最も古い手裏剣術の一形態・飛刀術/(手裏剣術)
- 2013/11/28(Thu) -
 当庵では、例年夏と冬に、友好団体である 岐阜県の中津川市、恵那市で活動する戸山流居合抜刀術 美濃羽会 中津川稽古会との合同稽古・手裏剣術稽古会・納涼/忘年会を行っている。

 今年も冬の合同稽古・忘年会が近づき、「さて、今回の手裏剣術講習会のテーマは、何にしようか・・・」と思案していた。そんなとき、中津川稽古会のO先生より、「今回の剣術・抜刀術の合同稽古では、テーマを小太刀にしようと思う」とのお知らせをいただき、ならばそれに連動して、手裏剣術の講習会では脇差を手裏剣に打つ、飛刀術をメインテーマにしようと考えた。


 現在、当庵の飛刀術は、

一本目 上段
二本目 八相
三本目 脇構
四本目 鞘遣上下二刀
五本目 切先返

 以上の四つの形を稽古している。


▲飛刀術基本形、二本目「八相」



▲ 飛刀術基本形 鞘遣上下二刀(ハイスピードカメラ撮影)


 脇差を手裏剣に打つ業は、最も古い手裏剣術の形態のひとつであり、古くは『大阪軍記』や『常山紀談』にも記録が残されている。現在も古流剣術諸派の形にそれを見ることができるが、実技として実際に脇差を手裏剣に打つ稽古を、系統的かつ継続的に実施している流儀・会派は、本邦でも少ないと思われる。

 居合・抜刀術や剣術を嗜む武術・武道人であれば、こうした業があることを知っておくことも、無駄ではないだろう。


 余談だが、映画版の『鬼平犯科帳』で、居合を遣う刺客に泥田に追い込まれた中村吉右衛門演じる長谷川平蔵が、起死回生の一手として遣ったのが、脇差を手裏剣に打つ飛刀術であった。また冥府魔道に生きる元公儀介錯人も、よく脇差や打刀を手裏剣に打っていたものである(笑)。

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▲テレビ版『鬼平犯科帳』、初期のオープニングより。やっぱり鬼平は、
吉右衛門だな

 (了)
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天涯の青を映す/(数寄)
- 2013/11/22(Fri) -
 渋谷にある、陶磁器専門の戸栗美術館は、実業家・戸栗亨が蒐集した東洋陶磁器を主に保存・展示。主な収蔵品は約7000点に及び、伊万里や鍋島などの肥前磁器、中国・朝鮮の陶磁器の名品を間近に見ることができる。

 ハチ公前交差点から109をへて東急を過ぎ、Bunnkamuraの裏手から観世能楽堂に向かう坂道に至ると、渋谷の喧騒がウソのような、静かな高級住宅街となる。本当に、ここが渋谷かと疑いたくなるほどの通りの雰囲気の変わりようは、突然異界に迷い込んでしまったような、不思議な感覚さえする・・・。

 能楽堂から少し行けば、戸栗美術館に到着する。私は、比較的小ぢんまりとしたこの美術館が好きで、年に何度か、足を運んでいる。


 一昨日、たまたま渋谷で仕事があり、ちょうど取材と取材の合間が2時間ほど開いていたため、駅から歩いて15分ほどの場所にあるこの美術館に、久しぶりに立ち寄ってみた。

 するとなんと、うれしいことに企画展が「館蔵 青磁名品展―翠・碧・青―」ということで、私の大好きな青磁の逸品の数々をじっくりと見ることができた。

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 なかでも、この美術館の収蔵品である「青磁染付 雪輪文 皿 鍋島」は、これまでもここで何度も見たが、しかし何度見ても飽きない。

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▲青磁染付 雪輪文 皿 鍋島 江戸時代(17世紀末-18世紀初)


 また私は、象嵌を施した高麗青磁も好きだ。青磁の上品さの中に、素朴な象嵌が加えられることで、なにか民藝的な温かさが宿るような気がする。

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▲青磁象嵌 蒲柳水禽文 鉢 高麗時代(1269/1329年)


