年越しへ/(身辺雑記)
- 2013/12/31(Tue) -
131231_年越し


 大晦日、自宅稽古場の掃除を済ませ、茶室で一服。

 あとは年越しへ。

 (了)
スポンサーサイト
この記事のURL | 身辺雑記 | ▲ top
平成25年を振り返って/(手裏剣術)
- 2013/12/29(Sun) -
 門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし
              (『狂雲集』/一休宗純)



■今年一年を振り返って

 さて、平成25年も、残すところあと数日となった。今年を振り返ると、「禍福は糾える縄の如し」というがごとくの1年であった。

 春には、当庵の友好団体である戸山流居合抜刀術美濃羽会中津川稽古会主催の「苗木城武術演武会」に、当庵のY君と出場。翠月庵として納得の演武を披露することができ、皆さんにもご好評をいただくことができた。

 初夏、二回目の夏季合宿を開催。会員一同、稽古と交流にたいへん充実した時を過ごすことができた。

1312_合宿相対稽古
▲合宿時の抜刀術の相対稽古


 一方でこの時期、ある出来事に巻き込まれてしまった。しかしこれもまた、「他山の石」であろう。

 その後、夏と冬には、毎年恒例となっている、中津川稽古会の皆さんとの合同稽古、手裏剣術講習会、納涼会や忘年会を今年も楽しむことができ、心通い合う武友の皆さんとの交流のすばらしさで、気持ちが洗われるようであった。


 さてそれでは、具体的な今年の目標の達成具合はどうであったか?

 昨年のブログでは、平成25年の課題について、以下のように書いていた。

 ■翠月庵として
 1)積極的な演武出場/苗木城演武会、その他
 2)年間行事の実施/合宿、講習会、交流稽古など
 3)会員諸子の技術向上/特に剣術・抜刀術関連
 4)稽古型の見直し/型の中での打剣について、順体・逆体の再検討

 ■個人として
 5)稽古の日常化/毎日の生活の中での稽古
 6)翠月剣/5間の安定化
 7)3間での精度向上
 8)飛刀術/3間の安定化
 9)「武術としての手裏剣術教範」(仮題)の執筆

 まず1)~3)については、概ね達成できたかと思う。4)については、思うところはあるものの、具体的には未着手となってしまった。

 5)についても、それなりに達成できたかと思う。6)~8)については、いまだ自分自身納得できるものではなく、大いに課題が残るものとなった。

 また9)については、「2~3年後に形にしたい」などと大風呂敷を広げたものの、どうも今の感触では、10年後くらいに形になれば、めっけもんというところかもしらん(苦笑)。


■来年の課題

 さて、来年の課題である。

 まず翠月庵としては、昨年の課題を同様に継続する形になるが、

 1)演武・合宿・合同稽古などの、積極的な活動の継続
 2)会員諸子の技術向上/特に剣術・抜刀術関連
 3)稽古型・形の見直し/型の中での打剣について、順体・逆体の再検討

 以上の3つを掲げておきたい。

 次いで、私個人としての課題も、やはり同様に昨年の課題を継承し、

 4)稽古の日常化/毎日の生活の中での稽古
 5)翠月剣/5間の安定化
 6)3間での精度向上
 7)「武術としての手裏剣術教範」(仮題)の草案作り

 とする。

 ところで、いささか神話めいた話になるけれど、私個人の星の巡りを見ると、平成26年は五黄の年である。五黄とは用気術では、ダイナミックな激変の年であるという。

 さて、私とそして翠月庵に、どのような激変があるのか? そして、この大変動を「禍」ではなく「福」と成すだけの器量が、私にあるのか? それらが問われる年になるような気がする。

 いずれにしても、武人の進退は己の覚悟ひとつ。我が手に剣が握れる限り、稽古の日々は終わらないのだと心したい。

1312_抜刀
▲用気術では、来年の私は五黄の年。その大激変を「福」に変えられるのか、
己の器量が問われている


■今年もお世話になりました

 さて平成25年も、たくさんの皆さんのお世話になりました。ここにあらためて、感謝申し上げます。

 なかでも、戸山流居合抜刀術美濃羽会中津川稽古会のO先生には、当庵の友好武術団体としてのお付き合いはもちろん、私にとっての先輩武人として、多くのご助言や励ましのお言葉をいただきました。武人として、また武術団体の主宰として、先達であるO先生に恥じないよう在らねばならないということが、私にとっての大きな励みです。ありがとうございます。

