美濃の剛剣に学ぶ~2008年秋,修行の旅
- 2008/09/30(Tue) -
土曜

 朝7時起床。荷物を抱えていざ,美濃へ。

 今回の修行の旅は,岐阜県中津川市で戸山流居合抜刀術美濃羽会中津川稽古会を主催されており,我が武学倶楽部の会員にもなっていただいている,棚田寛兵衛さんを訪ねる旅である。

 自宅の最寄り駅から,土曜朝の人もまばらな列車で秋津へ。ここでJRに乗り換え,西国分寺から中央線へ。さらに高尾で中央本線に乗り換える。

 この辺りまでくると,車窓の風景も山並みが見えるものとなり,山育ちの私としては,なんとなく郷愁がそそられる風景となる。

 甲府で小1時間ほど電車を待ち,小淵沢でさらに30分ほど乗り継ぎの待ち合わせ。ここでお楽しみの駅弁(『元気甲斐』1300円。二段のお重で,山女の甲州煮や公魚の南蛮煮,鶏の柚子味噌合えなど,山梨の珍味が目白押し! 美味である)をいただく。

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↑駅弁は,鉄道旅にはなくてはならないものである


 腹がくちくなると,レールの「ガタコンー,ガタコンー」という振動,そして車窓に見える信州の景色が最高の睡眠薬。夢と現を行きつ戻りつ,若い頃の恋人のことなどを図らずも思い出してしまい,いささかセンチな気分になる。

 ま,こんなセンチメンタルさもまた,鉄道ひとり旅の魅力だ。

 塩尻で中央西本線に乗り換えると,線路は木曽谷に沿って南へ向かう。木曽路は山の中・・・は,藤村か? 迫るような木曽の山が少しずつ広がりとゆとりを見せはじめるころ,ようやく目的地の美乃坂本へ到着。

 駅で1年ぶりに,棚田さんと再会。車で本日お世話になるご実家へ案内される。

 久々の再会ゆえ,ひとしきり近況を語った後,「ではさっそく,『斬り』の稽古(試斬)から始めますか」とのこと。

 さてさて,修行の始まりである。

 稽古着に着替え,前庭に出る。「市村さんのご流儀で斬ってみますか? それとも当流のやりかたでやってみますか?」と水を向けていただいたので,迷うことなく「せっかくですから,中津川稽古会の運剣をご指導いただければ」とお願いする。

 これは余談であるが,武術交流や交換稽古に出たのに,かたくなに他流の実技を学ぶことを拒むタイプの武術・武道人がときおりいる。それはそれで,ひとつの見識だとも思うのが,個人的には,せっかく他流の方と交流する機会があるのだったら,相手が不愉快でなければ,可能な限り,相手のご流儀の技や練成法などを学ぶように心がけている。私はそれが本来の,武者修行の意義だと思うのだがいかがだろう?

 広く他流に学び,取り入れるべきところは取り入れ,原理原則としてそれが自分の動きに接合できないことでも,武の経験知として吸収しておくこと。これが市村流「流れ武芸者」の心得である。

 さて,庭に斬りのための竹を設置。まずは戸山流居合抜刀術美濃羽会の基本的な素振り,剣の運用などついてご指導いただき,いよいよ実際に斬りの稽古へ。

 ところで私の試斬経験は,中学生の頃,お遊び程度で,親指ほどの太さの姫竹を真剣で斬ったことがある程度。事実上,初めての,本格的な斬り稽古の体験である。

 もちろん緊張感もあったが,一方で,「自分がいままで稽古してきた剣術や居合が,どの程度,実際の斬りで通用するのだろうか?」という好奇心の方がさらに強かった。

 とはいっても,あくまでも体の運用や剣の扱いは,この場でご指導いただいた戸山流の体動で行うことは言うまでもない。

 はじめは親指よりやや太い程度の竹から。これを刃引きの真剣で,袈裟に斬って落とす。

 その後,段階的に試物を太い竹に変えていき,最終的には直径60ミリほどの竹を袈裟に斬る。

 結果的に,1時間ほどの斬りの稽古で,斬り損じたのは3回ほど。あとはすべて,一刀両断することができたのは,われながら意外であり,また満足であった。

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↑不肖・市村翠雨が斬った,直径60ミリほどの竹。以後はペン立てとなる予定である


