夏ばて/(身辺雑記)
- 2014/08/23(Sat) -
 先週末、この夏の一番の大仕事であった某福祉専門職向けの参考書の記事を書き上げ、納品した。

 このため気が抜けたのか、どうも夏ばて気味である。

 どこが悪いというわけではないのだが、なんとなく体がダル重く、毎日の稽古もさぼり気味だ。

 それでも気張って、今週は空手と杖の稽古には出たのだが、いかんせん調子はいまひとつで、なんとなくぱっとしない。

 また今日は手裏剣の稽古だったのだが、やはり体のキレが悪く、なんとなく集中力にも欠けがちであった。

 年々、夏が堪えるようになってきて困る。

 ま、今年で私も、いよいよアラフィフなのだから、体力も衰えてこようということか。

 歳はとりたくないものだ・・・。

 (おしまい)
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冥界/(身辺雑記)
- 2014/08/19(Tue) -
 昼間から真澄の純米を飲みながら『子連れ狼 地獄へ行くぞ!大五郎』を見ていたら、酔いつぶれて眠ってしまった。

 ふと気がつくと、なにやら念仏が聞こえる。

 複数の坊主が唱える野太い念仏の唱和は、倍音の響きが意外に心地よい。

 いよいよオレにも、お迎えが来たか・・・。

 いや、うちは代々神道なんだから、お迎えが来るなら念仏ではなく祝詞のはずなんだがな。

 アルコールでぼんやりした頭で呆然としながらも、窓から念仏の聞こえる方を見ると、団地の横を流れる川で灯篭流しを行っていた。その念仏が聞こえてきたというわけだ。

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 死者の魂は灯篭の灯りに送られて、彼岸に帰っていく。

 そして間もなく、夏も終わる。

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 生まれ、生まれ、生まれ、生まれて、生の始めに暗く
 死に、死に、死に、死んで、死の終わりに冥(くら)し。
                    (空海『秘蔵宝鑰』)



 (了)
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護身術談義/(武術・武道)
- 2014/08/18(Mon) -
「街中でからまれたりしたら、どんな技が一番効果的ですかね?」
 過日、抜刀術が専門の若い武友であるAさんに、こんな質問をされた。

