雨の記憶~特殊な手形による当身/(身辺雑記)
- 2014/06/28(Sat) -
 野天道場である当庵、この季節は雨が降ると稽古はお休みである。

 手裏剣はそうでもないが、刀は雨の日に外で振り回したりすると、すぐ錆びるからネ。

 その昔、暴風雨の日に野外で手裏剣を打ったことがあるが、40g程度の軽量剣が、逆風で押し戻されたことがあった。ま、そんな日に外で稽古などするものではない。


 旧師の稽古場も、野外であった。剣術や抜刀術はもとより、柔術もそこでやるわけで、当然ながら受身も上手くなる・・・、というか投げられても痛くないにように、自分で工夫するようになる。なにしろ、足元は地面またはコンクリートだ。痛いんだよな、当たり前だが(笑)。

 また屋外の稽古場で、脇固めや一本捕りのようなうつ伏せに押さえつけられる業をかけられると、非常に「クツジョクテキ」な気分になる。雨上がりのぬかった地面などでは特にだ。その点、当身で吹っ飛ばされたりするのは、それほど「クツジョクテキ」ではない。痛いけども。

 旧師の元では、多少の雨ではそのまま稽古をしていたが、雨量が多いときは、東屋などで雨をやり過ごしながら稽古をした。野天道場ながらも、基本的に雨天中止ということはなかったように記憶している。もっとも雨が降ると、稽古に来る人も少なかったが。

 しかし、そういう時ほど、旧師に手とり足取り、じっくり指導してもらえるので、私は雨の日は勇んで稽古に出たものである。もう、30年近く前の話だ・・・。

 記憶をつらつらとさかのぼると、そんな雨の日の稽古で、やはり旧師と自分だけで柔術の稽古をしていたときに教えていただいた当身と、その口伝を思い出す。

atemi syuusei
▲27年前の覚書。剣術、抜刀術、柔術と、とにかく覚える業が多かったので、稽古後に覚書をまとめるのは必須だった


 この手形による当身は、主に受けや離脱法に使うものだ。

 柔術の当身は仮当がメインであり、速度を重視することや当てた後に投げや極めにつなげるため、空手道や拳法のように鍛錬によって打撃力そものものを上げるというよりも、手形の工夫で威力を高めていることが多い。

 (昨日、杖の初心者向け教室で、杖の形にも当身があるのだとご指導をいただきちょっと驚いた。ま、もともと武芸なのだから、当たり前といえば当たり前だけれども。杖を保持したまま拳を当てるというもので、空手道で言うところの「山突き」と同様だね。いやあ、非常に興味深い・・・)

 さてこの手形、実際にやってみると、こんな感じである↓

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▲遣い方は口伝なので、ヒミツである(爆)。とりあえず、これで当てられると、たいへんに痛い・・・


 現在、翠月庵の表芸は手裏剣術であり、こうした師伝の柔術はもうずいぶん稽古をしていない。時折、参考程度に解説するくらいである。

 このまま業を埋もれさせるのももったいないなあとも思うが、さりとて柔術については、私が学んだのは形を24本ほどと付随する口伝をいくつかで、人様に指導するほど体系だったものとして学んではいないし、そもそも業そのものもだいぶ忘れてしまっているので、まあ、仕方がないかなと思う。

 「術」というのは、かくも失われやすいものということか。

 (了)
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合宿、仕事、名前のないアルカナ~真夜中の三題噺 その2/(身辺雑記)
- 2014/06/25(Wed) -
 例年、6月にやっている夏季合宿だが、今年は来週末、7月5日(土)~6日(日)の2日間行う予定だ。

 今年の内容についてだが、現在、詳細を詰めているところである。

 わずか2日間であるが、手裏剣三昧の時間を会員諸子とともに楽しみたいものだ。

 が、しかし、その前に怒涛の締め切りラッシュをクリアせねばならぬ。

 今年前半の生業多忙にいったんケリをつけて、合宿を機会に再生し、稽古も仕事も改めてさっぱりとした気持ちで下半期のスタートをきりたいものだ。

 気分は「名前のないアルカナ」(13番・死神)というところか。

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▲1835年にイタリアで作られた、「デラロッカのタロット」を復刻し、汚れや使用感まで再現した「タロッコ・ソプラフィーノ」。世界限定2000部の発行で、コイツのシリアルナンバーは1505番。
 ところで武人のラッキーカードは、やはり13番(死と再生)であろう。近藤勇は稽古着に、野ざらし(しゃれこうべ)の刺繍をしていたとかいないとか・・・。ちなみに、このタロットの原版が発行された1835年は、和暦でいうと天保6年。土方歳三が生まれた年である。

