肘に負担をかけない打剣/(手裏剣術)
- 2015/05/31(Sun) -
 新陰流の前田英樹師範と能楽師の安田登氏の対談本『からだで作る<芸>の思想 』の中で、体調がすこぶる悪いときに、それでも稽古に出ると不思議と調子が良くなる・・・、というような話があった。

 昨日の稽古は、夏風邪の病み上がりということもあり、また丁度稽古をしている時間帯が、30度を超える暑さでもあったため、無理せず慎重に、そろりそろりといった心持ちで始めた。

 稽古を始めてしばらくの間、手裏剣の打剣では、さすがに身体のだるさなどあったものの、1時間ほどたち、剣術の形稽古に移るころには、気持ちが稽古に没入し、身体の不調ということそのものが意識から消え去る。

 その後、居合、そして再び手裏剣の打剣と、いつも通りの一刻の稽古を終える頃には、病み上がりの身体の不快感は、ほとんど消失してしまった。
 
 当然のことながら、病気やケガの療養の真っ最中に、身体に負担をかける武術の稽古を行うというのは考えものだが、病後の回復期においては、むしろ体調の様子をみながら可能な範囲で積極的に身体を動かすほうが、回復が早まるように感じられる。

 これはまさに、リハビリテーションということなのだろう。

 上記の対談本で指摘されていたように、古流の形稽古というのは、それを正しく行うことによって、ある意味で身体をアジャストメントする効果があるのかもしれない。


 一方で私の手裏剣術なぞは、己の肘をぶっ壊してしまうお恥ずかしいレベルである(苦笑)。

 この点で、最近気づいたのは、座打ちでの腕の振り下ろしの影響だ。

 最近は、「腕を振り下ろす際、ある位置で、その腕を急激に止めることは、肘に大きな負担をかける。ゆえに腕を振り下ろす時には、そのまま自然な動きで自分の膝のあたりまで手を振り下ろした方がいい」、という点を念頭に置いている。

 このため立打ちの際、刀法併用の時などは特に、打剣後に柄に手をかけるために振り下ろした手を臍のあたりでかなり強制的に止めていたものを、最近は自然に膝の辺りにまで振り下ろすようにしている。

 こうすることで、翌日に残るような肘の痛みや違和感を感じることが少なくなった。単純なことだが、なかなか効果的である。

 なお、打剣後の抜刀動作については、打剣後、無理に帯刀している柄の辺りで腕(手)を止めずとも、運足と鯉口を押さえている左手の鞘遣いで、下まで振り下ろした右手の自然な動作の流れに合わせることができ、これによって違和感や拍子の遅れなく抜刀することができることも分かってきた。

 ただし1つだけ、この肘に負担をかけない腕を完全に下まで振り下ろす打ち方に難点があるとすると、刺中の精度という点だ。振り下ろした手を、的の目当ての位置辺りで止める打ち方に比べると、いささかコントロールが難しいように感じるのである。これについては、今後の検討課題としておこう。


 さて、こうして立打ちの際に肘にかかる負担はそれなりに軽減できるようになったわけだが、問題はまだある。

 稽古場での定例稽古では広々とした場所ゆえ、立打ちでばんばん打剣ができるわけだが、日常の稽古では、私は団地暮らしのため、室内で2間の距離しかとれない。しかも、欄間がある関係で立打ちができないので、座打ちのみの稽古となる。

 そして座打ちでは、立打ちに比べて、振り下ろした腕を自然な動きでフォロースルーすることが難しいのだ。このため、実際のところ最近は、稽古場での定例稽古の後は肘の痛みはあまり感じないのだけれど、自宅での座打ちの稽古をした翌日は、かなり明確に肘の痛みや違和感を感じることが多い。

 さしあたっては正座での座打ちではなく、跪坐の座打ちあるいは折敷からの打剣として腕を振り下ろせる距離を少しでもとれるようにするか、あるいはなんとか環境を工夫して、自宅でも立打ちができるようにするか・・・、などと思案している。

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 いずれにしても、手裏剣術者にとっては利き腕の肘は命。

 「無事、これ名馬」の故事ではないが、できるだけ負担のかからない打ち方、稽古法をこれからも検討していこうと思う。

 (了)
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病みあがり/(身辺雑記)
- 2015/05/30(Sat) -
 ここ2日ほど、夏風邪で寝込んでいた。

 来月末が締め切りの高齢者向けのトレーニング本の執筆に、そろそろ全力を傾けなければならない時期だというのに、正味で丸々2日のロスだ。

 おかげでこの週末は、今日午後の稽古以外、ひたすら原稿書きである・・・。


 それにしても、身体が弱くなった。というか、無理が利かなくなった。

 薬とポカリを飲む以外は、病んだ野生動物がひたすら蹲りながら自然治癒を待つように、2日間ベッドで横たわっていたわけだが、今朝体重を量ると、体重は2キロ減っているのに対し、体脂肪率は急激に上がっている。

 筋肉がやせてしまったということか・・・。

 とりあえず今日からは、下半身の筋力アップのために、エアロバイクと柳剛流居合の稽古時間を増さねばなるまい。

 アラフィフともなると、なにはともあれ健康第一である。いやほんと本気(マジ)で。

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▲柳剛流の居合は、たいへんフィジカルに効く形である(苦笑)。たとえるならば、
それは延々と続くウサギ跳び・・・・・・

