平成23を振り返って/(手裏剣術)
- 2011/12/30(Fri) -
 年の瀬である。

 とはいえ個人的には、明日まで仕事であり、あまり正月気分というわけでもない・・・(苦笑)。


■今年の成果と反省

 平成23年の翠月庵を振り返ってみると、今年は稽古会としての基盤を固めた意義のある年だったように思う。その上で、昨年末、このブログで書いた「平成22年を振り返って」という日記に記した今年の目標を振り返ってみよう。

「その上で来る平成23年の目標であるが、まず第一に、翠月剣の制定に合わせて、翠月庵の手裏剣術の教習体系を見直す予定である。現状では、長剣、穴あき重量剣、軽量剣などの使用を前提とした体系になっているが、これを長剣と翠月剣の2種使用を前提とした体系に見直す予定だ」

 今年6月、当庵の教習体系について大改定を行った。これにより、長剣と翠月剣を使って稽古を進め、最終段階で刀法併用手裏剣術に習熟することで、武術の「事」と「理」を学ぶという、当庵の手裏剣術の稽古体系が、概ね整えられたと考えている。

 当然ながら、今後も細かな改定はあるだろうが、基本的には現在の教習体系が、翠月庵の根幹になることは間違いない。

 これひとつだけでも、平成23年度は、たいへん大きな意義のある年だったといえるだろう。


「次に、個人的な目標としては、翠月剣の習熟。これに尽きる」

 これについては、残念ながら納得できるような成果を実感できなかった。原因は、稽古不足による未熟。これに尽きる。

 12月になってようやく、手首の使い方に思うことあり、なんとなく光明が見えたところもあるけれども、やはり個人的な技量については、引き続き自分に厳しいハードルを課していかなければなるまいと思う。

 特に今年は、演武こそなかったものの、テレビ撮影という「真剣勝負」の場で、思うような実力を発揮できず、己の未熟さを改めて突きつけられたことは、貴重な経験として来年に活かしていきたいと思っている。


「また稽古会としての目標、というか予定であるけれども、来年は、もう少し会としての行事に積極的に取り組みたいと考えている。具体的には、講師を招いての会員向けの技術講習会の実施、友好団体にお邪魔しての剣術・抜刀術などの交流稽古なども実施できればと考えている」

 これらについては、夏と冬の2回、戸山流居合抜刀術美濃羽会中津川稽古会の棚田先生のご好意により、合同稽古や手裏剣術講習会を実施。

 また秋には、無冥流・鈴木崩残氏をお招きして、当庵で手裏剣術講習会を実施することができた。

 従来のように、市村個人のお付き合いから一歩進んで、翠月庵という武術団体として、他流の皆さんとの交流が深まったことは、会の代表として、またひとりの武術・武道人としてもたいへんうれしく思う。


■来年の目標

 平成24年の目標だが、まず翠月庵としては、結庵5年目にして初めて、公の場での演武に臨む予定である。

 演武に関しては、私個人が、かつて香取神宮にて手裏剣術の奉納演武をしたことがあるが、団体としてはその機会がなかった。

 そこでこの春、翠月庵としての演武会に出ることを予定している。詳細については、改めて詳述する予定である。

 今年度予定しているのは、春に1回だけだが、将来的には「真剣勝負の場」として、年に2~3回の演武出場を目指していきたいと考えている。


 会の運営としては、引き続き、粛々と稽古会を継続していくつもりである。

 また来年は、今年同様、他流との交流や講習会の実施など、会としての活動を強化していきたいと考えている。さらに、合宿についても、実施したいところだ。


 一方で個人的な目標としては、今年に引き続き翠月剣の習熟が第一の目標である。具体的には、これもまた引き続き、今年以上に三間直打での精度の向上を、徹底的に目指さなければならない。