 さらに、今年も貴重な稽古場を提供してくださった家主様にも、改めてお礼申し上げます。そのほかご厚誼をいただいた武友の皆さん、ありがとうございます。

 そして最後に、今年も1年間、私を支えてくれた「S」に。迷惑ばかりかけてしまったけれど、本当にありがとう。心から感謝をしています。


 それでは来年も引き続き、手裏剣術伝習所 翠月庵を、宜しくお願い申し上げます。

 ブログの更新はまだ続くかも知れませんが、まずは皆さま、良いお年をお過ごしください。


 翠月庵主
 市村翠雨 謹識 
この記事のURL | 手裏剣術 | ▲ top
稽古納め/(手裏剣術)
- 2013/12/28(Sat) -
 本日は、2013年の稽古納めであった。

 身の引き締まる寒気の中、打剣に集中する。

131228_的
▲「的は敵なり」


 自分自身は元より、会員諸子が今年1年、大きなケガもなく、稽古を続けられたことは、なにより嬉しいことである。

 とはいえ、本来、武芸の稽古とは区切りのあるものではなく、日常にあるもの。1年の節目を意識しつつ、しかし途切れることなく、「術」を磨いていきたいものだ。

131228_直打と飛刀
▲間合四間から三間へ移動しながら25年式翠月剣を打
ち、そのままさらに踏み込んで、二間から抜打ちに飛刀
(脇差)を打つ。対敵では、さらに踏み込んで陰剣を鎧
通しとして、脇腹か下腹部に突き立てる


 今回、拵えを新たにした飛刀を初めて稽古に使ったが、使い勝手はすこぶる良い。

 きちんとした鞘なので、帯にもしっかりと手挟むことができ、見た目も武具としてまったく違和感がない。なにより、体と手に良くなじむ。

 良い武具を使っての稽古というのは、実に心地よいものだ。

 また、飛刀の基本形に新たに加えた、抜打ちにいきなり、構えることなく脇差を打つ形について、十分に納得のいく打剣を得ることができた。ある意味で、これは武術的な飛刀術の理想形の一つではないかと思う。できれば今度の春の演武では、この形を披露したいと思う。


■本日の稽古内容
・手裏剣術基本型(二~五間直打)/順体、逆体、歩み足(25年式翠月剣)
・逆手打ち(二~二間半直打)/(25年式翠月剣)
・両眼打ち(三間直打)/順体(25年式翠月剣)
・左手打(二間直打)/順体(25年式翠月剣)
・下手打ち(二間直打、三間反転打)/順体(25年式翠月剣)
・手裏剣術運用型(三間直打)/七本(25年式翠月剣)
(一、前敵 二、左敵 三、右敵 四、後敵 五、前後敵 六、左右敵 七、突進)
・前後打ち(三間直打)/十本(25年式翠月剣)
(一、順逆 二、逆順 三、順の前の表 四、順の前の裏 五、順の後ろの表 六、順の後ろの裏 七、逆の前の表 八、逆の前の裏 九、逆の後ろの表 十、逆の後ろの裏)
・飛刀術/六本
(一、上段 二、八相 三、脇構 四、鞘遣上下二刀 五、切先返 六、抜打)
・刀法併用手裏剣術/七本
(一、先 二、抜付 三、左敵 四、右敵 五、鞘ノ内 六、後敵 七、前後敵)

131228_我が影を打つ
▲己の影を打つ


(了)
この記事のURL | 手裏剣術 | ▲ top
生まれかわった、我が飛刀/(手裏剣術)
- 2013/12/26(Thu) -
 飛刀術の稽古には、専用の脇差(飛刀)を使う。

