見学小考/(武術・武道)
- 2013/08/30(Fri) -
 武術・武道の道場や稽古場には、見学を可としているところもあれば、不可にしているところもある。この「見学」というやつは、なかなかに複雑な問題をはらんでいるものだ。

 たとえば、いままでまったく何も武術・武道の経験のない人は、そもそも武術・武道がどういうものであるのか、その流儀や会派がどのような稽古を行い、どんな雰囲気で運営されているのか、皆目見当がつかないということもあろう。

 こうした場合、見学というのは、それなりに意味がある。そもそも未経験者は、形稽古と地稽古・試合稽古の違いするも分からないだろうからだ。

 また、武芸の稽古は師弟関係をベースに礼法を重んじる芸事なので、スポーツクラブとは違った特有の雰囲気や作法がある。こうした点が未経験者には分かりづらいであろうことからも、初心者の見学には意味があるだろう。

1308_抜刀術相対稽古
▲抜刀術の相対稽古。一般的に居合・抜刀術では、一人で所定の動作を
繰り返す単独形が稽古の中心だが、「間合」や「先」を学ぶためには、
このように相手を立てて行う相対稽古が必須である


 では、ある程度武術・武道の素養のある者や、他流で十分な経験をつんだ者に対してはどうだろうか。

 武芸には、「見取り稽古」という言葉があるように、見る者に「観の目」があれば、他者の稽古を見ることそのものが、非常に有意義な稽古になる。

 したがって、まだ入門もしていない相手に見学を許すのは、他人に業を盗ませるようなものだという考え方がある。見学不可としている流儀・会派の多くは、こうした観点に立っていることが多い。

 もっとも個人的には、ちょっと見られたぐらいで盗まれるような底の浅い芸では、いかがなものかとも思うのだが・・・。

 こうした点を考慮して、古流の流儀や会派によっては、鍛錬用や実践用の形とは別に、業を隠した演武用の形や技があるところもあり、見学者にはこうしたものしか見せないというケースも少なくない。いわゆる「ピン抜き」というやつだ。

 見学を希望する者の中には、最初から入門目的ではなく、技を盗むことを目的としている、品性の卑しい輩もいるので、こうしたピン抜きの形や技というのも、その必要性は否定できない。

 つまり武芸における「対抗不能性」という点から、見学不可という行為はそれなりに意義が大きいのである。


 それでは手裏剣術者の立場から「見学」というものを考えると、どうだろうか?

 私は、基本的には見学可で良いと思う。その理由は単純で、手裏剣術の「業」というのは、ちょっと見ただけで習得できるものではないからだ。

 これは他の武術・武道でも本質的には同じことなのだけれど、特に手裏剣術は見よう見まねがしにくい、というか見よう見まねではまず刺さらないので、実際の打剣を見られても、さほど問題はないのである。

 一方で、手裏剣術の「運用法」については、門外に見せるものではないと思う。


 知新流手裏剣術の印可伝授書には、門人でない者が手裏剣術を見たいといってきた場合の対応について、次のように記している。

「初めの5本は柔らかに打って見せる。次の5本は普段の稽古の通りに打って見せる。最後の5本は鉄板を打ち抜くような気持ちで打つ。以上、合計3セット以上は見せない事」(以上、意訳)


 この表演用打剣の心得は、なんとも含蓄に富んでいる。古人の智慧は、実に奥深いものだ。

 では、その奥深さとは何か?

 それはまた、稿を改めて論じたいと思う。

 (了)
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戸井十月とオレの90年代/(身辺雑記)
- 2013/08/28(Wed) -
 先月28日、作家の戸井十月氏が亡くなっていたことを、先ほど知った。

 訃報を読んで、戸井十月という人はオレにとって、「90年代」という時代そのものだったのだなと、しみじみ思う。


 10代後半から30代初め頃まで、プライベートにせよ仕事にせよ、自分が「旅」や「辺境」、「バイク」という領域にこだわり、それを仕事にしてきたのは、多分に戸井氏の影響が強かった。

1308_クルディスタン
▲1996~98年のクルディスタン取材は、オレの“旅”の集大成だった


 当然ながら、伊豆の田舎から上京して無名の売れないライターとなり糊口を凌いでいたオレが、著名な旅する作家である戸井氏と面識があるわけはなかったのだが、読者として、またモノ書きという職業に携わる者として、「戸井十月という生き方」は、ある意味でオレの青春だったように思う。