 しかも,自分としては,最初から最後まで,あくまでもご指導いただいた戸山流の体動で動いていたつもりだったのだが,後で伺うと,「右側に軸を立てた,独特の動きでしたね」と指摘され,知らぬうちに,私が若い頃に打ち込んだ抜刀術の袈裟斬りの動き+伝統派空手道の体動が加味された,「オレ流」の動きになってしまっていたようであった。

 それはそれで,「自分が学んできた流儀は,それなりに遣えるのだな」と確認できたことは,学びであり,喜びである。

 いずれにしても,棚田さんのご指導もあり,事実上,初めての斬りの稽古体験であったが,たいへん充実し気づきの多い稽古となった(武術的な内容や学びのポイントについては,後日,改めてまとめる予定)。

 稽古後,近くのラドン温泉で一汗流し,さらに夕食は,棚田さんのご友人が営んでいる,隠れ家的創作和食のダイニングで。前菜から小鉢,刺し盛,揚げ物,焼き物などなど,旬の素材を使った実に美味な創作和風会席の数々と,ご主人イチオシの吟醸酒に舌鼓。そしてまた,武術談義に花が咲く。

 学びの多い稽古,季節の美味,うまい酒,そして信頼できる武の先輩との忌憚のない武術談義。武術・武道人でいてよかった! っと想える,至福のひと時である。

 酒宴の後は,さらに棚田さん秘蔵の古武道関連ビデオを鑑賞。そして,就寝。



日曜

 朝食後,9時から,戸山流居合抜刀術美濃羽会中津川稽古会の定例稽古に参加させていただく。

 広々とした体育館で,木剣を無心に,そして思い切り振るう。戸山流の基礎居合,そして組太刀の稽古に参加。いずれもシンプルながら,質実剛健,大なる刀勢を練磨する,豪快な太刀筋の稽古である。

 個人的に,こういう太刀筋と運用,私はたいへん好きである。

 また,「実際に闘える剣の稽古」とは,本来,こういうものなのだろうなとも思う。


 ご流儀の稽古後は,場所を移してささやかながら,手裏剣体験教室を開催。中津川稽古会のみなさんに,棒手裏剣を体験していただく。

 それにつけても,お手本となる私の打剣がイマイチ・・・。そこんところは,軽薄・・・もとい軽妙なトークでみなさんを煙に巻き(「口(くち)合気」とは,便利な技だ・・・),長剣や重量剣,軽量剣などで,直打を体験してもらう。

 手裏剣体験の後半は,近距離・軽量剣使用で,ご流儀の体動をそのまま活かした手裏剣の打剣を体験していただいた。

 興味深かったのは,居合抜刀術の経験数回(?)という初心者の女性の方が,たいへんスムーズで理にかなった滑走打法で,2間距離でほどよい刺中をしていたことである。やはり,余計な力みやクセのないことが,よかったのだろう。

 経験者は初心者に学べ! は,不易の哲理であると,改めて実感。

 また,みなさんが普段稽古されている,戸山流の正面斬りの体動そのままで,軽量剣を2間ほどの距離で打剣していただいたところ,みなさん全員が,勢いのある良好な滑走打法の直打で,刺中を得られていたことも印象的であった。これは,みなさんが,普段からご流儀の体の運用に沿った,理にかなった稽古をしており,その動きを習得されていることを示しているといえよう。

 いずれにしても,多少なりともみなさんに手裏剣術の面白さ,難しさ,意義を感じていただければよかったかなと思う。

 その後,昼食を済ませ,私の希望で,近隣にあるラジウム温泉へ案内していただく。柔らかい湯と,しっかりとラジウムを含んだ湯煙が満たされた小ぢんまりとした湯殿で,稽古の疲れをいやす。

