深かったのが、「どんなにAIが進歩しようと、科学的に絶対にできないのが『未来予測』である」、とのことだ。

 以前、「科学の進歩で未来に実現できる可能性のある技術」を解説する一般向けの科学啓蒙書を読んだ記憶があるが、そこでも、タイムマシンは理論的には実現可能ではあるが(ただし未来行きのワンウェイのみ)、どんなにテクノロジーが進歩してもほぼ確実に実現不可能なのが未来予測なのだという。

 カオス運動における、予測困難性というやつですな。

 だからこそ、ヒトは太古からなんとか未来のよすがを知るべく、疑似科学としての未来予知、いわゆる卜占というものを作り上げてきたわけで、しかもそれは21世紀の今も、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」ということで、多くの人に親しまれているわけだ。



 さて、卜占といえば、やはり東洋における帝王は、「易」であろう。

 紀元前1000年頃に成立した易、いわゆる周易は、老子や荘子に先んじる道家思想の根本でり、儒教の経典である四書五経の中の帝王であり、東洋占術の聖典でもある。

 その歴史は3000年に及び、たとえば西洋占術で人気のタロットが、わずか400年の歴史しか持たないことを考えると、そのスケールの大きさが分かるだろう。

 易の最大の特徴は、神秘的な占いの書(占筮)であると同時に、論理的な思想哲学(義理)の書であるという二面性にある。

 このため中国史においても、時代時代で、時に占いの聖典として用いられ、またときには儒学の経典中、最も重要な書物として用いられることもあった。

 ちなみに、晩年の孔子は、易の精読に努めたと伝えられる。


 このように、占いの書であり、哲学の書でもある易だが、なかなかそれを学ぶことは容易ではない。ことに独学の徒は、いったいなにから手を付けてよいのか分からないであろう。

 かくいう私も、20年前はそうであった。

 一般的に、易を独学しようという人のうち、多くが手に取るのが、岩波文庫の『易経(上・下)』であろう。

岩波 易


 しかし多分、まったく易についての素養のない人が、この上下2巻の文庫を読んでも、なにがなんだか訳が分からないであろうことは間違いない。

 この岩波版の易経は、義理にしても占筮にしても、ある程度、易の素養ができた者向けである。

 そこでまず、まったくの易の初心者が最初に手に取るべき一冊は、講談社学術文庫の『易の話』(金谷治著)だ。

易の話


 義理(哲学)としての易を学びたい人であれ、占い(占筮)としての易を学びたい人も、易というもののアウトラインをつかむために、最初に読むのに最適なのがこの本だ。

 著者の金谷氏は、義理・占筮、いずれにも偏ることなく、分かりやすい言葉で解説をされており、しかもその内容の比重が占筮3:義理7といった塩梅であることも、入門者には最適なものと思われる。

 これを読めば、易とはそもそもなにか? どのようにして成立したか? その思想のアウトラインは何かについて、ざっと理解することができるであろう。

 ちなみに本書は、台湾でも翻訳され、好評を得ているとか。


 金谷氏の『易の本』を読んだ後、次に読むべき書物は2つの方向に分かれる。

 義理(哲学)として易を学びたいという人は、朝日選書から発行されている『易』(本田済著)をじっくりと読むべし。この本は、いささか字義の説明がくどいが、近年の名著である。ゆえに、義理易を学ぶ人はもちろん、卜占としての易を学ぶ人にとっても必読の一冊だ。

易 本田済


 一方で、占筮としての易を学びたいのであれば、明治書院発行の『新訂 現代易入門―開運法-』(井田成明著)を読むとよい。本書は易占いの初心者向けと銘打っているが、実は真勢流の生卦法や賓主法、互卦・約象などについても知ることができ、実占用のテキストとしては中級者までをカバーしていると言ってよい。

 しかも筆者の井田氏は、本業が高校の先生だったというだけに、その解説は分かりやすく、例題なども大変学びやすい構成になっているのが好ましい。一方で、独特の「ポエム」は、ちょっとどうかなと思うのだが、そこのところも、いかにも世間ずれしていない感じで好感が持てる(笑)。

『新訂 現代易入門―開運法-』(井田成明著)