 30歳を過ぎ、2000年の介護保険制度施行をきっかけに、オレは介護や医療という領域の取材・執筆に携わるようになり、仕事の中心も「旅」から「医療」へシフトしていった。そしてこの頃から、オレは「本格的な辺境の旅」や「バイク」から遠のきはじめ、同時に戸井氏の著作を読むことも少なくなっていった・・・。


 80年代後半から90年代の半ばまで、いわゆるバブル前後という時代の評価は、人それぞれであろう。

 オレにとってこの時代は、「世界の涯てを旅する」ことが可能な時だった。アラスカ、シルクロード、パミール高原、そしてクルディスタンへ。

 またバイクという「鉄の馬」で、自分の心のおもむくままに旅ができた時代でもあった。

1308_バイク
▲戸井十月、東本昌平、横浜ケンタウロス、ミスター・バイク。ラッキーストライクとダイドーの缶コーヒー。オレの90年代の断片・・・


 あの頃、旅先で出会う同年代の若き旅人たちの多くは、沢木の『深夜特急』を懐にしていたが、オレのボロボロのフレームパックやダッフルバックの中にあったのは、戸井十月の『荒野へ』や『闘いの詩』、『爆裂都市』であり、これらの書物と共に、いくつもの国境を越えた。


 オレに「バイク」と「旅」の扉を開いてくれた作家・戸井十月は、肉体が消えた今も、また新しい旅に出ていることだろう。

 Vaya con dios. Mi héroe.



戸井1
  ▲ 『荒野から―男をみがく冒険旅行のすすめ 』戸井 十月 (スコラBOOKS 1989.11)


戸井2
▲『爆裂都市』戸井 十月(トクマノベルズ 1982.2)

 (了)
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『はだしのゲン』閲覧制限事件に思う/(時評)
- 2013/08/27(Tue) -
図書館の自由に関する宣言


 図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することをもっとも重要な任務とする。(中略)。この任務を果たすため、図書館は次のことを確認し実践する。

第1 図書館は資料収集の自由を有する
  (以下、略)

第2 図書館は資料提供の自由を有する

 国民の知る自由を保障するため、すべての図書館資料は、原則として国民の自由な利用に供されるべきである。
  図書館は、正当な理由がないかぎり、ある種の資料を特別扱いしたり、資料の内容に手を加えたり、書架から撤去したり、廃棄したりはしない。
  (以下、略)

第3 図書館は利用者の秘密を守る
  (以下、略)

第4 図書館はすべての検閲に反対する

 検閲は、権力が国民の思想・言論の自由を抑圧する手段として常用してきたものであって、国民の知る自由を基盤とする民主主義とは相容れない。
 (中略)
  検閲と同様の結果をもたらすものとして、個人・組織・団体からの圧力や干渉がある。図書館は、これらの思想・言論の抑圧に対しても反対する。
  それらの抑圧は、図書館における自己規制を生みやすい。しかし図書館は、そうした自己規制におちいることなく、国民の知る自由を守る。


  図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。

  図書館の自由の状況は、一国の民主主義の進展をはかる重要な指標である。(中略)。図書館の自由を守る行動は、自由と人権を守る国民のたたかいの一環である。

 (以下、略)

 1954年  採 択
 1979年  改 訂                                     
                                       社団法人 日本図書館協会

1308_図書館の自由に関する宣言
▲(出典:図書館の自由に関する宣言/http://www.jla.or.jp/library/gudeline/tabid/232/Default.aspx

       *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *


「はだしのゲン閲覧制限」(時事通信)

 故中沢啓治さんが被爆体験を基に描いた漫画「はだしのゲン」について、松江市民が昨年8月、「間違った歴史認識を植え付ける」として市議会に学校からの撤去を陳情。市議会は不採択としたが、市教育委員会は同12月、女性への暴行や人の首を切る描写が残酷だとして全小中学校に対し、子どもが希望しなければ閲覧できない閉架措置を求めた。各校で対応が分かれたため、今年1月にも要請したが、いずれも教育委員の会議には諮られず、当時の教育長らが判断していた。(2013/08/26-16:32)


       *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *


 『はだしのゲン』の内容や方向性についての是非・好悪は別として、特定の書物に対し、特定の人々の意見に基づいて、閲覧に制限を加えるような学校の図書室や地域の図書館しかない町には、私は住みたくない。


