武芸者の一分/(身辺雑記)
- 2018/02/23(Fri) -
 過日、国立劇場で近松の『女殺油地獄』を観賞。最高に素晴らしい文楽体験となった。

 ことに「豊島屋油店の段」は圧巻の出来栄えであり、息を飲むとはこのことか! といった、至福のひと時であった。

 詳しくは、また項を改めて書こうと思う。



 25年の取材記者人生で、これまで1対1でインタビューをした人の数は、ざっと1,000人は余裕で超えている。

 これだけの数になると本当にいろんな人がいて、ラーメン屋の頑固おやじから国会議員、大学出たてのシステムエンジニアから離島の医師、幼稚園の熊さん組の幼児から引退した大学病院の名誉教授まで、実にさまざまな年齢・職種・階層にいる人と、初対面の上でアイコンタクト&フェイス・トゥ・フェイスで話しを聞いて、それを文字にして世の中に送り出してきた。

 これだけ雑多な人にインタビューをしていると、当然ながら自分とは考え方が異なる人、相性の悪い人、いけ好かない人もいた。

 しかし、こちらはプロのモノ書きであり、しかも出版社なり制作会社から依頼を受けてインタビューと原稿執筆を行っているのだから、基本的には相手を非難するようなものではなく、良いところ引き出す記事を書いてきたし、そういうスタンスで取材・執筆に臨んできた。

 ところが先日、いままで25年間のライター生活で、唯一、「俺はコイツが嫌いだ・・・」と心の底から思う相手についての仕事の依頼を、受けざるをえないことになってしまった。

 私の場合、普通ならこういう場合は丁重に仕事をお断りするのだけれど(だから儲からない・・・)、今回はどうしても断れない編集者や制作会社への義理としがらみがあったわけで、それがなければどれだけ原稿料を積まれたとしても、絶対に断っていた案件である。

 フリーランスの記者とて、業界の人間関係や義理を無下にしては、生きていけないのだ。

 では、なぜ私がその相手のことが心の底から嫌いなのかというと、拝金主義で権威主義で無礼で他者の傷みの分からないヤツだからである。

 たいがいの場合、どんなに性格の合わない相手でも、あるいは主義主張が異なる相手でも、じっくりと話しを聞けば1つぐらいはリスペクトできる点があるものだが、今回の相手にはそういったものが1つも感じられない。

 故に、いっこうに筆が進まず、難渋をしている。

 心に嘘は、つけないものだ・・・・・・。



 拝金主義の世の中である。

 若い頃は、「金で買えないモノはない」といった言葉に対して非常に強い反発を感じ、「この世には金で買えないモノが必ずあるはずだ!」などと、青臭いことを常々考えていたものだ。

 武術・武道という、おおよそ金儲けとは対極にある技芸に人生を打ち込んできたのも、そういった心持ちの現れのひとつなのかもしれない。

(世のなかには一部、武芸を金儲けの道具にしている者もいるが、思うに、どうせ金儲けをするのなら、もっと費用対効果の高い方法があるだろうにと思う)

 しかし半世紀も生きていると、「世の中のたいがいのモノは、お金で買える」という事実をしみじみと思い知らされるし、認めるか認めないかは別にして、それに気づかないと社会人としてかなり生きづらくなってしまう。

 そうはいっても、やっぱりあからさまに金儲けを称賛しない「廉恥心」は失わずにいたいし、やっぱり心の底では「金で買えないモノもある」と信じたい。

 そういう意味で、たとえば武芸にしても、あるいは冒頭に記した文楽をはじめとした伝統芸能にしても、これらは何千何万何億円を積んだとしても、学ぶ側に熱意があり、努力を積み重ねて弛まず長い年月に渡って稽古をしないと、見事な「業」や「術」、そして「位」を得る事はできない。

 こうした在り様が、伝統芸の素晴らしさのひとつだと私は思う。

 武道の名誉何段だとか古流武術における金許しの免許皆伝だとか、そういったものもあるけれど、実力の伴わない金や地位で得た段位や位階というのは、真面目な修行人たちからは鼻で笑われるだけの「値札」に過ぎず、そのカッコ悪さに気づかないのは当の本人だけなのだ。

 また、技芸の師範という立場で考えると、やはり何千何万何億円を積まれたとしても、「教えたくないヤツには教えない!」という自由がある。

 相手が首相だろうが大企業の社長だろうが、「顔を洗って出直してこい!」とか「おととい来やがれ!」とか「あんたに教える業なんかねえよ!」と言えること、ここに武術・武道人の心の一分、精神の自由があるわけだ。

