事理一致/(手裏剣術)
- 2014/02/27(Thu) -
■本日の稽古備忘録

 手裏剣の打剣がどうにも安定せず、一方で居合の調子は絶好調。

 日々の稽古の中で、手裏剣術と剣術/居合・抜刀術の調子(感覚)は、往々にして反比例することが多い。

 その原因や理屈は分かっているのだが、理屈が分かっていることと、実際できるかどうかは別問題であり、ここのところの「事理一致」に刀法併用手裏剣術の難しさ、いや面白さがある。

 簡単にはできないことを、できるように励むことが「術」の稽古なのだ。

140227_IMG_3672.jpg

 (了)
スポンサーサイト
この記事のURL | 手裏剣術 | ▲ top
2月の映画短評/(映画)
- 2014/02/26(Wed) -
【評価】
★★★(必見)
★★ (まずまず)
★  (ヒマならどうぞ)

■『新座頭市物語 折れた杖』/★★★
 勝新自らがメガホンを取った一作。知的障害者への虐待、児童虐待、少女の自殺などなど、物語を彩るモチーフは、いずれも陰惨かつ過激で、ひたすら鬱な展開。ヒロインも善良ではなく、むしろ市を利用する立場に立つ。終盤の大殺陣は、『続・荒野の用心棒』へのオマージュだろうが、こちらの方がはるかに傷みを感じさせ殺気に満ちている。悪と暴力の毒気に満ちた一作。

■『3-4x 10月』/★
 北野武監督作品の第二作。改めて見ると、初期北野映画の要素は、ほとんどこの作品に表れている。派手な演出も、扇情的なBGMもなく、ただ淡々と物語が進んでいく、北野映画の特有の「空気感」は、すでに十分に表現されている。エンターテイメントとしての面白さは皆無の習作。

■『ツィゴイネルワイゼン』/★★★
 ゾンビも悪魔も出てこない、大人のための怪談映画。何気ないしぐさの中にかいま見える狂気、まともだった美女が徐々に狂っていく様、そして狂気の中の「場違いさ感」が色彩感覚豊かに表現され、正気のままで狂気の世界を垣間見るような、見世物小屋感覚がよい。リングの貞子なんかよりも、この映画の大谷直子の方がよっぽど怖い。

■『鬼平犯科帳 劇場版』/★
 ストーリーや演出は、テレビドラマの豪華版といったのりで、正直、映画にする意味はあまり感じられない。・・・が、鬼平ファンとしては、吉右衛門演ずる「長官(おかしら)」を、105分たっぷり見られるのは眼福。中盤の殺陣で、居合の名人である刺客に対し、鬼平が飛刀術で勝つ演出は、手裏剣屋にはたまらない(笑)。

■『アメリ』/★★
 中島哲也の『下妻物語』とか『嫌われ松子の一生』とか、一時期邦画ではやった演出は、これが元ネタなのだなということを実感。主人公アメリの周りにいる人間は、みんな変人なのだが、それぞれが個人として成立し社会の中に位置している様子は、さすが大人の国フランスだ。引きこもりのおぼこなお嬢さんが、ポルノショップでバイトをする善良な青年に恋をするというのが、なんとも味わい深い。

■『ブラック・スワン』/★★
 人間の精神が、いかに些細なことで壊れ、人格が崩壊していくのかを、たんたんと見せてくれるホラー・・・じゃなくて人間ドラマ。主人公がバレーの主役に選ばれて喜ぶ母親。お祝いに作ったケーキを、娘は喜びながらも食べることをためらっている(馬鹿でかいケーキなので・・・)と、「じゃあ、ゴミ箱に捨てる!」と突然真顔で切れる母・・・。こうした小刻みな精神的攻撃ってあるよなと、妙に納得。一卵性親子って怖いね。それにしても主人公はメンタル弱すぎ。

