打剣の調整/(手裏剣術)
- 2010/01/31(Sun) -
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▲小柄型片刃手裏剣

 ここしばらく、刀法併用の手裏剣術、ひいては当庵の制定剣の策定について、トライアルを進めていることは、すでに本ブログにも記してきたが、現在も、トライアルは継続中である。

 それにともない、最近は多種多様の剣をとっかえひっかえ使って稽古していることから、また刀法併用手裏剣術の際の間合が、1間半~2間半と、ごく近距離であるということもあり、正直に言うと、3~4間ので直打の精度が落ちているなと実感していた。

 そこで、「改めて3~4間での直打の精度を上げなければ!」というのが、この冬の自分自身の課題になっている。

 なかでも、上の写真のような平べったいタイプの剣の場合が、とくに精度が悪いので、さて困ったもんだ・・・、やはり断面が正方形の四角タイプでないとだめかなあ・・・、とも思っていた。

 そんなとき、無冥流・鈴木崩残氏のページ「松の間」(http://www.mumyouan.com/k/matunoma.html)にて、「1本打ちの際の確認項目」という記事が掲載されているのを拝読、昨日の稽古では、これを踏まえて改めて小柄型片刃タイプの剣をじっくりと打ってみた。

 その結果、かなり良好な結果を得ることができ、3~4間の精度の低下というスランプから脱することができそうである。


 思うに、私の場合、通常の四角の剣の場合、人差し指と薬指、そして親指の付け根の3点で剣を保持し、中指を力点として剣を飛ばしている。しかし、この小柄型の剣の場合、剣が平べったい形であることから、写真のように親指と中指で剣を保持し、人差し指を力点として剣を打つことになる。

 このような「人差し指を中心とした手の内」に慣れていないという違和感から、結局は、指置きと剣底の位置、手首の角度、手離れの位置、力加減など、すべてがばらばらになっていたようである。

 そこで、崩残氏の挙げられている項目を念頭に置いて、セルフチェックをかけながら、1本ずつ丁寧な打剣を心がけてみたというわけだ。

 こうしてみると、たとえば普段から会員の皆さんには口をすっぱくして「剣の重心位置と力の作用する点を正しく把握すること。そのために、特に手の内では剣尾の位置に注意するように!」と指導しておきながら、この小柄型の剣を打つ際には、自分がまったくなっちゃあいなかったわけである・・・。


 そこで今回、じっくりとセルフチェックをかけながら打剣を進めると、10分ほどでかなり精度が上がりはじめ、約2時間の稽古終了間際には、かなり満足できる打剣を得られるようになった。

 正直なところ、この小柄型手裏剣は、携帯性の良さ、小柄型という造形的な魅力、製作の簡便さ、コストの低さなどから、相当な好印象をもっていたのだが、その実、実際に打ってみると、四角型の剣に比べ、精度や的中率がまったく振るわなかったため、「やはり当庵の制定剣にするのは無理かな・・・」と、あきらめつつあったのである。

 しかし、昨日の稽古の結果、3~4間でも他の角型剣とまったく変わらぬ十分な精度を得ることができ、かつ刺さり具合なども申し分なく、さらに、むしろ人差し指中心の打剣に慣れると、この平べったい形が、剣術や居合の手の内である「斬り手」によくなじむのではないだろうか? と思えるようになってきた。

 つまり制定剣トライアルでは、俄然、この小柄型の剣の可能性が上昇してきたのである。

 しかしこれも、つまるところは、私自身の手の内の良・不良に左右された結果であり、本来、剣そのもののポテンシャルには変化はないことを思うと、己の未熟さを反省するばかりである。


 というわけで、改めて貴重な示唆をいただいた鈴木崩残氏に、この場からお礼を申し上げるとともに、さらにトライアルを慎重に続けていきたいと思っている。

(了)

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【新訳】早縄 活法 拳法教範図解~その4/(武術・武道)
- 2010/01/28(Thu) -
※本稿の凡例
 太字:原文意訳
 細時:意訳者の注


■柄取


捕(勝つ側)は木太刀を帯刀して進みでる。受(負ける側)、取ともに気合を十分に満たして歩み寄り、自然体で相対する。(互いの間合は、一歩踏み込んで手が届く程度)

