ワードが壊れまして・・・/(身辺雑記)
- 2009/09/19(Sat) -
 昨日、ワードが壊れてしまい、たいへん困っている。

 エンターを押すとフリーズしてしまうということで、いろいろ調べてみると、ユーザー辞書の破損が原因らしい。

 ではそれを直せば良いのだろうが、直せない。

 なぜかというと、直す機能を使おうとすると、フリーズしてしまうからである。

 ぢゃあ、結局、治んないじゃん。


 しかし、たかが数年で壊れてしまう程度の道具に、自分の職業の命運がかかっている(一応、私の本業は、記者です・・・)といのも、なんとも陳腐なものである。

 4年で壊れる剣を使う手裏剣術者など、いないにだろうねえ。


 結局、ITを使うのではなく、使われているのだなとしみじみ考えながら、いまだに、PCを完全に初期化するか、それとも他の方法で、ワードが治るのか、思案しているのであった。


 結局、おれらは、ビル・ゲイツの奴隷なのかね・・・。

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柔術の視点から見た、空手道の分解についての一考察/(武術・武道)
- 2009/09/16(Wed) -
 この前、「手首の記憶」と題して、柔術のことを書いたので、それに関連して以前から気になっていたことを、ここでひとつ。

 財団法人全日本空手道連盟(全空連)の第2指定形に、「カンクウショウ」という形がある。

 この形は護身術的な接触技法が多く、個人的に好きな形である。

 そしてこの、カンクウショウの形の代表的な技(挙動)のひとつが、「中段の掴み受け」だ。

 この技は、「両拳開掌、左肘の下から右掌で円を描き、左掌は右手首を上から添えて右掌中段掴み受け。左掌右手首上添え手」(『第2指定形 空手道教範』財団法人 全日本空手道連盟 中央技術委員会編著より引用)というものである。

 空手道の経験のない人には、上述の説明ではよく分からないかもしれないと思うが、ようは柔術で言うところの「小手捻りの逆手とり」であり、実態としては合気道の二教や二ヶ条と同種の技である(以下、「小手捻りの逆手とり」と表記する)。

 「小手捻りの逆手とり」は、柔術はもちろん、短棒術や鉄扇術、居合や剣術の柄捕りなどでもよく見られる、日本武術におけるきわめて普遍的な手首に対する逆技である。

 しかし、上記の全空連の教範では、その分解について「相手の中段突きを、腰を左に捻り逆半身になりながら、右拳を開き、左肘下から円を描き、物を掴むように受け、左掌は右手首を上から掴むように引き寄せる」と解説されている。

 さて・・・。まずそもそも、相手の突きを掴めんのか?

 という疑問もあろうが、それはそれ、古流の口訣にそのあたりのコツも伝わっているので、まあ、よしとしましょう(※1)。

 それよりも、なによりも、同教範では、「左掌は右手首を掴む~」のところの分解で、相手の右手首ではなく、自分の手首を掴んでるわけです。

 なんで、自分の手首を掴む?

 いや、もちろん、形を打つ(演武する)際に、自分の左手で自分の右手を掴むのはいいわけです。

 空手の形は、居合と同じように、一人で行う単独形ですから。

 形の演武では相手がいないわけですから、表現として自分で自分の手首を掴むのは、挙動としてなんらおかしくはないわけです。

 しかし分解(相対型)で、それをそのままじゃあ、まずいでしょう。

 教範の分解解説によると、相手の右中段追突きを、右の掛け手で受ける。ここまでは良しとしよう。それを引き寄せる際に、掛け手で掴んだ相手の掌や手首ではなく、なんと自分の右手首を、自分の左手で掴んで引き寄せてるわけです。

 なんで???

 ちなみに2年ほど前、私が住んでいる地域の連盟の指導者講習会でも、同様の分解の解説をされていたんですがねえ・・・。

 この分解、かなり無理があると思うのは、私だけだろうか?


 まあ、形の分解というのは、1つの挙動に複数の技が表現されてたりもするんですけどもねえ。

 それにしても、自分の手首掴んで引っ張り込む意味はないでしょう。

 僭越ながら古流柔術を稽古した者の視点からみれば、この挙動の分解は明々白々である。

1 自分の右手首を相手が右手で掴んできた。
2 そこで自分の左手で相手の手の甲を掴み、自分の右手首に押さえつけ、相手の掌を自分の右手首に固定する。
3 そのまま右手刀を廻すようにして、相手の右手首を「小手捻りの逆手とり」で逆手に極める。
4 さらにそれを引き寄せてながら、前蹴りor膝蹴りを入れる。

 というのが、この挙動の、ごくごく自然な分解ではないでしょうかね?