 (了)
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ルーン、瑠璃、シリア内戦~真夜中の三題噺/(身辺雑記)
- 2014/06/23(Mon) -
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 日曜も仕事に追われ、歴史ものの記事を2ページと、医療施設のルポルタージュの原稿を書き終わると、月曜深夜2時。仕事を始めたのが朝の9時からなので、足掛け17時間の労働である。

 もちろん、途中で食事をしたり、電話で親しい人と世間話をするなどして休み休みだが、しかしやっぱりこの長時間労働はきつい。

 原稿書きでしびれた脳髄を休めようと、ニッカシングルモルト「宮城峡」を飲みながら、戯れにルーンをつかむ。

 神託は「ダエグ」。地道にやれということかい・・・。

 このルーンは、瑠璃(ラピスラズリ)でできている。かつて、ウルトラマリンの顔料に使われたこの貴石は、私の一番好きな石だ。

 そうえば昔、ダマスカスのスークにある汚い石屋で、ラピスラズリの原石やルースを、これでもかというぐらい大量に買い込んだのだが、みんな人にくれちまったな。

 少しは自分用にとっておけばよかった。

 今、彼の地は戦火に包まれているが、あの頃はまだ平和だった。

 もっとも独裁下の平和だったがね・・・。

 (おしまい)
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深夜の稽古/(身辺雑記)
- 2014/06/22(Sun) -
 本日(すでに昨日か・・・)は、私のやむを得ぬ事情で定例の稽古は急遽、休みとした。

 そしてようやく時間ができた深夜、拙宅にて剣を打ち、居合を抜く。

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▲二間座打(正座)にて、少し気分を変えて軽量剣を早打で打つ。手持ちの軽量剣の中でも、この剣はとても打ちやすく愛着のある剣である

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▲狭い室内ゆえ座技で剣を打ち、抜き、斬る


 さて明日もまた、修羅の1日となるであろうな・・・。

 (了)
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痛み受け/(武術・武道)
- 2014/06/19(Thu) -
 昨日は久々に、空手の稽古でみっちり汗をかく。

 この季節、移動基本で延々と、追い突き~蹴込みとか、逆突き~前足蹴離しなどをやっていると、次第に意識が遠のいてくる(苦笑)。

 稽古後半、約束一本組手の指導における模範の攻め手として、I流のA先生の相手をさせていだく。こういう機会が、勉強になるのである。

 手刀受けの解説の中で、応用として体を捌きながら縦手刀で突き手の腕を鋭く打つ受けを指導していただき、「これは使えるな」と思った。

 ことに、突き手の肘関節を縦手刀で鋭く打つ「痛み受け」とすれば、これは非常に効果的であろう。実際、師範に軽く(触れる程度)肘に当てられただけでも、かなりの衝撃があり、「これは怖いな・・・」と実感した。

 こうした受即攻の一種である「痛み受け」というのは、最近はあまり指導されないのかもしれない。あるいは指導していただいても、稽古者が試合中心のスタンスであれば、あまり興味のわかない技なのかもしらん。

 しかし「痛み受け」こそ、とても空手らしい実用的な技だと思うのは私だけだろうか。

 上地流の人たちのように「超人的」なほど五体を鍛えなくとも、普通の約束組手で、受けをしっかりと相手の突き蹴りに当てながら稽古を積み重ねれば、それだけでかなり腕刀や脛などは鍛えられるものだ。

 たとえば、ごく初歩的な受け技である下段払い受けや外受けも、それを「痛み受け」として使うという意識と十分な鍛錬があれば、一打必倒の「技」になるということを、生涯武道としてあるいは護身の一助として空手道を学ぶ人は、もっと意識してよい。