 (了)
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『不良少女と呼ばれて』/(書評)
- 2015/05/27(Wed) -
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 以前から読んでみたかったこの本、ヤフオクで落札して読了。

 それにしても、なんでこの原作内容で、「あのドラマ」になるのかが実に不思議である(笑)。作者は、あのドラマを見て「私は、こんな怖ろしいことはしていないのに・・・」と、かなりショックを受けていたという。

 本書には、戦後の混乱期をたくましく生き抜いた少女の心の葛藤が、丁寧にわかりやすく、そして素直に書かれていて好ましい。

 また、舞楽という伝統芸能に出会い、それを極め、普及してゆく姿は、日本武術という伝統芸を嗜む者として、感動的に読むことができた。特に、東京まで出てきて師につき、働きながら舞を覚えるという場面は、同じような経験をしてきた者として、とても共感ができるものだった。

 作者は数年前にお亡くなりになったということだが、今も彼女が受けつぎ、守り、育ててきた舞楽は、後進に受けつがれているという。機会があれば、ぜひ観てみたいと思う。

 (了)
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往きてまた還らず/(身辺雑記)
- 2015/05/26(Tue) -
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 この時期、旬の蚕豆は最高の肴だ。

 豆果付きのままざっと焼いた蚕豆をあてに、朱塗りの片口になみなみと注いだマッコリを味わいつつ漢詩を読む。

 郷愁に彩られた在りし日の記憶は、いつでも甘美なものだ・・・。
 

燕歌行 其二(曹丕)

別日何易会日難   別るる日は何ぞ易く会う日は難し
山川悠遠路漫漫   山川悠か遠く路は漫漫たり
鬱陶思君未敢言   鬱陶(むねふさ)がり君を思いて未だ敢えて言わず
寄声浮雲往不還   声を寄せるも浮雲往きてまた還らず
涕零雨面毀容顔   涕(なみだ)零(こぼ)れ面に雨(なが)れ容顔を毀つ
誰能懐憂独不歎   誰が能(よ)く憂を懐(いだ)き独(ひと)り歎かざる
展詩清歌聊自寛   詩を展べ清歌し聊(いささ)か自ら寛(ゆる)うす
楽往哀来摧肺肝   楽しみ往き哀しみ来りて肺肝を摧(くだ)く
耿耿伏枕不能眠   耿耿(こうこう)と枕に伏し眠ること能わず
披衣出戸歩東西   衣を披(かず)き戸を出でて東西に歩む
仰看星月観雲間   星月を仰ぎ看(み)て雲間を観(み)る
飛鶬晨鳴声可憐   飛鶬(ひそう)晨(あした)に鳴く声憐む可し
留連顧懐不能存   留連して顧み懐(おも)いて存ること能わず


 (了)
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青天白日/(身辺雑記)
- 2015/05/24(Sun) -
 昨日の稽古では、初夏らしい青天白日の中、久々にのびのびと手裏剣を打った。

 ここしばらく、毎週末の定例稽古以外打剣を控えていたことあり、またかかりつけの接骨院の先生のアドバイスも効を奏してか、一刻ほど存分に打剣をしても、肘に痛みはなく、一晩が過ぎた今も、こわばりなどといった不調はない。

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 桜の花が散った後、梅雨に入るまでの間のこの時期は、晩秋と並んで、1年の中で最も心地よい季節だ。しばしの間、浮世の俗を離れて時を忘れ、手裏剣を打ち、居合を遣い、木太刀を執る。

 この日は、復興支援のイベントで購入した、相馬野馬追の真っ白な手ぬぐいをおろして使った。

 初夏のまぶしい陽射しの下で、木綿の白さがなんとも清々しい。

 人も、業も、芸も、この純白の手ぬぐいのように、清しく在りたいものだ。

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 (了)
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本物の業/(身辺雑記)
- 2015/05/22(Fri) -
 夕闇が深くなるまで、生業の原稿書きに追われた金曜日。

 仕事を終えた後、ヒラマサの刺身と新玉ネギの竜田揚げを肴に、太平山 神月を飲みながら、疲れきった脳髄を休める。

 BGMは、不世出の津軽三味線奏者・高橋竹山。

 竹山の三味線は、柔らかくまろみを持ちながら、絶対的な厳しい拒絶の音も合わせ持つ。それは、障害ゆえに門付けの最中に伴侶を陵辱されてしまったほどの怨念と、それほどの苦界をも乗り越えた人間としての力強さ、そしてなにより芸への執着があってこその、透明な音色である。




 これほど苛烈で、しかし澄み切った芸を、われわれ武辺の者は体現できるのだろうか。

 他者を殺伐する殺人刀から、天道の導きに沿った活人剣へ。

 柳生宗矩の至った境地は、私ごとき凡俗には遥か彼方だが、私なりに今世の活人剣を目指して精進していきたいと思う。


 ~負けて退く人を弱しと思うなよ 智恵の力の強き人なり~
 中山派柳剛流師範家 剣一世中山多七郎満足 道歌


 (了)
 
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まぼろしの噺家と池袋の鰻/(身辺雑記)
- 2015/05/20(Wed) -
 ここしばらく、多忙である。