1306_座頭市

 嫌な渡世だなあ・・・。

 (了)
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肘に負担のかからない打剣/(手裏剣術)
- 2013/08/24(Sat) -
 最近、中距離の打剣の際、正中線に沿った上段からの本打ちではなく、体の右軸に沿った一重身での打剣に切り替えたこともあってか、本日の稽古では、翠月剣による5~6間での打剣が、いままでになく好調であった。

 これは過日、雑誌の仕事で高名なスポーツ整形外科の医師に取材をした際、話のついでに肘に負担をかけない手裏剣の打ち方について、医学的な見地からアドバイスしてもらった点が、活きているのかもしれない。

 これまで私は、向身で体幹の軸を立てたままでの打剣を心がけてきたのだが、「それではどうしても、肘に負担がかかる。投擲において、ある程度の距離になる場合、むしろ体を一重身に使い、体幹の軸に対して体を左右に旋回させる動きを加えた方が、肘への負担が少ない(W医師談)」とのことだった。

1308_向身
▲剣術の正面斬りの動きを活かし、1間半から向身で剣を打つ(合同稽古での手裏剣術講習会より)


1308_一重身
▲2間半の間合から踏み込んで、一重身で剣を打つ(合同稽古での手裏剣術講習会より)


 これについてはもう少し稽古を通して、自分の体で検証していきたいと思うが、肘の痛みや違和感が、それなりに軽減しているのは確かだ。

 また一重身の打剣は、剣の的中の精度も上げるような気がする。そうなると近距離での打剣でも、この一重身の打剣を、活用すべきなのかもしれない。

1308_貫通
▲本日の稽古中、距離5間半の直打で翠月剣を打ったところ畳を貫通。まあ、的そのものが軽量畳であり、しかもかなり劣化して薄くなっていたのだが・・・。それにしても、2~3間の近い間合からフルパワーで打つよりも、5~6間からふわりと打剣したほうが、むしろ剣に威力が乗ることがあるのは興味深い。何事も、力みは禁物ということか

(了)
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「骨法」について/(武術・武道)
- 2013/08/20(Tue) -
 過日の納涼会の夜、「骨法とは、何なのでしょう?」との質問を受けた。

 このとき私は良い加減で酔っ払っていたため、解説もそこそこに技をかけてしまい、質問をした相手には痛い思いをさせた割には、しっかりと明確な回答になっていなかったのではないかと深く反省しており、ここで改めて、簡単にまとめてこうと思う。


 さて、「骨法」とは何か?

 これについては、ウィキペディアの「骨法」に関する曖昧さ回避のページの記述が、簡潔に良くまとまっているので引用してみよう。

 ~以下、引用~

骨法(こっぽう)

(1)物事の根本となる基本や枠組みのこと。
(2)日本の伝統的な芸道・武術などの奥儀、こつのこと。
(3)南画の技法のひとつ。
(4)古武道の技法を指す用語。ただし、どのような技法を指すかは流派によって異なる。(例を挙げると、経穴を責める技法を骨法と呼ぶ流派や、力を専ら用いる技法を骨法と呼ぶ流派もある)
(5)古武道のひとつである捕手術の一部の流派に付属する隠し武器術。強法ともいう。 ⇒ 骨法 (隠し武器術)
(6)主に忍者が用いる素手の武術。または堀辺正史が古代より日本に伝わっていたと主張している、当身技主体の徒手格闘技。⇒ 骨法 (格闘技)
(7)書道用語。 ⇒ 書道用語一覧#骨法


 ※番号は市村の加筆

~以上、引用終わり~


 一般的に「骨法」という言葉は、上記の(1)や(2)の意味で使われることが多い。しかし、いまや「死語」の部類であり、少なくとも「激おこプンプン丸」という言葉を日常的に使う人たちには、ほとんど通じないのではあるまいか?

 また(6)については、いまさら私がコメントするまでもないであろう・・・・・・。


 さて、古流の武術・武道の世界では、「骨法」とは、上記の(4)の意味で使われることが多い。たとえば、天羽拙翁が伝えた関口流(通称・天羽流)では、鉤なし十手を使った一連の技法を「骨法」と称していたという。

1308_骨法3
▲久松時之助著/小佐野淳編『柔術極意真伝』(BABジャパン/平成2年)より、天羽流の「骨法」


 私が10代の頃、柔術を中心に稽古していたときに習った「骨法」は、相手の手首の経絡を圧して極める系統の技、あるいは一般的な逆手の技(型)であった。

1308_骨法1
▲27年前、稽古ノートにまとめた「骨法」の覚書


 経絡を圧して極める「骨法」とは、具体的には八光流の雅勲や、合気道の四教と同種の技法である。

 この系統の技は、実際には「骨法」だけで完全に相手を制圧することは難しく、瞬間的に骨法で極めたあとに当身や投げ、極技につなげることが重要だ。また口伝では、小指ではなくむしろ中指の活用が大事であること、木太刀を使った独習で骨法そのものの極めの威力を高めるように、などと指導された。

