「立って、そして闘いなさい」/(武術・武道)
- 2013/10/29(Tue) -
 ちょっと昔、まだ空手道の試合に出ていたころ、試合を見に来た知人から、「あんなに殴られたり、蹴られたりして、痛かったり、怖かったりしないの?」とよく聞かれた。

 当然のことながら、稽古を積んでいる武道人でも、殴られたり蹴られたりすれば痛い。また試合の前、ことに初めて試合会場で手合わせする相手というのは、なんとも怖いものだ。

 それでも冷静に、「殴る蹴る」ができるのは、痛みや恐怖をコントロールできるからである。


 一般の人と、ある程度稽古を積んだ武術・武道人の違いというのは、たとえば、

 顔を殴られると、どれくらい痛いのか?

 腹を蹴られると、どれくらい痛いのか?

 畳や板の間、地面やコンクリートに投げつけられると、どれくらい痛いのか?

 首を絞められると、人間はどうなるのか?

 などといった苦痛について、体験的に知っており、その苦痛を「主体的に経験してきた」ということであろう。


 しかも、それは武術・武道という、古来から試行錯誤が繰り返されてきた指導体系に基づいているために、段階をへて、しだいに痛みや恐怖の強度が高められることから、基本的には、だれでも適切な指導を受けて稽古を積むことで、苦痛や恐怖に対応できるようになっているのだ。

 ゆえに、たとえばもし、稽古を始めて3ヶ月の相手に、思い切り上段回し蹴りをぶち込むような空手有段者がいるとすれば、そいつはアホウである。

 あるいは、受身もできない初心者を、片羽締めで落とすような柔道有段者がいたとすれば、そいつはキチガイなのである。


 このように、スポーツが次第に運動の強度や負荷を上げていくように、武術・武道は形稽古や乱捕り、試合などの段階的な稽古のなかで、「痛み」や「恐怖」への対応力を上げていくようなカリキュラムになっている。

 一般的には、現代武道でいえば有段者(二~三段)、古流なら切紙を過ぎて目録の手前くらいになると、自分の感じる「痛み」や「恐怖」を、それなりにコントロールすることができるようになるはずだ。

 これは、そのレベルにいたるまでの稽古で、なんども「痛み」や「恐怖」の体験を繰り返し、時にはその痛みや恐怖に飲み込まれて逃げてしまったり、おびえてしまったり、そういう経験を何度もし、しかしそのまま逃げることなく、立ち向かっていったからこその有段者・目録者であり、立ち向かってきた彼らだからこそ持つ、痛みや恐怖に対する対応能力なのである。


 かく言う私も、これまで殴り合いや打ち合いの恐怖に飲み込まれたことが何度もある。

 特に記憶に強く残っているのは、今から10数年前のことだ。

 あるとき、私は外国人との組手で顔面への蹴りを受けそこね、奥歯を折られてしまったのだが、その数日後の稽古の時である。

 いつも通りの組手の稽古で、相手が軽くジャブのように突いてくるだけで、自分の顔が無意識に後ろに引けてしまったのである。本当に軽く、相手がちょこんとついてくるだけなのだが、自分の意識とは無関係に、顔を大きく背けてしまったのだ。

 そのうち、「顔をたたかれたくない」という恐怖心が、さざ波のように押し寄せてきて、格下の段位の相手との稽古でも、顔が逃げてしまう。そして有段者にはありえないことだが、「組手中に、相手が攻撃をしかけてくると、目をつむってしまう」という、最悪の状態にまで陥ってしまった。

 いわゆる、「心が折れた」という状態である。

 あまりの無様さに、その日の稽古後、師範から「しっかりしなさい!」と、厳しく叱責されてしまうほどの醜態であった。

 自分の意識や気力とはまったく無関係に、体が逃げてしまう。そして次第に恐怖心の波が、小波から大波のようになり、最終的には気持ちがすべてそれに飲み込まれてしまう・・・。

 稽古後、己を振り返ってみて、「ああ、これが本当の恐怖心なのか・・・・」と、しみじみ感じた。


 では、この恐怖心をどう克服したのかといえば、その後の稽古で、

 「相手に打たれようが、蹴られようが、歯がまた折れようが、こちらから先に体ごとまっすぐ突っ込む」

 ことを、自分に徹底的に断固として「強制」した。

 相手の攻撃を受けようとか、捌こうとかするから、恐怖で顔をそむけ、体が固まってしまうのである。ならば、とにかくこちらから、先に突っ込む。顔が無意識に逃げようが、腰が引けようが、とにかくこちらから突っ込むのだ。

 当然ながら、最初は顔はのけぞり、目は閉じ、しかも腰が引け、とても有段者の組手とは思えない無様さである。しかも、むやみやたらに突っ込むのだから、相手からすればカモだ。いわゆる「待ち拳」(カウンター攻撃)というやつで、ボコボコにされる。当然である。

 組手のたびに、突っ込んでは蹴込みをぶち込まれて悶絶し、あるいは投げ飛ばされて板の間に叩きつけられ、次第に痛みや恐怖も麻痺してくる。

 すると「もう、どうでもいいや・・・」という、ある種、捨て鉢な気分になってくる。こうなると不思議なことに、体が逃げなくなってくるのである。そのうちに、以前と同じように相手の動きを見られるようになり、体も自然に動けるようになってきた。

 結局、試合で歯を折られてから元の状態に戻るまで、延べ2週間ほどがかかった。



 今、振り返って思うのは、一度あふれ出してしまった恐怖心は、無理に押さえ込もうとしても無駄だということ。むしろ押さえ込むのではなく、怖いと思う心のままで、恐怖の対象に「入っていく」ことが、重要なのではないかと思う。

 恐怖を感じることは、恥ずかしいことではない。

 それどころか、危険に対して適切な恐怖を感じられるからこそ、それをコントロールし相手を制御・制圧できるのであり、それを学ぶのが武術・武道の稽古なのだ。


 え? 今も殴り合いは怖いかって?

