7月24日付の本ブログについて/(身辺雑記)
- 2009/07/28(Tue) -
 先ほど、とある武友から、「某手裏剣関連の掲示板で、市村さんのことが書かれているみたいですよ」、とのご指摘をいただいた。

 話しによると、手裏剣関係の某氏の掲示板で、「7月24日の自分の記述内容のテーマが、某のブログと重複していると指摘されたが、自分とは一切無関係云々・・・」と書かれているとのことで、武友のご指摘では、ここで書かれている「某」というのが、私のことでないかとのことである。

 そこで、その掲示板をひと通り読んでみたが、確かにそのようである。


 さて、ここで改めて申し上げておきますが、私のブログ上での一連の記事「”翠月庵の”刀法併用手裏剣術」は、すでに6月から断続的に連載しているものであり、先様にわざわざ指摘されるまでもなく、テーマも内容も、7月24日に書かれたという某氏の記述とは、まったくなにも関連性はありません。

 まあ、本ブログの読者の皆様には、このような誤解をされる方はいらっしゃらないかと思いますが…。

 なにより、この某氏とは、市村および翠月庵は、現在まったく何の関係もなく、今後も一切無関係ですので、皆様どうぞ誤解されませんよう、お願い致します。

市村 拝
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平成・飛刀術考/(手裏剣術)
- 2009/07/28(Tue) -
 「飛刀術」とは、主に脇差を中心に、打刀などを投擲し刺中させる(手裏剣に打つ)技である。

 そもそも、日本における手裏剣術の始まりのひとつが、こうした飛刀術にあることは『大坂軍記』など、古い文献に数多く記されている。たとえば同書には、安土桃山時代の終わりを告げることとなった大坂の陣の際、小笠原忠政が槍で突かれたが、とっさに脇差を手裏剣に打ち、危機を脱したと伝えられている。『常山紀談』にも、馬上の斬りあいで落馬した武士が、脇差を手裏剣に打つという描写がある。

 このように、往時の合戦では、”脇差を手裏剣に打つ”という行為は、文献の記録に残る程度には、普遍的な行為であったのだろう。


▲翠月庵の飛刀術


 このため、古流剣術、なかでも二刀を使う流儀には、口伝として脇差を手裏剣に打つ技(型)を伝える流儀も複数ある、という論考は本ブログでも何度か記述している(興味のある方は、バックナンバーor翠月庵のyoutube動画を確認されたし!)。

 なお、現在、国内の手裏剣術者で、「飛刀術」を標榜し、それを稽古として実際に定期的に行っているのは、鈴木崩残氏の無冥流と、私ども翠月庵ぐらいではないかと思う。ちなみに、「飛刀術(法)」という名称は、崩残氏が呼称したのが始まりであることも、ここに改めて明記しておこう。


 さて一方で、日本人には、古くから「日本刀は惟神の霊器である」という思考があり、ことに武術・武道人には、こうした感性が広く、そして深く浸透している。

 そうした感性から見ると、脇差とはいえ刀剣を的(敵)に向かって投げるという行為は、たいへん侮辱的な行為に見えるともいえる。実際に私の武友にも、「刀を投げるのはちょっと・・・」という方が少なくない。

 これは天叢雲剣にはじまる、日本刀の歴史、そしてそれを扱う日本剣術=武術・武道の長い歴史を考えれば当然のことであり、その末席を占める私自身も、実は飛刀術の稽古には、いささかの躊躇があることは否めない。

 しかし、兵法という観点で見れば、だからこそ「飛刀術」は、対抗不能性を有するたいへん有効な武技となるのである。

 ゆえに平常の稽古では、たとえ脇差のサイズを模した飛刀術稽古専用の刀であっても、扱いはあくまで武具と心得、打剣の前後には十分に気を満たし、打剣後には残心を取り、抜刀から納刀まで、あくまで武術的な気勢をもって行わねばならない。

 こうした心構えが備わってはじめて、刀剣を投げるという日本人にとってはある意味で冒涜的な行為である飛刀術も、武技の練磨・演武として廉恥の美を感じさせるものとなるのではないだろうか。

 
 過日、youtubeで、ある外国人青年が行う飛刀術の動画を見た。

 この青年は、脇差ではなく、打刀を使って飛刀術を行っていた。動画を見ると、打った打刀は的を完全に貫通していることから、おそらく模造刀や居合刀ではなく、刃のついた本身の打刀であろうと思われる。そしてまた、この青年の飛刀術は、技量としては実に申し分のないものであった。