 青磁の深い青、あるいは淡い青、はたまた柔らかい緑の色合いを見ていると、古代から中世の人々が愛した色彩の不思議な透明さに包まれるようで、なんとも心地よい。

 「雨過天青、雲破ルル処」と評された、「青」の磁器に囲まれて、至福の時間を楽しむことができた。

 本企画展は、12月23日まで開催中である。

 (了)
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禍福は糾える縄の如し/(身辺雑記)
- 2013/11/21(Thu) -
 武術・武道を嗜む者であれば、ケンカ自慢や街角の武勇伝など言語道断、そもそも暴力沙汰に巻き込まれた時点で、武術・武道人としては「負け」であり、己の不徳を省みるべきである。

 これは、私淑する野中日文師範の武道行動学に基づいた考え方であり、私も日々、その旨を己に言い聞かせている。

 ところがどういうことか、今月になって立て続けに、街中で2度もトラブルに巻き込まれてしまった。これもまた、己の不徳の致す所であろうか。


 2週間ほど前、都内での取材に向かうため、正午前に最寄り駅から電車に乗ったところ、ぐでんぐでんに酔っ払った年のころは50代後半から60代くらいの男に、因縁をつけられてしまったのである。

 いやはや、電車で酔漢に絡まれるなど、20数年ぶりであろうか・・・。

 しかたなく、もろもろ適切に対応し、結果、酔漢は警察官に連れて行かれ、私はとくにお咎めもなく、その後の仕事にも支障をきたすことはなかったのだが、そもそも酔漢に絡まれてしまった時点で、己の未熟を反省する次第である。


 さらに先日、やはり都内での取材に向かうべく、遅めの朝の時間に駅に向かって歩いていると、若い男が50代くらいの女性に大声で因縁をつけているのに遭遇。見てみぬふりもできないので仲裁に入ったのだが、こんどはそのチンピラが、私に向かって恫喝を始めてひと悶着。

 結果として、からまれていたご婦人は無事に逃がしてやり、なおかつ私も、そして相手も怪我なく済んだわけだが(苦笑)、「夜道に気をつけろ」だの「てめえの顔は覚えた」だの、往年の大映ドラマのような爆笑ものの脅し文句を言うものだから、「そうかい、そういかい。可愛がってあげるから、いつでもおいで(笑)」、などと言ってしまった自分は、まだまだ修行がたりんなと反省することしきりである・・・。

 しかし一方で、平日の昼間、人通りも少なくない駅前のバス通りで、ご婦人がチンピラに因縁をつけられて大声で恫喝されているのに、道行く人のだれもが見て見ぬふりをして通り過ぎていくというのはいかがなものかとも思う。直接止めに入るのが怖いのであれば、いまどきだれでも携帯やスマホを持っているのだから、110番くらいしてあげればよいのだ。

 ちなみに、110番をしてから警察官が現場に到着するまでにかかる時間をリスポンスタイムと呼ぶが、昨年度の全国平均は7分1秒だという。覚えておいて損のない、豆知識である。



 それにしても、ここ20数年、酒場や街角でこうした暴力沙汰に巻き込まれたことなどなかったのに、今月になって、こうも立て続けに巻き込まれるとは、いったいどうしたことか?

 私の住む地域の治安が急速に悪化しているのか、はたまた私の日ごろの行いが悪いのか・・・?

 いずれにしても、困ったもんである。

 (了)
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立合よりも繊細な居合による刀法併用手裏剣術/(手裏剣術)
- 2013/11/19(Tue) -
■本日の稽古備忘録


 座技による刀法併用手裏剣術。

 無意識のうちに柄を気にしてしまい、構えが崩れ、腕の振りに袈裟がかかってしまい、打剣が乱れる。

 肘をたたまず、帯刀していない時よりも、ややシュート気味の腕の振りを意識して打つ。

 
 感覚的には、立合の刀法併用手裏剣術よりも、居合の刀法併用手裏剣術の方が、繊細で難しいように思う。

 (了)
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『山上宗二記』を読む/(書評)
- 2013/11/17(Sun) -
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                 ▲岩波文庫版の『山上宗二記』。


 武術・武道以外で学んでみたい芸事は、茶道だ。

 しかし現代の茶道の多くは、きらびやかな着物をまとった富裕層の手慰みや道楽と化してしまい、戦乱期の武人や茶湯者たちが求めた高い精神性は求めるべくもないだろうことは、たとえば思想家・柳宗悦の一連の茶道批判、あるいは茶人で哲学者の久松真一による厳しい茶道観に基づいた論考からも伺われる。

