刀法併用手裏剣術専用剣のトライアル その1/(手裏剣術)
- 2009/11/29(Sun) -
 現在、翠月庵では、初学者の教習用&全距離対応の基本的な剣として無冥流の長剣を正式採用している。さらに中級者の稽古課題として、同じく無冥流の重量剣(穴あきタイプ)、そして上級者には軽量剣での稽古を体系づけている。

 その上で当庵の手裏剣術の稽古では、最終的には剣術や居合・抜刀術と手裏剣術を併用する刀法併用手裏剣術を、最上位のカリキュラムとして位置づけている。

 それでは、この刀法併用手裏剣術では、どのような手裏剣を用いるべきか?

 もちろん、それは本質的には長剣でも穴あきの重量剣でも、軽量剣でも、伝統的な古流の手裏剣でも、なんでもよい。しかしながら、曲がりなりにも手裏剣術を表看板とする当庵としては、ここで刀法併用専用として、独自の剣を採用したいと常々思っていた。

 それでは刀法併用手裏剣術に用いるための手裏剣の要件とはどのようなものであるか。これは私自身のこれまでの経験から、下記のように考えた。

1) 実用間合は3間以下
2) 最大射程は4間程度
3) 狙う場所は相手の顔面または咽喉部のみなので、布を貫く貫通力は不要
4) あくまでも打剣の前後に剣術や体術など、他の武術と併用して相手を制圧することが前提
5) 携帯性も重視。

 以上、5点である。この要件は、ある意味で、これまで私が再三、論考してきた、刀法併用手裏剣術の根本的な戦略・戦術理論に基づいたものである。

 それでは、上記5つの要件を満たす剣の具体的な数値はどのようなものとなるか? 私が最初に考えたのは、以下のようなものである。

A)全長200ミリ
B)重さ65~80グラム
C)一辺8~9ミリ
D)形状は四角または多角形
E)剣尾に穴はあけずに、単純の先端を削っただけ

 こうした数値は、単に私個人の経験から導き出したというわけではない。これまで、当庵では、何人かの剣術家、居合・抜刀術家の方に手裏剣術を指導させていただいた経験があるが、そのなかでも多くの人が、「全長200ミリ、重さ55グラム、一辺7ミリ、四角」というサイズの軽量剣について、口をそろえて「遣いやすい!」と証言されてきたという経緯がある。

 この点もかんがみて、まとめた要件と数値が、上記のものだ。


 さて、そこでいつもながらご厚誼をいただいている無冥流の鈴木崩残氏にご協力をいただき、今回、当庵独自の刀法併用手裏剣術専用の剣を、制定することとなった。

 このため、上記のような要件や数値を崩残氏にお知らせし、さらに氏の経験から助言をいただき(「複雑な手之内など考えずに打剣・刺中できる剣であるべき」など)、とりあえず3種の剣をトライアルすることとなった。各剣のスペックは以下のとおりである。

(A)20センチ/68グラム/角型7ミリの剣
(B)20センチ/89グラム/角型8ミリの剣
(C)23.5センチ/86グラム/幅10ミリ・厚さ5ミリの貫級刀型

DSC_3194.jpg
▲上から(A)の剣、(B)の剣、(C)の剣

 この3種の剣について、第1回目のトライアルを行ってみた。


■ファーストインプレッション(各50打前後)

 まず一番最初、刀法併用手裏剣術の型でもっとも多用する、2間距離から、帯刀せずに、普通に逆体で打剣した際の感想。

(A)の剣(滑走打法)
最も素直で打ちやすい。手の内はほとんど考えずに打剣可。威力(貫通力)的にやや弱いか?