 つまり、この挙動は本来、接触技法(組技)の表現であるはずなのに、無理くりに「相手の突きを受ける」離隔技法(打撃技)として分解しちゃってることから、結果、自分の右手首を自分の左手で掴んで引き寄せるなどという、非現実的な分解動作の解説になっているように思えてならないのである。


 まあ、空手道の世界では、私は単なる町道場・一般部の有段者なので、講習の際には黙っていましたけども・・・。

 しかし、武道歴28年の武術・武道人という立場から言わせてもらえば、もしこの分解解説があえて正しい技を隠しているということでなければ、逆手をはじめとした柔術系接触技法に対する無理解ゆえに、先人が伝えた形本来の合理的な分解が、ゆがめられているとしか思えないわけです。

 それにしても、仮にも全空連の高段の先生方や、教範を編纂された中央技術委員会の著名な先生方が、この程度の日本武術に普遍的な逆手の用法もご存知ないとは、とうてい思えないのだが・・・。

 隠し技にしているとか?

 それとも、教範や地域の講習は、あくまでも一般向けなので、あえてそこまで教えないで、なんとなく挙動をなぞるような分解を指導しているとか? 

 それよりなにより「小手捻りの逆手とり」なんて、柔術ではイロハの「ロ」ぐらいの技で、隠すほど大層なもんじゃあないんだけどもねえ・・・。

 いや本当に、謎は深まるばかりです。

 (了)

※1
すばやく引き戻される、相手の突きを掴むには?
指先をそろえて曲げ、手形を熊手状にし、相手の袖の肘あたりを指で引っ掛けるようにして掴め!
つまり、腕(身体)を掴むのではなく、袖(衣服)を指先で引っ掛けるのである。
こうすると、相手の引き手が鋭いほど、しっかり袖を掴むことができる!
・・・という、古流の口訣がある。
組手の際にでも、お試しあれ!
ただし、爪は短くしとうこうネ。
長いと、生爪はがすヨ。
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書をご寄贈いただきました/(身辺雑記)
- 2009/09/14(Mon) -
 先日、ご厚誼をいただいている無冥流の鈴木崩残氏より、書をご寄贈いただきました。

 素晴らしい作品の数々、本当にありがとうございます。

 この場を借りまして、改めてお礼申し上げます。

 また、崩残氏の「禅書道」については、下記ホームページ「無明庵・梅の間」をご参照ください。
 http://www.mumyouan.com/k/umenoma.html


 さて、それでは逸品の数々、ご覧くあれ!

翠月庵
▲当庵の名称「翠月庵」。道場の看板代わりに、掲げておこうと思います




雨月
▲雨上がりの空に浮かぶ月、「雨月」




戦機
▲「戦気、寒流帯月澄如鏡」という武蔵の書から”戦気”という言葉を選びましたが、崩残氏
  が、「気」を「機」と書き換えられました。「戦気」から「戦機」へ。奥深いものです




月影
▲冴えた青い光、「月影」




晴嵐
▲晴れた山すそを流れる霞、「晴嵐」


 また、崩残氏が筆をとる姿を拝見していますと、あたかも白い紙の上に、自在に太刀が舞うような、優雅な気品さえ感じられました。

 武蔵の書画を引き合いに出すまでもなく、見事な筆跡は、見事な太刀筋と同質です。


 その点、私の手筋の悪さといったら・・・。

 四十路ともなると、生来の悪筆は治りようもありませんなあ。

 (了)



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9.11/(時評)
- 2009/09/14(Mon) -
 この週末は、9.11関連のドキュメントや映画を意識して見ていた。

 9.11という事象をどう捉え、どう理解していくのかは各人の思想や思考、人生経験などによってもさまざまであろう。

 私個人としては、民間人を対象にした無差別攻撃は、米軍だろうがアルカイダだろうが、旧軍だろうが人民解放軍だろうが、いつの時代にも変わらない武人の矜持に反した下劣な行為であり、民主主義の根幹となるべき近代的自我にも即さない愚行であると考えている。

 近代軍事学が言うところの「総力戦」の一環としての、「戦略爆撃」に代表される民間人を対象にした攻撃は、結果としてその目的達成(敵国の継戦意欲の破壊)にはなんら効果がないということは、ドイツでも、日本でも、旧ユーゴでも証明されている客観的な事実である。

 また官憲や軍しか攻撃対象にしていなかった時代のIRAが、ある程度広範な大衆の支持を受けたのに対し、無差別爆弾闘争を行って以降の彼らの行為は、単なる無差別殺人となり、結果、大衆の支持を失っていったことも理解しておくべきであろう。

 だからこそ、21世紀の民族闘争においては、アルカイーダをはじめとした旧態以前の暴力と脅迫を手段するテロ組織の愚劣さや不毛さが際立つ一方で、サパティスタ民族解放軍のような、新しい時代の知性を感じさせる民族解放闘争が注目されるのだろう。


 ところで、9.11の後、一部で「非戦」という言葉が盛んに用いられたことを、覚えている人はどれくらいいるだろうか?