 そりゃあ、怖いヨ(笑)。殴られると、痛いからねえ。

 だからこそ武術・武装人は、常に「勁(つよ)く」あるべく、昨日の己を凌駕するために、今日も稽古を続けるのだ。

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「リングに上がるとき、ボクサーは誰でも恐怖で凍り付いてしまう。その恐怖をどう克服するか? 修練しかない。人は熱心に励(はげ)むことによって、恐怖を友人にすることが出来る」(マイク・タイソン)

「立って、そして闘いなさい」(エディ・タウンゼント)


 (了)
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自宅での稽古/(武術・武道)
- 2013/10/28(Mon) -
 先の週末は台風による雨のため、やむを得ず稽古会は休み。拙宅での自主稽古となった。


 自宅稽古場では、現在、的まで二間しか間合が取れないため、また天井の高さの関係もあり、手裏剣も抜刀も、もっぱら座技での稽古となる。

 まずは手裏剣術の、二間座打ちから。

 手裏剣術の座打ち(居打ち)は、正座、跪坐、居敷き、右足を中に入れた居敷き(いわゆる居合腰と同様)と、4種ある。中でも、正座や跪坐は、通常の立打ちに比べると、下半身の動きが制限されるので、ある意味では立打ちよりも難しく、センシティブだ。

 私の個人的な感覚では、三間の立打ち(八寸的)と、二間の座打ち(五寸的)は、ほぼ同程度の難易度に感じられる。

 また正座と跪坐では、まったく感覚が異なる。

 跪坐の場合、打剣の際に体幹の動きを有る程度加えることができるが、正座の場合は跪坐以上に姿勢が固定される。このため慣れないと打剣に威力が乗らないのだが、これが熟練してくると、速度はそれほどでなくとも、剣そのものの重さを活かした打ち込みができるようになり、深ぶかとした的中が得られるようになってくるから興味深い。


 二間座打ちの後は、居合。まず座技の形を抜いて、その後は試物の稽古を二種。

 まずは、手元から投げ上げた試物を、抜き打ちで斬る。鞘離れの拍子が重要である。また、切先、物打ち、はばき元と、試物を斬る部位も、適宜変化させる。次に、形の動きの通りに、着座の状態から初太刀の逆袈裟、二の太刀の左袈裟で、試物を斬る。屋内での斬りの稽古、特に据えた物を斬る場合は、そもそも斬れる試物を、斬れる刀で斬るので、斬れる斬れないではなく、狙った部位をどれだけ正確に、形通りの動きで斬れているのかを検証するのが稽古の主眼である。


 斬りの稽古の後は、座技の刀法併用手裏剣術。

 帯刀して着座し、二間の座打ちで打剣し、途切れることなく抜刀する。手裏剣の打剣から、柄に手をかけて抜刀するまでの一連の動きを、居着くことなく行うことが、この稽古の狙いである。これも手裏剣の打剣同様に、立ち技の刀法併用手裏剣術以上に、座技は拍子の居付きが明確に分かるので、個人的には座技での刀法併用手裏剣術は、非常に稽古の効用が高いと感じている。


 稽古の最後は、再び手裏剣の座打ちで、気息を整える。これで、おおむね1時間半~2時間ほどの稽古となる。


 なお、これは雨天などで週末の稽古場での稽古ができなかった場合や、日曜・祝日用のメニューで、平日の日々の稽古では、これらの科目から適宜チョイスして、体術やその他の武具の稽古も織り交ぜながら、より短時間で行っている。

 基本的に、稽古は毎日行うように心がけているのだが、実際には仕事で遅くなってしまったり、その他もろもろの用事や家事に追われたり、あるいは疲れて稽古をする気になれないときもままあるので、実際には毎月15~20日程度、稽古をしていることになる。

 年間を通して毎月20日以上の稽古というのは、なかなか難しいものだ。まあ、あまり回数にこだわるのも意味はないけれども、できればもう少し増やしたいと思ってはいる。

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▲本日の稽古で用いた、二尺一寸の無銘刀と25年式翠月剣

 (了)
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刀法併用手裏剣術における「陰剣」の心得/(手裏剣術)
- 2013/10/23(Wed) -
 武術としての手裏剣術について、これを「隠し武器」の術として捉える向きがある。

 しかし当庵では、手裏剣術特有の間積もりに関する「対抗不能性」に着目し、 「手裏剣術は、剣術における二刀遣い(逆二刀)のいち形態」と定義し、これに基づいての稽古を主眼にしている。このため隠し武器としての手裏剣術には、さほど重きを置いていない。

 むしろ手裏剣を隠さずにしっかりと構え、打剣せず、抜刀することなく、位で詰めて勝ちを得ることを、最上の「勝ち口」としている。


 一方で、当然ながら武芸として考えると、「隠し武器」というものは非常に有効な武技であり、こうした面での「対抗不能性」にも十分に留意しておく必要がある。

 なお時折、「大型の手裏剣は、隠し武器として使えない」といった、的外れな批判をする者もあるようだが、これについてはすでに無冥流の鈴木崩残氏が、その著書『中級手裏剣術』で詳細に反論・解説されているので、いまさら私が能書きを述べるまでもない。興味のある人は、ぜひ同書を参照されたい。

