地天泰の上六/(身辺雑記)
- 2009/02/23(Mon) -
 日曜の朝だというのに、来年度の介護報酬改定とそれに伴う事業者対策のセミナーの取材で、のこのこ飯田橋の某ビルへ。

 途中、電車内でふと目に付いた本のページは186ページ。

 地天泰の上六か。

 なんかいやな予感・・・。



 目的のビルに着くが、セミナーなどやっている気配もなにもない????

 編集長に電話すると、「折り返し電話する」との返事。

 地下鉄の入り口で返信を待つと、「セミナーの現場担当者も、本社の連中も誰も連絡とれないので、どこかで待機していろ」とのこと・・・。

 しかたなく時間をつぶすべくモスバーガーのレジに並んでコーヒーを注文しようと思ったら、また携帯が鳴り、「場所が永田町に変更になってた。今から向かってネ」とのこと。

 やれやれ・・・。

 地天泰の上六。
 「上六 城隍に復る。師に用うるなかれ。邑より命を告ぐ。貞なれど吝」

 なるほどね・・・。
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平成の剣客商売/(武術・武道)
- 2009/02/20(Fri) -
 とりあえずPC環境が最低限整い、ホームページやブログも、元通り運営できるようになった。ただ、朝一番にPCを起動する際、XPが1度では立ち上がらず、必ず2~3回、電源強制終了をしなければならないのが、悩みのタネなのだが・・・。

  ★

 過日、武友との対話で武術・武道にかかるコストの話となった。

 一般的にわれわれ武術・武道人は、こと金にかかわることは「はしたない」というイメージからか、あまり表立って話題にすることが少ない。しかし、世界大不況の折、この春までに数十万人が職を失うという世の中では、お金の問題は避けて通ることはできない話題である・・・。

 またちょうど今は確定申告の時期。私はフリーの記者として、ここ15年、毎年自分で申告書を作成している。なにしろ簿記2級だ。

 そんなこんなで、武術・武道とお金の問題についてちょっと考えてみた。

  ★

 たとえば、わが翠月庵の家賃は、家主さんの好意できわめて安価に設定していただいている。具体的に言ってしまえば、月3000円だ(しまった! 今月の家賃をまだ振り込んでいないではないか!)。また、私は都内の練馬区に住んでいるので、翠月庵のある行田駅までは、毎週片道2時間かけて、のこのこ電車で通っている。この交通費が、往復1回2300円かかる。

 以上の地代家賃と旅費交通費だけで、毎月1万2200円、年間で黙っていても14万6400円がかかるわけだ。

 一方で、会員さんからいただく会費は、初回の事務登録費が3000円(これは道場設立時にかかった経費の減価償却等にあてている)、参加費は1回2時間1000円である。

 それでは、昨年1年間の事務手数料・会費収入の総額は・・・・。

 総額は・・・。
 
 ・・・。

 あははははは・・・・・。


 まあ端的に言うと、年間の経費合計の1割くらいである・・・。

 そりゃあ、的にも使えない古畳の廃棄さえできねぇってもんだ。まあ、貧乏&不人気道場であることには、むしろ平成の武術・武道人として、いささかの誇りさえ感じているので、それはそれでよい、マジで。


 さて、

 翠月庵の基本的な運営経費以外に、市村個人としての、武術・武道に関するさまざまな支出がある。

 まずは私が個人的に所属している空手道場の月謝。月7000円で年間8万4000円。稽古場までの交通費が年間1万7000円。これに、都空連の登録料やら道場関連の交際費、体育館の使用代やスポーツ障害保険料などで、なんやかんやと年間2万円くらいはかかる。これらをざっと合計すると、月謝も含め年間12万円位の支出であろう。

 次に武友との交流として、私は大体、年間2~4回くらい県外へ出稽古に行く。行く先や滞在期間によってもさまざまだが、たとえば昨年は2回ほど交流・出稽古にでかけ、これにかかった経費が旅費交通費を中心に、だいたい4万円くらいであった。


 一方で、消耗品など、武術・武道に関する物品関連の経費であるが、これらは長年稽古を続けていると、たいがいのものはそろうので、ここ数年はほとんどお金がかからない。

 昨年の例では、飛刀術の稽古用に買った模造刀の脇差5000円、剣術教習用手裏剣術研究のために買った棒手裏剣1本2000円、武術関連の書籍や資料の購入費が1万5000円くらい。合計でおよそ2万2000円くらいである。