双方同時に、左足を30センチ超ほど左斜め後方に引き右半身となる。捕は左手親指で木太刀の鍔を押さえ、下腹に力をいれて構える。

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受は、右足を一歩踏み出すと同時に、捕の柄を両手でつかみ、左足を引きながら(寄り足)木太刀を引き抜こうとする。

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受の動きにあわせ、捕は右足を一歩踏み込み右の手刀の指先で、受の目を横から払うように「霞(目潰しの当身)」を入れる。

受は、捕の霞をよけるために左へ顔をそむける。

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捕は右手で自分の木太刀の柄を下からつかみ、やや腰を沈めるようにして柄頭を、自分の右膝へ引きおろすようにして、受の体勢を崩す。

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捕は右手で受の左手を甲の側からつかみ、左に転身して右足を自分の左足に寄せて両足をそろえつつ、木太刀の柄部分を自分から見て、反時計回りにまわし、受の左手首を極める。

この際、自分の左手は、木太刀の鍔をしっかりと抑えておくこと。

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捕は左足を大きく引いて身体を左に開くと同時に、受けの手もろとも木太刀の柄を下げ落とし、投げ放つ。
受けは受身を取りつつ起き上がり、互いに残心をとる。

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この技は、受の手首が極まっているために投げ放つことができるものであり、稽古時には捕も受も無駄な力をいれたりせずに、気合と技の理合で、技をかけることが重要である。これは、その他の形も同様である。

なおこの形は、天神真揚流と真蔭流を修正した形であり、久富鉄太郎先生と今泉栄作先生と著者・井口松之助の演武を図としたものである。




 市村いわく

 警視流拳法の1本目、柄取の形である。

 警視流の形では、1~3本までは、帯刀した状態で相手を制する、いわゆる「柄捌き」の形となっている。

 この技のポイントは、柄を下げて相手を崩し、崩されまいと踏ん張る相手の力を利用して柄を回して、相手の手首を逆に極める点が第一である。なおこの極めは、現在の合気道で言うところの二教の手首逆と同じ状態(手首の小指側を極めることで、肘関節と肩関節も極まっている)といえば分かりやすいだろうか?

 もう1つは、手首を極めた状態のまま柄を斜め下方向に押し下げることで、極めるのではなく投げ放つ、いわゆる投げ捨てで終わるという点にある。

 実際に試してみると分かると思うが、単に手首を極めて制するよりも、手首を極めたまま、相手を柔らかく投げ捨てるには、柄を通した力を、相手の手首→肘→肩→体幹に伝え、制しつつ崩し、投げ捨てるという点に習熟しなければならない。

 なお力任せに柄を下げてしまうと、逆に相手の手首が裏返ってしまって極めがほどけ、相手から右裏拳や右肘当てなどの反撃を受けてしまうので、「制しながら極めつつ投げ捨てる、適切な力の方向とは?」、という点に習熟することが大切である。

 このため受は、稽古の上では無理に踏ん張ったりせずに、柔らかく捕の技を受けてやり、より効果的な極めと投げの方向を、捕に学ばせようという姿勢がなければならない。

 ゆえに、受=剣術で言うところの打太刀(負ける側)は、上位者が受け持たなければならないのである。

 指導者や上位者が、ばったばったと下位者を投げ捨てるような稽古は、本来の日本武術・武道の伝統的な指導法からは逸脱していることにも留意されたい。

 こうした点も踏まえてか、著者の井口は、「力任せに稽古をするな」とくどいほど強調している。

 ちなみに、投げ捨てた後は、彼我の間に十分な間合ができるので、形の想定としては、もし投げ放った後でも受に敵意があるのなら、捕は抜刀して斬ればよいというのは、言うまでもない。


 いずれにしてもこの形は、警視流の1本目にふさわしく、当身からの崩し、手首逆を極めるための運足、引き足で体を開くことによっての投げ捨てなど、日本柔術らしい合理的な身体の運用がよく表れているといえよう。

 ちなみに関口流(天羽流)柔術の柄捌きのひとつ「柄落」という形は、これとほぼまったく同じ動きを座技で行っているのも興味深い。

 (つづく)

参考文献
『図解コーチ 合気道 技法の修得法』(植芝吉祥丸/成美堂出版)
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上州建築写真紀行/(旅)
- 2010/01/21(Thu) -
 本日は、某ガイドブックの取材で、桐生~大田~伊勢崎あたりで建築紀行・・・。