■『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』/★
 よい意味での三池監督作品のばかばかしさを満喫する作品。マカロニウエスタンとチャンバラと、タランティーノ作品を足して三で割ったような一品。主役の伊藤英明が、ちっとも強そうに見えないし、桃井かおりも、もっとかっこよく演出できたはず。この手の作品にリアリティは求めないが、しかしラストの殺陣で、刀で拳銃弾をはじき返すのはどうかと思う。逆に、真剣白刃取りのシーンは大爆笑かつ納得。

■『ランボー 最後の戦場』/★★
 50口径の対物ライフルPR映画。12.7mmの弾で撃たれると、人体はああなるんだねということを、これでもかと実感させられる。アクション映画ではなくスプラッタムービーなので、グロ耐性のない人にはすすめられない。ベトナム帰還兵の心の傷みや、アメリカ地方社会の排他性を背景にした第一作は名作であったが、第2・3作は単なるお馬鹿映画であった。しかし、それらを全て見てきた者として、本作のラストシーンは涙なしでは見られない。お帰り、ジョン。

■『新座頭市 破れ!唐人剣』/★★
 市が、「片腕ドラゴン」ことジミー・ウォングと闘う異色作。座頭市らしい盲目系小ネタあり、いつもながらの殺陣ありで、手堅くまとまる。上記『新座頭市物語 折れた杖』が、あまりに陰惨で救いのない話なのと対照的に、いつも通りの座頭市が楽しめる。カンフーアクションは、今の眼でみるといささかショボイかも。

■『デビルクエスト』/★
 借金返済のために出演作を選ばないハリウッドセレブ、ニコラス刑事主演の歴史ファンタジー。その女は、本当に魔女なのか? っという謎をはらんだ物語中盤までは、たいへん上質な緊張を感じさせてくれたが・・・。物語後半は三流ホラーランタジーで、SFXも陳腐。中世ヨーロッパならではの「汚れ感」や「暗さ」の演出は、それなりによかったが。しかしニコラス刑事って、たしかオスカー俳優なんだったよねえ・・・。

(おしまい)
この記事のURL | 映画 | ▲ top
拍子、加齢、そして最年長/(武術・武道)
- 2014/02/25(Tue) -
CIMG1245.jpg


■本日の稽古備忘録

 動的の試斬。拍子が合わず、斬り損じがいつになく多い。

 今日は日中、終日歩き通しの取材で疲労が蓄積しているからか、意識と抜刀の動きが微妙にずれてしまっているようだ。

 打剣。全体的に押さえ気味。柔らかく、しかし深かぶかと刺さるよう、大きな拍子での打剣を心がける。


 それにしても、たかが1日がかりの足を使った取材でこれほど疲れてしまうとは、我ながら老いたものだ。昼間の取材中、編集者、記者(私)、カメラマンの3名によるチームの中で、私が最年長だということに気づき、いささかショック。

 オレが一番ジジイとは・・・。

 (了)


 
この記事のURL | 武術・武道 | ▲ top
豆州残雪/(旅)
- 2014/02/23(Sun) -
 雪で稽古ができないので、3年ぶりに伊豆へ行った。

140221_171324車内


 学生時代を過ごした街・三島を歩く。

 入りびたっていた喫茶店はうなぎの蒲焼屋に変わっており、大通りには巨大なマンションがバベルの塔のように建っている。

 優しいのは、回想だけだ。

140222_164540三島2


 実家に近い寺院では、梅が咲いていた。

 梅の花がほころべば次は桜か。梅ってやつは清楚だね。

140222_133628修善寺


 老猫は、ひたすら眠る。

 そして朝っぱらから鳴きまくり、旅人の眠りを妨げる・・・。

140221_223717花火


 竹林に日がさし、雪が解け、若葉が光る。

 もうすぐ春だ・・・。

140223_111549雪解け


(了)
この記事のURL | | ▲ top
審査/(武術・武道)
- 2014/02/20(Thu) -
 昨日の空手道の稽古では、来週、その教室での審査があるため、一般部の初学者の皆さんへの形指導をするように仰せつかった。