 しかし、おそらく私も含め、日本人の武術・武道人がこの動画を見ると、なんともやりきれない気分になるのではないだろうか…。飛刀術の技=行為自体にしても、技に入る前の抜刀動作にしても、惟神の霊器=日本刀を扱っていると見ると、全体にその動き・態度が品位に欠けるのである。

 これは、その青年に対する批判・個人攻撃ではない。

 おそらく、この青年は、剣術なり居合・抜刀術なりの、日本武術・武道をきちんと学んだ経験がないのであろう。ゆえに、動作のひとつひとつ、剣の扱いひとつひとつが、ぞんざいで乱暴になってしまうのであろう。

 私はこの青年には直接の面識はないが、できることなら、本身の剣を、こうした稽古に使うのはやめていただければと思う。飛刀術専用の剣を自作するか、あるいは本質的に日本刀ではない、模造刀や美術刀などで代用していただきたい。そしてまた、もし彼が、日本的な武術・武道に関心があり、その道を求めているのであれば、改めて師について、居合なり剣術・剣道なりを学んでほしい。

 そうすれば、彼の行ずる飛刀術も、今とはまったく違った「品位あるもの」になるのではないだろうか。

 同様に私自身も、こと飛刀術の稽古や演武については、武としての品位があるものとなるよう、常に自省していかねばならぬと痛感している。

(了)
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”翠月庵の”刀法併用手裏剣術~その7 まとめ/(手裏剣術)
- 2009/07/24(Fri) -
 これまで6回にわたり、翠月庵の刀法併用手裏剣術について、基本型五本の解説をしてきたので、本稿はそのまとめとする。

■刀法併用手裏剣術の目的

 手裏剣術が表芸で剣術・居合が裏芸の者、あるいは剣術・居合が表芸で手裏剣術を裏芸とする者、いずれの場合も、手裏剣の投擲と打刀の抜刀・運剣の動きを連続して行うには、それ相応の修練が必要になる。刀法併用手裏剣術の型は、こうした手裏剣の打剣と打刀の運剣を連結させて、スムーズに行うための鍛錬である。

 さらに、武技としての手裏剣術の現実的最大間合が三~四間、剣術・居合の間合が一間、この四間~一間の間を埋めるのが、刀法併用手裏剣術である。形而上・下で三次元的に(拍子を時と考えれば、四次元的とも言えるか・・・)変化する「武術的間合」というものを学ぶ上で、刀法併用手裏剣術は大きな意義がある。


■刀法併用手裏剣術を学ぶ際の留意点

 刀法併用手裏剣術を学ぶ際に、まず留意しなければならないのは、手裏剣の投擲(以下、打剣)と打刀の操作(以下、運剣)を、いかにスムーズによどみなく連結させるか? ということにある。このため、特に初学の段階では的中の精度については、それほど気にすることはない。

 次に留意すべきは、運足=間合である。打ってから斬るにせよ、斬ってから打つにせよ、刀法併用手裏剣術では、打剣の間合と運剣の間合がそれぞれ存在し、それらが混在する。

 例えば、1本目の型「抜付」では、起点の間合は相手まで一間半。ここで抜刀し、相手を留める。次いで後退し、二間から打剣。ここから三歩踏み込んで、一間以内で正面斬りとなる。

 このように、1つの型で、3種の間合が混在し、それらが断絶することなく、連続運動として続くのである。こうした間合の変化、それにともなう拍子を学ぶには、手裏剣術だけではなかなかに難しい。そういう意味で、武術的な手裏剣術を志すのであれば、刀法併用手裏剣術は欠かすこと出来ない稽古であるといえよう。


■刀法併用手裏剣術で分かること

 刀法併用手裏剣術を稽古していて、しみじみ感じるのは、「手裏剣術の手の内と腕の操作と、剣術・居合の手の内と腕の操作は、根本的には異なる」という事実である。

 手裏剣術と剣術を併習している者の間でよく指摘される意見に、「居合(剣術)の稽古をすると、手裏剣術が下手になる」という点がある。

 これはやはり、根本的なところで打剣と運剣の操作が異なる点が原因である、と断言して良いのではないか。

 具体的には、

 1.打剣の際の手離れの位置と、運剣の際の最大力点が異なる
 2.打剣と運剣では、肘と手首の角度・開き具合・締め具合が異なる
 3.打剣と運剣では、同じ正中線上の斬り下ろしでも、振り下ろした際の腕の動きが異なる

