何に使うかねえ・・・/(数寄)
- 2009/05/30(Sat) -
 3~5月上旬まで、失業寸前なほど暇だったのだが、先週あたりから局地的に多忙になり、もはやにっちもさっちもいかない・・・。こう浮き沈みが激しいと、ほんと困るわけである。

 おまけに、最近の仕事は、どいつもこいつも雑になっているので、段取りがきちんとできていれば30分で済む仕事に2~3時間もかかってしまうのだから、まったく泣けてくるというものだ。それで値段は4月以前の半額なのだから、殺意すら覚えようというものである。

 まあ、そうは言っても、所詮は出版業界の足軽風情という身分には変わらないわけであり、おまけにあまりにも先の見えない不況の昨今ゆえ、アンケート用紙ひとつまともに作れない間抜けな相手に、もみ手で「仕事くだせぇ~。 へえ、私、なんなりとやりますですはい・・・」とお追従のひとつもしなければ生きていけないのも、また浮世の定めである。

 嫌な時代だねえ・・・。


 ストレスが溜まり、しかし多忙ゆえ稽古で毒気を発散することもままならないときには、衝動買いでストレスを解消するしかない。

 というわけで、意味もなく、バッチャン焼の睡蓮鉢を買った。

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▲素朴な意匠と内面の青磁釉に惚れた・・・


 でかい・・・。

 直径25.5センチで、洗面器くらいの大きさだ。いったいこんなもんを買って、われながら何につかうのかさっぱり分からんが、なんとなく意匠がユニークなのと、内面が青磁釉になっているのが気に入った。

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▲オリエンタルで素朴な意匠と色合いが、ベトナム陶器・バッチャン焼の特徴


 メダカでも飼うかな・・・。

 (了)


 
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「宝刀」の旅路/(旅)
- 2009/05/28(Thu) -
 「宝刀」といっても、別に水心子正秀とかノサダとかの話ではない。

 甲府名物、ほうとうの旅である。

 今回の旅、私の仕事は取材のみ、カメラマンが同行するので撮影はせずにすむ。いやはやなんとも楽チンなもんだ。というわけで、ここに載せる写真は、取材の合間の遊びで撮ったもので、本気度は10パーセントもない。ゆえに露出もなにも、テキトーなスナップ写真なので、そこんとこヨロシク!

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▲1000円札の裏に描かれたのと同じ、本栖湖の富士山。これを「5000円札の裏の富士山」と言う
人は、前世紀の人である…

 とりあえず、現場に早くつきすぎたので富士山見物。ま、豆州人の私としては、生まれたときから見ている山なので、ありがたみはこれっぽっちもない・・・。などと書くと、コノハナサクヤ姫のお怒りに触れるかもしらんな。

 いや~、美しい御山だこと!!!!

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▲キムチほうとう。メモ代わりのスナップなので、露光がカピカピで写真はう
  まくなさそうだが、実際にはなかなかうまい。キムチの酸味が味噌に合う


 今日は本栖湖~河口湖~山中湖でほうとう店を3件取材&ジビエの取材である。

 正直に言えば、私はほうとうはあまり好きではない。カボチャはねえだろうよ! っと思うわけである。が、しかし、プロの記者たるもの、自分の好き嫌いで食い物を評価してはならないのである。

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▲寄り道した忍野の遊水地。「おしの」と読む。「しのびの」ではない、念の
ため


 ほうとう専門店、1件目のおすすめは、上の写真のキムチほうとうであった。そして移動した先の2件目のおすすめもキムチほうとう。う~ん、21世紀のほうとうのトレンドはキムチなのか??? ま、味噌にキムチは意外に合うのはたしかだが・・・。カプサイシン系は、食べ飽きるんだよ。

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▲2件目もキムチほうとう。2食目で、すでにカプサイシンには飽きた・・・


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▲こちらは、オーセンティックなほうとう。ようするに味噌仕立て


 午前中のジビエ取材で鹿と猪料理のオンパレード(鹿カレー、鹿ウインナー、鹿のたたき、猪のすき焼き、猪の心臓・肝臓のスモークなど)を食べたあと、キムチほうとう×2、ふつうほうとう×1の試食は、なかなかつらい・・・。同行のカメラマン氏も、「さすがに、ほうとう3連発はこたえますねえ・・・」とのこと。

 しかし、まだまだ「ほうとう責め」は終わらない。最後は、変り種の塩ほうとうである。

 ところがこれがまた、めっぽううまい! 鯛でとったダシをベースにしたあっさり塩味で、味噌は使っていないすんだ汁が特徴。具には塩焼にした手羽先が丸ごと入っており、これがまた美味である。21世紀のオススメほうとうは、この塩ほうとうに決まりだ。

 どこで食べられるかは、webで「塩ほうとう」で検索されたし。

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▲これが塩ほうとうだ!