 15時すぎ,棚田さんに駅まで送っていただき,学び多く,また美味と美酒,良い湯,なにより良き武の仲間と交流することができた,充実した修行の旅が終わった。

 再び機会を見つけ,山紫水明で人心穏やかな恵那の地で,みなさんと共に稽古がしたいと願いながら,江戸への遠い帰路についた。
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兵頭二十八編訳『名将言行録』
- 2008/09/22(Mon) -
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 『兵法家伝書』や『五輪書』に限らず、大の兵法と小の兵法の共通点を探り学ぶというのは、いつの世の武人にとっても重要な稽古である。

 そういう意味で、平成の軍学者・兵頭二十八氏の指摘する「対抗不能性」と「対権力直接アプローチ」は、小の兵法=武術においても、たいへん重要であると考え、私は以前から私淑している。


 そんな同氏の最新刊は、『名将言行録』(岡谷繁実著/兵頭二十八編訳/PHP研究所)である。

 早速、拝読。

 同じシリーズで昨年、兵頭氏の新訳で刊行された『孫子』同様、たいへん読み応えのある作品であった。

 今回の編訳では、原著に記された192人の記述について、兵頭氏が着目した部分を摘録としてまとめている。このため、「なぜこのエピソードを選んだのか?」というところに、同氏の主張したいエッセンスが込められており、兵頭流軍学の市井の門弟としては、そのあたりを推察するのも楽しみでもある。

 また、有名どころの武将のみをチョイスするのではなく、記述の大小は別としても、あえて192人すべてのコメントを採録した点にも、同氏の文献資料・記録に対する誠意が感じられる。


 なお今回の編訳で、武術・武道人が覚えておいて損ではないエピソードとしては、こんな話がある。

 「(剣術初心者が人を斬るには)刀の鍔で相手に撃ちかかるとよい」(柳生宗矩)

 「槍をふるって20回ほど敵の首をとったが、最初の5回は無我夢中でぜんぜん覚えていない。しかし10回を越えると、相手の内兜が実によく見えるようになった」(山中幸盛)

 「(身分を得るまでは大太刀や槍の技が自慢だったが)700石取りになってからは、無名の武士から武芸の試合を申し込まれても、相手にしなかった」(可児吉長)

 「武田信玄の軍は、ヤジリが相手の体内に残るよう、わざと矢の根をゆるくはめていたが、こうした原始部族的旧習を廃止した」(徳川家康)

 「戦場では雑兵たちは頭部が保護されていないと、心理的に持ちこたえられない」(加藤清正)

 etc...。

 秋の夜長の一冊として、おすすめだ。  
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サムライを気どるなら、平成の武人の嗜みも学びたまえ
- 2008/09/21(Sun) -
 私は普段、やむを得ぬ事情が無い限りは、和装で過ごしている。

 日本文化の称揚とか伝統の技を守れとかいうような高尚な理由ではなく、ようは単なる道楽である。幸いなことに、ここ数年、「男の着物」がブームであり、都内では若者から年配の方まで、最近はずいぶん和装の人が増えてきたように思う。喜ばしいことだ。

 それでもまあ平成の御世では、キモノというのはやはり目立つわけで、私などたまに生業の関係でスーツなどを着て地元を歩いていると、なじみの商店街の人々に「今日はどうしたの!」などと、逆に驚かれるほどである。

 というわけで、自分以外に着物姿の男性を町で見かければ、好意を感じこそすれ、忌避することなどはない。

 がしかし、どうにも許容できない、「馬鹿者」に出会うこともある。

 1回目は2年ほど前、2回目は今日。いずれも20代くらいの男であるが、同一人物であるのかは定かでない。場所いずれもJR池袋駅の構内である。

 その男、和装で白昼の駅の構内を歩いている。それは良し、こちらも今日は、浅黄色の麻の着流しである。一方でヤツは、羽織はまとわず、黒の長着に同じく黒の袴を着けて闊歩している。サムライを気どっておるのだな。

 なおこれは個人的な好みなのだが、私は和装でも、基本的に袴ははかない。なぜなら袴をつけると、普段着としては大仰かつコスプレじみて見えるからである。また礼装として、紋付袴が求められるような場には、和服は着ていかない。めんどうくさいからである。