 先日、私の飛刀用脇差について、鞘の制作やメンテナンスもした。

DSC_9752.jpg
▲ハバキのある本格的な拵えになった、市村愛用の「飛刀」


DSC_9753.jpg
▲直刀のフォルムが独特の存在感を感じさせる


 この飛刀は、使い始めてすでに5年がたち、私の手にすっかりなじんでいる。

 手裏剣術の稽古に使う翠月剣は、現在の25年式翠月剣に落ち着くまで、長さ、重さ、重ねの異なる様々なタイプで試打を繰り返してきたのに比べ、飛刀術用の剣は、初期からこの剣を使い続けており、私にとっては有る意味、翠月剣以上に愛着のある武具である。

DSC_9754.jpg
▲美しく蘇った我が飛刀


 過日、手裏剣術講習会にて、真剣刀法に熟練した抜刀術家のM氏に、この剣を使って飛刀術を稽古をしていただいた際、機能性と耐久性について絶賛していただけたのは、非常にうれしく誇らしい事であった。


DSC_9755.jpg
▲稽古用の脇差と飛刀


 すばらしい武具と、それを造ってくださる方の想いに恥じぬよう、己の業前を研鑚してゆくことが、われわれ手裏剣術者にできる最大の恩返しだと心して、日々の稽古に励みたいと思う。

 (了)
この記事のURL | 手裏剣術 | ▲ top
朝の光/(身辺雑記)
- 2013/12/17(Tue) -

131217_朝の打剣
▲25年式翠月剣(短)による、二間座打(正座)


 普段、日々の稽古は夜に行うことが多いのだが、気が向いたときは、原稿書きの前など、朝、仕事の前にすることもある。

 今朝は、うちのボロパソコンの起動が異常に時間がかかったため、その待ち時間に20分(!)ほど打剣。

 同じ斜光でも、午後の陽射しはアンバーがかかって朱がさして見えるのに対し、朝の斜光はどこまでも白く明るい。

 ミュシャの『朝の目覚め』のような光だ。

 (了)
この記事のURL | 身辺雑記 | ▲ top
小さな不具合/(武術・武道)
- 2013/12/16(Mon) -
■本日の稽古備忘録

 ここしばらく、座技で初太刀の逆袈裟の太刀筋がどうもすっきりしない。

 ああでもない、こうでもないと悩んでいたが、ようやく今日、柄にかける「斬り手」が甘くなっていることに気づき、しっかりとした「斬り手」を心がけることで、逆袈裟の刃筋が安定するようになった。

 右の「斬り手」が5ミリ~1センチほど緩んでいたようである。たかが二~三分の誤差だが、それによって斬り上げの刃筋はまったくゆがんでしまう。こういう体の使い方の不具合を調整するには、ゆっくりと正しく抜く形稽古が重要だ。

 それは手裏剣術でも同じ。

 指置き、手離れ、手首の角度、腕の振り、これらがほんのわずか狂うだけで、刺さらなくなってしまうものだ。こうした誤差を正すために、古流の手裏剣術であれば基本の「形」があり、当庵では無冥流の重心理論に基づいた「一本打ち」という稽古方法がある。



 「一本打ち」ではないけれど、今日の稽古の打剣で思ったこと。

 立ち打ちの三間直打の精度を上げるために四~五間の直打があるように、座打では跪座の精度を上げるために正座での稽古が有効だ。

 同じ二間座打でも、跪座と正座では、まったく負荷のかかり具合が異なるので、正座でしっかり打った後の跪座での打剣の精度は、非常に良くなるように思う。



 どのような技芸にしろ、おもてにあらわれる基本の動作は単純なものである。
 だが、ちから充ちて、技が熟すにしたがい、これらの動作の反復をさぐればさぐるほど深さに切りがなくなる。
 矢を放って的を射るという一事に、人間の精神と肉体の高揚が無限に発揮されねばならぬ。
 それを追いもとめることへの情熱は、他のどのような仕業にもあてはまることだといえよう。  (池波正太郎)


  (了)
 
この記事のURL | 武術・武道 | ▲ top
手裏剣術者の自省~「的は敵なり」/(手裏剣術)
- 2013/12/14(Sat) -
 今年も余すところ、あと半月。早いものである。