 そのためには、これもまた昨年も書いたことだが、翠月剣による四間直打の稽古をたっぷりとしなければなるまいと思う。

 なかでも、その日の稽古の最初の一打の的中率。そして、連打の際の精度。この2つには特に留意せねばならない。

 また「真剣勝負」としての演武を念頭において、心法を深めていかなければならないと考えている。

 それからもう1つ。従来、当庵では飛刀術は二間直打としてきたが、これについて三間での稽古に取り組んでみたいと考えている。

 脇差を直打で打つという翠月庵ならではの特色を、これまで以上に深めていきたい。


■今年も1年間、ありがとうございました

 さて今年も1年間、たくさんの皆様にご支援をいただきました。

 無冥流投剣術・鈴木崩残氏には、今年も手裏剣の製作から講習会まで、たいへんお世話になりました。本当にありがとうございます。個人的にも12月には、すばらしい円明流の手裏剣を作っていただき、とてもうれしく思っております。

 戸山流居合抜刀術美濃羽会中津川稽古会の棚田先生には、合同稽古や手裏剣術講習会の場をいただくとともに、私や当庵会員に真剣刀法のご指導もしていただき、翠月庵代表として、またひとりの後輩武術・武道人としても、心より感謝しております。

 今年もいろいろとご迷惑をおかけしましたが、貴重な稽古場を提供してくださっている家主様にも、改めてお礼申し上げます。

 そのほかにも、ここには記しませんでしたが、さまざまな形でご厚誼をいただいた武友の皆さんにも、心よりお礼申し上げます。

 今年1年、ありがとうございました。

 来年も、手裏剣術伝習所 翠月庵を、宜しくお願い申し上げます。


 それでは皆さん、良いお年を。

 翠月庵主
 市村翠雨 謹識

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円明流(竹村流)短刀型手裏剣を打ってみた/(手裏剣術)
- 2011/12/24(Sat) -
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 本日は稽古納めだったので、最後に、先日完成したばかりの、円明流(竹村流)短刀型手裏剣を打ってみた。

 距離はとりあえず二間。

 順体の上段構えから、直打で打つ。

 重たく短刀型に刃があるので、的への飲み込みがたいへん良い。

 二間での刺中の調子から、おそらく三間直打でも十分に刺中できるだろうと、強く確信できた。

 が、もったいないので(笑)、二間で数回打つだけでやめておいた。


 たとえば日本刀の場合、武用の刀と観賞用の刀は別であり、それらを混同して稽古に用いるような者は、芸の「道理」をわきまえない未熟者である。

 こんな「道理」もわきまえないような者に、武術の「位」や「先」、「間合」や「拍子」という高度な道理が分かるはずがない。

 そして、武術の道理をわきまえていない者は、たとえ試合が強かろうが、試物が斬れようが、手裏剣が刺さろうが、未熟者なのである。

 オリンピックで2回も金メダルをとるほど強くなっても、破廉恥な罪で、あたら人生を棒に振るようでは、しょせんは筋肉バカ、まちがっても武道家ではないと断言しよう。


 この剣は観賞用として制作していただいたわけではなく、研磨や焼入れなど、あくまでも武用のための手裏剣として作っていただいた。

 けれどもやはり、当庵の翠月剣のようにガンガンと打つような手裏剣ではない。

 手裏剣術創成期の遺風を感じながら、己の術を振り返るための武具として、大切にしていこうと思う。

 (了)
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円明流(竹村流)短刀型手裏剣/(手裏剣術)
- 2011/12/20(Tue) -
円明流短刀型手裏剣2


 過日、無冥流の鈴木崩残氏に、翠月庵での講習会のために拙宅に泊まっていただいた際、「円明流(竹村流)の短刀型手裏剣の写しを、制作できないだろうか?」と、なかば話半分で相談させていただいた。

 その後、同氏のご好意によって、ついに完成したのがこの剣である。

 剣聖・宮本武蔵を流祖とする円明流の短刀型手裏剣は、長さ8寸(約240ミリ)、元幅8分5厘(約25.5ミリ)、棟の厚さ5分(15ミリ)、重さ70匁(約262グラム)である(成瀬関次著『手裏剣』より)。

 当初は、この剣のサイズそのままの再現を考えたのだが、15ミリという鎧通し並の棟の厚さについては、材料そのものが調達できず、棟厚6ミリとし、それ以外の寸法は、全て上記に合わせた。このため重さについても、本来は262グラムとなるべきところが、この剣では224グラムとなっている。