 残念なことである・・・。


 茶道に関する書籍の中で、個人的に非常に好きで、常に手元に置いて愛読しているのが、この『山上宗二記』だ。

 山上宗二は、千利休の高弟で、豊臣秀吉に使えていたが、一言居士ゆえ秀吉の怒りを買い、耳と鼻を削がれて斬首された、不遇の茶人である。もっとも、この戦乱の時代、利休にしても織部にしても、いずれも時の権力者と対峙し、切腹して果てているといるというのは、なんとも象徴的だ。


 『山上宗二記』は、今から400年以上前の天正16(1588)年に記された、茶の湯秘伝書である。内容は、名物道具論と茶の湯・茶人論の2つで構成されている。

 もとより、私には茶の湯の嗜みはないのだけれど、山上宗二の語る茶の湯・茶人論からは、日本の伝統的芸事の修行に共通する深い含蓄が読み取れ、本書はある種の「修行論」として読むことができる。

 しかもその論考は、日本史上最高の絶対権力者・豊臣秀吉に逆らって殺されるほどの反骨の茶人が記したものだけに、ぬるい時代の半端な武道学者先生が書いた、軽い「修行論」などとは比較にならない厳しさ、本質的な勁(つよ)さが秘められている。

 もう1つ、山上宗二は、茶道史上最大の天才であり怪物的茶の湯者であった千利休の高弟だったわけだが、本書を読むと、宗二が師・利休を見る目が、非常に冷静かつ客観的なことにも注目したい。

 利休ほどの大人物・不世出の天才が師であれば、その高弟として利休をある種の神的偶像に祀り上げ、それを賞賛することで、ひいては自分自身の権威を高めることも容易であろう。しかし、本書で宗二が語る利休像は、あくまでも客観的であり、その評価も冷静だ。

 これは宗二自身が、利休の高弟として茶の湯の修行に専心し、「守・破・離」の階梯をしっかりと上り、本書執筆の段階で「破」から「離」に立ち至る視点に立っていたからこその、見方なのではなかろうか。

 翻って武術・武道の世界を見れば、「虎の威を借る狐」のように、己の師匠筋を妄信し、あるいは神話的伝承を事実と取り違え、神と祀り上げている武術・武道関係者の少なくないことは、いまさら記すまでもない。

 気を入れるだの、空中に浮くだの、当てずに倒すだの、正常なアタマとカラダで考えれば、あまりに馬鹿げたことを無批判に信じ、束脩という名目の金品を長期間にわたって搾取される人が後をたたないのが、この世界の実態なのだ。

 なにより筋悪なのは、師として己の「神業」なるものを示し、それによって金品と名声を得るばかりで、何年たってもまともに遣える弟子を育てられないような、指導者の存在である。そもそも武術・武道というものは、自分ができて当たり前の世界であり、その業や心法を後進に受け渡し、育てて大成させ、さらに次代につなげるのが、芸事の師たる者の使命なのだ。

 だからこそ、たとえば宮本武蔵がどんなに強く、現代人に勝るとも劣らない合理的近代精神を持っていた超人的武人だったとしても、武術・武道家としては上泉伊勢守に比べて、一段、格が下がるのである。


 山上宗二は、茶の湯者が朝夕唱えるべき言葉として、

 一、志
 二、堪忍
 三、器用

 と記している。これを武術・武道人の視点で見れば、

 一、斯術・斯道への大いなる理想
 二、武人として「忍ぶ」べき心
 三、術技のたゆまぬ向上

 と言い換えられるのではなかろうか。


 400年以上も前の戦乱の時代に生きた、反骨の茶人の声を間近に聞き、己を見つめなおすことができる。

 古典の醍醐味とは、こういうものだ。

 (了)
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深夜のペリカーノジュニア/(数寄)
- 2013/11/14(Thu) -
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 深夜2時半、今月新しく創刊される雑誌の原稿を書き終える・・・。