 ここしばらく、伊豆や草津、鬼怒川や日光での撮影が続いてたが、おそらく年内の地方取材はもうこれで終了。あとは都内でインタビュー仕事をするくらいで、2013年の仕事は、ひと段落しそうだ。

 とはいえ、「師」も走るという年末のあわただしさの中、年内にあと9人もインタビューをしなければならないので、いささかうんざりもする。ま、仕事ってやつは、忙しがっているうちが華なのかもしらん。



 日ごろからお世話になっている、無冥流・鈴木崩残氏の松の間のページ(http://www.mumyouan.com/k/matunoma.html)に、六間強の間合から直打で蝋燭の火を消すという、絶技の動画がアップされている。

 こうした神業レベルの業前を目の当たりにすると、私ごときの凡俗の輩は、もうため息しか出ないというのが正直なところだ。

 なにしろここ数年、私は五間以内の近~中距離打剣の稽古しかしていないので、そもそも六間間合だと、剣が的に届くかどうかすら定かではない(苦笑)。

 それにしても、youtube、ひいてはインターネットというツールを通して、こうした熟練の先達の見事な「術」を拝見し、それを日々の稽古の糧にできるというのは、なんともありがたいことである。たとえば、ちょっと検索すれば、仕太刀・中山博道、打太刀・高野佐三郎というゴージャスな(笑)大日本帝国剣道形の演武が見られたりするのが、今の世の中なのだ。



 大日本帝国剣道形といえば、長年、どうしても解せない点があった。

 それは小太刀の3本目、打太刀の斬りを、仕太刀が小太刀で「摺り上げて、摺り下ろす」というところである。

 それが過日、中津川での合同稽古で小太刀の稽古をするために、つらつらと剣道形の教範を眺めていたとき、本当にストンと、急激に納得できたのである(笑)。

 市村思えらく、

 この形は仕太刀が下段で入身に攻めるわけで、下段ゆえに、

「(摩り上げながら)拍子を合わせ、(擦り落とすように相手の太刀に)乗る」

 ということなのだなと、納得したのだ。

 打太刀の斬りを「1.擦りあげて 2.擦り落とす」という解説(言葉)だと、二拍子になってしまい、スピードの乗った一拍子の打太刀の斬りに対応できないんでないの? っとず~っと疑問に思っていたのだ。しかし下段の位から「(摩り上げながら)拍子を合わせ、(擦り落とすように相手の太刀に)乗る」という理解であれば、打太刀の斬撃の一拍子に対して、仕太刀の挙動も一拍子で対応可能となるのだね! 

(私の理解が、トンチンカンであったらたいへん申し訳なく思う。なにしろ日本剣道形は、29年前に剣道の審査を受ける前、先輩にちょろちょろっと教わっただけなので・・・)。

 それにしても、この「ストンと、腑に落ちる」という感覚、長年にわたって喉に刺さっていた魚の小骨が、ようやく抜けたような、実に爽快な気分であった(笑)。



 小太刀術については、それほど本格的にやってきたわけではない。併習・参考程度である。

 30年前、柔術の形稽古の受けを取るために小刀の手解きを受けて以来、剣道形の小太刀の形やK流の小太刀術の形をほんの少々学んだ程度だ。

 大刀に対して、間合に不利のある小太刀術は、剣術以上に大胆な身のこなし、拍子の取り様が必須であり、諸流の小太刀の形を見ると、ある意味でその動きはアクロバティックですらある。逆に言えば、アクロバティックなくらい「動けない」と、そもそも間積もりで不利な小太刀で、太刀に勝つことはできないということだ。

 ゆえに小太刀術は、剣術や居合・抜刀術、あるいは柔術などをある程度ものにした者が稽古するのでないと、なかなかに難しい。

 一方で古流の経験が無くとも、たとえば空手道や拳法、合気道などの現代武道の体術に親しんだ人にとっては、小太刀はある意味で「入りやすい」武器術であるだろう。

 特に、伝統派空手道や拳法などで、十分に約束組手や自由組手、試合組手の経験を積んだ者であれば、小太刀の動きを「生きたもの」にすることは、かなり親しみやすいのではなかろうか。

