すごく忙しいのだが、「掌剣術」について/(手裏剣術)
- 2010/04/30(Fri) -
 多忙だ!!

 いったい私は今、何本の締め切りを抱えているのか?

・書籍×1冊(ベンチャー関連のビジネス書120ページ前後!)
・アウトドア関連の実用書×1冊
・資格関連のテキスト×3分の1冊
・医学雑誌の単発記事×3P(取材1日)
・日帰り温泉の雑誌記事×10ページ
・毎週連載のコンビニの新商品記事
・毎月連載の全国観光記事×16本の編集&執筆
・年3回連載の18きっぷの旅の取材と執筆

 以上、全部、5月締め切りだ。

 もう無理ぽ・・・。


 というのに、5/2~4まで、昨年同様、戸山流居合抜刀術 美濃羽会中津川稽古会をお訪ねし、3日はお祭りの演武を拝見&稽古会の皆さんとともに武者行列に参加。4日はすでに今回で4回目を迎える、翠月庵手裏剣術講習会である。

 今回のテーマは、「掌剣術」。

 手裏剣術の分野で、「掌剣術」という言葉をはじめて使った、あるいは考案されたのは、おそらく軽量剣で有名なM・S流の先代S師範ではないかと思う。

 ようするに、手裏剣を使った体術である。

 体術である以上、的に向かって打剣しているだけの稽古では、「掌剣術」は習得できない。

 といって、おそらく国内の手裏剣術流儀・会派で、独自の「掌剣術」の教習体系なり、型なりを持っており、それを継続的に十年単位で稽古・伝承しているような所は、ほとんどないのではないかと思うが、いかがであろう?

 なにしろ私が直接聞いた話でも、「掌剣術」の元祖であるM・S流自体、その型や稽古に関しては4年前の段階で、「現在、改めて編纂中である」と話していたくらいである。

 仮にそういう稽古をしている団体や会派があったとしても、おそらくそれは他の体術の動きを応用したものであろうし、そもそも「純粋な手裏剣術の一分野としての『掌剣術』」などというものが、日本古来の武術としてあったのかどうかさえ、定かでない。

 それとも、こんな記事を書くと、またぞろ突然、「当流には戦国時代から伝わる『掌剣術』が・・・云々」みたいなパチモンが現れたりして(笑)。


 「掌剣術」などというと大仰に聞こえるが、ようは鼻捻や短棒、鉄扇やナエシなどなど、短い棒状武器を使った体術、あるいは懐剣術と同様なわけで、古流の柔術や剣術はもとより、現代武道である柔道や剣道、拳法や空手道などの体動を応用すれば、有段者や指導員・師範レベルであれば、だれでもすぐに応用できるものである。

 そんな、大層なものではない。応用力さえあれば。

 というわけで、当庵では、体術の素養のある人には、それを生かした形で「掌剣術」を展開してもらえば良いと考えているし、武術経験のない稽古者のためには必要最低限、基本的な手解と体術の原理・原則を学ぶための型をいくつか編纂している。

 内容は、手解とごく簡単な、「先」、「後の先」、「入り身」を理解してもらうための相対型だ。


 ところで「掌剣術」については、2つの考え方があろうかと思う。

 1つは、隠し武器として用いる方法。

 1つは、一般的な武器として用いる方法。

 当庵では、打剣についても、基本的に手裏剣を隠し武器と考えていないので(隠し武器ではなく、剣術の二刀遣いの一形態としての刀法併用手裏剣術が、当庵の考える手裏剣の運用である)、掌剣術についても、隠し武器として使い方はほとんど考慮しない。

 隠し武器ではなく、手裏剣を馬手差しとして体術に用いることを想定している。

DSC_3881.jpg
▲馬手差し(鎧通し)としての運用なので、刃は必要ない。なお、打剣の手之内と
異なる点に留意されたし


 ゆえに、柔術や拳法、空手道の素養がある者は、当身の延長として手裏剣を使ってもらえば十分である。

 また、体術の素養のない者に関しては、当庵制定の基本のほか、さらに体術としての掌剣術に関心がある場合は、本ブログでも連載している警視流をテキストに、体術/掌剣術の展開を研究していければと思う。