 一般的に、原稿を校正する際に訂正を書き込むには赤いペンを使うのだが、私は自分の原稿チェックには、緑色のインクを入れた万年筆を使う。

 とはいえ場末のライターゆえ、使うのはペリカーノジュニア(笑)。これにブリリアント・グリーンのインクを入れている。


 ペリカーノジュニアは、「スーベレーン」で知られるドイツの万年筆メーカー・ペリカンが、児童教育用にデザインした万年筆だ。私は黒と緑のインクを入れたものを二本、常に携帯し、仕事などに使っている。

 この万年筆、児童用とはいえ、なかなかに使い勝手がよく、コストパフォーマンスも高い。仕事にプライベートに、ガンガン使いまくっているが、ステンレス製のペン先は紙を噛むこともなく、しばらく使わないでいてもインクがつまることもなく、いつでもすらすら書けるのがうれしい。

 ペン先もボディも太めだが、それがまた素朴な使いやすさとなっており、キャップをボディにさして使うと、長さもちょうど良い。

 手裏剣に打つのにも、ぎりぎり許容サイズだ(爆)。

 それにしても、児童に万年筆を使わせるドイツという国は、なかなかに気骨があるなと思う。日本で言えば、小学生に毛筆を教えるようなものだろうか・・・。


 (了)
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半夏瀉心湯の入眠効果/(身辺雑記)
- 2013/11/13(Wed) -
 先々週の週末、不覚にもズブロッカを飲みすぎてしまい(一晩で一本・・・)、さらにここ1ヶ月ほど生業が非常に多忙なこともあってか、ここしばらく胃の調子が非常に悪かった。

 とりあえず、痛みが強い数日間は、ガスターを飲んでいたのだが、一昨日くらいから痛みは治まったものの、胃のむかつきが続いて食欲が落ちたままなので、漢方の半夏瀉心湯を飲み始めた。

 すると、胃のむかつきや食欲不振が徐々におさまるとともに、寝つきがよくなった。

 じつはここしばらく、仕事のストレスで夢見が悪く、リラックスして寝付けない日が続いていたのだが、寝る少し前に半夏瀉心湯を飲むと、しばらくすると眠気が自然に起きてくるので助かっている。


 半夏瀉心湯は、

~体力中等度で、みぞおちがつかえた感じがあり、ときに悪心、嘔吐があり食欲不振で腹が鳴って軟便又は下痢の傾向のあるものの次の諸症:急・慢性胃腸炎、下痢・軟便、消化不良、胃下垂、神経性胃炎、胃弱、二日酔、げっぷ、胸やけ、口内炎、神経症~(ツムラ漢方より)

 という漢方薬なので、ストレスによる睡眠障害にも、多少の効果があるのやもしれぬ。


 身近に漢方に詳しい医療関係の人がいることもあって、2年ほど前から個人的に漢方を自習をしている。

 たとえば仕事で疲れきってしまったり、どうにもやる気が出ないときには、補中益気湯を頓服すると、不思議と「ひとがんばりするか!」という気力が出る。また私は夏ばてしやすいので、そういうときにも補中益気湯は欠かすことはできない。

 とはいえ、こうした頓服的な使い方は限りなく「プラセボ(偽薬効果)なのだろうな・・・」と思うのだが、主観的実感として効果を感じているので、それはそれで良いのではないかと思っている。

 個人的な養生では、EBMよりもQOLの方が大切だ。


 不惑を過ぎて久しいことだし、今後は殺法ばかりではなく、活法の学びにも少し力を入れていこうかと思う。 

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 (了)
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稽古の「精度」/(武術・武道)
- 2013/11/11(Mon) -
 ここしばらく打剣にせよ抜刀にせよ、「精度」という点に課題を置いて稽古をしている。

 たとえば、弓術の古い伝書などでは、顔面については五寸的、日月(眼球)については五分的を基準としている。あるいは根岸流の成瀬関次師は、三間半強・八寸的に六割以上の的中で、手裏剣術は「錬士相当、目録」と記している(『臨戦刀術』)。

 このため私も、「板金を打つ心(フルパワーの打剣)で三間半/八寸的/六割的中」を稽古の目安にしているけれど、その日の好調・不調によってばらつきがあり、調子が悪いとなかなか思うようにはいかない。