 義理の易にせよ、占筮の易にせよ、上記の書物を精読し、八卦や六十四卦の意味がソラで分かるようになればもはや中級者、武術・武道でいえば、初段あるいは切紙といったところだ。

 この段階になったら、義理の易を学ぶ者は『易経講話(全5巻)』(公田連太郎著)に進もう。

『易経講話』(公田連太郎著)


 一方で、占筮としての易を学ぶ人であれば、『易学大講座(全8巻)』(加藤大岳著)に取り組むべし。

『易学大講座(全8巻)』(加藤大学


 これらの書物をっじっくりと精読し、ニ読、三読するようになれば、その人はもう義理易にせよ卜占の易にせよ、上級の入口に立ったといってよい。武術武道でいえば、4段あるいは目録といったところか。

 ここまでくれば、義理易でも卜占の易でも、読むべき書物、学ぶべき師(著者)は、おのずから理解できるだろう。


 武術・武道と同様、易道の奥は深い。

 ゆえに学べば学ぶほど、その生々流転、一陽来複の哲学が、心身に染みてくることが実感できるはずだ。


易は天地と準(なぞら)う。故に能く天地の道を弥綸(びりん)す。仰(あお)いでもって天文を観、俯(ふ)してもって地理を察す。この故に幽明の故(こと)を知る。始めを原(たず)ね終りに反る。故に死生の説を知る。精気は物を為し、游魂は変を為す。この故に鬼神の情状を知る。(易経 繋辞上伝より)

 (了)
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『大武道!』/(書評)
- 2015/12/19(Sat) -
 年末進行の原稿ラッシュであるにもかかわらず、不覚にも風邪を引いてしまい、あまつさえ今週は私用で実家の伊豆に2日間も帰らなければならず、今週はほとんど稽古ができなかった。おまけに喉風邪がいっこうに抜けず、なかなかにキツイ。アラフィフともなると、たかが風邪も堪えるものである・・・。

 そんな中、webでちょっと話題になっていた『大武道!』という本を、書店で“立ち読み”してきた。ちなみにこの本は大武道と書いて、「オー、ブドー」と読むのだそうな・・・・・・。

 基本的に、インタビュー対象の人選をさらっと見て、「こりゃあ武道ぢゃなくて、格闘技&プロレス本だよね」というのがありありと分かるので、そもそも買う気はなかったのだけれど、立ち読みして改めてそのまんまの本でした。

 さて、武術・武道をたしなむ者として・・・以前に、出版関係者の立場から考えても、「この本って、どんな人が買うのだろう?」という疑問が、第一の感想である。対象読者のイメージがぜんぜんつかめん。

 取材対象の人選(プロレス・格闘技関連の人々、フルコンタクト・カラテ、保守系評論家、そして・・・甲野さんなど)を見ると、興行系の格闘技あるいはプロレスファンが主な想定読者なのかなあとも思うのだが、そういう階層の人々というのは日本の伝統文化のひとつである「武道」なるものには、ほとんど関心のベクトルが向いていないのではなかろうか?

 作り手としては、「だからこそ、武道というテーゼを、格闘技・プロレスファンに新しい切り口として提案するのだ!」と言うのかもしれないが、そもそもそういう潜在的ニーズが格闘技・プロレスファンにあるのかが大いに疑問である。

 一方で、いわゆる武術・武道関係者・愛好者からすれば、「格闘技とかプロレスとか、別に興味ないんだよね・・・」というのが実際の所ではないか。

 古流武術に携わる人々や、剣道・柔道・空手道などの競技武道を愛好している階層からすると、ターザン山本とか船木とか田村とかコッポウのセンセイだとか(以上、敬称略)、そういう方面の人々には、大多数が興味の接点すらないように思うのは私だけだろうか?

