断脚之術、あれこれ/(柳剛流)
- 2015/06/29(Mon) -
■本日の稽古備忘録

 最近、屋内での稽古が多かったので、本日は屋外で剣術を中心に稽古。

 柳剛流の根本ともいうべき切紙の剣術形「右剣」と「左剣」をみっちりと行う。

 巷間、当流においては「断脚之術」と称された脚斬りが最大の特長と言われるし、実際に稽古をしていてもその通りだと思う。しかし実伝として流儀の形を稽古すればするほど、実はそれ以上に重要なのが、脚斬りの前後にある体捌きと運足であることを実感する。

 この体捌きと運足は、柔術でいうところの「崩し」や「作り」であり、手裏剣術でいえば「手離れ」にあたる、いわば「術」の根幹である。

 この体捌きと運足の口伝があるからこそ、「術」としての脚斬りが活きた業になるのだ。単に反射神経と身体能力だけに頼って、ただ飛び込んで足を斬るような当てっこの技とは、次元がまったく違うのである。

 あるいは脚を斬った後についても、古伝の形にはそこに確固とした「術」がある。

 「脚斬りは上段に隙ができる。ゆえに『死太刀』である」という批判・弱点を、流祖は当然十分に理解した上で、それに対する、いやむしろその弱点を活かして業とする術理を編み出し、それを伝来の形として後世に伝えたのだ。


 こうした柳剛流の「断脚之術」に不可欠な体捌きと運足について、過日、剣道の有段者・師範の武友たちとの交流稽古で、少々、実習・検証させてもらった。そこでもやはり、「この体裁きと運足があるからこそ、脚斬りが活きる!」ということを実感することができたし、撃剣稽古に習熟した剣道家の武友たちも多いにその有効性と意義を認めてくれた。

 もっとも柳剛流は、そもそも撃剣稽古でその名を馳せた流儀なのだから、それも当然と言えば当然であろう。


 形稽古では、脚斬りの際も刃筋がしっかりと立つように意識しておくことが重要だ。一般的な袈裟斬りに比べると、脚斬りはより平打ちになりがちである。

 ことに左袈裟(向かって1~2時から7~8時方向へ斬下げる)の脚斬りは、すぐに刃筋が狂うので十分な注意が必要だ。左袈裟よりも右袈裟の方が、刃筋が狂いにくいのは、普通の袈裟斬りでも脚斬りでも同様である。

 (了)
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まさかこんな時代が来るとはねえ・・・/(時評)
- 2015/06/28(Sun) -

日本国憲法第21条第1項
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。



 まったく、自分が生きている間に、こんな時代が来るとは思わなかったのは、場末のロートルとは言え取材記者としての自分の先見性の無さを恥じる。

 議会制民主主義に基づいて、国民の負託を得た政府や政権与党が、これほどあからさまに言論弾圧をする時代が到来するとは、いやまったく驚きである。


 1990年代後半から2000年代の初めにかけて、私は中東の民族紛争を自分の取材テーマとして、彼の地で何度か金にならない自腹での取材活動をしたり、38度線を越えて北朝鮮で取材したりもした。

 たとえば当時のシリアは、先代のアサド大統領が健在の時代だったが、言論の自由などまったくなく、とにかく行く先行く先で秘密警察の監視が厳しく、取材どころか世間話をするにも緊張感が必要だった。

 あるいは北朝鮮では、基本的に外国人記者が滞在する宿泊施設には、すべてに盗聴器が仕掛けられているので、自室内で外国人記者同士といえども、自由に会話をすることもはばかられたし、当然ながら一般市民の自由な言葉など、聞くことさえできなかった。それどころか、国境を越える前に通訳から「絶対に金正日と呼び捨てで呼ばないでください。自分の部屋の中ででも、独り言ででも絶対にだめです。必ず、金正日将軍と呼んでください!」と、本気で忠告された。