1308_骨法2
▲姉川勝義著『実戦古武道 柔術教範』(愛降堂/昭和58年)より、経絡を圧して極める「骨法」の解説ページ。姉川先生は、私が中学生の時分、技法に関する質問を手紙で差し上げたところ、とても丁寧な返信をくださり、道場の稽古にも誘ってくださった。懐かしい、昭和の思い出である


 一方で、一般的な型として習った「骨法」を、かつての稽古ノートから紐解いてみると、合気道で言うところの二教から膝で顔面への当身で極める技、あるいはやはり合気道で言うところの三教からの指折りや逆投げにつなげる技など、13本ほどの型を「骨法」として稽古していた。

 このように古流の武術・武道における「骨法」とは、さほど特別の意味はなく、一般的には単なる一連の技法を示す名称と理解しておけばよいだろう。

 (了)
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夏季合同稽古&納涼会/(武術・武道)
- 2013/08/18(Sun) -
 毎年恒例になっている、戸山流抜刀術美濃羽会中津川稽古会と我が翠月庵との、夏季合同稽古&納涼会のため、土曜の朝、一路、中津川へ。

 新宿から塩尻までは「あずさ」、塩尻から中津川までは「ワイドビューしなの」でおよそ4時間。中津川は、灼熱の上尾に比べると、はるかに過ごしやすい。

 夕方からの納涼会の前に、中津川稽古会の皆さんに、恒例の手裏剣術講習会を実施。今回は、「25年式翠月剣改」を使ってもらい、二間前後で打剣をしてもらう。ここでの手裏剣術指導も、すでに5〜6回目くらいになるだろうか。皆さんそれぞれ、着実に上達しているのがうれしい。

1308_納涼会_手裏剣
▲「25年式翠月剣改」の打ちやすさは、今回の講習でも顕著であった。しかし個人的には、「改」ではない、初期型の「25年式翠月剣」も、捨てがたい魅力がある


 1時間ほどの講習のあとは、お待ちかねの納涼会。バーベキューで盛り上がる。その後は夜遅くまで、武術談義に花が咲く。当庵のY君を相手に柔術の捕手の技法の解説をしていて、ひさびさに柔の稽古がしたくなった。柔術って、楽しいよねえ・・・。


 翌朝、昨晩いささか飲みすぎて軽い二日酔い。

 しかし朝食を済ませ、体育館に入るころには、暑さと汗で、アルコールも完全に抜けたようだ(笑)。

 着替えを済ませ、中津川稽古会の皆さんと合同で剣術の稽古。見切り、間合を詰めての組太刀、左右の受け流しや摩上げからの打ち込みなど、相対稽古でたっぷりと汗を流す。

 最後は、戸山流の本居合で〆。充実した稽古となった。

 中津川稽古会のT先生、また稽古会の皆さん、ありがとうございました。次は年末の合同稽古会&忘年会でお会いしましょう!

1308_納涼会_集合
▲中津川稽古会の皆さんと記念撮影


 帰路も「しなの」と「あずさ」を乗り継ぐ。「あずさ」は指定席が取れず、お盆のUターンもあり、自由席では座れないかなとあきらめていたのだが、運良く席が空いていて、乗り込んですぐに座ることができた。

 帰宅すると、拙宅の横を流れる芝川で、灯篭流しをやっていた。

 夜風に、どことなく秋風のような涼しさを感じたのは、気のせいだろうか・・・。

灯篭流し
▲御詠歌と灯篭の灯かりが、晩夏ならではのもの寂しさを感じさせる

(了)
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武人のたしなみ/(武術・武道)
- 2013/08/16(Fri) -
 明日から2日間は毎年夏恒例となっている、戸山流居合抜刀術 美濃羽会中津川稽古会と翠月庵との納涼会&合同稽古のため、岐阜県中津川を訪れる。

 現在、春に行われる苗木城武術演武会、初夏に行われる無冥流との夏季合宿、晩夏と年末に行われる美濃羽会中津川稽古会との納涼会・忘年会&合同稽古、初冬に行われる無冥流の特別講習会は、当庵の5大イベントになっている。