 ただし、そこで注意が必要なのは、バタバタ、どたどたとした稽古をしないことだ。相手と対峙しながら常に、

「間積もり」「拍子」「位取り」を意識し、それらを形而上・下で「業と化す」

 よう強く念頭に置いておかないと、たんなる飛び跳ねながらの当てっこ術になってしまう。

 これは、手裏剣術もしかり。

 単なる的当て、標的競技にすることなく、それをいかに武芸の「術」とするのかを日々考え、念じ、稽古し、伝えていかねばならない。

 まずそのための第一歩は、鳥取藩一貫流弓術言うところの、

 「的は敵なり」

 という箴言を、手裏剣術者が深く自省することだ。

 (了)
この記事のURL | 手裏剣術 | ▲ top
白樫と赤樫~その2/(武術・武道)
- 2013/12/13(Fri) -
 過日、岐阜での合同稽古の際、中津川稽古会のO先生から、

「市村さんのブログで木太刀について、『白樫は折れにくいがささくれやすく、赤樫は折れやすいがささくれにくい』という話があったけれど、私の印象としては、むしろ赤樫のほうがささくれやすいと思うのだけれど」

 と、ご指摘をいただいた。

 その後、ネットなどでいくつか関連するようなページを調べてみたが、どうも今ひとつ判然としない。


 唯一、Wikipediaの木刀の項目に、

 ~赤樫(一位樫)は軽いが強く打ち合うと折れやすく、白樫は折れにくいがささくれやすい。~

 とあったが、なにしろWikipediaなので、今ひとつ、信頼性に欠ける感があるのは否めない(苦笑)。


 こうした所感というのは、それぞれの人の経験に基づいた印象の蓄積なので、時に相反する感想が示されるのは、仕方のないことなのだろうが、それにしても実際どうなのだろうか・・・?

 ま、結局は、流儀の定めがないのであれば、好きな方を使えばいいか(笑)。

 そういう意味でも、私個人としては、やはり「折れる」というのは最悪の状態であるからして、ささくれようがささくれまいが、武芸の稽古で、しかも激しく打ち合うような稽古主体の場合は、白樫の武具推奨ということになるだろう。

 (了)
この記事のURL | 武術・武道 | ▲ top
小太刀と飛刀と忘年会/(武術・武道)
- 2013/12/08(Sun) -
 この週末は、毎年恒例となっている、戸山流居合抜刀術美濃羽会中津川稽古会との冬季合同稽古・手裏剣術講習会・忘年会に出席するべく、中津川を訪れた。


 朝、拙宅を出て、新宿から「♪8時ちょうどのぉ~、(スーパー)あずさ『5』号でぇ~♪」(狩人)、まずは塩尻に向かう。

1312_あずさ
▲2号じゃあ、ないんだよ


 塩尻で特急しなのに乗り換え、中津川駅についたのは12時5分。駅で中津川稽古会のO先生と待ち合わせ、早速体育館へ。

 まずは中津川稽古会の皆さんの稽古に加えていただき、合同稽古。今回は、戸山流の「短刀組太刀」を稽古する。

 小太刀を遣う際、一般的には、

・真半身になること
・「攻めの気」で対すること
・入身の拍子

 以上の3点が、基本的なポイントになる。

 これを念頭において、受け流しやかいくぐり、打太刀の突きをなやして入身して位に附けるなどの形を学ぶ。とくに、突きをなやした後、相手の鎺元に摺込んで位に附ける技において、「三角のカネ」の重要性を改めて認識することができた。

 組太刀の稽古の後は、体育館から場所を移動して、手裏剣術講習会。

 今回は、短刀組太刀の稽古に合わせて、脇差を手裏剣に打つ飛刀術を稽古していただく。中津川稽古会の皆さんは、毎年2回の合同稽古で毎回、当庵の手裏剣術講習を受けているので、打剣の基礎はできている。このため今回は、ざっと見本を見てもらったあとは、すぐに実地で飛刀を打ってもらう。