 しかしまあ、やっぱり私は、ほうとうよかそばのが好きだねえ。なにしろ、ほうとうじゃあ、酒のつまみにならないし。

 ひさびさに、江古田の『甲子』あたりで、焼味噌をつまみに軽く一杯やって、もりそばでもたぐりたいもんだ・・・。

 (おしまい)
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みちのく紀行~09初夏(その2)/(旅)
- 2009/05/26(Tue) -
■オレの津軽はダザイじゃなくて、キタカタなんだよ・・・
(秋田~弘前~青森~盛岡~仙台~池袋)


 五能線のことを知ったのは、今から25年くらい前。北方謙三のエッセイを読んだのがきっかけだった。

 いまや歴史文学の巨匠として文壇の大御所となってしまった北方大先生だが、当時は遅咲きのハードボイルド作家であり、気安いエッセイ集なども出していた。その中で、同氏が若い頃に旅したローカル線として津軽を走る五能線の思い出が記されていたのだ。今となっては、どんな内容であったのかさえも忘れてしまったが、五能線という名前だけは、記憶に強く残ったまま、当時、高校生だった私も今年不惑を迎える。

 だから私の津軽は、太宰ではなく北方なのだ…。

 8:25、秋田駅発青森行きのリゾートしらかみ1号に乗り、まずは途中の不老不死温泉に向かう。リゾートしらかみは、大きく窓を取り展望ラウンジも備えた観光列車なのだが、ゴールデンウィークを過ぎた入梅前だけに、乗客は私も含めて3組ほどと閑散としている。

しらかみ
▲リゾートしらかみ1号 ブナ編成車両


展望デッキ
▲展望デッキ。こういうスペースに、なぜかココロ
がおどる


 秋田を定刻に発車し、田園地帯を進む列車は、東能代からいよいよ五能線に入る。世界遺産・白神山地の玄関口であるあきた白神駅から岩館を過ぎると、車窓の左手には波の飛沫がかかるかと思えるほど間近に日本海の風景が広がる。海岸線の風景の合間に現れる集落の様子もどこか寒々と荒涼としたものに見える。

車窓1
▲灰色の空の下、車窓に飛沫がかかりそうな海岸線を走る


 不老不死温泉の最寄り駅であるウェスパ椿山駅に着いたのは10時半。ここでは温泉と料理の撮影にたっぷり3時間がとってある。青森の不老不死温泉といえば、なんといっても波打ち際の露天風呂で有名だ。以前から、ぜひ一度、はいってみたいと思っていたところでもある。そこで、内湯や露天風呂を撮影したあと、昼食の撮影は12時からということなので、さっそく露天風呂につかってみた。

温泉
▲湯船のへりと海との距離は0cmの不老不死温泉露天風呂


 誇張抜きで湯船のヘリの向こうはすぐに磯。曇り空の下、強風に海水があおられてできる波の花が岩礁を彩る波打ち際、ぬるめの茶褐色の天然温泉に首までつかる。平日だけに、湯坪には私ひとり。時折、雨のぱらつく曇天の下、日本海の波しぶきがほてった頬に心地よい。まったく、これぞ海辺の秘湯である。

 昼からは食事処で料理を撮影。終了後、列車の時間までまだ40分ほどあるので、再び露天風呂でひと風呂浴びて英気を養う。

 13:24、リゾートしらかみ3号に乗り、再び弘前を目指す。途中、列車はビューポイントで徐行したり、景勝地・千畳敷では散策ができるよう10分間停車したりと、旅人向けの心づかいあふれるサービスがうれしい。

車窓2
▲日本海の絶景を車内から堪能できるのが、五
能線の魅力


 鯵ヶ沢駅を過ぎ、列車が日本海沿岸を離れ津軽平野に入ってゆく頃、先頭車両の展望デッキで津軽三味線の生演奏がはじまった。野太く乾いた津軽三味線の音色を聞きながら、車窓から田植えが始まったばかりの津軽平野を望む。土俗的な力を感じさせるじょんがらのメロディが、雨模様の田園風景によく似合う。

 列車が進むごとに、車窓の風景は田園から次第に街らしいものに変わり、ほどなく弘前に到着。ここで五能線の旅に別れを告げ、今度は奥羽本線で青森へ。宿に入る前に、駅前の郷土料理店でじゃっぱ汁を撮影。その後、ご相伴に預かり、ほろ酔い加減で宿へ戻り早々に消灯。


 翌朝、5時過ぎから営業している駅前の海鮮市場で撮影。市場で働く人からも折り紙付きという場内の食堂で、ウニ・イクラ・ホタテの三色丼を撮影し食べる。超絶的にうまい。

三色
▲市場で食べる海鮮は最高!


 青森から八戸までは東北本線。駅で、最近国宝になったばかりの合掌土偶のレプリカを撮影。駅ビルのみやげ店で、同じレプリカがケース入り8000円くらいで販売しており、買おうか買うまいかさんざん迷った挙句、荷物になるので涙を呑んで断念する。ネットで通販とかしてないのだろうか? 

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▲合掌してます。しかも三角座りで・・・

 さて八戸から盛岡までは、五能線とならんで一度は乗ってみたかったIGRいわて銀河鉄道の路線となる・・・が、編集上のコース設定で、この区間は新幹線に乗車。無念だ。しかし、25年越しで五能線を旅したように、いわて銀河鉄道も、いつの日か必ず旅する機会があるだろう。人生など、えてしてそういうもんだ。Vaya con dios! 