「そりゃあ逃げるのが一番だよ。俺は持久走は結構早いんだ、小学生の時から」
「・・・いやそうではなくて、逃げられないような状況で、いきまり絡まれるような状況でということです」
「それはもう、ケースバイケースで、なんともいえないよね。で、Aさんならどうするの」
「自分は、やはり前蹴りが一番効果的なのではないかと思うのです」
「なるほど。Aさんは若い頃、かなりブイブイ言わせてたらしいからねえ(笑)」
「いや、そんなことはないです・・・」
「たしかに、派手な回し蹴りとかよりは、いわゆる『ヤクザキック』的な低い前蹴りのほうが、実は喧嘩なれしている人はよく使う効果的な技なんだよな。ただ、基本的に日常生活で闘争に巻きこまれるような場合、蹴りとか使えないようなシチュエーションも少なくないでしょう」
「たとえば?」
「飲み屋のカウンターで、隣の席に座っている相手からまれたら蹴りは使えないでしょう。テーブル越しに口論になるとか、あるいは込み合っている電車の中でそういう状況になった場合も、蹴りとか使いにくいよね」
「確かにそうですねえ」
「それよりなにより、蹴りは足をとられて転ばされるのが怖いよな。相手が複数だったりしたら、こかされたら、後はぼこぼこでしょう」
「なるほど、そうですねえ」
「そういう意味では、とっさに使って身を守るという意味では、やはり蹴りなどの足技よりも、手技のほうがより『安全・安価・有利』な蓋然性が高い」
「また難しいことを言う」
「要するに、その場の状況でより効果的な技は千変万化なのだけれど、足技より手技のほうがリスクがより少ないということさ」
「ということは、やっぱグーパンチですか」
「いやいや、拳での突きって、こちらも怪我することが多いんだよね。歯で切ったり。それに、こちらも酒が入っていたり、足場が悪かったりすると、意外にジャストミートさせにくいしな」
「じゃあ空手チョップっすか?」
「・・・。まあ生真面目に答えれば、いわゆる目打ちとかバラ手と言われる柔術系の当身かな。これがいちばん使いやすいし、当てやすいし、効果的だと思うよ。ポイントは、ノーモーションでいきなり、手首のスナップを利かせて相手に眉間に当てること。当たると相手は、必ず一瞬顔をそらすか目を閉じる、あるいは前かがみになるから、すぐに両手で突き飛ばす。そしてダッシュで逃げる!」
「結局、逃げるんですか?」
「当然だ。三十六計、逃げるが勝ちだぜ。やりすぎて恨みを買ったり、後々付け狙われたりしたら嫌でしょう。一発かましたら、すぐに逃げるのが最良だと、その昔、北方謙三センセイもホットドックプレスの連載で書いていたぜ」
「なるほど。そりゃあ、そうですね」
「もう少し技術的な話をすると、目打ちと同様にたとえば空手道の孤槌もいいね。手首の付け根部分の手の甲側を当てる技だ。私が空手道で、特に組手の稽古でご指導をいただいたB先生はこれが得意でね。上下左右、あらゆる方向から孤槌打ちを使うんだよ。飲み屋のカウンターなんかで横に座っていて、なにかあるとポンと当てたりとかね。これ、まずよけられないから」
「でも、手首を当てるって、こっちも痛くないですか?」
「意外に痛くないもんだよ、しっかり手首を曲げて打ち込めばね。もっとも、弧槌部分を地面に付けての腕立て伏せくらいできないと、実際には使えないだろうけどな」
「やはり、ある程度鍛えておかないとダメなんですね」
「ま、最低限はね。でもそれは、バラ手の目打ちも同じだよ。普段からミットやサンドバッグ、自分の太ももなどで、実際に当てる感触を知る稽古をしておかないとね。重要なポイントは、バラ手も弧槌打ちも共通していることとして、どんな姿勢からでも、どんな状況でも、ほとんどノーモーションで相手に打ち込める技だということなんだよ」
「構える必要がないんですね」
「そう。腕をだらっと下げた状態からだろうが、グラスを持った状態だろうが、あるいは鼻をほじっている体勢からでも、これらの技はノーモーションで打てる」
「鼻をほじるのはちょっと・・・」
「ま、それはモノノタトエというやつだよ」
「それじゃあ手裏剣術家としてはどうですか、こういう場合」
「そりゃあ、なんでもいいから、手元にあるものを相手の顔にぶつけることだね。ちゃんと知新流の伝書にも書いてあるよ、手元の煙草盆を相手にぶつけろとか」
「ぶつけるものは、何でもいいんですか?」
「まあ、ハンカチとかお手拭とか、文庫本なんかだったら、打つというより、ふわっと顔にむけて放(ほお)るほうがいいだろうね。いわゆる柔術で言うところの『霞をかける』というやつさ。灰皿とかコップなんかだったら当てる感じかね」
「霞をかけるというのは、また言いえて妙ですね」
「うん。この場合、一番いいのは、液体だな。グラスに入っている酒や水など相手の顔にかけてやるのが一番だよ」
「でもそれだけじゃあ、相手はダメージがないでしょう? それどころか、顔に水やら酒をかけられたら、激怒して追っかけてきますよ」
「だ・か・ら、顔に酒をかけられた相手が目を瞑って一瞬固まっているすきに、突き飛ばしてすぐに逃げるんだって」
「結局、逃げるんですか」
「孫子先生もいってるでしょう、はじめは処女のごとく、終わりは脱兎のごとしと」
「それはなんか違う気がするんですけど・・・」
「だいたいね、武術・武道をやっている人間であれば、そもそも日常生活の中でからまれたり、危機に直面してしまった段階で己の不徳、人生の勝負としては負けなんだから、普段から身を正しておくことさ。というわけで、野暮な話しはそれくらいにして、もう一軒飲みに行こうぜ!」
「はい、からまれないように、おとなしく静かに飲みましょう(笑)」
「おう!」

 (おしまい)
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手裏剣術講習会/(手裏剣術)
- 2014/08/16(Sat) -
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▲明日は、これらの手裏剣を使います。私は車剣は得意じゃあないんだけどね(苦笑)


 明日は(いや、もう今日か・・・)岐阜は中津川を訪れ、毎年恒例になっている当庵の友好団体である戸山流居合抜刀術美濃羽会中津川稽古会との合同納涼会と手裏剣術講習会を行う。

 こちらでの手裏剣講習も、たぶんもう10回以上になっただろうか。今回は、100グラム以下・7~8寸の角型棒手裏剣を使っての滑走打法と、車剣を打っていただこうかなと考えている。

 ちなみに私は、車剣を打つのは非常に苦手だ(笑)。

 どうしてもこれを遣わなければならないなら、掌剣術として用いるのが一番だと思う。同じ手裏剣といっても、棒手裏剣や我々が主に使用している短刀型の翠月剣に比べると、車剣は刺突力も低く、携帯性も悪い。武具としては、とうてい第一選択になるものではない。

 純粋な武芸としてはもちろん、武術・武道史の観点からみても、車剣がもてはやされるのは、しょせんは「忍者ごっこ」の世界であるということだ。

 どうしても短刀型手裏剣や棒手裏剣が使えないのであれば、車剣などより専用の印地(礫)を打ったほうが、武芸としてはるかに実用的だ。

 とはいえ、手裏剣屋を表看板にする以上、車剣も最低限遣えなければみっともないだろうということで、当庵では目録の教程で最低限の打剣と掌剣術のみ指導・稽古している次第である。


