人格の陶冶は、はるか彼方・・・?
- 2008/10/30(Thu) -
 書こうと思うテーマはあるのだが、まだ構成が熟成されていない・・・。

 武術・武道と人格の陶冶という、大上段に振りかぶったテーマについてである。

 これはもう、あまりに大きな、そして常に考えねばならないテーマなわけだが、最近、2つほどの事例を見聞きし、「武術・武道では、やはり人格は陶冶されないのだろうか?」と、やや悲しい気分になった。

 醜悪な自己顕示を垂れ流し続ける者。あるいは青少年の健全な育成どころか、子供の人格をゆがめかねないような愚かな稽古を推奨する者・・・。それらがいずれも、まがりなりにも流儀の看板をかかげ、他人様からは「先生」と呼ばれるような立場の人間たちだというのだから、なんともむなしいものである。

 もちろん価値的命題の是非は人それぞれである。

 そこで年齢も経歴もさまざまな、幾人かの武友におりにふれこうした事例の意見を求めても、みな同様に、「こまったもんですなあ・・・」という意見となる。


 まあ、もっともあわれなのは、そういった指導者についた弟子なのだろうが、未成年でもないかぎり、弟子にもリテラシーが求められるわけで、ま、自業自得ともいえてしまうのだろう。


 ひとごとながら、いささかブルーになってしまいますな・・・。

 
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「剣術教習のための手裏剣術~正面斬り」 訂正と補足
- 2008/10/27(Mon) -

 「剣術教習のための手裏剣術~正面斬り」について、無冥流の鈴木崩残氏より、いくつかご指摘と補足がありました。ありがとうございます。

 以下、訂正と補足をしておきます。

 まず、動画中で手裏剣の重心位置について、「ほぼ中央重心」、「やや後ろ重心」と、口頭の説明があいまいになっていますが、正確には、「やや後ろ重心」となります。

 剣の長さについても、動画内で「20ミリ」と述べていますが、「200ミリ」の間違いです。


 また、手の内の解説動画で、「無冥流の側面打法」と言っていますが、以前、鈴木氏は「松の間」で公表された、「手刀打法」により近いとのことです。

 剣に関しても、今回の六角剣は市販品だけに剣先の研磨が甘く、「ヤスリかグラインダーで先端をもっと尖らせることをお勧めします」とのこと、まったく同感に思います。

松の間ホームページ
http://www.mumyouan.com/k/matunoma.html


 なお今回、動画内では、鍛練の目的として、いかに打剣を正中線上に集めるのかについて強調しています。これに加え、もう1つ大切な目的は、「気・剣・体の一致」を学ぶことです。

 動画中でも、剣の刺さり具合が深いものと浅いものがあるのが分かるかと思います。

 ここで注意していただきたいのは、刺さり具合が深い打剣も浅い打剣も、腕の斬り下ろしの速度はほとんど同じです。

 では、なにが違うかといえば、腕の斬り下ろしと体の移動、意識の集中が、きちんと統一的に発揮されているか? つまり、気・剣・体の一致がなされているかどうかの違いなのです。この稽古で、腕の振りの速度がほとんど同じでも、気・剣・体が一致したときの打剣と、そうでない時の打剣が、どれほど威力において異なるのかを実感していただければと思います。

 なおこの教習は手裏剣術ですので、あくまでも気合は「無声の気合」になります。

 このため、気合としては有声よりも階梯の高い、「腹中ノ声」(中山博道)を養う稽古にもなるといえるでしょう。

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「剣術教習のための手裏剣術~正面斬り」
- 2008/10/27(Mon) -
 「剣術の教習において、気・剣・体を一致させた正しい真っ向正面斬りの刀筋や刀勢を学ぶための補助教習として、手裏剣術を盛り込むことはできないか?」