 それにつけても、実際に手にとってみると実に大きく重い。感覚としては、出刃包丁の握りをはずして茎の部分を切り落とし、刃の部分だけを手裏剣にしたようである。

円明流短刀型手裏剣1


 基部に空けられた穴は、ここに房のついた紐などを通すためのものである。

 長さ、重さともに、当庵で普段使っている無冥流の長剣に比べても、迫力満点だ。

円明流短刀型手裏剣3


 この手裏剣は鞘などに入れず、このまま前腰などにたばさむため、鉈刃程度の刃付けとなっている。制作に当たっては、一枚板の鋼板をカットしたものを、グラインダーと砥石で形を整え、焼き入れをし、表面を墨染めにしている。オールハンドメイドの一点ものだ。

手裏剣比較


 所蔵するいくつかの手裏剣と並べて見る。

 上から、無冥流長剣、円明流短刀型手裏剣、翠月剣、知新流手裏剣、香取神道流手裏剣である。

 こうして並べてみても、円明流の手裏剣の迫力は、際立っている。さらに手にとってみると、そのずっしりとした重量感から、武具としての手裏剣の迫力が伝わってくるようだ。

円明流短刀型手裏剣と翠月剣


 同じ短刀型手裏剣である翠月剣とならべてみると、新旧の剣の対比が非常に興味深い。この円明流の剣は、現代の短刀型手裏剣である、翠月剣の原型である。

 今回、円明流の手裏剣の写しの制作は、あくまでも手裏剣術の研究と私のコレクションの一環としてお願いしたものであり、棟厚こそ正確に再現することはできなかったが、その仕上がり、実際に手に取った時の感触、武具としての完成度、工芸品としての魅力、いずれについても十分に満足できる逸品となった。

 この場を借りて改めて、すばらしい剣を制作していただいた、無冥流・鈴木崩残氏にお礼を申し上げます。

 ありがとうございました。


 これだけすばらしい仕上がりだと、実際に打つのはもったいない。

 翠月庵の守り刀ならぬ守り手裏剣として大切に保存し、ときおり手にとって、ひとりニヤリとほくそえんでいるのが、最も良いのかもしれない(笑)。

(了)
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今年最後の手裏剣術講習会と、合同稽古での剣術、居合・抜刀術三昧/(武術・武道)
- 2011/12/13(Tue) -
 去る12月10日(土)~11日(日)は、ご厚誼をいただいている戸山流居合抜刀術美濃羽会 中津川稽古会のT先生にお招きをいただき、手裏剣術講習会と合同稽古、そして同会の忘年会に参加させていただいた。

 手裏剣術講習会に関しては、すでに4回目くらいになるであろうか(正確に数えていないので、かなりあいまいだが・・・)。しかし短刀型手裏剣である翠月剣については、皆さん初めての打剣だ。

 簡単に短刀型手裏剣のあらましを説明した後は、なにはともあれ存分に打っていただく。

 最初は無滑走2点打法で打ってもらうが、滑走打法の方がよいという人には、滑走をかけて打ってもらう。

 1時間以上打剣をしてもらううちに、打つ人が滑走派と無滑走派が分かれてくるのが面白い。

 以前から打剣のセンスがよく自習もしているというAさんは、二間からの踏み込みで、滑走をかけて翠月剣を深ぶかと刺中させていたのは、見ているこちらも爽快であった。

 打ち方はひじをたたんだ自己流の滑走+スナップ打法だが、速度も威力も十分なので、無理に翠月庵流の無滑走点打法や滑走打法にする必要はなく、今のままの打剣で2間半~3間での的中が完成すれば、武術的に十分だと思う。

 これからも、精進してください。



 翠月剣の講習の後は、みなさんと鍋を囲みながらの忘年会。

 コアな武術談義に花が咲くのはもちろんだが、身幅厚い2尺6寸の豪壮な造りの真剣を拝見したり、2尺8寸の居合刀を抜き差ししたりと、さすがに抜刀術流儀の忘年会は一味違う(笑)。