 さらに言えば、こうした基本的な受け技は、逆手や離脱法などの技にも変化するということも、「口伝」としてもっと指導してよいのではなかろうか。

 もっとも同じ初心者でも、若くてこれからガンガン試合に出るような皆さんは、そんな小手先の技よりもまずは、「怖がらず真っ直ぐ入って、全力でドカンと逆突き」を、カラダで覚えましょう(笑)。

 ~真の唐手に対しては、連続突きなどは出来ない。それは真の唐手で受けられたら、相手の次の手は出ないからである~(本部朝基師)

 (了)
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タイトルに先入観を持たず、武術・武道人にこそ読んでほしい好著 /(書評)
- 2014/06/17(Tue) -
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▲「この「ケンカ術」がすごい! あっさりと勝つ法則10 」(林 悦道著/ BUDO-RA BOOKS)


 タイトルがあまりにもあからさまなので、「ゴシップ系喧嘩自慢本かな・・・」と斜に構えて数ページ目を通したところ、そんな予断がたいへん失礼だったことに襟を正した。

 著者である林師範の指南する「喧嘩術」は、ようするに古流柔術や空手道などの護身(実践)技法であり、そこにはハッタリやケレンはなにもない。純粋に実践で培った「術」が、明快に、そしてきわめて論理的に解説されている。

 本書は武術・武道経験のない一般の人よりも、むしろ現代武道の有段者や古流の目録程度以上の者が読むことで、自流の技や術の「現代的展開」に蒙を開かれ、多いに参考となるであろう。

 なにより「喧嘩術」という好戦的な言葉とは裏腹に、林師はできるだけ争いは避けるべきであることを指摘、そして戦いの回避のために、あるいはそれができない場合に先制主導を取るために、「心法」について非常に分かりやすく解説しているのにも好感がもてた。

 また、「声(気合)の武器化」について林師は本書内で1節を割いて解説されているが、私自身も門下には普段から、「声の武器化」について特に留意して指導してることから、多いに納得できた。

 技術的に見ても、流儀・会派を問わず、伝統派空手道の形の分解や柔術形の応用・解釈に、たいへん参考になる技術解説が多い、学びの多い一冊である。

 定価2300円+税を払う価値は十分にある一冊だ。

 ただし、武術的にきわめて良質な内容に対して、本書のタイトルがあまりにケレン味が強すぎることが残念である。

 もっとも、だからこそ私も本書を手に取ったのだが・・・(苦笑)。

 (了)
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5月の映画短評/(映画)
- 2014/06/12(Thu) -
 5月も多忙で、あまり映画を見られず。

 しかし、親しい人の勧めで見た初見の2作がよい作品でだったので、数を見られない分を補って得した気分。とくに『ハリーとトント』は、この先もなんども見るだろうなと思う、良質のロードムービーだった。


【評価】
★★★(必見)
★★ (まずまず)
★  (ヒマならどうぞ)
(初) (初見の作品)

■『ハリーとトント』/★★★(初)
 40年も前の作品ながら、ここで描かれる、老い、家族、孤独、死などは、2014年の日本にダイレクトに通じる重いテーマだ。NYからシカゴ、そして西海岸を目指す長い旅路のなかで、ハリー老と愛猫トントの前を、さまざまな人々が通り過ぎて行く。あくまでサラリとした出会いと別れが魅力の、良質のロードムービー。なんどでも見たい名作だ。

■『グラン・トリノ』/★★★
 戦場でのトラウマを抱え続けて生きてきた頑固な老人と、アジア移民の家族との出会い。少年やその姉との交流で、老人のかたくなな心も少しずつ開かれていく。しかしそこに影を指す理不尽な暴力と、その報い・・・。派手なアクションも、動き回るカメラワークも、騒々しいBGMもない。カメラは淡々と、人々の変化を見つめる。本当の強さとは、やさしさとは、誇りとは何かを考えさせてくれる。これが本物の映画だ!

