手裏剣術の補助鍛錬としての素振り/(手裏剣術)
- 2010/07/22(Thu) -
 当庵では、手裏剣術の補助的な鍛錬として、木太刀での素振り(初学/基礎剣術)を奨励している。

 本ブログを以前からお読みいただいているみなさんには、いまさら説明するまでもないが、「剣術の斬りの動きと手裏剣術の打剣の動きは、原則的には別モノである」ということは、これまで再三、解説してきたとおりである。

 ではなぜ、手裏剣術の補助鍛錬として素振りを奨励するのか?

 全身の動き(力)を統一し、それを意図して武具に集約する感覚を学ぶためである。

 手裏剣の威力は、速度と重量である。運動エネルギーは、(質量)×(速度の2乗)÷2なので、手裏剣本体の重量が同じであれば、速度が速いほど威力は高まる。

 そこでより打剣の速度を上げるために、全身の動きを統一して打剣することが大切になる。

 打剣のための全身の力の効果的な統一法については、当然ながら打剣を通して学ぶのが基本なわけだが、毎日、いつでもどこでも打剣の稽古ができるわけではない。

 私自身、自宅マンションの庭(2間の距離がとれる)や屋内での稽古法をいろいろ工夫してきたが、結局は諸般の事情を総合的に判断して、現在は翠月庵の稽古場以外では、打剣は行っていない。

 「諸般の事情」を簡潔に記せば、庭にせよ室内にせよ、現在の自宅の環境では、隣室や周辺マンション等の人々に迷惑がかかるであろうことが予想され、それを避けたいからである。

 余談だが、公共の施設である公園や体育館の個人使用などで、意図してかしないでかは定かでないが、周囲を威圧するような立ち居振る舞いで武術・武道(モドキ)をしている人やグループを時折目にする。

 こうした輩は、周囲からの見た目、他者が抱くであろう感情、自分たちの発する音(掛け声や武具の音、バカ騒ぎの声)などが、人様から見てどうか? どのように感じられるか? 自分らが、はた迷惑で反社会的な存在ではないのか? よく考えるべきであろう。


 閑話休題。


 さて、こうした環境でも、木太刀の素振りは、大きな音をたてず、見た目の威圧感も少ない。

 小太刀を使えば、マンションの屋内でも可能だ。


 晴眼に構え、一歩進みながら、一歩後退しながら、真っ向正面斬りを行う(座技なら膝行で行う)。

 これにより、腕の振り~体幹の推進力~腰の力~下腿による前進という、からだの各部の動き・力を統一して剣の振り下ろし動作に集約するという感覚を理解してもらうのが、手裏剣術の補助鍛錬としての素振りの目的である。

 剣術・剣道や居合・抜刀術者からすれば、「なにをいまさら」と思われるだろうが、これまで何人かに手裏剣術を指南してきて実感するのは、体術しか経験のない人の場合、打剣(投擲)という動きがあまりにも自身がこれまで行ってきた武術・武道の動きと異なるため、非常にぎこちなく、統一した力を剣の投擲に集約しにくいようだ。

 古来、「柔(体術)は諸武芸の母」とはいうものの、単一武芸流儀の鍛錬が主流となって久しい現在、徒手の武術・武道しか経験のない人に、いきなり長さ20~30センチ、重さ90~150グラムのとがった鉄の棒を的に向かって「打って、刺せ」といっても、せいぜいキャッチボールのピッチングもどきになってしまうのが関の山なのである。

 その点、剣術・剣道や居合・抜刀術者は、「武具に、身体の動き(力)を集約させる」ことに慣れているので、比較的容易に、統一した力を打剣動作に集約させることが上手い。

 こうした点から、補助鍛錬としての素振りを、特に剣術・剣道や居合・抜刀術の経験のない人に推奨しているのである。


 「投擲という動作に全身の力を統一する補助鍛錬には、キャッチボールの方が良いのではないか?」との疑問もあるかもしれないが・・・。

1 私自身が、キャッチボールがまったくできない(たいへん、下手くそである)こと
2 私が、野球をはじめとした球技に、まったく関心がないこと
3 キャッチボールでは”武術的な正中線や軸の意識”、”位の感覚”がもちにくい(だろう)こと