 いずれにしても、全長4~5寸の小型軽量剣はもちろん、8寸ほどの当庵の翠月剣や1尺の無冥流長剣でも、十分に隠し武器として運用することが可能である。


 さて、刀法併用手裏剣術における、教えに「陰剣」がある。

 これについては、藤田西湖著の『図解 手裏剣術』で、その詳細が解説されている。

 要約すると、通常、手裏剣は袴の前腰辺りに手挟んでおくが、これとは別に「陰剣」として、懐中、あるいは後腰(袴の腰板の裏部分)に、手裏剣を隠して手挟んでおくというものである。

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▲『図解 手裏剣術』藤田西湖(名著刊行会)より、刀法併用手裏剣術における、「陰剣」の解説


 実際に稽古をしていると、懐中の「陰剣」は、前腰に手挟んでいる手裏剣や打刀・脇差に干渉して動きを妨げるので、当庵では後腰に秘匿するよう指導している。

 なお、秘匿している「陰剣」をどのように運用するのかは、実伝にて解説するので、本稿では略す。

 (了)
 
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手裏剣の不適切な携帯方法について/(手裏剣術)
- 2013/10/22(Tue) -
 いやあね、あたしゃあ以前(まえ)から気になっていたンですけれどもねえ。

 なんで、鉢巻しめて、でこに手裏剣を挟むんだと・・・。

 こんなのとか、

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▲『長七郎江戸日記スペシャル「血闘・荒木又右衛門」』(日本テレビ/1986年)の里見浩太郎さん。一般的な手裏剣というより、当庵の翠月剣のような大きな短刀型(?)である


 あるいは、こんなのとか、

78伊賀の水月
▲『伊賀の水月』(大映/1942年)の阪東妻三郎さん(古畑任三郎のお父さん)。こちらは小柄小刀風


 はたまた、こんなんですよ、えぇ、まったく・・・・。

人物日本剣豪伝〈3
▲『人物日本剣豪伝〈3〉荒木又右衛門・柳生連也斎ほか 』伊藤桂一ほか著(人物文庫/2001年)の表紙の絵。こちらも小柄小刀風


 普通ね、どう考えても、あんた、手裏剣を鉢巻にゃあ、挟まないでしょうよ。

 しかも荒木又右衛門さんといやあ、お江戸でその名を知られた、新陰流の剣豪なんだから・・・ねぇ。

 こんなんで動き回ったら、自分のでこが傷だらけになって、もう血まみれになっちまうってもんですよ、えぇ、ほんとに。

ブッチャー
▲でこ流血のイメージ(協力/アブドーラ・ザ・ブッチャーさん)


 ちなみに、今から168年ほど前、いわゆる幕末よりもちょっと前の弘化2(1845)年に発行された『本朝剣道略伝』に描かれた荒木又右衛門さんは、こんなです。

荒木_江戸錦絵
▲『本朝剣道略伝』一勇斎国芳著(上総屋岩蔵/1845-1846)の錦絵。当然ながら、でこに手裏剣は挟んでいないのは、言うまでも有馬温泉


 さすがに江戸時代の人が書いただけあって、まあ、でこに手裏剣挟んだりはしてません。

 それが20世紀になると、荒木又右衛門といえば、やっぱりこれですから、まぁ、いけません。こうなると、もう、手裏剣用の小柄小刀が、ティアラみたいですな・・・。

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▲『日活映画の100年 日本映画の100年』東京国立近代美術館フィルムセンター企画展のポスター(2012年/人物写真は1925年公開の尾上松之助『荒木又右衛門』より)


 ちなみに、正しくは手裏剣は、

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▲『図解 手裏剣術』藤田西湖著(名著刊行会)より。本書では藤田師も、映画などで鉢巻に手裏剣を刺して携帯するビジュアルイメージが流布していることに対し、「あんなことは絶対になかったことである」と指摘している


 このように携帯するってなもんです。くれぐれも、お間違えのないようにどうぞ。さもないと、こんなんなっちまいますヨ・・・。

ブッチャー2
▲でこ流血後のイメージ。『ブッチャー 幸福な流血―アブドーラ・ザ・ブッチャー自伝』アブドーラ・ザ・ブッチャー(東邦出版/2003年)より

 (おしまい)
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サントリーウエルネスのweb広告の気持ち悪さ
- 2013/10/18(Fri) -
 最近、「サントリーウエルネスのweb広告は不愉快だな・・・」、と思っていたら、同じように感じている人が多いらしいことを知った。

 「サントリー 広告 不快」で検索すると、結構、いろいろなブログや記事が出てくる。


 10年位前、サントリーの白州蒸留所を取材して、そこで働いている人々の「ウイスキー愛」に感動し、それまでニッカ党だった私は、『白州』ファンになった。

 しかし、ここ最近の、サントリーウエルネスのweb広告の、生理的嫌悪感を感じさせる気持ち悪い下品な広告戦略を見ると、やっぱりニッカ党に戻ろうかなと本気で思う・・・。

 酒くらい、粋に飲みたいからねえ。


 サントリーウエルネスのweb広告が、どのように気持ち悪いのかについては、

「自分の娘に性欲のはけ口を求めるサントリーウエルネス広告がキモすぎる」
http://yunishio.blogspot.jp/2013/03/blog-post_19.html

