秋の図書案内/(書評)
- 2010/10/27(Wed) -
ヤノマミヤノマミ
(2010/03/20)
国分 拓

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 奥アマゾンで独自の風習と文化の中で暮らすヤノマミ族を、150日に渡って取材した日本人ディレクターによるルポ。嬰児殺し(間引き)の描写は強烈だが、読み進むにつれ、その行為の是非を文明の尺度で図ろうとする自分の傲慢さに違和感を覚える。生と死が、これほど地続きの中で暮らすヤノマミに比べ、われわれはあまりに生も死もリアリティのない、のっぺりとした世界で生きているような気がしてならない。


倫理用語集 改訂版倫理用語集 改訂版
(2009/03)
小寺 聡

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 この夏まで、大人が読む歴史教科書というような仕事をしていた関係で、高校生の教科書に目を通す機会があり、その余波で改めて購読してみた。冒頭、ジョン・レノンと尾崎豊が「倫理の用語」として記載されているのは、いささか若い世代に媚びすぎのような気もしないでもない・・・。それはさておき、古今の思想と哲学全般のガイダンスとして、たいへん読みやすいと思う。


古田織部の茶道 (講談社学術文庫)古田織部の茶道 (講談社学術文庫)
(1990/07)
桑田 忠親

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 最近は漫画でも人気らしい織部。書簡の現代語訳がふんだんで、たいへん読みやすい。織部の生涯とその業績を一望するのに最適の一冊。


 
海も暮れきる (講談社文庫)海も暮れきる (講談社文庫)
(1985/09/09)
吉村 昭

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 著者は自身も若い頃、結核を病んでいただけに、放哉の無言・独居の生活に仮託した、病の苦しみと孤独の描写があまりに生々しい。読むたびに、救いのない結末にげんなりするのに、なぜか何度も繰り返し読んでしまうのは、放哉のダメ人間っぷりに、自分のダメさを投影しうているからか。うつ気味の人は、読むべからず。


ランボー全詩集 (ちくま文庫)ランボー全詩集 (ちくま文庫)
(1996/03)
アルチュール ランボー

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 定番の小林秀雄や堀口大学訳に比べるとと、たいへんとっつきやすい訳である。注釈も充実しており、ランボー初心者にはおすすめ。私としては、鈴木和成訳のが好きなのだが。


宮本武蔵二天一流の剣と五輪書 (武道選書)宮本武蔵二天一流の剣と五輪書 (武道選書)
(2005/11)
一川 格治

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 多分、初めて本屋でこの本を見たのは中学1年生の頃(今から28年前!)だと思う。改めて再読したのだが、本書の最大の問題点は部外者の立場からすると、何度読んでも形の動作が良くわからないということ・・・。これは、本書の説明文の書き方と編集の仕方が、あまりにも分かりにくいからだと思う。本当に何回熟読しても、形の手順がさっぱり分からない奇書なのである。まあ、門人にだけ分かれば良いのだ・・・・、と言われればそれまでなんですがね。

絶対に勝てるケンカの手順―実戦対応最新版 (BUDO‐RA BOOKS)絶対に勝てるケンカの手順―実戦対応最新版 (BUDO‐RA BOOKS)
(2009/12/16)
真樹 日佐夫

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 真樹センセイは、相変わらす顔が怖いデス(笑)。バラ手での目打ちや裏拳、刀峰や関節蹴りなど、一見マニアックな小技を使った用法解説に、ステゴロ十段、いぶし銀の技と心意気を改めて感じた次第。ちなみに、私の空手での得意技は背刀でした。


 
海潮音―上田敏訳詩集 (新潮文庫)海潮音―上田敏訳詩集 (新潮文庫)
(1952/11)
上田 敏

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 「すべて世は事も無し」なのか、「なべて世は事も無し」なのか、確認しようかと・・・。昭和軽薄文体で育った世代としては、辞書がないと単語の半分は理解不能。しかしまあ、詩なんてものは、素読と思って暗誦すれば良いのだろう、たぶん。