 生まれて初めて空手道の審査に望む中高年の皆さんなので、形は指定形の平安二段である。正しい前屈立ちや基立ち、中段突きの位置(高い人が多い)、極め、形の拍子などについて、アドバイスさせてもらった。

 中高年の稽古者の場合、試合や演武に出ないという人も少なくないので、審査は貴重な「真剣勝負」の場となる。それだけに、皆さんにはがんばってほしいものだ。


 当庵の手裏剣術稽古においては、いわゆる審査というのはない。

 普段の稽古の中で、切紙や目録など各位階で定めた所定の術技ができているようなら、改めて稽古総見し、問題なければ切紙なり目録を出すという形式をとっている。

 手裏剣術の実力について、流儀・会派にかかわらず一般的な目安としては、まず三間直打ができるようになれば、とりあえず現代武道で言うところの「黒帯(初段)」というところだろうか。

 根岸流の成瀬関次師は、「十歩の間合で八寸的に六割の的中ができるようになれば、現代武道で言うところの錬士・五段相当」と明記しているので、現代手裏剣術においても、指導者や道場長には、最低限この程度の実力が求められるであろう。


 いずれにしても、段位や伝位といった具体的な目標がないと、なかなか稽古を続けるモチベーションが上がらないのも人情というものだ。一方で義理許しや金許しなど、段位・伝位の認定を、金儲けの材料にするのは言語道断であることは、言うまでもない。

 もっとも、その人の業と人品を見れば、段位や位階が実力に見合っているのかは、すぐにわかることだ。実力の伴わない段位・位階ほど恥ずかしいものはないし、人品の下劣な有段者ほど始末の悪いものはない。

 (了)
この記事のURL | 武術・武道 | ▲ top
占術三昧/(身辺雑記)
- 2014/02/16(Sun) -
 金曜から降り始めた雪は土曜の明け方にはみぞれになったものの、日中は降り積もった雪に暴風交じりの雨が降りしきる荒天。そして今日、日曜もいまだ樹木の枝を激しく揺らすような強風が吹いている。

 2週続けての稽古会の休みは残念であるが、天気ばかりはいかんともしがたい。

 通常ならば、稽古のできない土曜は、たいがい昼間から飲んだくれるのであるが、昨日は運の悪いことに買い置きの酒を切らしてしまった。しかし暴風交じりの雨の中、買い物に行くのも億劫である。

 しかたがないで、この週末は占術のお勉強と決め込む。

2014215.jpg
▲周易の実占に欠かすことのできない不朽の名著『易学通変』(加藤
大岳著/紀元書房)


 ここ十数年、卜占については、東洋占術の王であり仁義(哲学)の書でもある周易を学習しており、これに併せて気学も学んできた。

 私の占い事始は、いまから35年前の10歳の時。書店でタロットの泰斗・アレクサンドリア木星王師の名作『タロット占い』(西東社)と出会ったのがきっかけであった。この初めて手にしたタロットで、同級生の転校と、その後再びの復学という出来事を的中させて、すっかりこの道にはまってしまったのである。

140215_184355.jpg
▲もう20年以上も使っているウェイト版。
これはロサンゼルスのヘッド・ショップで
購入したもの


 以来、30歳まではタロットを中心に、西洋占星術も併せて学んできた。占星術については、惑星暦を見ながらホロスコープを作図して鑑定する程度までは学んだが、しかし最も得意としたのはやはりタロットであり、アルバイトで鑑定をしていた時期もある。


 各種の占いは、それぞれの方法論から「命」・「卜」・「相」の3つの分類される。なかでも私は、「卜」が一番好きであり得意だ。タロットや周易は、占術の種類としては「卜」にあたる。

 「卜」というのは、無作為(それが神託でも、宇宙の意思でも、たんなる偶然でも、なんでもよい)に出た象徴をもとに、その象徴を演繹し個別の事象に当てはめていくことで、相談者の悩みに指針を示したり、過去・現在・未来の出来事を推察・予知するものだ。