 などの点から、当庵では、検討・採用する予定はない。

 
 これについては、野球やソフトボールが得意な手裏剣術者がいれば、その人に研究・考察はおまかせしたいと思う。

 ま、餅は餅屋であり、好きこそものの上手なれであり、坊主にくけりゃ袈裟までにくい、ということである。ようするに、私は球技が苦手で、かつ関心がないということなのだ(笑)。

 (了)
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ニセ医療にご注意!(2) ~ホメオパシーと助産師会の根深い闇/(医療・福祉)
- 2010/07/12(Mon) -
 ホメオパシーといえば、まったく医学的効果がない単なる砂糖玉(レメディ)を、あたかも治療効果があると称して処方する、代表的なニセ医療である。

 そして、このホメオパシーを「信奉」する助産師(!)が、新生児に必要なビタミンKの経口投与を意図的に行わず、かわりにレメディを投与。その結果、子供がビタミンK欠乏性出血症で死亡するという事件が起こり、母親がこの助産師を提訴した。


「読売オンライン 九州発」
http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20100709-OYS1T00214.htm


今回の事件に対する、科学的専門家の突っ込んだ批判
「ホメオパシー助産師のビタミンK2の問題が裁判になった」
http://blackshadow.seesaa.net/article/156012122.html#more


 さて、まずはニセ医療によって大切な命を失ってしまったお子さんと、そのご両親に、深く哀悼の意を表したい。

 その上で、代表的なニセ医療であるホメオパシーに対して、日本の司法がどのような判断を下すのかという点について、今後も注目したいわけだが、それ以上に関心をひくのが、組織としての助産師会が、これまで組織ぐるみでホメオパシーに関わってきたという事実である。


「助産師会とホメオパシーとの濃密な関係」
http://putorius.mydns.jp/wordpress/?p=716

「ホメオパシーイベント体験談」 
http://www.homoeopathy.co.jp/event/ankeito_2007_11_19_kanagawa_midwife.htm


 近年、慢性的な医師不足にともない、周産期医療における助産師の役割はたいへん大きくなっている。

 にも関わらず、本来、地域社会の中で母子の健康を守るはずの助産師が、組織ぐるみでニセ医療にかかわり、あまつさえそれにより、子供の命を奪ってしまったということは、医療に関わる記者としても、非常に強い憤りを感じる。

 また、上記のように、かなり組織的にホメオパシーに関わってきたにも関わらず、この提訴を受けた形で(社)日本助産師会が発表したコメントは、組織的なホメオパシー団体との関与についての総括と反省、謝罪がまったく示されておらず、責任回避丸出しのうわすべりしたものと言わざるを得ない。


「代替医療に関する本会の見解」
http://www.midwife.or.jp/pdf/k2.pdf


 そもそも、医師と同様に開業権を持ち、医師以外で唯一助産行為が許される専門的医療従事者である全国2万5000人の助産師は、EBM(根拠に基づいた医療:Evidence-based medicine)についてどのように考えているのか?

 (社)日本助産師会は、200年以上にわたり、科学的・医学的な検証でその効果をことごとく否定され続けてきた、ニセ医療行為であるホメオパシーについて、どのような見解を持って、組織的な交流を続けてきたのか、ぜひインタビューしてみたいものである。

 なおホメオパシーの問題点については、以下のリンクに詳しいので、ぜひ読んでいただきたい。


「ホメオパシーと医療ネグレクト」
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20080516#p1

「ホメオパシー - Skeptic's Wiki」
http://sp-file.qee.jp/cgi-bin/wiki/wiki.cgi?page=%A5%DB%A5%E1%A5%AA%A5%D1%A5%B7%A1%BC

(了)
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神経痛・・・?
- 2010/07/11(Sun) -
 ちょっと前、年上のカメラマンさんを飲みに誘おうとしたところ、「いやじつは・・・」と口ごもる。