 イラク北部のクルドゲリラの解放区への潜入を試みた際には、トルコの秘密警察に国境でたいへん紳士的に軟禁され、丁寧にトルコ領内に連れ戻されたことがあった。その際、ジュントルネスな警官氏に、「なんでオレのこと知ってんの?」と聞いたところ、「ずっと監視してたんだよ。あんた、イスタンブールで反政府系の新聞社にいただろう」と、私の取材活動はすべて監視されていたのだった。

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▲中東をうろうろしていたころのパスポート。いまはどうか知らないが、当時は独裁国家ほど、ビザのスタンプがでかかった・・・



 とまあ言論の自由がない国というのは、ことほどさように陰鬱で暗い社会であり、それは必ず権力による監視社会につながるんだが・・・。


●大西英男衆院議員(東京16区、当選2回)

 「マスコミを懲らしめるには、広告料収入がなくなるのが一番。政治家には言えないことで、安倍晋三首相も言えないことだが、不買運動じゃないが、日本を過つ企業に広告料を支払うなんてとんでもないと、経団連などに働きかけしてほしい」

●井上貴博衆院議員(福岡1区、当選2回)

 「福岡の青年会議所理事長の時、マスコミをたたいたことがある。日本全体でやらなきゃいけないことだが、スポンサーにならないことが一番(マスコミは)こたえることが分かった」

●長尾敬衆院議員(比例近畿ブロック、当選2回)

 「沖縄の特殊なメディア構造をつくったのは戦後保守の堕落だ。先生なら沖縄のゆがんだ世論を正しい方向に持っていくために、どのようなアクションを起こすか。左翼勢力に完全に乗っ取られている」

●百田尚樹氏

 「本当に沖縄の二つの新聞社は絶対つぶさなあかん。沖縄県人がどう目を覚ますか。あってはいけないことだが、沖縄のどっかの島でも中国にとられてしまえば目を覚ますはずだ」
 



 とりあえず、この議員たちに投票した人や、この作家の本を買った人たちというのは、言論の自由や表現の自由をどう考えとるんだろうね。

 これら若手議員の発言だけでなく、政府自民党は先の選挙前に報道各社に「通達」という形式で圧力をかけるなど、とにかく言論統制や弾圧があまりにもあからさまだ。

 また、これは地方のニュースなので関東圏でない人はあまり知らないと思うけれど、埼玉県さいたま市の公民館・教育委員会が、護憲派のデモをテーマにした俳句の公民館だよりへの掲載を拒否して裁判となっている。

 往々にして行政の人間というのは、時の政府与党や地元の権力者の動きに敏感なので、頼まれてもいないのに政治家の意向を「忖度(そんたく)」したがるものなのである。

 ゆえに、このさいたま市の公民館・教育委員会のように、簡単に言論統制を始めてしまうのだ。

 埼玉といえば、明治政府の圧制に叛旗を翻し自由自治元年を謳った「秩父事件」で、その名を歴史にとどめている場所にもかかわらず、この体たらくである。

 草葉の陰で井上伝蔵が泣いていると思うのは、私だけではあるまい。


 護憲にせよ改憲にせよ、集団的自衛権に賛成にせよ反対にせよ、それらの議論とそれに基づいた政策決定、民主主義の根幹を担保しているのが、言論の自由であることを忘れてはならない。

 あんまりこういう政治向きの話題は、ここでは書きたくないのだが、あまりにも最近、言論統制や言論弾圧があからさまなので、場末の記者として思わず書き連ねた次第。

 (了)
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深夜の稽古/(武術・武道)
- 2015/06/28(Sun) -
■本日の稽古備忘録