 さて、旅の支度をしなくては・・・。

 (了)
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後味の悪い夢/(身辺雑記)
- 2014/08/12(Tue) -
 時折、「普段から刀とか振り回していると、人が斬りたくなるでしょう?」などと聞かれることがある。

 こういうのはたいがい素人さんからの質問だから、「しょうがねえなあ・・・」と思いつつも、内心、実に無知で愚かな、そして人を愚弄した馬鹿な質問だなと思う。

 私が初めて抜刀術の手ほどきを受けたのは13歳の時で、柔術の師であったI先生にK流の形を教えていただいた。以来、なんだかんだと足掛け30年に渡って「刀を振り回して」いるが、当然ながら人間を実際に斬りたいと思ったことは一度たりともない。

 むしろ稽古をすればするほど、「こんなもんで斬られたら、たまらんな・・・」との思いを強くするものである。武芸をたしなむ者であれば、「人を斬る」ということはイコール「人に斬られる」ということでもあることを忘れてはならない。

 
 なぜこんな、わかりきったことをつらつら書いているかというと、昨夜の夢が、ひどく後味の悪いものだったからだ。

 夢の中で私は、抜き身を構えて殺意を持った複数の男たちに囲まれている。

 時代も状況も分からない。場所は屋内である。そして私は、自分の差料である市原長光を手にしている。

 止むを得ず先をとって、抜打の小袈裟で正面の相手の顔面に斬り付ける。やや重い手ごたえとともに、相手の顔面が両断され、すさまじい勢いで鮮血が噴出す。断ち割られた相手の顔面は、奇妙な形でゆがんだように斜めにばっくりと裁断されている。

 気配を感じて振り返ると、別の男が斬りかかろうとしているので突きを入れる。先ほどの袈裟斬りとはうってかわって、今度はほとんど手ごたえがなく、長光の切先は吸い込まれるように相手の水月に差し込まれる。刀を引き抜くと、相手の傷口から湧き出すように、黒っぽい血が流れ出す・・・。

 ここではっと目覚めたのだが、最初の袈裟斬りのやや重たい手ごたえ、それとは対照的にまったく手ごたえがなく吸い込まれるように刺さる突きの感触が、妙にリアルに(といっても、もちろん実際に人を斬ったり突いたりしたことはないので、それがリアルかどうかは分からないのだが・・・)残っており、実に後味の悪い気分で、その後も朝まで寝つけなかった。

 それにしても夢とはいえ、人を斬るというのは嫌なものだなと、しみじみ思った次第である。

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▲我が愛刀・市原長光。夢の中で操刀していても、実にリアルな感触だった。ま、日々稽古の度に手にしているのだから、感触がリアルなのは当たり前といえば当たり前か・・・

 (了)
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五間尺的/(手裏剣術)
- 2014/08/09(Sat) -
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 本日の稽古にて。

 五間(約9m)間合の直打で、「板金を打つ心(フルパワー)」の打剣(※)にて尺的(約30cm四方)に集剣。今日の稽古では打剣が非常に好調で、平均的にこのレベルでの打剣ができた。

 五間直打に関しては、武術としての手裏剣術という意味で、これが今の自分の最大限の精度である。間合については、絶好調の場合で最大七間で1~2割の刺中率というところか。

 手裏剣術者を名乗るにしては、いまだお寒い業前である・・・・・・。


 現在、遠間での打剣にはあまり力を入れていないのだが、精度に関しては五間直打でなんとか常時八寸的に集められるくらいにまでレベルを上げたい。しかしその道のりは、まだまだはるかに遠い。

 まあ、習得すべき業が難しいからこそ、稽古のし甲斐もあるということか。

 ~手と肩の力を抜いて腰強く 飛ばす剣は岩通すなり(根岸流道歌)~

(※)武術としての手裏剣術では、あくまでも「板金を打つ心」による打剣の精度が重要である。なお、「板金を打つ心」といっても、単純に力んだ力任せの打剣が良いわけではないのは、言うまでもない。

 (了)
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ぶん殴るだけが空手術ではない/(武術・武道)
- 2014/08/07(Thu) -
 この季節、空手の稽古はキツイ(笑)。アラフィフの肉体には、30分のその場基本と30分の移動基本は、実に堪える。ま、それこそが夏の鍛錬なわけだが・・・。

 今日の稽古では、形の分解で、離脱技を稽古させていただいた。

 いまどき、空手の技が打撃だけだと思っているような人は少ないだろうが(少ないよね?)、初心者の皆さんは、やはり空手と言えば、突き・蹴りの攻防と思い勝ちだ。そこでK先生が取り、私が受けで離脱技の解説を行った。