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 まずは重要文化財である明治時代建築の洋館へ。重文にもかかわらず、館内に喫茶店があるのは、ちょと珍しい。そして、ここのコーヒーはなかなかうまい。


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 当時の大工がバラの花の実物を知らなかったため、想像で刻んだバラの彫刻。いわば、日光東照宮の「想像の象」の花バージョン。狩野探幽も驚き・・・かどうかは知らない。


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 大正時代に建てられた洋館の中での取材風景。まじめに撮影中のモデルとカメラマンを、さらに背後から激写するのんきなライターは、私デス。


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 鬼瓦・・・。


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 大田のB級グルメは焼きそば。静岡県人としては、富士宮焼きそばに義理もあるのだが、こちらも美味。特盛り(肉付き)500円。学校帰りに駅前の店で食べたような、ノスタルジックな昭和の味わい。


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 伊勢崎版の「時の鐘」。ディヤルバクルのモスクのミナレットではない、念のため。


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 県庁32階から眺める前橋市街。足がないので手持ちf5、1/6で撮っているので実はボケボケだが、それはまあ、ご愛嬌である。

 ところでぜんぜん関係ないが、私は群馬県人ではないけれど、上毛かるたが大好きだ・・・。

 群馬は旅人にやさしいところデス。

(おしまい)
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風雪流れ旅 '10冬 その2 さすらい旅情編/(旅)
- 2010/01/19(Tue) -
 移動すること、それが私の仕事だ・・・。

 な~んて書くと、ちょっとアメリカン・ニューシネマのロードムービーのようだが、実際のところはそんな格好の良いものではない。

 一夜を長野で明かした翌朝、町は粉雪が舞う雪模様。とりあえず、今日1日の過酷な移動と飯代節約のために、ビジネスホテルの朝食バイキングを、詰め込めるだけ詰め込む。1泊朝食付き4200円の宿だけに、朝飯の内容に期待していなかったのだが、なんとここは、本物のベーコンがあるではないか! エライぞ長野市の『ホテル日興』。

 「40も過ぎると、意外に食いだめもできんもんだ・・・」と中年の悲哀を感じながら、粉雪の舞う長野市を後に、9:03発の篠ノ井線松本行きに乗り込む。松本からは中央本線に入り、中津川で乗り換えて名古屋へ。ここからは東海道本線となり、大垣、米原を経由、京都に着くのは16:42の予定だ。

 乗り換え5回、約8時間の移動である。やれやれ・・・。

 とりあえず、京都までは記事に書くコースというわけでもないので、ぼんやり車窓を眺めるか、あるいは本を読む、そして時々、いや、しばしば寝る。

 今回の旅には、『尾崎方哉句集』(池内 紀 編/岩波文庫)、『武士道』(新渡戸稲造/岩波文庫)、『茶の本』(岡倉天心/岩波文庫)、『ヘミングウェイ全短編3 蝶々と戦車 何を見ても何かを思いだす』(高見浩訳/新潮文庫)の4冊をザックにほおりこんできた。

 一方で、取材がらみの長旅で大切なのは、いかに荷物を少なく、そして軽くするかである。ことに私のように、撮影もするし取材もするというタイプの場合、機材が重くなると取材のフットワークが悪くなる。さらにそれが、列車やバスなど、公共交通機関のみを使って移動する旅(取材)ともなればなおさらだ。

 ということで、北はアラスカ・ユーコン川から南はボルネオの熱帯雨林まで、17年間のトラベルライターとしての経験が凝縮された、究極の軽量化の結果が、「ザック1個の原則」である。

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▲軽量化の極み(笑)。3泊4日の取材旅まではザック1個で行く


 街中にしても、辺境地にしても、とにかく歩き回る取材ではフットワークが命。さらに1か所に何日も滞在する場合は、着替えや日用品は宿に置いておくことができるが、毎日移動しなければならない取材の場合は、撮影や取材の道具以外の日用品も全て持ち歩きながら歩きまわらなければならない。

 こうした場合、カメラバッグとザックの2個編成になると、実に行動しにくいのである。

 ゆえに、3泊4日までは「ザック1個」にまとめるのが原則なのだ。それも、できるだけ小さなザックが良い。なぜなら、いくら旅ものの地方取材とはいえ、60リットルとか70リットルの馬鹿でかい本格的な登山用のザックを背負って料亭とかレストランに入るのは、さすがに気がひけるというものだから。