 しかし、袖口と股下が破れている10年ものの空手着で妙齢の女子有級者に指導をしたり、某流儀の胸の刺繍部分を当て布で隠した居合着で手裏剣を打ったり居合を抜いたりしていると、ときおりたいへん怪訝な顔をされるので、それはそれでけっこう面倒くさい・・・。


 とまあ、こんな感じで合計すると、私が1年間に武術・武道に使う経費は、

・翠月庵運営費/13万円
・空手関連経費/12万円
・交際費/      4万円
・武具など雑費/  2万円
・合計/      31万円

 となる。

 年間約30万円。
 10年で300万円。

 これを高いとみるか、安いとみるのかは、科学的命題ではなく価値的命題であるので、ここではあえてコメントしない。

  ★

 一般的に、武術・武道は初期投資がかかるもので、入門時に稽古着やら武具やらをまとめて一括購入すると、入会金や年会費、月謝など含めて、最初に支払う金額が5万円も10万円もかかることが少なくない。

 手裏剣なんて、普通にWEBで買ったら1本5000円とかするしな。10本そろえたら5万円だ!

 これについては、以前、某新興会派の居合の会長が、「入門者の初期投資は高いほどよい。なぜなら最初にお金をかけることで、本人が『お金がもったいないから』と、会を退会しにくくなるから」と語っていた。

 この人はもともと実に商売上手な人だったそうで、某流を割って自分の会派を立ち上げた際も、ごく短期間で一気に会員数を100人単位に伸ばしたという。月謝1万円として生徒150人で月収150万円。年収1800万円!さらにこの会派は公営体育館での活動がメインのようなので、運営者側の初期設備投資はほぼゼロ。さらに、居合刀など武具や稽古着の斡旋やらなにやらでの収入も含めると・・・、笑いが止まらんでしょうなあ。

 そりゃあ古巣の師範連に「インチキ」だの「恩知らず」だなどと批判されても、まったく動じないはずである。

 これぞまさに、平成の剣客商売。

 その点、翠月庵の場合、稽古着不要、手裏剣は貸し出すので武具購入費も不要、入会者の初期投資は初回事務手数料と参加費で合計4000円でスタート。おまけに月謝ではなく1回1000円の毎回参加費制なので、まあ、その結果はご存知の通りである(笑)。

 これも以前、とある伝統芸(武術・武道ではない)の宗家に聞いた話しだが、習い事というのは、毎月月謝を払ってくれる会員がざっと100人以上あつまれば、実に儲かる商売だという。さらに、用具に金のかかるものほど、斡旋によるキックバックやピンはねの利ざやが大きいし、買った側は買った側で、「これだけのものを買ったのだから」と、稽古に身が入るのだという。これに免状などの位階制度が加わると、さらに利益率が上がる。

 武術・武道だけでなく、茶道などでも、許しの免状や指導資格を得るための審査ごとに料金がかかるし、受かったら受かったで、束脩(そくしゅう)という名の師範へのお礼も包まねばならない。しかしまあ、こうした投資も、自分が師範なり流儀の幹部なりになれば、それなりに回収できるのだろうが。


 これはほんとうにざっくりとしたイメージでしかないのだが、現代社会において、武術・武道でも茶道や華道でも、習い事・芸事で、ある程度人を教えるような立場にまでなるには、時間的には最短で10年くらい、投資額で言えば合計で100~300万円くらいのお金が必要になるのが、一般的な平均値ではないだろうか。

 この100万円なり300万円なりの投資と、さらに金額に換算できない最低でも10年間という人生における時間的コストを、その後、後進たちから回収しようとするのか、それとも還元しようとするのか?

 このあたりの考え方あるいは(武)芸に対する姿勢が、個々の流儀や会派、稽古場の月謝等、「お金」の問題に反映されるのだと思って間違いはないだろう。

  ★

~戦国乱世は遠い昔のことながら、武士の魂やはり剣。あえて戦がなければこそ、腕におぼえの剣客どもは、売り込み合戦に明け暮れる。いやまさしく、昨今、剣術は商売なり。~(『剣客商売』ナレーションより)

 (了)
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ブログ画面等の不具合について/(身辺雑記)
- 2009/02/18(Wed) -
 ここ数日、自宅PCの環境を大幅に変更しており、それに伴ってさまざまな不具合が発生、その調整などに追われています(おかげで、本業も稽古もままなりません・・・)。