 先月末、6月初めに発行する介護保険に関する書籍を校了したかと思えば、この秋に発行する高齢者向けのトレーニング本(192ページ!)の、初稿の締め切りが来月末。

 これをこなしながら、某私大の研究者向けインタビュー記事を月2本、新聞に掲載する一般向けの医療記事を月2本、医療・社会福祉法人向け雑誌の経営者インタビューを月1本、それぞれ取材・執筆。

 さらに今月は、旅行雑誌に掲載する旅館の紹介記事、JRの「青春18きっぷ」を使った鉄道旅行のルポなどの記事も執筆せねばならない。

 これらの仕事をこなしながら、毎日、厳しい鍛錬を・・・・・・、と言いたいところだが、先月は岐阜で手裏剣術の、今月は山梨で柳剛流の演武を無事に行ったこともあり、今月はこれまで、いささか多忙にまぎれて自分の稽古をサボりぎみであった。とりあえず、本日からまた、気合を入れなおさねばなるまいと自省している今日この頃である(爆)。

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▲某大学キャンパス内で、インタビューの合間にテープ起こし


 そんななか先日、久々に相方と一緒に江戸へ出る。

 5月中席の主任が、知る人ぞ知る"まぼろしの噺家”柳家小のぶ師匠だということで、まずは池袋演芸場へ。普段、平日は4~5人しか客がいないことも珍しくない高座は、追加のパイプ椅子が出されているほどの盛況ぶり。

 席に着いたのは、ちょうど正蔵の途中だったのだが、小朝が厳しく仕込んでいるせいか、こぶ平も一丁前の噺家らしくなってきたなと、改めて実感。さらに精進してほしいものだ。

 小のぶ師匠の噺は、独特の人情味と弛みが、かめばかむほど味わい深い、スルメのような滋味あふれるものであった。

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▲先代の小さんが、「さん」付けで呼んでいた事でも知られる、”まぼろしの噺家”小のぶ師匠。夜の部の主任の喬太郎と並んで、堂々の二枚看板!


 江戸の話芸を満喫した後は、池袋演芸場の帰りに必ず立ち寄る「うな鐵」で一杯。

 鰻が高級食材となる昨今、この雑っかけな鰻専門店では、酒の肴として鰻の串焼きを安価な値段で提供し続ける、酒呑みにとってはなんともうれしい名店だ。

 あさ開のぬる燗と共にいただく鰻のカブトやレバー、串巻きなどの数々が実に味わい深い。そして今日の噺について、ああでもない、こうでもないと語り合いながら、一杯また一杯と旨酒の杯を傾ける。

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▲うな重も旨い


 初夏の夕暮れ時にいただく、旨い料理と旨い酒。

 嗚呼、日本人に生まれてよかった・・・。

 (おしまい)
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手裏剣術の致命的な欠陥~私の稽古履歴から/(手裏剣術)
- 2015/05/15(Fri) -
 武術とは、対人攻防の術技体系である。

 だからこそ、

「“武術としての手裏剣術”を志すのであれば、対人攻防のある何らかの武術・武道を必ず併習しなければならない」 

 と、私は翠月庵の開庵以来、一貫して主張してきた。


 さてここで、道行く人に「あなたはいままでの人生で、何回くらい殴りあいをしたことがありますか?」と尋ねたとしよう。

 多くの場合、「学生時代に喧嘩をして・・・、2~3人」などというのが一般的であろう。

 もちろん、「生まれてこの方、人を殴ったことなど一度もありません!」という君子も珍しくないだろうし、逆に「若いころはヤンチャしていたんで、20~30回はある!」という街の豪傑もいるであろう(笑)。

 では、これが武術・武道人となるとどうなるか?

 私自身を例にしてざっと計算すると、これまでの殴り合いの経験は、かなり少なめに見積もって延べ4,200回くらいになる。

 つまりこれまでの人生で、私ごときレベルでも、少なく見積もって述べ人数で4,200人ほどと、自由攻防での殴り合いを経験しているというわけだ。

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▲平成14(2002)年、G流空手道全国大会での組手試合。不肖・市村32歳(写真右)、まだ茶帯・・・


 これはなにも、特別珍しい数ではない。

 むしろ伝統派空手道の有段者(経験16年)としては、かなり“ぬるい”レベルだと自覚している。

空手緑帯時代合宿
▲緑帯なので、多分、平成12(2000)年頃の、空手道夏合宿での組手稽古。不肖・市村(写真左)、まだまだ若い30歳


 一般的な伝統派空手道の町道場では、1回2時間の稽古のうち、まずはじめに基本稽古、次いで形稽古、最後に15~30分ほど組手の稽古を行うというのが一般的だろう。

 組手の稽古では、約束組手とは別に、1回15~30秒くらいで元立ちなどを立てて、相手をとっかえひっかえしながら5~10人くらいと地稽古や掛かり稽古、あるいは試合稽古など、各種の自由組手を行うことが多かった。

 このように1回の稽古で5人と組手をするとして、週2回の稽古では延べ10人と組手をすることになる(これは、かなり少なめに見積もった数字であるが)。

 1年間は52週だが、休みなどもあろうから年間42週として、週2回の稽古では年間で合計84回。1回の稽古で5人と組手をするとして、1年間で延べ420人(回)と組手をしたことになる。