 一方で、西洋占星術や四柱推命、気学など「命」の占術は、古くから続く疑似科学として帰納法的なメソッドが確立されており、学べば誰でもある程度の結果・結論が出せるのが特長である。また人相や手相など「相」の占術は、最も身近な卜占の種類だが、実際には画相や気色など、目に見えないものを見えるように修練しないと、素人レベルを超えることができない難しさがある。

 私が「卜」を好んで、しかも得意とするのは、瞬間に示された象徴を基に、演繹法的推論=物語が紡ぎ出されるという、ライブ感とダイナミックな創造性に魅力を感じるからだ。

140216_143833.jpg
▲占具としてはもちろん、アートとしての魅力もタロットの特長だ


 卜占などというのは、何の科学的根拠もない疑似科学である。

 しかし一方で、「未来を知りたい」「秘められた問題を明らかにしたい」と願うのは、人間の根源的な意志でもある。

 こうした原初的欲求に対し、科学や哲学は答えを明示することができない。しかし「卜占」は、ある種のアート(術)として、これらの問いになんらかの徴(しるし)を示す。その徴が、結果として人を癒すのであれば、それが科学的根拠がないものであっても、意義のあるものではないかと私は思う。

 「限りなく唯物論者に近い不可知論者」である私が、卜占を愛好し趣味とするのは、こんな理由からなのだ。

 要するに人生には、理屈を越えたちょっとした「遊び」も必要だということさ。


 なお蛇足ながら、私には「霊感」などといったものは一切ないし、そういったたぐいの怪力乱神は一切信じていない。

 私の卜占に必要なのは、「直感」と「洞察力」、そしてその人(問い)のあるべき物語を紡ぐことのできる「演繹的想像力」である。

 邪な「神意」をかざして不運や不幸をことさら強調したり、高額な品物を売りつけ金銭を搾取したり、「あんた死ぬわよ」とか声高に言って心が傷んでいる人を不安にさせるような、人間のクズのような自称・占い師には、皆さん十分ご注意ください。

 ま、ああいう連中は、どうせろくな死に方をしないのだがね・・・。

 (了) 
この記事のURL | 身辺雑記 | ▲ top
風邪っぴき/(身辺雑記)
- 2014/02/13(Thu) -
 今度の週末また雪だというが、はたしてこの週末の稽古はできるのか。先週も雪で中止になったというのに・・・。ま、そんなこともある。確か以前、雨で4週連続中止という月もあったしな。

 おまけにここ5日ほど、手裏剣もやっとうも空手も、まったく稽古をしていない。体調不良なのである。

 先週末の大雪では、稽古も休みになってしまい、どうせ外出もしないしということで、酒と食材を買い込んで、草庵の篭城を決め込んでいたのだが、日曜から風邪を引いてしまったのだ。土曜の晩、『ツィゴイネルワイゼン』を見ながら酔っ払って、浴衣一枚で寝てしまったからかしらん。

 骨が・・・、骨が赤いんです。


 というわけで、以来本日に至るも、風邪が抜けない。

 熱こそすでにおさまったのだが、咳、喉の痛み、そして鼻炎がひどい。7年ほど前にタバコをやめて以来、それまで20年来苦しんでいた慢性鼻炎がピタリと治り、以後はほとんど鼻炎になることはなかったので、久々につらい。鼻を「パカッ」っと取り外して、ブラシを使って水道でジャブジャブ洗いたいくらいつらい。

 それにしても、この冬は年末に1度風邪で寝込んでいるので、一冬で2回目の罹患である。加齢というのは恐ろしいものだ。ま、江戸時代だったら、もう隠居する歳だしな。

 そういう意味では、還暦を過ぎていながら、刺客の頭の上を飛び越えざまに後頭部を蹴り飛ばし、着地して抜き打ちに斬り倒す秋山小兵衛先生は、やっぱりバケモノじじいだなあとしみじみ思う。