 
 
伊豆水軍 (静新新書)伊豆水軍 (静新新書)
(2008/03)
永岡 治

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 古代から戦国時代の終わりまで、伊豆の入り江に拠点を置いた海賊=伊豆水軍の興亡史。中世から近代にかけての時代の潮流に飲み込まれていく海人の姿は、情報とカネのグローバル化で押しつぶされそうな現代日本の庶民に通じるものが、あるような、ないような・・・。

全解・日本剣道形 (武道教本 (2))全解・日本剣道形 (武道教本 (2))
(1982/05/02)
剣道日本編集部

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 改めて剣道形の教範を熟読して思ったこと。抜く・擦上げる・なやす・受け流すといった受け方がバランスよく形に納められているが、刃でがっしり受けるとか、打ち落とすとか、乗る、切り落すというような技がないのはなぜか? それにつけても、小太刀の三本目、擦り上げて擦り下ろすというのは、たいへんむずかしいそうですが、どうなんでしょう。

(了)
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速報・「翠月剣」のファースト・インプレッション/(手裏剣術)
- 2010/10/24(Sun) -
 昨日の稽古では、翠月剣をテストした。

DSC_5185.jpg


 まず最初の感想としては、以前の巻物なしに比べると、圧倒的に使いやすくなったということである。これは劇的だ。

 巻物なしの以前の剣も交えて打ってみたのだが、とにかく前腰に手挟んだ上体からとっさに手に取った際の、手の内の安定感がまったく違う。

 ~二間半弱までは、慣れればほとんどなにも考えなくとも、的確な刺中になった。

 二間半強~三間~四間では、最初はしばらくてこずったが、手離れ位置を丁寧に意識することで、普通に刺さる。

 ここで、無冥流・鈴木崩残氏のアドバイスに基づき、巻物の厚さを比較しようと思ったのだが、布ガムテープを忘れてしまったので、これは次回、検討予定である。


 若干、滑走をかける打ち方でも、現状の巻物の厚さならば問題ない。

DSC_5187.jpg


 前腰の部分に4本まとめて手挟んでみた場合も、巻物で携帯性が損なわれるということはなかった。また、標的への刺さり具合(刺中力)も十分であった。


 以上、2時間ほどのファースト・インプレッションだが、翠月剣の感触は上々である。

 次回は、巻物の厚さを変えたものを比較しながら、ベストな厚さを探ってみようかと思っている。


 いずれにしても、この翠月剣には、大きな期待を感じている。

(了)
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青銅の剣/(数寄)
- 2010/10/21(Thu) -
 また、つまらぬものを・・・。

 ヤフオクで、パチモンの青銅の剣を入手。

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▲長さ/約62センチ 最大幅/5.5センチ 重さ/1.03キロ


 「中国 春秋時代 青銅製 銀象嵌 獣柄 帝王短剣」という能書きだが、本物ならウン億円であろうし、レプリカであることは、いわずもがなである。

 しかし、いつ、どこで、どのように複製したのかなどは、一切、説明されていない。

 梱包なども勘案して考えれば、いつ=現代、どこで=中華人民共和国で、というところまでは分かる。

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▲銀象嵌という触れ込みだが、値段的にありえないだろう


 500パーセント、レプリカに決まっているので年代は気にならない。銀象嵌というのも、値段から考えるに多分ウソだろう。なにしろ中国製品だしな・・・。それはいいのだ。

 一番気になるのが、素材についてなのである。

 これは本当に青銅製なのか? 本当は真鍮とか、あるいは他の安価な素材ではないのか?