 このため、本ブログも、レイアウトの不調などが出ており、ここ数日間は調整のため見にくかったり、レイアウトが頻繁に変わったりするかと思いますが、ご容赦ください。

 翠月庵主 頓首

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武術・武道人としての「説明責任」/(武術・武道)
- 2009/02/15(Sun) -
 過日、古流武術に造詣が深く、自身も古流柔術と剣術、さらに現代武道もたしなんでいらっしゃる武友のA氏と、久々に歓談する機会があった。

 A氏も私も、お互いに古流と現代武道の両方をたしなむことから、武術・武道界の問題を語り合う際にも、認識を同じくすることが多い。

 ことに、武術界特有の権威主義や欺瞞体質には、斯界の末席を占める者として、互いにたいへん憂慮している。

 伝書泥棒をはじめ、「死人に口なし」とばかりに師の没後突然宗家を語る者の多さ、他流からの技術的盗用を「我が流派の技」と称する者など、この世界には事欠かない。

 まあ、「品位の悪さは顔と技に出る」ことを、お忘れなく。


 武術・武道人以前に、職業的記者という立場から思うのは、こうした斯界の欺瞞・隠蔽体質は、総じて当事者である武術・武道人の説明能力や言語化能力の欠如、いわば科学的(論理的)姿勢や説明責任の軽視が要因であるといっても過言ではないだろう。

 ところがこういう事を書くと、すぐに「武術とは言葉ではない云々・・・」と、分かり切ったことでちゃぶ台をひっくり返す、おつむりの軽い輩が少なくないのに、さらに暗澹とした気分になるわけだ。

 当然ながら、「武」という活動はロジックではなく行為であるから、そのすべてを言語化=論理的説明によって解説することはできない。そんなことは、当たり前だ。高校空手部の白帯の子どころか、少年柔道教室の小学生のオトモダチでも分かる。

 だからこそ達人や名人と呼ばれた古人たちは、「拍子」や「位」といった概念、あるいは「懸中待」、「待中懸」、「水月」や「月影」など、さまざまな抽象的表現/概念で、技そのものの本質、行為や動きの本質を言語化することに、長い歴史をかけて心血を注いできたのだ(※1)。

 こうした点から見れば、武術の言語化・論理化を否定するというのは、伝統的な日本武術・武道の教習体系の否定といっても過言ではない。ようするに、天につばする行為なのである。

 それかあらぬか、己の頭の悪さを棚に上げて、安易に言語化や論理化を否定するものが少なくないのは、今も昔も同じようである。

 たとえば以前、とある人が『五輪書』と宮本武蔵を批判していたので話を聞いてみたところ、なんとこの御仁、自分が批判している当の『五輪書』自体を一度も最後まで読んだことがないというのである! いやはや・・・。

 閑話休題。

 百歩譲って、己一人が、ただ強くなる、上達するだけが目的ならば、それもよかろう(個人的には、おのれの武技の上達のためにも、論理化・言語化は、たいへん重要かつ有効だと思うが)。

 しかし、いやしくも弟子を取る立場、あるいは他人を指導する立場にありながら、「説明できない・・・」などと軽々しく述べる者がいるとすれば、それは自分の説明能力・言語化能力の低さを隠すための、単なる手抜き指導に過ぎないのである。

 またここで言う「言葉」や「説明」というものは、なにも難しい学術用語で話せということではない。頭の悪い輩ほど、こういう揚げ足をとりたがるのには閉口するが・・・。

 ようは、初心者や初学者、下位者にとって、分かりやすく実際の実技に反映できるような、指導に伴う説明責任を果たせということなのである。それができないなら、弟子など集めず、ひとりで稽古をしておればよいのだ。他人を巻き込むなと。

 体で教え、言葉で教え、心で教えるのが、本来の指導であり教導である。

 武術・武道の教導は、体だけではダメだし、もちろん言葉だけでもダメなのは当たり前。

 体・論・心の三位一体の指導こそが、日本武術・武道という行為の伝承では、もっとも重要なのであると、私は常日頃から自戒している。


 ひるがえって思うに、この世界でいつまでたってもインチキ武術家やイカサマ流儀がなくならないのも、武術・武道界のこうした言語・論理化への本質的かつ伝統的な軽視が原因だといえるだろう。

 伝書や伝系を精査し、術技を目録とつき合わせてみれば、あきらかに偽造あるいは復元流儀であることがわかっているのに、しかもそれを不特定多数の関係者が知っていながら、あえてそれを指摘しないという、この世界の体質も、突き詰めれば言語化・論理化の軽視、いわば科学的命題の軽視につながるといっても過言ではない。これは特に、学術団体としての武道関連の学会関係者や、公益法人である協会関係者には強く問いたいところである!