 基本的な平安の形にも、数多くの離脱技が含まれている。たとえば平安二段の第一・四挙動の鉄槌による打ち落としは、片手取りの離脱技ともなる。同様に、平安三段の第九挙動(左足を軸に体を左に回転させ右手の甲を右腰部にひきつける)も基本的な離脱技となっている。

 さらにいうと、最も単純な単体の技としての内受け(前腕を外捻りさせて、体の内側から外側に向けて受ける/流派によっては「外受け」「外腕受け」ともいう。空手の内受け・外受けは、流儀・会派によって名称が逆になることがあるのでややこしい・・・)も、そのまま離脱技となる。

 片手取り(例:我の右手首を相手が右手で順手でつかむ)の場合、そのまま我は内受けと同じように腕を動かせば、ほとんどの場合、簡単に離脱することができる。この状態で相手が踏ん張って手を離さない場合、右手を掛手にしてそのまま沈身し相手を崩しつつ拘束し、左拳であごを突き上げ、さらに金的に鉄槌、そのまま掬い投げで後方へ後頭部から投げ落とす・・・、つまりセイエンチンの分解技となるのは、いまさら私ごとき市井の有段者程度が解説するまでもないことだろう。

 柔術の視点から見ると、空手の離脱技は全体的にシンプルだが、護身には十分だと思う。また、ベテランの先輩や先生方に分解をご指導していただくと、思いもよらないような用法を教えていただけることもあり、興味が尽きない。ある程度稽古を積んできた空手人であれば、形の解釈に基づいた基本的な離脱技の用法くらいは知っておきたいものだ。

 ぶん殴るだけが、空手術ではない。

 (了)
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寺山とタロット/(身辺雑記)
- 2014/08/04(Mon) -
 タロットで遊ぶ寺山修司の姿が印象的なCM。

 寺山とタロットの関わりでは、寺山自らオリジナルのタロットを作ったことで有名だ。ちなみにそのタロットは、現在18万円の値が付いているのだとか。

 このCMで寺山が使っているのは、私も大好きな1JJタロットである。




 「カモメは飛びながら詩を覚え、人生は遊びながら年老いてゆく・・・」か。

1JJ


 (了)
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夏休みの図書-『世界の謎と恐怖』/(書評)
- 2014/08/01(Fri) -
 夏になると必ず思い出すのは、小学校3年の夏休みに修善寺駅前にあるN倉書店二階の児童書籍売り場で買った、『世界の謎と恐怖』という本だ・・・。


 当時、昭和50年代前半というのは、昭和40年代後半に始まり、結果として後のオウム事件にまでつながるオカルトブームの真っ只中であった。

 夏休みともなれば、子供たちは「あなたの知らない世界」の再現ドラマに震え上がり、「ルックルクこんにちは」(だったと思う・・・)のオカルト特集で、人間の生き血で描かれた掛け軸の首の絵の目が開く事件に大騒ぎとなった。

 夜になれば、CXの時代劇スペシャルでは怪談系時代劇が毎週放映され、あるいはまだ人間国宝になる前の一龍斎貞水先生の語る「真景累ケ淵」を涙目になりながら聞いたものである。

 そんなオカルトブーム全盛期に読んだ本が、『世界の謎と恐怖』であった。

 あれから幾年月。

 ネッシーもモケーレ・ムベンベも、月の人面岩も人体自然発火も、お岩さんの呪いもノストラダムスの大予言も、みんなガセだと知ってしまい、かつての夢いっぱいの少年は、世の中を斜めに見る、限りなく唯物論者に近い不可知論者の大人になってしまった。

 そこで、少し童心を折り戻そうと、37年ぶりに『世界の謎と恐怖』を買ってみた。

 ちょっと前までは、こうしたニッチな古書は、神田・神保町あたりで気合を入れて探さないと見つからないものだったが、いまやネットの「日本の古本屋」で検索をかければ、1秒もかからずに販売書店がずらっと示され、キーボードをぽちっとするだけで、2~3日後には料金代引きで古書が手元に届くのである。

 便利な時代になったもんだねえ・・・。

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▲この表紙! あまりにも鮮明に記憶に刻まれていたものだ。忍び寄る自縛霊!? そして恐怖の地底人! ああ、昭和だなあ・・・


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▲本書収載のエピソードの中で、当時の私が最も好きだった「悪魔のおどる島」のイラスト。地底人に遭遇した探検家の図


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▲1968(昭和43)年の初版発行から4年で14刷というのだから、かなり売れたんだねえ。なにより、筆者はあの伝説の空手家・真樹日佐夫先生であることに注目!


 この本を開いて、呪いのダイヤや踊る棺おけ、ツタンカーメンの呪いやアマゾンの大蛇の話に胸躍らせていたのは、もう40年近く前のことだ。

 古書特有のしみ臭い匂いが、不思議に懐かしい。昭和は遠くなりにけり・・・。

 (おしまい)
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