貫級刀を手裏剣に打つ/(手裏剣術)
- 2014/09/29(Mon) -
 昨日購入した貫級刀を、手裏剣に打つ。

 二間座打(正座)、打法は無滑走二点打法。

140929_223610.jpg


 当初の予想通り、いや予想以上に打ちやすい。

 以前、小柄小刀が手裏剣に打てるのかを検証したことがある。

「小柄は手裏剣に打てない?」http://saitamagyoda.blog87.fc2.com/blog-entry-453.html

「小柄は手裏剣に打てる」http://saitamagyoda.blog87.fc2.com/blog-entry-454.html

 こうした経験から貫級刀と小柄小刀を比較すると、当然ながら貫級刀は小柄小刀に比べ、はるかに手裏剣として打ちやすい。

 二間座打で六寸的に刺さるので、立打であれば三間尺的は余裕であろう。少し熟練すれば、四間でも十分に通せると思われる。

 貫級刀は、小柄小刀に比べると、長さはそれほど変わらないものの、重さが十分にあること(71グラム)、また柄と刃部が一体になっていることもあり、ほとんど棒手裏剣と同じと言っても過言ではないので、まあ手裏剣術者が打てば刺さるのは、当たり前といえば当たり前だ。

 座打でひょいと打っても、二寸近く的に刺さり威力も上々である。

140929_224035.jpg


 というわけで、貫級刀は、十分に手裏剣として打てることが分かった。

 手裏剣術者としては、後学のためにも可能であれば三本くらいは持っておきたいが、前回のブログで書いた通り、現代物の写しが入手困難となっているのは、たいへんに残念である。

 (了)
スポンサーサイト
この記事のURL | 手裏剣術 | ▲ top
貫級刀を買いに/(手裏剣術)
- 2014/09/29(Mon) -
 昨日、久々にのんびりと過ごす午後、つらつらとネットで刀剣店のページを見ていたところ、貫級刀が売りに出ていた。

 本ブログでも何度か書いたが、貫級刀は合戦の際、討ち取った首に突き刺して首板に固定するための道具。尾部に穴が開いているのは、ここに自分の名前を書いた紙や札を紙縒りなどで結びつけるためのものだという。

 また貫級刀は、別名・馬針とも呼ばれ、鼻捻や陣鎌とともに、「馬小屋三具」のひとつとしても用いられてきた。使用法は、馬の足がうっ血したときなど、これで突いて内出血となった血を外へ出すそうな。

 小柄小刀と異なり、貫級刀は柄部分と刃部分が一体となった共柄で、重さもそこそこあることから、懐剣や手裏剣の代用として用いる流儀がある。手元の書籍を紐解くと、柳生心眼流では奥伝に「馬小屋三具」の用法があり、馬針の用法が伝わっているという。

 「馬針の持ち方は、柄尻を親指で固定して逆手で持ち、敵が打ち込んできたら、腕を受けとめて馬針でからみつけて引き倒したり、小指で柄尻を固定して突くと、薄くて鋭い針先により、敵は思わぬ深傷を負うことになる。遠い敵には、中指に置いて薬指と人さし指にはさんで手裏剣打ちに投げつける。『手の内』や『手裏剣』の原形である」(「甲冑拳法 柳生心眼流」島津兼治著/日東書院/1979年)

 刀剣店や骨董店では、時折、貫級刀が売りに出されていることがあるが、なにしろ時代の物はそれなりの価格がする。なにより、そういう品を普段の稽古で使うのは、美術品保護の観点からも好ましくない。

 そこで現代物の写しが重宝するのだが、2008年の秋葉原での通り魔事件以来、現代物の貫級刀が非常に手に入りにくくなってしまった。

 現代物で廉価な貫級刀は、美術刀剣を製造販売しているM社製のものがあったのだが、上記の事件以来欠品扱いで、その後製造はしておらず、現在はカタログにも載っていないようだ。

 M社製の貫級刀は、ネットで見ると現在でもいくつかの武道具店などが商品として掲載しているが、たとえば2年ほど前に私が複数の販売店に直接問い合わせたところ、販売はしていないか、あるいは品切れということであった・・・。


