映画『ICHI』の逆手一文字斬り/(武術・武道)
- 2009/04/29(Wed) -
 「おう市村、ちょっと忙しくなったからって、急にブログの更新が減ってんじゃん」
 「なんだよ、GWで久々に会ったと思ったら、いきなりクレームか?」
 「いやいや、オレはアンタの手裏剣道場のいちファンとしてだなあ・・・」
 「うちは道場じゃなくて、稽古場だ」
 「まあ、そういうアンタの、どうでもいいこだわりはきらいじゃあねえが、最近、ちょっとウザイぞ」
 「いいんだよ、この世界は頭んなか筋肉なやつばっかだから、オレくらい教養が香る人間も、業界には必要なんだ」
 「また、そういう上から目線で毒をはくから、嫌われるんだよ」
 「いいんだよ、オレは。こっちの世界では、こういうキャラ設定なんだ」
 「キャラかよ」
 「で、今日はなんだよ。また弟子が大声で『うぁ~~~』とか叫びながら、自分勝手に投飛ばされてくれる、インチキ合気柔術の解説でもしろってか? それとも電話で『気』をいれちゃう、ナゾの空手家のネタとか?」
 「いやいや、そうじゃあなくってさ・・・。アンタ『ICHI』は見た?」
 「おお、ちょっと前にな。綾瀬はるかちゃんは、なかなか・・・・・・良いではないか! 不幸そうでさ」
 「まあ、アンタの好みはどうでもいいんだが・・・。で、あれってさ、居合ってああいう斬り方すんの?」
 「ああいいうのって、どんなよ」
 「いやだから、あれだよ。座頭一の逆手一文字斬り!」

 


 「・・・」
 「あ、今、オレのことバカにしただろ」
 「いやいや、そうじゃあねえけどさ、10代の頃からフルコンでならしてるアンタでも、ヤットウについての理解はそのレベルなんだなあと」
 「そんな、アンタみたいなマニアな稽古はしてねえからよ。で、どうなのよ」
 「う~ん、まあオレがすべての古流の剣術や居合を知っているわけじゃあねえから、断言はしないけどさ。少なくとも、ああいう斬り方は合理的じゃあねえよな」
 「なんで? かっこいいじゃん」
 「じゃあアンタは、かっこうがいいから、いつも試合のときには飛び後ろ回し蹴りをするのか? それとも、いまや懐かしのホリベー直伝・奈良時代のなぞの武術・骨●の必殺浴びせ蹴りとかやんのか? お前、試合の時は、ローキックと下突きばっかじゃん」
 「そりゃあそうだ。男のロマンは、魂のこもった下段蹴りと下突きなんだ。それでいいんだ。だいたい、浴びせ蹴りなんてしたら、地面に転がった瞬間にサッカーボール・キックでフルボッコだぞ」
 「だろ。だからそれは剣術も居合も一緒さ。殺陣みたいな太刀筋で斬るひまがあったら、拍子に乗るなりなんなりして、一歩前に出て突くなり斬るなるするだけ。まあ、ぬるい一人稽古しかやってない居合屋さんじゃあムリだろうけども。一刀流系の切落、新陰流系の合撃や改心流のいうところの勝太刀なんか、素人さんがはたから見たら、ただ正面を真っ直ぐ斬ってるだけにしか見えんだろうけど、それが日本剣術の基本であり、かつ極意なんだしね。下段回し蹴りだって同じだろ」
 「ふ~ん、ヤットウも、実際は地味なんだねえ」
 「ローばっか蹴ってるアンタには、言われたかねえけどな(笑)」


 「じゃあ、座頭一のあれは、まったくの嘘かね」
 「いや、まったくのフィクションっていうわけでもない。モチーフはあると思う。古流の剣術や抜刀術・居合なんかでも、逆手で『抜く』というのは結構あるんじゃないかな」
 「たとえば?」
 「じゃあちょっとやってみるか。この型はオレがガキの頃に最初に稽古した抜刀術で『志破剣』という型なんだが。まず納刀状態から両手で鍔元を押さえ持って、右足を踏み込みながら鞘を送って相手の中段に柄頭当て。そのまま鞘引きしつつ、逆手抜刀して左八相に構え。さらに右八相に構え直して袈裟に斬って落す」
 「おお~、逆手一文字斬り!!」
 「いやだから、一文字ってなによ・・・」
 「まあいいから。解説、続けてくれや」
 「つまりは剣を抜く際、状況として普通の抜付はやりにくいが、逆手での抜刀なら抜きやすいという状況もあるわけ。逆手での抜刀というのは、そういう状況としての必然性がある場合のみの抜き方であって、抜いてしまえば、あとは斬る時には普通に持って斬ればいい」
 「ふ~ん。でも今、斬る直前に、逆手から普通の持ち方に握り直したよなあ。逆手から順手に持ち替えるなら、そのまま逆手で斬ればいいじゃん。持ち替え時の、一挙動も減るしさ」
 「まず逆手じゃあ、剣先が伸びないだろ。それに逆手から順手に持ち替える動きには、ほとんどスキはないよ。一拍子で持ち替えられるしね」
 「結局、逆手である必然性がないということか。でも超接近した間合なら、ああいう持ち方のが斬りやすいんじゃね? おれは刀のことはよく知らんけど」
 「映画みたいに逆手で斬るような、自分のヘソと相手のヘソがくっつくような近間でも、鍔元の刃で押斬りするとかその場で上体を半身に捌いて平突とか、柄頭で叩くとか、わざわざ柄の握りを逆手にしなくても、いくらでも斬るなり突くなりする技があるわけよ。普通の握りのままでそれができるのに、わざわざ間合が極近間のみに限定されて、なおかつ刀勢も弱い逆手持ちで斬る必然性はないねえ」


 「ようするに、逆手一文字斬りは、抜くときだけの、しかも特殊な状況のときのみの技ってことか」
 「つうか、一文字ってなんなんだよ」
 「座頭一の映画だと、そういう技の名前なんだって!」
 「ふ~ん。まあ、アンタ向けに言えば、幻の三角蹴りみたいなもんだ。できなくはないが、超特殊な技だと」
 「おい市村、アンタまさか『空●バ●一代』の三角蹴りとか、マジで信じてんの?」
 「え、あれ嘘なの?」
 「アンタ一応、寸止めだけど空手も黒帯だろうが」
 「あっ、お前、今、寸止って、ちょっとバカにしただろ」
 「いやいや・・・。ま、同じ空手家じゃねえか」
 「いや、アンタは『カラテ家』で、オレは『空手家』だ。そこんとこは、区別しろ」
 「まったく意味分かんねぇ・・・」
 「いずれにしても、たぶんできると思うんだよ、オレは。三角蹴りは」
 「ったく、そんなんだから、万年二段なんだよ。アンタもう、5年くらい昇段してねえだろう」
 「うっ・・・。いや、オレは手裏剣とヤットウの稽古や指導やらで忙しいから、空手に関してはやむを得ず、ここ5年間、昇段をしていないのだ。けして、空手の稽古の手を抜いているわけではないのだ・・・」
 「ふ~ん(笑)」
 「ま、そういうことでだ・・・。逆手一文字斬りはフィクションだが、三角蹴りはありえると!」
 「だから、あれもフィクションだって」
 「オレは今でも、『梶原一騎(談)』を信じるぞ」
 「それは『プ●レス スー●ースター列伝』の方だろうが・・・」
 「そういやカブキって、少林寺で修行をつんだ、カンフーの達人なんだってな」
 「おい、プロレスの話になったら、急に懐疑主義的キャラじゃなくなってるじゃねえか」
 「いいんだよ、プロレスはそれで。夢があるんだから。いやしかし、ダイナマイト・キッド対初代タイガーは、ほんと名勝負だったよ、マジで。あと馬場さん対ハンセンのシングルな。あれはスモール・パッケージ・ホールドで、全盛期で敵なしだったハンセンに馬場さんがフォール勝ちしたんだ。いや、やっぱり、さすがのハンセンも社長には勝てなかったなんだなあ。それにしても、あの頃のプロレスには、少年の夢があったね」
 「はいはい・・・」

  (おしまい)

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浮世離れ/(身辺雑記)
- 2009/04/26(Sun) -
 ここしばらく考察している知新流の手裏剣術に関連して、無冥流の鈴木崩残氏が、実際に知新流の手裏剣を打ちながら興味深い解説と考察されています。

 下記の動画をご参照ください。

The professional lecture of ShurikenJutsu. PART-1 ___for a Japanese Shuriken lover.
http://www.youtube.com/watch?v=vMTbobFjGxg&feature=channel_page

The professional lecture of ShurikenJutsu. PART-2 ___for a Japanese Shuriken lover.
http://www.youtube.com/watch?v=YYw_YSXFXpQ&feature=channel_page


                      ※  ※  ※  ※  ※  ※


 日曜の夜は、銭湯に行くのがささやかな楽しみである。

 幸い、家から歩いて10分ほどの範囲に、二軒の銭湯があるので重宝している。おまけに最近の銭湯は、大浴場だけではなく、ジャグジーやちょっとした露天風呂などもついており、小一時間ほどいろんな湯船の湯を楽しんで450円なのだから、なんともお得な娯楽だ。

 風呂上り、サマーウールの単の裾を、いささか強めの春の夜風が揺らすのがなんとも心地よい。

 湯上がりの身体のほてりを夜風で冷ましつつ、のんびり家路を歩きながら、「卍抜きで大太刀を一気に抜きつけるなら、一重身に腰を捌かんと無理だよなあ・・・」などと思案しつつ、ふと立ち止まって抜きつけの身振りを取りつつ考察する・・・。

 しかし、この様子を客観的に第三者の眼で見たとすれば、100年に1度の経済危機のさなかの21世紀の大東京、そしてGW最初の夜、銭湯帰りの着流しの中年オヤジが、ふらふら夜道を歩きつつ、抜刀術の抜き付けなどという、現代社会では、クソの役にもたたないことを、真剣にああだこうだと考えているわけだ・・・。

 いやほんと、我ながら浮世離れしているなと、しみじみ思う。

 さて、ではこれから新作の重量手裏剣に椿油をひきながら、ニヤリとほくそえんで寝るとしよう・・・(笑)。



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春夜の雑感/(身辺雑記)
- 2009/04/24(Fri) -
 昨日は空手の稽古で、良い汗を流す。

 どういう訳か、今回は妙に相手の動きが良く見えて、相手の起こりを捉えての左の刻み突きが、面白いように極まる。

 じつはここしばらく、自宅での稽古で、剣術の切り落としをずっと思案かつ稽古していたのだが、それが何か影響しているのだろうか?