 武術・武道を愛するものとしては、残念ながら清廉潔白ではないこの世界だからこそ、これから武術・武道の道を志す人たちに、私はこう伝えたい。

 「体で覚えれば良い」、「不立文字」、「理屈の前に体を動かせ」などということを安易に述べ、術技に対して意味不明な説明しかできないような指導者、練成のための説明責任が果たせないっような指導者には、十分注意すること!

 そんな師匠や指導者についてしまうと、人生の貴重な時間を浪費することになりかねないのだから。

※1
こうした点で、たとえば新陰流の『兵法家伝書』は、一般的に禅語を多用した難解なものとの批判を浴びることが少なくないが、実際は他流の者でも「なるほど!」と納得できる、たいへん有益で分かりやすい伝書である(※2)。さらにいえば、武蔵の『五輪書』などは、超実際的な戦闘マニュアルであり、江戸時代の初期に、これほど合理的かつ論理的に、ロジックとして武術の要諦を表現した、宮本武蔵という武術家の尋常ならざる才に驚きを隠せない。

※2
一般的に現代武道で地稽古や試合の稽古、いわば自由攻防の稽古をしている武術・武道人ほど、こうした古流の伝書類が指摘する、駆け引きの要諦や戦闘技術のツボを具体的に理解できるようである。一方で、ぬるい型稽古しかやっていないような権威主義的古流武術家ほど、こうした古人が伝えてくれた、戦うための貴重な「コツ」や「ポイント」をまともに理解できていないのは、文化人類学的視点からもたいへん興味深い(笑)。

 (了)


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映画の神様/(身辺雑記)
- 2009/02/10(Tue) -
 昨夜、役者のA氏にインタビューのため上野へ。

 とはいえA氏とは旧知の間柄なので、カフェ、郷土料理店、バーをはしごし、ビールに焼酎、燗酒の杯を傾けながらの、肩の凝らない取材となった。


 同世代のA氏と私は、互いの映画体験がほぼ同じである。

 曰く、「日曜洋画劇場と月曜ロードショウと、水曜ロードショウとゴールデン洋画劇場で、映画愛を育んでもらった世代」である。

 このため、映画通を自認する若い人々が「洋画の吹き替えなど邪道! 外国映画は字幕で見るべきだ」などと酒場で指摘しているのを聞くと、「洋画の吹き替えは、日本の文化なんだよ。チャールトン・ヘストンの納谷吾朗とか、ジャク・レモンのキンキンとか、イーストウッドの山田康雄とか、君らには分からんのだろうな・・・」、などとつぶやいてしまう世代なわけである。


 そんなA氏との歓談ゆえ、話は往時の映画の話題で多いに盛り上がる。しかも、歓談の舞台となっている、この湯島のバー「K」は、われわれにとっては「映画の神様」といって過言ではない、映画評論家の故淀川長治さんもよく通ったという名店なのである。

 ちなみに、この店のマティーニは、世界で一番うまい。

 それにくらべると、故開高大人が絶賛し、エッセイまで書いたサイゴンのマジェスティックのマティーニが、あまりにもまずかったのは悲しい記憶である。まあ私がマジェスティックを訪れたのは、大人が絶賛の随筆を書いてから、数十年も過ぎた後なのだから、しかたがないが・・・。


 とまあ、そんなわけで、昨夜はすっかり痛飲してしまい、今日の執筆仕事はこれからが本番なのである。

 やれやれ・・・。

 
 「ほろほろ酔うて木の葉ふる」~山頭火~
  
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豆州紀行~09冬~/(旅)
- 2009/02/09(Mon) -
■今回のテーマは「心の旅」

 今年の正月は仕事で帰省できなかったので、この週末、急遽3日間の休暇が取れたことから伊豆へ向かった。

 各駅停車を乗り継いで帰るのもおつかと思ったが、タイミングよく東京から伊豆箱根鉄道の修善寺駅に乗り入れる特急踊り子115号があったので早速切符を購入。列車に乗り込む。

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▲旅の道連れは、東京の地酒「夷」と深川飯。そして秩父困民党のルポ