 またもう1つ、作り手のスタンスとして「武道」と「武士道」の境界というか線引きがあいまいであり、本書で捉える「武道」の定義もはっきりしていないので、保守系思想としての「武士道(武道・士道)」を説きたいのか、行為としての「武道(武芸)」を説きたいのかが明確でなくごっちゃになっている。

 そのため第一特集が「恥を知る」というテーマで、主に興行系格闘技やプロレス関係者のインタビューをメインにしたり、あるいは評論家と保守系論者の対談を掲載する一方、第二特集が「達人はいるのか?」とするなど、編集テーマがとっ散らかっているように感じられる。

 つうか、格闘技関連の人たちというのは、「達人はいるのか」系の話が好きだよねえ(笑)。

 もっとも、本書全体に通底する編集方針は、「興行系格闘技&プロレス的なフィールドから、武道的なるもの(イメージ)を語る」というものであろうから、こうした散らかり具合も、それはそれでエンターテイメントとしてなんでもありなのであろう。

 記事や編集、デザインのノリとしては、誌面に字がいっぱいで、かつての別冊宝島のような香りが濃厚にただよう。

 内容的には、対談やインタビュー記事などの軽い読み物が中心で、武道を志す人が哲学としてあるいは論文的に味読・精読できるような、思索や論考に耐えうるものはない。


 結論として、この本を1400円出して買うかと問われれば私は買わないし、たぶん私の武友やその周辺にいる武術・武道関係者も、おそらく誰も買わないだろうなと思う。

 ま、格闘技やプロレスなどの新しい方向性を模索したいという、コアなファンや業界人なら、さらっと読んでも損はないかもしれない。


「『武道』という言葉は、現在では一般的にいえば、弓道、剣道、柔道、合気道のような、日本において発達をとげた武術の総称として用いている。そしてこの武道に属する種目は、他のスポーツ種目とは異なり、競技的な優劣、勝敗よりも、心技体といったような技芸に加えて形や心構えまでをも重んじる点で、これを日本的な伝統文化の一つとして位置づけている」(二木謙一/國學院大學名誉教授)


「武道は、武技による心身の鍛錬を通じて人格を磨き、識見を高め、有為の人物を育成することを目的とする」(武道憲章 第一条[目的])



1512_大武道

 (了)

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グルコサミンよりも、はるかに効果の高い一冊/(書評)
- 2015/11/28(Sat) -
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▲『頭と体を元気に-生涯さびないためのトレーニング』
  公益財団法人ライオン歯科衛生研究所 編/扶桑社



 1年がかりの労作(自分で書くなってか・・・)がついに発行!!

 表記上、著者は「公益財団法人ライオン歯科衛生研究所 編」となっていますが、実際に本書を取材・執筆したのは、奥付に「執筆協力」として名前が記されている医療記者さんのようですな・・・・・・。

 ま、印税じゃないので、売れても売れなくても、アタシの報酬は変わらないんですけどね。しかももう、原稿料受け取り済みだし(爆)。


 私の場合、雑誌や新聞、ムックの仕事が中心なので、こうした単一テーマの書籍の取材・執筆仕事は、2年に1本くらいしかやらないのだけれど、書籍を書くというのは独特の苦労と達成感があるものだ。

 さて昨今、中高年~高齢者向けの健康本は数あれど、この本の特長は、EBM(Evidence based Medicine:根拠に基づく医療)やサイエンスに基づいたスタンスで書かれていること。

 本書の内容や論旨は、監修者である元東京都健康長寿医療センター副所長の高橋龍太郎先生によるもので、延べ10時間以上に及ぶロング・インタビューを元に、不肖・私が一冊の原稿として取材・執筆したものである。

 グルコサミンやセサミンなどのサプリに大金を投じて、年間何万円もの代金をどぶにすてるような余裕があれば、たった760円+消費税の本書を買って味読する方が、はるかに認知症予防やアンチエイジングに効果があります。

 ただし、本書はあくまでも熟年世代・高齢者を対象にした内容なので、働き盛りの40代・50代の人が現状の自分に当てはめても、ピンとない内容なのでご注意を。そういう人は、60代以上のご両親やご親戚にプレゼントしてあげてください。


 なにはともあれ、まずはお近くの書店かアマゾンへ走れ!!!