                   ※  ※  ※  ※  ※

 空手でも剣道でも、掛稽古や打ち込みを延々とやらされて、「もう動けねえ・・・」というときに、「地稽古10分」とか言われると、いわく言いがたいほど絶望的な気分になるものだ。
 
 ところが、そういう時ほど、力みが抜けて、柔らかな技が出る・・・、という事実は、気の抜けた型稽古しかしたことのない古武術家や、的打ちしかしない手裏剣術家とか、畳表しか斬らない抜刀家には、分からないのだろうなあ・・・・、などといつものように毒を吐いてみる(笑)。

 そしてまた、そういう稽古は、不惑ともなると、もうとても自主的にやる気にはならないので、できるだけ身体が動く若いうちにやっておくべきだなあと、ほんの15分間の空手の打ち込み稽古でヘトヘトになってしまう、オジサンは思うわけです・・・。

                   ※  ※  ※  ※  ※

 ここしばらく、知新流の手裏剣について、いろいろ書いてきたので、ここはひとつ、実際に1本購入してみるか・・・、っとwebを検索してみたのだが、以前、割合安く販売していた某会のページからはすでに抹消されており、唯一見つけた某店では、なんと1本7000円!

 しかしまあ、これが高いかといえば、自分も実際に手裏剣を自作した経験から言えば、「一本作る手間を考えれば、それくらいの値段はとりてえよなあ・・・」と思う。

 マスプロでない工芸品というのは、なかなか安くできないものなのだ。

 これはもう、定額給付金の出番しかないか?

 いやしかし、易学の泰斗・横井伯典師の『周易講義 第4巻』(古書:1万円)も欲しいんだよねえ・・・。

                   ※  ※  ※  ※  ※

 夜中にふと、剣術の切り落としについて思うところがあって、木剣を持って庭に出る。

 しばらくああだこうだと、木剣を振りながら思案していると、向かいのアパートの住民ににらまれた・・・。

 ま、夜中の3時過ぎだったし、私が悪いと思う。

 しかし、公園で全裸で騒ぐのよりは、ましなのだろう。

 それにつけても、今回は「メンバー」ではなく、「容疑者」なんですねえ。

 その差はいったい、なんなのだろう?

                   ※  ※  ※  ※  ※

 私もこのブログなどで、わりあい挑発的なことや、業界のタブー的なこと、あるいは「王様は裸だ」的な反権威的発言やら小論などを書いているが、人様の書いた批判調の文章を読むと、それはまさに他山の石である。

 おなじ批判でも、論理と根拠があり、なによりその意図が武術・武道を愛するものとして建設的なものというのは、批判されて「コンチクショー」と思っても、よくよく読めば、一理も二理もあるものである。

 一方で、その批判の根底に根拠や論理がなく、単なる揚げ足とりや感情論、自己顕示欲や妄想、権威主義やゴマスリなどで書かれた文章を目にしてしまうと、哀れだなあとシミジミ思うし、それどころか、その文面から毒気というか怨念というか、瘴気のようなものすら漂ってくるようにも思える。

 いや、別に誰のとはいいませんがね(笑)。

 腕がたっても、それでは、結局、人間失格。

 では己はどうか?

 武術・武道に限らす、なにごとも「事」と「理」、そして、もののあはれを感じることのできる「情け」を忘れずに、生きていきたいものだ・・・。
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小澤正夫著『宮本武蔵 二刀一流の解説』を読む~その2 手裏剣術編/(書評)
- 2009/04/22(Wed) -
 最近、ブログの更新がいつになく頻繁だが・・・という声があるのだが、実は100年に1度という経済危機のおかげで、ここんとこ仕事がさっぱりなかったわけです。そうなると、まあブログにも力が入ろうというもんですわ。

 ところがようやく、向こう2~3週間は仕事が入るようになりまして、おまけにGWは美濃での武者修行(笑)もあるもんですから、また、更新が以前のように少なめになるかもしれませんが、どうぞ変わらぬご愛顧、お願い申し上げます。

※  ※  ※  ※  ※  ※

 さて、小澤正夫著『宮本武蔵 二刀一流の解説』(吉川弘文館)のレビュー、手裏剣術編です。

 摘録としますので、本文の引用およびその意訳はゴチックで、市村の注は【】でくくります。引用・意訳文の文末は、原書のページナンバーです。

 それでは、お楽しみください・・・。


小澤正夫著『宮本武蔵 二刀一流の解説』~手裏剣術に関する摘録


■豊前小倉の碑文には、武蔵が手裏剣の達人であった、と書いてある/P14

【これは事実。武蔵の業績を示す最初期(没後10年ほど)の資料であり、その信憑性の高さも折り紙付きの小倉碑文には、「誠に武劔の精選なり。或は眞劔を飛ばし、或は木戟を投じ、北〔にぐ〕る者走る者、逃避する能はず。其の勢、恰も強弩を發するが如く、百發百中、養由も斯れに踰ゆる無きなり。(現代語訳/ 武蔵はまことに武剣の精選たる存在である。真剣を飛ばし、あるいは木剣を投げて、逃げる者も走る者も、これから逃げ避けることはできない。其の勢いは、 まるで強力な弩〔いしゆみ〕を発射するが如くで、百発百中、(春秋時代楚の弓の名人)養由〔ようゆう〕もこれに超えることはないほどである。)。以上、播磨武蔵研究会のURL(http://www.geocities.jp/themusasi/index.html)より引用」と記されている】


■伊賀上野の野武士宍戸梅軒の鎖鎌と試合し、手裏剣で倒したことが「二天記」に出ている/P15

【このエピソードは一般にもよく知られており、さらに手裏剣術家の白上一空軒氏も、その著書『手裏剣の世界』で取り上げ、「とくにこの中(市村註:根岸流手裏剣術の刀術組み込みの型)の四本目は、宮本武蔵が宍戸梅軒の鎖鎌を手裏剣で破ったときに姿勢からとったものではないかとされている」と記している・・・。

 が、これらの逸話は、ほとんど信憑性がない。そもそも、話の大元になった『二天記』そのものが、武蔵の没後131年後(!)に書かれたもので、現代の研究家の間では、その内容の多くがフィクションであるとされている。なにしろ、平成21年に、明治10年に活躍した剣客の逸話をまとめたようなものなのだ。しかも、webも雑誌も新聞も、図書館も何も無かった時代に・・・。一方で、歴史的に信憑性が高い一級の資料とされている『小倉碑文』や『兵法大祖武州玄信公伝来(別名:丹治峰均筆記)』などには、宍戸某との対決などという逸話はまったく記されていない。それにつけても一般の人はまだしも、こうした質の悪い資料を当事者である武術・武道人が鵜呑みしてしまうのは、武術・武道の専門家としての社会的な影響力からも、たいへん困った問題である】


■武蔵流手裏剣は目標に向かって真っ直ぐに投げる直打法で一間半から二間の近距離に使いそれ以上の遠距離にはもちいない。現代伝えられている手裏剣は遠距離を目標に剣先を逆に持って投げ、目標の直前で百八十度回転して突き刺さる半回転が主流となっている/P18

【「武蔵流手裏剣は、直打法で一間半から二間の近距離が直打」というが、その根拠や出典が示されていない。また「現在(出版時は昭和61年)は反転打が主流」という記述も、どういう根拠があるのか不明。昭和61年当時も、手裏剣術の主流は、根岸流や明府真影流などの直打であったと思われるが?】


■一般的に槍や薙刀に対する間合は一間以上とされ、これに自分の太刀先までの三尺を加えて約一間半が手裏剣術の間合となる/P159

【筆者は手裏剣術の実戦間合を、槍や薙刀が相手でも、一間半と喝破する。これは鋭い! 腐っても(失礼)剣道五段は、だてじゃあないか(笑)。近年、「槍に対しては四間」というような説が流布され、また対剣術等でも三~四間距離が手裏剣の実戦間合とされることが多いが、この三~四間という距離は、あくまでも対戦時の“最大有効”射程距離であり、実際には手裏剣術の理が活かせ、なおかつ戦闘に有効となる距離は一間半~二間である。これは、模擬手裏剣で立合ってみれば、すぐに分かることだ。もちろん、相手が長柄槍等、長大な武具の場合は、この限りでないことは言うまでもない】


■左足を出し後ろの直線上に右足を揃え、体の中心軸を目標と一致させる/P160


【この打剣の構えは、何流の構えなのか不明。知新流ならば、右半身の順体打剣のはず。これは左半身の逆体で、しかも前足と後足を一直線上に置く、いわゆる一重身である。こうした逆体の構えをとる代表的手裏剣術といえば根岸流である。後述するが、本書の手裏剣術に関する実技解説部分は、多分に根岸流の影響を受けているように思える】


■短刀打剣の手の内は重心が柄にあるから、距離一間半くらいでは鍔下を少しあけて上から柄を人差指で押さえ、第二指から第四指と親指で握って刃先を下に向ける。距離が二間くらいになれば、人差し指で鍔を押さえ、ほかの三指と親指で握って刃を下に向ける/P160


■弧を描かないようにするため、振り下ろすと思わず一気に前へ飛ばす気持を持つことが必要で、剣と手と腕を一直線にして頭上から前へ打ち込む気迫を持つ/P161

【打剣の際、剣術の斬撃のように腕を振り下ろすと、手離れが遅くなり首落ちしてしまう。このため、手離れを早くすることが手裏剣のツボであり、筆者の言う「前へ打ち込む気迫」もこのことを示している】


■一尺三寸の脇差で柄七寸とすると重心は鍔先にあり、刃先を上にして棟の下から握って槍投げの要領で投げる/P161


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▲小澤正夫著『宮本武蔵 二刀一流の解説』(吉川弘文館)より引用

【これまで、太刀や小太刀(脇差)、短刀などを直打や反転打で「手裏剣に打つ」技は、古流剣術諸流でも見られたが、この「槍投げスタイル」は、本書で初めて見た。たしかに、こうした手の内での打剣もありだろう。ただ、立合という一連の攻防の中で、こうした手の内で脇差を保持するのが合理的かどうかは、考察の余地があろう】


■昔の人は手裏剣をどう見ていたか。『日本武術名家伝』には、次のようにある。「手裏剣の事、知新流について。尾張藩へ伝えたのは(知新流の)丹羽織江氏張です。(中略)。この術は道中旅行の際、山賊などに出会ったときに先手を打ち、敵を撃退するものです。ただし、手裏剣で必ず1人を打ち倒すものと考えてはなりません。人間はたかが、ひと太刀やひと突きで死ぬものではないのですから、手裏剣だけで即死させようとするのは認識不足です。ただ、手裏剣で先手をとって、その隙に乗じて勝つためには良い武器であり技です」と書いてある/P162

【古人の教えは実に深い。「必殺の手裏剣・・・」などと、その威力を過信する者は、己の浅はかさを知るべきである】


■円明流および知新流打剣の型/P166~167


【本書で示される、「円明流および知新流打剣の型」は合計6本。1本目は、藤田西湖著『図解 手裏剣術』のP163~164に示された、知新流の型と同じ。右足を踏み込んで順体の打剣、踏み込んで真っ向正面斬り、という型である。下の動画をご参照いただきたい。




 問題は、その後の2~6本目の型についてだ。これらの型は藤田西湖の『図解 手裏剣術』P165~172で解説されている5つの型とほぼ同じである。ところが藤田の著書では、この5本の型が何流の型か明記されていないのである。ページ建てからいえば、知新流の型の解説後に記述され、しかも流儀名が改めて示されていないので、素直に知新流の型として理解すれば、小澤の著書の解説と矛盾はしない。ところが藤田は、わざわざP165で改めて「1本目」と見出しを立て、前頁で解説している知新流の型の解説と明らかに区別しているのである。

