7月の読書備忘録~あるいは大人の夏休み課題図書/(書評)
- 2012/07/24(Tue) -
 前回は7月に見た主な映画。今回は7月に読んだ、主な本の寸評。


・『新解 函館戦争――幕末箱館の海陸戦を一日ごとに再現する』(兵頭二十八/元就出版社)

 二股口で土方歳三指揮の軍が無類の強さを誇ったのは、兵站線の短さと野戦築城のためだった。海軍力だけでは、戦争は決しない。ところで、陸自は定員を減らす傾向だが、それでよいのか? 来るべき中共軍との南西諸島戦争に向けて、読んでおくべき一冊。


・『 西南戦争―西郷隆盛と日本最後の内戦』 (小川原 正道/中公新書)

 再読。薩軍と新政府軍、それぞれが消耗した弾薬の数、迂回上陸による挟撃を可能にする海上輸送力。これらを比較すれば、両者の戦力差は一目瞭然。それでも決起するしかなかったところに、士族反乱の根本があるのだろう。それにしても、こうした身近でなまなましい戦訓を、なぜ昭和の軍人は活かせなかったのか? 弾と飯と足、そしてビジョンと大義のない軍隊は勝てないのだ。


・『放哉全集(1)~(3)』(筑摩書房)

 これまで昭和に編まれた一巻本の全集しかもっていなかったが、思い切って購入。自由律俳句の天才・尾崎放哉の全俳句、随筆、全書簡、日記などを網羅した決定版。命を削るように磨いた秀句の数々はもとより、その膨大な書簡は、ひとつの文学であり、大正という時代をはみ出した、悲しい現代人・放哉の姿を生々しく伝えている。


・『奥の細道』(松尾芭蕉/岩波文庫)

 再読。本文と併せて掲載されている曾良日記を味読。芭蕉の紀行は旅の行程のそこかしこが省略されているが、曾良の日記を読むと、二人の旅の日常をよりリアルに知ることができる。蚤や虱にたかられ、風雨にさらされ、時には追いはぎの恐怖も味わう、往時の旅の厳しさを知る。それだけに各地で見る景勝の数々は、今以上に崇高に見えたのであろう。


・ 『陸軍“めしたき兵”奮戦記―異色の戦記〈1〉』(「丸」編集部/光人社NF文庫)

 炊事、電信、整備、軍楽隊など、従来の戦記ではあまり語られることのなかった兵士たちが語る、戦争の記録。野戦重砲連隊のノモンハン戦の描写は生々しい。戦争は英雄や名将だけのものではない。また8月15日がやってくる。


・『居合道読本』(西内雅編著/おりじん書房)

 再読。昭和50年発行、「居合各流範士校閲」の文字が重々しい。分裂前、あるいは直後の全日本居合道連盟の公式書籍のようである。制定当事の全日本居合道連盟刀法5本の解説をはじめ、武道・武術とスポーツの関係性の記述も興味深い。付録の日本刀の予備知識など、170ページの小冊子ながら、基本から参考応用まで実に内容の濃い一冊である。


・『図画百鬼夜行全画集』(鳥山石燕/角川文庫)

 再読。暑気払いに、つらつら眺める。江戸人の創造の飛躍に随行し、就寝前の幻想を楽しむ。がんばり入道ホトトギス・・・。


・『メリイクリスマス』(太宰治/青空文庫)

 主体の不在が、周囲の人々に及ぼす影響というのは、古くは『ゴドーを待ちながら』、近年では『ツインピークス』など、古今東西、戯曲や小説、映画の重要なモチーフである。前半の「ちゃらい」展開から中盤の重さ、そして終盤の不思議な滑稽さと、太宰らしい小説世界が広がる。とりあえず読後は、うなぎと南京豆で、一杯やるしかあるまいね。


・ 『茶湯一会集・閑夜茶話』 (井伊直弼/岩波文庫)

 再読。茶人・井伊直弼の茶道雑記。歴史上の人物である井伊直弼が、語りかけるように茶道のイロハを記述する。こうした時空を超えたコミュニケーションこそ、古典を読む醍醐味だ。



 それにしても、年をとると再読が多くなる。

 20~30代は例年、年間300冊超は楽勝だったが(アパートの押入れの床が抜けること2回)、ここ最近は多分、過半数が再読。年間の読書のうち、初見は多分50冊くらいだろう。