 普通、伝統派の空手道で社会人の生徒が初段の黒帯を取るためには、週2回程度の稽古だと、2~4年くらいはかかるだろう。となると、4年間では延べ1,680人(回)と組手=殴り合いを行ってきたことになるわけだ。

平成14年全国大会
▲平成14(2002)年、G流空手道の全国大会にて。形で優勝、組手で準優勝となりご満悦の不肖・市村32歳(写真中央)。といっても茶帯時代なので、有級の部なんだけどネ(苦笑)


 繰り返すが、この4年間で延べ1,680人(回)との組手=殴り合いの数というのは、あくまでも少なめに見積もっての数字である。

 私は、平成11(1999)年、29歳の時に古流武術の稽古を中断し、改めて空手道に入門、4年がかりでようやっと初段となり、その翌年に弐段を取得。

 その後は万年弐段の向上心の低い空手人として(苦笑)昇段審査を受けることなく、平成22(2010)年ころまで、足掛け10年ちょっとの間、週2回程度の組手のある稽古を行い、年3回ほど試合に出てきた。

 この間を合計すると、ピンは全日本空手道選手権準優勝で現役のナシュナルチームメンバーの若先生や、元日本代表で世界選手権出場者経験のある壮年の先生から、キリは白帯の学生さんまで、ざっと延べ4,200人(回)を相手に、殴る蹴るの経験をしてきたことになる。

平成15年全国大会
▲平成15(2003)年の、G流の全国大会にて。前年に引き続き2年連続形優勝、組手準優勝となり、再びご満悦の不肖・市村33歳(写真中央)。といってもこれまた茶帯時代で有級の部である。ちなみに形・組手とも参加したクラスで最年長&一番のチビであり、当時のニックネームは「小さな中年の星」と、まるで往年のグラン浜田のようであった(爆、しかしマジである)


組手075
▲平成15(2003)年の夏、有段者となったため、翌年の大会からは一般有段者の部に数年間出場したが、形も組手も3回戦が最高成績であった。なにしろ学連の現役選手やらナショナルチームの選手など、バケモノみたいな人々が出るクラスなので、街の中年空手家としては、当然っちゃあ、当然の結果である(苦笑)。写真は平成19(2007)年のG流空手道全国大会。一般男子有段者の部での組手試合。不肖・市村、いささか疲れてきた38歳


 このように、一般的な日本人が生涯にせいぜい数人程度としか殴りあいをした経験がないであろうことに対し、町道場の中年有段者レベルの空手人である私でも、少なくとも10年間で約4,000人との殴り合い、約4,000回の対人自由攻防の経験があるわけだ。

 こうした対人攻防の経験数は、別に空手道に限ったものではない。たとえば、剣道などでも同様である。

 町道場で週2回程度稽古をしているごく普通の無名剣道家でも、1回の稽古で5人や10人を相手に地稽古や掛かり稽古をするのは当たり前であろう。

 すると、やはり10年もやっていれば、延べ3,000人や4,000人程度の相手との打ち合いの経験を積み重ねたこととなる。

 あるいはまた、これは自由攻防ではないが、相対での形の稽古を主体とする合気道や少林寺拳法、古流剣術や柔術などもまた同様である。

 10年も稽古をしていれば、延べ人数で3,000人(回)や4,000人(回)程度の相手との形稽古、つまり対人攻防の経験が積めるのは、合気道でも古流柔術でも、あるいは古流剣術でも、ごくごく当たり前のことなのだ。

中学B
▲昭和58(1983)年、八光流柔術伊豆道場新年演武会にて、半座半立技で投げを打つ不肖・市村、坊主頭の13歳(写真右)


 私自身、空手道の稽古を始める17年前の昭和57(1982)年、12歳から柔術と古流の剣術・抜刀術の稽古を始め、その後、現在に至るまで足掛け34年、稽古を続けている。

 このため概算だが上記のようなカウントで計算すれば、空手の稽古での4,000回以上の対人攻防とは別に、さらに最低でも4,000回やそこらは、剣術や柔術の稽古として他者と剣を交え、あるいは取っ組み合いをしてきているわけだ。

 しかしこれもまた、古流武術を専科として日常的に厳しい稽古をしている皆さんからすれば、私の稽古数や質など、まだまだ“ぬるい”レベルであると自覚している。

 なにしろ、34年間で述べ8,000人との稽古と言えば大層に聞こえるが、1日で割ればたった1.5人と稽古をしてきたに過ぎないからである。

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▲多分、昭和61(1986)年頃、剣術稽古中の不肖・市村翠雨。紅顔の美少年と言われた17歳・・・


 ましてや伝統的な日本の古流柔術には数稽古や段捕、古流剣術には立ちきりといった、とんでもなく過酷な稽古があるので、長年に渡り古流を専門とした先達の皆さんが行ってきた稽古の厳しさや経験の深さは、私など到底及ばないものなのだ。

 いずれにしても、私ごとき市井の凡庸な武術・武道人でもこれまでの武術人生で、まあざっと合計して8,000回くらいは、こちらの意思とは無関係に動き回り攻撃や防御をする人間を相手に、殴りあうなり、取っ組み合うなり、剣を打ち合うなりしてきた。