 単行本と対談原稿の締め切りが重なり、やむを得ず土曜の定例稽古は休み。23時過ぎにようやく仕事がひと段落したので、いつもよりも長めに自宅稽古。

 ただし、この時間、外で木太刀や杖を振り回したりすると、巡回中のお巡りさんに声をかけられそうなので屋内にて。

 時間が時間なので、下の部屋から苦情がこないように、飛び違えてもふわりと着地するように稽古するのが、ちょうどよい負荷のかかる鍛錬になる(苦笑)。

・手裏剣術/二間座打、正座と跪坐での打ち分け。手裏剣術の三殺法と肘の伸ばし具合に留意。

・柳剛流/居合。基本となる一本目・向一文字を丁寧に。右行、左行、後詰の体捌きもじっくりと。
     /剣術。形、備之伝、備フセギ伝のおさらい。
     /突杖。初太刀をいかに正しく捌くかに留意。杖の伸び縮み、彼我の間合いも考慮のこと。

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▲二間座打(正座)で、三寸的を板金を打つ心持にて


 さて、風呂入って晩酌して寝よう。

 明日は対談のテープ起こし(所要2時間)のあと、単行本の原稿17枚(所要9時間)・・・・・・。泣けるゼ。

(了)
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ATG的昭和世界/(映画)
- 2015/06/26(Fri) -
 先日、某KO大学でルーチンのインタビューをした際、カメラマンのOさんと黒澤映画の話で盛り上がった。

 Oカメラマンは私よりも半世代かひと世代上の人だからか、「黒澤の『どですかでん』とか見ると、子供のころ過ごした昭和の景色のイメージを感じるんだよね」と話していた。

 そういう意味では、私が自分の少年時代(昭和40年代後半から50年代)を感じるのは、ATGの映画の数々だ。

 なかでも名作の誉れ高い『祭りの準備』や『遠雷』などを見ると、昭和時代の地方特有の閉塞感ややりきれなさを、とてもリアルに感じることができる。

祭りの準備
▲『祭りの準備』。1975年製作・公開。黒木和雄監督、江藤潤主演。昭和30年代の高知県中村市(現:四万十市)を舞台にした脚本家中島丈博の半自伝的作品。芳雄ちゃんの小汚さがいい。ラストシーンの「ばんざ~い! ばんざ~い!」にぐっとくる


 あの汗臭さというか、ねっとりとした人間関係とか、性しか関心のない田舎の生活のつまらなさとか、それらの総体としてのある種の「湿気」が、いかにも昭和の地方なんだよな・・・、などとと感じるのである。

 若いころは、こうした昭和の田舎特有の湿気的世界が嫌で嫌でしょうがなかった。さりとて、「オラ、東京さいくだ」というほど東京への憧れもなかった、というかそういう「東京にあこがれる感性」そのものが、湿気にまみれたイケてない生き方だとも思っていた。

 結局、学校を出て就職した某アルソックを辞めて、ユーコン河やタクラマカン沙漠、パミール高原など海外の辺境をほっつき歩く生活をはじめたのも、こうした日本の湿気的世界が嫌で、浅井慎平風に言えば「乾きたかった」からなのだ。

遠雷
▲『遠雷』1981年製作・公開。根岸 吉太郎監督、永島敏行主演。都市化の波が押し寄せる東京近郊の農村地帯を舞台に、トマト栽培をする青年の姿を描く。石田えりの真っ白い下着のイケてなさが、昭和を切なく感じさせる。ま、そういう時代だったんだよ、バブルの前の昭和ってのは


 ところが五十路も目の前にならんとする今、改めてこれらの作品を見ると、なんだかそこに描かれる湿気や閉塞感、イケてなさがとても懐かしいのである。

 そこには、私が少年時代をすごした昭和の風景と匂い、あの湿気のある世界がそのままに残っている。郷愁とは、いつも優しいものだ。


 ま、私も年をとったということか・・・。

 それにしても、『竜馬暗殺』、『祭りの準備』、『遠雷』、『田園に死す』を立て続けに見ると、さすがにお腹いっぱいになるね。

 昭和は遠くなりにけり。

 (おしまい)

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ウィキペディアの柳剛流/(柳剛流)
- 2015/06/25(Thu) -
 ウィキペディアにある柳剛流関連の記載で気になること・・・。