 ま、首相や大企業の社長が、私の所に武芸を学びたいと願い出てくるかどうかは、定かではないが・・・・・・。

 しかしまあ実際には、「1億円出すから教えてください」と言われたら、たいがいのことは教えてしまうだろうことも、私自身も含めた浮世で生きる人間の悲しい性(さが)である。

 上述した、私が心の底から嫌いな人物が、「いますぐキャッシュで5億円お渡ししますから、柳剛流と手裏剣術を教えてください、お願いします」と三つ指ついて頭を下げてきたら、はたして私はそれを断れるだろうか?

 多分、教えちゃうんだろうな・・・・・・(涙)。

 生きていくというのは、切ないものだネ。


 「けがさじと 思う御法のともすれば 世わたるはしとなるぞ かなしき」
                       (『山上宗二記』より)


 (了)
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悪所通いの報いか・・・/(身辺雑記)
- 2018/02/21(Wed) -
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 終わることの無い激務による体調不良で免疫が低下。

 若い頃の悪所通いの報いか、ついに花柳病を発症してしまった・・・・・・。



 というのは真っ赤な嘘デス。

 先日、台所で揚げ物を作っていたらウズラの卵が破裂してしまい、油が跳ねて顔に飛んできた。

 咄嗟に手で払って避けたため、思い切り馬手に油を浴びてしまった次第。

 これぞまさに、『男殺油地獄』である。

 ちょっと調べたところ、ウズラを揚げていて破裂した黄身の破片が目に入ってしまい、失明してしまった料理人もいるとか。

 飛んできた油の塊(熱した油は跳ねると塊になって飛んでくる!)を右手で払ったものの、結局、飛沫になった油が目にもかかってしまったのであるが、幸いなことにメガネをかけていたので大事無かった。

 近眼&老眼で良かったヨ。

 なんというか、刺客に遠当ての術を喰らったような気分である(爆)。

 しかし、こりゃあ痣が残るな、きっと・・・・・・。

 いずれにしても、調理中の油跳ねにはご用心。

 跳ねるのは、柳剛流の跳び違いだけで十分である。

 (おしまい)
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メメント・モリ/(身辺雑記)
- 2018/02/16(Fri) -
 本日は確定申告の提出開始日。

 昨日、1日がかりで書類をまとめ、先ほど提出を終えた。

 それにしても、2017年も1年間、馬車馬のように働いてきたが、沈没寸前の出版業界の不況の影響で、年収は右肩下がりである。

 出版不況と武術・武道の関係でいえば、先月9日、『剣道日本』の発行元であったスキージャーナル株式会社が、約4億円の負債で破産した。

 昨今の出版業界の不況と紙媒体の凋落を考えれば、むべなるかなというところだ。

 東京商工リサーチの報道によると、スキージャーナル社は、


平成4年5月期の売上高は約16億5,000万円を計上していたものの、近年は出版不況による発行部数の減少に歯止めが掛からず売上が落ち込み、27年5月期の売上高は約5億5,500万円に低下。その後も業況が好転せず、資金繰り悪化から債務の支払遅延なども発生し、29年12月8日に資金ショートを起こしていた。



 のだそうな。

 売上が最盛期の3分の1では、倒産もやむをえまいと思う一方で、業界全体の落ち込み方も似たようなものだと実感する。

 私のようなフリーランスの記者の原稿料をみても、たとえば旅行ガイドブックでは平成7年ごろ、取材なし・執筆のみで1ページ1万2,000円だったギャラが、平成30年現在、同じ条件で1ページ3,000円程度にまで下落している。

 或いは、比較的不況の影響を受けにくい医療専門誌の原稿料も、平成12年ごろは取材・執筆込み4ページ12万円程度だったものが、今は同じページ数で6万円以下だ。

 一文字換算の原稿料で考えると、平成20年ごろまでは1文字10円の仕事は安すぎて断っていたのが、いまや1文字4円とか3円の仕事などざらである。

 つまり、私のような個人事業者レベルで考えても、近年の売上高は最盛期の2分の1から4分の1に低下してしまっているわけで、スキージャーナルの減収と同じような状態なのだ。

 それでもなんとか借家の家賃を払い、スーパーの見切り品の刺身を肴に紙パックの安酒で酔っ払い、一方で稽古場を維持し、必要な武具を用意し、思う存分武芸に打ち込んでいられるのはなぜか?