 ということで、皆さん風邪にはご注意ください。

 (おしまい)
この記事のURL | 身辺雑記 | ▲ top
春雪夜話/(身辺雑記)
- 2014/02/09(Sun) -
 40何年ぶりの大雪ということで、今日の稽古は中止。

 しかたなく、昼から鰤しゃぶを肴に一杯やるも、なんとなく稽古をしないと落ち着かないので、ひと眠りし風呂に入って酒を抜いて、日暮れから一刻ほど自宅にて稽古。

 まずは二間座打ち。翠月剣にて正座と跪座で、丁寧に打剣。

140208_200615.jpg
▲的のマット(洒落ではない)がやれてきて、中心部に穴が開いてしまう。そろそろ交換の時期か・・・


 続いて、たまには気分を変えて、ひさびさに軽量剣を打つ。二間座打ち、跪座で滑走をかけて打剣。この全長180ミリ、幅8ミリ、重さ50グラムの剣、手持ちの軽量剣に中では、もっとも気に入っているものだ。剣尾から穴をあけることで重心位置を調整している。威力や打剣距離の幅の広さでは、翠月剣に及ぶものではないが、間合三間以内であれば、十分に武具として使える剣である。

140208_204524.jpg
▲軽量剣では、これが最も手になじんでいて、愛着がある剣だ。ちなみに、ガムテープで囲った中心の八寸的から右に外れて集剣しているのは、的の中心がやれているので、意図的に右に外して打ったものである、念のため(笑)


 手裏剣術の稽古の後は、無銘の二尺一寸を遣い居合を少々。さらに試物を軽く斬って、本日の稽古は終了。

 稽古の後は、スペアリブを焼いて、ビールを二本で晩酌。

140208_221728.jpg
▲昼からタレに漬けておいたスペアリブ。上々の出来であった


 飲みながら思うところあって、座右の書のひとつである、野中日文師の『武道の礼儀作法』を紐解く。この本を読まずば現代の武道は語れない、歴史的な名著だと私は思っている。8年ほど前に入手して以来、もう何度読み返したことか・・・。読むたびに発見のある書物というのは、めったにあるものではない。本書は武術・武道の世界において、歴史的な名著である言っても過言ではないだろう。

 さて、窓の外の雪は、まだ降り止まぬ。

 もう少しズブロッカをやりながら、鈴木清順の『ツィゴイネルワイゼン』でも見ながら寝るとしよう。

 (了)
この記事のURL | 身辺雑記 | ▲ top
手刀二態(その2)/(武術・武道)
- 2014/02/06(Thu) -
 さて、空手道における手刀は、一般的には「親指を曲げて手のひら側につけ、それ以外の四指を伸ばしてそろえる」ものとされる。

140206_kihon tegatana
▲『ビジュアル版 図解コーチ 空手道』(前田利明監修/成美堂出版)より。ちなみにこの本は、基本的な組手に役立つ技法やトレーニングの解説が秀逸である


 ところが古い空手道の書籍や資料などを見ると、必ずしも手刀において「四指を伸ば」してはいない。四指を曲げるように解説しているものや、文章上は「四指を伸ばす」としながらも、写真や図解では明らかに四指を曲げているものが少なくないのである。

 たとえば1978(昭和53)年に発行された『新空手教範』(祝嶺制献著/日本文芸社)を見ると、手刀の説明文では「全指を伸ばした状態で、小指側の中手骨部よりの軟らかい部分」としているが、写真は明らかに四指をかなり深く曲げていることが分かる。

140206_100113.jpg
▲『新空手教範』(祝嶺制献著/日本文芸社)より


 ただしこの写真はスペースが正方形なので、「もしかしたら写真の枠に収まるように、あえて四指を曲げているのかも・・・」との見方も、できなくはない。

 そこで、同じく祝嶺師の著作である1982(昭和57)年発行の『完全図解 空手鍛錬三カ月 四肢五体の武器化』(祝嶺制献著/日本文芸社)を見ると、やはり説明文では「全指を伸ばした状態で、小指側の中手骨部よりの軟らかい部分」と、前述書とまったく同じ文面での説明であるが、そこに添えられている図では、明らかに四指を曲げていることが分かる。

