本復/(身辺雑記)
- 2017/03/24(Fri) -
 先週の体調不良は、どうもインフルエンザだったようである・・・・・・。

 週初めに発症し、週末には平熱となって、先週土曜の翠月庵の稽古は行ったものの、関節の痛みや体力の低下などで、その後もしばらく、仕事や稽古を控えつつ静養していた。

 結局、13日(月曜)の発症から10日ほどかけて、ようやくこの週末で、心身共に完全に回復したかなという感じである。

 このため自宅での稽古も、よくやく今日から再開。

 昼間、3000文字ほどのインタビュー原稿を執筆したあと、夜半刻ほどかけて、柳剛流の備之伝、備フセギ秘伝、剣術、居合、突杖、長刀をひと通りおさらいする。

 ごくごく軽い自宅での稽古であるが、心も体も実に心地よい。

 そして、「オレは柳剛流が好きなのだなあ・・・」と、しみじみ思う。



 若い頃、年配の先輩や先生方が、「武芸では養生も大切なのだ」などという話していると、正直、爺むさい話だナアなどと思っていたものだが、たかがインフルエンザですっかりココロもカラダも弱ってしまう歳になると、少しでも長く、稽古を続けるためには、己の体の養生が本当に大切なのだと思う。

 「無事、これ名馬」というのは、私の空手の師であった玄制流の土佐邦彦先生が度々おっしゃっていた言葉だが、知命の歳を目の前にすると、本当にそうなのだと実感する。

 そういう意味で、たとえば今日の取り組みで負傷した稀勢の里のケガが、大事ない事も心から祈っている。

 (おしまい)
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一瞬、アヴァロンが見えた気が・・・/(身辺雑記)
- 2017/03/16(Thu) -
 若い頃、老人がインフルエンザで亡くなるというような話を聞くに、「インフルエンザぐらいで死ぬもんかねえ・・・」などと思っていた。

 若さとはバカさだと、今はしみじみ思う。



 今週の月曜、朝から机について、ブログなど書きつつ、「なんだか、体の節々が痛むなあ。昨日の短棒の稽古のせいかしら?」などとのんきに考えていたところ、午後から悪寒もするようになり、これは風邪だと体温を測ると37度ちょっとの微熱である。

 幸い、今週は仕事の端境期でヒマなので、大事を取って早めに休むことにした。

 ところが症状は悪化するばかりで、翌火曜の朝には39度を超え、午後には39.99度を記録。

 もともと、子供の頃から風邪をひいてもあまり高熱が出るタイプではなかったので、「ああ、これってもしかして、オレの風邪人生で最高記録かも・・・」などと、もうろうとした意識の中で思う始末であった。

 それにしても、これくらいの高熱になると、関節や筋肉の痛みがはんぱではなく、ベッドで安静にして眠っていたいのだが、体が痛くて熟睡などとうていできない。

 あまりに腰や骨盤の両端部分が痛んで横になっていられないので、ベッドの上で正座をして座って意識朦朧としているのがいちばん楽だという、なんともいえない状態でひたすら体を休める。

 また、多少でも栄養を取らねばと思い、まったく食欲はないのだが、持ち合わせのレトルトの御粥を3食食べ、脱水を防ぐためにイオンウォーターを1日2リットル飲む。

 しかし、水曜朝になっても熱は下がらず、相変わらず39度台をキープ。発熱により体の痛みもこのあたりがピークで、腰はもちろん、昔、空手の稽古で切った左右のアキレス腱も激しく痛みだし、ついには正座もできず、ベッドの上でコーマポジションをとり、ひたすら時が過ぎゆくのを待つ。

 このまま熱が下がらないなら、病院に行かなきゃなと思うのだが、そもそもこの状態で自力で病院まで行く自信はなく、ヤモメ暮らし故、病院に連れて行ってくれる人もいないので、救急車を呼ばねばならんのだろうが、風邪で救急車ってのものなあ・・・なんかみっともないなあなどと、朦朧とした意識の中でのんきに考えている自分が、なんというかバカバカしい。

 そうこうしているうちに、夕方から急速に熱が下がり出し、夜には37度台にまで落ち着いた。このあたりで関節や筋肉の痛みも和らぎ、ようやく熟睡もできるようなる。

 そして今朝、目ざめると体温は36.5度と平熱に。体重計に乗ると、この3日間で2キロほど減っていた。しかし、体脂肪率は大幅に上がっており、これって筋肉が落ちたってことだよなと思うと、ちと悲しい・・・。

 熱は下がり、関節や筋肉の痛みもほぼ無くなったが、いまだになんとなく意識はふわふわした感じであり、手足に力が入らない。

 また右手の痙攣が断続的にあり、さっきペンでノートにメモを取ろうとしたところ、指がつってしまい、一時的に文字を書くことができなかった。

 ところが無常にも、今日は午後から都内でインタビュー取材があるので、昼には家を出なければならぬ。

 いやはやまったく過酷であるが、生きていくためにはしかたがない。


 それにしても、人間歳をとると、若い頃はどうということのなかった病気で命を落とすこともあるのだということは、この歳になるとしみじみ実感できる。

 そしてまた、ニュースなどで「老人の孤独死」が報道されるが、自分の最後も、ほぼ間違いなく孤独死なのだろうということは、すでに覚悟の上である。

 ただできることなら、どうせ孤独死なんだけれども、できれば季節は冬がいいなあ、夏はいやだなあと思う。

 真夏は、腐敗が速いだろうから。

 (おしまい)
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「力なき正義は無能であり、正義なき力は圧制である」/(身辺雑記)
- 2017/03/08(Wed) -
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 とある一件の成り行きについて、意味深長なマルセイユ版のご神託。