 なんてったって、中国製品なのである。100個ある品物のうち、102個はパチモンという国なのだ(笑)。

 これを手に入れたのは、年代や象嵌などどうでもよくて、骨董じゃなくてもいいし、パチモンでもなんでもいいから、素材として本物の青銅が使われている剣を、手に取ってみたかったからなのである。

DSC_5180.jpg
▲脇差との比較。このサイズで重さが打刀なみなので、持つとかなり重く
感じる。斬るというより、突くか叩くというものであろうか


 しかし、冶金に明るくない私には、この剣が本物の青銅製なのか、真鍮製なのか、あるいは他の安っぽい合金製なのか、判別のしようもないわけだ。

DSC_5181.jpg
▲柄に彫られた人面(?)が、古代な感じで良いではないか


 それにしても、人類が青銅器を手に入れたのは、今から5000年前の紀元前3000年頃。

 以後、紀元前1700年頃、ヒッタイトが鉄器を作り出すまで、青銅器の時代は1300年間も続いたのである。

 またそれ以後も、青銅の剣は武具としての価値はうしなったが、祭事用具として長い間、珍重されていたという。

DSC_5182.jpg
▲なにが書いてあるのかは、もちろん読めない


 ま、古代のロマンというわけで、青銅器のマイブームが到来したわけである。

 (おしまい)
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小柄型手裏剣(改)=「翠月剣」への期待/(手裏剣術)
- 2010/10/19(Tue) -
 過日の特別稽古の後、寓居で無冥流・鈴木崩残氏と、上尾で最も旨い焼き鳥店であり、その看板メニューである“かしら”の旨さは鬼神をもひしぐと言われる(?)「やきとり市場」で、かしらをもりもりと食べながら談笑した。

 その際、刀法併用手裏剣術専用の小柄型手裏剣についての話となった。

 本ブログ読者の皆さんはすでにご存知かと思うが、昨年からほぼ1年がかりで検討してきた翠月庵の刀法併用手裏剣術専用手裏剣のトライアルでは、威力・精度・コストなどを総合的に判断して、とりあえずはフライングスチール社製の軽量剣とした。

 しかし私自身、実はこの小柄型手裏剣には、いまだにこだわりがある。

 また、ご厚誼をいただいている複数の武術・武道関係者のみなさんからも、「あの小柄型の手裏剣はいいですねえ・・・」との声を、いくつもいただいていた。

 では、なぜ小柄型を採用しなかったのかといえば、その形状からどうしても、とっさの際の打ち心地に不安があったからである。

 この小柄型剣は、長さ230mmから240mm、刃幅10mm、厚さ5mm。重量は約88gから90gというもので、ようするに平べったい短刀形となっている。このためフライングスチール社製の断面四角形の剣に比べると、とっさに手にとって打つ際、手の内の保持のため、どうしても一瞬、手間取ってしまうのである。

 その点、フライングスチール社製断面四角形の剣の場合、断面が正四角形であることから、とっさに手に取って多少雑な手の内で打っても簡単に刺さるため、剣術や抜刀術と併用した際でも、刺中率の低下が少ないのである。


 基本的に三間以内の接近戦で用いる事が前提の刀法併用手裏剣術用の剣としては、この「一瞬」の間の必要性と雑な手の内では刺さらないという「クリティカルさ」は、どうにも致命的なのである。

 こうした理由で、形状や雰囲気、コスト面でも最上級であったにもかかわらず、小柄型剣はフライングスチール社製の剣に、一歩譲ってしまったわけだ。


 そんななか、崩残氏との談笑の中でふと思ったのが巻物をすれば、手の内が容易になるのではないか? ということであった。

 そこでさっそく、崩残氏がプロトタイプを作成してくださった。その詳細は、とりあえず無冥流・松の間のホームページで速報されている。

無冥流・松の間↓
http://www.mumyouan.com/k/matunoma.html

 私もまだ、手にとってはいないのだが・・・、

 期待大である!