 今年の夏は、8月に取り組んでいる仕事が、諸般の事情で中途半端な進行になってしまったことから、お盆休みは本日から日曜までの3日間のみとなってしまったが、その分、明日からの2日間は、やっとうと手裏剣、そして武友の皆さんとの交流を楽しみたいと思う。

 そのため今日は、自宅での稽古後、打刀の目釘の点検と鍔の調整をした。

1308_柄の調整
▲主に試斬のある稽古の際に使っている、二尺一寸の無銘刀の中心(なかご)。普段の差料である市原長光に比べると中心が短いので、手之内を変えて遣う


 打刀や脇差を稽古に使う者は、目釘の点検と鍔鳴りの防止を、絶対に怠ってはならない。

 わずかでも鍔が緩んでいると感じたら、即座に稽古を中止し、しっかりと調整する。その場で調整ができない場合、その刀は絶対に使用してはならない。これは武人としての、最低限のたしなみである。

 鍔が「チャリーン!!」と鳴るのは、時代劇の中だけでいい。

 (了)
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名文/(身辺雑記)
- 2013/08/15(Thu) -
 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。 

 (日本国憲法 前文)


 この短い一文は、人類の歴史に残る、稀有の名文だと思う。


 一方で、「斬られると、痛てえぞ・・・」(by桑畑三十郎)、というシンプルな事実を知らない素人ほど暴力を好み、本当の暴力を知らない者ほど暴力を肯定的に捉え、暴力を肯定的に捉える集団は紛争の解決手段として戦争を望む。

 本当の「平和ボケ」とは、こういうことだ。


 厳しい鍛錬を通じて、本当の「暴力」や「闘争」を知り、「命のやり取り」を深く掘り下げていった武術・武道の先人たちは、以下のような箴言を残している。

 曰く、

「剣道はわれも打たれず人打たず、無事に行くこと妙とこそしれ」(一刀正伝無刀流)

「居合とは人に斬られず人斬らず、ただ受けとめて平らかに勝つ」(林崎夢想流)
 
「空手に先手なし」(松濤二十訓<空手二十箇条>)

 
 「終戦の日」の今日、最近声高に聞こえる安直な戦前賛美や憲法改正論議に、ひとりの武術・武道人として大きな違和感・・・、いや危機感を感じる。

(了)
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0.3秒の攻防/(手裏剣術)
- 2013/08/12(Mon) -
 無冥流・鈴木崩残氏がホームページにて、「剣を避ける人体の速度と、打剣の起こりに必要な時間」という、たいへん興味深い考察をされている。

http://www.mumyouan.com/k/matunoma.html

 この実験によれば、

1/手裏剣は、0.1秒で約1.5メートル進む。

2/わずかにテイクバックをとるだけで、0.2秒弱のロスがある。

3/0.1秒あれば、体は、20センチ動いて、剣を避けられる。

4/ところが、その動き方が悪いと、避ける速度は、1/2の速度にもなってしまう。

考察/こうした点から、2間から3間の間の攻防が、もっともシビアであることが容易に理解できる。


 とのことである。


 一般的に、武術の攻防においては、相手の動きを認識するのに0.1秒、それに対してなんらかの対応をするのに0.2秒かかるといわれる。

 しかし、たとえば甲と乙が距離一間で対峙し、甲が乙の顔に上段の回し蹴りをする場合、蹴りの起こりから足が相手の顔に当たるまでにかかる時間は、0.2秒以下であり、単純に蹴りの起こりを目で認識し、体を反応させて避けたり受けたりするのでは間に合わない。このため、組手などの自由攻防の稽古を積み重ねることで培われる、「予測」や「予想」という行為、いわゆる「読み」が必要になってくる。

 つまり、相手の蹴りの起こりを認識した瞬間に、「これは上段蹴りなのだろう」と予測・予想して反応するからこそ、0.2秒以内で受けなり避けるなりの反応ができるわけだ。

 しかし、相手もそれは承知しているので、たとえば上段を蹴るように思わせて中段や下段を蹴る、小手を打つと見せかけて面を打つ、相手の動きを誘い出して起こりを抑えるなどといった、「拍子」の攻防が展開されるのである。