1) 柳剛流および流祖のページで、流祖の諱が「寄良」になっている。
→現在確認できる碑文や伝書では「奇良」としているのが一般的であり、「寄良」という表記は例外的。よって、「奇良(ヨリヨシ)」とするのが妥当であろう。
2) 柳剛流のページで、「宮城県で現在も伝承されており、~」となっている。
→現状で宮城県内での伝承を聞かないが、あるのだろうか・・・?
3) 柳剛流のページで、「現在宮城県古武道協会に「柳剛流柔術」として加盟している」となっている。
→同協会のURL更新時に削除されたようで、当該協会の新URLには加盟の記載がない。
4) 流祖のページで、「通称、惣右衛門、十内」とある。
→流祖・岡田惣右衛門奇良と、同流の代表的剣客・岡田十内叙吉を混同している。両者は同姓の別人で、十内は惣右衛門の孫弟子。この間違いは、大正元年に編纂された『埼玉県史上巻』等の誤記がそのまま伝わっているものであろう。


 ざっと、こんな感じだが、私はウィキペディアの編集の仕方が分からないので、きっといつか誰かが訂正してくれるでしょう・・・、たぶん。

 (了)
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柳剛流の起請文/(柳剛流)
- 2015/06/24(Wed) -
 過日、幸手市剣道連盟の柳剛流稽古会を訪ねた際、幸手市立図書館に立ち寄った。

 そこで図書館収蔵の『幸手市史(近世資料編Ⅰ)』を確認したところ、柳剛流に関するいくつかの資料があった。

 なかでも、流祖・岡田惣右衛門奇良の直弟子で松田派柳剛流の剣一世である松田源吾義教が、天保8(1837)年に門人と交わした起請文は、初めて見るものであったのでここに掲載する。



   起証文之事
柳剛流剣術棒

一、 武術之儀は護国之
一、 具忠孝之緒互励心得可有事
一、 武者身を脩るの儀なけは聊も争心可有事なかれ、争心有者は必喧嘩口論に及へは亦刃傷に至らんも難計、武道を学人は心の和平なるを要とす、去は短気我儘なる人は却而武道を知らさるをよしとす、大抵人之行ひ正敷して其上に武有はよし、行い正しあらさる時武有は人をも害あるのみならず、己をも害する事出来者也
一、 他流を誹る事、なかき無益の雑談する事、なかき礼儀正敷可為脩行事
一、 武道は生死を瞬息の間に決するの業なれは其道決すれはあるべからす、法の委鋪は学の熟するにあれは、流儀に入者は其極に至し事を願ふべきもの也
右之条々於相背は梵天帝釈四天王総而日本国中六十余州大小之神祇、殊伊豆箱根両所権現、三嶋大明神、八幡武大神、天満大自在天神、摩利支尊天部類眷属神罰冥罰可蒙者也、仍而起証如件
  于時
天保七丙申年
                                     柳剛流元祖
                                           岡田惣右衛門尉
                                                  源奇良
                                                   松田源吾
                                                   良教 印
                                           松田門人
                                               綱嶋武右衛元治
                                               同 猪 古 馬
                                               堀江庄作
                                               岡村豊吉
                                               中嶋七蔵
                                               赤山畠之助
                                               綱島縵谷
                                               森谷八重蔵
                                               星野茂太郎
                                               星野平次郎
                                               利根沢源蔵
                                               真田継治郎
                                               鈴木満太良

                                                (綱島家文章)




 内容としては、古流一般によく見られるものであるが、本起請文が記されてから178年後の現在、流儀の末席にいる者としてたいへん興味深く、また襟を正して読ませていただいた。

 「武道を学人は心の和平なるを要とす」

 「武道は生死を瞬息の間に決するの業なれは其道決すれはあるべからす、法の委鋪は学の熟するにあれは、流儀に入者は其極に至し事を願ふべきもの也」

 など、いずれも万古不易の武の教えだとしみじみ思う。

 (了)
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流祖生誕の地に息づく断脚之太刀~幸手市の柳剛流を訪ねる/(柳剛流)
- 2015/06/22(Mon) -
 埼玉県幸手市は、江戸の頃は日光街道の宿場町として栄えた、現在は人口約5万2000人のやや小ぢんまりとした首都圏郊外の町だ。