俺のFUD広告フォルダが火を噴くぜ
http://www.suchi.org/wp/2013/03/fud_ad/


 以上、2つのブログが、問題を分かりやすくまとめてくれているので、関心のある方はどうぞ。

(了)
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バイソングラスの香る酒/(身辺雑記)
- 2013/10/17(Thu) -
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 たいへん不覚なことに、「ズブロッカ」が、ポーランド産ということを、つい最近まで知らなかった。不惑を過ぎても、聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥である。

 ここのところ仕事が重なり、酒が翌日に残るといろいろと問題になるので、食後酒や寝酒には、もっぱらこいつをやっている。

 ズブロッカは、ポーランド北東、野生のバイソンが生息する世界遺産「ビャウォヴィエジャの森」に自生しているバイソングラスを使った世界的ブランドのウオッカだ。バイソングラスの不思議な芳香と、トロリとした飲み口が、なんとも個性的だ。

 こいつを瓶ごと冷凍庫に入れておき、キンキンに冷えているのを、ストレートで飲む。ふわりと香る、バイソングラスの芳香が、なぜか郷愁を感じさせる。


 若いころ、北極圏からボルネオまで、いろいろな国を旅したけれど、実は欧州には足を踏み入れていない。

 ボスボラス海峡を船で渡った先、ヨーロッパ側のイスタンブールには、90年代の中頃、イラク領内のクルドゲリラ解放区に入るための準備として、なんだかんだと長期間滞在したけれど、トルコ人は異論があるだろうが、そこは欧州ではない。やはり中東である。

 このため、ヨーロッパの国々について、私には映画や写真で見た印象しかないが、ポーランドという国には、なにか悲劇的なイメージがつきまとう。

 古くはアンジェイ・ワイダ監督作品の『灰とダイヤモンド』、近年では押井守監督作品の『アヴァロン』、あるいは縄のれんの片隅で、団塊の世代の人々が、いささか得意げに遠い目をしながらつぶやく『ワルシャワ労働歌』・・・。

 また歴史的には、第二次世界大戦後半、いまだ圧倒的な火力を誇るナチス・ドイツの占領軍に対して、ワルシャワ・ゲットーのユダヤ人レジスタンスたちが立ち上がるも、儚く鎮圧されたワルシャワ・ゲットー武装蜂起・・・。

 そんな印象の断片が、私にとってのポーランドのイメージを、悲劇的なものにしているのかもしれない。


▲『ワルシャワ労働歌』

(歌詞)
暴虐の雲 光を覆い
敵の嵐は荒れ狂う
ひるまず進め我らが友よ
敵の鉄鎖をうち砕け

自由の火柱 輝かしく
頭上高く燃え立ちぬ
今や最後の闘いに
勝利の旗はひらめかん

起て同胞(はらから)よ 行け闘いに
聖なる血にまみれよ
砦の上に我らが世界
築き固めよ勇ましく



 ズブロッカの良いところは、とにかく翌日に酒が残らないことだ。

 日本酒やワインなどの醸造酒に比べ、ズブロッカや焼酎などの蒸留酒は、二日酔いが少ないと言われる。体験的には、たしかにその通りで、ズブロッカを飲んだ翌日は、ほとんど二日酔いを感じることがない。

 もっともこれは、医学的にはまったく根拠のない迷信だそうで、二日酔いの度合いは単純に摂取したアルコール量によるものであり、蒸留酒だからといって二日酔いがしにくいというのはありえないという。

 しかし、はや四半世紀、酒を飲み続けている者の実感としては、確かにズブロッカや焼酎は二日酔いが少ないんだよな・・・。


 おそらく、私がポーランドという国を訪ねる機会は、今後もないだろうが、ズブロッカを満たしたストレートグラスを傾けて、バイソングラスが香るたびに、私の心は彼の地・ビャウォヴィエジャの森を旅する。

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▲ポーランド・ビャウォヴィエジャの森


 さて、今夜も飲むか。

 (了)
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訃報に思う/(武術・武道
- 2013/10/15(Tue) -
■ 訃報

天神真楊流柔術師範家 久保田敏弘氏は、病気療養中のところ、平成25月10月3日に逝去されました。享年76歳
ここに謹んでお知らせいたします。


天然理心流剣術第十代宗家 平井泰輔氏は、病気療養中のところ、平成25年10月9日に逝去されました。享年66歳
ここに謹んでお知らせいたします。

(日本古武道協会 オフィシャルサイトhttp://www.nihonkobudokyoukai.org/より引用)



 訃報が相次ぎ戸惑う・・・。

 以前、本ブログにも書いたが、私がまだ田舎のヒヨコだったころ、天神真楊流の久保田敏弘先生には、ごく短期間であったが、ご指導をいただいたことがあった。

 私は12歳から、地元の八光流柔術伊豆道場で、石津謙治先生の下、八光流柔術と鹿嶋神流の抜刀術を学んでいた。しかし、ご存知のとおり八光流は繊細な技が多いので、2年、3年と稽古を続けていくと、血の気の多い10代の若者であった私は、その稽古がいささかものたりなくなり、もっと激しい柔術を学んでみたいという気持ちが強くなった。

 そこで当時、日本古武道振興会の会長であった小笠原流三十世の小笠原清信先生へ手紙を送り、天神真楊流の久保田先生をご紹介いただいた。

 久保田先生に直接ご指導いただいたのは、ごく短期間に過ぎなかったが、ほぼマンツーマンで手解と初伝の座技・立技を指導していただくことができた。また形稽古の後は必ず柔道形式の乱捕りがあり、当時、先生の演武の受けをよくやっていらっしゃった高弟の方に、投げ飛ばされ、絞められ、極められ、こってり絞られたものだ。