(B)の剣(滑走打法)
(A)と同様に、手の内をあまり考えることなく素直に打てる。ただし、(A)にくらべて、私自身がまだこの剣に慣れていないため、やや熟練が必要。威力的にはまったく問題ない。

(C)の剣(側面打法+滑走打法)
とりあえず、縦向き(細い幅の面に指を置く)の手の内で打つも、打剣が安定せず。威力は(A)と同等か。


■セカンドインプレッション(各50打前後)

 次に3間距離から帯刀せずに、逆体で打剣。

(A)の剣(無滑走2点打法&滑走打法)
この剣は同形のものを以前から打ち慣れているため、3間でも安定した打剣となる。威力は、やや弱いか。

(B)の剣(無滑走2点打法&滑走打法)
慣れるにしたがい、刺中が安定。(A)より重いだけに、3間距離ではむしろ(A)よりも打剣が安定。威力的にも問題なし。滑走よりも、無滑走の方が刺中が安定するのは、私の腕前が原因か。

(C)の剣(無滑走2点打&滑走打法)
縦向きの手の内では、打剣が安定せず。横向き(広い幅の面に指を置く)では比較的安定。打剣の際に力が乗ると十分な刺さり具合になるが、力が乗り切らないと、威力的に不足するか。


■サードインプレッション

 4間距離での打剣。

(A)の剣(無滑走2点打法)
軽いため打剣安定せず。威力も不安定。

(B)の剣(無滑走2点打法)
安定した打剣。威力も安定。

(C)の剣(無滑走2点打法)
横向きの手の内で、かなり安定した打剣となる! これはちょっと意外であった。威力的にはやや弱いか?

※ここまでの段階で、それぞれの剣を各150打ほど打つ。この時点で、もっとも感触がよいと感じたのは(B)の剣、ついで(A)であった。(C)については、この手の短刀型を私が打ちなれないこともあり、正直今ひとつかなと感じた。


■刀法を併用して。順体、逆体、引き足などで打剣。距離1間半~3間

(A)の剣
これは、以前から使い慣れたサイズの剣であり、まったく問題なし。非常に安定している。ただし威力的にやや弱いかとも感じるが、それはスピードで補えるかと。通常、刀法を併用する際、手裏剣は袴の前側に3~6本はさんでおく。この際、重量剣や長剣だと、重さや大きさが気になってしまうが、この剣ではほとんど気にならない。

(B)の剣
(A)と同じ角型のシンプルな剣なので、打剣に慣れるにしたがい、刺中も動きも安定。威力的にも申し分なし! (A)の剣の場合、やや軽いため距離3間になると、私の場合、刺中が安定しなくなることがあるのだがこの剣は重さが適度なので、やや速度は落ちるが、3間でも安定した刺中となった。

(C)の剣
やはり、最も打ちなれていない形状のため、縦向きでも横向きでも、刺中は安定せず。むしろ横向きに手の内を統一したほうが刺中が安定。ただし、これは剣のせいではなく、打ち手(私)に原因がある。当然ながら、慣れるほどに刺中は安定。威力的には、(A)の剣と同等。袴にはさむ際の感覚は、3種の剣の中で一番自然で、携帯性は抜群!


■トライアル初回の総括

 今回のトライアルでは、最も打ちやすかったのは(A)のタイプであった。これは当然の結果で、なにしろ以前から同型同サイズの剣を使っているので、体で打剣を覚えていたからであろう。

 このため(B)の剣も、(A)のスケールアップ版であるから、すぐに慣れた。また威力的に(A)はやや不足かなと思う点を、この(B)の剣は十分に補っているので、打剣の安定度、威力ともに、十分満足できるものであった。

 さて問題は(C)の貫級刀タイプである。これは、まずその形状が、私個人がいままでほとんど打ち慣れていない形状であり、それだけで(A)や(B)に比べると、打剣の安定度が落ちる。これは剣のせいではなく、打ち手である私の側の要因である。このため、今回のトライアルでの評価は低くなったが、今後、この剣での打剣に習熟することで、評価が大きく変わる可能性がある。