 盛岡から再び東北本線の各駅停車に乗り換え仙台へ。途中、花巻空港駅では、農協の建物の壁に、宮沢賢治の有名な写真が描かれていた。さすがイーハトーブ。「下ノ畑ニ居リマス」。岩手はいつか、時間をかけてじっくりと旅してみたいところだ。

 仙台の駅ビルで牛タン専門店の撮影。さらに駅弁を購入して、駅前の路上で撮影する。はたからみたら、なんとも怪しい姿であろうなあと思うのだが、もう15年もこんな仕事をしているだけに、羞恥心が麻痺しているのでどうとも思わない。そしてこの弁当撮影で、3泊4日の撮影・取材は終了。

 あとは練馬の自宅に帰るだけなのだが、編集部の要望と取材経費の関係で、ここからは取材でもないのに、各駅停車でノコノコ東京まで戻らねばならない。

 ま、ほんの6時間半ほど、列車に乗ってればいいだけなんだがね・・・。

 (おしまい)
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みちのく紀行~09初夏(その1)/(旅)
- 2009/05/24(Sun) -
■芭蕉も惹かれた憂いの美女を探して・・・
 (東京~新潟~酒田~秋田)


 「今回の青春18きっぷの旅の取材ですが、秋田から仙台まで、東北を一周してもらおうと思うんですが・・・」

 そんな編集者の誘いに、ここぞとばかりに乗ってしまった私。もちろん、こんなご時世で最近とんと取材仕事が減ってしまい、L.A.のMや新宿・渡辺探偵事務所のSもかくやというほど仕事に窮していることはおくびにも出さず、「ま、もう3年もやっている仕事ですからね。なかなかきつそうですが、引き受けましょう」と答える。

 私立探偵もライターも、やせ我慢が肝心だ・・・。


 誌面上のコースでは、初日、新宿23:10発のムーンライトえちごで新潟に向かうのだが、さみしいことに、日本でも貴重であった特急料金のかからないこの夜行列車も、今や夏休みなど休暇時期のみの臨時列車になってしまったので、やむなく上越新幹線で新潟へ。新幹線に乗ると、「これから仕事だよ~ん」というムードになってしまうので、旅のツールとしてはいささか興ざめなんだがね。

 新潟で前泊し、翌朝4:54新潟発の村上行きに乗車。村上で1度乗り継ぎ、羽越本線をひた走り、最初の目的地である山形県の酒田に到着したのは8:18。普段ならようやくベッドから起きだして、朝飯食いながら『とくダネ!』を見ているところだ。

 酒田では港の市場にある食堂でづけ丼を撮影。その後、市内の旧跡関係を3件ほど取材する。

 酒田といえば、今年のアカデミーで外国語映画賞を取った『おくりびと』のロケ地であり、街中にもロケ場所であることを示す案内板が数多く立っている。この町は、古くから庄内藩の経済の中心として、またみちのく最大の貿易港として栄えてきたということで、なんとなく町の風物も人々の雰囲気も、お武家さんチックというか、どことなく凛とした感じである。まあ、かなり色濃く、私の脳内で藤沢周平フィルターがかかっているせいもあるようだが。

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▲酒田を代表する名所・山居倉庫のケヤキ並木。なかなか旅情あふれる
風景である


 酒田から再び羽越本線を北上し、列車はほどなく秋田県に入る。

 次の目的地は、『奥の細道』で芭蕉が歩いたコースの北限に当たる象潟だ。海辺にある道の駅の取材で、駅には施設の方が向かえに来てくれていた。車で5分ほどで到着したこの道の駅は、日本海を一望する展望露天風呂が人気。さっそく大浴場で風呂、そして食事処で料理を撮影。その後、はれて風呂へはいる。いやいや、これこそ記者冥利というものである。なにしろ実際に入ってみないと、温泉の本当の良さは分かんないからねえ。

 なめると塩気のある琥珀色の湯は、海辺の温泉によくあるナトリウム-塩化物-強塩泉。塩辛いものの、肌ざわりは柔らかい。目の前には、視界いっぱいに広がる日本海。なんとも贅沢である。しかも、これで入浴料が1日500円というのだから、破壊的な良心価格だ。東京の銭湯なんか、今どき450円ですぜ。

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▲塩気のある湯は、肌に滑らか。そして目の前の日本海!


 入浴後は、最上階の展望室から、鳥海山とその麓に点在する九十九島を望む。芭蕉が訪れた当時は、松島のような多島湾だったそうだが、その後、大地震で海面が隆起し、現在は松をいただいたかつての島は丘となり、田んぼや畑に囲まれている。

 芭蕉はこの象潟の風景について、『奥の細道』で次のように記している。

 「松島の風景はまるで微笑むような明るさにあふれていたが、ここ象潟の風景は、どうしたわけかもの悲しい旅情を感じさせる。寂しさに悲しみを加えて、憂いにしずむ古代の美女のような風情といえよう(市村超訳)」

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▲羽越本線の車窓から眺める象潟の九十九島


 たしかに、ここ象潟に限らず、みちのくの旅路からは、どこかもの寂しい旅情を感じるのは、私の脳内に前述の藤沢周平&宮沢賢治フィルターがかかっているからなのだろう・・・。ちなみに、個人的な好みで、太宰フィルターは私にはかかっていない。