 というわけで、今回の講習では、抜刀術家の皆さんに、帯刀状態での柄捌き(柔術)としての警視流の「柄止」と「柄搦」の型と、その掌剣術への応用と展開を体験・学習していただければと考えている。

 (了)
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【新訳】早縄 活法 拳法教範図解~その6/(武術・武道)
- 2010/04/22(Thu) -
※本稿の凡例
 太字:原文意訳
 細時:意訳者の注


■柄搦


1 お互い間合いを詰めるまでは、これまでの形の通り。一歩踏み込んで手が届く距離で、自然体で相対す。受(負ける側)は右足を一歩踏み出して、取(勝つ側)が帯刀している刀の柄を両手でつかんで引き抜こうとする。


図1


2 取は、下腹に力を入れ気合を込め、受が刀を引き抜こうとする動きに合わせて、右足を一歩踏み出す。同時に、前~本図の点線のごとく受の両手を甲の側からつかみつつ、相手の体を後上方に押し上げて崩す。

図2


3 取は、受の体勢の崩れに乗じ柄頭を右に回すと、受の手が外れ、同時に受の右手首の関節が逆に極まる。取は右手を離して体を右に開きなが、受の右手首を両手と柄で制しつつ左ひざを着いて右足を開き、下腹に力を入れて制す。その後、双方離れて残心をとる。なおこの形は、立見流の中から選んだものに、故逸見宗助先生が修正したものである。

図3


■市村いわく。

 警視流の3本目、柄搦の形である。

 これも柔術諸流では一般的な手首逆の技・小手捻りを使った形である。

 最大のポイントは、まず我の刀を引き抜こうとする相手の動きを利用して、相手の体勢を後上方に崩す所にある。その際、拍子が合えば、このまま相手を後下方につぶす、あるいはさらに相手の反射を利用して前方下に投げ捨てることも可能であろう。

 しかし、この形の表現では、そのような形にはせず、後上方に体勢を崩された相手が、バランスを取り戻そうと重心を前下方に戻す動きを利用して、柄頭を回して手首の逆を取り、そのまま制する。

 さて、その際の手首逆の取り方であるが、原著では我の左手で彼の右手の甲をつかみ、我の右手は我の柄頭をつかんだ状態で体を右に開きながら手首逆に極めている。

 しかし、実際には、柄を右に回して柄逆にした後は、むしろ我の右手で彼の右手を小手捻り状に制し、我の左手は刀の鍔を抑えながら、柄の中心で補助的に彼の肘また前腕中間部を制した方が合理的だと思うのだが、いかがだろうか? 諸賢のご意見を承りたいところである。

 いずれにしても、この形も1~2本目と同様、我の刀を捕ろうとする相手の動きをそのまま利用して相手の体勢を崩す、柔道原理でいうところの「崩しの理」が最大の骨法となる点に留意されたい。

 また最終的な極めについても、手首への逆技で制するというよりも、手首を彼我の接触点として、我の重心(丹田からの力)で相手の全身を制するという意識が重要である。


 以上、3本で、警視流の柄捌きの形は終了し、4本目の「見合取」では、これまでの形とは逆に、素手の我が帯刀している相手を制する形となる。


■警視流の柄捌きの総評

 警視流の形における柄捌きは、1本目「柄取」が小手捻りからの投げ捨て、2本目「柄止」は脇固め、3本目「柄搦」は小手捻りとなっている。

 いずれも柔術諸流では、普遍的な技であるといえよう。

 柔道原理の「崩し理」から見ると、1本目は前方の崩し、2本目は左前への崩し、3本目が後上方への崩しとなる。いずれの形でも、この「崩しの理」が体得できていないと、自分よりも腕力のある相手には、技が効かないことは言うまでもない。

 また、3本の形の中では、1本目の「柄取」の逆投げが最も難しい技となる。

 この場合、実際には、よほど我と彼との拍子が合わない限り、あるいは馴れ合いでない限り、形のように手首逆に極めつつ投げ捨てることは難しい。しかし、我の柄にかかった相手の両手を切り落としてしまえば、あとは抜刀して剣で斬りつけるなり突くなりすればよいわけで、形の表現は、あくまでも原理(理合)の記号化にすぎない。