 まあ、これはあくまでも私の好みであり美学であるので、それに関して、この男をとやかく言うつもりはない。またこの男、ご丁寧に編笠(!)まで首から背中にかけていて、どうみてもコスプレにしか見えないのだが、それも別にかまわない。

 日本は自由の国であり、東京はアバンギャルドな都市なのだ。人の服装に文句はつけないのが、東京人の嗜みである。

 問題なのは、この男が、刀らしき物を持ち歩いていることである。

 もちろん抜き身ではない。がしかし、絹様の薄手の布の刀袋に入れただけの状態で、手に持って歩いているのである。しかも、ご丁寧に左手にだ。

 ちょうど私も稽古場に向かう途中であり、居合刀一振、飛刀術用の脇差一振、木剣一振、手裏剣20本を持っていた。しかし当然ながら、居合刀と脇差は、それぞれ布の刀袋に納め、木剣と共に、それらをさらに皮製の刀ケースに収めて稽古場まで「運搬」しているのである。

 手裏剣については、リュックサックの一番底にしまい、その上に稽古着、袴、地下足袋などを収納し、すぐに取り出せないようにして「運搬」している。

 他流の居合人や剣術家を見ても、私が知る限り、武術・武道を嗜む者は、基本的に剣類は布の刀袋に納めた上で、それをさらになんらかの刀ケース(釣竿ケースを代用する人もいますな)に収納し、稽古場への持ち運びに使っているようである。

 ようするに、剣呑な刀剣類あるいはそれに類する武具を持ち歩くときには、できるだけすぐに使用できないような状態で、なおかつ、それが武具と分からぬようにして持ち歩くというのが、平成の武人の嗜みというものである。

 ところがこのコスプレ男、薄手の刀袋のみで、しかもそれをたぶん柄頭を前方にして左手に持ち、人並みでごったがす日曜の池袋駅構内をノコノコ歩いているのである。

 もちろん、刀袋の中身が、竹光か、模擬刀か、居合刀か、模造刀か、本身かは判別しようがない。もしかしたら、杖かも知れない。まあ、我々、武術・武道をたしなむ者が見れば、たぶん刀か、それに類するものが入っているのだろうというのは推察できる。


 さて、もしこの男が、たんなるコスプレ男であるなら、まだいい。

 ただ、とりあえず左手に持つのはやめれと。右手で持ち歩けな。また、これからは刀は刀袋に入れ、それをさらに刀ケースに納めて持ち歩けと。だれかが教えてやれば良いのである。そんなんでは、いかにサムライを気どった和装でも、「お里が知られるよ」と。

 たぶん奴は刀剣の扱いの作法、そして現代社会での刀剣やそれに類するものの、平素の扱いのルールや嗜みを知らないのだろう。

 問題なのは、万が一、この男が単なるコスプレ男ではなく、武術・武道の関係者だったらということである。

 だとすれば、本人も馬鹿だが、指導者や稽古場・道場の責任者も愚か者だということだ。

 平成の今、刃物を使った犯罪がマスコミでも大きく報道され、世間の目が厳しくなっている今だからこそ、修養として剣術や居合を学ぶ者は、従来以上に、武具の管理や運搬には気を使うべきである。とくに一般の人は、本身と居合刀、偽造刀などの区別がつかないわけであり、だからこそ他者を威嚇するような武具類は、できるだけ「それと分からぬように」、持ち運ぶのが、平成の武人の嗜みなのだ。

 それが出来ないような者、あるいはそこに思いが行き届かないような、平素の暮らしでの「間合」や「位」の感覚に鈍感な者は、武術・武道にはそもそも向いていない。さらにそのような門人を野放しにしているような流儀・指導者は、武人以前に、社会人としての資質を欠いていると断言してよい。

 いずれにしても、こうした馬鹿者が跋扈していようでは、着物ブームも、武術・武道の興隆も、社会的には百害あって一利なしである。

 まったく、困ったものだ・・・。
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『月刊 秘伝』の手裏剣術特集
- 2008/09/18(Thu) -
 この世界になじみの深い者には、いろいろな意味で(?)おなじみの雑誌、『月刊 秘伝』。