 当庵の飛刀術の基本形である、「上段」、「八相」、「脇構え」のほか、できる人には、「鞘遣上下二刀」という、やや難しい片手打ちの形も稽古してもらった。

 またO先生の兄弟弟子であるMさんからは、「抜打ちで一気に、脇差を打てないだろうか?」とのご指摘をいただき、新しい飛刀術の運用について、貴重な知見を得ることができた。これについては、さらに検討して、翠月庵の飛刀術、六本目の形として加えようと思う。

 飛刀の講習会の後は、鍋を囲んでの忘年会。

 ご当地の地酒「女城主」の新酒をぐいぐい飲むうちに、いつしか私は記憶を消失。

 後から聞いた話では、私は「なぜ、昔のドラマの悪役は、いちいち『死ねえー!』とか叫びながら、斬りかかるのだろうか?」などという、どうでもいい話を、延々としていたらしい・・・。

  酒は飲んでも、飲まれるなっと。

131207_忘年会
▲まだこの頃は、記憶はありました。忘却とは、忘れ去ることなり・・・


 翌朝、みっともないことに、重度の二日酔いにさいなまれつつ、己の不徳を痛感。

「泥醉の翌朝に於けるしらじらしい悔恨は、病んで舌をたれた犬のやうで、魂の最も痛痛しいところに噛みついてくる。夜に於ての恥かしいこと、醜態を極めたこと、みさげはてたること、野卑と愚劣との外の何物でもないやうな記憶の再現は、砒毒のやうな激烈さで骨の髓まで紫色に變色する」(萩原朔太郎/宿酔の朝)

 朝食後、竹を試物に、斬りの稽古を行う。
 
 そして2日間の充実した時間は、あっという間におしまい。

 O先生ほか、中津川稽古会の皆さん。今年もありがとうございました。次は、春の苗木城武術演武会でお会いしましょう!


 帰路は木曽路をへて、新宿へ。鉄路の旅とあいなった。

563753_463496663759185_1388949457_n.jpg
▲ポカリがしみるぜ・・・

(了)
この記事のURL | 武術・武道 | ▲ top
白樫と赤樫/(武術・武道)
- 2013/12/04(Wed) -
131203_210504.jpg
▲「翠月庵」の書体を変えた、新しい大小の木太刀


 今週末は、岐阜での合同稽古と手裏剣術講習会、そして忘年会である。

 今年の稽古を締めくくるべく(定例稽古は28日までアリマス・・・)、大小の木太刀を新調。庵号の書体も変えてみた。


131203_210322.jpg
▲太刀のサイズは差料に合わせ、刃長で二尺二寸
ほどの「中刀」である。普通の木刀の長さだと、
差料に換算すると二尺五寸くらいになってしまう
のだよね・・・


 太刀は白樫、小太刀は赤樫である。

 一般的に、武術・武道の稽古では、木太刀や杖、棒などには、白樫を使うことが多い。白樫は粘りがあって折れにくいので、打ち合いの稽古に使いよいからだ。一方で、赤樫は、手ざわりはよいのだが、折れる時はスパッと折れてしまう、という。

 こうした事から、武術・武道の稽古で使う武具には、白樫のものが勧められることが多いのだが、個人的・体験的には、ちと疑問や不満がある。


 私は昔から赤樫の武具が好きで、それらを使ってきたけれど、木太刀にせよ六尺棒にせよ、いままで稽古で打ち合って折れたことも、折られたこともない。一方で、これは業の理合もあるのだけれど、相手の木太刀を折ってしまったことは度々ある。そのときの相手の木太刀は、いずれも白樫であった。

201301261713000.jpg
▲今年、剣術の形稽古中に、叩き折ってしまった白樫の
木太刀。もっとも形の理合からいっても、相手の太刀を
叩き折る業なので、木太刀が折れるのは当たり前といえ
ば当たり前なのだが・・・


 また白樫の木太刀は、粘る分、打ち合いの稽古をしていると、ささくれてくる。このため、相手の首などに木太刀を密着させて押し斬りするような形の場合、注意して手入れをしておかないと、皮膚に刺さったりして危ない。