 さらに問題を複雑にしているのが、白上一空軒著『手裏剣の世界』である。この本では、根岸流の刀術組込みの型として、5本の型が記載されているのだが、それが、小澤の著書に示された円明流および知新流打剣の型の2~6本目、そして藤田の著書に示された流儀不明の型5本とまったく同じなのである・・・。

 ここで考えられるのは、

1. 根岸流の5つの型と、円明流および知新流の型の2~5は同一であり、歴史的な時系列を考えると、根岸流(幕末)が知新流(正保年間)の型を導入した。
2. 出版の順序(『図解 手裏剣術』昭和39年初版、『手裏剣の世界』昭和51年初版、『宮本武蔵 二刀一流の解説』昭和61年初版)から、小澤が、藤田あるいは白上の著作を参考に根岸流あるいは名称不明の流儀の型を、知新流の型と詐称した。

 という2つの可能性だ。

 筆者の小澤が、この型の解説の元となった出典を明らかにしていれば、このような疑問や混乱は生じないのだが・・・。】


■知新流手裏剣目録には基本技立打八カ条と居打八カ条の記述があり、これらは明らかに反転打法を示し、いずれも口伝である/P170

【これは、明らかに筆者の間違い、あるいは強引な解釈である。知新流の目録には、立打として「手裏剣離之事、手裏剣軽重之事、同長短之事、同手之内之事、同足踏之事、打出目付之事、指屈伸之事、上下打之事」の八か条、居打では「左右打之事、二本打之事、三本打之事、四本打之事、三間打之事、手裏剣留打様、風切」の八か条、さらに「夜打様、懐剣、腰刀」の三か条が記されている。

 これらのどれが、筆者が言うところの「明らかに反転打を示して」いるのか?

 藤田西湖著『図解 手裏剣術』に掲載されている、知新流の印可伝授書では、「遠い間合の場合は、反転打にせよ」との記述があるので、上記目録の三間打之事は、反転打かもしれないが、それ以外はまったく反転打であることを示す記述も記録もない。ただし一方で、無冥流の鈴木崩残氏は、知新流の手裏剣本体(後ろ重心)の形状は、明らかに反転打により適している、と指摘している。この辺り、口伝として反転打が強調されていたのか、気になるところであるが・・・。

 いずれにしても、現在、公開されている知新流に関する資料を読む限り、同流の打剣が反転打主体ということは認められない】


■(手裏剣を打つ際には、左足を出し後ろの直線上に右足を揃え、体の中心軸を目標と一致させるが)流派によって右半身から右足を一歩踏み出すと同時に腰を捻って左半身となり打ち込むものもあるが、この瞬間に正中線が狂って姿勢が崩れやすい/P180

【この記述は不自然極まりない。「右」と「左」が逆ではないか? 「左半身から右足を一歩踏み出すと同時に腰を捻って右半身となり打ち込む」というのなら、理解できる】


■市村の総評

 本書の手裏剣術に関する記述を読み、脇差や懐剣などを手裏剣に打つ「飛刀術」が、古流においては普遍的な、しかし口伝の技であったという点をさらに確信することができた。また、脇差の打剣における、槍投げ様の手之内の解説を見たのは本書が始めてである。

 一方で、手裏剣術の実技解説については、型に対する疑問点のほか、明らかな誤謬も見られた。しかも、筆者は歴史的経緯の解説部分では、それなりに資料や出典を明示しているのだが、実技部分ではほとんどそれを明らかにしていない。これを意地悪く見れば、実技解説については、『図解 手裏剣術』と『手裏剣の世界』、あるいは成瀬関次著『手裏剣』あたりを参考にして書いたのではないか? とも推察できるのである。そういう意味で、本書は手放しで資料的価値の高い書籍とは評価できない。

 ただし、一次資料はもちろん、二次資料や三次資料すら集めるのがたいへんであったろう、この時代(昭和60年代)に、脇差や懐剣などを手裏剣に打つ「飛刀術」について、これだけ記録を取りまとめ、先駆的な実技解説にも挑んだということは、近代の手裏剣術研究においては大きな足跡であると評して良いかと思う。

 こうした点から、平成の世に手裏剣術を志す者の一人として、筆者の小澤氏には改めて敬意を表したい。

                                             (文中一部敬称略)

 (了)

参考文献
藤田西湖著『図解 手裏剣術』(名著刊行会)
白上一空軒著『手裏剣の世界』(壮神社)

参考URL
「宮本武蔵」(播磨武蔵研究会)
http://www.geocities.jp/themusasi/index.html

「宮本武蔵玄信伝」(松本忠也)
http://homepage3.nifty.com/ganryu/musashi/index.htm
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小澤正夫著『宮本武蔵 二刀一流の解説』を読む~その1 剣術編/(書評)
- 2009/04/21(Tue) -
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▲今から23年前、ネットも携帯も普及していない時代の著作


 『宮本武蔵 二刀一流の解説』(小澤正夫著/吉川弘文館/昭和61年)は、以前、ネットオークションに出品されていて、その目次に「武蔵流手裏剣の由来」とか「手裏剣の説明」、「円明流および知新流打剣の型」など、手裏剣に関する記述が多く見られたため、かねて購入したいと考えていたところ、このたびヤフオクで入手することができた。

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▲知新流と円明流の手裏剣術に関してふれた一節


 そもそも、このブログの小論でもたびたび指摘してきたとおり、日本の手裏剣術と宮本武蔵との関連はたいへん深く、また手裏剣術の精華ともいえる刀法併用手裏剣術は、一種の二刀遣いであるともいえる。こうした点からも、手裏剣術者という立場として、宮本武蔵とその流儀(業)は、たいへん興味深いテーマである。

 さて、そこで本書を一読した感想であるが、残念ながら、あまり期待したほどではなかった。内容の詳細、特に手裏剣術に関する部分については、「その2」として摘録としてまとめておくつもりだが、まずは総論的書評をまとめてみた。

 まず本書は、「武蔵ひいき」の牽強付会な記述が多く、また参考文献や原典資料も詳細に明記されていないため、全体の信頼性は、あまり高いとはいえない。

 著者の略歴を見ると、「約40年間剣道史および武蔵の研究に専念、剣道五段」との記載があるが、剣術や手裏剣術などに関しては、特に修行したともなにも書かれていない。想像するに、剣道以外にも古流を稽古したというより、伝書などを読み込んだというようなスタンスなのだろう。

 しかも、ここで問題なのは、先に指摘したように、『小倉碑文』や『二天記』などといった、武蔵関連の原典資料以外、あまり明確に記述の出典が示されていないことであり、さらに武蔵に関する業績などについては、本書の記述は、その信用性が極めて低い、『二天記』を中心としていることである。

 このため手裏剣術=飛刀術に関する記述では、「宍戸梅軒を倒した際の云々・・・」などという信憑性の低い逸話についての記述が再三あり、本書の資料としての信頼性を大きく損ねているのは残念である。

 さらにこの著者は、武蔵ひいきが高じるあまり、一刀流や新陰流がたいへん「お嫌い」なようで、徹底的に非難している。

 たとえば、

     「一刀流の特徴は、イ、敵の打込みを鎬で左右に払うか棟で上から下に叩き、
      その弾みを利用して斬り付けるか突きを入れるのを『切落し』と呼んで基本
      技とした」(同書P32)

  おいおい、そりゃあ違うだろう~。

 鎬の形状・厚みを活用し、厳密な正中線に沿った真っ向正面の太刀筋(勝太刀)をもって、早からずしかし遅からずという絶妙の拍子に乗って、相手の正面斬りの太刀筋をそらして勝つのが切落でしょうが。左右に「払う」のは張り受けだ。それよりなにより、「棟」で相手の刀を叩いたら、自分の刀が傷むし、最悪、折れちゃうだろう!

 この著者は、本当に剣道五段なのか? いや「剣道」五段だから、このような理解なのか?

 さらに著者の暴走は続く。

     「要点だけいうと、切落しは初心者でも使えるから高度の技ではない。」(同書P33)

 う~ん、そこまで言うか・・・。

 日本中の一刀流系の剣術家を敵に回してるな、この著者は。

 私は一刀流の関係者ではないけれど、切落という技は、日本剣術における普遍的な極意のひとつだと思うのだが・・・。

 そもそも、切落しなんていう高度な技は、初心者にはとうてい遣えんでしょう。

 初心者に最初に教えることと、実際にその技が遣えるかどうかは別問題なわけです。古流というのは、たいがい極意の太刀筋を最初に教えるということを、この著者は分かっていないのだろうなあ。おそらくこの人は、切落も現代剣道の正面打ちのような基本技くらいにしか、思っていないのだろう。


 さて、このように、一刀流をこき下ろした著者は、返す刀で新陰流もぶった斬る。

      「柳生は(中略)織田に尾を振っていた。(中略)。(柳生宗矩は)将軍の歓心
       を買うことにひたすら努めた。大名との交際がうまく求めに応じて金で免許
       を与え、挨拶の良い大名だけを将軍に推薦した。出世欲のためには手段
       を選ばないというゆがんだ人間となったから、息子たちは親の言うことを聞
       かなかった」(同書P52)

 これはもう、たんなる人格攻撃としか思えないのは、私だけだろうか? もっとも著者は柳生宗矩だけでなく、一刀流の小野忠明についても、「達人ではなかった」(同書P29)と斬り捨てている。

 いずれにしても、武蔵を40年間に渡って研究してきた著者は、どうも一刀流や新陰流が大きらいでしょうがないらしいことは、本書を読み込むほどに猛烈に感じられるのである。

 さらに著者は、自身が剣道五段でありながら、現代剣道もお好みではないらしい。

       「竹刀で叩くことをいくら習っても実戦では役立たない。(中略)。兵器がどの
        ように進歩しても、最後は白兵戦で勝負が決まる。そのためにも実戦に役
        立つ古武道を学ぶべきであろう」(同書P106)

 結局、最後は、白兵戦ですか・・・。

 つうか、だから戦争に負けちゃうんだってば!