 読書力も、加齢とともに衰えるものよのう・・・。

 (了)
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7月の映画鑑賞備忘録/(身辺雑記)
- 2012/07/22(Sun) -
 最近、硬い話が続いているので、ちょと息抜きをば・・・。

 7月に見た映画の寸評。


『赤い鳥逃げた?』/全共闘終焉後の焦燥感あふれる作品。原田芳雄と桃井かおりが、若っ。ちなみに桃井かおりは、全編でほとんど脱いでいる。70年代前半という時代は、妙に今と変わらず、一方でひどく昔のようでもあり、その空気感が新鮮。ストーリーや演出は、時代性を考慮してみないと、「・・・?」となる作品。

『我に撃つ用意あり』/最近も『キャタピラー』などの問題作で気を吐く、若松孝二監督作品。これまた、原田&桃井コンビ。そして、バブルに生きる全共闘世代の姿が、いささか小っぱずかしい。石橋レンジの殺され方が最高。

『十三人の刺客』/ゴアの帝王・三池監督作品。個人的にはある意味で、古今東西の時代劇映画・ドラマの中で、最もリアリティのあるチャンバラ作品ではなかろうかとも思う。刀の重さ、斬れ味、斬りおとされる首の重量感、そして東洋的な身体と刀の使い方がほどよく表現されている。外国人監督が演出した日本刀の立ち回りを撮ると、くるくる回ったり、やたら蹴りを入れたりと、身体の動かさせ方が、非日本的なのだ。一方で、従来の日本の時代劇は、刀の扱いが総じて軽すぎるのだ。それにしても、キャストで一番チャンバラがうまいのは、やっぱりヒロキだねえ・・・。あと、ゴローちゃんの極悪非道っぷりは、最高! 

『サイレント・ヒル』/原作のゲームは、伝説的ホラー・アドベンチャー。私はその昔、たぶん100回以上クリアしたことがある。UFOエンディングが好きデス。映画は原作の雰囲気をよく残しつつ、2時間ほどの作品に良くまとめている。しかし、中盤以降、ヒロインが急にたくましくなるのは、よくあるパターンの演出だが、すこし違和感あり。しかしシビルの髪型は、どうにかならないものか?

『デンデラ』/姥捨て山の後日談。そして熟女オールスター出演。おばあちゃんたちが、自分たちを見捨てた村人を、皆殺しに行く映画。そしてルリコの最後の戦いは、秘策があるかと思いきや、基本ノープラン。それで勝てるのか? 草笛光子の怪演は。それだけで見る価値あり。

『ベストキッド4』/ヒラリー・スワンクが若っ! ノリユキ・パット・モリタ氏の、相変わらずのまったりムードもお約束。B級青春映画版『ミリノンダラー・ベイビー』といったところか。やっぱ「カラテ・キッド」は、カラテでないと。カンフー教えたら、あかん。

『REC2』/スペインのSWATは、こんなにヘタレだったのか! っと驚くホラー。やたら無駄弾を消費しているが、ヘッドショットで1匹ずつたおしていけばいいのにね。おまけに、びびって、せっかく手に入れたあれを・・・。とにかく、おまわりさんが情けないお話。

『ノウイング』/いつも困った顔をしているちょっと髪・・・じゃなくて影の薄い善人・ケイジ君が、一生懸命子供を守ります。そして子供は守られます。でも、人類皆殺し・・・。携挙ってやつですか。キリスト教のこういうところがね、ちっ、とかみ締めながら見るパニックムービー。


 いや~、映画って本当にいいもんですね。

 (了)

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武道は死んだ/(武術・武道)
- 2012/07/19(Thu) -
剣道日本代表、女子高生に裸の写真を送らせる

読売新聞 7月19日(木)11時49分配信

 女子高校生に裸の写真を携帯メールで送らせたとして、警視庁は19日、神奈川県警第2機動隊巡査部長、A容疑者(31)を児童買春・児童ポルノ禁止法違反容疑で逮捕したと発表した。