 また、この(C)の剣は、横向きの手の内で3~4間で打つ場合、非常に安定した打剣となった。さらに1間半~2間の縦向き手の内でも、テスト終盤、打剣に慣れるにしたがって、刺中が安定し、(A)や(B)の剣と、ほぼ遜色のない的中率となった。

 このように、今回のトライアルでは、私自身の慣れという点+威力という観点から、

1位/(B)の剣
2位/(A)の剣
3位/(C)の剣

 という評価となった。

 ただし繰り返しになるが、とにかく(C)は、その形状が、私が打ち慣れていないものだけに、現時点での評価が低くなっているということである。

 一方で、携帯性、3~4間(横向き)での刺中の安定性、形状の独自性という点で、この(C)タイプは捨てがたいところがある。

 いずれにしても、今回のトライアルはあくまでも初回で、各剣それぞれ200~300打程度しか使っていないので、今回の結果だけで、どの剣を正式採用、ということは断言できない。

 このため最低でも、あと2~3ヶ月、継続してそれぞれの剣を使ってみて、最終的な結論を出せればと思っている。


■補遺

 さて、今回テストした3種の剣は、いずれも無冥流の鈴木崩残氏と翠月庵主・市村が共同で、当庵の刀法併用手裏剣術専用の手裏剣を製作・制定しようという試みの一環として試作・試打を行ったものである。

 このため、上記に公開している剣のスペックは、いずれも当庵オリジナルのものであり、2009年11月29日現在、伝統流派にしても現代流派にしても、上記と同じスペックの手裏剣を正式に採用し、現時点で稽古・教習に使っているという武術・武道の流儀や会派は存在しないはずである。

 この事実は、あえて本論の文末に、明記しておいてよいかと思う。

  平成21年11月29日
      市村翠雨 謹識


(了)

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ゲルマニアの刃/(身辺雑記)
- 2009/11/28(Sat) -
 昨年、母国であるドイツへ帰国した翠月庵の会員第一号であるSさんが、今日、1年ぶりに稽古会に復帰された。

 それだけでもうれしいことであるが、庵主へのお土産として、ドイツの伝統的なナイフを贈呈してくれた。

DSC_3190.jpg


 素朴な刀身やヒルトのつくりは、かつてローマ軍を撃退したゲルマニアのトイトブルクの森の戦い(Varusschlacht)を彷彿とさせる、質実剛健、味わい深いものである。

 国境を越えてもつながる武術と人の縁。

 なによりも、尊いものです。

 Sさん、ありがとう!
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刀法併用手裏剣術のための専用剣の試作&テストの開始/(手裏剣術)
- 2009/11/26(Thu) -
 無冥流の超絶的な「無心剣」の妙技です。
 http://www.youtube.com/watch?v=K6aro8ZjpiU

 手裏剣術者であれば、一見の価値がある記録です。


            ※  ※  ※  ※  ※  ※


 掲示板を読んでいただいている方はすでにご承知かもしれませんが、今週末から、刀法併用手裏剣術に使う専用の剣について、試作品の検討を開始します。

 剣の製作については、無冥流の鈴木崩残氏にお願いし、私の考える寸法や内容を元に数タイプを、さらに崩残氏の提案で他のタイプの試作品も提供していただいたものです。


 刀法併用手裏剣術専用の手裏剣の要件とは、

・実用間合は3間以下
・最大射程は4間程度
・狙う場所は相手の顔面または咽喉部のみなので、布を貫く貫通力は不要
・あくまでも打剣の前後に剣術や体術など、他の武術と併用して相手を制圧することが前提
・携帯性も重視。

 という観点から、必要最小限の重さと長さ、最低限の殺傷力を、私なりに考えたものです。

 これに崩残氏のこれまでの手裏剣製作と実技経験から、助言を加えていただき、いくつかの試作品を製作していただきました。

 試作品の具体的な寸法等については、後日、テストレポートをまとめる際に、詳細に報告しようかと思います。

 (了)
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文豪と剣/(武術・武道)
- 2009/11/19(Thu) -
 今、とある出版社の仕事で、明治~昭和時代の偉人たちに関するの評論集の一部を書いている。