 ちなみに著者の略歴を見ると、大正3年生まれ。大学卒業後、中島飛行機(隼とか疾風のメーカーですな)社員。昭和19年、百里の海軍航空基地に召集、翌年9月復員。戦後は昭和23~49年まで、東京地検捜査主任(!)。昭和49年退職、とある。

 なんかこういう人が検事というのは、自分に都合の良い状況証拠と自白だけで、被疑者を有罪に持ちこむような、戦後刑事警察・検察の強引さをイメージしてしまうのは、私の考えすぎだろうか・・・。

 ひとつ言えることは、あくまで「実戦」を強調する著者だが、上記の軍務歴では、著者自身に白兵戦の経験がないのは間違いないであろう。

 
 さて、このように、一刀流と新陰流という、日本剣術の二大流儀を斬り捨てた著者は、おもむろに二刀一流の技術解説にうつる。

 これについては、私自身が剣術の二刀遣いにあまり明るくないので、技術面でとやかく言うことはない。ただ1つ言えるのは、同書内の手裏剣術に関する記述もそうだが、著者の解説文は、たいへん理解しづらいのである。

 説明が非常に大雑把であり、しかも解説のための図が、ほとんどイメージイラストなので、具体的な攻防の流れや技の展開が、いまいち把握できないのだ。

DSC_1607.jpg
▲ほとんど図版の意味をなさない、イメージ・イラスト(笑)


 まあ、本書は純粋な技術解説書ではないので、それはそれでやむをえないのだろうが、著者40年の研究に基づいた、二刀遣いの技術解説を期待する者としては、いささか記述が不親切であると言わざるをえない。

 なによりも問題なのが、筆者が解説する武蔵伝来の二刀流とは、どのよな伝系のものであるのかが、まったく明らかにされいないのである。これは私の直感にすぎないが、おそらく著者は、いずれかの伝系の二天一流、あるいは円明流や鉄人流などといった、武蔵由来の二刀遣いの古流剣術を実地で学んだのではなく、伝書等の記述を中心にして、術技を再現しているのではないかと思われる。

 私自身、刀法併用手裏剣術などは、伝書の記述から復元し、日々の稽古体系に組み込んでいるので、一部の原理主義的古武術家のように、「復元=インチキ」とは思わない。真摯な姿勢で臨めば、術技の復元も重要な鍛錬や研究になる。

 ただし、そのための絶対条件として、「これは復元である!」と、必ず明言しておかねばならない。

 こうした点においても、本書は多いに問題をはらんでいるのだが、出版されたのが昭和61年と、現在に比べて武術・武道に関する考証や研究態度が、ある種、鷹揚であった時代ゆえ、しかたのないことなのかも知れない・・・。

 (書評その2 手裏剣術編につづく)
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「モノ切りマニア」たちの弊害/(武術・武道)
- 2009/04/20(Mon) -
 ちょっと前、昭和の終わりから平成のはじめ頃までは、剣術や居合の世界でも、試物、いわゆる試斬=試し斬りというのは、それほど一般的ではなかった。

 それどころか、「試斬をすると悪い癖がつく」などといって、一切、そういった稽古・鍛錬を禁止する流儀や師範も珍しくなかった。

 思うにこれは、居合の世界などでいまでも時折目にすることのある、「とにかくゆっくりした抜き打ちしかダメ。早抜きなど言語道断」主義と同じ、偏った思考がいつのまにかドグマとなってしまったという典型例だろう。


 推測するに、試斬を忌避した人々というのは、武術・武道としての剣術や居合・抜刀術の稽古においては、安易な試し斬りの実施は手段と目的を履き違えることがあるという観点から、当初、それを強調したのであろう。

 同様に、「ゆっくり抜く」というのも、あくまで稽古の方便のひとつであり、「ぜったい速く抜くな」とか、「一生、速く抜いてはダメ」というとこではないに決まっている(笑)。こんな子供でも分かる道理が、いつのまにか「ゆっくり抜く」「早抜きはダメ」というドグマ化して、現在のようになってしまったのだ。

 その結果、剣を扱う武術・武道であるのに、「一度も真剣で試物をしたことがありません」という、いわばエア剣術家とかエア居合道家が大量に育成されてきたわけだ。

 あるいは、ゆっくりと「しか」抜けない居合術家、いわばダッシュをしたことのない100mランナーみたいなものが、大量生産されてきたのである。


 さて、これに対して、例えば、戦後一般に普及した戸山流などは、試斬を積極的に行う流儀として昭和以降の武術・武道界で異彩を放ってきたし、その影響下で昭和の中ごろから平成にかけて、もっぱら真剣での試斬を主とするいくつかの現代流派も誕生した。

 その結果、最近ではもともと試斬をよくやる流儀・会派以外、伝統的な流儀も含めて、わりあい多くの剣術人、居合・抜刀術(道)人の間で試し斬りが行われるようになり、以前ほど試物に対する忌避感は無くなってきているように思える。

 これは個人的には、良い風潮であるように思う。

 ただしそれは、あくまでも「稽古の方便のひとつ」としての試し斬りであるべきであるのは論を待たない。ここを間違えると、たんなる「モノ切りマニア」になってしまう。

 試物というのは、あくまで流儀の型や業、太刀筋に基づいて行うべきものであり、剣を用いた「武術」なり「武道」の、稽古のいち部分に過ぎないのである。

 そういう意味で、ときおり「畳表を切るには身幅の薄いものが良い」とか、「硬いものを切るには、重ねの厚いものが良い」などといった、刀の道具論のみをやたら強調する人がいるが、これはこれで本末転倒ではないか?

 つまり、「斬りの稽古(試し斬り)というのは、剣術人や居合・抜刀術人にとっては必須の稽古法の一つであるが、それ自体(物切り)が目的ではない!」、ということを強調したいのである。

 ところが、これは個人的な感覚なのだが、ここ数年、かつての試物に対する極端な忌避感の反動のように、むしろ安直なモノ斬りが増えているようにも思えるのである。

 その結果、どういうことが起きるのか?

 例えばこういうこと。

http://www.youtube.com/watch?v=YmPa8OZT7P4

 あるいは、こういうことである。

http://www.youtube.com/watch?v=ICLAvjUmPnI&feature=player_embedded

 どちらも、武術・武道としては、見るに耐えないのは言うまでもない。

 なにより、いずれも業などという以前に、ごく初歩的的な打刀の扱い方も知らないため、たいへん危険なのである。

 もっとも愚かな大人が、剣のまともな使い方も知らずに、自分の指を切ったり、助手の手首を落としたりするのは、私の知ったことではない。

 こうした映像を見て、青少年が安易にまねをし、怪我をすることを、私は恐れるのである。


 このような愚行が発生する責任は、当然ながら現代の日本の武術・武道界にも多いに責任があるし、その末席を閉める自分自身も、改めて襟を正さねばならないと改めて思う。


 「モノ切りマニア」を育てるようなエセ武術・武道人にだけは、なりたくないものだ・・・。
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チラ裏版 「侘び」と「寂び」に見る、日本的美意識と倫理観/(数寄)
- 2009/04/19(Sun) -
 無冥流・鈴木崩残氏の松の間ホームページで、車剣に関する興味深い考察が加えられています。また反転打についても、貴重な考察が加えられていますので、みなさんご覧ください。

■反転打の利点と欠点
http://www.youtube.com/watch?v=sAiw7HvjvX8

■平手裏剣は、本当に量産されたか?
http://www.youtube.com/watch?v=RpqYAA2bauo


                   ※  ※  ※  ※  ※  ※


 さて、「侘び」と「寂び」に見る、日本的美意識と倫理観、と題しての小論を前回、取りまとめたわけだが、まあ、あちらの一文はいわゆるひとつの(表)である。

 ここではもうちょっと肩の力を抜いた、(チラ裏版)としよう。


 でもって、「侘び」や「寂び」、あるいは「粋」といった概念を、外国人にどう説明するか?

 たしかに、これは難しい。

 まあ、日本人に説明するのでも、そうとう難しい形而上的な概念なんだから、当たり前といえば当たり前だが・・・。

 侘び。

 岡倉天心は、日本的美を英語文化圏の人間に紹介するために、英文で『茶の本』を著したが、その中でimperfectという表現が、よく侘びという概念を表していると、書いたとか書かないとか・・・。

 実は今、手元には岩波文庫版の『茶の本』しかなく、これは和訳のみで原文は書かれていないので、ウィキからの受け売りである。ウィキを真に受けるのは、どこぞのチョ忍みたいでちょっと嫌だが・・・(と、さりげなく韻を踏んでみた)。

 岡倉のimperfectという表現は、先に挙げた久松真一が指摘するところの、不均整ということなのだろう。

 建築にせよ絵画にせよ工芸品にせよ、欧米人がシンメトリーなデザインをよく好むのに対し、日本人は特に盆栽の剪定に見られるように、不均衡なデザインを好む。これは極端に手を加えられながら、一方で作為性を可能な限り排斥したいという、「侘び的美意識」なのではないかと思う。

 う~ん、またちょっと、「(表)な文章」になりつつあるな・・・。

 ようするに、美人は3日で飽きるが、不美人な方は3日で慣れるということか?

 いや、ちょっと違うな。少なくとも美人に3日で飽きることは絶対にない、私の場合。


 和●の座敷でワイワイ飲んでいる20代の大学生のグループからは侘びを感じないが、金曜の夜、ちょっとすがれたビストロで、お一人様専用のディナーをひとりで黙々と食べている秋田県出身・38歳・独身女性(栗山千明似の憂い顔の美人)からは、多いに侘びを感じるということか?

 いやこれでは侘びではなく、たんに侘しいだけだ。まあ、侘しくても美女は美女である。

 ちなみに、「秋田県出身・38歳・独身女性(栗山千明似の憂い顔の美人)」という設定に他意はない。単なる、私の好みである。

 さて、

 ようするに、侘びというのは、「もののあはれ(the sorrow of human existence/人間存在の悲哀)」ということなのではないか。

 うん、これはちょっと分かりやすいと思う。

 侘びとは、悲哀だ。

 しかも一般的に悲哀というとマイナス表現なわけだが、侘びという概念は、それをむしろ好ましいものとして捉えている。いわば肯定的(affirmative)な悲哀(sorrow )とでも言おうか。

 つまり、「あ~はいはい、どうせ中年ですよ、ハ●ですよ、くたびれてますよ・・・。でもまあ、そういう中年男の悲哀ってのも、当人にとっちゃあ、それはそれで、ちょっとした味かなあとかね・・・・、あはははは・・・・・」というような状態か。

 このような肯定的悲哀という意味なら、「やっぱキムタクよりぬっくんの方が、侘びな感じぃ?」というような表現も成り立つのではなかろうか。
 
 よし、「侘びは温水」っつうことで決定!


 では寂び。

 これはまあシンプルに、ある種の骨董趣味(antiquarianism)といっても良いのだろう。いやそうすると、An antique lookも同様に、結局、ゴッホと抱一の比較説明が必要になってくる。

 やはり、日本的な(Japanese )骨董趣味と、補足すべきであろう。

 ではここでいう「日本的な」ものとは何か? という疑問も寄せられる。おそらくここで、多くの欧米人が、シナ的文化と日本的文化がごっちゃになってしまうのだろう。

 中途半端な日本趣味の外国人の部屋の、妙に大陸的な、しかし和のモチーフも色濃いインテリアみたいなもんである。そういえば、『ラスト・サムライ』で、柔術の師範が、シナ式の抱拳礼式をしていたのは、トホホな気分であった。

 思うに日本固有の文化も、平安時代初期までは、極めて大陸的な色彩の濃いものであったろう。それが、平安末期から次第に純日本化され、大陸的王朝文化とは一線を画した、日本的なる美の元素が熟成されていったのではないか。これに寄与したのが、文化としての禅趣味であり、また茶道であったことは間違いないだろう。

 おっとまた、(表)のようになってしまった、いかんいかん。

 いやね、口語体の柔らかい文章っつうのは、論文調の硬い文章よか難しいわけです。だからよく、安っぽいカルチャーセンターの「エッセイ講座」の講師なんかが、「話言葉のように自然に書けばいいんです」とか言うけれども、それは手裏剣術の初心者に、普通に歩き回りながら的に刺せ、といっているようなもんなんだよ・・・。

 閑話休題。


 まあ要するに、寂びってやつは、「必殺仕事人は、東山よりも藤田まことのが味がある」っつうことだ。もちろんクリント・イーストウッドでも良いでしょう。新作の『グラン・トリノ』には、大いに期待している。ただ私としては、最近のロバート・デュバルの演技に「寂び」を感じるのだが。

 といううことで、「寂びとはロバート・デュバルである」と定義する。


 最後は粋。

 ものの本によれば、上方では粋と書いて「すい」と読み、江戸ではこれを「いき」と読むという。

 そしてまた、江戸の鉄火な若い衆たちは、「粋(いき)ってのは、帰りがねぇってことよ。見栄ってやつぁ、張るもんじゃあなくて切るもんでぃ!」っと言ったとか言わないとか。

 粋。

 これはいわば野暮との対立概念であり、しかも庶民の言葉である。そういう意味では、smartよりも、coolの方が、より感覚的に近いのではなかろうか。

 ただcool=粋となると、華麗にこぶしをぶちかます黒人演歌歌手のジェロみたいなイメージ?