140206_100223.jpg
▲『完全図解 空手鍛錬三カ月 四肢五体の武器化』(祝嶺制献著/日本文芸社)より。四指を曲げていることは、明白である


 さらに、やはり1982(昭和57)年発行の『強くなる空手の秘訣』(山本権之兵衛著/有紀書房)では、「手刀打ちのポイントは、まず掌を伸ばしきりにせずやや曲げて親指を掌の側面につけた形から、次の動作で練習します。(以下略)」と解説。明確に、四指を曲げることをポイントとして説明している。

140204_karate.jpg
▲『強くなる空手の秘訣』(山本権之兵衛著/有紀書房)より。四指をかなり曲げていることが分かる


 経験から言っても、実際にサンドバッグや巻き藁、柱などを叩いて鍛錬をしたり、試割りなどをすると、手刀については四指を真っ直ぐに伸ばすよりも、軽く曲げて打った方が、より打ちよいと感じるのは、私だけではないだろう。

 一方で、形の稽古などで手刀の指をあまり深く曲げていたりすると、指を真っ直ぐ伸ばすよう指導されるはずだ。この辺りが、武術という視点からみた「形の競技化による弊害・形骸化」ではなかろうか・・・。


 さて、余談であるが、手刀に関するこんな私見を書いていたところ、不思議な偶然(?)で、昨日の稽古で糸州流の先生から、手刀の手形についてご指導をいただくことができた。こういう偶然があるから、人生は面白い。

 それによると、手刀の手形のひとつのコツとして、親指を掌側に折り曲げず、人差し指の付け根あたりに指先をつける手形もあるとのことであった。

140206_syutou2.jpg
▲親指を折り曲げず、人差し指の付け根部分に添える形の手刀


 この手形で、実際に柱等を打ってみると、四指を伸ばしたままでも指がしっかりとそろい、四指を曲げて打つ場合と同等の感覚で打てることが分かる。

 逆に言えば、四指を伸ばし、かつ親指を掌側に折り曲げる形の一般的な手刀の手形は、四指を曲げる、あるいは親指を曲げずに人差し指に添える手形に比べると、実際に対象物を打つ際に、掌の安定感に欠けるように感じるのである。


 こうした点から、実際に手刀で物体を打つ場合には、四指は軽く曲げるというのが、ひとつの「口伝(コツ)」となるではないか?

 このような視点でもう一度、一般的な手刀の例として最初に示した『ビジュアル版 図解コーチ 空手道』の写真を見ると、説明文では「4本の指を伸ばしてそろえ」としながらも、実は写真をよく見ると、中指と薬指の先端がほぼそろえられてしっかりと密着しており、ごく軽くだが指が曲げられていることが分かるはずだ。

140206_kihon tegatana
▲薬指と中指の先端がほぼそろっていることから、中指が軽く曲げられていることが分かる


 以上、手刀の手形について長々と述べてきた。

 手刀に限らず、こうした手形の工夫というのは、武術において、先人先達の工夫研鑽の賜物であり、今後も機会を見つけて考察・検討していきたいと思う。

 (了)
この記事のURL | 武術・武道 | ▲ top
手刀二態(その1)/(武術・武道)
- 2014/02/04(Tue) -
 体術における手刀について少し思うところを書こうと思ったが・・・、これから江戸で取材のため、帰宅後加筆します。


140204_空手
▲空手道における手刀。いわゆる、ひとつのカラテチョップ・・・


140204_柔術
▲柔術系の手刀のひとつ。遣いやすいが、突き指もしやすい


            *  *  *  *  *  *  *  *  *

 江戸は雪であった・・・・。

 さて、手刀である。

 手刀というのは、柔術でも空手道でも、あるいは拳法などでもたいへん普遍的な手形である。しかし一方で、単独形や相対形(約束組手)ではよく使われるが、試合や自由組手、乱捕りなどではほとんど使われない。皆無であるといっても過言ではないだろう。