 以上の3点が、打剣と運剣では決定的に異なることが、刀法併用手裏剣術の型を稽古していると、非常に明確に感じられる(※1)。

 ただし、これらの差異は、三間以内という実際の運用距離においては、打剣と運剣の修練を個別に十分積んでいる者であれば、それほど困るものではない。しかし、打剣だけあるいは運剣だけの修練しかしていない者が、打剣と運剣を連続して行う、つまり刀法併用手裏剣術を行うと、打剣か運剣のいずれかにある種の”ひずみ”が出ることになる。

 これを中和させるためにも、武術的な手裏剣術を志す者は、普段から刀法併用手裏剣術を十分に稽古しておく必要があろう。


■おわりに
  
 誤解を恐れずに言うならば、武術としての手裏剣術は原則的に併習武術である以上、剣術、居合・抜刀術、体術、槍術、長刀術など、なんらかの武技と合わせて用いる必要がある(※2)。そのための最も平易かつ取り組みやすい形態のひとつが、刀法併用手裏剣術であるといえよう。

 刀法併用手裏剣術に熟練することで、各人の武術的手裏剣術は、より深みを増すであろうし、そこから”体術併用手裏剣術”や”杖術併用手裏剣術”、”弓術併用手裏剣術”など、無限の展開が開けていくだろう。

(了)

※1
 これらの手裏剣術と剣術の根本的な違いについては、無冥流の鈴木崩残氏が、以前から指摘している。

 私は以前、同氏との交流の中で、「1.と3.はたしかに異なるが、2.については剣術の斬り手であれば、一~二間であれば、そのままの手首の角度で打剣が可である」と意見を述べたことがあり、これに基づいて編成したのが、翠月庵の「剣術教習のための手裏剣術~正面斬り」の教習体系である。

 しかし、さらにその後、稽古を通じて厳密に考察してみると、距離が二間以上になる場合、剣術の斬り手のままの手の内では、剣の姿勢に”袈裟”がかかってしまい、剣が右に傾いてしまう傾向にあることが分かった。

 このため手裏剣を上段に構えた場合で、かつ距離が二間以上の場合は、

  1.肘をしぼる
  2.肘を開く
  3.手首の角度を変える

 などの微調整が必要になる。

 つまり、剣術・居合と手裏剣術の手の内と腕の動きは、やはり根本的に違うというのが事実であろう。

※2
 これはあくまでも「武術としての」手裏剣術についてである。

 いわゆる「掌剣術」にしても、柔術や剣術(小太刀・懐剣)の素養がなければ、到底まともな武技にならない。そういう意味で、掌剣術は、体術併用手裏剣術と表現してもよい。一方で、手裏剣の打剣だけで、それが武技として成立するかという点については、私は限りなく難しいのではないかと思っている。

 ゆえに、「武術としての手裏剣術は、他の武術との併習が前提である」という点は、強調しておきたい。

 ただし、レクリエーションやスポーツ、その他の行為・目的のための手裏剣術においては、こうした原則は適用されないし、する必要もないことは言うまでもない。

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”翠月庵の”刀法併用手裏剣術~その6 五本目「鞘ノ内」/(手裏剣術)
- 2009/07/19(Sun) -
 翠月庵の刀法併用手裏剣術、五本目は「鞘ノ内」である。

 型の動きは以下の通り。

1 納刀したままの状態で手裏剣を右手に把持し、上段構え
2 打剣(二打以上)
3 踏み込んで抜刀
4 左袈裟斬り

 さて、この型は、藤田西湖伝の「実戦に臨むときの第二」および、根岸流の「刀術組込みの型・五本目」を原型としている。


▲翠月庵の刀法併用手裏剣術 五本目「鞘ノ内」


 型の開始点は、的まで二間。使用剣は軽量剣である。

 この型のポイントは、「位で詰める」ということである。つまり、対峙する相手に対し、打刀は納刀状態で、手裏剣の上段構えで制し、未発にして勝ちを得ることを学ぶ。その意味で、打剣~抜刀~斬撃は、鞘ノ内での位詰が失敗に終わった結果の、予後の動作に過ぎない。