 つうことは、「粋はジェロ」ってことか。

 いやいや、私は個人的には、粋というならジェームズ・コバーンとかロバート・ヴォーン、日本人なら中村吉右衛門だろうかと!

 そうだ、吉右衛門だ。

 「粋は鬼平」だ。

 というわけで、

 侘びは温水、寂びはロバート・デュバル、粋は鬼平ということで・・・、

 どっすか、奥さん?

 (おしまい)
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「侘び」と「寂び」に見る、日本的美意識と倫理観/(数寄)
- 2009/04/18(Sat) -
 穏やかに生きたいものだ・・・、と思いつつ、ついつい「ならぬことは、ならぬものです」とか、「王様は裸だ!」と言ってしまうのは、生まれ持った性格のようで、ついついあえて挑戦的な行動をしてしまうのは、ま、しょうがないとあきらめている。

 なにしろ今年でもう、40年も己と付き合ってきたことだし・・・。

 とういうことで、問題定義なブログばっかり書いても疲れるので、たまには数寄な話を書きたいものだと思っていたところ、先だって、日ごろから親しくお付き合いをいただいている無冥流の鈴木崩残さんから、「侘び、寂びということについて」というお題をいただいたので、つらつらと書いてみようかと思う。

                    ※  ※  ※  ※  ※  ※


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▲日本的なる美意識と倫理観


 「侘び」や「寂び」といった、極めて日本的なる美意識とは、いったいどのようなものなのか?

 侘びとは、「侘しい」という言葉から連想されるように、もともとは簡素だとか質素などという様子を表す言葉であったが、室町末期の茶道文化の高まりと、同時期にみられた禅の広まりのなかで、一段深い日本的美意識に変化した概念である。

 例えば、千利休の師である武野紹鴎はこう語る。

 「侘びという言葉は、いろいろな人が、歌などにも詠ってきたが、最近では正直に慎み深く、おごらない様子のことを侘びというのだ」(『侘びの文』)

 ではこの、「正直で慎み深く、おごらない様」というのは、具体的にはどのような形で表現されるのだろう。

 例えば、

 ブレイク・ダンスと能は、いずれも舞踏の一種なわけだが、どちらがより「正直で慎み深く、おごらない」舞踏なのであろうか。

 これを単に、「ブレイクダンスは欧米の黒人文化が発祥の舞踏なので」とか、「動きが激しいから」とかいった表層で判断し、「だからブレイクダンスより、能の方がより侘びている」と断言して良いものではないはずである。

 あくまでも仮定だが、仮に無我無心、空の境地のなかで、肉体のほとばしりに身をまかせて踊るブレイク・ダンサーと、世俗的権威と日々の収入、惰性と傲慢さの中で舞う能楽者がいたとする。

 さて、どちらが行う舞踏が、より「正直で慎み深く、おごらない様」なのだろうか?

 本来の侘びとは、あくまでも内面的慎みの発露であって、たんなる外形的な状態ではないはずである。

 一方で、ゴッホの『星月夜』と酒井抱一の『夏秋草図屏風』、どちらがより「侘び」ているのかと問えば、多くの日本人が抱一の『夏秋草図屏風』を選ぶということは間違いないだろう。

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▲ゴッホ『星月夜』


 これは、ゴッホの描く絵画世界が「正直で慎み深く、おごらない様」ではないということではなく、我々日本人が感じる「正直で慎み深く、おごらない様」のイメージに、より深く合致するのが抱一の『夏秋草図屏風』であるということに過ぎない。

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▲酒井抱一『夏秋草図屏風』


 この辺りを誤解すると、日本的美意識と倫理観を受け継ぐ文化の一つである武術・武道も、単なる形式主義・権威主義に陥ってしまうのである。


 それでは、我々、日本人が感じる「侘び=正直で慎み深く、おごらない様」のイメージとはどのようなものか?

 ここにかかわってくる概念が、寂びである。

 寂びとは本来、事物が経年劣化する様をさす言葉であったが(錆)、それが転じて、静寂や枯高などといった状態を表す言葉となった。

 われわれ日本人は、バウハウスに代表されるような機能的・合理主義的表現よりも、つぎはぎだらけの『馬蝗絆』に、より深い美を感じるような刷り込みを、500年以上にわたって自ら行ってきた民族である。

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▲東京国立博物館に収蔵されている、
  重要文化財の『馬蝗絆』


 『馬蝗絆』は、そもそも現地でも再現不可能な名品だったため、しょうがないので鎹でとめて送り返すという、きわめて大陸的なある種の「テキトーさ」によってできたもので、当初は「この茶碗は、シナでも再現不能なほどの名物なのだ!」という、権威主義的価値に基づいた名物であったのだろう。

 それが後年、侘び的な「慎み深くおごらない様」という概念と、経年劣化は美しいものであるという寂び的美意識とが結びつくことにより、再現不能であるから価値があるだけではなく、鎹をイナゴに見たてつつ、つぎはぎだらけの劣化した様ゆえに美しい、という寂びの概念に到達した。


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▲鎹をイナゴに見たてる想像力。つぎ
  はぎゆえに美しいという価値観


 このため、安土桃山時代から江戸初期にかけては、わざわざ完成品の茶碗や石灯篭を砕いて、改めて接ぎ直して使用したり飾るのが寂びである、という者まで現れたとか。

 当然ながら、こうした作為的な寂びは、「慎み深くおごらない様」という侘びの概念とは一致しないことから、後年はエセとして排斥されたという。


 以上のような、侘びや寂びという美的概念をまとめるならば、昭和の名茶人であった久松真一が示した、侘数寄の七つの条件というのが、よくその本質をとらえているように思える。

 曰く、

 不均整、簡素、枯高、自然、幽玄、脱俗、静寂

 である。

 こうした侘びや寂びという美意識は、ある種の行動規範としても、これまでの日本人の倫理観を支えてきた。

 ゆえに、日本の武術・武道も当然ながら、こうした侘び、寂びという美意識や倫理観の影響を強く受けているわけであり、だからこそたとえば、グレーシー柔術がどんなにその内容や技術、歴史的経緯や教育的意義から「武道性」を強調したとしても、大多数の日本人の潜在的価値観としては、それは到底受け入れられるものではなく、結局は「格闘技としてのBJJ」、という概念でしか捉えきれないものなのだろうし、文化的にも「武道」としては根付かないであろう。

 これは、ボクシングも総合格闘技も同様である。

 ただし、こうした美的・倫理的概念を400年以上にわたって育ててきた日本人自体が、近年、侘びや寂びに象徴される「慎み深くおごらない様」や「不均整、簡素、枯高、自然、幽玄、脱俗、静寂」といったものへの美的憧憬を失い始めていることも、また事実である。

 本来、こうした内面的な日本的美意識に基づいた倫理観=「慎み深くおごらない様」を涵養するのも、近代的日本武道の使命のひとつであり、それは昭和62年に日本武道協議会で制定された武道憲章の第2~5条などにも、明確に示されている。

 しかし平成の今、その理念と目的が社会において実現されているか否かは、皆さんがご存知のとおりだ。


   武道憲章

   (目 的) 第 1 条
    武道は、武技による心身の鍛錬を通 じて人格を磨き、識見を高め、
    有為の人物を育成することを目的とする。
 
   (稽 古) 第 2 条
   稽古に当たっては、終始礼法を守り、基本を重視し、技術のみに偏せ
   ず、 心技体を一体として修練する。
 
   (試 合) 第 3 条
   試合や形の演武に臨んでは、平素錬磨の武道精神を発揮し、最善を
   尽くすとともに、勝っておごらず負けて悔まず、常に節度ある態度を堅
   持する。
 
   (道 場) 第 4 条
   道場は、心身鍛錬の場であり、規律と礼儀作法を守り、静粛・清潔・安
   全を旨とし、厳粛な環境の維持に努める。
 
   (指 導) 第 5 条
   指導に当たっては、常に人格の陶冶に努め、術理の研究・心身の鍛錬
   に励み、勝敗や技術の巧拙にとらわれることなく、師表にふさわしい態
   度を堅持する。
 
   (普 及) 第 6 条
   普及に当たっては、伝統的な武道の特性を生かし、国際的視野に立って
   指導の充実と研究の促進を図るとともに武道の発展に努める。
 
                     昭和62年4月23日制定 日本武道協議会


 私見だが、残念ながら現在、侘びや寂びに象徴される日本的美意識と倫理観=「慎み深くおごらない様」は、武道に限らずあらゆる面で、この国から急速に失われつつあるように感じる。

 侘びや寂びといった日本固有の倫理観を受け継いだ文化の一つである、日本武道の末席を占める者としては、こうした状況はいささか寂しいが、500年、1000年という長い時の流れの中では、このような文化の盛衰は、避けて通ることのできない帰結なのかもしれない。

 そこに「もののあはれ」を感じてしまうこともまた、私という日本人の意識に刷り込まれてきた、日本的なる美意識と倫理観なのだろう。

 (了)

 参考文献
 『茶の精神』(千玄室/講談社学術文庫)
 『茶道の哲学』(久松真一/講談社学術文庫)
 『茶のやきもの』(満岡忠成/淡交社)
 『日本史小百科 武道』(二木謙一 入江康平 加藤寛共著/東京堂出版)
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正しい地稽古や試合のために/(武術・武道)
- 2009/04/16(Thu) -



 久しぶりに、なかなか見ごたえある動画でした。

 剣道となぎなたの対戦です(試合か地稽古かはちょっと不明だが、たぶん試合?)。

 両者の段位等は不明ですが、中堅どころ前半の有段者(3~4段くらい)でしょうか?