 「翠月剣」という名前はいささか面映いけれども、無冥流と翠月庵の共同研究によるオリジナルの手裏剣という点でも、この「翠月剣」の存在意義には、大きな期待がよせらる。

 改めてまとめると、この「翠月剣」の特徴は、以下の点にある。

・生産コストが非常に安価であること
・一般的な棒手裏剣に比べると、比較的簡単に製造ができること
・(現実的にはありえないが)実用時には片刃の部分に「刃」を付けることで、殺傷力が飛躍的に向上すること
・形状が、日本武術的な美的センスに富んでいること
・近距離から中距離(5~6間)まで直打が可能なこと
・平たい形状から、携帯性に優れていること
・現存する古流および現代の手裏剣術流派・会派で、同様の形の手裏剣を常時使用している団体が皆無であること

 などである。

 このように、翠月剣は、生産性・コスト・実用性、さらに日本的な美的観点、独自性という点からも申し分のないものである。

 ただひとつ、その平らな形状からくる「とっさの打剣時の、手の内の不安定さ」さえ解消されれば、これぞまさに武学倶楽部埼玉行田道場時代から現在に至るまでの、翠月庵と無冥流の共同研究の一大成果となるはずである。

 武術・武道においては、たんに独自性があれば良いというものではないが、一方で独自性のない流儀や会派は、その存在意義がないこともまた事実である。


 「特性の有無で物事の存在価値は測りかねますが、凡そ武道に関して言えば、特質もなければ理論もない流派の存在は無価値に等しいものであります」(玄制流空手道・祝嶺正献師)


 こうした意味でも、もし今回の小柄型手裏剣(改)=翠月剣が、真に実用性と生産性と用の美を備えた剣となるならば、僭越ながらそれを使う一連の手裏剣術体系を、あえて「翠月流」と名乗る事こともまた、やぶさかではないのかもしれないと夢想している。

(了)

追記

 これを書いている今、丁度、無明庵より、翠月剣が到着した。これから、実際に手に取ってみるところである。

追・追記

 これは! 手溜りの感覚が、巻物があるだけでまったく違う。しかも、巻物が厚すぎると携帯性が損なわれるのだが、最小限になっているので、この点も問題はない。

 すぐにでも実際に打って、試さねばならぬ・・・・。

追・追・追記

 急遽、1・5間で、30打ほど打剣。自宅では、距離も回数も、これが限界(笑)。

 手の内の感覚(アバウトでもO.K.かどうか? 手溜りの感覚は? など)はかなり良い。あとは、今週の稽古でたっぷりと打ってみるのみであろう。







 
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特別稽古 指導備忘録/(武術・武道)
- 2010/10/11(Mon) -
日時/2010年10月10日 12~17時
生徒/M・S氏(米国在住)
履歴/幼少時、短期間、抜刀術の指導を受ける。以後、20数年間、書籍などを頼りに独学で斬りの稽古(試斬)を行う。
特徴/M氏は、ほぼ完全な試斬専門の独習者。同様の経歴の者や、外国人に見られがちな「力み」や「けれん」は、意外に少ない。
目的/剣術、居合・抜刀術の基本的な所作、普遍的な理合を知る。
指導内容/翠月庵の基礎剣術(正面斬り、左右袈裟斬り、突き)、基礎抜刀術(刀礼、抜付、正面斬り、袈裟、逆袈裟、横払い、納刀)、初級剣術/組太刀5本(一、摺上 二、切落 三、袈裟 四、胴突 五、波斬)
指導要綱/基本的所作の確認。構え・太刀筋の確認、形稽古による「間合」「拍子」「残心」「位取」などの普遍的な理合の理解。
指導/市村翠雨
助教/翠月庵・K氏
協力/鈴木崩残氏(無冥流)


■所感

●「基礎剣術」編の課題
・袈裟斬りの稽古に偏向していたため、剣の振り上げ時に、剣全体が左に傾く。まっすぐ振り上げ、まっすぐ切り下ろすことに習熟していない。
・居着いた状態での斬りに特化しているため、運足と斬り下ろし、体幹の移動が一致していない。
・袈裟斬りの際、切下しとともに上体と剣先が流れ、軸が崩れる。
・真っ向正面斬りに習熟していないので、斬り下ろしの際、剣先がぶれる。
・有声の気合に慣れていないため、気・剣・体の一致がない。
・晴眼の構えの際、肘が伸び、上体が硬い。
★改善
・基礎剣術(素振り)の習熟。気・剣・体の一致に留意すること。

