必殺技/(手裏剣術)
- 2012/10/28(Sun) -
 仮面ライダーの必殺技はライダー・キックであり、ウルトラセブンのそれはアイ・スラッガーである。

 世代がばれるね。

 ちなみに、アンパンマンの必殺技は、アンパンチだそうな。

 ・・・・・・。


 さて、前回のブログでは「冥府魔道の業」について書いたので、今回は「必殺技」についてつらつら考えてみようかと思う。

 そもそも「必殺技」とはなにか?

 字面を見れば、”必ず殺す技”である。なんとも剣呑なことだ。

 しかし辞書をひもとけば、

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ひっさつ‐わざ【必殺技】
必ず効果があると期待される、とっておきのわざ。
                  (大辞泉)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 だそうな。

 つまり、相手の殺害を期待している場合は「必ず殺す技」であるべきだが、たとえば相手の制圧を企図しており必ずしも殺害を目的としていない場合は「必ず殺す技」でなくとも、相手の制圧に必ず効果があれば、それは「必殺技」となるわけである。

 といっても、

「私の『必殺技』は、摩り上げての正面斬りです」

 とか、

「オレの『必殺技』は、逆突きだ」

 とか、

「ワシの『必殺技』は、逆手一本背負いじゃ」

 とかいう人がいたとしたら、たいへんこっぱずかしいことこの上ないと思うのは、私だけではあるまい(笑)。

 そもそも自分の技を評して「必殺技」とか言う人が本当に存在するのか、はなはだ疑問である。ごく一般的な教養を持っている標準的な日本人であれば、こういう場合「私の得意技は・・・」と言うものであろう。

 そもそも「必殺技」なる言葉は、いったいどこから出てきたものなのか? 

 戦後のプロレスあたりから出てきた言葉なのか、はたまた戦前の立川文庫あたりからの言葉であろうか、浅学の私には知るよしもない。


 さて、基本的に武芸の技というのは、結果として相手を殺害しようが、しまいが、すべからくなんらかの制敵効果を期待するものであり、となればすべての技は「必殺技」であるとも言えよう。

 ただし辞書の解釈には、「とっておきのわざ」との一文が添えられているだけに、なんでかんでも「必殺技」にはならないのか・・・。

 
 てなわけで、「翠月庵の必殺技はなにか?」と問われれば、

「するすると相手に近づき、極近の間合から発する、手裏剣の一打」

 ということになろう。

 手裏剣術者の究極の業は、すべてここにあるといっても過言ではあるまい。

新しいイメージ

▲手裏剣術対剣術の地稽古

 
  大道無門

  千差路有り

  此の関を透得せば

  乾坤に独歩せん


 (了)
 
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冥府魔道の業/(手裏剣術)
- 2012/10/21(Sun) -
 以前、ある他流師範の武友に、飛刀術を解説・指導させていただいたところ、

「どうも、刀を投げるというのは抵抗があるのです・・・」

 とのご感想をいただいた。

 おそらくこれは、まっとうに稽古してきた武術・武道人であれば、当然の感覚であろうかと思う。

 私自身も、いまだにそう感じる部分はある。

 なにしろ、日本刀というのは、「惟神の霊器である!」と躾けられるのが、現代日本のまっとうな武術・武道人なのだ。


 一方で手裏剣術は、合戦の場や真剣勝負の立ち合いにおいて、脇差や短刀、場合によっては打刀を「手裏剣に打つ」、つまり相手に投げつけることからはじまったというのも、歴史上の事実である。

 孫子の「兵は詭道なり」との箴言を持ち出すまでもなく、ありえないことだと相手が思っているからこそ、それはときに、有効な戦略・戦術になるのである。

 ア・プリオリに、「刀(脇差)を投げたりはしない」と思い込んでいる相手だからこそ、抜刀して立ち合っている際に一足一刀の間合外では、「いまだ間積もりが遠い」と思っているわけで、そこで打刀なり脇差なりを手裏剣に打つことで、飛刀術は「対抗不能性」を持つわけだ。


 さて武術というのは、勝つための手段(勝口)の集大成であるからして、こうした「対抗不能性」を持つ技を、往時のサバイバーな戦闘階級たる「侍」が、忌避するわけもない。

 ゆえに脇差や打刀を手裏剣に打つ業は、知新流、鉄人流、円明流など、飛刀術を得意とした宮本武蔵を流祖と仰ぐ流儀はもちろん、新陰流や心形刀流、柳生心眼流など、名だたる古流武術の名流各派にも、伝来の「型」=業として伝承されているのである。