 私も2尺8寸を抜かせてもらったが、これは良い稽古になるなあと実感。

 同時に、常寸の刀ででも、普段から正しい鞘引きと腰の割りができていれば、この長さでも意外に普通に抜けるのだなあとも感じた。

 結局、皆既月食も見逃してしまい、深夜まで武術談義で盛り上がる・・・。


 翌日。

 朝、斬りの稽古(試斬)をさせていただく予定だったが、一同すっかり熟睡してしまい、今回は中止。

 朝食後、体育館に移動して、中津川稽古会と翠月庵との合同稽古となる。

 といっても、当庵からの参加は私だけなので、中津川稽古会の皆さんの通常の稽古に私も混ぜていただく。

 素振り、打ち込み、型の利合に準じた掛り稽古、居合・抜刀術の型で対敵の拍子と先をつかむ稽古など、存分に剣術、居合・抜刀術の稽古を行う。

 ひさびさに指導者ではなく、いち稽古者として心おきなく木太刀を振るうことができ、実に爽快な気分!

 やっとうの稽古というのは、やはりこうでなければ。

 稽古後は、皆さんと一緒にうどんをいただき歓談。その後、苗木城を見学した後、中津川を後にした・・・。


 2日間、充実した時間をすごさせていただきまして、戸山流居合抜刀術美濃羽会 中津川稽古会のT先生と会員の皆さん、本当にありがとうございました。

 次回は桜の咲くころに、再びお会いできますこと、楽しみにしております。

 手裏剣術伝習所 翠月庵
 市村翠雨 拝
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講習会前備忘録
- 2011/12/09(Fri) -
 明日は、戸山流居合抜刀術 美濃羽会 中津川稽古会の代表であるT先生にお招きをいただき、同会員のみなさんを対象にした「翠月剣講習会」を開催。さらに翌日は、真剣による斬りの稽古や、同会のみなさんとの合同稽古の予定である。

 同会のみなさんには、これまでも数回、手裏剣術の講習を受けていただいているが、翠月剣のような短刀型の手裏剣を打っていただくのは初めてである。


 断面が丸や正四角形の一般的な棒手裏剣に比べ、短刀型の手裏剣はその形状やバランスからも、なかなかに厄介な(笑)手裏剣である。

 そういう意味で、今回は二間間合前後の近距離打剣を中心に、難しさを含め、その独特の打ち味を楽しんでいただければと思う。

 (了)



 
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平成の読書撃剣/(武術・武道)
- 2011/12/02(Fri) -
 こんなご時世にうれしいことなのであるが、12月も相変わらず多忙である。

 多忙であるということは、仕事に通常よりも多く時間をとられるわけであり、そうなると当然ながら、地球上の1日は24時間しかないわけで、なんらかの生活行為に使う時間を仕事に当てることとなる・・・。

 そうなると、やっとうやら手裏剣やらの稽古の時間が削られるわけだ。


 稽古というものは、週1回12時間ぶっ通しの稽古よりも、1日2時間×6日の稽古のほうが身につくというのが一般的な考え方である。

 そこで平成の武術・武道人は、いかに日々の暮らしの中で、稽古の時間を作るのかに苦心するわけである。

 一方で、私のような自堕落な人間は、毎朝3時に起床し、斎戒沐浴して稽古をし、それから仕事・・・などということは、絶対に無理である。

 そこで基本的に1日1時間、任意の時間を使い、たとえば1日15分×4回でもいいので、とにかく何がしかの稽古をすべく心がけているわけである。

 なお、あくまでも心がけているのであり、毎日実現できているわけではない、念のため・・・。


 とはいえ、なにしろ団地住まいの貧乏浪人の身。剣術や抜刀術の稽古がのびのびできるような、広い部屋などあるわけがない。また近隣の公園も団地の中だけに、社会通念上、居合刀や木太刀を振り回したり、ましてや手裏剣を打つなど言語道断である。