 武友である戸山流抜刀術の遣い手・棚田勘兵衛氏から、こんな言葉をいただいたのは、先月の交流稽古の後であった・・・。

 戸山流の稽古の後、中津川稽古会の皆さんに、手裏剣術体験として、3間直打や飛刀術などを体験していただいた。その際、戸山流の基礎居合・正面斬りの体動で、2~2間半から直打で打ってもらったところ、手裏剣術初体験ながら、比較的良い刺中がみられた。

 これは、皆さんが、普段の稽古から正しい正面斬りを鍛錬していることから、軸の立った適切な体動の基盤ができているため、手の内や腕の振りが一致し、なおかつ比較的近距離ならば、初心者でも直打での刺中が可能になったと思われる。

 そこで棚田氏より、冒頭のような問いが発せられたわけである。


 さて、ここで思い出していただきたいのが、以下のポイントである。

「3間以内であれば、どんな剣でも、どんな打法でも、直打で打つことができる(無冥流投剣術・鈴木崩残氏)」

 (だからこそ無冥流や当道場では、中距離以上の打剣を目指す初学者の稽古や、剣の性能などを確認する場合には、3間以上での打剣を推奨している)。

 一方で手裏剣術は、3間以上の打剣距離においては、剣術そのままの動きでは的中が困難になる。なぜなら、この辺りの距離から、手裏剣術特有の動きが必要になってくるからである。

 昔からよく言われる、「剣術の体動(手の内)のまま打つ手裏剣術=剣先がちぎれていくように打つ・・・」などという動きは、2間内外、せいぜい3間が限界であろう。5間、6間の距離になると、本人が意識していようがいまいが、必ず剣術とはまったく異なった動きが必要になってくる。

 もっとも分かりやすいのは、手離れのポイントである(詳しくは、『中級手裏剣術 第三版』(鈴木崩残著/無明庵)を参照のこと)。あるいは手の内の操作、振り下ろしの際の手の最終位置など、剣術とはまったく異なってくる。


 しかし以上の点を逆説的に考えれば、「3間未満であれば、剣術の動きそのままで、直打で打剣ができる」ともいえるわけだ。

 そこで今回、戸山流抜刀術の基礎居合・正面斬りの体動を使った手裏剣のメソッドを構築してみた。

 なお、こうした剣術の体動を活かした打剣については、先行研究としてやはり無冥流の「剣術者用の打剣法」や「両手打ちのための鍛錬法から派生した、剣術的な打剣法」などがある。

 今回はこれらの先行研究も踏まえた上で、行田道場オリジナルとしての、剣術の稽古のための手裏剣を使った「稽古術」を組みたててみた。


■「剣術教習のための手裏剣術~正面斬り」

目的/日本剣術の基礎であり極意でもある、真っ向正面斬りの習得に資するため、手裏剣術の鍛練を通して正中線に沿った、正確な腕の斬り下ろしを学ぶ。同時に手裏剣術特有の一打必倒という打剣の「位」を通して、剣術者に必須の「気・剣・体の一致」を普段の稽古とは違った立場から学ぶ。

使用推奨剣/200ミリ・断面6角・径6ミリ・重さ45グラム剣

推奨理由/ネット販売などで入手容易である、比較的安価であること。さらにこの打剣では、極力手の内のことを「考慮しない」ので、スナップなどの操作が必要な、15ミリ以下の短い剣は不適。一方で、長剣は大きさや重量のため、必要以上に手裏剣を意識してしまい「手裏剣術」っぽくなってしまう。以上の点から、重心位置までの滑走距離ができるだけ短く、しかし長剣ほど大きく重くない、200ミリの軽量剣を選んだ。

手の内/一般的な手裏剣術の持ち方で可。

体動/戸山流抜刀術の基礎居合・正面斬り。右正眼から左足を踏み出し、さらに右足を踏み込んで斬り下げる。

その他/手の内の操作(滑走・無滑走など)などは考えずともよい。木剣の素振りとまったく同様に腕を振れば、遠心力で自然に滑走打法となるはずである。手離れの位置も、あまり考える必要はない。的の刺中位置は、上段でも中段でも下段でも可。大切なのは、剣が縦位置・正中線上に正確に沿って集まっているかである。