 「実はさ、最近、飲むと翌朝、顔面がすごく痛むんでね、医者に看てもらったら、三叉神経痛だって。すごい痛いんだよ」
 「またまた、そんなこといって、単なるのみすぎなんじゃない」
 「市村さんもそのうち分かる。年取れば・・・」

 などという話しを聞いていた。

 そして、4日前。

 その前の晩は、こまこました仕事にとりあえずケリをつけ、翌日(金曜)から、次の大物の仕事に取り掛かるので、「ちょっと飲むかな」ということで、自家製ふろふき大根とカツオの刺身を肴に、自宅で5合ほどひとり酒をあおって寝た。

 ところが、夜半。耳の後ろがズキズキと痛み、どうにも寝付けない。それどころか、次第に痛みがあごの付け根から首、左の顔面にまで広がり、まんじりともせず。

 痛え・・・。

 最初は「寝違えて首を痛めたのか」とも思ったのだが、筋や筋肉がいたいというより、皮膚のすぐ真下くらいの浅いところがめっちゃ痛い。そもそも、首を寝違えて(私は子供の頃から、よく寝違える)、顔面は痛くならない。

 「もしかして、これが三叉神経痛か!?」

 痛みはひどくなるばかりでまったく眠れないので、PCで調べてみると、どうも私の痛みの状態は「後頭神経痛」の症状とぴたり一致しているのである。


後頭神経痛とは? 
http://www.noncolle.com/illness/93.html

 下図、首から耳の後ろやあごに伸びている、「大耳介神経」全体が、持続的にズ~ンと痛いのである。

5_nct1.jpg

 結局、朝まで一睡もできず、その日は1日静養。

 それでも痛みが引かなければ、医者にかかるか・・・と思っていたら、夕方には痛みもひいてきた。

 しかし、頭痛で朝まで一睡もできないなど、生まれて初めての経験であった。

 しかも後頭「神経痛」? なんか、おじいちゃんな感じである。

 市村翠雨、41歳、厄年。

 ま、アラフォーだしな。


 とまあ、そんなわけで、今日は日曜だというのに、これから夜中まで、仕事をしなければならないのであった。

 (おしまい)

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たまには「気」の話しでもしてみるか/(武術・武道)
- 2010/07/04(Sun) -
 あまり関心はないのだけれど、サッカーワールドカップ日本代表の16強入りは、いち日本国民としてたいへん喜ばしい。

 一時、日本代表の岡田監督が、遠隔操作で「気」を入れたりする(らしい)「ナゾの空手家(週刊新潮/2008.3.20号より)」のカルト系セミナーにはまっていたことに、一抹の危惧をいだいていたのだが、どうやらワールドカップ開催前には、妙な洗脳からは脱したようである。

↓ソースのリンク
 「早稲田大学は12月11日、ICC(早稲田大学国際コミュニティセンター)開設3周年記念「働く杯」を開催、特別講演でサッカー日本代表監督の岡田武史氏が自らの仕事に対する姿勢を語った」
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0912/14/news010_2.html

 よかった、よかった。


 うさんくさい武術がらみの、「気」や「遠当て」などは、しょせんは感応と暗示を駆使した旦那芸・・・、そんなカルトにはまるひまがあったら、汗かいて稽古しなはれ! っというのは、このブログでもさんざん書いてきた。