 その上で、未熟ながらも自分で稽古会を主催し、あるいはブログなどで武術論を書き飛ばしているわけだが、いまだに人間を相手にする武術というものの難しさ、厳しさ、そして奥深さを、日々実感している。

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▲平成27(2015)年、水月塾演武会にて、師と共に柳剛流剣術の形を奉納する不肖・市村翠雨(写真右)・・・・・・、年積もって45歳。剣術の形では、打太刀が仕太刀の業を引き立てる対人攻防を通して、剣の理合を体得する


 さて、そこでだ。

 冒頭の私の言葉に戻るわけだが、手裏剣術をはじめ、弓術や印字打ちなど投擲術の致命的な欠陥は、稽古の主体が的打ちであるために、武術に必須である対人攻防の経験が積めないことである。

 残念なことだが、泳ぐことしかできない魚には、空を飛ぶ鳥の動きや気持ちは分からない。

 対人攻防の経験の無い投擲術者には、人と人が自由に闘争を繰り広げる“武術”というものの、本質的な理合や哲学は理解しがたいのである。

 ゆえに繰り返し何度でも強調するが、

“武術としての手裏剣術”を志す手裏剣術者は、必ず対人攻防のある何らかの武術・武道を併行して学び、的打ちの稽古だけでは理解することのできない、間積り、拍子、位、先といった武術の根本原理を、頭だけでなく体で理解・習得する必要がある


 のである。

 なお蛇足ながら、遊戯やレクリエーション、その他武術以外の目的として手裏剣を投げるのであれば、対人攻防の経験など必要ないことは言うまでもない。

 思う存分のびのびと、手裏剣投げを楽しめばよいだろう。

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~鳥の血に悲しめど、魚の血に悲しまず。聲ある者は幸福也~(斉藤緑雨)

 (了)
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涼味を一服/(身辺雑記)
- 2015/05/14(Thu) -
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 ま、なんだ。

 夏みたいな陽気で蒸し蒸ししてるなか、PCにかじりついてばかりじゃあ、気分も滅入るやね。

 とりあえず、薄茶とメリケンサックでもいただこうや・・・。

 (おしまい)
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翠月庵の礼法/(武術・武道)
- 2015/05/13(Wed) -
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 昨日のブログでは、『姿勢と礼法』について、私見を記した。翻って、我が翠月庵の礼法はどのようなものか、改めてここに記しておくことも無駄ではあるまい。

 まず当庵は、手裏剣術を基盤とした武術の「稽古会」であり「流儀」ではない。

 このため伝統的な流儀のような細かな礼法は定めていないが、開庵時より武術人として常識の範囲内での礼法は一通り定め励行している。

 なお、当庵の会員諸子、あるいは定期的な講習会で手裏剣術を指導させていただいている皆さんは、いずれも何らかの武術・武道の有段者や師範であり、武術・武道の未経験者や初心者は皆無なことから、普段、改めて武術の一般的な礼法についてこまごまと指導する必要がないことも、また事実である。

 当然ながら、まったく武術・武道未経験の人が入庵した場合、まずは礼法と稽古中の立ち居振る舞いから指導しなければならないが、幸か不幸かこうしたケースはこれまで1例しかなかった(体験や見学の人には、礼法は指導しません)。


 さて、当庵の稽古は野天で行うため、日常的な礼は立礼となる。立礼には真・行・草があり、「正面」への礼は真、「相互」の礼は行である。また講習等でお招きした方や他流も含めた師範等に対しての礼は、真で行うことは言うまでもない。

 礼の真・行・草が分からないという人は・・・・、お茶の先生に聞いてください。

 なお当庵では、個人の宗教的自由を尊重する観点から、普段の稽古では「神前」への礼は行わず、「正面」への礼にて代替している(奉納演武や参拝、他流・他会派への出稽古の際は、この限りではない)。

 また、例外的に屋内で稽古を行う場合は、当然ながら座礼を行う。この場合も、真・行・草の座礼の別があることもまた同様である。

 
 さて稽古時には、開始時の「始礼」と終了時の「終礼」のみを行い、たとえば打剣の際、いちいち的に向かっての礼は行わない。

 これは、本ブログでも以前から度々ふれているように、武術としての手裏剣術の稽古という点を鑑み、鳥取藩一貫流弓術の「的は敵なり」という教えについて、私なりに敬意を表し当庵の礼法のひとつとして取り入れさせていただいているからである。

~射場に進み的に向ひ礼拝するは何が故か解し難し。神国なれば何処にも神 が存するとするか。最初垜建設之際其の手にて払ひ清めてある筈なれば国民 が武技研究する場所に神がうかうかと存す筈がなし。精神の修養を為させて貰う為とするか。武人は射場に立ちても行往座臥精神の修養は為し居るものの筈又神に祈りて上手に成りたく祈らずば下手になると云ふ様な虚弱な精神 にては物の用に立つこと薄し。的は即ち敵なり。敵に対し敵を得るか敵に得らるるか業を研究する場所に拝礼は不要なり~/ 鳥取藩一貫流弓術 (鳥取大学弓道部誌「矢心」より) 森太志/http://www.hello.ne.jp/tes/Ikanryu/gaisetu01.htm


