たかが三寸、されど三寸/(武術・武道)
- 2012/08/31(Fri) -
 近所で建替え工事をしているようで、トンカントンカン、やかましい・・・が、そこはそれ不動心で。



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 二尺一寸と二尺四寸五分の刀を比べると、その差、三寸五分(約10.5cm)はこれほどある。

 斬撃にともなう運足では、最短で半歩、最大で一歩、間合が変わる。

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 例えば当流の型に、打太刀の左袈裟※(当人からみて、時計の針の1時方向から7時方向への斬り下ろし)を、仕太刀は自分の左斜め前へ運足し、打太刀の斬り込みを見切りながら抜き、車構えから逆袈裟で斬り上げるという業がある。

 この業では、相手の袈裟斬りを見切りながら、しかも斬り込んでくる方向に運足するところに要諦がある。そこでは当然ながら、打太刀の使う刀が定寸の場合もあれば、二尺七~八寸の勤皇刀であるかもしれず、仕太刀はそれを事前に知ることはできない(しかも打太刀は、構えで差料の長さを隠している)。

 ゆえに仕太刀は、打太刀の刀の長さ(間積もり)ではなく、斬りの軌道(太刀筋)を読んで、見切りながら入身する。

 よって、仕太刀の立場から見れば、見切って入り身するまでは、打太刀の使う刀が定寸だろうが三尺の野太刀だろうが、原理的には関係がない。

 しかし、そこからが問題である。

 見切って入り身する際は、当然ながら、その後の自分の逆袈裟の斬りにとって、最も適切な位置(敵から遠く、我から近い)に運歩しなければならないわけだが、このときの位置取りに己の差料の長さが関わってくることは、これまた言うまでもない。

 この瞬間の三寸五分(約10.5cm)の間合の差が、決定的に大きいのである。

 ことにこの業は、ふかぶかと打太刀の胴を裁断する逆袈裟ではなく、二の腕や頸、顔面に対して「浅く勝つ」ことを意図しているものなので、なおさら切先が届くか届かないかの微妙な間合が重要になるのだ。

 そういう意味でも、

 「彼我の間合に不安がある時は、相手の股の間に自分の腿を突っ込んで斬れ」

 という旧師の教えが、今更ながら身にしみる・・・。


 というようなことを、つらつらと思うのは、過日の斬りの稽古(試斬)にて、使い慣れない二尺一寸の差料を使い、未熟にも切先付近でばかり試物を斬ってしまった上、その後、今度は使い慣れた二尺四寸五分で型稽古をしていると、どうにも納刀がしっくりいかないというスパイラルに陥ってしまった、未熟な己への警句である。

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 たかが三寸、されど三寸。

 (了)

※「左袈裟」と「右袈裟」について、流儀・会派によって、それぞれの太刀行きの指し示す方向が違うことがあるので、ややこしい・・・。まあ、空手道の「内受け」と「外受け」も、同じだが。
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今、国会議事堂に中共軍の水爆が落ちたら、午後から誰が政権運営をするのだろうか?/時評
- 2012/08/30(Thu) -
 おぼえがき。

 日本が、中・韓・鮮の3カ国連合+背後の米国に軍事的圧力をかけられる時代が、いよいよ目前にせまってきたわけだが、その時この国はどう主権を維持するのか。

 とりあえず喫緊で必要なのは、都内に大規模な対核シェルターを整備することと、核攻撃で首都機能が停止した際の、政治的・軍事的対応のしくみの整備。

 その上で、スイスやスウェーデンのような自主独立・非同盟の武装中立国家となれれば、100年後もこの国は存在できる・・・かもしれん。

 たとえば平和国家のイメージが強いスイスは、いまだに国民皆兵が国是であり、第二次世界大戦の開戦時は、国際社会に「武装中立」を宣言。侵略者には焦土作戦で臨むことを表明し、国民に対しては侵略者への降伏を禁ずる動員令を布告した。この抵抗精神は、今も脈々と受け継がれている。

 スイス人の、「自分の庭(国土)を荒らす奴は徹底的に攻撃し、他国の侵略に全力で抵抗する。その代わり、よその土地も荒らさない」という、国民全体の性根に叩き込まれている抵抗精神が、世界一ノーテンキな国民である日本人に欠如しているのは、言うまでもない。