 その上で、私なりの、武術・武道の「気」について書いてみよう。

 ただし、「気」は「気」でも、意識の「き」のお話しである。


 まず前提として。

 直接的にそれ単体で物理的作用を起こす(ことが期待される)、なんらかのエネルギーとしての「気」なんてものは、存在しない。

 そんな「気の力」が存在すると言うのなら、私が打つ手裏剣を、「気の力」で打ち落とすなり、止めるなりしてみなはれ。

 それができるのなら、私は武術も武道もやめて、医療記者も廃業し、頭を丸めて100万円あげるヨ(笑)。

 ということを頭に置いていただきたい。


 さて、昨日の稽古で、Aさんと当庵の初級剣術(組太刀)の稽古をした。

 初級剣術の2本目は「袈裟」という型で、概略は以下の通り。


 1 一足一刀の間合で、双方、右半身の晴眼。
 2 打太刀が晴眼から無構に移る機に、仕太刀は歩足で二歩踏み込み左袈裟※。
 3 打太刀は歩足で後退しながら仕太刀の袈裟斬を見切る。
 4 袈裟斬を外された仕太刀は、左足を一歩踏み出し、剣先を打太刀の喉につけて、位に詰める。
 5 打太刀がさらに後退するのを追って、仕太刀は追いかけて右袈裟。
 6 打太刀は後退して、仕太刀の右袈裟を見切る。
 7 仕太刀は右足を踏み込んで、剣先を打太刀の喉につけて、位に詰めて勝つ。

 とまあ、ごくごく基本的かつシンプルなものだ。なおこの型をはじめ当庵の初級剣術の組太刀は、主に戸山流の基礎居合を参考に、私がこれまで稽古してきた古流の技や理合などを盛り込んで、独自に編纂したものである。


 Aさんは武術・武道経験がない上で、当庵に入会されて1年ほど。一方で、芝居や舞踏などをやっておられるということで、ある意味、武術の形而上的技術については、一般的な武術・武道経験者よりも理解力が深い。

 で、このAさんと上述の「袈裟」の型を稽古していたのだが、剣先を打太刀の喉につけて、位に詰めるところが、どうにもたんに形をなぞっているだけになっているので、

「この時には、外見上はリラックスして柔らかに剣先を私の喉に付けること。ただし意識としては、剣先をつけられた私が微動でもしたら、すかさずそのまま喉に突きを入れて、あなたの剣先で私を突き殺すという意識を心の中一杯に満々と持ってください。でもそれが、ちょっとでも表情や動きに出てはだめですヨ」(『心を懸に、身を待にとも心得る也』兵法家伝書、懸待二字子細の事より)

 と指導してみたところ、その後、ぴたりと型が活きてきた。

 私の喉に付けられたAさんの木太刀の剣先がしっかりと活きて、まさに詰められている状態となった。

 これが意識の「き」の、実際的な効果というものである。

 一般的に、こうした指示を出すと、どうしても「殺意」や「殺気」、「攻撃心」が表に出てしまい、場合によっては身体が前のめりになって軸が崩れたり、剣先がピリピリ震えてしまったりするものだが、Aさんの場合、芝居や舞踏の経験から「心的イメージ/意念」の作り方と、そのアウトプットの仕方が上手いのだろう。スムーズに、待中懸を理解してくれたようである。

 懸中待と待中懸、それぞれの理解のためにどちらから指導すべきかという点については議論の余地もあるであろう。

 一般的に現代武道は、その教習体系からも、まずは「心をば待に、身をば懸に」というところ(懸中待)から学ぶことになるであろう。一方で、手裏剣術や居合・抜刀術、弓道など、仮想敵を相手とする武術・武道は、その教習上の特性からも、まずは「心を懸に、身を待に」(待中懸)というところからはじまる。

 しかし、懸中待と待中懸、どちらも活用できて、はじめて一人前の武術・武道人である。

 「両意なれども、極まる所は同じ心也」(兵法家伝書)。

 そして、ここで重要なのが、懸にしても待にしても、それを惹起するのは、意識であるということ。

 となれば、意識(心的イメージ/意念)はまさに形而上の武術的技術となるわけだ。


 このように武術・武道であつかう「気」は、あくまでも人と人との関係性の中での、意識の「き」であるということだ。

 これを突き詰めれば、兵法としての「位詰」の境地が、おぼろげならがも見えてくるであろうし、カルトじみた「気の武術」にだまされて、人生の貴重な時間と大切なお金をムダにすることもないだろう。

 (了)

※当庵でいう「左袈裟」は、自分から見て、1時の方向から7時の方向へ切り下ろす袈裟斬りである。右袈裟、左袈裟については、流儀や会派によって左右の名称と動きが異なるので、注意されたし。
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