 踊り子号の魅力は、なんといっても、東京駅から乗り換えなし、ダイレクトに修善寺まで直行できることだ。おまけに1日の運行本数もそれなりにある。ほろ酔い気分で車窓を眺めながら、2時間6分で我が故郷修善寺に到着である。


 さて、今回の旅のテーマは、「心の旅」としてみた(笑)。

 そこで、修善寺駅で「天城路フリーパス」という2日間バス乗り放題のチケットを購入。まずは旧天城湯ヶ島町の青羽根に向かった。ここは、私にとって一番古い記憶にある土地で、集落にある狩野幼稚園と狩野小学校は母校である。

 小学校はほぼ当時のままであったが、残念ながら幼稚園は既に移転しており、現在は更地で門柱を残すのみであった。一方で幼稚園の向かいにある青埴神社は、36年前のままの姿で現在も建っていた。

 よく拝殿の床下にもぐって、アリジゴクを探して遊んだものである。

youtienn.jpg
▲青羽根の集落を見渡す小高い場所にあった旧狩野幼稚園。門柱は当時
  のままである

 神社でしばし追憶にひたったあとは、国道136・414号をさらに南へ向かう。

 小学校の近くにあった文房具屋や模型店は、いずれも閉店していたが、夏休みにプールの帰りによってかき氷を食べた菓子輔は、昔のままの姿で営業をしていた。

 昔も今も天城の名物である「出口の黒玉」で有名な出口まで歩く。

 街道沿いの民家は、30数年前のままの建物もあれば、跡形もないところもある。国道から路地に入ると、あの頃のままの石垣や消火栓が残っており、なんとも奇妙な感覚だ・・・。

 歩き飽きたたところで、私が子供のころには営業していなかった、市営の温泉施設「湯の国会館」でひと風呂浴びる。

 日が暮れる頃、路線バスで再び駅に戻り、家族と会食。夜が更ける。


■追憶といで湯

 翌日。

 昼過ぎに家を出て、船原温泉に向かう。

 私の現在の実家は修善寺温泉のはずれにあるのだが、この地に越してきたのは小学校5年生の時。それ以前は、修善寺よりもはるかに山奥にある、上船原新田という集落に住んでいた。

 船原という集落は温泉地としてそれなりに歴史があり、往時は文豪・川端康成も訪れたという。私が子供のころは、その後、ホテルニュージャパン火災で有名になった横井某が経営する「船原ホテル」があり、ここの純金風呂はそれなりに有名であったかと思う。隣接する場所には「船原館」という湯宿があり、こちらは現在も営業をしている。

 この「船原」という集落は、まがりなりにも温泉地であり、当時も今も、旅館や民宿など数軒の宿があって、山奥とはいえそれなりにひと気がある。しかし、私が住んでいた「船原新田」という集落は、この温泉街からさらに峠に向かって2キロほど上った場所に、数えるほどの農家が点在する、さながら『八墓村』のような集落だ(笑)。

 今日はまず、路線バスでこの「船原新田」に向かい、散策したあと、船原温泉でひと風呂浴びようという計画としてみた。

 かつては「コナラ地蔵」という名前だったバス停で下車。

 バスを降り、田んぼのあぜ道を歩いて、山の中腹にある「山神社」へ向かった。この神社には、よく父や母におまいりに連れていってもらったものだ。

jinnjya.jpg
▲山の神社だから「山神社」(笑)。記録によれば、創建は寛永年間以前だとか

 神社から国道へ降り、かつての我が家へ。

 親父はここで食堂を営んでいたのだが、転居後、その店は青果店になり、現在は閉店し、事実上廃墟となっている。しかし、店の看板の一部は、30年前の姿をとどめていた。私はここで、5歳から11歳まで過ごした。なつかしいものである。

syokudou.jpg
▲看板にかかれた屋号は、当時のままだ


 1時間ほど集落をうろうろ歩き回り、ここから30分ほど歩いて船原温泉へ。

 かつての船原ホテルを改装した日帰り温泉施設「湯治場ほたる」で、ひと風呂あびる。こちらの風呂は、ちょっとしたプールほどの大きさで、渓流に面した半露天となる。金曜とはいえ、観光シーズンでもないので、入浴客は私も含めて4人ほどしかいない。

 たっぷり身体をあたため、大広間でうとうとすればもう夕暮れ。

 ほんの2泊3日の旅では、「心の旅」も慌しいものだ。

 明日は姪っ子の顔でも見て、東京に帰るとしよう・・・。

 (了) 
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