 なお、カメラ機材を入れるための専用のカメラ・ザックもあるのだが、これはそれ以外の日用品があまりたくさん入らず、フィット感も悪いので個人的にはあまりおすすめしない。

 というわけで、17年間のさまざまな試行錯誤の結果が、上記の写真である。

 20リットルのシンプルな1本締めのリュックに、デジカメ2台、レンズ2本、レフ板1個、ストロボ1個、予備バッテリー1個、三脚、バッテリー充電器、単三電池4個、取材用資料、見本誌、ノート1冊、手帳2冊、筆記用具が収められている。これらに加えて、2日分の着替え、手ぬぐい、サバイバルキット、ファーストエイドキット、本4冊、時刻表1冊が入る。

 ちなみにサバイバルキットは、

・アーミーナイフ、マグライト(ソリテール)、ソーイングキット、絆創膏×3枚、解熱剤×6錠、滅菌ガーゼ1枚、外科用メス刃1枚、救難用ホイッスル、キャラメル3個、コンパス

 を、文庫本よりもひとまわり小さいケース(11.5センチ×8センチ×3センチ)に収めたものだ。

 これが国内及び短期海外用サバイバルキットで、長期の海外や辺境地取材の場合は(最近めっきり減ったが・・・)、これに加えて熱帯なら熱帯、寒冷地なら寒冷地にあわせた装備が追加されるので、もう少し大きなケースとなる。ファーストエイドキットには、一般的な救急用品のほか、自分の常備薬を入れ、これも小型のケースに収める。

 これだけ軽量化にこだわっているのだが、それでも長旅になるほど本はどうしても欠かせない。さすがにハードカバーを持ち歩くのは無理なので、上記のような文庫本中心の編成となる。

 ちなみに、3ヶ月とか半年の海外取材ともなると、決定的に日本語の本に飢えるのだが、たいがい持っていった本は最初の2週間くらいで読みつくしてしまうことになる。そこで詩集や句集など、何度でも読み返すことのできる本を、必ず1冊は持っていくようにしている。あとは、日本人の旅人同士で、本の物々交換をするのもいいだろう。


 ・・・とまあ、そんな旅のうんちくを解説しているうちに、列車は雪に埋もれた木曽の谷間を越え、名古屋をすぎ、予定通り16:42、夕暮れの京都に到着。あらためて長野から京都まで、丸1日かかることを実感した。

 都は遠いのう。


 京都では、おばんざいの撮影・取材。しかし約束の時間は19:30。2時間半も待つのもばかばかしいので、取材時間の前倒しをお願いしてみたところ、快く承諾してもらい、八坂神社近くにある「いもぼう」(エビイモと棒タラの炊き合わせ)が名物の老舗へ。

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▲ちょうどいま時分は、エビイモの旬


 京の正統派おばんざいを撮影&取材した後、試食。

 おいしいどすえ。

 8時間移動、1件取材の過酷な1日を終え、四条のビジネスホテルにチェックイン。そしてカップ酒を飲んでとっとと寝る。睡眠は明日の活力だ。


 最終日。

 嵐山で世界遺産の名刹を撮影&取材。そして境内にある精進料理の店で、料理撮影。ただし、ここでは試食はさせてもらえなかった。

 ま、そういう事も、時々ある。

 この場合、記事には単なるメニュー紹介だけで実際の味については記述しないか、あるいは書く場合は妄想で書かなければならない。というわけで、なるべく取材の際には、記者には試食させてほしいもんデス。とくに経費で別途食費が出ないような取材の場合は・・・。

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▲世界遺産で名園を眺める恋人たち・・・、ま、
ユージン・スミスもどきである


 こうして昼過ぎ、2泊3日の過酷な旅は終わった・・・わけではない。

 18きっぷの有効期間は今日中なので、日付が変わるまでに、各駅停車で東京に戻らねばならないのである。京都から東京まで、乗り換え9回、およそ10時間の移動。

 飛行機だったら、成田発でニューヨークを経由、ボストンに着いてるぜ・・・。

 (おしまい)
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風雪流れ旅 '10冬 その1 熱湯編/(旅)
- 2010/01/17(Sun) -
 まいどおなじみ、鉄道旅取材。