 今から250年前の明和2(1765)年、この地(武州葛飾郡惣新田。現在の幸手市惣新田)に生まれた岡田惣右衛門奇良は、はじめに心形刀流を学び、後に廻国修行の折り、風に折れぬ柳の枝の柔よく剛を制す様子から、自らの工夫編纂した武術を「柳剛流」と号した・・・・・・。


 今回は、柳剛流の流祖生誕の地である埼玉県幸手市で、今も同流の稽古を続ける先生方にお会いし、流儀に関するお話を伺うことができた。

 平成10年代、幸手市では岡安派柳剛流の剣三世・岡安尚の門人であった岡安源一先生と宮澤裕彦先生を中心に、柳剛流の復活と保存の機運が高まった。これを受けて、両師と幸手市剣道連盟が一体となり、柳剛流の形の研究と復元が計られ、7本の剣術形が復元され、稽古されるようになった。

 平成14(2002)年には、埼玉県伝統武術連盟主催の第三回埼玉県伝統武術演武大会にて、千葉仁先生(剣道錬士六段)と持田征男先生(剣道錬士六段)らによって、柳剛流剣術が披露された。これは埼玉県内で行われた柳剛流の演武としては、71年ぶりの快挙であったという。

 以上の情報は、辻淳氏著『幸手剣術古武道史』に記載されているが、その後、当地での伝承はどのようになっているかなどを伺うべく、幸手市武道館に千葉・持田両先生をお訪ねし、まず以下の点についてお話を伺った。

Q.幸手市剣道連盟伝の柳剛流については、どの系統の形を復元したものなのか?
A.岡安源一先生が所持していた、宮城県角田地方に伝わる柳剛流剣術形の映像を基本に、岡安・宮澤両先生が学んだ岡安派剣三世・岡安尚師の指導内容の記憶も加味して、剣術形七本を研究・復元した。

Q.現在、復元・稽古されている形はどのようなものか。
A.礼法と剣術形七本(1.青眼右足刀、2.青眼左足刀、3.飛柳(龍)剣、4.無心剣、5.中合刀、6.右頸、7.左頸)。

Q.伝書や武具(木太刀)など、伝来品や資料の有無。
A.木太刀など武具の伝来品はなく、一般的な剣道用の木刀にて稽古をしている。資料としては、岡安源一先生が所蔵している『一條家系譜探訪』という資料がある。免許の伝書については、10数年前、研究者を名乗る人物に貸し出したまま、返却されずに今に至っているとのこと・・・・・・。

Q.現状でどの程度の規模(人数や頻度)で稽古をしているのか?
A.千葉・持田両先生の指導の下、現在4人の大学生が稽古をしているとのこと。定例の稽古は、毎月1回、第4日曜の午後1時より、幸手市武道館にて実施。毎年1回、幸手市武道館の武道館祭りにて、演武を行っているとのこと。

Q.その他。
A.こちらの伝では、打太刀を「内」、仕太刀を「利」とよんでいる。掛け声は、内も利も「エイ」「エイ」の二声である。

Q.柳剛流の読み方/呼び方について。
A.岡安派柳剛流剣三世・岡安尚の直弟子であった、岡安源一先生も宮澤裕彦先生も、ともに「リュウゴウリュウ」と、「ゴ」の字はにごって読み/呼んでいた。


 以上の質疑で最も重要な点は、復元のための基礎材料となった、宮城県角田で撮影されたという映像についてである。果たしてこの映像で演武をしているのは、角田在住のどなたなのだろうか?