 この点、赤樫の場合は、打ち合っていてもへこむことはあるが、表面がささくれるということはないので、安心である。

 しかし木太刀にせよ真剣にせよ、「折れる」というのは、やっとう遣いにとっては致命的なことなので、よく斬れる硬い(折れやすい)刀より、あまり斬れなくても粘る(折れにくい)刀の方が、はるかに良い。こうした意味で木太刀においても、ここ3年ほどは白樫の木太刀を使っているのだが、やっぱりささくれるから嫌なんだよね・・・。

 手ざわりも、白樫はもさっとした感じだしなあ(苦笑)。

 (了)
この記事のURL | 武術・武道 | ▲ top
インチキ武術・武道による「武術・武道ネグレクト」/(武術・武道)
- 2013/12/03(Tue) -
 昨日、出先で時間つぶしに書店に立ち寄った。特に目的もないので、雑誌売り場で武術雑誌の『H』を手に取ったのだが・・・。

 もうね、「気」で飛ばすとか、宙に浮くとか、がんが治るとか、やめようよ、ホント。

 表紙と巻頭特集はあのN流。対談で語っているのは、空中浮遊ができるという(笑)ヨガの導師。これじゃあ武術雑誌ではなくて、カルト雑誌だぜ、本気(マジ)で。



 その昔、この雑誌が『H伝K流武術』というタイトルで創刊されたばかりの頃、私はずいぶんと愛読していたのだけれど、次第に奇妙な人々が誌面に登場するようになり、購読するのをやめたのはいつ頃だったか・・・。

 私も、医療や情報誌関連のフリーの記者・編集者として、出版・新聞業界で仕事をしているので、商業出版の難しさや本音は分からなくはない。しかし、それにつけても、気で人間を吹き飛ばしたり、地上1メートルに空中浮遊したり、イタコのように過去の武芸者の動きを再現して戦うなどいった怪しげな人々が、誌面を飾る雑誌というのは、客観的に考えていかがなものだろうか?

 しかもそれが、日本の伝統文化であり、最もシビアな実証主義が要求されるべき、武術・武道に関する雑誌なのである。

 数年前、自称・合気柔術の大家で、触れずに気で相手を倒すという「達人」が、総合格闘家のパンチ一発で戦意喪失した「事件」があったけれど、そんな分かりきったことを何度も繰り返さなければ、日本の武術・武道界は自浄効果が発揮できないのであろうか・・・。

 こうした点で、一部武術・武道系マスコミの罪は、実に重いと言わざるをえない。



 本ブログでも度々書いているが、何度でも指摘するけれど、「気」や「呼吸」なるものに、重さ数十キロに及ぶ人体を動かしたり、浮遊させることが可能な物理的力があるのであれば、ぜひ私の打つ手裏剣を、「気」なり「呼吸」なりの力で、触れずに止めるなり打ち落とすなりしてもらいたいものだ。

 あるいは、「気」や「呼吸」なるものに、重さ数十キロに及ぶ人体を動かしたり、浮遊させることが可能な物理的な力があるのであれば、ぜひ私の斬り下ろす打刀(真剣)を、「気」なり「呼吸」なりの力で、触れずに止めるなり打ち落とすなりしてもらいたいものである。

 ま、1億パーセント、無理だけどな(笑)。



 ひるがえって手裏剣術の世界も、伝系の捏造やら、妬み嫉みによる誹謗中傷やら、他の武術・武道と同様、醜い事例や諍いが絶えない世界だけれど、1つだけまともな点があるとすれば、少なくとも打剣の結果に関しては、諸流・諸会派いずれも、「ウソ」は稀であるということだ。

 手裏剣術というと、「卑怯な飛び道具」であるとか、「所詮は隠し武器」とか、「併習武術」とか、あるいは「忍者(笑)」などなど、なにかと武術・武道界の徒花的に扱われるが、少なくとも打剣に関しては、