 ただし指導者がこの点を理解してきちんと指導しないと、教わる側が「実際には遣えない・・・」などという、皮相な理解に終始してしまうので注意が必要であろう。

 一方で、2本目と3本目は、原理の記号化というよりも、多少雑でも実際に使える具体的なスキル(技術)となっている。

 つまり、まず1本目を通して記号化された「自然体の理」、「柔の理」、「崩しの理」という柔術の普遍的原理=極意を体験させ、2~3本目で具体的な技である脇固めと小手捻りを体得する、という構成になっているわけだ。

 このように形単体ではなく、一連の構成としての「形の体系」についても、稽古者は十分に注意を払わねばならない。

 警視流は時代の要請に基づいた促成の体系であったとはいえ、編纂者はその限られた条件のなかでも、最大限、伝統的な日本武術特有の「形の体系」というマクロ的な理合を踏襲した点に、100年後の武術・武道人として大いなる敬意を評したい。

(つづく)

※2010.4.25 崩しの方向に関する記述の誤りなど、一部訂正
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旧交を温める/(身辺雑記)
- 2010/04/21(Wed) -
 去る4月17~18日は、無明庵に崩残氏をお訪ねし、駆け足ながひさびさに旧交をあたためさせていただいた。

 私の都合で、あまりゆっくり過ごすことができなかったこともあり、技術交流や稽古はごくさらっと。

 ただし、従来、3間で軽量剣の場合に感じていた、威力・精度・速度の課題について、無冥流の打法のひとつである「押さえ打法」を応用することで、課題をクリアすることができた。

 いつもながら、貴重な助言を下さる崩残氏には、ここで改めて御礼申し上げます。


 それ以外は、なにぶん2年ぶりの再会ということもあり、武術・武道から宗教まで、幅広い分野に関する対話を楽しませていただいた。

 とくに偶然、お邪魔する前日まで、歴史関係の読み物の記事で、ブッダや古代~中世のアジアにおける宗教伝播についての記事を書いていたこともあり、この方面でも有意義なご意見を伺うことができた。

 このあたりについては、無冥流・松の間の崩残氏の一文を参照していただければと思う(http://www.mumyouan.com/k/matunoma.html)。

(了)
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みぞれの夜に/(身辺雑記)
- 2010/04/17(Sat) -
 寒い・・・。

 もうゴールデン・ウィークも間近だというのに、稽古場のある行田方面は雪との予報、わが草庵のある町もみぞれまじりの冷たい雨である。

 異常気象もここに極まれりといったところか?

 いや、涙雨ならぬ、涙隠しのみぞれか・・・。

                    ※  ※  ※  ※  ※

 この寒い中、ようやく今、今週収めるべき原稿を書き終わったところである。

 今書いている原稿は、全3巻の大人向けの世界史の本だ。

 1冊目は近代で、私の執筆担当は西欧列強のアジア・アフリカの植民地化から、第一次世界大戦までを担当。

 2冊目は中世から近代で、大航海時代から宗教戦争、欧州の戦乱、アメリカ独立にインドの植民地化と、全体の4分の3を執筆した。

 そして、今書いているのが3冊目の古代~中世編の一部で、今晩はブッダの生涯とアジアの宗教伝播について書き終えたところである。

 とはいえ週明けは火曜までに、あと41ページの原稿を書かねばならない。さらに次の週末は親族の結婚式と、実に慌しい日々である・・・。

                    ※  ※  ※  ※  ※

 昨日、もう20年も会っていなかったのだが、当時はそれなりに関係のあった後輩が、突然、亡くなったと知らせがあった。

 とくだん持病もなく、また前日まで普通に元気だったにも関わらず、突然の病死だったという。

 いずれにしても、享年34歳は、あまりに早すぎる。

 彼の兄の同級生であった私は、中学から高校、社会人になりたての頃まで、彼らの家に入り浸っていた。

 彼が高校に入学し、剣道をはじめたばかりのあるとき、私が手慰みに、彼に剣道(術)の動きを体術に展開する技を2つ3つ教えてあげたところ、それをずいぶん喜んでくれたことを、今も鮮明に覚えている。