 たとえば、近年の伝統派空手道の公式な大試合で、手刀を使って勝ったのは、国分利人さんぐらいではなかろうか。もっともこれは、手刀ではなく背刀打ちであったけれど。

 軍学者の兵頭二十八師風に言えば、試合や自由組手で手刀が使われないのは、試合や組手に必須の「ルール」や「条件」、グローブや防具の着用などの「(規定された)状況」という面で、手刀は突き(正拳突きやストレート)に比べて、「安全・安価・有利」でないからである。

 一方で、いわゆる「護身術」的状況においては、手刀の実用価値というものは、いまだに消失してないといえよう。なぜなら「護身を必要とする状況」というのは、日常生活の中で突如として発生するものであり、なおかつそこに「ルール」や「条件」、「(規定された)状況」というものが存在しないからである。

 たとえば突然後ろから襟首をつかまれて引きずり倒されそうになるとか、一般的な直突き(ストレート)が打てないほどの非常に接近した間合から突然危害を加えられそうになるとか、すでに着衣や髪の毛を掴まれている状態から攻防しなければならないなど、その「状況」は類型化できないほど多様である。

 こうした「状況下」では、拳による突きよりも手刀を使った方が、より「安全・安価・有利」である場合も少なくないのだ。

 では、手刀の利点とはなんだろう?

 まず第一に、手刀による打突は拳による打撃に比べて、遣う側が怪我をしにくい点が挙げられる。

 経験者なら分かることだが、拳で顔面を叩くと、相手の歯で拳を切ってしまったり、額などの硬い骨で拳を痛めてしまううことが少なくないのである。実際私も空手の自由組手の際、拳の握り方と当て方が悪く、右の小指を骨折したことがある。

 この点、手刀というのは、厚い筋肉で覆われて、しかも痛みに鈍感な掌の側面部分を当てるので、怪我が少ないのである。つまり巻藁突きや拳立て、サンドバックや砂袋打ちなどの鍛錬をしなくても、手刀という手形はだれでもすぐに「武器化」することができ、しかも受傷事故が少ない。これが、手刀の最大の利点であろう。

 手刀の第二の利点は、変則的な状況でも遣いやすいことだ。

 たとえば、相手に胸倉をつかまれグイっと引き寄せられたような、非常に接近した間合の場合。

 武芸や格闘技に熟練した者であれば、こうした接近戦の間合でも、山突きや下突き、ボディアッパーやショートフックなどによる有効な拳での打突ができるのだが、これは初学者には、なかなか難しいものだ。

 しかし手刀であれば、こうした接近した間合でも、比較的「安全・安価(簡単)・有利」に、初学者でも使用することができる。具体的には、手刀による鎖骨打ちや脾臓打ち、金的打ち、(広義の手刀にあたる)底掌による下昆打ちなどは、この点でたいへん効果的であろう。


 さて上の写真では、親指を折り四指を伸ばした空手道の手刀と、一部の柔術にみられる五指を開いた手刀の写真を示した。

 五指をひらいた手刀について、「指を開いているので、すぐに相手を掴んで、投げ技や関節技に移行しやすい」などといった解説がされることがあるが、これについてはいかがなものかと思う。実際のところ空手道式の指をそろえた手刀でも、瞬間的に相手の着衣を掴むことは、多少稽古を積んだものであれば、特別難しいものではない。

 私は、合気柔術系の稽古で五指を開いた手刀打ちを、空手道では指を揃えた形での手刀打ちをそれぞれ学んだけれど、五指を開く形の手刀の意味は、もっと別のところにあるように思う。