距離/最初は2間から踏み込んで打剣。なれれば2間半から踏み込み、打剣位置が2間からで稽古を行う。


 これらのメソッドについて、youtubeの埼玉行田道場登録チャンネルに、「剣術教習のための手裏剣術~正面斬り」その1~12として、動画をアップしている。

埼玉行田道場の登録チャンネル
http://jp.youtube.com/profile?user=bugakuclubsaitamagyo&view=videos


動画例




動画タイトル・内容は以下の通り。

その1
素振りと打剣の比較

その2
素振り

その3
2間からの打剣1

その4
2間からの打剣2

その5
2間からの打剣3

その6
2間半からの打剣1

その7
2間半からの打剣2

その8
3間からの打剣

その9
手の内の解説

その10
剣の解説

その11
2種の剣で打剣(2間)

その12
2種の剣で打剣(2間半)

 以上、順番にそって視聴していただくと、分かりやすいかと思う。


 長々と解説してきたが、このメソッドはあくまでも「剣術に資する」ための稽古法であり、手裏剣術の上達のための稽古を目的としていない。だからこそ、あまり難しく考えず気軽にためしてもらえれば、剣術や居合、剣道などの稽古者ならば、おそらく2間から踏み込む打剣ならば、2~3時間もあれば、数本程度の刺中が出てくるだろう。

 これを厳しく突き詰めて自らの稽古に役立てるもよし、あるいはちょっと目先を変えた、気分転換的な稽古法として用いても良いかと思う。

 最後に、こうした興味深いテーマをくださった戸山流の棚田勘兵衛氏、またこの方面において貴重な先行研究を示してくださった無冥流の鈴木崩残氏に、あらためて感謝申し上げます。

市村翠雨 頓首

●2008/10/27 一部修正。

 画面が重くなりすぎるというご指摘があったので、動画をサンプル1点のみとし、後は登録チャンネルへのリンクを張りました。

 また、稽古法の名称について、『「気・剣・体一致のための剣術教習」のための手裏剣術』から、「剣術教習のための手裏剣術~正面斬り」にあらためました。

 
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武術家としての不見識~誤解の大きな表現で良いのか?
- 2008/10/26(Sun) -
 まずは「Chishin Ryu Shurikenjutsu」とタイトルが付けられた、この動画をごらんいただきたい。




 youtubeの動画だが、最初、動画のタイトルに「Chishin Ryu Shurikenjutsu」とあったので、思わず「知新流か!」っと思って見たわけだが・・・・。

 これって知新流か? 伝書を読む限り、知新流って順体の打剣だよね・・・。

 そもそも私の知る限り、知新流は失伝しているはず。剣の寸法と一部の伝書が、藤田西湖の『手裏剣術』という書籍に残されているだけだと思うのだが・・・。

 つまりこの動画の主であるKeyboredNinja氏は、知新流の手裏剣を使って、自分の流儀の体動で打っているわけだ。

 つまり、Chishin Ryu Shurikenjutsuではなく、I throw it Chishin Ryu Shurikenだよな。

 このように動画のタイトルに、安易に失伝した流儀名を書いて、あたかもその流儀の「技」を自分が行っているような、誤解を招きかねない動画をアップするというのは、武術家としていかがなものか?


 だいたい、この外人さん、M流の人だよね。

 おまけに、その奥に映っているの、武学の新所沢道場長じゃねえの?(笑) いったい、いつ撮影した動画なんだ??? 動画アップの日付は去年になってるが・・・。  



 当事者が外人さんで、しかもロジックの問題とはいえ、こうした安直な行為が、結局、伝統文化における、流儀や技の剽窃、あるいは捏造につながっていく要因なのである。

 そもそも、これは出版界やジャーナリズムの世界でもそうなのだが、日本は出典の明記とか、引用の明確化などについて、かなりええかげんな社会であるのが問題なのだが。


 いずれにしても、KeyboredNinja氏が真摯に稽古に取り組んでおり、日本武術に敬意を持っているのなら、早急にタイトルを修正するとともに、動画に付随する解説の欄で、きちんと「これは知新流の手裏剣を使っているが、動き=技は知新流ではありません」と、明記すべきである。