 当時、私はこの「非戦」という言葉の、奇妙で、陳腐で、甘ったれた語感に、なんともいえない不快感を感じたものである。

 いかにも、いつでも当事者意識を持たない、常に安全な圏外から空疎な理念をおちょぼ口で唱えるような、ふにゃけた日本人が言いそうな言葉ではないか。

 「反戦」というなら、まだ分かる。

 そこには、戦争に反対する、という主体的な意思が感じられるからだ。

 しかし、なぜ「『非』戦」なのか?

 戦争を否定したい? 拒否したい?

 否定しようが、拒否しようが、戦争は、現実にそこにあるのだ。

 世界中の人々が、WTCが崩れてゆく様子を通して、それを知ったのではないか?

 どんなに見えないふりをしても、疾病や貧困は、まちがいなくこの世に存在しているのと同じように、戦争という害悪も、まちがいなく今、この世界に存在しているのである。

 その戦争という害悪を、「軍事力」によって防ごうとするのか、それとも反戦運動で防ごうとするのか? それはもう、各自の方法論にすぎない。

 しかし「非戦」という言葉から発せられるのは、「嫌なこと、恐ろしいことからとにかく目をそらしたい」、ただそれだけの、甘ったれた感傷ばかりなのである。

 いわば、ロハスといいながら、エアコンの効いた高級レストランで、有機野菜のサラダを食べている人々のような、偽善と欺瞞、それと同じ種類の臭いがするのだ。


 少なくとも、いくつかの紛争をこの目で見た者としては、そんなふにゃけた感傷では、戦争はなくならないと断言しておこう。

 あれから8年。

 少しは、日本人も変わったのだろうか?


 (了)
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手首の記憶/(武術・武道)
- 2009/09/10(Thu) -
 過日、抜刀術家の皆さんに掌剣術の基本を解説するのに、久々に長剣を使った逆手の技などを指導する機会があり、懐かしい思いがした。

 すでにここでも何度か書いているけれど、私は体術に関しては、13歳のときに入門した八光流柔術の稽古からはじまり、天神真楊流をごく少々、あとは剣術と抜刀術の旧師にいくつかの古流の技の抜粋をちらほら学んだというところで、30代からは、もっぱら伝統派の空手道の稽古に打ち込んだ。

 しかしそれでも、柔術系の投げたり、極めたり、固めたり、というのは独特の面白さがあるし、柔術としての当身のありようは、空手道とはまた違った妙味があるのも興味深いところだ。

 柔術の稽古となると、基本となるのは手解(てほどき)の技である。

 八光流なら「八光捕」、天神真楊流なら「鬼拳」~「振解」あたりであろうか。

 これらは、別に気とかなんとか怪しいもんではなく、心理的効果と生理学的な合理性に基づいた技であり、剣術・居合あるいは手裏剣術の人でも、これくらいは覚えておいてほしい、柔の基本中の基本である。

 そしてまた、この辺りの体術の理合と実技を、もっとも科学的かつ合理的に解説している資料が、ここでも何度も紹介している富木謙治師の名著『合気道入門』(ベースボールマガジン社/絶版)である。

 同書で紹介されている、「小手捻」と「小手返」、「腕挫」と「腕緘」系の技の基本と応用は、合気道というよりも、全ての日本柔術に共通する普遍的な技術といっても過言ではないので、武術・武道人たるもの、やっとうが本科の人でも、2~3手は覚えておいてもらいたいものだ。

 ましてや、わざわざ掌剣術を標榜し看板に挙げる手裏剣術者であれば、手裏剣を馬手(右手)差しあるいは手之内として使用する体術の応用展開で、10や20の技が取れないようでは、お里が知られるというものであろう。

 馬手差しが分からんという人は・・・・、別にいいです。一生、打剣だけしててください。


 ちなみに翠月庵では最小限度の掌剣術を学ぶことを目的として、現状では掌剣術の基本となる手解の型七本、体術に展開するための基本となる「入身の型」、「起こりの型」、「尽きたるの型」の三本を独自に編成し、稽古体系に盛り込んでいます。

(了)
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昔とった杵柄?/(身辺雑記)
- 2009/09/03(Thu) -
 最近、諸般の事情から故あって、セキリティ・・・、まあ、生々しく言えば身辺警護をまじめに考えなければならない状況に関わることが何回かあった。

 私事だけれど、その昔、某大手警備会社ア●ソックの社員として3年ほど勤務していたことがあり、ま、モロモロのめぐり合わせもあって、40年も生きていると、そんな剣呑なことも、ごくごくまれに、あるわけです。