 同庁幹部によると、昨年10月16日、インターネット上の掲示板で知り合った当時高校2年の女子生徒(当時16歳)に、携帯メールで裸の写真を送信させた疑い。

 A容疑者は剣道日本代表チームのメンバーで、今年5月に行われた世界剣道選手権大会では団体戦に出場し、優勝していた。

 被害に遭った女子高校生は剣道ファンで、昨年10月以降、電話などでやり取りをしていた。A容疑者は「君が好きだから、裸の写真を送って」と持ちかけていたという。


~以上、一部改編して引用、終わり~


 良いか悪いかは別に、あるいは納得するかどうかはさておき、日本武術の頂点は剣術にあり、現代における剣術諸流の嫡男が剣道であることは、議論の余地がない。

 個人的には現代の剣道は、「剣」の道ではなく「竹刀」の道ではないかと思うのだけれども、それはそれ、裏街の手裏剣屋のひがみなので、軽く聞き流してもらってよい。


 さて、剣術諸流の嫡男たる剣道の第一人者が、児童買春・児童ポルノ法違反で捕まってしまった。

 容疑者は神奈川県警所属の六段。そして2008年の全日本剣道選手権大会の優勝者であるという。

 いわば日本一の剣道家が、子供に裸の写真を撮らせて自分に送らせ、お縄になったということである。

 よもや、言葉もないのは、私だけではあるまい。


 全日本クラスの武道家が、どれだけ強いのか?

 私はこのレベルの剣道家と立ち合ったことはないけれど、空手家であれば、全日本選手権準優勝の現役の先生に、数年にわたり稽古をつけていただいた経験がある。

 私がよく「位」の技を言うのも、こうした経験からなのだが、日本で1番とか2番になるレベルの武道家というのは、ようするにバケモノじみた強さの人々であって、我々のような市井の武術・武道人とは、まったくケタが違う。

 たとえるなら、地稽古や試合組手などの相手をしていただいても、鉄の壁(先生)に生卵(自分)が叩きつけられるようなもので、まったくお話にならない。

 町道場の五段六段と、全日本クラスの五段六段というのは、まったく別物であって、選ばれた彼らは、本当に常人離れして強いのである。

 一方で、こうした抜きん出た強さというのは、天賦の才だけで維持できるものではないのも、また事実である。

 生まれ持った才能に加えて、我々、凡人には及びもつかない、厳しく激しい、そして過酷な稽古を、日々されているからこそ、そのレベルが維持できることも、身近に接する機会をいただいただけに、私はしみじみ実感している。


 こうした在り様は、空手家に限らず、柔道家も、あるいは剣道家も同じであろう。

 それだけ厳しい日々を送り、武道に人生をかけて日本一にまでなった、選ばれた武人が、子供の裸で足をすくわれてしまうのである・・・。


 性欲の問題というのは、人間について回るものだ。

 私もそれを否定しない。いや、肯定しても良い。

 が、しかし、法に触れるようなことを、なぜにわざわざするのであろうか?

 性犯罪で捕まるような、「位」を誤った行為をしでかすようでは、その人物が何段であろうが、全日本で何位だろうが、

 所詮は未熟な三流武芸者

 である。

 そんなに我慢できないなら、ソープに行け!

 あるいは、デリヘルでも呼べば良い。

 今の日本社会では、これらで逮捕されることはなかろう。

 一方で、未成年の子供に裸の写真を送らせたり、酒に酔わせて性交したりすれば、逮捕されるのはいまさら言うまでもないことである。 

 
 ここ数年を振り返っても、柔道オリンピック金メダルのBしかり、空手道元日本代表のCしかり、日本を、いや世界を代表する武道家が、下半身の問題で逮捕されている。

 やはり武道は、人格を陶冶できないのか・・・。

 いや、人格を陶冶する以前に、逮捕されて社会的制裁を受けるような愚行を防ぐ、

 兵法=平法

 すら、学ぶことができないのであろうか。

 だとすればもはや、

 武道は死んだ

 と言ってよい。

 無念である・・・。

 (了)
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手裏剣術は、どれだけ見下されているのか?/(手裏剣術)
- 2012/07/10(Tue) -
 田宮流といえば、古流居合の中でも、その名を知られた由緒ある流儀である。