 原稿料が3分の1や2分の1に下がった分、30代の頃の2倍も3倍も働いてしているからだ。

 これは正直、後2年で五十路を迎えようという初老の男には、結構つらい。

 若い頃のように、毎日12時間・1週間ぶっとうしで原稿を書くとか、1週間通しでの地方取材とか、1日5人続けて一人1時間のインタビューとかいうのは、体力的にも精神的にもそろそろ限界である。

 それでも、これくらいハードな仕事をしないと、15年前の年収は維持できないわけだ。

 もう1つ、今のような経済状態でもなんとか人並みの生活が維持できているのは、養うべき家族がいない独り者だからである。

 現状の年収では、とうてい子供に十分な高等教育を受けさせられないし、奥さんと一緒に銀座の『BEIGE ALAIN DUCASSE TOKYO』での外食など絶対に無理である(爆)。



 かつて、同じ学校で出版人を志した仲間の多くは、出版不況の悪化にともなって転職し、出版業界から去ってしまった。

 この25年間で、失踪したまま行き方知れずになってしまった者や、自ら命を絶ってしまった者もいる。

 とはいえ、この仕事は誰に強制されたわけでもなく、売文稼業を選んだのは自分自身であるし、四半世紀に渡って業界に踏みとどまっているのも自分の意思だ。

 そもそも、五十路にならんとする潰しのきかないフリーの記者の転職先など、ほとんど無いのが現実なのだが、誰か年収800万円くらいでいいから雇ってくれんもんだろうかネ。

 あるいは、月謝1万円で弟子が100人くらいいれば、経費を差っ引いても余裕のある生活ができるのだがナ・・・・・・(苦笑)。



 この先、どこまで売文業で食っていけるか分からないし、最終的には私のような零細自営業者の場合、高齢になり仕事が無くなれば、満額でも月々6万4,000円の国民年金しか収入がない状態となる。

 それどころか私の場合、若いころは無頼三昧なその日暮らしで年金を払えなかった時期があるので、年金の受給額は毎月2万円強にしかならないし、資産や貯金は現時点で皆無である。

 こうした状況を鑑みた上で、医療・介護・社会福祉領域を専門とする記者として自分の将来を客観的に推測するとだね、宝くじでも当たらない限り、私の老後は生活保護&孤独死が100%確定しているわけだ。

 それでも私は今、きちんと税金や社会保険料などの支払を済ませ、自分で稼いだ金で酒を飲み、柳剛流をはじめとした古流武術や手裏剣術の稽古と研究に打ち込み、自分の稽古場で門下への指導を行い、月に一度親しい人と好きな歌舞伎や文楽と食事を楽しむことができる、ささやかなこの暮らしに結構満足している。

 その上で、最終的には孤独死する覚悟は、とうの昔にできている。

 あるいは西部邁氏ではないが、状況と必要によっては自裁という選択もありだろう。

 ちなみに死後、自分の死骸や貰い手のない家財道具等を処理してもらうための最低限の資金確保は、必ずあらかじめしておきたいものだ。

 死んだ後にまで、世間様にご迷惑を掛けてはならぬ。立つ鳥跡を濁さずである。

 私の場合、今のところ県民共済の死亡保障で、自分の死体の後片付け等の代金は賄える予定だ。



 そんなこんなで、今日も今日とて原稿を書きまくり明日を生き抜くための金を稼ぎつつ、木太刀を執って柳剛流の稽古に勤しむわけだ。


 「吾れ死なば焼くな埋むな野に晒せ 痩せたる犬の腹肥やせ」
                         (小野小町)

 
   (おしまい)
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幕間、希望と追憶/(身辺雑記)
- 2018/02/12(Mon) -
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 世間様は3連休なのだなということを、今朝、改めて知った。

 私は今日も、ひたすら原稿書き。



 昨晩、カズオ・イシグロの『忘れられた巨人』を読了。

 静謐な良作であった。 


 (おしまい)
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本日終業後、茶を喫して想う/(身辺雑記)
- 2018/02/05(Mon) -
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 さて、日付も変わったことだし、稽古して寝るか・・・。



 けがさじと思う御法のともすれば
             世わたるはしとなるぞかなしき(慈鎮和尚)


 (了)
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