■『ハンガー・ゲーム2』/★(初)
 メリケン版バトルロワイヤルのパート2。今回は若者たちの殺し合いよりも、むしろそのような理不尽な体制に対するレジスタンスが、ストーリーのメインとなる。前作をみていないとあまり楽しめないかも。性格俳優だったフィリップ・シーモア・ホフマンは、これが遺作となった。

■『恋は魔術師』/★★(初)
 カルロス・サウラとアントニオ・ガデスのコンビによる、スペインミュージカルの傑作。ざっくり言えば、スペイン版牡丹灯篭。ダンスにはまったく疎い私だが、アントニオ・ガデスの巨大な円柱のごとき体軸の通りかたは、一見の価値あり。ジプシーの情念を感じさせる音楽も魅力。ティオペペを飲みながら、鑑賞したい佳作。

■『座頭市 鉄火旅』/★★★
 あと一人斬ると、仕込みが折れる・・・。自慢の逆手念仏逆さ斬りを封じられた市の運命やいかに! 初代水戸黄門が、わけありの刀鍛冶を好演。水前寺清子が意外にかわいい(笑)。そしていよいよ、破折覚悟の最後の抜刀。その結果は・・・、見てのお楽しみ。

 おまけ。

▲イーストウッド御大自身の歌声が渋い・・・

 (おしまい)

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他山の石/(身辺雑記)
- 2014/06/10(Tue) -
「他山の石」の意味

 「先生の生き方を他山の石として頑張っていきます。」 ― このように,「他山の石」という言葉は,「自分が手本にしたい目上の人の良い行い」という意味でしばしば用いられているようです。

 しかし,本来の意味は違っており,冒頭の言い方では「先生」に失礼な発言をしたことになってしまいます。~文化庁文化部国語課~ 


 そういえば私も、他流の人から「他山の石」呼ばわりされたことがあったな・・・。

 無礼な話だ。


 さて、最近とあるwebページで、某流派の武術人が、他流や他人を激しく誹謗中傷しているのを見た。

 議論や批判、科学的な検証が軽んじられることが多い武術・武道界なので、真っ当な批判や批評はもちろん、双方申し合わせの上で「決闘罪」に抵触しないのであれば、立合などもあっていいと思う。

 私も、たとえば「気」で、触れず・避けずに手裏剣を叩き落せるという武術・武道人がいたとすれば、全力で批判・批評するだろうし、先様から白黒つけるための立合を所望されたら、後学のために受けて立つ気持ちの準備はある。

 もちろんその場合、先様に手裏剣が刺さったり、その後の抜き打ちで斬っちまったりしないよう、手裏剣は模擬剣に、刀はピコピコハンマーに代えて立合ってあげる配慮はするつもりである(爆)。


 さて批判や批評というのは、節度をもってやらないと、往々にして単なる暴言や罵詈雑言になることが多い。

 くだんの古流武術人は、web上の公開された場で議論になった相手に対し、突然会話の流れを切って、「おまえは●●人だろう」「日本から出て行け」などといった、人種差別的な暴言を吐き、結局議論はまったく成立していなかった。

 このやりとりを読んでいて思ったのは、「少なくとも一連の議論を読んでいる不特定多数の人は、議論になった相手を●●人呼ばわるするようなセンセイに、稽古をつけてもらいたくはないと思うだろうな・・・」、ということである。

 ハーゲンダッツのアイスクリームが好きな人もいれば、そうでない人もいるであろうと同じように、A国民やB民族が好きな人もいれば、嫌いな人がいてもいい。

 日本は自由の国だ。

 中華人民共和国のような独裁国家ではなく、思想の自由や表現の自由が保障された近代民主主義国家なのである。個人の好き嫌いを、他人様にとやかく言われる筋合いはないし、「オレはハーゲンダッツが嫌いだ」とか「●●人は出て行ってほしい」などと心の中で思うのも自由である。

 しかし相手を誹謗中傷するために、わざわざ人種問題を持ち出すというその心根は非常に下品だと、ごく真っ当な教育を受けた近代市民であれば思うのも、また事実である。

 レシズムに溺れ安易な民族主義に酔う、思考の偏った武術人というのは、まさに「他山の石」といえよう。

 ア・プリオリにある自らの人種にしかよりどころを見出せないようでは、厳しい鍛錬の末に得ることができる「己が術」のみを頼みとする武芸者への道は、はるかに遠かろう。

 人種差別は、あきまへん。

 (了)
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霖雨の剣/(身辺雑記)
- 2014/06/08(Sun) -
 ここ2週間ほど、取材や執筆が非常に立て込み、多忙な日々が続いている。今週いっぱいがとりあえず最大の山場だが、中旬以降も急ぎの編集記事や、鼎談記事の整理、単行本の執筆など、あまりゆとりのない日々が続きそうだ。