 一方で、稽古開始時・終了時の正面と相互への礼は、稽古をさせていただく「場」や共に研鑽させていただく先達・同輩・後輩への感謝の礼であり、危険な武具を取り扱う稽古の開始・終了への精神の位取りである。また、体育館や稽古場等への入退室時は、草の礼を行う。

 武具に対する礼としては、刀剣類については稽古時、最初の帯刀時と最後の脱刀時に刀礼(立礼または座礼)を行う。

 一方で手裏剣については、特に礼法は定めていない。ただし、「跨がない」「踏まない」「乱暴に扱わない」「他者に切先を向けない」など、武具として常識の範囲での取り扱いは、初心者の場合には留意して指導している。


 そのほか、稽古途中から参加するものは稽古着を着装の上、代表者が声をかけるまで起立あるいは着座して待つ。稽古中は禁煙、人の前は極力横切らない、刀や手裏剣を使っている人の直後は通らない、的に刺さった剣等を拾っている人がいる場合打剣はしない、などといった立ち居振る舞いがあるが、これらについても武術・武道の稽古をしている者であれば、常識の範囲であろう。


 以上、当庵における礼法や基本的な立ち居振る舞いについて概説したが、これらは武術・武道経験の無い人にすれば、こまごまとやかましいことかもしれないが、武術・武道人であれば普段から空気のように当たり前に行っていることであり、いまさら意識する必要もないほど日常化したものであろう。

 逆に言えば、この程度の礼法が習慣化・日常化していないようでは、まだまだ素人の領域から脱していないヒヨコである。

 なお注意したいのは、これは礼法に限らず所作や業前についても同様だが、武芸において「正しい行い」は流儀・会派によって千差万別であり、「これが絶対」というものはないということだ。

 刀の柄の握り方ひとつとってもA流で可とされることがB流では不可とされ、刀の床への置き方ひとつとってもC流では良い礼とされることがD流では非礼とされることがある。

 ことほどさように、日本の伝統武術は身体文化として多様であり、豊かな広がりを持っているとも言えよう。

 その上でひとつだけ、あらゆる流儀や会派に共通する、絶対的な礼法と所作の共通原理がある。

 それは、他者への敬意である。

 これさえあれば、多少の所作の未熟さや不合理さも許されるであろうし、無用な諍いを引き起こすこともない。

 逆に言えば、どんなに有職故実に則った格式のある立派な形の礼を尽くしたとしても、贅を凝らした接待をしても、その心根に相手への敬意がなければ、それは虚礼であり、非礼であり、結果として「無礼」となるのだ。

 改めて、これを忘れることなく日々の稽古と生活に臨まねばと、自戒を込めて結びとしたい。

 (了)
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姿勢と礼法/(武術・武道)
- 2015/05/12(Tue) -
 先日、取材で整形外科医と話しをしている際に聞いて驚いたのだが、最近、しゃがめない子供がいるそうな。

 しゃがめない・・・。

 ?????

 すんません、ちょっと理解不能である。


 よっく話しを聞いてみると、足首や股関節が硬くてしゃがめず、無理にしゃがもうとすると、後ろに転んでしまうのだそうな。そして、こういう子供たちは蹲踞の姿勢をとることもできず、正座もできないことが少なくないという。

 む~ん、怖ろしいことだ。

 しかし逆に言うと、関節が硬いというのが理由だけに、成人して骨が硬くなる前に、しゃがむ稽古、蹲踞する稽古、正座する稽古をすればできるようになる、ということでもあるらしい。

 そういう意味で、幼少の頃から武術・武道に親しむのは良いことだと思う。


 ときどき勘違いしている人がいるが、日本の伝統武術は単なる格闘術や戦闘術、あるいは底の浅い殺人術などではない。

 それは、伝統的かつ総合的な日本固有の身体文化の体系であり、行動科学である。

 ゆえに、捏造や創作ではない伝統武術には、武技の稽古以前に必ずそれぞれに固有の礼法があり、そこで正座や跪坐、折敷、安座、蹲踞、居合腰など、さまざまな座り方や姿勢を学ぶことになる。

 礼法の教育がない武芸というのはありえないわけで、そこがいわゆる格闘技との大きな違いであろう。

柳剛流礼法1_IMG_0896
▲仙台藩伝柳剛流の礼法。形の前に必ず股立をとる


 また武芸で学ぶ姿勢・礼法には、無駄のない「用の美」がある。

 それは、武芸と並ぶもうひとつの日本文化の精華である茶道の礼法とは、また一味違った厳しく自律的なものだ。

 たとえば居合の形を行ずる際、各流派ごとの刀礼が必ず行われるが、そういった所作の品格で、ある程度その人の業前まで推察できるのはご存知の通りだ。

柳剛流居合刀礼_IMG_0913
▲仙台藩伝柳剛流の刀礼。ま、アタシはこの程度のレベルです・・・


 そして、鍛えられた「位」のある礼法は、武人同士の間では実体を持った「術」となる。

 この辺りの感覚は、分からない人にはまったく理解できないだろうが、武術に親しんだ人であれば容易に感得できるであろう。

柳剛流礼法2_IMG_0897
▲師の見事な姿勢に比べ、私の姿勢の未熟なこと・・・。すでに完全に、「位詰め」されています


 礼は異を分かつ。

 味わい深い箴言である。

 (了)
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百聞は一見に如かず、百見は一触に如かず/(武術・武道)
- 2015/05/11(Mon) -
 「不立文字」
禅宗の根本的立場を示す語。悟りの内容は文字や言説で伝えられるものではないということ。仏の教えは師の心から弟子の心へ直接伝えられるものであるという以心伝心の境地を表したもの。ふりつもんじ。:デジタル大辞泉より