 とりあえず、米軍に出ていっててほしければ、その分の自主防衛負担を覚悟すること。そして、すでに米国は中華人民共和国から日本を守る気持ちなど、さらさらないことに、いいかげん日本人は気づくべきであろう。

(了)
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処暑多忙/(身辺雑記)
- 2012/08/26(Sun) -
 諸事多忙にて、稽古もままならぬ。

 そんな中でも、15分、30分の時間を見つけて、居間で居合を抜き、仕事場で手裏剣を打つ。

 我々、市井の武術・武道人が、下達せず上達を続けていくには、いかにして稽古を日常化していくか、これにつきる。

 たった15分の居合でも、わずか2間の座打5本でも、それが日々の鍛錬である。


 ところで、香取神道流・大竹師範の平素の稽古用差料は、二尺五分の短い刀なのですね。

 なるほど・・・。

 (了)
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二寸五分じゃあなくって、三寸五分だよ・・・/(身辺雑記)
- 2012/08/23(Thu) -
 昨日のブログ、寸法が違っているやね・・・。

 二寸五分の違いじゃあなくって、三寸五分です。

 約10.5センチです。


 いよいよ、脳幹にまで、アルコールが浸潤してきたのか。

 お恥ずかしい話です。

 そりゃあ、間合も誤るってもんだ。

 (おしまい)

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二寸五分/(武術・武道)
- 2012/08/22(Wed) -
 ここ1か月ほど、ちょっとした事情で、二尺一寸の刀を使って稽古をしていた。

 その「ちょっとした事情」がつつがなく済んだので、再び先週から、稽古では20年来愛用している旧師からいただいた二尺四寸五分の差料に戻したのだが・・・。

 む~ん、違和感満点である。

 身体が二尺一寸に慣れてしまったためか、なんともしっくりいかないのである。

 たった二寸五分の変化なのだが、感覚的には、非常に大きな違和感だ。

 おもしろいことに、二尺四寸五分から二尺一寸に変えたときには、これほどの違和感は感じない。


 昔から、どんな武技でも、「大きな技から小さな技への展開は容易だが、小さな技から大きな技への展開は非常に難しい」といわれる。

 ゆえに初学の者は、やっとうでも体術でも、まず大きな技を学び、上達するにつれ小さな技を学んでいくのが一般的なのである。

 逆に言えば、初学の頃から小さな技ばかり身につけてしまうと、大きな技が使えなくなってしまう。そして、小さな技だけで大きな技が使えないということは、対敵において拍子をはずすことができなくなるわけで、武芸としては致命的なのだ。


 考えてみれば手裏剣術では一寸(3センチ)も寸法が違えば、打剣の感覚は大きく変わってしまう。あるいは伝統派空手道の組手では、自由攻防のなかで「寸止め」どころか「分止め」や「当て止め」を見切りながら、稽古・試合をするのであり、それらと比較しても、やっとうで二寸五分(約7.5センチ)もの寸法=間積もりの差というのは、決定的な隔たりなのである。

 さてさて、ぼちぼちと感覚を元に戻さねば・・・。

 (了)

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納涼会&夏季合同稽古
- 2012/08/19(Sun) -
 昨日から今日までの2日間、戸山流居合抜刀術美濃羽会 中津川稽古会の皆さんとともに、毎年恒例となった合同稽古&納涼会に参加。

 翠月庵からは、私とY君の2名がお邪魔させていただいた。

 1日目、到着後には中津川稽古会の皆さんに手裏剣術の講習を行う予定だったのだが、あいにくの雨のため残念ながら中止。

 夕方からは納涼会として、バーベキューを。たらふく肉と酒を満喫する。

 2日目の今日は、朝食の前に真剣での斬りの稽古(試斬)。そして午前中は、中津川稽古会の皆さんとともに、組太刀や型稽古で汗を流す。

 夏の稽古はきついが、これもまた鍛錬、そして楽しいものである。


 T先生はじめ、中津川稽古会の皆さん、今年もお世話になりました。ありがとうございます。

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▲納涼会にて、中津川稽古会の皆さんと


 なお今回、春に行った中津川稽古会と翠月庵との合同演武の写真やDVDをいただいたのでそれも添えておく。

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神業/(手裏剣術)
- 2012/08/17(Fri) -