 そんなこんなで仕事の合間をぬって、霖雨の音を聞きながら、夜、ほんの短時間だが剣を打ち、居合を抜く。

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 梅雨時になると、持病の「手裏剣肘」が痛むので、右肘をいたわりながら、そろそろと剣を打つ。

 居合は座技を9本ほど、丁寧に抜く。

 私の使っている市原長光は、鞘を払っての重さはそれなりにあるのだが、バランスが良いので、腕(かいな)力のない私でも扱いやすい良い武用刀だ。

 二尺二寸とやや短いのだけれど、「間合五間の剣」である手裏剣術を表芸とする者としては、差料は短めでも良いのではないかと思う。

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 さて、そろそろ夏合宿のテーマや内容を、具体的にして詰めていかなければならない。

 今年も、良い学びのある2日間にしたいものだ。

 (了)
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錆身の刀/(身辺雑記)
- 2014/06/04(Wed) -
 過日、ヤフオクで満鉄刀が出品されていて、珍しいなあと思って見ていたら、落札間際であれよあれよと値段が上がり、60万円で落札された。

 鑑賞家ではなく、実際に武芸で刀を扱う武術・武道家なら、昭和刀のなかでも市原長光や江村、源良近、そして満鉄刀は、どれも一度は手にしてみたい、バトルプルーフの非常に高い実戦刀だ。

 しかし、オークションで60万とはねえ・・・、勇気あるな。実物を実際に見ることなく、その金額を投入するとは。

 最近、とある刀剣店で、頃合の江村を見つけたのだが・・・、ま、そうそうぽんぽん刀を買う訳にもいかず、ぐっと我慢である。

 それよりも長光の代え差しで、斬りの稽古に使っている二尺一寸の無銘刀を、近々砥ぎに出したいと思っている。

 買った時からかなりの錆び身だったのと、柄があまり状態が良くないものだったので、この際、砥ぎと一緒に柄も新調するかなあとも考えている。

 できれば柄糸を緑色にしたいところだ。翠月庵にちなんで・・・、などとあれこれ考えていると、仕事の疲れも少し和らぐ。

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▲2年前の夏に購入した二尺一寸の無銘刀。斬りの稽古用と割り切って、錆身を安く購入したのだが、使っているうちに愛着が出てくるものだ。錆びたままでは、かわいそうでねえ・・・(苦笑)

 (了)
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異界の舞い~石見神楽を見る/(旅)
- 2014/06/01(Sun) -
 とある雑誌の依頼で、島根県に向かった。

 最近、業界も不景気で、あまり遠方への取材には行かせてくれないため、久々の地方取材である。

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 今回の旅の目的は、石見神楽を見ることだ。

 初めて見るその舞いは、実に土俗的で、しかも演劇性の高いものであった。

 舞い手は数十キロもの重さの伝統的な装束をまとい、「乱舞」という言葉そのままの激しい拍子で舞う。

 舞の終盤、神の面をはずし直面(ひためん)になって舞い続ける舞い手の表情は、見ているこちらがぞくっとするほどの、神々しさを感じさせる。

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 翌日、島根と広島の県境に位置する、匹見峡を訪ねる。

 山育ちの私にとって、匹見の渓谷は、もう無くなってしまった故郷の清流のように見えた。

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 旅に欠かせない、旨い物。

 旬の活きイカは、その歯ごたえといい、甘さといい、有名な函館のイカをはるかに凌駕する、誇張なし、極上の味わいである。

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 冬は暗く強風が吹きすさぶという山陰の海も、この季節はラピスラズリを思わせるウルトラマリンブルーに輝く。寂れた漁師小屋も、風景に色を添える。

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 そして旅は終わり、再び修羅の日常へ。

 島根県石見。じつに奥深い、旅心をそそる土地であった。

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 ちなみに、島根には砂丘は無い。それは隣の県だそうな・・・(吉田君談)。

 (おしまい)
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