1308_打剣
▲距離三間では、テイクバックなしでも手離れから的に剣が刺さるまで、約0.37秒かかる


 さて、当庵では常々、「手裏剣術における攻防の間合は、実際には二~三間程度である」と指摘してきた。

 これが、今回の無冥流の検証と考察でも、改めて補足できたといえよう。

 手裏剣は0.1秒で1.5メートル進む。またテイクバックだけで0.2秒かかるとすると、約一間間合ですら、合計で0.3秒がかかる。

 0.3秒という時間は、空手道や拳法、剣道などといった対人攻防のある武道を普通に稽古してきたものであれば、高度な攻防技術である「予測」や「予想」なしで、普通に目視してからでも十分に避けられる時間単位なのだ。

 ましてやそれ以上の間合である二間や三間距離では、テイクバックなしの打剣でも、あきらかに0.3秒以上の時間がかかる。たとえば距離三間では、テイクバックなしで0.37秒、距離五間ではテイクバックなしても打剣から命中まで0.6秒もかかるのである。

 こうした点からも、六間や七間、あるいはそれ以上の間合での打剣というのは、あくまでも「術」の鍛錬間合であり、あるいは相手と対峙していない状況での「狙撃」的な攻撃のための技術ということになる。

 また三間以内で相手と対峙した攻防における実践的間合ですら、0.3秒前後の時間であり、ここでも単純に剣を打つだけではなく「拍子」や「間合」、「読み」を駆使した攻防を駆使しないと、相手に有効な打剣を打ち込むことは難しいといえよう。

 それでは、どのようにして剣を相手に当てるのか? 逆にどうすれば手裏剣を避けられるのか?これらについては、過去に本ブログですでに初歩的なポイント解説しているので、下記を参照されたい。

「手裏剣の当て方」
http://saitamagyoda.blog87.fc2.com/blog-entry-255.html

「手裏剣のよけ方」
http://saitamagyoda.blog87.fc2.com/blog-entry-252.html

(了)
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目眩/(身辺雑記)
- 2013/08/07(Wed) -
 いいかけたとき、小兵衛は得体の知れぬ目眩に襲われた。
 六十六歳の今日まで、目眩を感じたことなど一度もなかった秋山小兵衛だ。
 立ち上がろうとしたが、立てなかった。
 手足に知覚がなく、雲を踏んでいるようで、
「ああ・・・・・・」
 わずかに呻き、小兵衛は横ざまに倒れた。
 驚愕の悲鳴が、おはるの口からほとばしった。
 ~『剣客商売十五 二十番斬り』池波正太郎 より~



130805_130002.jpg
▲中一弥画伯が描く、手裏剣を打つ秋山小兵衛先生。このように、帯刀している状態での打剣では、左手は必ず刀の鯉口に置いてコントロールしておかなければならない。また抜刀術の命である鞘引き、あるいは抜刀後の剣術の操刀でも左手は「術の要」であり、つねに刀の操作に専念させるべきである。さらに、より強い打剣のためには(大多数の人の)利き手である、右手で手裏剣を扱わなければならない。こうした点から、日本の伝統的な剣術や居合・抜刀術に基づいた手裏剣術では、手裏剣の左手打ちは重視しない。剣術や抜刀術をまともに稽古している武芸者が手裏剣を扱えば、誰でも分かる「理合」である。一方で柔術や拳法、空手道などの体術をベースに考えるのであれば、手裏剣の打剣は左右の手ともに、それぞれでできることは、大きなアドバンテージになるのは言うまでもない。



 過日、朝起きて、あわててゴミだしに行こうと玄関のドアを開けようとしたら、突然、天井がグルグルと回り、足元が奈落に落ちるような目眩に襲われ、倒れてしまった・・・・・・。

 おまけに狭い玄関だったので、鉄製のドアに頭を強打。ひどい目にあったものである。まあ、秋山先生ですら目眩で倒れるのだから、私ごときがこけるのもやむをえまい。

 その後、目眩はすぐに治まったし、まあ頭もそれほど痛くはなかったので、普通に過ごしていたのだが、夜、床について、頭を左に向けたとたんに天井がグルグルと回りだし、はげしい目眩でほとんど眠ることができなかった。

 しかしその翌日は、団地の祭り。役付きとしていろいろとやることがあるので、なんとかしのぎ、翌日の日曜も安静にしていたのだが、どうにも目眩とふらつきが収まらないので、かかりつけの内科を受診し、めまい止めの薬を処方してもらった。

 今はだいぶ症状は軽快しているけれど、寝起きはやはりグルグル天井が回り、日中も歩くと少し足元がふわふわして、階段など手すりにつかまらないと、いささか心もとない。

 そんなこんなで、自宅での稽古もままならい状態であり、ここ数日は稽古をさぼって私淑する易の大家・横井伯典先生の著作などをひもとき、周易の座学にいそしみつつ療養している。