 オレは嫌いなんだ、太宰は・・・。

 象潟を後に、再び鈍行列車に乗って北へ進み、今晩の宿は秋田市。

 秋田美人と言われるくらいであり、また私の知り合いの数少ない秋田人女性は、実際にたいがい美人なので、駅から本日最後の取材先である郷土料理店に向かう道すがら、すれ違う地元の女性たちをしげしげと眺める。たしかに、酒田よりも美女が多いような多くないような・・・。ま、私のような“毒”身中年のおっさんからみれば、全国どこでもたいがいの町の妙齢の女性は美人に見えるので、基本的にあてにはなるまいとは自覚している。

 とりあえず、いつまでもじ~っと道行く女性を眺めているのも怪しいので、美女観察は早々に切り上げ、取材先へ。

 桶に山盛り魚介を入れ、これに焼けた石をぶち込んで一気に煮てしまうという豪快な石焼鍋を撮影&試食。会話が弾んで酒好きというのがご主人にばれてしまい、おみやげに秋田の地酒「飛良泉」をいただく。

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▲豪快な味わいの石焼桶鍋と秋田の銘酒


 宿の部屋に戻り、大浴場でホテル自慢の天然温泉と露天風呂を満喫。ここの湯も食塩泉系だ。ゆっくり温泉につかり、部屋に戻って先ほどいただいた酒の封を切り、杯を傾ける。なんとも淡麗で、しかし深みのある味わいだ。これで栗山千明チャン似の秋田美人のお酌でもあれば、もう今生に思い残すことはこれっぽっちもないのだが、そうではなく、しょっぱい中年の一人酒なのは、「ま、もちょっと苦労して生きなはれ」という天命なのであろう。

 人生は過酷だ・・・。

 さて、いよいよ明日は、憬れの五能線の旅である。

 (つづく)
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新型インフルも手裏剣も、み~んな真偽は藪の中・・・/(身辺雑記)
- 2009/05/22(Fri) -
 月曜~火曜と、地方での日帰り取材にでかけたあと、感冒悪化。臥せってしまい、ようやくいまさら復調。結局、土曜に自覚した上気道の炎症から日曜に熱発、小康、悪化、回復と、1週間もかかってしまった。

 その間、都内では女子高校生がH1N1の初感染例として報道された。

 がしかし、考えてみれば、オレもこんな時期に1週間も臥せってしまうほどの感冒にかかってしまったものの、治療を受けずに自然治癒させてしまったので、はたしてこれが急性鼻咽頭炎(普通感冒=いわゆる風邪)なのか、新型インフルエンザなのか、真偽は藪の中である。ま、いまからでも遺伝子検査を受ければ分かるんだろうが。

 それにつけても、マスクパニックは都内にも蔓延しているようで、うちの近所の薬局やコンビニでも、軒並み品切れ。石油危機の際のトイレットペーパーや、平成の大凶作の際の米不足を彷彿とさせるものである。

 ちなみに、WHOもCDCもECDCも、新型インフルエンザの「予防」については、マスクはあまり重視していない。あくまでも、「感染した場合、患者が周囲にウイルスを飛散させないように、またその患者のケアをする医療者がウイルスに曝露しないように装着する」もので、「予防」の一環として感染していない人にマスク着用を推奨しているのは、日本くらいなのだろう。おかげで海外では、今回の新型インフルエンザを「ジャパン・フル(日本風邪)」と呼んでいるとかいないとか。

 これについて、エリカ様のダンナが国際人ヅラして批判して、逆にブログ炎上しているともいう。

 市村おもえらく、日本人はそもそも「ハレ」と「ケ」の境涯で生活史を送る民族であり、穢れを極端に忌む。まあ、だからこそ、殺生を専門とする武人集団=さぶらう人々(武士階級)が生まれた・・・というのは、いささか話題がずれるので今回はしないけれど、そういう視点で考えれば、日本人の過度な衛生志向というのは、これはもう固有の民族性であり、毛唐どもにとやかく言われる筋合いはないわけだ。

 インド人が牛肉を食わないとか、イスラム教徒が豚肉を食わないのとか、中国人がところかまわず痰を吐くのと同じことである。

 そういう民族的背景を知ってか知らずか、おちょぼ口で「日本人のマスク騒ぎは世界的に見たら異状」とか言うことが、国際的な人間の証などと誤解しているから、ブログとか炎上しちゃうわけで、そんなにガイジンに媚びたいのなら、一生日本に帰ってくるな。日本語をしゃべるな。国籍を捨てろ。肌漂白しろ、お前はマイケルか? と、声をだして小一時間ほど問い詰めたいところである。

 ま、ハイパーメディアクリエイターに対する、フリーライターのひがみですがネ(笑)。

 しかし、なんでロハスを声高に語る人とか、自称国際人とか、社民党支持者とか、ゴミ出しの分別になるととたんに張り切る人々というは、みんな「おちょぼ口」な顔のイメージなのだろうか・・・?