 彼の兄の話では、そんな私の影響もあってか、大学に進んだ彼は、フルコンタクト系の総合武道に入門し、4年間、厳しい稽古を続けたという。

 しかし残念ながら、この頃から私は、東京で記者としての仕事を本格的にはじめたため、改めて彼と会う機会もなく、時折、彼の兄に会う際に消息を聞き、「そのうち一緒に稽古をしようと伝えてくれ」、などと伝言する程度で、あっという間に時が過ぎてしまった。

 結局、20年前に会ったきりで、彼は鬼籍に入ってしまった。

 私の記憶の中の彼は、今も高校生のままである。

                    ※  ※  ※  ※  ※

 数年前、当時交際していた女性の娘さんが病気で亡くなった際、通夜の晩は驚くほどの大雪であった。

 今晩、都内は季節外れの冷たいみぞれ混じりの雨。

 涙雨ならぬ、涙隠しのみぞれか・・・。

                    ※  ※  ※  ※  ※

 明日は2年ぶりに、無明庵を訪問させていただく予定だ。

(了)

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無限の表情/(数寄)
- 2010/04/14(Wed) -
 表情や生気の無い顔を表すのに、「能面のような顔」などという。

 しかし実際には、能の面(おもて)というのは、実に多彩な表情を持っている。

DSC_3835.jpg
▲ようやくオークションで落札した、表情の良い「小面」。手ごろな値段で、顔つきのよいものは、めったにないのである


 フラットな光の中では、のっぺりとしてしか見えない面だが、自然の光で陰を得ることで、実に多彩な表情を得る。

能面
▲全体に光があたると、いわゆる「能面のような」のっぺりした無表情


 俯けば「くもり」、仰向ければ「てる」。

 陰影の作り出す、無限の表情は、果てるところを知らないようだ。

DSC_3840.jpg
▲光と陰が無限の表情を作り出す


(了)
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武の縁/(武術・武道)
- 2010/04/12(Mon) -
 掲示板を読んでくださっている皆さんはすでにご承知かと思いますが、過日、戸隠流の不動庵・碧洲齋氏よりご連絡をいただき、相互リンクすることと相成りました。

 不動庵( http://fudoan.cdx.jp/

 翠月庵のリンクにも、近々に追加する予定です。


 つらつらと考えてみるに、私も無駄に長い武歴のなかで、さまざまな方々とご厚誼をいただいてきたけれど、とかく武術・武道人の横のつながりというのは難しいものだ。

 原則、皆が皆、明言するか心に秘めるかは別として、「究極のところは、我こそ最強」と思っているのが、根本的な部分で生死をかけて勝敗を争う、武人の悲しい性である。

 まあ、古今東西、そう信じていなければ、そもそも武術・武道などやってはいられないものなんだが。

 いやはやなんとも、厄介な者どもである、我々は・・・。


 ゆえに、己をメルクマールにして他者を、「自分より強い」、「自分と同じくらい」、「自分より弱い」と、3つに分類することに慣れているのが武術・武道人である。

 そしてこれが、縦の関係であれば問題ないのだけれど、「あなたも強いが、私も強い」という横の関係を構築するのが、武術・武道人がもっとも苦手するところであろう。

 私自身、これまで何度、出会いと別れを繰り返してきたことか・・・。

 「あなたが一番、私が二番」、と言える器、ココロの余裕がないと、ことほどさように武人の横のつながりというのは、維持することが難しいのである。

 そこでもっとも大切なことは、相手に対する「敬意」ではなかろうかと思う。

 もちろん「敬意」を払う価値もない愚か者も、世の中にはときどきいるけれど、基本、この世界に生きているほとんどの人は、それぞれ自分の人生を必死に生きているわけであり、それらの在りようは、いずれも人としての「敬意」に値するものであろう。

 対等な人と人との関係を担保する価値観は、畢竟、それだけなのかもしれないと思っている。

(了)
 
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心にうつりゆく、よしなしごと/(身辺雑記)
- 2010/04/08(Thu) -
 ここのところ多忙で、まとまった記述ができない。

 昨日は朝から仙台で緩和ケアの取材、明日(すでに今日だが)は甲府でほうとうやら煮貝やら猪なべの取材。

 取材から帰ってきても、西洋史の解説本やら、山梨のガイドブックやら、訪問看護師向けのルポやインタビューやら、原稿目白押しである。

                  ※  ※  ※  ※  ※

 抜刀の際の右手は、打太刀の立場になれば制すべき位なわけで、それにどう対処するかも、居合・抜刀術の骨法である。かつて旧師に学んだ古流の形を抜いていて、ふと「なるほど、こういうわけか!」といまさら気付く。