 的に刺中がまとまるような、いわゆる「置きにいく」打剣は不可とし、あくまでも武芸として「板金を打つ心」とすると、三間半強/八寸的でも難しいものだ・・・。

 そういう意味で基本的にスポーツ全般に興味のない私だが、田中まーくんとか、プロ野球のピッチャーというのは、すごいなあとしみじみ思う。


 同様に、居合・抜刀術の斬りの稽古では、目当てにした任意の位置から誤差一寸を目安に斬れるよう稽古をしているが、これまたその日の好・不調によってばらつきがある。傾向として、どうも「斬ろう」と思った場所よりも、1~2寸上を斬る傾向があるようだ。

 斬りの稽古では、どうしても「斬れるか、斬れないか」に関心が行きがちだが、それよりも「どのように斬れたか、斬れないか」の方が、稽古者には重要であろう。


 我、未だ未熟なり・・・。

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 (了)
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ただ一閃の剣/(手裏剣術)
- 2013/11/06(Wed) -
■本日の稽古備忘録

 久々に二尺四寸五分の刀で、居合を抜く。

 ここしばらく、普段の稽古では二尺二寸の市原長光、斬りの稽古では二尺一寸の無銘を使っているのだが、何しろこの二尺四寸五分、18歳の時に旧師にいただいて以来、もう26年も使っているのだ。体になじんでいる。


 私が学んだ流儀では、特に差料の寸法に規定はなかった。旧師は、門弟に二尺一~二寸の短い刀で稽古をさせていたのだが、どういうわけか私にだけは、「これを使いなさい」と二尺四寸五分での稽古を命じた。

 門弟の中で、私が一番小柄であるにもかかわらず・・・。
 

 今思うに、流儀の定めた寸法がある場合は別として、特に指定がないのであれば、居合・抜刀術ならば長めの刀の方が稽古によいだろう。一方で剣術の稽古であれば、定寸あるいはやや短めの刀の方が、稽古にはよいかなと思う。

 それでは手裏剣術者としては、どんな差料がよいだろうか?

 手裏剣術者たるもの、間合四~五間にも及ぶ長大な剣=手裏剣を馬手に持つのだから、差料はあまり長いものでなくてもよいかと思う。

 ただしこの場合の馬手の剣=手裏剣は、普通の刀と違って、打ってしまえば一回こっきり、たった一閃しか使えないということをお忘れなく。

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▲刀法併用手裏剣術 晴眼の構え

 (了)
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「昔の原稿アーカイブ」はじめます/(昔の原稿アーカイブ)
- 2013/11/05(Tue) -
 場末のライターなどというちんけな商売をしていると、B級グルメから神経筋疾患まで、雑多なテーマを取材・執筆し、それを文字にして、ピンは全国紙や大手出版社の雑誌、キリは発行部数100部単位のミニコミやここのブログまで、幅広い媒体に原稿を書いている。

 すると、たとえばかなり力(リキ)を入れて取材し、書いた原稿が、大手出版や全国紙での掲載となれば、それはそれだけたくさんの人の目にふれ、読まれるので、筆者としては異存はない。

 しかし、それが小規模な媒体に掲載されて、ほとんど人々の目にふれず、ましてや媒体そのものが廃刊などになり、人知れず埋もれてしまうのは、とても悲しい・・・。

 そこで、いろんな媒体で書いた原稿のなかでも、埋もれてしまうのはおしいものについて、本ブログで「昔の原稿アーカイブ」として保存・掲載していこうかと思う。

 なお、これらの原稿は、さまざまな媒体で、それぞれの雰囲気に合わせた構成や文体で書かれているので、語り口に統一性がないのは、ご了承いただきたい。

 というわけで、時間つぶしにでも、読んでくだされ。



日本人と病気~消えた「癪」や「中風」

 医学の発達は、多くの病気を制圧し、人の寿命を延ばしてきました。

 古代人を恐れさせた痘瘡(天然痘)は、日本だけでなく世界でも制圧され、1980年にWHOが根絶宣言を行いました。天然痘は、現在自然界においてウイルス自体が存在しないものとされ、人類が根絶した唯一の感染症となっています。痘瘡のように根絶とまではいっていませんが、かつては日本人の国民病と呼ばれた結核や脚気も、現在では比較的珍しい病気となっています。