                        ※  ※  ※  ※  ※  ※


 無冥流の鈴木崩残氏が、手裏剣界では知る人ぞ知る、「利根川神話」について、実地で考察されています。(http://www.mumyouan.com/k/matunoma.html

 これは、非常に熟練した手裏剣の業前を持っていらっしゃる崩残氏だからこそ実地で検証・考察できるもので、これは謙遜でもなんでもなく事実として、私のようなヘタクソでは到底できません。

 ところで、この「利根川神話」なんですが、私は白上一空軒著『手裏剣の世界』で読んだのですが、それ以外の媒体で記述があるのだろうか? 成瀬関次著『手裏剣』などにも、同様の記述があるのだろうか? どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら、市村宛にメールか掲示板への書き込みなどで教えていただけるとありがたいです。

 つうか一応、手裏剣が表看板なんだから、基礎的テキストである『手裏剣』くらい買っとけと、自分でも思うのだが、なかなか縁がないようでねえ・・・。

 とまあ、そういうわけで、以下は、この「利根川神話」の初出が白上さんの『手裏剣の世界』であると仮定した上での推論である。

 無冥流の崩残氏が動画でも指摘しているとおり、打った手裏剣が的に刺さっている手裏剣の剣尾に刺さるという現象は、実はそれほど珍しいことではない。私自身、少なくともこの3年間で2度見た(1度は自分の打剣、もう1回は他人の打剣)。これらのケースは、剣尾に穴があいている無冥流の重量剣(前重心)を使っていた際に起きたもので、的に刺さっている剣の剣尾の穴に、打った次の手裏剣がすっぽり入った。

 このように、普段から日常的に手裏剣を300打とか500打とか打っているものなら、数年に1回くらいは、「偶然」に起こる現象であろう。

 しかし、これまた崩残氏が指摘していることだが、これを「意図的」に、「狙って」やろうと思ったら、これは超級に難しくなるであろうことは論を待たない。しかも「利根川神話」では、それを暗闇の中で、2打ぽっきりでやったとういうのだから、まさに武術オタの皆さんが大好きな達人伝説のいっちょうあがりであろう(笑)。

 ただし実際のところ、現場を見た人も、それを行ったという人も鬼籍に入り、詳しい状況設定などの情報もない今となっては、真偽は藪のなかであることもまた厳然とした事実である。

 さてここで、この「利根川神話」の達人伝説としてのツボは2つ。

 まず第一。

 「それが、絶対に不可能ではなさそうである」ということ。

 つまり、偶然であれば、われわれ一般の手裏剣術者でも、数年に1回くらいは直面する出来事であるが、それを意図してやろうとすれば、神業的に難しい。この「できそうで、できない」感が、なんとも適度な求心力を持つ。

 これが仮に「空を飛んでいる隼を手裏剣で落とした」とか、「数十間先の完全武装の鎧武者(もちろん、面頬もつけてますぜ!)を手裏剣で殺害した」とかいうことなら、「まあ、科学的に考えれば1200パーセント妄想でしょ(笑)」と、わりあい簡単に断言できるわけだ。

 しかし、この「利根川神話」は、剣尾に次の剣が刺さるという、できそうでできない感が、なんともむず痒く、達人幻想を誘うのであろう・・・。

 第二。

 「そもそも誰が言い出したのか?」ということ。

 先にも記したが、仮にこの話の初出が『手裏剣の世界』だとしよう。この本の初版は1976(昭和51)年である。

 その上でこの、「暗闇で打った2本の手裏剣。先に打った手裏剣の剣尾に次の剣が刺さっていた!」というストーリー・・・。 これって、どこかで聞いたことがあるような・・・、それも手裏剣じゃなくて弓道で・・・。

 そう、これってオイゲン・ヘリゲルの『日本の弓術』の中に記されている、ヘリゲルの師であり「一射絶命」の言葉で知られる弓聖・阿波研造師の有名なエピソードと、シチュエーションも内容も、まったく同じなんだよねえ。

 そしてちなみに、『日本の弓術』の初版は、1936(昭和11)年。

 う~ん、これって単に、白上さんが弓道のエピソードを手裏剣に置き換えた? 

 いや、もっとはっきり言えば、ぱくったんじゃねえの、単純に。

 まあ、白上さんも彼岸に渡って久しいし、これまた真偽は藪の中なんですがね。

 現役の根岸流の人とかには、この達人伝説がどのように伝わっているのか気になるところだが、知り合いがいないので、なんともいえませんなあ。


 まったく、インフルエンザも手裏剣も、とかくこの世の真偽は藪の中と・・・。

 (了)
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新型ではないと思う、たぶん・・・/(身辺雑記)
- 2009/05/17(Sun) -
 東北からの帰り道、すでに喉に違和感が・・・。

 昨日、稽古後、仕事がらみの飲みの席までは、喉の痛みのみで熱発などなかったものの、いささか倦怠感があり。

 そして今日、目覚めると、悪寒に発熱、喉の痛みに関節の痛み・・・。

 典型的な感冒である。

 H1N1ではないと思う、たぶん・・・。

 おまけに明日は沼津、明後日は山梨で取材。

 ということで、私信やらなにやら、レスポンスが悪くなっておりますが、ご容赦ください。まだ熱が下がってないもんで・・・。

 
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’09春 みちのくひとり旅~序章/(旅)
- 2009/05/16(Sat) -
 今週は4日ほど、みちのくを旅していた・・・。

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▲日本海まで0センチの露天風呂。その名も不老不死温泉


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▲25年前から、一度乗ってみたかった憧れの五
  能線


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▲車窓から望む日本海。演歌な世界観である・・・


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▲国宝になった「合掌土偶」(のレプリカ)。私は
土偶が好きだ