 剣道側(A)は、なぎなた(B)の脛斬りを警戒して、低めの中段で付けています。こういう地面と平行になるような低い正眼は、古流にもありますね。

 00:09で、Aが先をとって正面打ち。いい攻めです。なぎなたよりも間合いが近い=不利な立場であるAは、こういうように攻める気力で相手を追い詰めていかないと、不利になります。これは、初学の観戦者にも理解しやすい、「位で詰める」攻撃例だといえるでしょう。

 0:38のBの突き。やや浅いですが、突きの直前、半歩下がり、膠着した間合をいったん切っているのがツボです。一足一刀の間合いで攻めあぐねた場合は、こうして間合をいったん切るのが有効です。一方で、膠着した間合で半端に出した0:42のBの突きは、逆に見切られていることも、併せて考えてみると良いでしょう。

 1:11。Bの打ち込みをすかして(すり上げずに、抜いていると思われる)の面、見事です。自分よりも間合いの遠い相手とは00:09のように位で詰めて先をとるほか、こうした後の先も有効です。しかし理屈がそうだからといって、だれでも簡単にできるものではありませんぞ(笑)。Aの拍子と間合の見切りが効いています。これはとても理解しやすい、「後の先」の技の実例です。

 1:50。こんどはBの突きが入ります。これまた実に見事です。0:38の時はやや浅かったですが、今度は十分にコントロールされ、拍子もぴったり、なにより気剣体がしっかりと一致しています。先の1:11の面もそうですが、打たれた(突かれた)側が、「これは一本取られた!」っと納得できる技で決めることが大切です(※1)。また、1:11の抜いて面が「後の先」の技であったのに対し、ここでのBの突きは、典型的な「先」の技の例となっています(※2)。

 
 全体に、日本武道らしい対戦の映像で勉強になりました。

 試合稽古にせよ地稽古にせよ、武「道」の対戦とは、この動画のようであるべき気がします。やたらめったら、叩き合い、ど突き合いをすりゃあ良いってもんじゃあ、ありません。

・なんのための自由攻防の稽古(試合)なのかを、当事者同士が理解している。
・見世物やパフォーマンスではないことを、当事者同士が理解している。
・仮に審判がいなくても、決まった技の適否を、当事者同士がきちんと納得できる。
・開始から終わりまで、当事者同士が武人としての基本的な礼節を遵守している。

 この辺りのポイントを、十分理解しておかねば、武術・武道として有意義な地稽古や試合にはなりません。たんなる類人猿同士の喧嘩になります。

 私が日ごろ、空手道の公式な試合以外、つまり剣術や居合・抜刀術、柔術、手裏剣術などの武術に関しては、「信頼関係のない相手とは、基本的に地稽古やスパーはやらない」と公言しているのも、こういう意味からです。

 ことに試合と違って、基本的に審判やギャラリーが存在しない当事者同士だけの自由攻防の練習である地稽古は、互いに信頼関係や尊敬の念がない場合は、熱くなればなるほど単なる喧嘩になる可能性が高まり、結局、怪我などの事故につながり、勝っても負けても後に禍根を残すものです。

 競技化以前の武術流派のほとんどが、他流試合を禁止したのも、こうした問題点からですし、逆に明治以後の武道の競技化は、剣道にしろ柔道にしろ空手にせよ、こうした弊害をなくし、だれもが公平な約束の下で、自由な攻防の稽古ができるようにしたいという点を求めた、先人たちによる方法論からのアプローチだったといえるでしょう。

※1
一方で試合などの際、相打ちどころか、やられた方の自分自身が明らかに「うわぁ! 一本取られた!!」と思っているのに、審判が「不十分」とか「取りません」とかジャッジすることも、わりあいある。こういうとき相手と目が合うと、「チッ!」っという顔しているので、こちらは「すまぬ、すまぬ」というお詫びの念を込めたテレパシーを送らねばならない(笑)。

それにつけても、審判というのは責任の大きな立場なのである・・・。

※2
先後の概念・分類については、人によってその定義に若干の差異があります。翠月庵では、富木謙治師範が解説・分類された、「先々の先」・「先」・「後の先」という分類概念を採っています。

(了)
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秘密警察は深夜1時にドアをノックする/(時評)
- 2009/04/14(Tue) -
 日本が良い国だなあ・・・、と思うのは、仮に私が日曜午後の新宿アルタ前で、「”未曾有”という漢字が読めず、大学生時代に日清のチキンラーメンの値段を知らなかった麻生太郎は、たぶんオレよりバカだし、そういうバカが首相をしているような国の国民である、今、オレの目の前を歩いているあんたらも同じくみんなバカ野郎だ!」、などとハンドスピーカーで発言したとしても、逮捕されたり、公的・非公的組織などに拉致・監禁されないということだ。

 ただし、その時、目の前をたまたま通った、腕っ節に自信のある若いオニイチャンや、自衛隊上がりの元気なオジサン、あるいはたまたま不機嫌なOLさんなどにぶん殴られるかもしれないが、それはそれ、自分の責任であり行動と発言の結果である。

 だからまあ、私は日曜のアルタ前で、こんな発言はしない、たぶん・・・。

 なお蛇足だが、日本語には本来、「自己責任」という熟語はない。責任というのは、本来、必然的に自己に帰結する事柄であり、わざわざ自己・責任とつなげるのは、Shumidagawa-Riverとか、aoyamadori-avenueというようなもんだ。



 さて一方で、21世紀の世界には、冒頭のたとえ話のような言論の自由がない国も、いまだに数多くある。

 まあちょっと古い話だけれど、1998年のシリアでは、丸2週間、毎日、秘密警察のおっさんが宿の玄関で私を待っていたし、1995年のトルコとイラクの国境では、私服警官がイスタンブールから国境までの私の3週間の行動をすべて知っていて、ご丁寧に軍事境界線からもと来た町まで、覆面パトカーで送ってくれた。アンカラの日本大使館(領事館だったかな?)では、「PKK(クルディスタン労働者党)の解放区取材のためにイラクへ入国したいので、パーミッションを発行してくれ」と頼んだところ、職員が中庭に出ようという。「なんで?」と聞いたら、「盗聴が・・・」と小声で囁いた。

 2000年だったか、陸路、38度線を越えて北朝鮮に入国した際は、通訳が「市村さん、けして金正日(キム・ジョンイル)などと呼び捨てにしないでください。必ず、金正日将軍(キム・ジョンイル・チャングン)とお呼びしてください」と真顔で言うので、「じゃあキン・ショウニチって呼ぶのは?」と聞いたら、まじめな通訳さんに本気で怒られた。

 冗談だって、・・・めんご、めんご(汗)。

 これらの国々で、「アサドは独裁者だ!」とか、「トルコ治安軍はこの10年間で1万人のクルド人市民を虐殺しているのは本当か?」とか、「ハラブジャ以外に、どれくらいのクルド人がフセインが命令したマスタード・ガスで殺されたのか?」とか、「キン・ショウニチの映画のセンスは最低だ!」、などと言ったりすると、わりあい簡単に拘束されたり、最悪、そのまま遠い処へ連れていかれてしまい、夜空のお星様にされちまうこともあるわけです。

 ちなみに中東地域では、秘密警察のガサいれは、必ず深夜1~2時の間に行われるので、「この時間帯にドアがノックされたら、必ず窓から逃げろよ」と、口をすっぱくして言われたものだ。もっとも、もし本当にそんなことになったら、のんきな東洋人の記者が無事逃げられるとは、いわれた本人も、忠告する人も、本気で思ってはいなかっただろう。

 これは後日談だが、結局、イスタンブールでの協力者の自宅が秘密警察のガサいれを食らったのは、私がクルディスタンに向かった翌日だった。またさらにその後、私の取材をフォローしてくれたクルド人ジャーナリストは、家族ともども脅迫されたためオランダに亡命したし、私がトルコから別便で郵送した、現地の記者が撮影したという民間人の虐殺写真は、結局、1枚も日本に到着しなかった。

 これもまた、世界の現実である。

 そういう意味で、たとえば「小泉純一郎も竹中平蔵も、みんな大バカ野郎だ!」と私がこのブログに本気で書いたとしても、多分、公安調査庁の監視対象になることはないだろうし、陸自の特殊作戦群の選抜隊員に射殺されることもない。

 日本は本当に良い国である。言論の自由、バンザイだ。


 さて・・・。

 たとえばラジオで特定の宗教およびその支援団体と、そのリーダーについて、遠まわしに揶揄するだけで、マスメディアに露出していた特定の芸能人が、関連するすべての番組から降板し、あまつさえ20年以上続いてきた自分の出演番組が打ち切られるというのは、なんとも恐ろしい話である。

 まあ、私もジャーナリストの卵であった若かりし頃、地元の居酒屋で創価学会の皆さんが店内の小上がりで会合をしているのを知らずに池田大作批判を友達に向かって延々とぶち、気が付けば信者の皆さんにずらりと囲まれたり、某市谷のH大学でマル経系の皆さんに学生会館に一晩拉致されたりしたこともあった・・・。

 今思えばまさに口は災いの元であるし、一方でまた、「(武)芸は身を助ける」という旧師の言葉の意味を身をもって知った経験でもあった。

 今考えれば、「若さとはバカさである!」と、しみじみ思うわけです・・・。

 とまあそういうわけで、私は北野誠氏という人には別に興味もないし、好意も嫌悪もないわけだが、WEBその他で指摘されているように、仮に創価学会やその会長である池田大作、あるいはそれらとの深い関係がたびたび指摘される公明党についての、北野氏のマスコミ上での批判(というか、単なる毒舌)が、同氏の番組降板や打ち切り、その結果の芸能活動自粛の原因だとするならば、それはたいへん残念であるどころか、民主主義の国で暮らす職業記者として大きな怒りすら感じる。

 なぜならば、言論の自由は日本国憲法で保障された国民の権利であり、またその担保は民主主義の根幹であるからだ。

 そしてまた、マージナルな反社会的行為(特定個人への言論弾圧と社会的地位からの抹殺)が日々の生活の中で黙認されることは、結果としてさらに大きな違法行為(国民全体への言論弾圧、そして独裁や圧政)を認めることにつながるということについては、われわれ人類は、画家くずれのちょび髭やグルジア出身の大男の歴史的蛮行で、すでに十分、学んでいるはずである。

 ただし兵法という点から考えれば、毒舌が売り物だったという北野氏は、芸能人でありながら、職業人としてその世界で生き残るためのぎりぎりの一線を越えてしまい、結果として干されてしまったのだろうという意味で、プロとして未熟であった。



 いずれにしても、特定の宗教が大きな影響力をもつ政治団体が政権与党であるという今の日本の政治的現実は、私のような法学の素養のない無知蒙昧な低学歴者から見ると、政教分離の原則に反しているとしか思えないし、政治家や公的職員でもない市井の毒舌芸人が、一時的とはいえ、単なる舌禍で社会的に抹殺されてしまうようでは、この国もシリアやトルコ、北朝鮮とあまり変わらない、前近代的な三等国家だということである。

 なにより、いまだにそんな蛮行が行われている国で生まれ育ち、今も暮らしている自分自身を、たいへん恥ずかしく思うわけです。

 ちなみにこれは、「羞恥心」の問題ではなく、「廉恥心」の問題なのですよ、念のため・・・。

  (文中、一部敬称略)
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エア手裏剣よか、ましだろうがね・・・/(手裏剣術)
- 2009/04/11(Sat) -
 先日、とある武術・武道経験のない友人との会話。