 能書きやトリックの通用しない、刺さってなんぼ、通してなんぼの、きっちりとした実力主義が保たれている世界

 である。

 これは古流、現代流派を問わず、また会派の大小を問わず、日本の手裏剣術者の矜持である。

 そして、こうした手裏剣術ならでは清々しさを、私も誇りに思う。


 さて、ではなぜ「気」や「呼吸」を騙るようなインチキ武術・武道が問題なのか? それは結果として、「武術・武道ネグレクト」につながるからである。

 たとえば・・・。

 ここに武術・武道を学んで強くなりたいと願うA君(仮名)がいるとしよう。

 もともと運動が苦手で、きつい稽古は嫌なA君は、「気」や「呼吸」で相手を倒し、弟子に「気」を入れて強くしてくれるという有名な師匠にめぐり合い、師事することとなる。

 師匠は雑誌にも載っている有名な先生で、A君はひたすら先生を信じ、安くない月謝を10年以上も払い続け、「気」や「呼吸」の稽古を積み重ね、なんとなく強くなったような気になる。何しろ稽古場では、後輩たちがA君の「気」や「呼吸」の技で、「わ~~~~~~」とか言いながら、いとも簡単に転げまわったり、何人もの相手が数珠繋ぎになって倒れたりするのである!

 そんなある日、飲み屋のカウンターでチンピラに絡まれたA君は、師匠直伝の自慢の「気」や「呼吸」で身を守ろうとするが、当然ながらしょせんは「暗示」や「感応」、「集団ヒステリー」に過ぎない、インチキ武術・武道の「気」や「呼吸」なるものが実際に通用するわけもなく、A君はボコボコにされてしまう。

 結果、A君は体に重い後遺障害を負ってしまい、さらにPTSD(心的外傷後ストレス症候群)も患い、長く苦しい闘病生活を送ることとなる・・・。

 しかし、もしA君が、まともな空手道場や柔道教室、合気道の稽古会や剣道の道場、真面目な武術稽古会、あるいは格闘技のジムなどで、同じように10年間、痛い思いやキツイ稽古を地道に続けていたとすれば、同じように飲み屋のカウンターでチンピラに絡まれたりしても、結果はまったく違ったものになったであろう。


 このように、インチキ武術・武道の問題は、

 弟子をだまし、(幅広い意味で)強い人間に育てない

 ことにある。

 その結果、まっとうな武術・武道を稽古していれば避けられたはずのトラブルに巻き込まれてしまったり、怪我をしたり障害を負ってしまう蓋然性が高いのである。

 このように、本来、強く育てるべき弟子を、あえて強く育てないのが、インチキ武術・武道による「武術・武道ネグレクト」なのだ。

 上述のたとえ話で、A君が心と体に重い後遺障害を負ってしまうことになった責任は師匠に、そしてインチキ武術・武道を煽った一部の武術・武道マスコミにもあると言えよう。


 さて、実際にこんな事故が起きてしまったとき、いったい誰が責任を取るのであろうか・・・。

131202_234459.jpg
▲むかっ腹がたったので、今日の稽古ではいつもより強く打ち込んだよ、まったく・・・

 (了)
この記事のURL | 武術・武道 | ▲ top
かいらぎ飯碗とめだかの箸置/(数寄)
- 2013/12/02(Mon) -
 ちょっとしたお祝いで、以前から欲しいと思っていた、熊谷雅宏作のかいらぎ飯碗と、めだかの箸置をいただいた。先日、拙宅に到着して以来、多忙な暮らしの合間に、撫で回して賞玩している。

DSC_9732.jpg
▲熊谷雅宏作 かいらぎ飯碗


 井戸茶碗を思わせるような、ざっかけななりが、なんともよい。手にとってみると、見た目とはうらはらに、軽く扱いよい。


DSC_9734.jpg
▲高台の素朴な焼き色も好ましい


 碗と一緒にいただいためだかの箸置きは、むしろ珍味を盛る器として活躍しそうだ。盛り付けた塩辛や酒盗などを味わっていると、下から顔を出す二匹のめだか・・・。

DSC_9736.jpg
▲めだかの箸置


 天涯の青を映した青磁も良いが、土けのある陶器もいいねえ・・・。

DSC_9731.jpg
▲さて、今夜の晩酌では、何を盛り込もうか


(了)
この記事のURL | 数寄 | ▲ top
| メイン |