 そんなこんなで、頃合の価格の貫級刀を見つけた私は、いそいそと拙宅から1時間ほどの場所にある刀剣店に向かった。そして購入したのが、この貫級刀の写しである。

貫級刀_140928_222325


 店主の話では、これは上述のM社の製品であるとのこと。

 同社の以前のカタログを見ると、全長約20センチ、重さ約50グラムとなっているが、実際に計ったところ重さは71グラムあった。一応、鍛造焼入れとのことである。

背面のアップ_140928_223354


 手元にある小柄小刀と比較すると、このようになる。

貫級刀と小柄_140928_222922


 小柄小刀に比べ、貫級刀は共柄のため、また重さもそこそこあるので、手裏剣に打つには非常によいように思われる。まだ実際に打ってはいないが、おそらく普通の手裏剣術者であれば、3間程度であれば簡単に直打で打てるだろう。

 せっかくなので、翠月剣(短タイプ)とも比較してみよう。ちなみに25年式翠月剣(短)は、全長230ミリ/身幅13ミリ/重ね6ミリ/重量126グラムである。

翠月剣との比較_140928_223046


 表面には、血流し風の意匠が施されている。

 表面のアップ_140928_223318


 柄の部分には、「八幡公所佩貫級刀 南無阿弥陀仏 雷除」との文字が切られている。時代の物の場合、紙縒りを通す柄尻の穴は猪の目になっているものもあるが、これはただの円形である。

柄部分のアップ_140929_004956


 断面は裏面が平らなカマボコ型。

断面_140928_223437


 実際に手裏剣に打つと、どのような手ごたえかは、今晩の稽古で試してみようかと思う。

 まずは、良いものを購った日曜であった。

 (了)
この記事のURL | 手裏剣術 | ▲ top
無銘刀/(武術・武道)
- 2014/09/26(Fri) -
■本日の稽古備忘録

 久しぶりに、無銘の二尺一寸で稽古。座技にて試物を斬る。

 斬りの稽古とはいえ、翠月庵別邸(拙宅屋内)の狭いスペースでの稽古のため、畳表や竹のような本格的な試物は使えない。ゆえに「斬れたか、斬れないか」ではなく、「狙った部位を正確に斬れるか」が、ここでの稽古の眼目になる。

 で、何を斬っているのかって?

 江戸の昔から、実際に稽古の試物として使われてきたものの一種なのだが・・・、あんまり品のよい物ではないので、ま、想像にお任せします(笑)。

 続いて動く的を斬る稽古。

 普段使っている市原長光に比べると、この無銘刀は刀身で一寸と少し、重さもかなり軽いため、普段は難渋する動的への抜き打ちも、容易にできる。

 試斬用に、錆身を格安で買ったのがこの一口だが、使うほどに愛着が湧く。早く研磨に出したいものだ。

 〆は手裏剣の打剣。

 肘に負担をかけないように、リラックスして座技にて打剣。そろそろ、的もかえどきか・・・。

140926_004149.jpg

 (了)
この記事のURL | 武術・武道 | ▲ top
「事故防止」その後~模擬刀の折損/(武術・武道)
- 2014/09/25(Thu) -
 3ヶ月ほど前に本ブログで、当庵のAさんの居合刀(模擬刀)がどうも撓る様に見えるので、今後の使用には注意をするように指導した、という記事を書いた。

■事故防止(2014.5.5)
http://saitamagyoda.blog87.fc2.com/blog-entry-569.html

 そして先週、稽古に来たAさんから、自宅での稽古中、刀が折れたという報告を受けた。庭で抜刀術の形稽古をしていたところ、真っ向正面斬りの際にハバキ元から折れてしまったという。

折れた居合刀40920_150529


 幸い、自宅での一人稽古中であり、稽古していた場所も家族のいない庭だっただけに、事故がなく本当によかったと思う。

 真剣に比べると、模擬刀は刀身の強度に問題があるのは周知の通りだが、たとえば私の所持している模擬刀の一口は高校生の時に旧師からいただいたもので、もう30年近くも使っているが折損などはしていないし、その兆候もない。