 このため、第一挙動の有構の状態(打剣前の構えの状態)においての、内的・外的な気勢の練磨が重要である。

 次に体動としてのポイントであるが、この型は二間距離での演武を基本とするが、当然ながら的までの距離は、三間でも四間でも、あるいは一間でもかまわない。通常の稽古では、三間距離くらいまではやっておいた方が良いだろう。

 また第一挙動で手裏剣の上段構えを取る際、打刀は左手で鍔を押さえたまま、左腕を右前方に伸ばして突き出す心持で、腰をやや右にひねる。これにより、左の体軸にあらかじめ壁を作ると同時に、我の正中線を意識し、それに沿って剣を撃つのである。

 このように、帯刀している打刀を突き出すことで、あらかじめ左軸に壁ができていることから、基本的な動作では通常通り、打剣の際に半歩踏み込んでいるが、踏み込みをしなくとも、比較的容易に威力と速度のある打剣ができることも、この型の特徴である。

 打剣は二打以上行う。これは、稽古の方便として、上述の体軸を意識するためという意味が含まれている。実際に演武してみれば、帯刀していない状態、つまり普段の打剣との感覚の違いが鮮明に分かるであろう。

 打剣後は、右足→左足の順に運足しながら抜刀、さらに右足を踏み込んで、左袈裟斬りとなる。翠月庵の刀法併用手裏剣術では、この型の斬撃が唯一、袈裟斬りとなる。

 また、的までの距離や運足の数により、この袈裟斬りは、「右足前の、左袈裟斬り」になる場合と、「左足前の、左袈裟斬り」になる場合がある。


▲的までの距離が一間半と短く、運足が一歩減っているため、「左半
  身の、左袈裟斬り」で、打剣も一打にした変化の例


 なお「左半身の、左袈裟斬り」は、初学者の場合、力みすぎて間合を誤り、自分の左膝を自分の剣で傷つけてしまう場合があるので、十分、注意されたい。


(この項、つづく。次回、まとめ)
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夏ですので/(身辺雑記)
- 2009/07/18(Sat) -


 ま、夏だし、 『太陽がいっぱい』より、こっちかなと!


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鉄じゃあなくて、煤竹/(身辺雑記)
- 2009/07/15(Wed) -
 夏ですな・・・。

 もう、浴衣で歩いていても暑いです。ま、風が吹いて湿度が低いと、カラリと晴れて心地も良いのですが。

 夏といえば扇子、扇子といえば武術・武道人たるもの鉄扇というわけですが、過日、ブログにも書いたように、私の場合、泥酔するたび、毎年無くしてしまうわけでしてね。

 かつては、諏訪工芸さん謹製の八寸の鉄扇は8000円のタイプが最安値、憧れの春吉の鉄扇などは、到底、貧乏道場主には手の出ないものであったわけです。

 ところが最近は、「日本製」と銘打ってますが、実際に使ってみると、しまりも悪く、親骨の仕上げも雑な廉価版の鉄扇が、3~4000千円で売られるようになって、しょっちゅう無くす粗忽者としては、たいへんありがたかったわけです。

 けれども、昨年からの”100年に1度の経済危機”のあおりで、いまやなじみの小料理屋へも行けない身の上。扇子ごときに30ドルも40ドルも使えないわけでして・・・。

 そんなこんなで、今年は鉄扇はあきらめた。しかし夏場、着流しや浴衣で出歩くのに、丸腰というのも気持ちがしゃっきりしないので、煤竹骨の高座扇子を新調。お値段は10数ドルといったところである。

183.jpg


 今年の夏はこいつを角帯にぶちこんで、鈴本あたりで、気の利いた噺のひとつでも聞きにいってみようかねぇ・・・。いや、志ん朝のDVDも欲しいんだよねぇ・・・。

(おしまい)

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”翠月庵の”刀法併用手裏剣術~その5 四本目「右敵」/(手裏剣術)
- 2009/07/14(Tue) -
 翠月庵の刀法併用手裏剣術、四本目は「右敵」である。