 「あんた、動画で手裏剣投げた後さ、ビデオカメラをがらがら引っ張っていくの、あれ、なんで弟子にやってもらわねえの?」
 「弟子とかいねえしな。うちは会員制の研習会なんだよ。弟子じゃあなくて、会員さんなの」
 「先生と、呼ばれるほどの馬鹿じゃなしってか」
 「いや、ちょと意味違うんじゃねえの・・・」


 「ところで、手裏剣って戦うとき、投げようとする時とか、相手に一気に突っ込まれたりしねえの?」
 「う~ん、どうだろうねえ・・・。まずは自分の立場で考えてみなよ。重さ120グラム、長さ20センチ前後で、先端をびんびんに尖らせた鉄の棒を、自分の顔面や首や胴体に投げつけようとする、闘志満々の相手に向かって、あんたは安易に近づきたいかね?」
 「近づきたくないねえ」
 「だろ。まずはそういう心理的ブレーキがかかるわけ。そういう意味で、そうそう簡単には突っ込まれないんじゃねえの」
 「ただ、あんたの動画とか見てると、手裏剣投げてるのって、結構モーションとか大きいよな。あれだと、動きを読まれて近づかれたりしないのか?」
 「さすが元野球少年、目の付け所が違うね」
 「あんたはほんとに、野球は下手だったよな。キャッチボールすら”女の子投げ”だったぞ。それがいまじゃあ、手裏剣の先生かよ」
 「まあ、そんな20世紀の話はどうでもいいじゃねえか・・・。でだ、たとえばあんまりありえる状況じゃないが、格闘技みたいな対戦の状況で考えてみれ。あんたの言うとおり手裏剣を打つモーションって、結構大きいんだよ。まあ、それをできるだけ小さくするとか、そのための変化打ちとかいろいろあるわけだけど、いずれにしてもモーションというのは完全に消せない」
 「だよな」
 「ところがさ、ここで武術・武道と野球やテニスが決定的に違うのは、攻撃権が固定されてないってことなんだよ。例えばテニスではサーブ権が決まってるよな。だからサーブ権がある側の選手がサーブすることが大前提で、相手の選手はサーブされるのを待つ。コートの中の2人が、同時にサーブはしないわな」
 「そりゃあ、そうだ」
 「野球でも、ピッチャーがまずボールを投げる。それをバッターが打つ。つまりまずバッターは、ピッチャーがボールを投げるまでは、100パーセント受身だ。ところが武術とか武道は、仮に1対1の戦いとして、お互いがいつでも自由に攻撃ができる。つまりサーブ権が両方に同時に存在しているわけよ」
 「なるほどね。ジョーのクロスカウンターだな」
 「お前、古いな・・・。そんでもって、お互いが同時に攻撃する権利をもっていることから、重要になるのが、”拍子”ってやつだ。まあ、タイミングとかリズムって言い替えてもいい。決闘のようにお互いが向かい合って、戦っているとする。まあAさんは手裏剣使い、Bくんは剣術家としようか。このときAは、なにも闇雲に手裏剣を投げるわけではないわけ。なにしろサーブ権は、相手にもあるんだからさ。そこで先をとる、まあ先制攻撃な、にしても後の先、これはカウンターね、にしても、Aはいつ相手のBが斬りかかってくるか分からない状況の中で、手裏剣を相手に確実に刺す、あるいは当てるタイミングをはかるわけ。一方で、Bの剣術家も、いつどのタイミングで手裏剣を投げてくるか分からない相手を、どうやってぶった斬るかを考えているから、いろんな拍子=タイミングをはかっている。つまり、はたから見ていたら、おたがいにらみ合ってじっとしているだけかもしれないけれども、そこでは同時にサーブ権を持つ2人の間で、実に激しい形而上の戦いが行われているわけよ」
 「時代劇でよくある、にらみ合って動かないってやつね」
 「まあ、別に動き回っていてもいいんだがね。ボクシングでも、お互いにフットワークでリズムをとりながらにらみ合いが続くし、伝統派空手の試合組手も同じ。ただこれが剣術とか手裏剣術なんかになると、なにしろ刀も手裏剣も素手の殴り合いより使う道具自体の殺傷力が大きいから、当然互いが慎重になるし、隙も見せたくない。負けたら最低でも重傷、結構な確立で死ぬわけだしね、想定としては。そういう場では、互いに不用意に”動けない”ってことなんだろうな。だからまあ、モーションはそりゃあ小さければ小さいにこしたことはないけれども、モーションが大きいからとか、スピードが遅いからとかいった現象だけで、簡単に間合が詰められたり避けられるとかいう、単純な問題じゃあないわけ。一方で逆に、こういう理屈が自己分析できてない手裏剣遣いに限って、『オレの打つ手裏剣は絶対に相手には避けられない!』とかいう、妄想にはまるわけよ…。こういう妄想くんは、的は攻撃してこないが人間は攻撃してくるっていうシンプルな事実を忘れてるんだな。普段から、的しか相手にしてねえから。的には、足も脳みそもついてねえんだよ」


 「ふ~ん。じゃあ、そういう対戦でのリズムやタイミングのとり方ってのは、どういう練習で覚えんのよ?」
 「それが手裏剣術という武術の課題なんだよ。こればっかりは、的に手裏剣投げているだけでは、10年たっても20年たっても学べないし覚えられない。的打ちだけでは、絶対無理と断言していい」
 「お、大きく出たな。でも昔の手裏剣の達人とか、実際に戦って勝ったりしてるんじゃねえの」
 「昔の手裏剣術家は、手裏剣だけじゃないからな。手裏剣の稽古以前に、剣術なり居合なり槍術なり柔術なり、他の武術で対戦の稽古をみっちりしている人たちだからね。そっちの稽古で、十分に拍子や位を学んでいたのさ」
 「まあ、昔はいろんな芸事する時間もたっぷりあんたんだろうしな」
 「だから現代の手裏剣術者で、手裏剣しか稽古していない人ってのは、こういう拍子の感覚が皆無なわけよ。なにしろ的打ちしかしてないところがほとんどだろうし。これはまあ、一部の居合とか抜刀術も同じなんだが・・・。ようは一人稽古だけの武術・武道は、こういう拍子とか位とかいった、人と人との間の戦術や戦略を学ぶことができないのが、最大の難点なんだよ。むしろ対戦型のスポーツをやっている人の方が、よっぽど拍子や位といった武術的概念が理解できるはずだ」
 「で、あんたのところはどうしてんのさ」
 「うちではまあ、模擬手裏剣を使った地稽古を導入してるがね。あ、地稽古ってのは、格闘技でいうところのスパーリングな。いずれにしても現状では、うちには弟子はいないし(笑)、会員さんもまだ初学段階の人が中心だから、実際のところ、なかなかそういう稽古はできないね。まずは的に刺さるようにするのが先決だし。それに的打ちだけでいいとか、対戦のような稽古はしたくないという人に、無理強いしてもしょうがねえしな。ただ必ず、初めて入会する人で他の武術や武道の経験がない人には、模擬手裏剣で簡単に対戦することを1度、体験してもらってるよ」
 「なんかこう手裏剣のスパーリングっていうと、イメージ的には雪合戦みたいになりそうだな。大勢でやると(笑)」
 「雪合戦かよ・・・。 まあ、確かに・・・。いずれにしても、こういう模擬手裏剣での地稽古みたいなのは、武術としての手裏剣術を考えれば非常に重要でありながら、今の日本の手裏剣術界ではもっとも不足・欠落している稽古なんだよ。しかし一方でこういう練習ってのは、安易にやると、その行為自体、つまり模擬手裏剣の当てっこそのものが目的になっちまうわけ。だから、たとえば本来は剣術や居合の稽古のひとつに過ぎなかった試斬が、一部の流儀や会派では結果的に藁束を斬ることそのものが目的になっていたりするわけよ。まあ、よくいるモノ斬りサムライな(笑)。一方で、芯も入っていない、ただの藁束のひとつも斬れない剣術家や居合の先生も割合いて、それはそれで問題なんだがね(笑)」
 「それはエアギターならぬ、エア剣術、エア居合ってか」
 「だから的打ちの稽古しかやらない手裏剣術ってのは、ある意味、据物しか斬れない剣術家や居合遣いと同じなんだよ」
 「けど、エア手裏剣よかましなんじゃねえの?」
 「う~ん、まあ、そうとも言えるか(笑)。いずれにしても、どちらかだけでは、武術としては片手落ちってことさ」

 (了)
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ちょっとしたカミングアウト/(医療・福祉)
- 2009/04/09(Thu) -
 屋外での稽古では、必ず地下足袋を履くようにしている。

 通常の打剣の稽古や抜刀術の稽古では、雪駄などでも可能なのだが、激しい動きや踏ん張りを考えると、しっかりとした足ごしらえという意味で、地下足袋にはとても重宝している。

 古来からの格言でも、「一目二足三胆四力」といわれるほど、運足・歩法の重要性は言うまでもないわけだ。

 そして私は、10代の終わり頃から、炎症性角化症、いわゆる乾癬というやつを患っている。この乾癬というやつは、現代の皮膚科医学では完治させることのできない、難治性の病気なのである。


 そもそものきっかけは、16歳の頃、抜刀術の稽古のたびに、鍔の飾りに親指の第二関節がこすれてタコ状になっていたのだが、いつしかそこが、タコというよりも皮膚が角化・炎症するようになった※。しかもその角化が、しだいに右手の指の先端に次第に広がってくるようになった。

 「角化」といっても、ひどくなると表皮から真皮あたりまでぱっくり割れてしまい、出血してしまうほどで、痛みやらなにやらで、日常生活にもいささか難渋するのである。

 ただ幸いなことに、「乾癬(カンセン)」という呼称とは対照的に、この病気は人にうつる病気ではないことが救いだ。

 ただし乾癬に限らず皮膚疾患というのは見た目のインパクトが強烈なので、あらぬ偏見にさらされることも少なくない。私も指先だけとはいえ、ビジュアル的にはなかなかのものであり、それはそれで、思春期の頃は、多少、気に病んだものである。


 以来、20年以上にわたり、軟膏治療→季節が夏になり湿度が上がる→やや症状が軽くなる→秋から空気が乾燥→悪化→軟膏治療を繰り返してきた。

 ところがここ数年、具体的には昨年、タバコをやめてから、指先の皮膚の角化は若干、症状が和らいできたような感じがする。

 その一方で、ここ2~3年の間に急激に症状が悪化してきたのが、右足底の角化・炎症だ。

 裂傷が治っては再発、治っては再発で、悪化すると歩行にも痛みを伴い稽古などもできなくなるので、ほとほと難儀している。

 痛み自体は指先の裂傷と大差ないので、絆創膏とテーピングで保護すれば、空手の自由組手レベルの激しい稽古もできるのだが、それをやると稽古後、足の裏は血まみれの割れまくりである。しょうがないので、しばらく激しい稽古をしないようにしていると症状は軽快するものの、またちょっと激しく動くと、元の木阿弥・・・。