 その頃、稽古は都営三田線白山駅近くの柔道場で行っており、稽古の後、水道橋駅近くのステーキ店で、先生にご馳走していただいたこと、また、「アルバイト代を使って、遠い所から稽古に通うのはたいへんだろうが、若いときの苦労は買ってでもするものだよ。がんばりなさい」と励ましていただいたことも、懐かしい思い出だ。

 今となっては、業として覚えているのは、「鬼拳」や「両手取」などの手解と、初段のいくつかの形だけだが、「本物の古流柔術」をご指導いただけたことは、あれから28年の時が過ぎた今も、私の貴重な財産になっている。


 天然理心流剣術第十代宗家の平井泰輔先生には、直接お会いしたことこそ無いのだが、私が高校生の頃、先々代宗家の加藤伊助先生に理心流のご指南をお願いしたところ「剣道3段を取ったら教える」と厳しく言われたことがあり、またその後、平井先生の会派とは別系統の理心流を学んだことからも、面識こそなかったが今回の訃報を聞いて驚いている。まだ、鬼籍に入られるような御歳ではないと思うのだが・・・。



 ここに謹んで、久保田敏弘先生、平井泰輔先生、両先生のご冥福をお祈りします。

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▲28年前、久保田先生にお声がけいただき見学した、日本古武道振興会創立五十周
年記念 日本古武道大会のパンフレット。なお手裏剣術関連では、この演武会では根
岸流とは別に、白上一空軒師が「白井流手裏剣」(「術」という表記はなし)として参加
している。ところが当時の私は、手裏剣術にはまったく興味が無かったので、「白井流」
の演武の記憶は、なにひとつ無いのが残念である

 (了)
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『雑兵物語』と脛斬り/武術・武道
- 2013/10/14(Mon) -
 ここのところ、『雑兵物語』を再読していた。

 江戸時代の初め頃である天和3(1683)年以前に成立し、長い間読みつがれ、幕末の弘化3(1846)年に刊行されたこの書物は、当時の下級兵卒である雑兵が戦場で心得ておくべき点について、親しみやすい口語でまとめた、江戸時代版の戦闘教範である。

 本書の中で鉄砲足軽小頭の朝日出右衛門は、戦場での白兵戦について次のように語る(市村意訳、以下同じ)。

「持っているだけの弾薬をすべてぶっ放したあとは、弾や火薬を装てんするための棒は引っこ抜いて袋に戻し、鉄砲は腰の帯に挟み込んで、刀を抜いて敵の手と足を狙って斬りなされ。真っ向正面に斬りつけると、なまくらな刀は鍋の柄のように曲がってしまうぞ」

 同様に、弓足軽小頭の大川深右衛門もこう語る。

「白兵戦になって、もう死ぬしかないと思うときは、槍の間合いよりも近づいて、相手の隙をうかがって矢を射るべし。その後は、弓につけたはずやり※で、相手の顔面か胴のはずれ、草摺りの隙間を狙って突きなされ。その後は、刀でも脇差でも適当な武器を引っこ抜いて、敵の手か足を狙って斬るべし。兜の正面は斬ってはならぬ。刃が欠けてしまい、なまくらな刀では斬れないものだ。接近戦は難儀だけれど、矢の筈を切る小刀などでもいいから、鎧といっても針を刺すような隙間は必ずあるものだから、しがみついて突き通しなされ」

※弭槍(はずやり):弓の弦を掛ける弭先につける、袋穂状の槍穂。


 鉄砲や弓、そして槍が合戦の主体だった時代、槍よりもさらに肉薄しての戦いで刀や脇差を使わなければならないような場合、まず相手の手か足を狙って斬りつけるというのが、当時の戦技の定番であったのだろう。


 さて、こうした古い時代の剣技を今に伝えているものに、棒の手の形がある。


▲棒の手の形、猿投鎌田流「差合」


 棒の手は、剣術や棒術などの武芸を踊りの形として伝承したもので、農民のための自衛武術であるとか、有事の際に農民を雑兵として活用するための訓練であったなど、その起源にはさまざまな説がある。全国各地にその伝承があるが、中でも愛知県は棒の手が盛んで流派が多く、数多くの形が保存されている。

 動画の形は棒対剣の形だが、廻剣での斬りや霞構えでの受けなど、いずれも武術としての古流剣術諸流でもよく見られる普遍的な動きがみられる。

 そしてなにより、剣術の攻撃では下段への足斬り=脛斬りが多様されているのが興味深い。脛斬りの技は、武術としての剣術流儀では私の知るものでは、たとえば天然理心流の「山影剣」や駒川改心流の「足切」「竜段」、直心影流の「法定」の形にも見られるものだ。

 こうして考えると、剣術における脛斬りというのは、少なくとも剣術の想定として甲冑を着用した「介者」での戦いがリアリティを失っていなかった江戸時代中頃までは、ごく一般的な剣技だったと考えてもよいのではなかろうか?