●「初級剣術」編の課題
・間合の見切りが未熟なため、物打での斬撃にならない。
・斬撃の際、腰が折れ軸が崩れる。
・残心の意識が薄い。
・有声の気合が未熟。下丹田からの発声ができていない。
・「エイ(ei)」という発声が、気を抜くとつい「キアイ(kiai)」となってしまう。(ただし、「気合(kiai)」という単語が名詞であることは、本人は理解している)。
★改善
・初級剣術(組太刀)5本の習熟で、間合の見切り、体幹の移動、残心の取り方と意味、武技としての有声の気合を学ぶ。

●「基礎抜刀術」編の課題
・収刀の際、親指・人差し指・中指で刀をせめるクセがある。
・抜付の際、剣先が右に流れ、正中線が開きすぎてしまう。
★改善
・当初は収刀の際、刀をせめない方法を指導したが、本人がせめる方法に習熟していること、普段から真剣を用いていることから、収刀法を変えるとかえって指を傷つけてしまいそうなため、あえて修正をしないこととする。
・手之内の締めと「残心」の意識で、抜刀時の剣先の流れを防ぐ。

●雑感

 全体的に斬りの稽古に特化した者特有の、斬り下ろし時の剣先の流れ、上体の崩れ(不要なねじり)、晴眼の構えの際の硬さ(肘が伸びてしまう)、真っ向正面斬りの未熟さが目立った。

 これらについては、基礎の素振りを反復しながら、入念に問題点を指摘。改善に努めた。

 「気合は武技である」という意識がなかったため、斬撃に合わせて有声の気合を反復させた。しかし下丹田からの発声は、なかなか難しく、ともすると胸からの発声になってしまった。「気合(発声)は武技である」という点を、十分に説明し、理解を促した。

 「エイ(ei)」と気合を掛けるということは頭で理解しているものの、斬り下ろしや運足、形の所作、下丹田からの発声に気をとられてしまうと、どうしても「キアイ(kiai)」と発声してしまうようであった。

 擦上げや受け流し、勝太刀(切落)など基本的な「技」については、形の反復で、比較的容易に理解させることができた。

 本人の性格もあり、思ったよりも力みやけれん味がなかったため、指導そのものはたいへんスムーズに行うことができた。

 「位」という理に導くための入口としての、「残心」について、形やその応用、拍子も含めて入念に指導し、理解を促した。

 身近に稽古相手がいないということで、組太刀の稽古が日常的にできないというのが、今後の継続的な課題である。次善の策として、基礎剣術・初級剣術の所作を、動画撮影し、以後の教材とした。

 指導においては、指導者以外に助教がいることで、たいへん効率的な指導ができる。

 組太刀指導の際、木太刀に鍔は必須である。

(了)
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君が武術を志すのであれば・・・/(武術・武道)
- 2010/10/02(Sat) -
 これから出会う異国の剣士である君へ、あらかじめ私の想いを記しておこう。


 本来、剣術や居合・抜刀術の稽古においては、「形」と「斬り(の稽古)」は、車の両輪である。

 しかしながら、その割合は、けして5:5というものである必要はない。

 私自身は経験的に、形稽古8割:斬り2割程度で十分ではないかと思っている。


 自分の経験を振り返ってみると、初めて抜刀術を指導していただいた13歳から、39歳になるまでの26年間で斬りの稽古は1回だけしかやっていなかった。それも、親指ほどの姫竹を、適当に袈裟で数回斬っただけである。

 その後、数年前から戸山流のT先生にご厚誼をいただいたことから、昨年来、年に1~2回、同先生の検分の元、斬りの稽古をさせていただいている。

 そこで実感したのは、

「普段から正しい形稽古をしておれば、ことさら試し斬りに執着しなくても、武術として必要最低限は斬れる」

 ということである。

 実際のところ、私は26年間で1回しか試斬をしたことがなかったにもかかわらず、しかもその1回は24年前に刃のついた刀で親指ほどの太さの姫竹を斬っただけにも関わらず、流儀の形通りの動きで、しかも刃を引いた本身で、手首大の太さの竹を両断することができた。