 ちなみに、解説欄の英文を翻訳してみたが、2008年10月25日現在で、そういう記述はなかったことを、ここに明記しておく。

 
 というわけで、当稽古会では、以下、『手裏剣術』(藤田西湖著/名著刊行会)の資料を基に、知新流の刀法併用手裏剣術を再現してみた。



 その他、同じく同書を参考に、藤田西湖伝の刀法併用手裏剣術を3本、再現・演武してみたので、ご参照ください。


1 藤田西湖伝刀法併用手裏剣術 実戦に臨むときの第一




2 藤田西湖伝刀法併用手裏剣術 実戦に臨むときの第三(正面)




3 藤田西湖伝刀法併用手裏剣術 実戦に臨むときの第三(背面)




4 藤田西湖伝刀法併用手裏剣術 実戦に臨むときの第四



(了)
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気・剣・体の一致のための、術技としての気合
- 2008/10/21(Tue) -
 その昔、まだ空手道が東洋の神秘の武術であると多くの西洋人が考えていた頃のお話。

 とある斯界の師範が、外国人向けの教範を制作した。その際、型の挙動を解説する英文のなかで、気合をいれる所の解説文に、「Kiai!」と記述した。

 その後、その教範で独学をしていた外国人が、お金をためて来日。念願かない、本邦の空手道場に入門とあいなった。

 基本稽古を終え、さっそく型の教習に入った際、師範は型の動きを教えながら、「この挙動の際に、気合を入れなさい」と指導。

 その外国人は分かりましたと答え、型を演武しながら気合を入れる挙動の部分で、力一杯元気にこう叫んだという。

 「キアーイ!!!!!!」

 空手界では割合有名な小話である。



 武術・武道と気合は、切っても切れない関係にある。

 とくに、いわゆる「気合がはいっていない」だとか、「気合が感じられない」などといった抽象論としての気合ではなく、発声=掛け声としての気合は、具体的な術技として、たいへん重要なものだ。

 この点について、空手道や柔道では、あまり具体的な考察が加えられておらず、その結果、気合の効用が、実用的術技として認識されていない感が否めない。

 一方で、現代武道における剣道、また古流武術諸派では、気合=掛け声の効用について、歴史に裏打ちされた深い考察がなされている。

 たとえば戦前の天覧試合で活躍した昭和の大剣士・野間恒は、その著書である『剣道読本』の中で、以下のように掛け声の効用を記している。

1.自分自身の気分を励ます
2.自分自身の力を一箇所に集中せしめ、普通以上の力を出さしめる
3.相手に威力を感じさせる
4.相手の気の起こりを挫く
5.相手を迷わせる
6.相手を誘う
7.相手を苛立たせる
8.相手を驚かせる
9.勝を知らせる

 以上9つの効用は、1.以外はいずれも実用的な「技」であるといえるだろう。また2.の「自分自身の力を一箇所に集中せしめ、普通以上の力を出さしめる」という点については、ウェイトリフティングの際、掛け声の有無に伴う力の出具合の大小の比較などで、科学的にもその効用が認められていることは、すでに広く知られている。

 また、昭和の剣聖として知られた神道無念流の中山博道は、掛け声について以下のように述べている。

    「居合は発声とともに打ち切るものがあるが、通常は無声にてこれをなす。これは、
    腹中之声と言って斯道では大切な心得であるが、最初は何流に於いても発声を
    伴って練習し、刀に自分の打ちが乗ってきた時に初めて無声で練習することが順
    序としてはいい」(『中山博道 剣道口述集』堂本昭彦編著/スキージャーナル刊)