 その中の一人に、三島由紀夫があり、改めていろいろ資料をあさっているところだ。

 三島といえば、「いちおう」剣道五段。

 居合もたしなんだ「らしい」。


 しかし、武道界および文壇での三島の剣に対する評価はひどいもので、いわゆる古流で言うところの「義理許し」の類であったようだ。

 たとえば同じ文豪剣客ながら、幼少から撃剣に励み、木太刀でヤクザ者をフルボッコにしたこともあるという立原正秋(剣道四段)は、三島の剣を「文壇囲碁の名誉五段のようなものであり、まことの剣の道をしらぬ一介のスノッブ」とバッサリ。

 同じく作家の石原慎太郎(武道はたぶんシロウト)も、三島の剣の業前については、「へっぴり腰で、居合を抜いたはいいが、誤って店の鴨居に斬りつける始末。そんなものを無理やり見せられて、とんだ災難だった」と一刀両断。

 また剣道家でもあった政治家の橋本龍太郎(剣道六段)は、三島と試合稽古をした際、主審も副審も橋本の打突をまったくとってくれず、しょうがないので三島に打たせてやるまで試合が終わらなかったと回顧している。

 その後、三島は、ちょうど私が1歳の誕生日を迎えた日であった1970年11月25日に、市谷で腹を切って死んでしまったので、実際、彼の剣の業前が、本当はどの程度であったかは、今となっては藪の中である。

 しかし、少なくとも人前で自慢気に本身を抜いたはいいが、誤って鴨居に斬りつけてしまうというお寒い業前では、私ごとき田舎の貧乏手裏剣道場主から見ても、剣や武を語るには100万年と4日早かったと言わざるをえない。

 文豪には、かわいそうだけれども・・・。

 さらにいえば、もし三島に剣の指導をした当時一流であっただろう剣道家や居合道家の諸先生方が、ごく普通に、つまり一般の門下生に対するのと同様に、彼を厳しく指導し、彼の実力に見合った段位(三島が五段位のときの実力は、一説には段外の有級レベルだったとの証言もある)を与えていたのならどうだったであろう。

 彼なりに武道の稽古を通して己の身の丈を知り、結果として時代錯誤な侍じみた、耽美的なハラキリでの憤死など、しなかったかもしれない。

 そう考えると、ある意味では武道界の「義理許し」という悪弊が、世界的文豪を(勘違いさせて)死に追いやったともいえるだろう。

 いずれにしても、三島の早すぎる死は、世界の文学史にとっては、たいへんな損失であった。

 そして日本の武道史にとっては、いささか不名誉な逸話となった。

 今年で、三島没後39周年だという。

 昭和は遠くなりにけりである・・・、合掌。

 (了)
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エア居合VS物斬り屋という時代/(武術・武道)
- 2009/11/17(Tue) -
 無冥流「松の間」のページ(http://www.mumyouan.com/k/matunoma.html)に掲載されている、「10間投げ、よもやま話」という論考、たいへん興味深いものです。

 斯術をたしなむ者なら、ぜひ一読しておいた方が良いでしょう。

 手裏剣術における、間合と武術性の関係について、また鍛錬としての長距離打剣の意義などが、わかりやすく解説されています。

 しかし、私も結局、今年は7間直打が限界であった。ま、距離の課題は、ぼちぼち進めていこうかと思う。

                  ※  ※  ※  ※  ※  ※

 先日、とあるSNSで、小学校低学年くらいの女の子が、本身の打刀で半巻きの畳表を斬る動画がアップされていた。

 父親という御仁が、「うちの娘でも、これだけ斬れます」的なコメントをつけていたんだけれども、さすがにこれは、どうかと思う・・・・、ま、人ごとだけれども。

 コメントなど読むと、この親御さんは、居合か抜刀術の低~中段者のようだけれど、よくもまあ、師範なり指導員が、許したもんだなと。

 物斬りパフォーマンスが目的であるならべつだが、武術・武道として剣を練磨するのであれば、本身での斬りの稽古(試斬り・試物)など、年端もいかない子供にやらせるものではない。