 すでに手裏剣術関係者の多くが視聴済みかとは思いますが、無冥流・鈴木崩残氏の打剣です。

 五間・直打で、CDの中心の穴に手裏剣を通すという絶技。

 「神業」というタイトルが誇大広告でないことは、手裏剣術を稽古している者であれば、誰もが納得するでしょう。

 (了) 
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終戦の日に想う~夏祭りとクルディスタンの記憶/(身辺雑記)
- 2012/08/15(Wed) -
 本日は終戦の日。

 太平洋戦争において、この国に尊い命を捧げた約230万人の将兵の方々、そして戦争で命を失った約80万人の民間人の皆さんに、深い感謝と哀悼の意を捧げます。



 昭和44年に生まれた私には、当たり前だが戦争の記憶などというものはない。

 しかし、それらしいよすががあったとすれば、それは子供の頃、夏祭りで見た「傷痍軍人さん」の姿である。

 平成の今も昭和の昔も、子供にとって夏のお祭りというのは、1年のうちで最も楽しみなイベントのひとつだ。

 両親に連れられ、夕闇に輝く露店の合間をそぞろ歩きし、花火の音を聞きながらおもちゃやお面、綿飴を買ってもらうのは、まるで夢の国に遊ぶような、心躍る時間であった。

 しかし、そんな子供の心を心底から震え上がらせるのが、神社や寺の参道沿いに軒を連ねる露店から少し離れた薄暗い場所で、白装束に軍帽をかぶり、義手や義足を見せながら、地面にひざまずいてじっと喜捨を請う、「傷痍軍人さん」たちの姿だった。

 たいへん不謹慎で申し訳ないけれど、子供心に彼らの姿は不気味な幽鬼のように見え、私は直視できず、父の着流しの裾にしがみついたものである。

 思えばこうした夏のワンシーンこそ、私の最初の戦争体験であり、それは色とりどりの露店の灯りとは対照的な白装束の「不気味さ」と、禍々しく見える義手や義足への「恐怖」だった。

 なお後年、これら縁日に現れていた「傷痍軍人さん」のなかで、少なくない人々が、実は戦争とはかかわりの無い人々であったという話を聞き、なにか複雑な気持ちになったものである。


 その後、私は青年期に従軍記者になり損ねて、トルコやシリア、イラク国境など中東を無駄にふらふらし、幸か不幸か本当の紛争地で、延べ何ヶ月かを過ごした。

 けれども、そこで感じたのは、例えば「野外で聞く自動小銃の銃声は、かんしゃく玉みたいである」とか、「装甲車は想像以上の猛スピードで、群集に向けて突っ込んでくる」とか、「自動小銃の銃床で小突かれると、相当痛い」とか、「実は銃撃よりも、迫撃砲や地雷の方が、はるかに恐ろしい(らしい)」とか、「2週間も秘密警察に24時間つけ回されると、実際に拘束されたりする以前に、精神的に参ってしまう」など、いずれも即物的な恐怖や痛み、あるいは不安感であり、子供の頃見た「傷痍軍人さん」から受けた、「禍々しい恐怖」のようなものはなかった……。

 いまでも私の戦争体験は、クルディスタンで見たジャンダルマ(国家憲兵軍)による治安作戦よりも、湯ヶ島の夏祭りで見た「傷痍軍人さん」の方が、はるかに象徴的で啓示的なのだ。

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 今年の終戦の日は、67回目だという。

 今晩は、300万人以上の尊い犠牲のもとに、このかけがえない平和があることに、心から感謝したい。

 (了)
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江戸の銭湯/(身辺雑記)
- 2012/08/11(Sat) -
 世間様は、お盆休みである。

 不肖・私も、この土日は、たった2日間のお盆休み。

 とはいえ本日は稽古なので、正しくは1日半か。いやいや、稽古は日常のことであるからして、休みは休みであろうなどと、つらつら思いをめぐらしているうちに、もうすぐ半日が終わってしまう(笑)。



 「冷えもんでござる」というのは、昔の江戸の湯屋でよく使われていた言葉だとか。

 昨日は仕事で、根津のとある銭湯で撮影であった。

 この銭湯、いわゆる鉱泉なのだが、いや実に熱い。

 昔から江戸の銭湯は、上方に比べて熱いというのが相場だが、それにしても熱い。

 話を聞くと、湯の温度は46度だという。ところが浴槽の温度計は、47度強を指している・・・。「開店前だから、少し熱め(店主談)」なのだそうな。

 今回の取材では、記者兼モデルとして、入浴シーンを撮影しなければならぬのだが、適温で肌ざわりのよいアルカリ性単純泉の修善寺温泉を産湯に使った軟弱な伊豆人である私には、47度強のハードルは高い。