 これが、江戸時代の中期以降、防具の改良によって次第に試合稽古が普及し、なおかつ平和な時代が続いて剣技のニーズが「介者」から「素肌」へ移行することにより、正面斬りに対して頭部が無防備になり、正面斬りなどとの相打ちの場合、自分の受けるダメージがより大きいであろう脛斬りという技は、剣技としての普遍性を低下させていったのかもしれない。

 ところが面白いことに、今度は幕末期になると、技として脛斬りを想定していない剣術諸流が増えたために、古式ゆかしく脛斬りの技を伝えてきた柳剛流が、試合稽古でも脛打ちで多いに気をはいて、江戸の剣術界にその名を知られたというのは、これまた興味深いエピソードだ。


 「正を以て合い、奇を以て勝つ」

 剣術に限らず、兵法の道理は、いつの時代も不易であるということだろう。


■出典・参考文献

・「正を以て合い、奇を以て勝つ~脛斬りと、武術としての手裏剣術」(本ブログ/2012.5.8)
http://saitamagyoda.blog87.fc2.com/blog-entry-318.html

・「脛斬りとローキック」(本ブログ/2009・3.18)
http://saitamagyoda.blog87.fc2.com/blog-entry-64.html

・「雑兵物語・おあむ物語」中村道夫・湯沢幸吉郎校訂(岩波文庫)

・「雑兵物語」かもよしひさ(講談社)

・「駒川改心流 剣術教書」黒田泰治(振武館黒田道場)

 (了)
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試作5ミリ剣のテスト/(手裏剣術)
- 2013/10/13(Sun) -
 昨日の稽古では、新しく試作していただいた翠月剣のテストを行った。

 昨年末から、翠月剣の重ねを5ミリから6ミリに変更して以来、右肘内側の関節部分の違和感が強くなってしまったのだが、それの対策の一環ということもあり、無冥流鈴木崩残氏が、新たに5ミリ重ねの翠月剣を試作してくれたのである。

 テストは、0~6間間合で、重ね6ミリの「25年式翠月剣」との比較を行った。それぞれの剣のスペックは、以下の通りである。


・試作5ミリ剣
 全長250ミリ/身幅13ミリ/重ね5ミリ/重量116グラム

・25年式翠月剣
 全長255ミリ/身幅13ミリ/重ね6ミリ/重量144グラム



 以下に、所感をまとめる。

■1~4間半、直打
順体、逆体、歩足、いずれの打法でも、それぞれの剣の性能に優劣は感じない。

■5~6間、直打
順体、逆体、歩足、いずれの打法でも、25年式翠月剣の方が、若干、安定感があるように感じる。しかし、試作5ミリ剣であっても、熟練すれば、十分安定的に打剣できると推測される。

■手裏剣術運用型、両眼打ち(各3間)
それぞれの剣の性能に、優劣は感じない。

■前後打ち10種
それぞれの剣の性能に優劣は感じられないが、打剣後半、やや疲労を感じる中では、試作5ミリ剣の方が、若干、精度が高く打剣できたように感じる。

■刀法併用手裏剣術(2~3間)
それぞれの剣の性能に、優劣は感じない。

■掌剣術(1間より胴突き)
それぞれの剣の性能に、優劣は感じない。

■威力・速度
3間直打(上段構えからの本打ち)では、重量は軽いながらも速度が速く、肘にかかる負担が軽いことから、より全力で腕を切り下ろせる試作5ミリ剣の方が、25年式翠月剣以上に深く的に刺さることが多かった。

■疲労感
稽古終盤、軽い疲労を感じるようになると、試作5ミリ剣と25年式翠月剣との重量の差を顕著に感じるようになった。

■肘への負担感
実際の負担のかかり具合以前に、手持ちの感覚が圧倒的に軽い試作5ミリ剣は、肘にかかる負担をあまり気にすることなく、全力で腕を振ることができた。このため、3~4間程度で、軽く滑走をかけぎみに打ち込むと、試作5ミリ剣は快調な的中を見せた。


■まとめ
 1~4間半までの直打では、打法・運足にかかわらず、どちらの剣もほとんど性能に違いはなかった。一方で5間以上からは、若干重ね6ミリの剣の方が安定して打剣できた。

 試作5ミリ剣は、25年式翠月剣に比べると、肘への負担が軽く感じる。

 特長として、25年式翠月に比べると試作5ミリ剣は、上段構えの本打ちから、思い切り腕を切り下ろして、やや滑走をかけて打つような場合、重さの負担感がなく、結果として重量こそやや軽いが、スピードが出るので、威力としても十分であり、使い勝手が良いように感じる。

 結論として、今回の試作5ミリ剣は、当庵が想定する0~5間の間合において、性能は重ね6ミリの25年式翠月剣とほぼ変わりなく、肘への負担はより少なかった。

 2種類の剣の違いは、5間以上の間合からの安定感、打剣の際の打ち心地、刺さったときの手ごたえの違いなどであった。

 以上の点から、今回の試作5ミリ剣は、「25年式翠月剣(短)」(重ね6ミリで、全長の短いタイプ)とともに、当庵の翠月剣の準規格の剣として考えたいと思う。

 ことに、長期間の稽古使用に際しての肘への負担の少なさと、4間半以内での使い勝手の良さから、場合によっては将来、私個人はこちらの剣をメインにする可能性もあるな・・・、そんな感想を抱かせてくれる剣であった。

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▲3間直打で、試作5ミリ剣と25年式翠月剣を打つ

 (了)
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日本の治安は悪化している?/(時評)
- 2013/10/10(Thu) -
 ここ数日、若い女性がストーカーに殺害された事件が大きく報道されている。

 その事件だけでなく、ここしばらくの間だけでも、バラバラ殺人や虐待死などのニュースが多く、「なんだか殺伐とした世の中になって、治安も悪いなあ・・・」と感じる。

 さてそこで、ひねくれ者の貧乏記者としては、

 「本当に、日本の治安は悪くなっているのだろうか?」

 と考えて、ちょっと調べてみた。



 厚生労働省発表の人口動態統計によれば、2012年に他殺で死んだ人は合計で383人。1年間、毎日1人以上の人が、日本のどこかで他人に殺されていることになる。やはり、ぶっそうだ・・・・。