 そんな時間があるなら、形稽古なり撃剣の稽古を、18歳ぐらいまでみっちりやらせるべきであろう。

 その上での、斬りの稽古である。

 仮に稽古者が成人であれば、稽古の方便として早い時期から斬りの稽古に取り組むのも良いだろうが、児童・生徒のような年齢の者に対する稽古としては、手の内や刀勢もままならず、なにより自身で危機管理ができない子供に本身をもたせ、試物を斬らせるなど、武術・武道としては百害あって一利なしである。

 そもそも試物を斬るという行為は、いささか「魔的」な魅力があるだけに、本来、武術・武道の稽古では、その取り組みは慎重であるべきものだったはずである。

 しかし、その結果として昭和時代後半には、「絶対に試斬はしない」という、極端なエア居合系の師範連が増殖してしまい、これはこれで、武術・武道としては言語道断の妄想剣術・妄想居合の類が広がってしまったのも、また事実である。

 おそらくこうした潮流の反動として昭和末期から平成以後、特にここ15年ほどの間、古流にせよ現代流派にせよ、試物を斬ることに積極的な流儀・会派が増えてきたように思われる。

 それはそれで個人的には、エア居合・エア剣術に比べれば良いと思うのだが、しかし一方で、本来稽古の方便だったはずの試物が目的になってしまえば、それはたんなるモノ斬り職人製造術にすぎない。

 なにしろ、畳表や竹は動いたり、反撃してこない。

 斬られて血を流したり、打たれて指を折ったりもしない。

 怒りや痛み、恐れや侮りを畳表や竹は感じないし、対する術者にも、それを感じさせない。

 (ま、「試物に飲まれる」というのは、人によってはある)

 いずれにしても、こういう偏った稽古法が、試物なのである。

 ゆえに技術的にも人格的にも未成熟な者が、「斬る」という魔的な魅力に耽溺してしまうと、結果として人格がゆがんでしまう危惧があるのである。

 特に未成熟な児童・生徒の場合、生育に悪影響を及ぼしかねないわけだ。


 こうした点から考えても、武術・武道の目的が、「武技の鍛錬を通しての人格の涵養」だと標榜するのであれば、児童・生徒にあたるような年齢の子供による試物の稽古など、即刻やめるべきである。

 「いや、うちは躊躇なくヒトもモノも斬れる人殺しを育てているので・・・」というなら話は別であるが、おそらく公にそう主張する武術・武道の流儀・会派は、現在の日本には存在しないであろう。

 たぶん・・・。

 子供たちに対しては、試物の稽古に使う時間と労力を、武術・武道の芯となる実学としての礼法、そして形稽古や撃剣の稽古、あるいは兵法古典の学習にあてるべきだ。

 その上で、武術・武道の基礎的素養はもとより、地域で暮らす社会人としても成熟してきた年齢(おおむね18~22歳くらいか)になってはじめて、本身で試物を斬る斬りの稽古に取り組むのが、現代社会でのまっとうな武術・武道の練成であろう。


 形骸化したエア剣術・エア居合が蔓延するのも困りものだが、逆に人格の偏った物斬り屋が武道家面する世の中というのも、それはそれで、いささかげんなりする浮世というものだ。

 しかし、そういう時代に、われわれ平成の武術・武道人は生きているということである…。

(了)