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▲下ノ畑ニ居リマス・・・

(旅の詳細は、また改めて)





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知新流の手裏剣を打つ!/(手裏剣術)
- 2009/05/10(Sun) -
 翠月庵宛てに無冥流の鈴木崩残氏が寄贈してくださった知新流の剣を、昨日はじっくりと打剣してみた。

 以下はその所感である。

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▲上段から、知新流の手裏剣(写し)、香取神道流のスケールアップ版、
香取神道流の手裏剣(写し)


■来歴と寸法
この剣は、某古流武術関係者氏が、伝書等を参考に複製したもので、それが巡りめぐって当庵所蔵となった。あくまでも「写し」である。
・全長/約17cm
・重さ/●グラム
・形状/一辺11mmの四角推
・重心位置/剣先から約10.8mm
※今、手元にハカリが見当たらないので、重さは追って書き加えます。

■インプレッション

・二間直打
 まずは伝書に残されている刀法併用手裏剣術の型で想定される距離である、二間から直打で打つ。後ろ重心の剣なので、滑走打法を使用。握り心地には、それほどの違和感はない。構えた状態で、剣の重心位置は、指の付け根と第二関節の間くらいである。

DSC_1675.jpg
▲重量剣に慣れている者であれば、重さも違和感はない


 まずは左上段の構え(逆体)で打剣。わりあい、素直に剣が飛ぶ。まあ、なにしろ二間だ・・・。的(畳)の刺さり具合を見ると、思った以上にしっかりと刺さっている。的である畳のヘタレ具合もあるだろうが、剣先から4~5cmは刺さっているようだ。
 次に同じく二間から踏み込んで順体で打剣(同流の型の動作)。同じく、しっかりと刺さる。なにしろ後ろ重心なので、使い慣れていないといささか違和感があるが、慣れればこの距離では特段問題はない。

二間1
▲思った以上に、深く刺中した


二間2
▲的の平面に対しての剣尾のぶれ(傾き)は、この距離で
は気にならない


・二間半直打
 左上段で打剣。飛跡や的への刺さり具合を見ると、やや剣尾の部分が振れはじめる。また、滑走具合(手離れ)の調整を誤ることからか、剣が立ったまま的に当たることが多くなるように感じられる。
 順体で踏み込んでの打剣では、こうした問題点は、それほど感じない。

・三間直打
 左上段からは、眼に見えて剣尾がフラフラと揺れるように見える。的への刺さり具合も、かなり剣尾が傾いて刺さるようで、安定感がない。順体で踏み込むと、多少は剣尾の振れと刺中時の剣の傾きは改善されるが、やはり今ひとつ。ただし、単に刺中・的中させることには、特段の問題はない。

三間1
▲二間距離からに比べると剣尾が揺れてしまい、標的の
平面に対して剣尾が大きく左に傾いている


・反転打
 三~四間での反転打。時間の関係で、みっちり検証できなかったが、おそらくこの剣でこの距離の場合、修練すれば反転打の方が安定感があるように思われるので、今後の検討&修練が必要か。


■考察
 今回、初めてじっくりと知新流の手裏剣を打ってみて、まず感じたことは、近距離の場合、想像以上に深く刺さるな、ということであった。また二間距離では、剣尾のゆれなどは思ったほどなく、安定的な打剣となった。一方で、二間半以上の距離からは、目だって剣尾のぶれが見て取れ、不安定さを露呈した。反転打については時間の関係で、十分に考察できなかったので、後日、機会を改めたい。

 結論としては、同流の型や伝書に記録されている、対戦時の基本的な想定距離である二間~二間半の距離での使用では、順体にせよ逆体にせよ、特段、問題点は感じなかった。しかし逆に言えば、特別使いやすい剣というわけでもない。
 なにより、「三間以下の距離であれば、ほとんどの剣が直打で特に問題なく刺中・的中する」という現代手裏剣術の原則から言うと、こうした結果は、当たり前といえば当たり前であろう。

 ところで、「なぜこの手裏剣は、後ろ重心・四角推という形になったのか?」という点については、実際に剣を打ってみても、合理的な理由を感じることができなかった。なお現在、私を含めた複数の武術関係者の推測をまとめてみると、この手裏剣の形状については、次のような仮説が立てられる。

1-たいして考えずに適当に作って、自流とした。
2-考えた末に、反転打用に作った。
3-帯に刺して携帯する場合、下方に落ちないように。
4-タガネや和釘など、当時の日常生活で目にする機会がある、既存の棒状金属類の道具の形を模した。

 ただし、同流が失伝しており、なおかつ伝書関係でも、その事実関係が確認できない以上、この点に関しては、その真偽は歴史の闇の中である。

 まあ、古い手裏剣のデザインの理由が真偽不明でも、世の中の大勢に影響がないと言えば無いので、基本的にどうでも良いのだろうが・・・。そこが気になるのが、好事家のゆえんであろう(笑)。

 今後も知新流については、伝書の精査も含め、さまざまな考察を続けて行きたいと考えている。

 (了)
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’09春の武者修行in美濃/(旅)
- 2009/05/07(Thu) -
5月2日(土曜)晴れ