 今回は、甲斐から信濃、越後から越中、越前、そして京都まで、すべて各駅停車でめぐるというものである。

 通常、こうした記事は、主な見どころを押さえたら、あとは新幹線か車などで随時移動して、効率的に取材をするわけだが、この編集部は、「記事で設定しているとおり、完全に各駅停車で踏破してください!」という、なかなか硬派な仕事を要求するのである・・・。


 というわけで、早朝の新宿駅から中央本線を北へ。

 まずは、今年7年ぶりの御柱祭りがある諏訪へ向かう。途中、「駅弁がうまい駅」で売り出している小淵沢駅で、『御柱祭弁当』(1200円)をゲット! 豪華な2段のお重で、桜肉のしぐれ煮や信州氷豆腐、諏訪湖名産ワカサギの佃煮などなど、信州各地の名物料理が満載である。

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▲豚ひき肉のモチ米包み蒸しも美味!


 大寒波が襲来とか、天気予報でいっていたわりには天気は快晴で、雪も1~2センチ積もっているくらい。「たいしたことねえなあ・・・」と思いながら(後で、泣きをみるのだが)、昼すぎに下諏訪駅で下車。

 諏訪大社下社の秋宮や春宮、旧中仙道のスナップ撮影などを粛々と進める。とはいえ、今回の旅のテーマは「夜桜の旅」なので、メインの写真の多くは、別撮りのもの。このため、私が行う撮影はあっさりとしたものだし、取材も自分で旅して感じたままを・・・、というような全体にライトなものである。

 おかげで撮影や取材はサクサク終わってしまい、しかしスケジュールはあくまで誌面に掲載する旅程通りというシバリから、出発時刻まで、すいぶんと時間が余ってしまった。

 じゃあ、風呂でも入るかね! 

 下諏訪名物の共同浴場でひと風呂浴びてもバチは当るまい。

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▲源泉も湯量も豊富な下諏訪だけに、通りにある
宿の手水も温泉だ


 下諏訪温泉には、10軒の共同浴場があり、その多くが旅行者でも割安の料金で入浴できるのがうれしい。そこで選んだのが、下諏訪共同浴場でも、もっとも熱いという『旦過の湯』。

 男女別の内湯が各1つという、超シンプルな、正統派の共同浴場である。昭和を感じさせるタイル張りの湯船は2つに仕切られており、「湯口のある側は熱く、もう一方はややぬるい」(地元のご老人A談)とのこと。そこで、まずは温泉入浴のマナーであるかけ湯をしようと、ぬるい側の湯を桶にとり股間にかけると・・・。

 殺す気か!

 筆舌に尽くしがたいほど、猛烈に熱いのである。

 しかし、本格のトラベルライターであるこの私が、かけ湯もせずに温泉に入るのは、マナーの上でも、公衆浴場の衛生上からも、許されるものではない。お風呂に入る前には、かけ湯で必ず、あそこやおしりを洗ってから入るというのは、日本人の作法というものである。

 局部の熱さにもだえ苦しみながら、ひとり洗い場でかけ湯に苦闘している私を見るに見かねたのか、脱衣所にいた地元のご老人Bが、「あ~、よその人には無理だから。からんのシャワーでかけ湯しな」とのこと。

 そっか・・・。


 こうして身を清めたあと、意を決して「ぬるい方」の湯にチャレンジする。

 ゆ~っくり、ゆ~っくり身を沈めると、なんとか肩までつかることができるが、不用意に腕などを動かすと、猛烈な熱さで皮膚がしびれるようである。湯はナトリウム・カルシウム-硫酸塩・塩化物泉。なめると、ごくほのかにしょっぱいが、クセのない湯だ・・・といっても、まあ、とにかく熱くてそれどろじゃあないんだがね。

 それでも、しばらく我慢してつかっていると、身体が慣れてくるもので、「う~む、さすがに信玄の隠し湯、いい温泉じゃわい」などとつぶやく余裕も出てくるというものだ。

 それでは、湯口から直接、源泉かけ流し、加水・加温なしの湯がそそがれる「熱い方」の湯船へ。

 ・・・!