 ところが、この年間の他殺者数383人というのは、戦後最小の数なのである。

 戦後、最もたくさんの人が、他人に殺された年は、前の東京都知事が小説『太陽の季節』で直木賞をとった、1955(昭和30)年。この年の他殺による死者数は2,119人で、2012年の約6倍(!)となっている。

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▲図版出典:社会実情データ図録(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/)


 ちなみに、多くの人に「昭和の昔はよかった。素朴で人に優しい時代だった・・・」と郷愁を感じさせてヒットした、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の舞台設定は、1958(昭和33)年。この年の他殺による死亡者数は、年間で1,968人となっている。

 つまり、われわれの郷愁を誘う「三丁目の夕日」の時代は、現在の5倍もの人が殺人事件などで殺されていた、治安最悪の時代だったのである。


 他殺者数(殺人・傷害致死など)だけでなく、強盗や強姦などの凶悪犯罪、あるいは少年の引き起こす凶悪犯罪などについても、戦後から現在にかけて全体的に減少傾向にあり、昭和時代に比べると、

 現在の日本の治安は、きわめて良好

 なのが現実だ。


 一方で、内閣府が2006(平成18)年に行った「治安に関する世論調査」では、次のような調査結果が示されている。


 ここ10年間で日本の治安はよくなったと思うか,それとも悪くなったと思うか?


 「よくなったと思う」11.3%
 「悪くなったと思う」84.3%


 つまり、全体の8割以上の人が、実際には治安がよくなっているにもかかわらず、「治安が悪くなった」と感じているのだ。

 こうした、主観的・感覚的な治安情勢を、「体感治安」という。それにしても、実際の「治安」と「体感治安」がこれほどずれているのは、いったいなぜなのだろうか?

 簡潔にいえば、社会の情報化によって、事件がセンセーショナルに、そして繰り返し報道されることで、われわれは昭和時代の人よりも、はるかに凶悪事件の「ニュース」を数多く読み、あるいは聞かせられているからであろう。

 昭和30年代の日本であれば、たとえば秋田県北秋田市阿仁中村(いわゆるマタギの里)で起こった、痴情のもつれによる刺殺事件のニュースを、鹿児島県西之表市西之表(鉄砲伝来で有名な種子島)の人が目や耳にすることは、ごくわずかであっただろう。

 しかし情報化された現代では、どんな地方の小さな事件でも、マスコミがそこに「ニュースする価値」を感じれば、各社がこぞって大量にニュースを作り、それをネットやテレビ、ラジオ、新聞、週刊誌などなどで流し続けるのである。

 平成のわれわれは、昭和時代に生きた人々に比べ、好むと好まざるとにかかわらず、はるかに膨大な量の「ニュース」=「情報」にさらされている。

 ゆえに、実際の殺人や凶悪犯罪は、昭和時代に比べて激減しているにもかかわらず、「体感としての治安の悪化」を極めて身近に感じさせられているのだろう。



 肝心なのは、事実を客観的に捉え、事象の本質を見抜くことだ。

 当世風に言えば、それは「メディア・リテラシー」であり、武芸の世界の言葉で言えば「観の目」を鍛えるということになろう。

 (了)
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Protect yourself at all times./(時評)
- 2013/10/07(Mon) -
 若い頃はバックパッカーで、ユーコン河流域やタクラカン沙漠などといった辺境地をうろうろしていたこともあり、一時私は、野外教育のインストラクターを目指そうかな・・・、などとバカなことを思っていた時期があった。

 このため、英国に本部がある由緒ある野外教育機関の日本校で、1週間の泊まりこみで野外教育者の養成コースを受講したことがある。その講習の中で、こんな課題の演習があった。

 「山中の登山道を数人の仲間と歩いていると、曲がり道の先にある崖の下に誰か人が倒れている! さて、君はまず何をなすべきか?」

 われわれ受講生は、野外教育者を目指すコースを受講するだけに、みな登山やスキーなどのベテラン揃いであり、上記の課題に対して「速やかにCPR(心肺蘇生法)を施す」という人がいるかと思えば、「自分たちパーティーのメンバーに迅速に役割分担を指示し、倒れている人を搬送する」などといった、手馴れた対応をした。

 しかしこれらの対応は、野外活動中のリーダーの対応としては、すべて落第である。正解は、

 「自分と仲間の安全の確保」

 である。応急処置も、搬送も、すべて自分たちの安全確保が十分になされた後に、行わなければならない。

 なぜ、曲がり道の先で、人が倒れているのか? その原因がはっきりするまでは、安易に現場に近寄るべきではない。

 そこには、火山性の有毒ガスが流れているかもしれない。あるいはそこは、落石の巣かもしれない。ナイフを持った犯罪者が近くに潜んでいたり、手負いの危険な野生動物が徘徊しているかもしれない・・・。

 だからこそリーダーとして異変を見つけたら、まず自分と仲間の安全確保を最優先にしなければならないのだ。

 そのためには、救助・救出を後回しにしてでもよい。最悪の二次災害を防ぎ、被害を最小限に止めるためにも、自分たちの安全確保は、最優先にされるべきであるし、それを指示するのがリーダーの責任でもある。


 「Protect yourself at all times」

 これは、映画『ミリオンダラー・ベイビー』で、クリント・イーストウッド演じる老ボクシングトレーナーが、若き女性ボクサーのヒラリー・スワンクに、繰り返し伝えようとした教えだ。