 旧師の元を離れてはや20年以上。流れ武芸者は、なかなか辛いものだ(笑)。

                  ※  ※  ※  ※  ※

 切り落とし系の形で打太刀をとるときには、相手が初学者の場合、やや(場合によってはかなり)袈裟をかけて打ち込んであげる。一方で、こちらが仕太刀になると、相手は容赦なく真っ向正面で切り込んでくるわけで、それがまあ、上位者としての稽古になるわけだ。

 しかし、あまりシビアな勝太刀の取り合いになると、そこで完全に切落とすと、どうしても誤って相手の指を打つことが多くなってしまう。

 やはり、木太刀に鍔をつけてもらった方がよいか?

 悩むことろである。個人的な経験と好みでは、木太刀に鍔はつけたくないのだがね・・・。

                  ※  ※  ※  ※  ※ 

 西洋史の原稿で、ちょうど16~18世紀のプロイセンやオーストリアの歴史について書いていたので、取材の移動の合間に、ずいぶん長い間“つんどく”したままであった、石原 莞爾の『戦争史大観』を斜め読み。

 しかし究極のところが「日蓮宗への信心」といわれると、実家の宗教は神道で、しかも無宗教の人間としては、いささか鼻白む思い。

 一方で、兵頭流軍学的に考えれば宗教と立法という良心の二段構えが、西洋近代的自我の重要部分とすれば、石原の日蓮宗への傾倒も、あながち的外れではないということか・・・。

                  ※  ※  ※  ※  ※

 『ザ・コーブ』のダイジェスト版をみたが、ガキのころからイルカを食してきた伊豆人としては、はなはだ不愉快な内容。

 一方でドキュメンタリー映画は、あくまで製作者の主観に基づいた事実の加工物であるわけで、彼らが何を考えているのかがよくわかった。

 イルカを食材と見ているわれわれと、コアラやパンダなどと同じような保護対象の野生生物と見ている彼らとでは、そもそも前提が違いすぎて議論にならない。

 だからこそ、国際的な条約や各国内の法令遵守が、価値観の異なるもの同士の最低限のルールになるはずなのだが、連中がそれらをまったく無視しているのだから・・・。

 グリーン・ピース・ジャパンは、「クジラ漁に関する不正告発のためなら、窃盗も許される」という信じられない自己正当化のあげくに運送会社に忍び込んで荷物を盗んで逮捕され、シー・シェパードはエコ・テロリズムを繰り返している。

 目的が手段を正当化する・・・、というのであれば、逆に「クジラ類の資源利用を守るためなら、反捕鯨団体や個人へのテロや破壊活動も許される」という理屈もなりたつだろう。

 なにより、「目的が手段を正当化する」的な考え方は、筋目を大切にする日本人にはなじまないものだと思うのだが。

 いずれにしても、今、この瞬間もイラク人やアフガン人をばんばん殺している欧米人が、「殺されていくイルカを助けたい」と目を潤ませながら語るのは、いかにもキリスト教的な選民思想でげんなりする。


 イルカを助けるヒマと金があるなら、イラク人やアフガン人を助けてあげたらどうかね? っと思うのは、私だけだろうか。


 (おしまい)
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『無我』襲来!/(数寄)
- 2010/04/01(Thu) -
 私はだいたい、普段は和服で生活している。

 インタビューなど仕事の際や冬あまりに寒いとき、および着るのがめんどくさいときには、洋服も着るが。


 一方で、もともとがダラシナイ大酒のみなものだから、四十路にもなると泥酔した挙句に、記憶をなくすことも少なくない。そして酔って記憶をなくすと、いろいろなものを忘れたり、落としたりするというのは、ものの道理というものである。


 ちょっと前、去年の年末。

 地元にあるなじみの小料理屋Sで、忘年会的にきこしめした際にも、すっかり楽しくなってしまい、ガンガン飲んだ挙句に記憶を失った。

 とはいえ、酒飲みの皆さんなら分かると思うが、「記憶がない」というのはあくまでも後から認識する事実であり、のちに当人が「記憶を失った」と認識していた間も、実際にはひとさまと会話をしたり、椅子から転げ落ちたり、失言をしてしまったり、暴れたり、隣のお嬢さんを口説いたりしているわけだ。