 やっぱ、無理である。

 膝まで足をつけて10秒、それ以上は私には不可能だ。身体に危険を感じる熱さといっても過言ではない。

 敗北感に打ちひしがれて、洗い場で呆然としていると、受付のおばちゃんが、湯の温度を測りにきた。

「何度くらいあるんですかね?」
「う~ん今日はちょっとぬるいね、47度かな」

 ぬるくねえよ・・・。


 軽い屈辱感にさいなまれながら『旦過の湯』を出るも、列車の出発まではまだ30分もある。雪こそ降っていないが、風花の舞う門前町はたいへん寒く、かといってコーヒー代どころか食費さえも経費では出してもらえない過酷な取材ゆえ、寒さしのぎに喫茶店で時間をつぶすこともままならぬ。

 ならば、もっぺん温泉だ!

 ということで、今度は『旦過の湯』と同じ旧中仙道沿いにある『遊泉ハウス児湯』に入る。
 
 『遊泉ハウス~』などと当世風の屋号ながら、この共同浴場は江戸時代の中ごろから続く源泉のひとつだとか。湯船は銭湯なみの広々とした大浴場で打たせ湯も付き、さらに隣接して半露天の浴槽も完備する。

 浴槽の入口にかけゆ専用の湯壷と手桶があったので、「では、まずかけ湯~♪」っと、湯をかぶると・・・。

 殺す気か!

 熱くてかけられねえ・・・。

 安っぽいコントのごとく、今回も猛烈に熱いかけ湯に気力をくじかれつつも、さっきの経験で知恵がついたので、からんのシャワーでかけ湯をする。「市村の経験値が1P上がった」ってなもんだ。

 人は学習する生き物である。

 「どうせここの湯船も、猛烈に熱いんだろ」と思いきや、大浴場の湯は、意外に適温。最近、お湯がぬるくなった東京の銭湯と同じくらいである。これなら、両手、両足を伸ばしながら、余裕で入れる。しかし、入浴する湯船が適温なのに、かけ湯専用の湯が猛烈に熱いとは、これいかに? ナゾは深まるばかりである・・・というか、合理的でない気がするのは私だけだろうか?

 露天風呂は、まあ露天といってよいかどうか疑問の余地がある、都内の銭湯などによくある「屋根つき屋内露天風呂」であるが、冷たい風が、温泉でほてった身体に心地よい。これで入浴料が220円というのだから(『旦過の湯』も同料金)、風呂好き・温泉好きには、天国である。江戸なんざ、いまどき普通の銭湯が450円だからねえ。

 ただし、熱湯にはくれぐれも注意が必要であるが・・・。


 下諏訪の湯を満喫した後は、再び中央本線そして篠ノ井線を北へ、今日の泊地である上越は高田へ向かう。

 それにしても大雪、大雪というわりに、松本まで北上しても車窓からの風景は、たいした積雪量ではない。聖高原や姨捨あたりまできて、ようやくそれなりの雪景色になる。それでも、「大寒波」とか「雪害」というようなレベルではない。

 「まったく最近の天気予報はあてにならんし、マスコミ報道も大げさなんだよ、ケッ!」っと思いながら、16時41分、予定通り長野駅に到着。すると、駅の改札付近がなにやら騒然としているではないか? 駅員さんに話を聞くと、大雪で信越本線は黒姫までしか運行しておらず、今日は復旧の見込みもないとのこと。

 高田にいけねえ・・・。

 おまけに鉄道のみならず、道路もほとんど全滅で代替輸送も不可能とのことなので、急遽、編集部に連絡をとり今後の指示を仰ぐ。

「明日も信越本線や北陸本線が順調に運行するか分からないので、今晩は長野か松本で泊まってください。明日の取材は昼間の富山と金沢を飛ばし、中央線と東海道線で直接、京都に向かってくれますか。そうすれば、京都での夜の撮影には間に合うはずですから」

 とのこと。

 普通ならここで、長野~京都間の移動はイレギュラーな対応、つまり今回の誌面に掲載するモデルコースとは関係ないのだから、当然、新幹線とか特急とか乗ってもいいんだよね・・・?、と考えるのが人情であろう。

 がしかし、今回、私が編集部から渡されたのは、残り3日分の「青春18きっぷ」である。そしてこの切符は、JR全線5日間乗り放題なのだが、特急料金を別途払っても新幹線や特急には乗車できないルールがあるのだ。

 長野駅から京都駅まで、いったい鈍行で何時間かかるんだよ・・・。

 さらにそれよりも重大な問題は、この旅程変更により、今晩、高田で予定していた『謙信公のかちどき飯』の撮影、さらに明日、富山で予定していた昼間の『白えびの天丼』の取材・撮影が、キャンセルになったということだ。