 その昔、私がまだほんのヒヨコだった昭和時代、日本古武道協会の演武会などで、先代ご宗家・妻木正麟先生の凛とされた演武を、何度か間近で拝見したこともある。


 過日、その田宮流のとある支部のホームページを見ていたところ、管理者コラムというところに、「手裏剣術」に関して述べた一文があった。

 さて、由緒ある古流居合術家たちの、手裏剣術に関する所感やいかに? と思ったのだが、その読後感は、なんとも後味の悪いものであった。


  その文章では、手裏剣術の演武を見た感想としてまず、

  「射程距離も数メートル。まず敵は殺せない。そこそこ重いので大量には持てない。」

 とある。

 まあ、いきなり勘違いもはなはだしいわけで、ひょろひょろの軽量剣は別として、寝刃を合わせた重量のある短刀型手裏剣であれば、「殺せない」ことはない。

 
 さて、その後の文章も、無知と誤解に満ちた内容であった。

(以下、>がついたカッコ内は先方の文章。その下の太字の文は、それに対する私の所感)。


 曰く。

>「手裏剣って普通に考えてあんまり使いどころ無いですよね?」

 そんなことはない。手裏剣の遣い方を知らないだけのことである。

 「居合って、なんで屋内なのに、打刀差しているの?」

 というぐらいの、低レベルな感想である。無知で、他流批判をするのはやめたほうがいい。


>「予想だにもしにない事をやるから勝つんでしょうけど」

 これも間違い。

 不意打ちや隠し武器としての運用は、武芸としての手裏剣術のほんの一部分に過ぎない。武芸としての手裏剣術は、本質的には隠し武器というよりも、剣術の運用の別形態なのである。

 それにしても、無知に基づいた他流批判は、実に迷惑である。



>「数メートルの至近距離でゆっくり狙い定めてたら斬られるか逃げられるかするよなぁとか思ったり」

 そもそも対敵の状態で、ゆっくり狙い定めたりしないだろう、武術なんだから(苦笑)。

 「居合は敵の前でも、ゆっくり抜くんですか?」

 というぐらい、これまたレベルの低い感想である・・・。

 武芸における稽古上の方便(例:ゆっくりと抜刀する)とか、鍛錬としての過程(例:最初はゆっくり、慣れたら速く、そして熟達したらまたゆっくり抜く)などという基本的なことを、あるいは「ゆっくりに見えるが速い」といった武芸の拍子について、この居合家は学んでいないのであろうか?

 他流の演武を拝見し、批評するのであれば、「観の目」で見なければ意味がない。


 ちなみに、斬られるような至近距離では、基本的に手裏剣は打たない。

 一方で逆説的だが、相手に斬られるような、

 「生死一重の間合から手裏剣を打つ」

 のは、手裏剣術の極意でもある。まあ居合の人には、分からんだろうけども。



 さて、上に抜粋した本文に加えて、これに寄せられた同門(?)のコメントが、これまたひどいものであった。

 曰く。

>「古武道大会なんかに行くと、あまり場所をとらない奥ゆかしいところで、チマチマと畳一枚でやっているアレですよね(失礼)」

 文末に(失礼)とつければ、何を言っても良いというものではない。

 「あまり場所をとらない奥ゆかしいところで、チマチマと畳一枚でやっているアレ」というところに、書いた者の侮りと悪意を色濃く感じる。

 ならば座業の居合はさながら

 「たたみ一畳にチョコナンと座って、本来、屋内で帯刀するはずのない打刀で、もたもた、のっそり抜いているアレですよね(失礼)」

 とでも、言うべきか。

 そもそも手裏剣術は投擲武術なので、打った剣が後方に抜けて、他者を傷つけたりしないように、壁際など「奥ゆかしいところ」で、演武するのである。

 剣術や居合・抜刀術での真剣の手入れの際、必ず壁に向かって座して行うのと同じ心得なのだ。

 稽古や演武における武人としての基本的な作法を揶揄するのが、由緒ある古流稽古者の了見なのだろうか?
 


>「古武道大会なんかで演武されているのを見てると、刺さらないので見ている方もイライラします」

 これは、演武している手裏剣術者が情けない。

 いったい、どこの流儀の手裏剣術の演武を見たのだろうか・・・?



>「距離も、せいぜい2~3メートルだったのに刺さらない」

 そりゃあ演武者が、へたくそすぎだよ(苦笑)。

 2~3メートル、つまり1間半で刺さらないとは、本当にその演武者は、手裏剣術の稽古をしている人なのだろうか!?

 当庵では見学に来た武道未経験の女性でも、ちょと勘の良い人ならいきなり一間半を直打で通すし、どこの流儀でもそんなもんだと思うのだが・・・。

 いったい、何流の手裏剣術演武を見たのだろう?