 このように、病気そのものが制圧されて消えていくことのほか、病気の概念が変わったことから、人々の間から消えた病気もあります。江戸時代、突然差し込む腹痛について、男性の場合は「疝気(せんき)」、女性の場合は「癪(しゃく)」と呼びました。疝気の多くは脱腸だったと考えられ、癪は胃痛、生理痛などから来る腹痛の総称とされています。このように、その病気が西洋医学の考え方で改めて分類されたことから、疝気や癪という病気はなくなってしまったのです。

 同じような歴史的経過をたどった病気に「中風」があります。中風は半身不随の状態を指す言葉ですが、現在はその原因である脳卒中や脳梗塞、脳出血などという原因が病名になったため、あまり使われなくなりました。しかし東洋医学では、いまだに中風は重要な病名となっています。

 (了)
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手裏剣肘にはテーピング/(手裏剣術)
- 2013/11/04(Mon) -
 ここしばらく、難儀していた手裏剣肘(上腕骨内側上顆炎)について、テーピングをすることでかなり症状が抑えられるようになった。稽古前、このようにテーピングをしておくことで、痛みを気にせず、思い切り打ち込むことができる。

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▲専用のサポーターも買ってみたのだが、テーピングの方が違和感がないし簡単だ


 テーピング効果のせいか、昨日の稽古では全体的に打剣が好調で、精度もまずまず。

 なにより5間直打の際、これまでは肘を守るために、押し出し系の腕の振りで剣を打っていたのだが、テーピングでしっかりと痛みが予防できているので、5間でも上段構えから切り落とし系の腕の振りでの打法で、存分に打てるようになった。

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▲翠月剣による5間直打。的がいたんでいるため貫通してしまった。重量級で片刃の翠月剣は、そもそも貫通力が高いのだが、さすがに新しい畳の的では、このように貫通することはない。一方で脇差による飛刀術では、損傷していない畳が的でも、剣が的を貫通してしまうことが度々ある


 さらに、2~3間の近距離でも、思いきり腕が触れるようになったので、爽快かつ存分に打剣ができるようになった。テーピング効果は偉大なり、である。

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▲3間直打でも的を貫通。5間からの打剣に比べると、剣の軌跡が違うことがわかる


 翠月剣の重量(144グラム)について、これまでいささか重いなと感じていたのだが、肘への負担が軽減されるのであれば、重さはもうデメリットにならない。

 それにしても、ただテープを巻くだけで、こんなにも負担が減るとは、本当に驚きであった。

 (了)
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秋か・・・/(身辺雑記)
- 2013/11/02(Sat) -



 ちょっと前、「ようやく、今年の猛暑も終わったか・・・」と思っていたら、あっという間に、もう晩秋といった雰囲気。

 朝晩の冷え込みも、きつくなってきた。

 勝新のTV版の『座頭市』って、なんとなく秋から冬、そして早春へ・・・、というイメージなのだが、いよいよそんな季節になってきた。



おてんとさん  

阿里あさみ 作詞  富田勲 作曲
勝新太郎 歌

鼻で知る春 木の芽の匂い  
耳で知る秋 ツクツクボウシ
お天道さん   お天道さん
目ん無いがらすの このあたしとは 
お互い貸し借りゃ ないけれど
きけば あなたも ひとり者
    
《もし どなたさまでございます
 ええ 寄るんじゃねえ
 おい 寄るんじゃねえ
 寄るってえと おいら 抜くぞ
 ウハハハハ
 何だ おい 枯葉さんかい》

風が運んだ 落ち葉にさえも  
おびえてとび起き 抜く仕込み杖
お天道さん  お天道さん
かんべんなすって おくんなせえよ 
やくざな この身の かわいさに 
片手念仏 逆さ斬り

《ああ もう斬りたくねえ 斬りたくねえ
 お天道さま  もし お天道さま
 ちょっとだけ  ちょっとだけ
 目をつけてやって おくんなさいまし
 目さえありゃ 逃げられるんです》  

地蔵さんには からすがとまり
花にゃ 蝶々が とまるというが
お天道さん    お天道さん
こんどはわたしの番でござんす
泣かれる身寄りも ないけれど
死ぬのはいやで ございます。


(了)
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