 この教えは、ボクシングに勝つためのアドバイスであることはもちろん、貧しい白人家庭に生まれ、たった一人で、怠惰で人間として最低な家族たちを支え、社会の片隅であがき続ける女性が、「過酷な社会でサバイバルするための掟」でもあるのだ。

 老トレーナーの教えを守り勝利を積み重ねることで、ボクサーとして、また人生の成功者として、絶頂を目の前にした彼女だが、一瞬、ほんの一瞬だけ、

 「常に自分を守る」

 という教えを忘れてしまう。

 その結果は、彼女にとっても老トレーナーとその友人の老ボクサーにとっても、あまりに残酷でほろ苦いものだった・・・。

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▲『許されざる者』にせよ、『グラン・トリノ』にせよ、生きることのほろ苦さと、
それに直面しても逃げない市井の人々の強さと寂しさを淡々と描いている
のが、イーストウッド作品の魅力だ。


 連日伝えられている鉄道事故と救出の報道を目にするごとに、わが身を挺して他者を救った人の自己犠牲の純粋さは多とするけれど、一方で残された家族のいたみを慮ると、「Protect yourself at all times.」という言葉の重みを改めて感じるし、大マスコミや政治家が俗っぽい美談調でメディアで取り上げることに、いささか違和感を感じる。


 われわれ凡人が、この悲劇から教訓を見出すとすれば、大切な人たちを守るためにも、「Protect yourself at all times」と心に刻むべきであろう。

 (了)
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質問力/(身辺雑記)
- 2013/10/07(Mon) -
 過日、とある著名研究者の講演会にいった。

 講演の最後、質疑応答の時間があり、何人かの受講者が「質問」をしたのだが、そのあまりのひどさに閉口してしまった。質疑応答とは、質問と回答のやり取りである。しかし、彼らの「質問」は、演者への問いかけではなく、そのほとんどが「自分語り」であった。

 その道の専門家に疑問を問いかけるのではなく、著名な演者に対して自分がいかに彼(講演者)を尊敬し崇拝しているのかを朗々と語る・・・。

 そりゃあ質疑応答じゃあねえだろう。

 しかし演者は、そんな愚問にも角が立たないよううまく応えていて、「さすがに著名人は、人あしらいがうまいのう・・・」と感心した。

 私が質問を受ける側だったら、「それは質問ではなく、あなたの感想ですよね?」とか言って、会場の空気をどんよりさせてしまうだろうなと思う。


 「質問」をするためには、疑問点や問題点を明確にし、なおかつそれを「コトバ」として他者に正しく伝えなければならない。そのためには、まず自分の課題(疑問・質問)を客観的に把握し、整理する必要がある。

 課題に対する認識力が未熟なうえに、それを伝える言語能力が低いのであれば、その問いは「質問」にはならず、限りなく「自分語り」になってしまうのも当然であろう。

 的確で簡潔な「質問」ができるかどうかで、その人の人間としての器量を推し量ることができる。

 ありていに言えば、どんな技芸の世界でも「ぬるい質問しかできないようでは、お里が知られるぜ」、ということだ。
 
 (了)
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翠月剣の名称の整理/(手裏剣術)
- 2013/10/02(Wed) -
 昨日の稽古では、ひさびさに短い方の25年式翠月剣で打剣をした。

 長い方の通称「メリ剣」に比べると、こちらは打剣の際、ごくわずかに滑走をかけないとうまく刺さらないのであるが、おそらく慣れと間合いの関係であろうか、2間座打では、こちらの方がメリ剣よりも、命中精度が高いのである。

 また重さという点でメリ剣は144グラムあり、私の場合、この重さが肘に負担をかけている。これが短い方の剣だと、かなり軽減されるのである。一方で短い方の25年式は、メリ剣に比べると、5間以上の打剣距離での安定感は、いささか劣ることになる。

 このように25年式の翠月剣でも、長さと重さによって2つのタイプがあり、それぞれに特性がある。重さと肘への負荷、さらに個人的な短い方の翠月剣への愛着もあり、今後もそれぞれを使い分けていこうかと思っている。

 
 さて、その上で、本ブログなどで翠月剣について記述する場合、25年式でも通称・メリ剣と短いものと2種類があり、さらに重ねの薄い旧型もあるなど、それぞれの名称や文中での書き分けが煩雑なので、今後は以下のように名称を統一しようと思う。

■「翠月剣」
 当庵の稽古で使用する、独自の短刀形手裏剣の総称。

■「25年式翠月剣」
 これまで「通称・メリ剣」と呼んできたタイプ。全長255ミリ/身幅13ミリ/重ね6ミリ/重量144グラム。

■「25年式翠月剣(短)」
 初期型の25年式翠月剣。全長230ミリ/身幅13ミリ/重ね6ミリ/重量126グラム

■「旧翠月剣」
 25年式制定以前の翠月剣。全長236ミリ/身幅13ミリ/重ね5ミリ/重量110グラム

1310_翠月剣
▲下から「25年式翠月剣」、「25年式翠月剣(短)」、「旧翠月剣」。 なお、スペック上、25年式翠月剣・短よりも全長が長いはずの旧翠月剣だが、写真では25年式・短よりも短くなっている。これは磨ぎや整形などを繰り返すうちに、短くなってしまったためである。


1310_翠月剣の重ね
▲25年式と旧型、それぞれの翠月剣の重ねの違い。6ミリと5ミリでは、これだけ違う。武用を考え
ると、どちらがより良いのかは、言うまでもない。

(了)
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