 さて来週末は、毎年恒例の合同納涼会。いよいよ、夏もおしつまってきた・・・。

(了)
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盆踊り/(身辺雑記)
- 2013/08/04(Sun) -
 この週末は、拙宅のある団地の夏祭りであった。

 自治会の持ちまわりの役付きである広報部長になっている私は、もろもろの準備に参加しなければならなず、この1週間は稽古もままならない・・・。

 自分に子供でもいれば、「うちの子も楽しみしているから・・・」などと、祭りを盛り上げる意欲もわくのかもしれないが、妻も子もないやもめ暮らしの中年武芸者には、そういうインセンティブがそもそもない。

 一方で、こうした地域のボランティア活動というのは、当たり前のことだが、基本的に面倒なことは誰もやりたがらず、できるだけ人任せ、あなたまかせにしたいというのは浮世の常であり、サボる人はサボるし、適当な人は適当だし、無責任な人は無責任で、まじめな人はまじめとなり、結果、まじめで人のよい特定の何人かに負担が過剰にかかるのである。

 そういう状況を、しれっーっと傍観しているわけにもいかないが、さりとてあくまでもボランティア活動なのだから、道場で稽古をサボるタコ助を叱り飛ばすようなわけにも行かず、結果、「黙って粛々と、部長自ら、やるべき作業をこなす」しかないのである・・・。

1308_祭り
▲広報部長謹製の水ヨーヨーを使った、ヨーヨー釣り。1回50円なり


 さて、こうした夏祭りに関連するご奉仕活動の1つに、盆踊りの練習というのがある(爆)。

 なにが悲しくて、40過ぎの独身中年男が、地元の小学生やそのお母さん方に混じって、盆踊りの練習をしなければならないのか・・・とも思うのだが、「自治会各部から、3名以上は必ず参加すること」というきついお達しがあり、しかしわが部からの参加者は数が少ないことから、部長自ら踊りの練習に加わらねばならないというわけだ。

 泣けるぜ・・・。


 それにしても、盆踊りの練習など、小学校以来である。いや、当時も真剣に授業を受けた記憶がないので、事実上人生初ではなかろうか。そもそも、私は生まれてからこのかた、盆踊りに参加したことそのものがないである。

 ところでどうでもいいが、妙にダンスのうまい児童とか、そういった子供たちの統制がとれたパフォーマンスって、なんか大人に無理くり仕込まれた角兵衛獅子みたいで、また一方で子供なりの全開の自意識を無理やり見せ付けられているみたいで、しかもそこに何かエンタメ的な大人の打算のようなものが見え隠れするようで、なんか違和感を感じるんだよな。

 ピ●ーラの宣伝で踊る子供のダンスとか、よ●こいソー●ンで半ばセミプロチックに踊る人々とか・・・。そういう意味では、半分やる気のない遊び半分で参加している小学生たちの盆踊りの方が、よほど健全な気がする。

 ま、偏見です、スミマセン・・・。そもそも踊りとかダンスとか、あんまり興味ないので。

 閑話休題。


 さて、まずは生まれて初めての炭坑節。

 へ~、こうやって踊るんだ。ま、土方仕事は若いときにバイトでさんざんやったから、スコップで掘る動作とか、もっこ担ぎの形も違和感がない。楽勝だ。

 続いて東京音頭。

 曲は知っている。そしてまた、これも動作は簡単だ。しかし、最初の一歩が前進ではなく後退というのは、ちょっとトリッキーで、私の得意な空手道の形であるローハイを彷彿をさせるではないか。盆踊り、なかなか侮りがたいのう。

 そして、大東京音頭。

 ・・・? 東京音頭じゃないのか? 曲は、「♪と~きょ~、と~おきょおお、だ~いとおおきょ~♪」ってやつだ。なんとなく、『20世紀少年』の世界である。そして、このステップが・・・、難しい(汗)。半歩踏み込み、踏み込み、横捌き・・・、みたいな運足が、なんともトリッキーである。警視流居合の足捌きの方が、よほど簡単だ、マジで。


 その後、1時間以上にもわたり、延々と休憩なしで5~6種類の盆踊りを練習。

 終了後、ベテランのご婦人から、「市村さん、上手ね。どこかで踊りとかやってらっしゃったの?」と、聞かれたので、「はい、翠月流を少々」と答えた・・・、というのは真っ赤なウソであることは、言うまでも有馬温泉。