 ここで重要なのは、有声の気合から無声の気合へという階梯の武術的意義である。これを博道師は、「腹中之声」と表現しているわけだ。

 こうした掛け声の重要性は、徒手格闘でも同様である。

 たとえば柳生心眼流の伝書『柳生心眼流兵術甲冑柔小具足取中意位』には、「練習中ニテモ必ズ掛声ヲ為ス可シ」と述べ、特に初心者については有声の掛け声の重要性を指摘している。

 つまり、まず気合=掛け声とはひとつの術技であると認識した上で、初学のうちは気力を尽くした気・剣・体一致の有声の気合を心がけ、中級以上からは、位も念頭に置いた無声の気合を心がけることが大切である。


 ところで、ときおりWEB上の掲示板などで、「剣道や空手は気合といって無意味に声を出すが、ボクサーや総合の選手は打撃の時に声を出さないではないか!」などと、素人が底の浅い批判をしているのを目にする。

 ボクサーは無声の気合=瞬間的な吐気と共に、一連の打撃を加えている。総合の選手も、たとえばタックルの際、間合を一気に詰める瞬間など、ボクサー同様、瞬間的な吐気で無声の気合を入れている。

 ではなぜ有声でないか?

  まず第一にマウスピースをつけていると、発声がたいへんしづらい。これは、実際にマウスピースを咥えて試合や稽古をした者であればごぞんじの通りである。

 またなにより、勝口の理想形としての一打必倒、いわば彼我の攻防における「先」の一打を最重要視する日本武術と異なり、コンビネーションを重視する現代格闘技では、いちいち有声の気合を入れるような拍子(リズム)にはならない。そこでおのずから、気合は無声となるのではないかと、個人的に推察している。


 いずれにしても、平成の武人たるもの、気合=掛け声とは、武術・武道においては単なる景気づけなどではなく、実体をもった技であると理解した上で、日々の稽古に取り組むことが重要であろう。

 ときに、手裏剣術では気合をどう扱うか?

 これについては、いずれ項を改めて述べたいと思う。
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忙中近況
- 2008/10/18(Sat) -
 年末年始の出版に向け,生業多忙・・・。

 以下,今週の雑記。


■武術・武道と禅語
 先日,掲示板の記述で「不立文字」という言葉についてふれました。これについて,無冥流・鈴木崩残氏が,ご自身のホームページ『松の間』にて,鋭い批評を加えられています。

 武術・武道では,禅語を用いた表現が少なくありません。それらを考える上で,一読の価値のある小論となっています。

「松の間」ホームページ
http://www.mumyouan.com/k/matunoma.html


■旅
 JRの「青春18きっぷの旅」をテーマにした本の取材。

 上野から米沢~村上~新潟を,すべて各駅停車でひとり旅。移動の合間は,極上の米沢牛のすき焼きを食い,国の文化財の宿に泊まり,天然の鮭を使った郷土料理を味わい,名所旧跡の写真を撮り,地元の人々話を聞く。

旅2

↑越後・村上「イヨボヤ会館」にて,著者近影


■医療
 脳神経外科の手術における術後合併症である,硬膜外血腫の発生を予防するために効果的な,ドレナージについて。3000文字程度の簡単なレビュー記事なのだが,意外に手ごわい。おかげで,今週の空手の稽古はお休みである。


 ということで,これから行田道場で稽古・・・。

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手裏剣を作る
- 2008/10/12(Sun) -
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 結局のところ、手裏剣術が投擲武術である以上、そこで用いられる手裏剣本体は弾薬と同じように消耗品である。また平素の稽古においても、打ち込みを繰り返すほど、剣が消耗していくことは、手裏剣術を嗜む者であれば、ご存知の通りである。

 一方で、武具という観点から見れば、手裏剣術者にとって手裏剣は、ある種かけがえのない道具であり、手になじんだ手裏剣は、実に貴重なものとなる。それはけして、単なる「消耗品」とはならないことも、また事実なのだ。