追記

 なおちなみに、手裏剣術の稽古においては、エア手裏剣はありえないことは言うまでもない。

 ゆえに、児童・生徒に対する手裏剣術の指導という点は、斯界の関係者が、しっかり考えて対応しなければならない課題なのである。また、この問題については、稿を改めて記述する機会もあろうかと思う。
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無冥流の演武ダイジェストと、ラルフ氏の新作DVD/(手裏剣術)
- 2009/11/12(Thu) -
 先日、無冥流の鈴木崩残氏より、同流の演武ダイジェストのDVDと、ラルフ・ソーン氏の新作DVDをいただき拝見した。

 まず、ラルフ氏の新作の所感から述べると、前回のDVDは、どちらかというとデビュー作的、あるはプロモーション的であったのに比べ、今回のDVDでは、イントロダクションからレベル1~4まで、段階的に、同氏のナイフ・スローイングの技術と体系を解説されていたのが印象的であった。

 また、レベル4では、対人攻防のレッスンとして、靴下を丸めたもの(!)を使ってのスローイングナイフ版ライト・スパーを行っていた。これは無知な人や、投擲武器をしらない武術・武道人が見ると、一見、子供っぽい遊びのようにも見えるかもしれないが、実際には、たいへん重要かつ有意義なメソッドである。ちなみに、翠月庵では、無冥流と同様に、棒手裏剣を模した模擬手裏剣で、地稽古を行うよう体系づけている。

 また、前作同様、ラルフ氏のナイフ・スローイングは、とにかくその精度の高さ、変化打ちの多彩さにおいて、すばらしいものである。

 残念ながら、字幕などない完全英語版であるが、手裏剣術はもとより、投擲武器を扱う者であれば、一見の価値があるといえるだろう。


 次に、無冥流の演武ダイジェストDVDについて。

 収録されている映像は、これまでyou-tubeで公開されてきたものであるが、10間打ちや多本打ち、超精密打剣など、同流・崩残氏の超絶的な演武の数々を、改めてまとめて拝見すると、同じ手裏剣術をたしなむ者としては、その技術の高さには脱帽するばかりである。

 市村おもえらく、現在、日本で手裏剣術をたしなむ者のなか、直打での10間打ちを実際にできる手裏剣術者は、はたして何人いるだろうか?

 当然ながら、口で「10間通す」とのたまうだけではなく、実際に打てる人、通せる人である。

 おそらく、10人もいないであろう。

 直打という技術を駆使する日本の手裏剣術において、その技の限界に挑戦するという意味で、10間を通すということは多くの手裏剣術者の夢であり、斯術の極みである。

 私とて、現在、7間直打で刺中率1割程度が最大距離である。

 こうした意味からも、崩残氏の10間打ちの業前は、手裏剣術者であれば、1度は見ておきたいものだといえよう。

 また、飛刀術の精度、速度、威力も、さすがにこの技術の先駆者だけに、その業前はすばらしいものである。

 このように、本DVDは、無冥流の超絶技法が満載であり、たいへん見ごたえのあるものであった。


 末尾ながら、貴重な映像資料をご寄贈いただいた崩残氏には、改めて御礼申し上げます。

 (了)
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気合に関する、とある西洋人の証言/(武術・武道)
- 2009/11/10(Tue) -
 先日掲載した、「【新訳】早縄 活法 拳法教範図解~その2」の中の、気合に関する記述の補遺。

 昨日、たまたま目を通した『フロイスの日本覚書』(松田毅一、E・ヨリッセン著/中公新書)に、以下のような記述があった。

     「われらにおいては、言葉を発しないで撃剣仕合いをする。日本人は(縦に)斬りつけ
      たり横に斬りつけたりするたびに一声叫ばねばならない」(p110)

 今から400年以上前の1585年6月14日に、ルイス・フロイスはこう記している。

 有声の気合か無声の気合か? これは東西の比較文化論としても、たいへん興味深い。


 
 
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【新訳】早縄 活法 拳法教範図解~その2/(武術・武道)
- 2009/11/08(Sun) -
※本稿の凡例
 太字:原文意訳
 細時:意訳者の注