 型の動きは以下の通り。

1 右方向の相手に向け打剣(逆手打ち)
2 左足を踏み込みつつ抜刀
3 右足を踏み込んで正面斬り
4 残心、納刀


 さて、この型は、藤田西湖伝の「実戦の臨むときに第四」が原型となっている。



 藤田伝では、打剣のあとその場で抜刀・正面斬りとなっており、運足は特に示唆されていない。そこで翠月庵では、右足を半歩踏み込んで打剣→左足→右足踏み込み正面斬り、という運足を原則とした。

 これは”刀法併用手裏剣術の間合は、実質二間前後”という、原則に基づいて設定したものである※。

 また打剣に関してだが、この型では我の右に位置する敵へ、逆手打ちを行う。逆手打ちも、完全な水平方向の動きの逆手打ち(逆のサイドスロー)から、右袈裟風、我の腕をくぐるようにして一度腕を
頭上にとり真っ向正面から振り下ろすなど、いろいろな変化がある。

 経験上、初学者は、1.真っ向正面の振り下ろし、2.右袈裟風、3.逆サイドスロー、という順番で稽古を進めていくと良い。


※”刀法併用手裏剣術の間合は、(対槍でなければ)実質二間前後”という原則は、当庵と無冥流・鈴木崩残氏との技術交流の結果に導き出された原則である。その結果、2年ほど前の2007年秋の段階で、すでにWEB上の動画や論文などで明言している。
 それ以前に、WEB上はもちろん、書籍・論文資料等でも、刀法併用手裏剣術における間合問題について、現役の武術・武道人が論じた、文言、発言、論文等は、私の28年間の武術・武道稽古・研究のなかでも、聞いたことがないことは、ここに改めて明言しておく。

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鉄扇の季節ですが・・・/(身辺雑記)
- 2009/07/13(Mon) -
 どんよりとした雲の下、ねっとりとした空気がたゆたう・・・。

 梅雨らしい陽気ですが、個人的には、もう少し雨が降ってもらいたいものです。


 ただしこの季節、和服を日常着にしている者としては、雨と汗はなかなか厄介なもんです。雨は裾に泥が跳ねるしぞうりが傷む。

 汗はもうねえ・・・、なにしろメタ・ボディですから(爆)。

 というわけで、この季節に欠かせないものが、鉄扇である。

 しかし、毎年、毎年、必ず酒席でなくしてしまい、昨年も8月くらいに板橋の焼き肉屋の帰りになくしてしまったわけでねえ。

 さて、今年はどうしましょうか・・・。

 (おしまい)
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無心の技、あるいはク・ドゥイユ/(武術・武道)
- 2009/07/10(Fri) -
 昨夜は久々に空手道の稽古で、つい最近、某県の大会で組手準優勝をした同門の後輩と、ガチンコの組手となった。

 目下、競技空手で上り調子の彼と、ここ最近はもっぱら手裏剣の稽古を中心に、剣術や居合・抜刀術など、古流系の武術の稽古しかしていない私である。しかしまあ、あんまりアッサリ後輩に負けるわけにもいかないしねえ・・・、古参有段者としては。

 師範が主審の衆人環視の中での試合組手。私の技、彼の技も、いずれも「取りません!」の連発。最終的には1ポイント差で私の負けであった。

 まあ、内心非常に不本意であるが(笑)、客観的には、毎日こつこつ空手の稽古のみに専念し、成績も残している彼の勝ちは、当然の結果である。

 努力は人を裏切らない!

 おかげで、一晩明けて、体中がじんわり痛いのは、ご愛嬌だ・・・。

 しかし、久々に組手中に「ク・ドゥイユ」が見えて、左上段回し蹴りや右背刀打ち、斜角の前蹴りなど、私の十八番がいくつか決まったのは爽快であった!