 都内から中央本線を北へ。

 昨年秋と同じく甲州を抜け、塩尻から中央西線で木曾谷を南に下り中津川へ。約7時間の列車旅を経て中津川駅で、平素から翠月庵にご厚誼をいただいている戸山流居合抜刀術美濃羽会中津川稽古会代表の棚田さんと、約8ヶ月振りの再会である。

 まずは旅装を解いて、近隣のラジウム温泉で旅の汗を流す。そのあと、前回もお邪魔した食事処で山海の珍味に舌鼓。鯨から鰻の白焼きまで、美味を満喫。

 武術談義に花を咲かせつつ、美濃の夜はふけてゆく・・・。


5月3日(日曜)晴れ

 朝、中津川稽古会の皆さんと体育館に集合。皆さんは光秀祭りで行う、演武の最終調整。私は邪魔にならないよう、素振りなどで身体をあたためつつ、小1時間ほど見取り稽古。

 その後、光秀祭の会場となる恵那市(旧明智町)の日本大正村へ移動する。

 光秀祭りとは、大正時代の街並みが保存されている岐阜県恵那市の日本大正村で、毎年5月の連休に行われる「ちょっとおんさい祭り」のメインとなるイベントだ。戦国時代、織田信長を討った明智光秀ゆかりの地ということで、武者行列や火縄銃実演、そして美濃羽会による演武が行われる。

 まずは、地元の小学生などが中心となる武者行列。

 光秀公は白馬にまたがり、その後を地元小学生を中心とした可愛らしい武者たちの一団が、大正時代の面影を残す町並みを練り歩く。

 中津川稽古会with手裏剣遣いは稽古着姿で打刀をたばさみ、薙刀片手に鉢巻姿も凛々しい娘子軍の次、天海僧正の後につく。

娘子
▲地元小学生の娘子軍


 私はこういうイベントに参加したのは初めてなのだが、ちょっとコスプレイヤーの人々の気分が分かったような気がする・・・。「なんか、オイラたち、浪人集団みたいで、いい感じ?」ってなもんである(笑)。

 ちなみに我々の後ろには、巫女連が道行く人々に、山車補修のための志納を募る。

巫女
▲巫女フラグも立とうというものだ・・・


 30分ほど通りを練り歩き、メイン会場に到着。

 その後、正午から、戸山流居合抜刀術美濃羽会中津川稽古会の演武開始。

 私は食客ながら、演武の始礼と終礼に加えていただき、あとはじっくり見学。気迫あふれる組太刀、刃引きの真剣による斬りの演武などに会場から大きな拍手が送られる。

DSC_1647.jpg
▲見事な袈裟斬りで、竹の試物を両断!


 緊張感あふれる、戸山流居合抜刀術の演武は30分ほどで終了。最後に行われた、棚田さんらによる真剣組太刀と、試物の竹を台座に固定しないで抜き打ちに斬る業には、多くの観客が息を呑んでいたようだ。

集合
▲戸山流居合抜刀術美濃羽会中津川稽古会の
  皆さんwith手裏剣遣い


 演武後は、火縄銃の実演を見学。こりゃあ、とてもヤットウじゃあ勝てませんな・・・。

鉄砲
▲なんか、鉄砲隊に向かって「うゎああ~~!」とかいいながら、抜き身
片手に突撃したい衝動に駆られるのは私だけだろうか???


 その後、棚田さんのご自宅に戻り、稽古会の皆さんとバーベキューパーティー。

 いや、その前に、翠月庵主催・初心者向け手裏剣術講習会を開催する。メニューは以下の通り。

第一部/これが手裏剣術だ!(約30分)
1 手裏剣術とは?/解説
2 車剣と棒手裏剣の違い/解説・実演
3 直打と反転打とは?/解説・実演
4 刀法併用手裏剣術について/解説・実演
5 剣術の稽古のための手裏剣術について/解説・実演
6 手裏剣術体験/一間半~二間で体験していただきます
7 飛刀術とは何か?/解説・実演・体験


 その後は、実にうまい肉と、肉と肉。そして、お酒、お酒、お酒・・・。若き抜刀術家たちとの、武術談義もますます盛り上がり、夜がふける。


5月4日(月曜)曇りときどき晴れ

 前夜はかなり飲んだが、意外に二日酔いはない。

 10時から、中津川稽古会の有志の皆さんが集まり、昨日に引き続き手裏剣術術講習会を開催。メニューは以下の通り。

第二部/初学者向け短期上達講習(約2~3時間)
1 剣術教習のための手裏剣術~正面斬り/稽古
2 滑走打法で軽量剣を打ってみよう!/距離二間で稽古
3 長剣での無滑走2点打法で三間にチャレンジ!/距離三間で稽古
4 刀法併用手裏剣術/知新流の型を使ってみよう!
5 古流の手裏剣を打ってみよう!/香取神道流、知新流※いずれも写し


 2時間強の講習で、男性のほとんどが三間直打(長剣/無滑走2点打法)での刺中を最低でも1割レベルでクリア。女性でも二間半で直打が見られました。

 刀法併用手裏剣術については、さすがに皆さん、ベースが抜刀術だけに、短時間で見事な仕上がりとなったように思います。

 また、もともと手裏剣術の資質があるのか、両手打ちや多本打ち、下手打ちや下手の両手打ちなど(私もできないんだが・・・)ができるようになった方もいらっしゃいました! いやはや、これには私も驚きでした。