 前々回の本ブログで報告した通り、先日、国際水月塾武術協会・小佐野淳先生のご指導の元、仙台藩伝柳剛流の剣術と居合を富士北口諏訪明神社に奉納演武させていただいた。

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▲柳剛流剣術、「右剣」


 柳剛流といえば「断脚之術」、脛斬りで知られるわけだが、実伝として学び稽古をするほどに、流祖が工夫し先達が修練を続けた深い術理をひしひしと感じることができる。

 こればかりは実伝を受け、稽古しなければ分からないものだ。

 私自身、小佐野先生にご指導をいただく以前から、柳剛流には深い関心を持ち、その「断脚之術」についてもあれこれ考えをめぐらしてきたことは、本ブログの古い記事に書いてある通りである。

 しかし実際に学ぶことで、それまで耳学問のみで妄想していたことが、どれほど的外れで陳腐であったか、今となっては己の不徳を実感するばかりだ。

DSCN0681_柳剛流居合
▲柳剛流居合、「左行」


 武芸が身体文化である以上、師から受ける実伝とその後の稽古の反復なしに、その「術」や「理合」を感得することはできない。

 ましてや武術の「思想」や「哲学」を語るのであれば、いずれかの武芸に熟達した上で、自流の伝書や添え書きを深く考察することはもちろん、さらに広く武芸・兵法に関する和漢の典籍を通し先達に学ぶ必要がある。

 武術人の素養として、『五輪書』や『兵法家伝書』、『不動智神妙録』、『天狗芸術論』や『猫の妙術』など初学者向けの基本書籍はもちろん、『剣説』や『剣微』くらいは読んでおくべきであろう。また、「神武不殺」という日本武芸の根本精神を知るためには、その原典である周易繋辞伝や老子などにも当たらねばなるまい。あるいは兵法については、最低でも『孫子』、『三略』、『六韜』は読み込んでおくべきであろう。

 ところが、二刀を語るのに『五輪書』すら読んだことが無い者、剣禅一如を論ずるのに『兵法家伝書』も知らないという者がいることも、また事実でもある。


 翻ってみると、近年はネットにさまざまな情報があふれ、原著や典籍に当たらず、お手軽なダイジェストに簡単にアクセスすることができる。あるいは、他流の形の演武を簡単に動画で見ることができ、それどころかかつての高手名人の業を、自宅に居ながらにしてパソコンで見ることさえもできる、なんとも便利で、しかし軽い時代だ。

 私などその昔、旧師に「○○流の××という業を見せてほしい」などと言ってしまい、「十年早い!」と足腰立たなくされたことがあったっけ・・・・・・(爆)。今考えれば、なんと無礼で世間知らずな小僧であったことか、冷汗三斗の思いである。

 閑話休題。


 いずれにしても、ネットに転がっている情報は、テキストにせよ画像・動画のたぐいにせよ、所詮二次的なものに過ぎない。

 身体文化は「百聞は一見に如かず、百見は一触に如かず」というリアルな世界であり、最低でもその「一触」なしでは一知半解が関の山であり、「術」や「業」、「動き」の本質を感得することはできないであろう。

 実伝を通してたゆまぬ稽古を重ね、さらに加えて古今の典籍を通して多くの先人の教えを学ばねば、武術という総合的な身体文化を習得し理解することはできないのである。

 こうした学びの階梯とバランスを誤ってしまうと、実技・実力の伴わない「耳学問」に、あるいは逆に品位と教養を軽視した「稽古着を着たゴリラ」に陥ってしまう。

 私は記者という職業柄、エビデンスやロジックを重んじる立場であるけれど、畢竟、武芸の本質は「不立文字」であることもまた事実である。

 一振りの素振り、一打の打剣、一度の形に深く意を注ぎながら、さらに広く古今の典籍に学ぶ。

 こうした、文武兼備の姿勢を大切にしたいと思う。

 (了)
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琉球の銘酒に酔う/(身辺雑記)
- 2015/05/09(Sat) -

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 門下のYさんから、沖縄土産の泡盛を頂く。

 なにがうれしいかって、門下の業前が上がるのと、到来物の旨い酒ぐらいうれしいものはない(爆)。

 旬のホタルイカを肴に、ロックでいただきました。


 琉球の銘酒の旨さに酔ったところで、ローハイの形でも打って、今晩はやすみましょう。

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▲松村ローハイではなく、玄制流のローハイである。そこんとこ、世露死苦!