 もちろんこれは、戸山流の遣い手であるT先生のご助言あればこそではあったのだが。


 ここで私が強調したいのは、

 武術としての剣術・居合・抜刀術を稽古したいのであれば、ことらさ試し斬りの稽古にこだわる必要はない。

 普段から正しい形稽古を中心とし、斬りの稽古はあくまでも補助的にするべきである。

 具体的には、形稽古8~9:斬りの稽古2~1で十分であろう


 ということである。


 もちろん、現代の日本は自由の国であるから、日本刀の斬りという行為の可能性の限界に挑みたいという方の、意図や行為を批判するつもりはない。

 やりたい事を自由にやれば良いし、限定的な局面での技術の追求は、スポーツとしてたいへん有意義であろうかと思う。

 しかし、本来的に対人攻防である”武術”としての剣術や居合・抜刀術を稽古したいのであれば、斬りに特化した稽古は、無意味とはいわないが、合理的で効率的な稽古ではない。

 なぜなら、人生の時間は限られているからである。

 限られた時間の9割を固定された試物の斬りの稽古だけに使った者と、同じ時間を形や撃剣の稽古に使ったものが、実際に立ち合った場合、結果はどうなるか?

 みなまで言う必要もないであろう。

 だからこそ古来から、対人攻防を目的とした剣術や居合・抜刀術と、静止した物体を専門に斬る据物斬りは、流儀としても武芸としても、別のものとして区別されてきたのである。

 ゆえに自身が、静止物をいかに見事にそして精妙に斬るのかを追求したいのであれば、存分に試し斬りの稽古をすればよい。そこでは、名刺斬りやカード斬り、畳表の多数斬りなどなど、さまざまな課題があるであろうし、それらを見事にやり遂げる努力と技術を、私は否定はしない。

 しかし、自由な意志を持ち、喜怒哀楽の感情を有した人間同士が、剣という武具を持って立ち合うための技術=武術である剣術や剣道、居合術や居合道、抜刀術を学びたいのであれば、斬りの稽古以前に、やらねばならない稽古が山のようにあるのだ。

 相手と対峙した際の「先」、さまざま相手との「拍子」、目に見えない武器となる「位」、千変万化する「間合」、理合の通りにはことが運ばない「崩れ」への対応、そして「残心」・・・・。

 こうした対人攻防には必須の、そして武術には欠かす事のできないイロハは、試し斬りの稽古だけでは学ぶことができないのだ。

 私個人は、固定していない畳表が何回斬れるとか、名刺やカードなどの極薄ものが両断できるなどといったことについては、「すごいなあ」とは思うけれど、武術人としては、あまり意味を感じない。

 畳表は、刀に刃がついていればだれでも斬れるものだし、固定してあろうがしていなかろうが、斬り返しで2~3回も斬れれば十分であろう。

 極薄のものが斬れる刃筋の正確さはたいしたものだが、動き回る人間を相手にする場合は、手首の太さが正確に斬れればそれで十分である。首や大腿部は、手首よりもはるかに太い。

 ゆえに、畳表の多数斬りや、極うすのカード斬りを稽古するする暇があれば、受け流しや摺り上げ、切落や勝太刀、入り身や寄り身、抜きや見切りの稽古、つまり形稽古を入念にするべきである!

 だから君が据物斬り家ではなく、武術家を志すのであれば、相対形でも単独形でも、とにかく形をしっかりと稽古しなさい。

 そして形稽古の補完として、撓打ちや撃剣など自由攻防の稽古も、若い間に十分に体験しておきなさい。

 その代わり、斬りの稽古は年に数回でもかまわない。積極的にやるにしても、月に1回の稽古で十分だ。

 
 こうした思想で、私はまだ見ぬ君を迎えようと思う。

 君が少しでも武術としての何かを感じてくれれば、私はこの上なくうれしく思う。


 市村翠雨 謹識

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