 そこで2年ほど前に、とある場所に書いた小論を再録(一部校正・加筆)してみる。

                    ※  ※  ※  ※

 
 武術・武道の稽古、とくに自由組手や試合組手などで、勝ったり負けたり、殴ったり殴られたりをしていると、不思議な「ある瞬間」に、出会うことがある。

 組手では当然ながら、互いに攻撃しようとしているし、互いに相手にみすみす攻撃されてなるものかという状態で、お互いが立ち合う。

 間合いをコントロールし、拍子を読み、位を詰めて、互いに対する。

 先を取る、後の先を誘う、間合いを切る、奇襲する、などなど、あらゆる駆け引きを使って、2人が攻防する。

 ちょっとでも隙を見せれば、即やられるという緊迫した時間である。

 その最中、突然、ぽっかり空間が開いたように、ふと、「ここを蹴ってください」「ここを突いてください」とばかりに、相手のある一点が見えることがある。

 あるんだよ。

 あるよねえ。

 そこに、ポーン、と蹴りなり突きなりを入れると、面白いように鮮やかに、技が決まるときが、ごくまれだけれどもある。

 あるんだよ。

 あるよねえ。


 この時というのは、不思議なもので、本当にその「ここを打ってください」というところが、テレビゲームで、暗闇でアイテムがぼんやりかすみつつ、光っているように見える。

 おまけに、その前後の瞬間が、ちょっとスローモーションチックに感じられるのだよ。

 実際は100分の何秒とかの瞬間なんだが。

 ちなみに私の場合、特に接近戦で打ち合いになっている時に、この瞬間が起きることが多い。遠間で詰め合っているときにも、時々ある。

 この感覚、「自由攻防がある武術・武道」をやっている人には、多分、分かってもらえるのではないかと思う。

 私自身は、こうした経験は地稽古とか試合で、数えるほどしかないのだけれど、プロの格闘家とか、第一線の競技武道の選手などは、おそらくしょっちゅう感じているのではないだろうか。

 そしてまた、実際に真剣で立ち合いをしていた往時の剣客たちも、きっとこれを、さらに明確に激しく、しかもしばしば感じていたのかもしれない。

 こうした、一種の勝機をつかむ第六感を、フランス語では「ク・ドゥイユ(coup d'oeil)」という。

 この「ク・ドゥイユ」は、欧米では軍人、ことに指揮官に求められる才能として知られている。

 結局、勝機がつかめなれば、どんなに優れた技も、威力のある武器も、精強な軍隊も、なんの役にもたたない。

 フランスの騎士団の言い伝えでは、「ク・ドゥイユは神から与えられる才能であり、修得できるものではない」という。

 しかし思うに、「ク・ドゥイユ」は、実際の戦いに即した、さまざまな修練や体験によって、多少なりとも培われるのではないだろうか。

 ただしこれは、ぬるい約束組手(古流では型稽古)や形稽古(単練)、対物稽古だけでは、ぜったいに修得することは無理だろう。

 約束組手(相対型稽古)でも自由組手でも、試合でも、予測不能で闘志満々の、さまざまな相手と、やまざまなシチュエーションでの経験知の積み重ねのなかでのみ、「ク・ドゥイユ」の資質が磨かれてくるのではないだろうか。

 そして、武術が人間を相手にする以上、「ク・ドゥイユ」、私なりに日本語に意訳すれば「戦気」というものは、大なり小なり、必須な資質でもある。

 誤解を恐れず言えば、純粋な対物稽古のみである、一般的な手裏剣術の稽古や居合の稽古だけでは、この「ク・ドゥイユ/戦気」を知り、学ぶことは難しいだろう。

 そういう意味で、併習武術としての手裏剣術と、単独の武技としての手裏剣、それぞれをどう捉えていくのかというのは、大きな課題だと考えている。

                         ※  ※  ※  ※

「どんなに優れた戦略計画を作れる将軍でも、ク・ドゥイユがなければ戦場で敵を目の前にしたとき、自身の戦術理論を適用することはできない」(ジョミニ中将)

(了)
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東トルキスタンは、ウイグル民族の地です!/(時評)
- 2009/07/09(Thu) -
 新彊ウイグル自治区での暴動が伝えられている。

 私は1992年の秋から翌年の春まで、5ヶ月ほど、当地を旅したことがある。上海からゴビ沙漠を北西へ、寝台列車で4日間かけて区都のウルムチへ。ここから長距離バスで、タクラマカン沙漠の周辺に点在する町を巡り歩いた。

 ロマンティックなアラブの市場のイメージそのものの、にぎやかなカシュガルの市場。標高3600mの高地、パミール高原に位置するタシュクルガンでは、高山病に苦しめられた。歴史の町ホータンでは、ウイグル美女とのちょっとしたふれあいがあり、刃物の町・イエンギザルでは大量のウイグルナイフを買い込んで、ナイフのバイヤーと間違えられたりもした。

 ウイグル民族は、はるか古代から、天山山脈やタクラマカン沙漠を擁する土地・東トルキスタンで暮らし、独自の文化を育んできた。

 このウイグル人の地を、長年にわたって暴力で支配しているのが、共産党による一党独裁が国是である中華人民共和国だ。

 だからこれは、「暴動」ではなく「抵抗運動」や「祖国解放運動」なのであり、暴力的な支配者である共産党支配下の漢民族に対する、ウイグル人の「レジスタンス」なのである。

 そこの所を、我々、近代民主主義国家の一員である日本人は間違えてはいけません。

 また日本の報道を見聞きして、「なんだかなあ・・・」と思うのは、ウイグル「族」という呼称である。

 これはもう、いいかげんやめたらどうかね?