 14日発売の今月号は手裏剣術の特集です。

 いちおう手裏剣道場の看板を揚げている者として、こんなことを冒頭から言うのもナニだが、武芸十八般のひとつに数えられると言われながら、同じ武術・武道関係者からも、ある種キワモノ扱いされることが少なくない手裏剣術、こうしたメディアで大きく取り上げられることは多くはない。

 そういう意味で今回の特集、末席とはいえ斯術に携わる者のひとりとしては、まずは慶事と喜びたい。

 ぜひ実際の誌面を読んでいただければと思うが、特に、当埼玉行田道場が普段からなにかと懇意にさせていただいている、鈴木崩残氏の無冥流については、今回の特集でたいへん大きく誌面が割かれていることに注目していただければと思う。

 内容としては、同流が提唱する「重心理論」のまとめ、飛刀術も含めた「異物投擲」、そして当道場もその研究の一翼を担わせていただいている「武術的な手裏剣術の対戦戦略と戦術」、以上、大きく3つのテーマが、第三者である同誌記者の客観的視点で、簡潔にまとめれている。

 それ以外の記事も、ハイスピード撮影による明府真影流・大塚師範の見事な打剣の数々、さらに私も一時ネット上の論争に加わったことがある、手裏剣による壜類への貫通の記録など、手裏剣術に関心のあるものなら、なかなかに見ごたえ・読みごたえのある特集であった。


 ところで個人的に、そして余談的に愉快だったのは、特集冒頭のQ&Aで、「手裏剣で狩猟か可能か?」という設問が示され、複数の斯術の第一人者が一様に、「現実的には難しいと語った」と、改めて示されたことである。

 これは個人的に、これまでネットでもSNSでも、あるいは直接的な会話・討論でも、私は再三、主張してきたことであるが、手裏剣で狩猟など、現実的にできるわけがなく、またたとえ時代が明治以前でも、実利的にもやる意味もないことである。

 いわばこれ、「武術的都市伝説」なのだ。

 そもそもは、近年の武術界における手裏剣術ブーム(?)の草分けのひとりであり、いまや古流武術界の権威(?)でもある武術稽古研究家K氏が、ずいぶん前に言い出したもので、いつのまにか斯術に関わる者の間に流布してしまったヨタ話だ。

 だいたい多少狩猟経験のある者ならだれでも分かるのだが、野生動物に手裏剣などどう考えても「当たらない」、「刺さらない」、「(仮に刺さったとしても)半矢にしかならない」ことは、自明の理である。鹿や猪は当然ながら、山鳥や雉、野うさぎすら、獲ることはできないだろう。

 仮にできるとしたら、スズメやドバトなど、人間に警戒心の薄い小型の鳥を普段から米粒などで餌付けしておいて、至近距離から手裏剣で打てば、「絶対不可能」ではないと思う。

 しかし、なにしろ「武者修行の途中の山野で、手裏剣で野生動物を仕留めて食料にする」らしいのだからなあ・・・。

 それはどう考えても無理でしょう。狩猟用空気銃どころか、散弾銃でもはずすことがあるのだがねえ。


 とにかく現代武道の世界と異なり、こと古流武術の世界には、指導者も弟子も、「いにしえの達人信仰」が大好きなオカルト君が少なくないものだから、こういうヨタ話がまことしやかに信じられてしまうのであろうし、そういった体質こそが、いつの時代にもインチキ武術屋がいっこうに無くならない温床になっているのだ。

 というわけで何度でも言うが、「(敵意を持った相手を)気の力で触れずに倒すこと」はできないし、「宮本武蔵の霊が乗り移って、その動きで闘う」とか「キリストや釈迦は空手をやっていた」とかいうのは、単なる妄想である。いや、平成の武道イタコか? また、「伝書は空襲で焼けた」とかいう流派には、なるべく近づくなと・・・。

 
 なにやら話は手裏剣術の話題からいささか脱線したが、まずはなにより、手裏剣術を稽古する者、関心のある者は、今回の特集、一読をおすすめする!
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山人の幻想~伊豆修善寺~ 
- 2008/09/17(Wed) -
 先の週末は、久々に実家である伊豆・修善寺に帰省した。