 さて、現代社会において警護などを考える場合でも、基本的に武術や兵法と同様、「最悪事態」に備えることが基本である。

 警護における最悪事態は、銃器対応ということになるのだけれど、銃器が氾濫している海外と違って、日本国内ではあまり現実的ではない(最近は、それでも多いというけれど)。

 日本でもっとも留意しなければならないのは、やはり刃物である。

 といっても、打刀や脇差などを持ち歩くストーカーや粗暴犯、薬物中毒患者などというのはほとんどいないのは、言うまでもない。

 主な対象となるのは、ナイフや包丁といった、日常的な刃物である。

 一方で、日本では司法警察官など法執行機関の職員以外、民間人には逮捕や拘束などの特別な権利はないので(※1)、たとえ頭のいかれたストーカーが刃物を持って女性を追い掛け回していたところに遭遇したからといって、たまたま手元にあったレミントンM870でストーカーの右足を吹っ飛ばすというわけにはいかない・・・、ま、当たり前ですね。

 つうか、普通、手元に散弾銃はないわな。


 よって、その事案の警戒対象が刃物をもっている蓋然性が高い場合でも、我々民間人(警備員も含む)は、銃器はもちろん、殺傷力の高い刃物などで武装することはできないわけです。

 一方で、アドレナリン全開で出刃包丁を振り回すヤク中や、刃渡り30センチの牛刀を持っているストーカーなどに対応しなければならない場合、素手で立ち向かおうという武術・武道家、あるいは警備職員がいるとすれば、そいつはただの馬鹿者である。

 そういうわけで、このようなケースで我々一般人が使用できる有効な警戒用具となると、警棒(警備業法上では『警戒棒』という)と催涙スプレーということになるわけだ(※2)。

 ちなみにスタンガンについては、密着しないと使用できないのと、心不全の既往のある相手に使用した場合の予後が不安なので、私個人としては、警備・護身用具として利用価値をあまり認めない。

 できれば、警戒棒と催涙スプレーは併用したいのだけれど、催涙スプレーはミストタイプだと、風向きをはじめ、狭い場所や気密性の高い室内などでは、自分や警護対象者が被害を受ける可能性もあり、雑踏では無関係の人に被害が及ぶので、いささか使いにくいものだ。

 というわけで、結局、消去法で警戒棒しかないなということで、押入れの道具箱をあさってみたのだが、手持ちの特殊警棒が、どうにも見つからず、こまってしまった。

 考えてみれば、10年ぐらい、触ってなかったしなあ・・・。

 今回も、まず警戒棒を使うようなことにはならないだろうけれども(※3)、情況がさし迫っていたので、「はて、どうしたものかな・・・」と。

 いや、新調すればよいんだろうけどもねえ、10年に1回、持ち出すかどうかというような代物を、改めて購入するのものなあと。そんな金があったら、新しい稽古用の手裏剣がほしいわけです、私としては。

 なお、こういう時には、手裏剣はまったく使えない代物です。

 どう考えても過剰防衛だし。

 現実的な護身具や警備用具にはなりませんね、手裏剣は。


 とまあそんなわけで、今回しみじみと思ったのは、21インチ以上の特殊警棒と、液状タイプの催涙スプレーくらいは、一応、普段から用意しとかないといかんな、ということであった。

 ま、めったにないことなんですがね、ホントに。


※1
現行犯逮捕は民間人でもできます。ただし手錠をかけたり、ロープでしばったりすること、つまり拘束する権利は警備員も含む民間人にはありません。

「じゃあ、暴れてる窃盗犯とか、どうしたらいんですか?(若き日の私)」
「だから、木製警棒でぶん殴って、おとなくなってもらうんだよ(某ベテラン警備隊長)」
「はあ・・・(若き日の私)」
「あと、三段式の特殊警棒は、すぐ曲がるからな。ここ一番って時は、木製警棒もってけよ(某ベテラン警備隊長)」

 と、私は教えられた。

 まあ実際のところは、正当防衛や緊急避難が適用される範疇のなかで、相手を一時的に拘束しても、罪は問われないだろうけれども。

※2
施設などに備え付けておくという前提であれば、(骨董品ではない)警備用の刺又が最も有効であろう。最近は、学校などにも備え付けられているとか。一本3~4万円くらいで売っているらしい。これを使って、3人1組(首、胴、刃物を持つ手、と3箇所を押さえる)で、相手を取り押さえるのが最も現実的である。

※3
なお、警戒棒(特殊警棒含む)は、あくまでもその使用に熟練した者、あるいは剣術や剣道、体術など、警戒棒の使用に十分な応用のできる技術をもっている者が使って、初めて効力を発揮するものである。シロウトサンがもっていても、単なる棒っこに過ぎないので、過信しないようにネ!

 (了)
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