 (おしまい)
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水月塾主催 第30回諏訪明神社奉納演武会/(武術・武道)
- 2015/05/06(Wed) -
 5月5日(火曜)、国際水月塾武術協会主催の第30回諏訪明神社奉納演武会に、本部会員の一員として参加させていただいた。

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▲演武で用いる武具の数々


 前日から甲州入りして事前の稽古を行う。夜には、しとしとと雨が降ったものの、演武当日は初夏らしい空気の澄んだ晴れとなり、絶好の演武日和となった。

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▲北口本宮富士浅間神社の拝殿


 演武会場となる富士北口諏訪明神社は、北口本宮富士浅間神社の一角にある。まずは北口本宮富士浅間神社にて、小佐野淳先生以下、師範・先輩方とともに安全祈願の正式参拝を行い、午後1時から演武が始まった。

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▲今回の演武は第30回になるという


 私は、小佐野先生に打太刀をとっていただき、柳剛流剣術の「右剣」、「左剣」、「飛龍剣」、「無心剣」、「中合剣」の仕太刀を務めさせていただいた。

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▲柳剛流剣術


 さらにその後は、柳剛流の居合として、「向一文字」、「右行」、「左行」、「後詰」、「切上」の五本の形を演武奉納した。

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▲柳剛流居合
 

 本演武会では、最高師範である小佐野先生はじめ、師範や先輩方による数々の古流の演武が行われ、居合だけでも警視流、柳剛流、荒木流、神道無念流、関口流と5流派の業が奉納されたのは圧巻であった。

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▲小佐野先生による関口流の演武


 それ以外にも、穴澤流の薙刀、力信流や天道流の組太刀、日本柔術、中国武術・金鷹拳が披露され、水月塾が伝承する貴重な伝統武芸の多彩さを、改めて実感させるものであった。


 演武の終了後は、師範や先輩方とともに、小佐野先生のご自宅を訪問。

 今回、初めてお邪魔した師のお住まいは、まさに武術の殿堂、私設博物館といった趣きであった。長年に渡って、稽古・研究のために収集された武具の数々が所狭しと並び、無数の貴重な伝書や資料の数々とともに、我々、武芸を志す者としては、何時間拝見していても飽きないのものである。

 その後は、先生お薦めのシュタインベルクやトカイ・アッス・エッセンシアの芳醇かつ極上な味わいを堪能しながら、武芸はもちろん、旅行、食事や酒、骨董や西洋アンティークなどについてもたいへん造詣の深い先生の楽しいお話しを伺いながら、リラックスした雰囲気の中で、贅沢なひと時を過ごさせていただくことができた。

 稽古、演武、そして先生のお宅訪問と、実に充実した2日間であった。

 (了)
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ざんげの値打ちもない/(身辺雑記)
- 2015/05/02(Sat) -
 生来、だらしのない酔っ払いながら、愚か者は愚か者なりに生きていれば、それなりの経験知を積み重ねるものだ。

 まだヒヨコの頃、台所にあった親父のダルマを盗み飲みして以来、酒を飲んでの失態には枚挙の暇がないけれど、ひとつ最近心がけているのは、酔っ払ってパソコンに向かったら、ブログやSNSへの書き込みなどは極力しないということ。

 往々にして酔っ払って書いたものというのは、そのときはゴキゲンでこじゃれたことを書いたつもりになっているが、後で読むと、こっぱずかしいことや、くだらないことばかりで、ま、素面で読んだら赤面する駄文であるのが関の山である。

 にもかかわらず、酒を飲むとついついyoutubeで昭和の懐メロなどを聞きたくなり、そこでさらに楽しくなり、「タハ、オモチロイ・・・」などと一人ごちながら、アルコールに海馬まで犯された頭で駄文を書き散らし、翌朝それを見て、頭を抱えることになるのである。

 もう何度、この詩を口ずさんだことか・・・・。朔太郎先生、ありがとう。


 「宿酔の朝」(萩原朔太郎)

 泥醉の翌朝に於けるしらじらしい悔恨は、病んで舌をたれた犬のやうで、魂の最も痛痛しいところに噛みついてくる。夜に於ての恥かしいこと、醜態を極めたこと、みさげはてたること、野卑と愚劣との外の何物でもないやうな記憶の再現は、砒毒のやうな激烈さで骨の髓まで紫色に變色する。

 げに宿醉の朝に於ては、どんな酒にも嘔吐を催すばかりである。ふたたびもはや、我等は酒場を訪はないであらう。我等の生涯に於て、あれらの忌忌しい悔恨を繰返さないやうに、斷じて私自身を警戒するであらう。と彼等は腹立たしく決心する。

 けれどもその日の夕刻がきて、薄暮のわびしい光線がちらばふ頃には、ある故しらぬ孤獨の寂しさが、彼等を場末の巷に徘徊させ、また新しい別の酒場の中に、醉つた幸福を眺めさせる。思へ、そこでの電燈がどんなに明るく、そこでの世界がどんなに輝やいて見えることぞ。そこでこそ彼は眞に生甲斐のある、ただそればかりが眞理であるところの、唯一の新しい生活を知つたと感ずるであらう。しかもまたその翌朝に於ての悔恨が、いかに苦苦しく腹立たしいものであるかを忘れて。

 げにかくの如きは、あの幸福な飲んだくれの生活ではない。それこそは我等「詩人」の不幸な生活である。ああ泥醉と悔恨と、悔恨と泥醉と。いかに惱ましき人生の雨景を蹌踉することよ。


 (了)
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