 1年ぶりのふるさとは、変わるべきところは変わり、変わらないところは何も変わっていない。

 実家でごろごろしている暇つぶしに、自室の書庫をあさっていると、『伊豆歴史散歩 激動期を生きた山人のルーツ』(沢史生著/昭和53年/創元社)という本が目についた。

 少年時代から歴史に関する本が好きで、この手の郷土史の本をよく買って読んでいた。まちがいなく自分が買ったものなのだが、内容はすっかり失念していたので、ぱらぱらと数ページ目を通すと、これがまた、なんとも面白い。

 タイトルを一瞥すると、お約束の郷土の通史解説本、あるいは名所旧跡のいわれを集めた解説本かと思ったのだが、さにあらず。伊豆の梟雄にして鎌倉北条氏の祖である北条時政、そして後北条氏の祖である北条早雲こと伊勢新九郎長氏の活動を軸に、古代の製鉄民であり山人、なにより、まつろわぬ民であった伊豆の山の民の民俗史を概観するという、なかなかに凝った作りの作品であった。

 鎌倉幕府二代目将軍源頼家が、入浴中に「分銅を飛ばして首に縄を巻きつけ、引き倒して手足を押さえつけたうえ、睾丸を握りつぶして絶命させ」られた、修善寺温泉を流れる渓流・桂川沿いの筥湯(現在の筥湯は、平成に再建されたもの)。

 仏教普及の名のものとに伊豆半島の金属資源地の収奪を狙う、弘法大師の一軍が、地元に巣食う鬼=山の民を閉じ込め殲滅したという岩屋を祀る修蝉寺・奥の院。

 謀略の果てにこの地に追い込まれ、実の兄が放った討手の軍勢に打ち込まれ、はかなく自刃した蒲の冠者・源範頼の館跡で古代産鉄族の信仰に連なる日枝神社。

 筆者によれば伊豆・修善寺は、中世の血塗られた殺戮史の舞台であり、古代から連綿と続いたまつろわぬ山の民の隠れ里であったともいう。



 伊豆・修善寺は、私の母方であるT家の故里であり、私自身生まれてから20歳までこの地で暮らした。T一族は、その祖は執権・北条氏末期の直系に連なるといわれ、代々、天城連山に源を発する狩野川沿いのKという地区を統べた地侍の家と伝えられる。戦国時代には一族から、小田原北条氏の軍師となった、板部岡江雪斎という人物を輩出しているともいう。

 近世以降も戦前までは、それなりに裕福な家だったようだが、戦後の農地解放、また昭和33年の狩野川台風による大水害、なにより生涯、生業としての「仕事」というものをせず、鮎釣りだけに興じたという、いささかうらやましい祖父の浮世離れした暮らし、そして先代家長の死別を巡るトラブルなどで、今は往時の面影もないとか。

 もっとも、分家の次男、しかも少年の時分からいろいろ問題ありで、親族にも迷惑ばかりかけていた私としては、ここ30年近く本家とはほとんど交流はなく、こうした話がどこまで事実でどこまでが伝説、あるいは妄想であるのかは、さだかではない。

 ただし、不惑を目の前にして、いまだに武術・武道などという道楽にかまけている、私の浮世離れした所は、多少は伊豆の祖父の血を引いている証なのかもしれない。あるいはそれが、古代から伝わる「まつろわぬ山の民」の血のなせる業なのか・・・? などと妄想してみるのも、それはそれで悪くはないかと思う。



 幕末の開国時、アメリカ領事ハリスとともに下田に入り、そこから徒歩で伊豆の険阻・天城峠を越えた通訳のヒュースケンは、伊豆を「島よりも、もっと日本に近寄りがたい一片の土地」と評したという。

 古代、遠流の地であり、中世までは山の民の地であった伊豆は、幕末の世でも、険阻な山と谷に囲まれた「地の涯」だったのだろう。


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東京都のナイフ規制条例に思う
- 2008/09/11(Thu) -
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           (わが家にある「不健全刃物」たち・・・)



 読売新聞の報道によれば、東京都は秋葉原での通り魔事件を受けて、明日9月12日からダガーナイフ、ダイバーズナイフ、ブーツナイフ、プッシュダガー、そしてスローイングナイフの4種類を「不健全刃物」に指定。18歳未満への販売・譲渡を禁止し、違反した場合には30万円以下の罰金が科されるとのことである。

 さて、まだ都の告示の原文を読んでいないのでなんといえないのだが、これら新たに規制される4種の刃物に対して、具体的にどのような定義がなされているのか?