 ま、私があまり稽古をしてないので、ダメージが少ないのかもしれないが(苦笑)。

ハバキ部分140920_150543


 Aさんの模擬刀は、刀身のハバキに納まる部分のちょうど真ん中あたりで折れていた。

 斬り下しの際、ハバキ部分から折れた刀身は、目の前の地面に叩きつけられたという。これがたとえば演武などで、目の前に多数の人がいるような状況、あるいは稽古場で周囲に他の稽古者がいるような状況でなかったのは幸いであった。

切断面140920_150602


 先の「事故防止」という記事にも書いてある通り、稽古中、私がAさんの刀に「違和感」を感じたのは、いささか不自然な、しかしごくわずかな撓りであった。

 こうした「微妙な兆候」というのは、ともすれば見逃してしまいがちなものだ。しかし武術・武道をたしなむ者であれば、己の五感で感じた「気配」や「直感」を軽視すべきではない。

 たとえばそれが杞憂であったとしても、自分と他者の安全を担保するという意味で、常に慎重に対処をするべきである。「最悪事態への想定・対処能力」は、武人に必須の資質なのだ。

 武具というものは、道具そのものに人を傷つけ命を奪う殺傷力がある。

 だからこそ武具を扱う武芸の指導者たるもの、安全管理については取り越し苦労と笑われるぐらいが丁度よいし、指導者、生徒を問わず、そういう意識と緊張感のない者は武具に触れるべきではない。

 (了)
この記事のURL | 武術・武道 | ▲ top
中河内/(身辺雑記)
- 2014/09/23(Tue) -
kunisuke1.jpg

 本阿弥光遜の鞘書が付いた、二代目河内守国助(佐村河内守ではない、念のため・・・)、二尺三寸四分が売りに出ていた。(http://www.hyozaemon.jp/nakakawati2.htm

 値(あたい)は230万円ナリ!

 河内守国助といえば、かの秋山小兵衛先生や、本所の鉄の差料でもあったことで知られる。

 池波師は、新刀がお好みだったようだ。


 しかし国助、いいねえ。

 ・・・・・・いやいや、私には昭和の剛刀・監獄長光があるではないか。

 惑わされてはいかん、いかん。

 ま、そもそも、そんな大金ないけどな(爆)。

 (おしまい)
この記事のURL | 身辺雑記 | ▲ top
文楽初鑑賞/(身辺雑記)
- 2014/09/19(Fri) -
h26-9bunrakuo_omote012small.jpg

 国立劇場で、文楽を見てきた。

 歌舞伎よりいいかも。

 (了)
この記事のURL | 身辺雑記 | ▲ top
運気予報/(身辺雑記)
- 2014/09/16(Tue) -
140916_000003.jpg

 今日はこんな日らしい・・・。

 なかなか面白いじゃないか(笑)。

 易にしてもタロットにしても、上達のコツは多筮であり、そのために日筮は最適だ。

 というわけで、これから江戸へ出かけるとしよう。

 (おしまい)
この記事のURL | 身辺雑記 | ▲ top
引き足による打剣/(手裏剣術)
- 2014/09/13(Sat) -
 手裏剣術の稽古において、稽古者が剣術や抜刀術にある程度熟達していない場合、引き足による打剣で難渋することが少なくない。

 ありていに言えば、剣術や抜刀術で、引き足による斬りや、その場での体の変換(空手道で言うところの、スイッチステップですな)を十分に稽古していないと、手裏剣を引き足で打とうとしても、どうしても手打ちになり、へっぴり腰の腑抜けた打剣になりがちなのだ。

 やっとうの稽古では、足を引きながら斬る、あるいは瞬間的に前後の足を踏み変えながら斬るというのは、特段、珍しい動きではない。

 そして剣術や抜刀術においては、こうした運足ができることで、間積りの運用がより幅広くなるわけで、手裏剣術者とて、それができるにこしたことはないのである。

 しかし、これまで指導してきた経験上、どうも手裏剣の打剣動作そのもので、こうした「引き足」や「体の変換」を習得させるのは難しく、刀や木太刀を使った動作で修練をさせるほうが、気・剣・体が一致した、統一力のある引き足の打剣動作が習得しやすいように思う。