 ところで、ここで手裏剣術者として飛刀術を日常的に稽古している立場から言わせてもらうと、単に打ち物として脇差や打刀を「投げつける」のであれば、型稽古だけでも十分だが、刀や脇差を「手裏剣に打って」、相手を殺傷しようと思うのであれば、実際に脇差なり刀なりで的に「的中」させる稽古をしなければ、業としてはまったく意味をなさない。

 特に、飛刀術が最も有効性を発揮するのは1間半~2間の間合いなのだが、彼我の間合が1間を超える場合、偶然以外の確立では、未経験者にはまず刺さらないとアドバイスしておこう。


 というようなことを、あらためてつらつら考えたのは、先週金曜、時代劇専門チャンネルで、『子連れ狼』第2シーズンの最終話を見たからである(爆)。

 丹下段平・・・じゃなくって藤岡重慶氏が、「武士なら刀を投げるとは思うまい、ふふふ・・・」と悪巧みを考えたところ、冥府魔道に生きるアイシャドウが怖い子連れの浪人さんはもっと卑怯なので、長巻を投げて段平を串刺しにしちまいましたとさ・・・、という話しであった。

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 「我ら、冥府魔道に生きる者・・・」

 (了)
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武用の条件/(手裏剣術)
- 2012/10/14(Sun) -
 「折れず、曲がらず、よく斬れる」というのは、名刀の条件と言われる。

 しかし実は、曲がらない刀は折れやすく、折れにくい刀は曲がりやすいというのが現実であることも、武芸を嗜む者は、しっかりと認識しておかねばならない。

 同じことは、手裏剣にも言える。

 ある意味で、同じ金属製の武具でも、現代の稽古では刀以上に、日々酷使されるのが手裏剣だ。

 打剣の度に様々な硬さの的に突き刺さる。

 業前が未熟な場合、失中すれば剣は地面に落ち、自然石やコンクリートにぶつかる。あるいは的の台座であるコンクリートや、金属枠に激しく当たることもある。

 ましてや、現実には今はありないが、制敵において手裏剣を用いるとなれば、衣類から人体各部の様々な硬度の部位に向けて手裏剣は打たれ、時には相手の武具によって、はじかれ、打ち落とされることもあるのだ。

 だからこそ武具としての手裏剣には、

 「折れず、曲がらず、よく刺さる」

 品質が求められるのだ。

 そして、「折れない」と「曲がらない」が現実的には両立しにくいのであれば、

 武具としてより重要なのは、「折れないこと」

 であるのは、言うまでもない。


 さて、日々の稽古で手裏剣を損耗する最も典型的なパターンは、先に的中した剣の剣尾や側面に、次に打った手裏剣が当たってしまうことだ。

 すでに刺さった剣の剣尾に、「意図的に狙って次の剣を刺す」のは至難の業である。

 しかし、すでに刺さっている手裏剣の剣尾や側面などに、「狙わず偶然に次の手裏剣が当たる(刺さる)」というのは、手裏剣術を日常的に稽古していると、実は頻繁に起こることなのである。


 ところで当庵の稽古に使う手裏剣は、長剣も翠月剣も、全て無冥流・鈴木崩残氏による手作りの一点物であり、当然ながら全ての剣に、焼入れや焼きもどしなどがしっかりと施されている。

 このため、上記のような剣と剣とがぶつかるケース、あるいは金属や自然石、コンクリートなどに剣が刺さる・当たることによって、剣先が折れたということは、かつて一度もない。

 絶無である。

 それではこうした場合に剣先はどうなるかというと、折れずに曲がるのだ。

DSC_9252.jpg
▲びんびんに立てた切っ先の先端部分が、ごくわずかに曲がっているのがお分かりにるだろうか? 剣先の折れない優秀な手裏剣は、硬いものに当たるとこのように曲がる