>「そこで一足一刀の間なら、国助の二尺五寸の業物でなら投げてくる前に、踏み込んで斬れそうでした。(と、思いました)」

 どうでもいいことだが、ずいぶん高価な差料だねえ・・・・。 

 さて、先にも述べた通り、対敵している状態で、一足一刀の間合から手裏剣を打つというのは、初心者か、あるいは術の蘊奥を究めた達人である。

 一般的な手裏剣術者なら、剣術や居合に対しては最低でも二間(3.6メートル)、普通の腕前であればまず三間(5.6メートル)で立合うのが定石だ。

 おまけに、武芸として稽古をしている手裏剣術者は、必ず帯刀している。

 打剣と同時に抜き打ちに斬るなり、あらかじめ抜刀して構えているのだ。その上で手裏剣を用いて攻防を展開するのが、日本武術としての手裏剣術なのである。

 ゆえに、二尺五寸だろうが三尺だろうか、武術としての手裏剣術をまともに稽古している手裏剣術者であれば、そう簡単に、居合ごときに踏み込んで斬られたりはしない(笑)。


 私はかれこれ30年ほど武術・武道に関わっているが、武術・武道を標榜している手裏剣術の流儀や会派で、手裏剣だけしか使わないという稽古体系のところは、見たことも聞きたこともない。

 にも関わらず、「手裏剣術は手裏剣だけを使って戦う」と思い込んでいるのであれば、浅はかなことである。

 かつて中山博道師範は、「剣道家は対手裏剣術も十分に研究しておかねばならない(意訳)」と述べられていたが、そんな謙虚な教えも、現在の居合術者には馬の耳に念仏なのであろうか。



>「手裏剣術を修行中の方々には、大変申し訳ないコメントで、ゴメンなさい。悪気はありません」

 たとえ書いた本人に本当に悪気がなかったとしても、「こんなことを公の場で書いたら、読む人が不快を感じるかもしれない」とは思わないのか?

 また個人のブログならまだしも、「田宮流」という流儀の名前を掲げた支部のホームページ掲示板、つまり万人が見る「公の場」で、それを語るのが適切かどうかを考えないのだろうか?

 その結果、一歩間違えれば現代においても、流儀の誇りをかけた刃傷沙汰になりかねないかもしれないと、武人として想像できないのか?

 すくなくとも平法として「未発のうちに、鞘の内で勝つ」べき教えを学ぶべき居合術の稽古者であれば、このように他者を挑発し、無用の敵を作る行動は、あまりに未熟である。

 そうでなければ、「悪気はありません」という文言を免罪符にした、意図的で挑発的な、悪意に満ちた発言だ。

 いずれにしても、「平らかに勝つ」べきまっとうな居合術であれば、指導者がきちんと平素から、門下のこうした不用意で不適切な発言や行動を、厳しく戒めておくべきであろう。




 ・・・・・・てなわけで、由緒ある名流の稽古者が、どれだけ他流の手裏剣術を見下しているのかがありありと分る一文を読んでしまい、私自身、手裏剣術と合わせて居合・抜刀術や剣術も稽古してきた一人の武術・武道人として、強い憤りを感じた次第である。

 一方で手裏剣術者としては、

 これほど他流に見下されてしまうような、情けない演武をした手裏剣術とは、いったいどこの何流なのか?

 という点が、気になるところでもある。

 結局は、

 他流に侮られ見下されるような、未熟な演武を披露してはならない

 ということであろう。

 一方で兵法の観点から考えると、相手に侮りの気持ちがあればあるほど、対峙した際には「術」として優位に立てるわけで、それはそれで良いのかもしれないとも思う(苦笑)。


 さて、当庵のような市井の小会派はまだしも、上記の発言者たちの流儀と同じ協会に所属している古流手裏剣術の皆さんは、日本の手裏剣術者を代表する立場として、こうした手裏剣術そのものに対する誹謗中傷を、どのようにお考えだろうか?