 そして、今晩と明日昼までの食事関係の撮影と取材がキャンセルになったということは、記事を書くために必要な撮影した料理の試食ができない。つまり、「今晩の夕飯代と明日の朝・昼飯代は、自腹で払ってネ」ということなのである。

 う~む、たまには食費が出る取材がしてえもんだ。

 「旬の富山の白エビと、謙信ゆかりの郷土料理を喰い逃したか。ここいらに安い居酒屋、あるかなあ・・・」っとぼやきながら、とりあえず今晩泊まる宿を確保すべく、私は小雪がちらつく夜の長野市街に歩き出した。

(つづく)
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大寒波らしいですが・・・/(身辺雑記)
- 2010/01/13(Wed) -
 日本海側は今年4回目の大寒波ということですが・・・。

 仕事で明日から3日間、山梨~長野~新潟~富山~石川~京都を列車で旅します。

 鉄道の旅の記事を書くのための1人取材。

 カメラとペンをザックにつめて、2泊3日、全ての行程を、各駅停車の列車でめぐります。


 さてさて、大雪やら突風やら、列車はつつがなく動くのか・・・。


 (了)

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新春雑記~あるいは3人の酔っ払い/(身辺雑記)
- 2010/01/11(Mon) -
 今年はやや短めだった年末年始。

 30日から年が明けて3日までは、炬燵でひとり、のんびりと杯を傾けながら、映画鑑賞と読書三昧の日々であった。

 こんな時期だからこそと思い、改めてじっくり読んだのは、岩波の『尾崎放哉句集』。これは2007年、新たに編集された版で、従来から知られている句のほか、平成8(1996)年に、荻原井泉水の物置小屋から発見された句稿からも多くの句が収められている。

放哉
▲『尾崎放哉句集 』(池内 紀 編/岩波文庫)


 私としては、本書では放哉の句もさることながら、巻末に収められている「入庵雑記」と題された随筆を、たいへん興味深く、また味わい深く読むことができた。

 この雑記は、放哉が小豆島で亡くなる最晩年、死の数ヶ月前に記されたものだ。

 島の小庵で死を覚悟し、またそれを望みながら日常をひっそりと生きる放哉の、閑寂で透明感あふれる身辺雑記である。

 同じ自由律俳句の巨匠であり、生涯を放浪と酒で彩った山頭火も、俳句はもちろんその酔いどれ日記がじつに人間くさく、また日々の暮らしの底に流れる「ダメ人間」としてのわびしさが、たいへん味わい深いものだ。

山頭火
▲『山頭火句集』 (村上 護 編/ちくま文庫)


 放哉と山頭火は同時代を生きた俳人であり、またその生涯にも共通点が多い。

 両人ともに、酒と若き日の傷心で身を持ち崩したインテリである。また山頭火の行乞の旅は有名だが、放哉もまた、その人生で多く旅をしており、いずれも一所不在の暮らしの末、故郷と離れた地で客死した。

 ただし山頭火が、句会で人々が集まった部屋の隣で、いつものように泥酔し、そのまま寝込んだ末、翌朝には脳溢血で死んでいたという、ある意味で、私のような大酒呑みの酔っ払いには「理想的な死に方」であったのに対し、放哉は貧困の末の栄養障害が持病を悪化させ、近所の漁師夫婦に看取られながら、静かに亡くなったという。


 酒と旅と温泉をこよなく愛し、「いつも通り」の泥酔の末に往生した聖なる酔っ払い、種田山頭火。

 かなわぬ恋と酒で人生を踏み外し、小庵でひっそりと松籟や虫の音を聞く静かな日々を愛した尾崎放哉。


 隠逸の暮らしに憧れつつ、旅と酒と湯、そして武術・武道という道楽から逃れられない、ひとり法師の流れ武芸者としては、2人の俳人の「死に様」は他人事ではなく、そしてまたある種、理想の姿でもある。

 この新春は、そんなことをつらつらと考えながら、ひとり静かに一杯また一杯と、杯を重ねる日々であった。

 (了)
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謹賀新年/(身辺雑記)
- 2010/01/01(Fri) -
新年、明けましておめでとうございます。

本年も、手裏剣術伝習所 翠月庵を、よろしくお願い申し上げます。

翠月庵主
市村翠雨

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