 ということで、日々の稽古について、知恵を絞ることになる。

 手裏剣術に関しては、なんとか座打ちで二間の距離を室内でとることができるので、原稿書きの途中の気分転換に、5分とか10分とか、剣を打つことができる。

 古来、手裏剣術は、書見の合間などに、一人で屋内や庭などで稽古ができることから、読書撃剣とも呼ばれたが、これぞまさに平成の読書撃剣である。

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▲的はバスマット。天井の高さや欄間の関係で、座打ちで二間が限界である。また我が家は団地の家具付き借家なので、失中で壁や家具などは絶対に傷つけられない。さらに的の上に置かれたパソコンのプリンターや、すぐ横にあるパソコン本体は、あえてそのままにして、精神的な緊張感を高める。一打必中の緊張感は、ある意味で野天道場である稽古場の比ではない(笑)


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▲二間、座打ちで翠月剣を打つ。この距離で的をはずすようでは、屋内での稽古はできなかろう


 二間という距離は、手裏剣術の稽古としては、本当に最低限の距離なわけだが、それでも何も打てないよりはマシである。


 では、手裏剣術以外の稽古はどうしているか?

 居合・抜刀術や剣術については、とにかく、1日1回は、木太刀や打刀に触ること。

 我が家で最も広いのは台所である。しかし、ここでは座技でも立合でも、横払いは無理だ。しかし斬り上げや正面斬り、袈裟斬りであれば、座技でぎりぎりできる。

 立合でも、斬上げの抜き付けであれば、抜き差しの稽古がなんとかできる。

 そこで仕事の合間や食事の後、寝る前など、できるときにできることをやる。5分でも、10分でもいいので、やる。1日たった10分剣を振るうだけでも、6日続ければ1時間の稽古である。

 なにもやらないよか、ましなのだ。

 
 その昔、29~39歳までの10年間、空手道を中心に稽古をしていた頃のこと。

 とある先輩が、こんなアドバイスをしてくださった。

 「社会人ならば、毎日稽古ができなくて当たり前。道場にだって、毎週なんて通えないよな。それでも工夫次第で、いろいろな稽古ができるんだよ。それでもどうしても、1日の中で、たった5分の時間もとれず、何もできない日も必ずある。そんな日には、3回だけでいいから、全力で正拳突きをする。3回だけでいいから。たったそれだけでも、何もやらないのに比べたらぜんぜん違うよ」

 この先輩は、某有名企業勤務でとにかく多忙な人だった。このため道場の稽古には来たり来なかったりだったけれど、地稽古はとにかく強かった・・・。

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▲4年前、空手道の現役時代最後の試合のひとコマ。空手道での自由組手や試合、身体と身体の生のぶつかり合いの経験は、12歳から始めた古流武術の稽古では学ぶことのできない貴重なものであった


 また私の古流の旧師は、稽古場でよく、こんなことを言っていた。

 「道場というのは、技を習いに来る場所。練習しに来る場所じゃないんだよ」


 最近、日常で心がけているのは、正しい刃筋である。

 普段、稽古で使っている居合刀は、いずれも樋が入っているので、ふればピューピュー鳴るわけだが、樋の入っていない長い刃物で、「樋音」ではなく「刃音」がきちんと鳴るよう心がけている。

 これもたいがいは夜寝る前などに寝室で、跪坐(きざ)の状態での正面斬りなどを行い、刃音がきちんとするかどうか繰り返している。樋がない刃物は、正しく斬り下ろさないと、まったく刃音が鳴らないので、良い稽古になるのだ。


 さて、それでは上記のような、5分、10分といった細切れの時間さえ取れないときには、どうするか?

 私は次のような点を心がけている。

・武術関連の書籍を読む
・頭の中で、組太刀や型稽古を行う
・手裏剣や打刀、木太刀などにさわる

 たとえ打てなくても、手裏剣に触って重心の位置を確認するだけでも、稽古になるものだ。


 私たちは社会に生きている以上、働いて自分の食い扶持を稼ぎ、家族を養い、可能であれば職業を通じて社会に貢献していかなければならない。

 しかも近年は、良いか悪いかは別にして、油断すれば誰かに追い越され仕事を失ってしまうこともまれではない、過酷な成果主義、能力主義の時代である。

 一方で武芸というのは本来、生業にするようなものではない。

 だからこそ私たちは、健全な社会人として日々を送りながら、暮らしの中で自分なりの稽古を工夫していく必要があるのだ。

(了)

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