 私自身は、手裏剣術を愛し精進する市井の術者として、こんな侮辱を受けてしまう情けない業前を披露することの無いよう、厳しく己の術を磨いていかねばならないと、改めて自戒した次第である。

 (了)

※2012.8.8 加筆修正
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「見切り」の思い出/(武術・武道)
- 2012/07/01(Sun) -
 かつて、WBC世界スーパーフライ級王者であった川島郭志氏といえば、「アンタッチャブル」と呼ばれるほどの、天才的な防御技術でその名を知られた名チャンピオンである。

 氏のスリッピング・アウェーは本当に芸術的で、初めて見たときは、「これこそ、見切りのお手本ではないか!」と、テレビ画面に釘付けになったものである。

 相手の打突と同じ方向に、顔を背けるようにしてパンチを見切る川島氏のスリッピング・アウェーは、あまりに紙一重に見切るため、当たっていないのに傍から見ると当たったように見えることから、ジャッジの採点が混乱してしまうほどだったそうな・・・・・・。


 昨日の稽古では、こうした見切りが勘所となる剣術の型を稽古した。

 剣術に限らず、武術の攻防においては、受ける、受け流す、なやす、そして見切るというのが、基本的な防御法となる。

 受けるということに関しては、剣術や居合・抜刀術では、鎬で受けることを強調する場合と、刃で斬り結ぶように受けることを強調する場合とがある。

 私自身は旧師から、後者を口うるさく仕込まれたのだが、後年、ある非常に高名な古流剣術の師範で、刀剣の鑑定でも名高い先生が、「真剣の攻防で相手の斬撃を受けるのであれば、鎬ではなく刃で切り結ぶようにするべきである!」と、強調されていたことは印象的であった。

 さて、剣術にせよ体術にせよ、相手の攻撃を「受ける」というのは、かならずしも最上の防御ではない。

 「受ける」よりも、「受け流す」方がよく、「受け流す」よりも「見切る」方がさらに良い。

 なぜなら、受ければ刀であれば刃の破片が飛び散って、最悪の場合、目に入って一時的に視界を失う。あるいは、なまくらな差料の場合、曲がったり折れたりして、攻防が不可能になる可能性が常に否定できない。

 体術でも、単純に受けるという行為は、攻防において常に後手になることであり、あるいは相手の打突で、なんらかのダメージを受ける可能性がある。

 ゆえに、相手の攻撃に一切触れない、「見切る」防御が最上であると考えるのだ。

 とはいえ実際に、自由意志で虚実を織り交ぜながら攻撃をしてくる相手の打突を見切ることが、どれだけ難しいことか!

 的打ちや単独型のみの稽古、あるいは気の抜けたぬるい型稽古しかしていない者には永久に分からないであろうが、地稽古や試合稽古をしっかりと行っている武術・武道の稽古者であれば、その難しさをしみじみと実感できるであろう。

 ましてや完全に見切った上で、さらに適切な攻撃につなげるというのは、ちょっとやそっとでできることではないのである。


 私が武術の稽古を始めたのは12歳からだけれど、思うところがあって29歳で伝統派空手道に入門、以後、39歳までの10年間は、空手道を稽古の中心としていた。

 この時期、ご指導いただいた先生のひとりに、実に見事な見切りをされる、A先生がいらっしゃった。

 組手の際、相手の突きや蹴りを見切って、後の先で刻み突きや逆突きでというのは、よくある勝口である。しかしA先生の場合、相手の突きや蹴りを見切った上で、剣道の抜き胴のような形で、すれ違いざまに中段回し蹴りを極めるのを得意とされていた。

 幸い私は、A先生に目を掛けていただき、特に組手に関して事細かに指導していただけたのは、非常に貴重な経験であった。流派の全国大会や地元体育大会の組手試合などで、ささやかながらも何回か成績を残すことができたのは、A先生のご指導によるものが大きかった。

 あるときA先生は、私にこう諭された。

 「市村さんは、若い子たちと真正面からぶつかりあうような組手が好きみたいだけれど、それではこの先、怪我が多くなり、稽古が続かないよ。もう中年なんだから(笑)。これからはもっと、見切りと運足による捌きを研究しなさい。見切って捌けるようになれば、怪我はないからね」

 A先生直伝の抜き胴式回し蹴りの勘所は、読みによる見切りと運足にあった。

 先生のご指導で、これを自分の得意技の1つにできたことは、空手道を集中して稽古し、組手競技にも積極的に参加していた頃の、ちょっと誇らしげな記憶である。


 炎天下の稽古場で剣術型の指導をしながら、私はA先生の鮮やかな抜き胴式回し蹴りを思い出していた・・・。

 (了)
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