 楽しい時間は、あっという間に過ぎてゆくもの。

 足掛け3日の滞在はこれにて終了。

 棚田さん、そして中津川稽古会の皆さん、たいへんお世話になりました。


 再びの交流を約束し、午後の列車で東海道を伊豆へ。

 さて、この後は、温泉三昧の普通の休暇のはじまり、はじまり・・・。

 (了)
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旅路の前の覚書/(身辺雑記)
- 2009/05/01(Fri) -
 いよいよ大型連休も本格スタートですな。

 私も今日までは仕事で、夕方まで在宅療養支援歯科診療所=まあ、ようするに往診してくれる歯医者さんの原稿執筆前の準備などしてますが、明日から来週の水曜まで、久々の黄金週間らしいGWである。

 この10年来、たいがいこの時期は仕事でいっぱいいいっぱいだったのが、今年は普通に休めてしまうくらい「ヒマ」なのである。さすが100年に1度の経済危機だ。

 ま、もう2ヶ月くらい、まともに仕事もしていないのだがねえ・・・。

                    ※  ※  ※  ※  ※  ※

 明日から美濃へ武者修行に出かける・・・。

 というのは冗談だが(笑)、以前からご厚誼をいただいている戸山流居合抜刀術美濃羽会中津川稽古会代表のたんださんをお訪ねし、3日ほど寄宿させていただく予定である。

 美濃滞在中は、同会の皆さんとともに、旧明智町(現恵那市)で行われる光秀祭の武者行列に参加したあと、中津川稽古会の方々の演武を拝見。その後、滞在中に、簡単な手裏剣術体験&講習会を2回ほど行う予定である。幸いなことに、ちょうど先日、無冥流の鈴木崩残氏からご寄贈いただいた、知新流や香取神道流など、古流の手裏剣の写しが手元に到着したので、こうした古流の手裏剣術のうんちくなども交えながら、楽しい武術交流ができればと思う。

                    ※  ※  ※  ※  ※  ※

 美濃には2泊させていただき、帰路は実家のある伊豆に立ち寄る予定だ。

 今回は、狩野幼稚園の赤組のときからであるから、かれこれ35年ほどの付き合いとなる同級生のT君(40歳独身、バツなし)宅に1泊。共に放歌高吟する予定。翌日は天城の山あいにあるひなびた温泉にでものんびりつかりながら旧交を温め、夜からは私の実家のある修善寺に2泊ほどするつもり。

                    ※  ※  ※  ※  ※  ※

 新型インフルエンザである、「インフルエンザA型(H1N1)」の国内感染者がついに出た。

 医療系記者として改めて述べておきたいのは、「正しい情報に基づいて行動されたし!」ということ。

 知識と教養=脳みそは、現代の武人にとって最高の戦闘器官なのである。

・今回のH1N1は弱毒性である。※1
・致死率はまだ明確になっていないが、現状では0.1とか0.2とか小数点以下の確率であり、感染者が出ても、重症がでなくて当たり前。ようするに、普通に健康な人が「びびる」ほどの激甚な疫病ではない!※1
・症状は、普通のインフルエンザと同じ。※2
・潜伏期間は1~7日。※2
・予防と感染防止には、不織布製マスクの使用、手洗い(正しい方法で15秒以上)、「咳エチケット」の励行を。※3
・パンデミックに備え、2週間程度の食料備蓄を。※3

 いわば、毎年冬のインフルエンザ対策とほとんど変わらないということ。

 また、H1N1は、しょせん弱毒性ウィルスなので、飲み込んじまっても胃酸で不活性化される。ましてや、70度以上で加熱すると死滅する。つまり普通に焼くなり、煮るなり、炒めるなりして食えば、仮にその食品がH1N1に汚染されていたとしても、まったく無問題、ノープロブレムである。

 さらに言えば、日本の検疫は世界でも最高レベルだ。よってお肉屋さんやスーパーに並んでいる豚肉が、H1N1に曝露している可能性は、現状で限りなくゼロである。

 ということで、さあ、みんなで豚肉を食べようではないか!

 私は今朝も、チンジャオロースーを自分で作って食べたぞ! そんでもって、これから昼飯のおかずに、豚肉のしょうが焼きを作ろうかと。

 風評被害ほど、愚かで馬鹿馬鹿しいものはない。

 全国のお肉屋さんと、養豚業者さんを応援しよう!!!


■本項ソース
※1
WHO発表関連(毎日jp)
http://mainichi.jp/select/world/news/20090430k0000m040076000c.html

※2
新型インフル こう対処(読売新聞09.5.1 14版総合面)

※3
新型インフルエンザ対策関連情報(厚生労働省)
http://www-bm.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/index.html

                    ※  ※  ※  ※  ※  ※

 というわけで、しばしブログの更新は止まります。

 武者修行の折に討ち果たされて、異国で野辺送りになったりしていなければ(なに時代の話だよ!)、7日(木曜)には江戸に戻っている予定です。

 本ブログも、その辺りから再開致しますので、どうぞまた、ご愛顧くださいませ。

 Vaya con dios!
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