 たとえば古い空手の教本では、手刀の中でも特に、手首を屈して小指側面底部の豆状骨部分で当てる技を「青竜刀」と解説することがある。経験的にいうと、この「青竜刀」での打ちをする場合、五指を開いた手刀の方がより打ちやすい。特に非常に接近した間合で、剣術の押し斬りのように手刀を直線的に突き込む、あるいは摺り込むように鎖骨や首、月影や稲妻などの急所を打つ際に、それを顕著に感じるのである。

 これは五指を開くことで、小指側の短掌筋や短掌指屈筋が緊張して固くなり、これによって豆状骨部分を意識しての「点」の打ちがしやすくなるからではないだろうか。

 また、いわゆる合気上げのような接触・離脱技を行う際に、空手式の指を揃えて伸ばした手刀よりも、五指を開いて張った手刀の方が遣いやすいという指摘もある。しかしたとえば、私が学んだ天神真楊流の手解の業である「鬼拳」では、親指を曲げずその他の四指を揃えて伸ばす形の手刀の手形を使っていた。

 なお、こうした「接触・離脱技」ににおける、五指を開いた手刀の手形の意味については、ちょっと話しが複雑になり、また私自身にあまり自信のある知見が少ないので、ここでは触れないことにする。


 さて、五指の開いた手刀は合気柔術系の武術によく見られるものの、すべての柔術流儀の手刀がそうであるわけではない。先述の天神真楊流のほか、たとえば手元にある書物を紐解いてみても、真蔭流柔術の教本では手刀は四指をまっすぐ伸ばし親指も曲げた空手道と同様の手形となっている。

140204_真蔭流の手刀
▲古流柔術である真蔭流では、親指を折り四指を伸ばした「空手式」の手刀の手形を示す(『実戦古武道 柔術入門』菅野久著/愛降堂より引用)


 このように、ひとことで柔術の手刀の手形といっても、諸流にさまざまなものがあることは覚えておきたい。

 一方で空手道に置ける手刀の手形についても、じつは非常に興味深い点があるのだが・・・、ちょっと長くなりぎたので、これについては次回述べることにしよう。

 (つづく)
この記事のURL | 武術・武道 | ▲ top
窃盗、強盗、骨董/(身辺雑記)
- 2014/02/01(Sat) -
 今週発売の週刊文春に掲載されていた、「大丸松坂屋がひた隠す9200万円゛刀剣詐欺"事件」という記事は、なかなか興味深いものであった。昔から、窃盗・強盗・骨董というけれども、刀剣の世界もまた伏魔殿のひとつである。

 ちなみに被害にあったのは、二尺五寸の清麿3800万円、長船長光の太刀3600万円、無銘の法城寺国光1800万円、しめて9200万円(!)だそうな。

 ちなみに私の愛刀である「監獄長光」こと、市原一龍子長光のお値段は・・・・・・、ま、野暮なことは聞きなさんな。

 これら三口を買った会社社長は、その刀剣店に刀を預けていたのだが、粉飾決算を隠し続けるために、売り場担当者が質に入れて運転資金にしていたところ、流しちまったとのことである。

 まあ事件も事件だが、この社長氏、被害にあった三口以外にも、この店で「3年前に300万円の『筑前信国』300万円を大丸カードで買っ」て以来、同じ店で七口を買っているとのこと。

 金持ってんなあ・・・。


 私は美術刀剣の世界のことは詳しくないのだけれど、素人目で見ても、恐ろしい世界だなあと思う。

 たとえば同じ刀でも、何度も鑑定を受けると、そのたびに銘が変わって、さらに売買価値も上がっていくとか、「出世魚かよ!」と思ってしまうのは、私だけではあるまい。

 また「無銘の極め」というのも、何時代の何伝・何派くらいまでならまだしも、具体的な作者名まで鑑定する者が決めてしまうというのは、いったいどうなんでしょうね・・・、と素人は思うわけです。


 ま、いずれにしても貧しい庶民には、縁のない話だけどな。桑原、桑原。


 (おしまい)
この記事のURL | 身辺雑記 | ▲ top
| メイン |