 ちなみには私は、記憶を失っている間に椅子から転げ落ちたり失言したりはよくする(らしい)が、暴れたり隣のお嬢さんを口説いたりはしない(と思う・・・、たぶん)。


 そんなこんなで、自分自身は小料理屋Sで午後9時までの記憶はあるのだが(後に聞いた話では、閉店時間の11時まで、がんがん飲んでいたらしい)、そこで完全に意識が断絶し、自室の畳の上で目覚めれば、31日の深夜3時であった。

 「・・・!」

 そこで嫌な予感に襲われ、脱いだ着物やかばんやらをごそごそ探るも、やはりない。

 案の定、財布を落としてしまったらしい。

 しかし、その程度で動じる私ではない。

 なにを隠そう、私は酔っている酔っていないにかかわらず、これまで40年の人生で、財布をなくすこと6回以上。なくした現金の累計50万円以上に及ぶのである!

 おかげで、こんなに貧乏だ(笑)。前世では大金持ちだったのかしらん・・・。

 そもそもこの日は、「今日あたり、やばそうだな・・・」と思っていたので、財布には現金数万円のみ。カード類などは、すべて財布から抜いて部屋においておいたのだ。

 人は経験から学ぶ生き物である。

 そんなこんなで、財布を落としたものの、被害は最小限に収まった、やれやれと思ったら・・・。

 帯がないのである。

 さらに、帯の下にしめる腰紐もない。

 ・・・。

 いったい私は、どんな格好で、店から家まで(徒歩約15分)帰ってきたのだろうか?

 腰紐と帯がないということは、少なくとも長着と襦袢の前はヒラヒラ全開である。

 ただし幸いなことに、和服の場合、襦袢の下に肌着を着ているので、もろにフ●チ●だとか、下着姿全開ということにはならない。

 しかし、いずれにしても一歩間違えれば「ほ~れ、見てごらん!」なオジサンと誤解され、後ろに手が回りかねないではないか!

 おそらくこんな感じで、家まで帰ってきたのだろうな・・・。

 泥酔して帰宅する、市村の想像図↓
無我 国立博物館
▲横山大観先生作『無我』(東京国立博物館蔵)

 結局、その後も財布はもちろん、帯も腰紐も見つからず、自分がどんな格好で、近所を歩いていたのかもわからず、私は憔悴したまま年を越し、この春を迎えたわけだ。

 以来、私の意識の中では、この横山大観先生の傑作『無我』が離れなくなってしまった。


 この作品は、若き日本画家であった大観が、新日本画を目指して1897(明治30)年に描いたもので、大観が日本画壇の風雲児として注目を集めるきかっけとなった傑作である。

 なお大観の『無我』は、現在3つある。

 1つは、上の『無我』。これは現在、東京国立博物館が収蔵している。

 もう1つは島根の足立美術館にある『無我』。こちらは、モノクロ作品だ。

無我 足立美術館
 ▲こどもの顔が、やや和風の困り顔?


 さらにもう1つは、長野の水野美術館収蔵の『無我』。

無我 水野美術館
▲こちらのちびっ子は、ちょっ
 と笑顔風?


 3つを並べて比較すると、こんな感じである。

無我 比較
▲切手になっているのは、真ん中の東京国立博物館の『無我』である


 とある解説によれば、「春の微風に、くわい頭の髪を乱した童子が大きすぎる着物を着て大人の草履をつっかけて無心に歩を運ぶところが描かれています。(中略)。童子の無我そのものの境地を天真爛漫にとらえ、視線は見るともなく何かを見つめています」とのこと。

 ま、私の場合、「無我」というより、泥酔の挙句の「忘我」なわけだが。

 そんなこんなで、『無我』のマイブームが高じ、過日、ヤフオクで複製画を落札。さっき、届いたので早速飾ってみた。

DSC_3798.jpg
▲わが草庵に襲来した、国立博物館バージョンの『無我』


 これで日々、己を知ることができる・・・、かもしれない。

(了)

 
 
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