■体勢図解

 すべて柔術の教えは体勢(体の構え)が基本となる。稽古をするときには常に、体勢が崩れたり乱れないようにすることが重要である。これは心得だけではなく、実際に体勢作りができていないと、不意に技を掛けられたりした際に、その効果は発揮できない。

 体勢の法にいわく、まずまっすぐ立ち、口を結んで胸をひらく。両手をたらして親指を手のひらに握りこみ、腰を張り下腹に力を入れて十分に気合を込めて構える。これを「真之位 その一」と称する(図1)。
無題2
▲図1 「真之位 その一」


 歩くときも稽古をするときも、必ず左足から進みだすこと。


   市村いわく
 
     親指を握りこむ形の拳形は、柔術の当身ではよく見られるものである。この場合
    の当身は、あくまでも投げ技や関節技につなげるための「仮当て」であり、空手道
    のような一打必倒を目的とするものではない。そこで、むしろ親指をとられて折ら
    れることを警戒し、このような拳形となる。その際、あまり深く親指を握り込みすぎる
    と、指の付け根の関節を痛めるので、浅めに握りこむこと(写真1)。

    ken.jpg
    ▲写真1 親指を握りこんだ拳形


     また、この場合、当身の後、すぐに投げや固めに移れるよう拳はあまり固く握らず、
    腰の切れで体幹の重心を送るようにして当てることがポイントである。


 また、拳法の形は警察官のための形なので、サーベルを装備して稽古すべきところだが、町道場などでは木刀を使う。

 木刀が必要になる形は、1本目の「柄取」、2本目の「柄留」、三本目の「柄搦」、以上3つの形である。また4本目の「見合取」では、受け方の使う武器として小太刀の木刀を使う。

 柔術は「速気」、「気合」、「勇気」の3つの「気」をもって、発声(掛け声)を掛けることが大切である。掛け声は、自分(取り、形の中で勝つ側)からは「陽の声」として「エイヤ」と発声する。一方で相手(受け、形の中で負ける側)は「陰の声」として「オー」と答える。

 我の発する「陽の声」は、形を演武する際、相手と向かい合い、立ったまま相手を注視して下腹に力を込めて十分に「勇気」を満たし、「エイヤー!」と口を開いて声を出す。これを受けて、相手も同様に我を注視しながら下腹に力を込め、「オー!」と発声する。

 掛け声というのは、「気合」が増すものであり、武術ではたいへん重要な点なので、ここに改めて書いておくものである。もちろん流儀によっては声を出さない「無声の掛け声」もあるのだが、ことに初心者については、有声の掛け声が重要となる。

 いずれにしても武術には、「エイヤ」、「ヤー」、「トー」、「エイー」など、剣術、柔術、居合、棒、なぎなた、そのほか投げを打つ、当身を打ち込むにも、発声をするべきものである。


    市村いわく

     現代の武術・武道稽古において、「なぜ、気合(掛け声)が必要なのか?」、「ボクシン
    グやキックボクシングでは掛け声をしながら打撃はしないが?」、などという質問を初学
    者から受けることがある。さてその際、いったい何人の指導者が、その合理性を分かり
    やすく説明することができるだろうか? 

     「ぐだぐだ言わずに、でかい声を出せ!」という指導では、指導者のお里が知られると
    いうものである。

     100年以上前の段階で、すでに同様の質問に対する回答を、まず武術指導書の冒頭
    にもってきた、井口ら先人の指導方針に想いをいたすのは、われわれ平成の武術・武道
    人の務めでもあろう。

     なお、気合(掛け声)の武術的な意義については、本ブログのバックナンバー、「気・剣・
    体の一致のための、術技としての気合」、

    http://blog.goo.ne.jp/bugaku-club/e/95c40eeaf9c026b81f1b75b9c16d69d1

     を参照されたし。

(つづく)

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