 (おしまい)
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新渡戸が示した古くて新しい日本人の倫理/(書評)
- 2015/10/14(Wed) -
1511_武士道


  NHKラジオ第2の番組「こころをよむ」の10月から12月までのテーマは、「 いま生きる武士道 その精神と歴史」だそうな(http://www.nhk.or.jp/r2bunka/kokoro/1510.html)。

 早速、テキストを購入して読んでみた。

 本書は、武士の起こりからはじまり、鎌倉期の武士道、室町末期から江戸初期にかけての武士道、江戸時代の武士道、そして明治以降に創作された武士道と、時代ごとの武士道=武士の規範や価値観が分かりやすい筆致でまとめられており、その上で武士でも侍でもない現代のわれわれの生き方にも資する、日本人の普遍的倫理についても指し示す好著であった。

 思うに現代、多くの人がぼんやりと認識している「(いわゆる)武士道」というものは、明治以降、国策にしたがって創作され、第二次大戦後は、右巻きの人々が都合よく解釈してきた、きわめていびつなものである。

 一方で、同じく明治となってから創作されかけた新渡戸稲造の唱えた「武士道」は、封建時代の武士階級が育んできた質の高い倫理観を、当時の西欧先進国社会の人々にも理解可能な形で整理統合し、普遍的に止揚した、日本人の新しい倫理=道徳となるべき可能性を秘めていた、たいへん格調高いものだった。

 しかし新渡戸の示した「武士道」は、明治日本国家が主導した「官製武士道」に蹂躙され、さらに同時代の文化人たちの嫉妬も加わり、その理想を強く捻じ曲げられてしまったのは本当に残念であり、それは結果として300万人が尊い命を失った昭和20年の敗戦につながるわけだ。


 21世紀を迎えた今、残念ながら「武士道」なる言葉は、差別排外主義者のイカレタ聖典か、あるいは軽薄な日本礼賛主義者のお題目となっている。

 それらは、新渡戸が示した「(新しい)武士道」の対極にある、矮小で歪んだ民族主義に過ぎない。

 だからこそ、今、改めて日本人が千年をかけて育んできた、「倫理としての武士道」を知ることは、大きな意味があるといえるだろう。

1511_ワイド版武士道


 武士道は一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかもしれない、しかしその力は地上より滅びないであろう。
 その武勇および文徳の教訓は体系としては毀れるかもしれない。しかしその光明その栄光は、これらの廃墟を越えて長く活くるであろう。
 その象徴とする花のごとく、四方の風に散りたる後もなおその香気をもって人生を豊富にし、人類を祝福するであろう。
 (新渡戸稲造)

 (了)
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杉浦日向子の『合葬』/(書評)
- 2015/07/10(Fri) -
             gassou.jpg


 杉浦日向子が鬼籍に入ったのは、ちょうど10年前、行年46歳だった。

 気がつけば、自分がその歳になっている。いやはや・・・。


 幕末、彰義隊に投じた3人の青年の姿を描いた漫画『合葬』は、杉浦作品の中でも特に好きでしばしば手にとって読む。

 この人はもともと時代考証家を志していたそうで、漫画家として名を成した後、実際に時代考証家としても活躍しただけに、本作でも江戸の風俗描写が全体としてうそ臭くない(重箱の隅をつつきだしたらきりがないだろうが)。

 部屋で浴衣をだらしなく着崩しながら、新内のCDをBGMに冷酒片手でこの作品を読んでいると、なんとなく江戸の世に迷い込んだような気分が楽しめる。


 彰義隊といえば、柳剛流の剣士も数多く、その戦いに身を投じたという。

 幕末の柳剛流を代表する剣客・岡田十内叙吉は本郷森川町と郷里の下戸田に稽古場を開き、その門弟は1,200人とも1,400人ともいわれた。

 上野戦争においては、十内の門弟が幕軍側に約300名、官軍側には約200名参加したと伝えられ、なかでも幕府陸軍調役で彰義隊頭取となり上野で戦死した伴門五郎は、そういった柳剛流剣士の代表格として後の世に伝えられている。


 ところでこの『合葬』という作品、映画化されてこの秋公開されるということを、ほんの数日前に知った。

 もうひとつの杉浦漫画の傑作である『百日紅』がアニメ映画化されたばかりだが、最近、杉浦日向子ブームなのか・・・?

 ま、イケメンに擬人化した日本刀が流行るというのも悪かあないだろうけど、杉浦作品がこれからもより幅広い世代に読みつがれる方が、個人的にはうれしい。

 (おしまい)
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