 一方で、当庵の創立当時、会員のA氏が自作した棒手裏剣を使っていた際、その剣のうちの1本が、先端1cmほどのところからぽっきりと折れたことがある。

 しかも折れたのは打剣の際ではなく、手元から地面に剣を落とした時で、おまけに地面は、固いコンクリートなどではなく、土を固めた柔らかい土間だったのだ・・・。

 ことほどさように、適切な焼入れと焼き戻しがされていない剣は、折れやすいのである。

DSC_9247.jpg
▲先端1cmの部分で剣先が折れた手裏剣(下)。手元から土間に落としただけでも、もろい金属は折れる


 なお、A氏の名誉のために補足しておくと、「この剣は、焼きいれと焼きもどしが不適切でしたね・・・」ということで、後日、彼は同じ形の剣を複数、作り直してきてくれた。

 それらの剣は、その後の稽古で蛮用しても折れることはなく、今も私の愛用の手裏剣となっている。


 手裏剣術を武術として捉えて稽古する以上、手裏剣は己の命を託す「武具」である。簡単に折れてしまうようでは、武人の使用には耐えられない。

 逆説的に言えば、

 武用に耐えうる信頼のおける手裏剣は、手裏剣術者の命

 なのだ。

 やっとうと同様に手裏剣術も、なまくらな武具には命をかけられないのだと心しておかねばならない。

(了)
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涓滴岩を穿つ/(手裏剣術)
- 2012/10/12(Fri) -
201210061600000.jpg

 前回の稽古中、打ち込んだ翠月剣が、的を突き抜けてしまった。

 畳に当てているマットを外すと、完全に空洞状態。

 
 軽量畳は、耐久性が低いな・・・(笑)。
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出版業界残酷物語/(身辺雑記)
- 2012/10/03(Wed) -
 どういうわけか、また今日は、アクセス急に上がっている。といっても70人(笑)。

 毎度、ごひいきに。



 多忙である、相変わらず。

 にも関わらず、日本の出版業界のギャラは、下がる一方だ。

 例えば、よく書店にならんでいる旅関連の本の場合、私が業界に入った頃、20年くらい前なら、資料で起こす原稿の料金が、1ページ1万2000円くらいだった。

 これがいまや、1ページ3000円とかなのである。

 4分の1だぜ・・・。

 かつて、10ページ書いて12万5000円だった仕事が、今は同じ事をしても3万円なわけです。


 あるいは最近は、1文字5円などという、殺人的な値段設定で注文してくる制作会社もある。

 原稿用紙1枚書いて、2000円・・・。

 これじゃあ、シロウトの作文の値段だぜ、マジで。


 こうした値段設定は、プロへの仕事の対価として適切かという以前に、家計の主となる世帯主がやれる仕事として成立しない。

 カメラマンなども、やはり20年前、私が駆け出しの編集者だったころは、1日拘束で日当仕事の場合、「2万円でお願いします・・・」とか言うと、ベテランのカメラマンからは「お前、なめてんのか!」と、怒鳴られたものだが、いまや1日拘束で1万3000円とか当たり前である。

 デフレの世の中とは言え、これほど料金の下がった業界ってあるのかね、実際のところ。


 それでもなんとか仕事を続けているのは、養う家族がいない気ままな浪人暮らしであることと、情報誌関係と違って若干原稿料の値段設定の高い、医療系の記者もしているからだ。

 とはいえ、2000年に某医学新聞社の専属記者になった当時に比べると、医療系の取材仕事も原稿料は着実に下がっている。

 原稿料以外にも、たとえば九州へ取材に行って、1人インタビューをするのに、かつては1泊2日だったものが、いまや日帰り厳守は当たり前。それどころか、以前は出版社が正規の航空券を取ってくれたものだが、最近では記者の自腹で立て替えて、しかも「必ず格安チケットで取ってください」とか、言われる始末。

 嫌な世の中になったもんだ・・・。


 大学生あたりの子供がいる同年代の同業者など、いったいどうやって食っているのかつくづく不思議だが、話しを聞いてみると奥さんにフルタイムで働いてもらって、生活はカツカツ・・・、というのがほとんどのようである。

 実際、あまりに食えないので、ここ数年で廃業した記者やカメラマンの知人も、一人や二人ではない。

 まあこうしたリスクも覚悟で、フリーランスの道を選んだのだから、しょうがないとは思うのだが、「フリーライター」という言葉が輝いていたのは、1980年代の後半までだったのだなと、しみじみ思う。

 なにしろ、「ラ」と「イ」を抜いたら、「フリーター」だ。

 これから出版業界を志す若い人は、必ず版元(出版社)を目指し、しかも正社員になること。契約社員は、いざって時に、簡単に切られるからね。

 まちがっても、「フリーランス」なんていう言葉に、幻想をいだいちゃダメよ、オレたちみたいに(笑)。


 「親も無し 妻無し子無し版木無し 金も無けれど死にたくも無し」(林子平)


 さてさて、いささか話題が暗くなった。気を引き締めるために、ちょっと稽古でもするか・・・。

 (了)
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