 これはクルディスタンについても同様なんだが、どうもこの「●●族」という呼称には、「かわいそうな少数民族」的な上から目線が感じられるのである。

 ふつうにウイグル人、クルド民族などと呼べばよかろうに。


 21世紀の今も、大陸では自由と民主主義は、はるか彼方の幻である・・・。

 (了)

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浮花~方丈の海/(数寄)
- 2009/07/07(Tue) -
DSC_2679.jpg

 盛夏のような暑さに耐えかねて、バッチャン焼の睡蓮鉢に、庭の紫陽花を摘んで浮花にしてみた。

 方丈の小さな海が、ひと時の涼である。

 しかし、こんなん眺めていると、ついついキンキンに冷やした冷酒で一杯やりたくなるものである・・・。あいや、まだ今日の原稿が残っているので・・・。

 (おしまい)
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”翠月庵の”刀法併用手裏剣術~その4 三本目「左敵」/(手裏剣術)
- 2009/07/06(Mon) -
 翠月庵の刀法併用手裏剣術、三本目は「左敵」である。

 型の動きは以下の通り。

1 左方向の相手に向け打剣
2 抜刀
3 右足を踏み込んで正面斬り
4 その場で後方に転身し、左脇構え
5 踏み込んで正面斬り


 さて、この型は、藤田西湖伝の「実戦の臨むときに第三」が原型となっている。


 ▲この動画は藤田伝の型で、現在の翠月庵の型「左敵」とは転身の
動きと方向が異なることに注意!


 藤田伝では、これは「敵を左右に受けた場合」として示される。また打剣の後、最初の正面斬りの後は、右足を一歩引きながら体を時計回りに転身し、右脇構えにとってから2回目の正面斬りとなる。

 しかし、昨年この動画を公開した際、ご厚誼をいただいている武術家のA氏から、「型の表現として左敵を制し、背後に迫ってきた2人目を斬るという想定であるのなら、転身の際の引き足の一歩は不要ではないだろうか?」という指摘をいただいた。

 この点を勘案した結果、翠月庵の型としては、最初の正面斬りの後は、その場で反時計回りに転身して左脇構えにとり、右足を踏み込んで正面斬りとした。

 体動としてどちらが優れているというレベルの話ではなく、また鍛錬型として考えれば、どちらの動きも融通無碍にできなければならないので、それぞれに習熟するのが良いことは言うまでもない。

 この型の要諦は、

A)左方向からの攻撃に対する、打刀の抜き付けに習熟すること
B)後の先の拍子と、その補助としての打剣という戦術を理解すること
C)転身しての斬撃に習熟すること

 などがある。

 また型の動きの中、最初の抜刀時には、片手突きが隠し技として表現されていることは、剣術や居合・抜刀術に習熟している者であれば、容易に理解できるであろう。

(この項、つづく)
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夏は染付/(数寄)
- 2009/07/03(Fri) -
 鎮西は大雨だというが、江戸は中途半端な雨の梅雨空。やはり、降るときにはきっちり降ってもらわないと困るってもんだ。

 さて、この季節、晩酌の肴にも、涼味がほしいというものである。

 で、染付。

DSC_2671.jpg
 ▲扇面の器は、盛り付けは難しいが、絵皿としてはたいへん面白い


 見込みに呉須(コバルト)で描かれた山海の風景が、なんとも涼し気ではないですか。

DSC_2672.jpg
 ▲磁器にコバルトブルーが冴えるねえ


 さて今晩は、こいつに鰹の刺身を盛り込んで、晩酌といこうかね・・・。

DSC_2673.jpg
 ▲器のへりにも、波が寄せる。太化年製とあるが、たぶんパチモン(笑)


 (おしまい)




 


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