 盆踊り、恐るべし。

 さらば、わが夏。

 (おしまい)
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山の奇談と手裏剣術/(手裏剣術)
- 2013/08/01(Thu) -
 民俗学者である柳田国男の著作と言えば、『遠野物語』が有名だが、それと対を成す代表作に、大正15年に発行された『山の人生』がある。

   山の人生
   ▲角川ソフィア文庫から、新装版として今年復刊された柳田国男の『山の人生』


 この作品は、山で暮らす人々の間に伝えられてきた、伝承や不思議な話、怪奇談などをまとめたものだ。その一節に、次の一文がある。


 日向南那珂(ひゅうがみなみなか)郡の人身上千蔵君曰く、同君の祖父某、四十年ばかり以前に、山に入って不思議な老人に行逢うたことがある。白髪にして腰から上は裸、腰には帆布(ほぬの)のような物を巻きつけていた。にこにこと笑いながら此方を向いて歩んでくる様子が、いかにも普通の人間とは思われぬ故に、かねて用心のために背に負う手裏剣(しゅりけん)用の小さい刀の柄(つか)に手を掛け、近く来ると打つぞと大きな声でどなったが、老翁は一向に無頓着(むとんちゃく)で、なお笑いながら傍へ寄ってくるので、だんだん怖ろしくなって引返して遁(に)げてきた。


 『山の人生』の初版は大正15(1926)年発行なので、文中の「四十年ばかり以前」というのは、明治19(1886)年頃になる。ちなみに明治19年という年は、日露戦争の18年前だ。

 さて、この一文で興味深いのは、

「かねて用心のために背に負う手裏剣(しゅりけん)用の小さい刀の柄(つか)に手を掛け、近く来ると打つぞと大きな声でどなった」


 という部分である。

 まず第一に、この不思議な伝承の体験者である身上千蔵君の祖父「某」氏が、山深い場所を往来する際、用心のために「小さい刀」を「手裏剣用」に携帯していたという点に注目したい。また第二に、怪しい山人に出会った「某」氏が、「近く来ると打つぞと大きな声でどなった」ことも興味深い。

 第一の点について、手裏剣用に背負っていた「小さい刀」とは、果たしてどのようなものだったのだろうか?

 背負うほどのサイズで、しかも柄があるということは、いわゆる棒手裏剣のような小型の投擲用武具というよりも、短刀や脇差程度の、それなりの大きさの「刀」だったのではなかろうか?

 また、その「小さい刀」は、「手裏剣用」に「背に負」っていたということから、鉈や山刀のように作業用に使うのではなく、最初から護身用に特化して携帯されていたと考えられる。さらに「小さい刀」を斬ったり突いたりして使うのではなく、最初から「手裏剣用」、つまり投擲して使おうと考えていたという点も、非常に興味深い。

 普通、短刀や脇差、あるいは小刀サイズの刃物でも、それで身を守ろうと思う場合、斬る・突くという動きをとるのが一般的だ。しかし、この「某」氏は、あえて最初から、何か事があったときには小さい刀を手裏剣として使ってやろうと考えていた、というのはたいへん特殊なように思う。

 また第二の点。ここで「某」氏は、迫ってくる奇怪な山人に対して、手裏剣用に使おうと背負っていた小さい刀の柄に手をかけて、

「近く来ると打つぞ

 と怒鳴っている。

 普通、武芸としての手裏剣術のたしなみがない人は、こうした場合「打つ」とは言わない。多くは、「投げる」と言うものである。しかしこの「某」氏は、あえて「打つぞ」と怒鳴っているのである。


 こうして記録の断片から大胆に推測すると、この「某」氏は、明らかに手裏剣術、あるいは剣術における「打ち物」、つまり当庵で言うところの「飛刀術」の心得があった人ではないかと考えられる・・・、と推測するのはいささか乱暴であろうか。

 古流の手裏剣術諸派では、たとえば知新流の「飛龍剣」や心月流の「脇差懐剣打之事」のように、専用の手裏剣ではない、脇差や短刀を手裏剣に打つ技術があった。一方で剣術諸流にも、たとえば圓明流の「手裏剣打ち様」や寶山流の「飛龍迫」「臥龍迫」、心形刀流の「三心刀」のように、脇差を手裏剣に打つ技術は伝えられていた。


▲脇差を手裏剣に打つ「飛刀術」


 こうした点からも、『山の人生』のエピソードに登場する「某」氏は、手裏剣術にゆかりのある人物ではなかったか・・・、などと空想するのである。

 (了)
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