 この繰り返しだ。

 とにかく皮膚に負担をかけないように、気長に病気と付き合うしかないのだろうが、足底に負担のかからない武術・武道などないわけで、いやまったく、実に困っているわけだ。

 というわけで、一昨日も土踏まずと上足底をバックリ割ってしまい、今日になっても傷口がふさがらないので、今晩の稽古はやむなくお休みである。

 まったく、なんとかならんもんかねえ・・・。


 ※当時の流儀の手之内は、右手の柄の握りは鍔に完全ふれる位置であった。

(了)
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壺はダメかね?/(数寄)
- 2009/04/07(Tue) -
 過日、懇意にしている仕事仲間のA氏と、黒霧島のロックと地鶏の刺身で一杯やっていたときのこと。

壺3
 ▲武道の神様・香取神宮謹製の瓶子。白磁が新緑に映える


 「でさ、市村さんの癒しは結局なんなのよ? 武道?」
 「う~ん、武術とか武道は”癒し”ってわけじゃあねえなあ。道楽ではあるけども」
 「じゃあ、こっち?」
 といって、小指を立てるA氏。
 「いや、もう最近はめっきりね・・・。独身も数えで40ともなると”毒身”らしいしねえ(笑)」
 「じゃあ、酒か」
 「それじゃあ、ネタとして、面白くもなんともないしなあ・・・。しいて言えば、壺かな・・・」
 「壺?」
 「そう、壺」
 「・・・・」
 「え、なんか変?」
 「変だよ!」
 と気色ばむA氏。

 壺1
 ▲個人的には青磁の方が好きなのだが、白磁の緊張感あふれる肌あい
  もたまには良い。背景は会津塗りの盆である

 「いやね、壺はさ、なんとも不思議な世界観なわけ。特に瓶子(へいし)っていう、まあ、古い徳利なんだけどさ。神棚とかに飾られているやつね。これがまた、なんとも優美なわけよ」
 「まじっすか?」
 「まじっすよ!」
 「で、その壺をどうすんの」
 「部屋でさ、冷やした純米酒とかシングルモルトをほろほろ飲みながらさ、お気に入りの壺をね、こう眺めたり、手にとったり、なでなでしたりするわけよ。これがまた、夏とかになると磁器特有のぴーんと張り詰めた冷たさが気持ちいいわけ。う~ん、これはまさに癒しだねえ・・・」
 「そりゃあ市村さん、そうとうやばいよ」
 「なんで?」
 「いやだって、今年で不惑になろうという独身の武道家が、毎夜、部屋で一人酒を飲みながら、壺をなでまわして、ニヤリとかしてるわけでしょ」
 「それはまあ、かなり誇張された表現のような気もしないでもないが、あながちウソというわけでもないなあ・・・」
 「いや~、やばい! それは本当にやばいよ! 絶対、人に言わない方がいい! みんなドン引きだから。ほんと、まじで」

 壺2
 ▲この優美で女性的な曲線の丸みと、トップヘヴィーのぎりぎりな不安定
  感、さらに五七の桐のご神紋が神々しいではないか!

 というわけで、壺に癒されるというのは、あまり人に話してはいけないことのようである。

 しかし、ダメよダメよと言われると、やりたくなってしまうのが人間の性(さが)でもあるわけで。

 やっぱ壺はだめっすか・・・?

 (了)

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誤報、爆笑、平和ボケ/(時評)
- 2009/04/05(Sun) -
 誤報!

 爆笑です。ガメラレーダーも、イージス艦も、所詮はそんなもんです。

 だから、はやく核シェルターを整備しなさいって!

 PAC3よか、安いから。

                  ※  ※  ※  ※

 今の日本国民で、本物のドンパチを知っているのは、79歳以上のご老人以外は、一部のジャーナリストと商社の海外駐在員くらいなのだろう。

 そういう意味で、書くべきことはあるのだろうな、私にも。

 1996~98年、クルディスタン。

 ある意味、私の青春であった・・・。

                  ※  ※  ※  ※


 野外で100mくらい先から自動小銃に撃たれると、意外に音が小さいのに驚きます。かんしゃく玉みたいなもんです。

 我々、日本人には、ぜんぜん現実感のない音です。

 ただし、発砲音が風切音に変わりはじめたら、伏せた方が身のためです。

 弾着が近いサインですから。

 あと、装甲車とか戦車、すげえ速いです。

 キュル、キュル、音たてて、のんびり走ったりしません。

 鎮圧しにくるときは、全速で突っ込んできます。そして、発砲しなくても、突っ込んでくるだけで死人がでます。

 さらに自動小銃(G3)のストック、木製ではないですが、ぶん殴られると、すげえ痛いです。

 昔風に銃の床尾を振り当てるのではなく、ストックをまっすぐたたきつけてくるのは、折れることの防止だろうです(トルコ軍関係者談)。

 いずれにしても、紛争地では、とても空手や古流柔術で反撃する気にはなりません。なにしろ実弾装填してるしね、トルコ軍治安部隊(通称・ジャンダルマ)もシリア軍も。

 群集に低空で突っ込んでくるコブラ(AH-1)は、マジで怖いです。おまけに、めっちゃスピード速いです。とても走って逃げられません。私は3分くらい、ディヤルバクルの旧市街で追っかけられましたがね。

 ま、いずれにしても、被弾したり装甲車に踏んずけられてないから、今、これ書いてるんだけどもさ・・・。

 なにはともあれ、最低限の小火器相手でさえも、武術・武道は「ほとんど」役にたちません。

 もちろん、手裏剣術もです。

                      ※  ※  ※  ※


 そういうわけで、私は90年代中盤~2000年頃までは、海外でもっぱら射撃の稽古にいそしみました。

 その経験からいいますと、昭和時代の日本の某有名武道家で、「弾丸を避けた!」という逸話で有名な達人(●芝●平さんね)がいますし、それを本気にしている「平和ボケ」のお馬鹿な武術・武道人がいまだに日本にはいますが、これは600パーセント、ガセだと断言できます。

 あるいは、射手が集団催眠や暗示にかかっていたのでしょう。

 少なくとも、私程度の腕でも、10ヤードで対峙していれば、ダブルタップでぜったいに外しません!

 つうか、常識で考えろよ(笑)。
 
 まあ60年前の戦争でも、抜刀突撃で火力戦に勝てると、本気で思っていた民族だしな・・・。

 剣術とコンバット・シューティング、どちらが強いか?

 常識で考えましょう。

 帯刀した日本一の居合の達人と、ヒップホルスターにS&WのM686を入れたアラスカ一の射撃の名手が、10ヤードの距離で対峙して戦います。どちらも、よーいドンで、クイック・ドロー(抜き打ち・撃ち)で戦います。さて、どちらが強いか?

 常識で考えましょう。

 そして、秒速7000メートルで落下してくる長距離弾道ミサイルの弾殻を、後だしで発射したこちらのミサイルで迎撃できるのか?

 常識で考えましょう。

 昔も今も、無知は罪だ!!

                    ※  ※  ※  ※

 ちなみに、近年はやりのダブルカラムの銃はグリップが太くて、私のような手のひらの小さな人間には、たいへん使いづらいです。

 その点、コルトM1911(の現代バージョン)は、グリップが細くてたいへん撃ちやすい銃でした。45APCでも、ツーハンド・ホールドなら、2~300発撃ってもそれほど疲れません。 あとはグロックの40口径も良かったなあ。

 探偵マイク・ハマーの作者であるミッキー・スピレイン氏は、「ガバメントはタフな男の銃。優男には使えねえ!」っと言ってましたが、それはワンハンド・ホールドで射撃をしていた、遠い昔の話。私のような非力な東洋人でも、ウェーバー・スタンスなら、ガバメントも十分使えます。

 射撃術にも、時代の流れがあるのです。手裏剣術と同じように。

 ところで日本の警察官って、いまだにワンハンド・ホールドでの訓練じゃあないよねえ、まさか?

 あの当時のネバダ州は、サブマシンガンも撃ち放題だったのだが、今はどうなんだろう? はじめてサブマシンガンの射撃を経験したのがラスベガスで、使った銃はH&KのMP5だった。

 ちなみに、パタヤ(タイ)のシューティングレンジの45口径は、減装弾。シドニーのレンジは、ちゃちな22口径が中心の超観光客向けでつまらなかったが、ブリスベンのレンジはすごく素朴で、好きな銃を好きなだけ、自己責任で自由に撃ちまくれたのが思い出深い。指導員の腕も良かったしなあ・・・。

                    ※  ※  ※  ※

 いずれにしても、ひとつ言えることは、日本人はあまりにおめでたいということ。

 誤報だよ、誤報・・・。

 (了)

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宝の山は小田原にあり/(武術・武道)
- 2009/04/01(Wed) -
 翠月庵の掲示板で、無冥流の鈴木崩残氏と知新流の手裏剣についてコメントをやり取りしていることから、一次資料となる知新流の伝書について情報はないかと思い、仕事の合間にネットでちょろっと検索してみた。

 しかし、「知新流 伝書 手裏剣」などのキーワードで検索しても、私自身の書いた文章がヒットするばかり・・・。

 唯一、名古屋の徳川美術館に、「知新流手裏剣目録 二巻 徳川義親(尾張家19代)宛  上田家寄贈」というのが収蔵されているのが分かった程度である。

 そこでここはひとつ基本に返り、かねてからうわさを聞いていた、小田原市立図書館の藤田西湖文庫(http://www.city.odawara.kanagawa.jp/public-i/e_f/library/shushodownload2.html)の目録を閲覧してみた。

 PDFで68ページ・・・・。

 ありましたよ、「73-285-039 知新流手裏剣 目録・免許 ・印可伝授書(江戸期)」。

 おそらくこれが、『図解 手裏剣術』に収載された読み下し文の出典であろう。

 さらに、「73-285-039 知新流手裏剣之固(天保7.3)」や「73-285-044 孟淵流手離剣術(江戸期)」という資料もあるし、飛刀術にゆかりの深い堤宝山流や円明流、未来知新流などの伝書もある。

 宝の山だ・・・。

 一般的に剣術や柔術などは、伝書は主に型の名称の羅列や技の覚書、心得集などであり、他流の者が読んで実技の参考になる記述はそれほど多くはない。

 しかし、こと手裏剣術に関しては、手裏剣本体の寸法や重さなどのデータそのものが重要な資料であり、かつ稽古の参考にもなるだけに、伝書閲覧の意義は、他武術よりも大きいといえよう。

 さて、いつ小田原まで出張るか???

 (了)

■補遺

 小田原市立図書館藤田西湖文庫は、故藤田西湖氏が生前に収集した武術・武道関連の書籍を収蔵・保存しているものである。

 今回、はじめてすべての目録に目を通した。

 ネット時代、万歳である。

 興味深かったのは、中世~江戸~明治から昭和まで、それぞれの時代の武術や兵法に関する膨大な資料のほか、占術関連の資料も実に豊富にあることであった。

 私は個人的に、ここしばらく周易や気学関連の学習にも取り組んでいるのだが、本目録には新井白蛾や真勢中州、加藤大岳など、易占の古典的名著も数多くあり、昭和の忍者・藤田氏の幅広い考察対象の一端を知ることができた。
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