 なお、ここで注意したいのは、剣術や抜刀術にせよ、手裏剣術にしても、「引き足」による斬りや打剣は、間合いを切って逃げながら打つ(斬る)といった、矮小な意味での体の運用ではないということである。

 足を引く、あるいは瞬間的に体を入れかえるというのは、単に間合いを切って距離をとるといった、表面的な意味ではない。

 斬撃にしても打剣にしても、引き足や体の変換は、至近の間合からより早く、より効果的に斬る、あるいは打つためのアグレッシブな体動であり運足であることを、十分に理解しておかなければならない。

 引き足による打剣や斬りが、撃剣における苦し紛れの引き面や引き小手のような、陳腐な技になってはならないのである。

CIMG4179.jpg

 (了)
この記事のURL | 手裏剣術 | ▲ top
二人の一刀/(身辺雑記)
- 2014/09/10(Wed) -
 今日、テレビ版と映画の『子連れ狼』を見比べていて思ったこと・・・。

 チャンバラの迫力は問答無用で若山先生の圧勝なのだが、芝居そのものはヨロキンのほうがいい。

 拝一刀の喜怒哀楽、そして武士ならではの品位を、立ち居振る舞いと言葉、そして表情で表す錦之助の芝居は実に凛々しい。

 一族を皆殺しにされたからくりを始めて知ったときの、「おのれ柳生うぅぅぅ・・・・!」という台詞と顔つきがたまらない。

 ちなみに、テレビ版のシーズン1・2では、立ち回り以外のシーンで本物の同田貫(胴太貫ではない・・・、念のため)が使われているそうな。二本樋のやつが、そうなのかね・・・。

おんぶ
▲メタボな武術・武道人の憧れ、サモ・ハン・キン・ポーと並んで「動けるデブ」の頂点に立つ、若山先生演ずる拝一刀


kodure.jpg
▲表情と台詞、立ち居振る舞いで「冥府魔道、六道四生、順逆の境」をいきいきと表現する、萬屋錦之介演ずる拝一刀

(おしまい)
この記事のURL | 身辺雑記 | ▲ top
千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす/(手裏剣術)
- 2014/09/06(Sat) -
140906_155844.jpg

 手裏剣術伝習所 翠月庵は、去る9月1日で結庵から丸7年となり、本日、いつも通り粛々と、8年目の最初の稽古を行うことができました。

 改めまして、長年にわたりご厚誼をいただいている各地の武兄・武友の皆様、貴重な稽古場をお貸しくださる家主様、そして地道な稽古に倦むことなく鍛錬を続ける会員諸子にお礼申し上げます。

 ありがとうございます。

 今後も、「生死一重の間合からの渾身の一打」をめざし、千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬として精進して参ります。

 手裏剣術伝習所 翠月庵
 市村翠雨 頓首九拝
この記事のURL | 手裏剣術 | ▲ top
人生の「位取り」/(武術・武道)
- 2014/09/05(Fri) -
 昨日、群馬県の某市にある医療法人にてインタビューを行った。

 取材終了後、挨拶を済ませて退出する際、理事長夫妻が玄関まで見送ってくださった。

 改めて挨拶をし、そのまま歩き出す。

 しばらく歩いて通りの角を曲がろうとした際、ちょっと振り返ると、お二人はいまだに玄関前に立っていて、私と目が合うと改めてお辞儀をして見送ってくださった。

 職員500名以上の大医療機関のトップが、一介の記者にこのように礼をつくす。

 しかもごく自然に。

 こういう「位取り」をされると、かなわないなあ・・・としみじみ思う。

 実に爽快な気分で、素直に「参りました」という気分になれるというものだ。

 人生の「位取り」とは、かくありたい。

 久々に心地よく、「一本取っていただけた!」と感じる出来事であった。

 (了)
この記事のURL | 武術・武道 | ▲ top
離(はなれ)之大事/(手裏剣術)
- 2014/09/01(Mon) -
 過日、稽古の後、当庵のAさんが、「剣術の稽古をした後に打剣をすると、どうもその後の手裏剣の刺さりが悪くなりますね・・・」とつぶやいた。