 3段に深掘りした結論が、「剛毅」「正義」「剣の2」のコンビネーションというのは、武芸者として実に腑に落ちる。

 そして表層・深層・真理の縦軸を貫くのが、「杯の女王」「剣の王」「剛毅」というのも、また深い。

  「力なき正義は無能であり、正義なき力は圧制である。
  力なき正義は反抗を受け、正義なき力は弾劾を受ける。
  それゆえ正義と力を結合せねばならない。」
                    (パスカル『パンセ』より)


 ということか。

 なるほどね。

 (おしまい)
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旅の仲間/(身辺雑記)
- 2017/03/03(Fri) -
 18歳で家を出て以来、かれこれ30年もやもめ暮らしをしている。

 おかげで鶏のから揚げやふろ吹き大根も作れるし、洗濯をしてキーピングで襦袢や浴衣をパリッと仕上げることもできる。掃除もそこそこはしているし、もっとも苦手だった繕い物も、人間として最低限のレベル(笑)はできるようになった。

 ま、運針などという概念を逸脱した、まるでジョン・ランボーが自分の腕の傷を木綿糸で縫うようなひどいもんだが、それでも稽古着の破れを繕ったり、ドアノブにひっかけて裂けた着物の袂の応急処置くらいはなんとかなる。


 先日、稽古帰りに、バックパックが破けてしまった。

 帆布製の丈夫なフレンチガイドパックなのだが、なにしろ今年でちょうど買ってから20年が過ぎた老兵なので、開口部下の帆布が10㎝ほど裂けてしまったのだ。

 思えばこれを買ったのは1997年。池袋の秀山荘であった。

 取材で2週間ほどボルネオに行くために購入したもので、以来、酷暑のシリア砂漠から極寒の北朝鮮金剛山まで、いつも私の背中にあり、ただ黙々と愛用のニコンF90とFM2/T、コクヨの野帳にトンボ消しゴム付き鉛筆2558-HBといった取材七つ道具を運んでくれたものだ。

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▲2010年1月、青春18きっぷの取材で、東京→長野→京都→東京を各駅停車で移動しながら取材をしたときのひとコマ



 しかしここ数年は、すっかり海外取材のオーダーも無くなり、このフレンチガイドパックはもっぱら稽古に行く際の稽古着入れ9割、国内旅行取材1割といった利用割合になっている。

 風雪にさらされてクタクタになったザックは、自分としてはようやくいい風合いになってきたなと思い、バックパッカーの若い人からも「いい感じにくたびれてきましたね」などと褒められるのだが、一般の人から見れば、ただの小汚いリュックサックなのだろう。


 そんなこんなで、このまま捨ててしまい、新しいザックに買い替えるのはあまりに忍びないので、昨夜、針と木綿糸をチクチクやり、破れた部分を縫い合わせた。

 それにしても、私の裁縫の腕があまりにひどいものだから、まるで引き攣れた傷跡みたいになっているわけだが、それはそれで味があるかななどと、個人的には思っている。

 これでまた、あと10年は使えるな。

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▲山賊の傷跡のようになったものの、これはこれで味があるのではないかと、個人的には思う


 (おしまい)
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マックイーンのMA-1/(身辺雑記)
- 2017/03/02(Thu) -
 過日、某所のバーで、隣の席に座った私よりも少し若いおじさん2人組が話していた。

 「今年の冬は、若い連中にMA-1が流行ったんだってよ」
 「へえ。オレなんか、トム・クルーズの『トップガン』見て以来、MA-1着てるんだ。にわかとはちがうぜ」

 なるほど、彼にとってMA-1は、トム・クルーズと『トップガン』なのか・・・。



 思えば、『トップガン』の封切は今から31年前の1986年12月、私が高校2年の冬であった。

 3学期になると、同級生がこぞって米軍航空隊のパッチが付いたMA-1やMA-1モドキのパチモンを着て街を歩いていたものだ。

 そんな中で私は、

 「けっ、ペタパタとワッペンなんか張りやがって。本当のMA-1は、『ハンター』でマックイーンが着てた、無地の緑のMA-1なんだよ・・・」

 と心の中でつぶやいていた。

 ま、よくいる面倒くさい思春期の男子だったわけです。



 スティーブ・マックイーンの遺作である『ハンター』の封切は1980年の冬で、私がテレビ放映でそれを観たのは、多分、中学生の頃だから、『トップガン』の封切よりも数年早い。

 映画の中で、マックイーン演じる現代の賞金稼ぎラルフ・パパ・ソーソンが着ているMA-1が実にかっこよく、コンバットマガジンの広告に出ていた中田商店の通信販売で、貯めに貯めたおこずかいを全額下ろして、アルファ社の無地のグリーンのMA-1を買ったのは、遠い日の思い出だ。

 もっとも中学生の体格で、しかも背の順で前から2番目のチビな私にサイズの合うMA-1はなく、仕方なくぶかぶかの無地のグリーンのMA-1を着ている私をみて近所のおばさんが、

 「あら、建築現場のお兄さんのジャンパー?」

 と言ったことは、いまでも私の心に深い傷を残している・・・・・・。

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▲映画『ハンター』でMA-1を着ているスティーブ・マックイーン。37年たっても、やっぱりカッコイイ



 そんなこんなでこの冬、ひさびさにMA-1でも着てみるかと、20年ほど前に池袋のサープラス・ショップで買った3着目のアルファのMA-1をクリーニングに出し、久々に着てみる。

 ジーンズにシャツ、グリーンの無地のMA-1を着て鏡に映っている私は、自分の脳内ではまちがいなく『ハンター』のスティーブ・マックイーンなのである。

 だがそんな私を見て、親しい人はこうのたまった。

 「なんか、工事現場のオジサンみたいだよ」

 ・・・・・・、ま、いいんだ、それ言われ慣れているから。


 (おしまい)
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