 たとえば、今、私の手もとには、冒頭の写真の通り何本かのスローイングナイフやダイバーズナイフ(ダガータイプ)がある。なお、このスローイングナイフに関してだが、これらは手裏剣術の研究のためのもので、エッジ(刃)はまったくついていない。

 これを「不健全刃物」と定義する以前に、そもそも「エッジのついていない」スローイングナイフは、刃物の定義に当てはまるのか? という議論があってしかるべきである。 刃物=ナイフ=刃(やいば)のついている切断用具とするならば、私の所持しているスローイングナイフは、「スローイング用のナイフ」ではなく、「スローイング用のナイフの形をした鉄の板」である。

 このあたりの法的な定義がどのようなものなのかを、きちんと精査しておかねばなるまい。

 実際のところ、今回の都の規制は、ようするに「コドモに売るな・譲るな」ということであり、戦闘用のダガーや刺殺専用のプッシュダガー、ブーツナイフなどについては、今回の規制、多いに賛成である。

 がしかし、泥縄式に、ダイバーズナイフやスローイングナイフも規制にくわえるというのはいかがものか? また、これがさらなるしばりへの第一歩となる可能性が強いことを、市井の手裏剣術家としては、非常に懸念するわけだ。

 今回の規制の背景を見れば、国としては、ダガーのような殺傷力の高いナイフについて、銃刀法改正により「携帯」や「運搬」はもとより、「所持」も禁止しようというもくろみがあったという。しかし、政局がらみで、国会の会期も不透明、下手に着手して、たな晒し、廃案では意味がないので、今国会での法改正は先送りにし、まずは各地方自治体での条例レベルで規制を強め、法改正への道筋をつけようという事のようである。

 さて、ここで思うのは、冒頭で述べたように、規制対象となる4種の「不健全刃物」が、どのように定義されているのかという点。また現在、国内で流通している「スローイングナイフ」と呼ばれるものは、本当に不健全=危険な刃物なのか? いやそもそも、専用のスローイングナイフとして流通しているものが、刃物に当たるのか? などといった点について、どの程度、明確かつ客観的、そして公平性を担保した定義がなされているのだろうかという事である。

 さらには、こうしたナイフ規制が、合法的趣味行為である、手裏剣術の練成・研究という活動に、どのような影響を与えるのかという点について、個人的には多いに危惧している。

 本来、エッジが付けられておらず、鍔もなく、殺傷力どころか受傷可能性も限りなく皆無に近い、一般的なスローイングナイフが、今回、「不健全刃物」に指定されたということは、我々、平成の手裏剣術者が日常的に使用している稽古用の手裏剣についても、いつ何時、「不健全刃物」のそしりをうけるか分からない。

 この点を十分に理解した上で、我々は、稽古時の武具の取り扱いはもちろん、稽古場への運搬・所持についても、これまで以上に慎重な行動が求められるといえるだろう。
 
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プレ・オープンのご挨拶
- 2008/09/10(Wed) -
        




 本ブログは、手裏剣術稽古会・武学倶楽部埼玉行田道場代表である市村翠雨が、つらつらと日々の稽古や思索を書き連ねる随筆帳です。

 旧ブログでは、カテゴリー分類が無かったため、基本的に武術・武道関連の事しか書いてきませんでしたが、今後は身辺雑記も含め、幅広く、「よしなし事」を記していこうかと思います。

 どうぞ皆様、改めてお見知りおきを。

 平成20年9月10日
 市村翠雨 頓首
 
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