 本ブログでも、すでに何度も指摘していることだが、剣術と手裏剣術では動作体系が異なるため、結果としてAさんのつぶやきのようになるのである。具体的に言えば、剣術の稽古の後に打剣をすると、手裏剣が首落ちしやすくなってしまうのだ。

 実際に手裏剣術と剣術を共に稽古している者で、このように実感しないのは、よほど鈍感な者か、あるいは意図的にそういった感覚を排除している、いわゆる「ためにする主張」の持ち主なのであろう。

 古来からなぜ打剣の要諦として、「刀の切先がちぎれて飛んでいくように」と教えられてきたのか?

 この教えの重要な点は、「ちぎれて飛んでいく」という部分にある。つまり、手離れの早さを示しているわけだ。逆説的に言えば、この教えは「単に剣術の素振りのような動きをするだけでは、手裏剣は打てませんよ」とアドバイスしているのである。

 刀を振る動作と手裏剣を打つ動作は、一見同じように見えたとしても、手之内の操作や腕の振り方などについて、動きや意識の置き方がまったく違う。

 ここをしっかりと理解できていない者は、馬鹿の一つ覚えのように「刀の振りと同じようにすれば、手裏剣が刺さる」などと教える。すると生徒は、必ず一間半~二間で壁にぶつかって刺さらなくなり、いつまでたっても三間さえも通せなくなってしまうのだ。

 門下の上達を邪魔して、少しでも長く月謝や謝礼を搾取したいという指導者にとってはそれでよいのかもしれないが、できるだけ早く生徒に上達してもらいたいと考えるのであれば、間違っても(特に初心者に対しては)剣術と手裏剣術の動きを混同して指導してはならない。


 一方で、形而上においては、手裏剣を打つことも、刀を振ることも、武術としては本質的には同一のものだと捉えることができる。そうでなければ、刀と手裏剣を合理的(安全・安価・有利)に併用することができない。

 そこで、刀と手裏剣という、まったく異なる動作体系をつなぐためのポイントのひとつが、「切先がちぎれて飛んでいく」というイメージなのだ。

 「切先がちぎれる」という言葉をありていに解説すれば、手裏剣を意図的にすっぽ抜けさせるような動き=手離れの早さを教えているのである。

 切先がちぎれるということについての具体的なイメージは、たとえば刀による真っ向正面の斬りの動きにおいて、左拳が額の上辺りに位置する一般的な上段構えから振り下ろす場合、刀の鍔が自分の額辺り(間合によっては、それよりもさらに後ろ)で、すでに切先がちぎれて飛んでいる=手裏剣が手離れをしているというものである。

 こうしたイメージが明確にないと、手離れが遅くなり、たかが一間半でも手裏剣は首落ちをする(※)。

 古来、こうした「コツ」は、それこそ万打自得するものとされ、明確に言語化されてこなかったのであろう。ゆえに、「剣術と手裏剣術の動きは同じ」だとか、「剣術の動きのままで手裏剣は打てる」などといった迷信や誤謬が、流布されてしまったのではないだろうか。

 知新流手裏剣術の目録には、まず最初に「手裏剣離之事」が記されている。また同流の印可伝書には、「手離れをおしまぬ様に心得打つ事専一なり」とある。

 「刀の切先がちぎれて飛んでいく」というのは、まさにこの手離れの早さを教えたものだといえるだろう。

kenjyutu_CIMG5231.jpg

※当然ながら、首落ちの原因は手離れだけではなく、その他にも複数ある。なかでも重要なのが、「手首を殺す」ことである。剣術的に言えば、いわゆる「斬り手」「龍之口」で、手首のスナップを利かせないことが、非常に重要になってくる。このように、手首を利かせない=抜け手にならないという点では、剣術と手裏剣術の動きは共通しているといえるだろう。

 (了)
この記事のURL | 手裏剣術 | ▲ top
| メイン |