 それでも気力を振り絞って、開店前の大浴場の湯船に片足を入れるが・・・。

 無理だ。

 何度かチャレンジしたが、結局、撮影では湯船につからず、縁に腰掛けているシーンでお茶を濁した。

 シヌカト、オモッタヨ。

 撮影後、「いや~、ほんと熱いですねえ」と、インタビューに答えてくれた店主婦人に話すと、「いやいや、うちよりも御徒町の燕湯さんのほうが、もっと熱いですよ(笑」と教えてくれた。

 行っても、多分、熱くて入れないしな・・・。


 ちなみにトラベルライターとしてではなく、医療ジャーナリストの立場から言うと、あまりに熱いお湯は身体によろしくない。脳血管疾患のリスクが高まるよ、マジで。

 しかし江戸っ子の皆さんは、「べらぼうめ!」とばかりに、平成の今も、熱湯の伝統を守っているのである。

 恐るべし、江戸の銭湯。

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「手裏剣術は、どれだけ見下されているのか?」補遺/(手裏剣術)
- 2012/08/08(Wed) -
 何か言われて、その場でカッとすること以上に、不愉快な体験や発言を思い出して改めて頭にくる「思い出し怒り」というのは、怒りの粘度みたいなものがジワ~ッとしていて、より不快感の密度が高いように思う・・・。


 本ブログで7月10日に「手裏剣術は、どれだけ見下されているのか?」という小文を書いたのだが、自分で書いたものに対して言うのもなんだが、読み直すたびに手裏剣術を愛する者として、また居合・抜刀術や剣術を嗜む者としても、改めて憤りを強く感じる。

 そこで、執筆時は当該流儀の名称をイニシャルで伏せたのだが、筆者としてはなんら論旨に恥じることもないし、おかしなことは書いていないと判断し、イニシャル部分を実名に直すなど、一部加筆修正した。


 イニシャルトークのままでも、ある程度、武術・武道に携わっている者であれば、文脈で当該流儀が何流かは分かるはずだが、あまりこの世界に通暁していない人や、初学・中級者が、「T流」という表記によって、まったく無関係の流儀や会派と勘違いしないように、という配慮でもある。

 それにしても我ながら武徳未熟ゆえ、いまだ「潜竜」にはなりきれぬ・・・(苦笑)。

 (了)
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潜竜用いるなかれ/武術・武道
- 2012/08/05(Sun) -
 先日、他流の師範である武友のA氏に、「そちらの道場の、道場訓は何ですか?」と聞かれた。

 ところがうちの稽古場には、特別な道場訓がない。

 なにしろ小ぢんまりとした稽古場で、門下の数も少ないので、あえて「訓」を示す必要もなかろうと思っていたからだ。

 一方で自分自身、31年間に及ぶ武術・武道人生で、斯術にかかわるものとして、心に置く座右の銘はある。

 本ブログでも何度かふれたが、『易』に示されている「潜竜」という教えである。


 潜竜用いるなかれとは、何の謂ぞや。
 子曰く、竜の徳あって隠るるものなり。
 世に易(か)えず、名を成さず、世を遯れて悶(いきどお)るなく、是とせ見(ら)れざれども悶るなし。
 楽しめばこれを行い、憂うればこれを違(さ)る。
 確乎としてそれ抜くべからざるは、潜竜なり。

(潜竜を用いるなかれとは、いかなる意味か? 孔子は言う。竜のごとき徳、聖人の徳がありながら、最下層に隠れている人のことである。世の中の移り変わりによって主義を変えることもなく、世間に名を出そうともしない。世に用いられずに隠遁していても、むしゃくしゃすることはないし、だれにも正しいとされなくても、不平を抱くことがない。世に道あって、社会的活動がこころよく感じられるときは、その道を世に行い、乱世で、わが身が汚される憂いのあるときは、ただちに世間に背を向けて去る。そのようにしっかりとして、その志を奪えないもの、それが潜竜である)


 平時に武芸を嗜むものは、みな本来、「潜竜」であるべきと思う。

(了)
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