 ということで、昨日、武学倶楽部新所沢道場で行われた「武具学塾~三角刃火箸型手裏剣製作講座~」に参加。手裏剣作りを行った。

DSC_0590_convert_20081012223339.jpg

 ↑こんなドライバーの芯を・・・

DSC_0600_convert_20081012223617.jpg

 ↑焼き戻ししてヤスリで削り、さらに焼き入れ、コーティングなど加え・・・

DSC_0624_convert_20081012223843.jpg

 ↑手裏剣の完成! 作・市村翠雨、六角軽量手裏剣(全長180ミリ、重量40グラム)。銘「翠月」・・・(笑)



 完成後は、早速、試打。

 3間直打で快調に的中! また反転打でも、たいへん良い打ち心地であった。

 自分の武具を自分で作る。

 これもまた、手裏剣術の大きな楽しみであるといえるだろう。


 
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「武張らない」武人
- 2008/10/03(Fri) -
 長年,この道に携わり,いろいろな武術・武道人に接してきて思うのは,「いい年をして,殺気だった人間にはなりたくないなあ」ということである。

 これは以前にもどこかで書いたことだが,本来,武術・武道の稽古は,上位者が打太刀となり,下位者が仕太刀となって行うものである。

 ところが近年では,演武でも普段の稽古でも,それが逆になってしまっていることが少なくない。弟子や後輩を,ばったばったと斬り倒し,蹴り倒し,投げ飛ばして「悦に入っている」ような上位者や師範などをみるにつけ,「品位がないな」と思うのは,私だけだろうか?

 何かで読んだ話だが,合気道の開祖である植芝盛平氏もその晩年は,壮年期までもっぱら自分が取り(仕太刀)をやりすぎたことを悔いていたとか。

 はなはだしいのは,体術系の武術・武道などで,弟子が受け(打太刀)になり「あいたたた・・・!!!!」とか,「うおー!」とか「ギャー!」とか,痛みで叫び声をあげている(あげさせる)ような演武を,得意げにやっている流儀や会派。

 こういうのにいたっては,指導者も弟子も,お里が知られるというものである。

 弟子を痛めつけて得意になっている上位者や指導者など,普通の市民の目から見れば「脳みそまで筋肉製の粗暴な社会不適合者」にしか見えない。また,いちいち「ぎゃー!」とか「うわー!」とか声を上げながらやられている弟子には,「大げさなんだよ,このヘタレが!」と思ってしまうのは私だけではあるまい。


 一方で私も,こんなふうにネットという媒体で,ある種,斯界の批判・批評をしているわけだが,こうした言論の場でも,品位や節度というものが求められる。

 建設的ではない,たんなる当てこすりや,根拠のない自流自慢,検証なき自説の開陳などは,批評や批判とは言わない。また「当流こそ日本一!」,「当会のやり方こそ絶対!」と,あまりにあからさまに「オレがオレが・・・」と主張するのを目にすると,「この人は,社会に対するルサンチマンの塊なのだなあ」としみじみ思う。

  要するに,本性は隠し切れないということである。


 武術・武道人たるもの,まがりなりにも10年20年と稽古してきたのなら,美しく打太刀が取れるような者でありたい。

 そしてまた,そういう武人は,えてして平素から,武張ったような人はいないものだ。

 だいたい不惑を過ぎているにもかかわらず,平素からギラギラした殺気,攻撃心をむき出しにしているようでは,それだけで武人としては失格であろう。

 ま,誰とは言わないが・・・。


 一方で,見事な打太刀を務めておられる師範方の演武を拝見すると,これこそが日本の武人のあるべき姿だなあと,改めて実感する。そしてまた,こうした師範方は,えてしてその立ち居振る舞いや表情,雰囲気も「武張っていない」方が少なくない。

↓鹿島神流・稲葉師範の見事な打太刀

 


↓打太刀をとる体捨流・山北師範




 かなうことなら私も,こうした先達の方々のような,「武張らない」武人でありたいと思う。

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