 これについては、残念ながら千葉・持田両先生はご存じないとのことで、現在ご高齢のため静養されていらっしゃるという岡安源一先生に、後日確認をした上で、結果をお知らせくださるとのことであった。

 さて、私が小佐野淳先生より学んでいる仙台藩伝柳剛流は、宮城県角田にて伝えられた柳剛流二代・岡田(一條)左馬輔信忠以来の剣術・居合・突杖・長刀で、これを小佐野先生は佐藤健七師より学んでいる(流祖・岡田惣右衛門奇良~岡田左馬輔信忠~斉藤主計清常~泉富次~佐藤金三郎~佐藤健七~小佐野淳~市村)。

 一方で、千葉・持田両先生が伝えている剣術形も、(映像にて)形を伝えた個人は特定できないものの、同じ角田地方の伝であるという。

 たしかに、たとえば礼法については、小佐野先生の伝も千葉・持田両先生の伝も、ほぼ同じ所作である。

 しかしながら、

・柳剛流の根本ともいえる、切紙で学ぶ二本の剣術形の名称が、小佐野先生の伝では「右剣」「左剣」であるのに対し、千葉・持田両方先生の伝では「右頸」「左頸」と異なっている(伝書類を見ると、確認できる範囲すべてで「右剣」「左剣」となっており、「右頸」「左頸」という記述の伝書は、いまのところ見られない)
・小佐野先生の伝では剣術形が合計8本あるのに対し、千葉・持田先生の伝では7本と1本少ない
・一部形の名称の漢字表記が、小佐野先生伝と千葉・持田先生伝で異なる
・実際に形の演武を拝見させていただいたところ、各形の理合・勝口の大筋はほぼ同一ながら、運足や体捌き、斬撃位置などが、それなりに異なっている

 などの点を考慮すると、これはあくまでも私の推測だが、同じ角田地方の伝でも、幸手で復元された柳剛流の基本材料となった映像資料で演武をしている方は、佐藤健七師ではなく、別の柳剛流継承者だったのではないかということだ。

 あるいは、幸手の映像資料で演武しているのが同じ佐藤師であったとしても、復元に際して相当部分、岡安派の理合や伝承を盛り込んだのではないかということも、十分に考えられる。

 ただ、私の手元にある資料記載の岡安派の伝書を確認すると、いずれも切紙の剣術形の名称は「右剣」「左剣」となっているので、やはり同じ角田地方の伝でありながら、異なる師伝による復元である可能性が高いのではなかろうか。

 いずれにしてもこの件に関しては、後日、岡安源一先生からのご回答を期待するところである。

 また稽古に使う木太刀についても、残念ながら千葉・持田両先生の知るところでは、古いものは無いとのことであった。しかし、岡安源一先生が何かお持ちになっているかも知れないということで、これもご確認していただいた上で、後日、連絡をいただけることとなった。

 さてもう1つ、これは少し意外だったのは、柳剛流の読み方/呼び方についてである。

 これまで、私が調べた中では、柳剛の「ゴ」の字はにごらず、「リュウコウリュウ」と読む/呼ぶという伝がほとんどだったのだが、岡安派剣三世の直弟子であった岡安源一先生も宮澤裕彦先生も、ともに「リュウゴウリュウ」と、「ゴ」の字はにごって読み/呼んでいたという。

 さてさて、結局どちらが正しいのか、何やらまた振り出しに戻ってしまったようである・・・(苦笑)。



 一通りお話を伺ったあと、千葉・持田両先生による剣術形を拝見させていただいた。

 私が学ぶ仙台藩伝の形とは趣や術理が異なる点も少なくないが、先にも書いたように、大筋ではそれぞれの形の流れ・大意はそれほど大きく異なっていないことが分かった。

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▲内・千葉先生、利・持田先生による形「右頸」。相手の脛を斬る瞬間


 また今回の訪問では、お話を伺い形を拝見させていただくのと合わせて、「一條家系譜探訪 柳剛流剣術」(一條昭雄 編)という貴重な資料2種を、いただくことができた。

 1つは仙台藩伝の祖となる、柳剛流二代・岡田(一條)左馬輔信忠の家系とその事跡を追った資料である。このなかでは、角田系の柳剛流の伝書(切紙・目録・免許)が複数記載されているのが、非常に興味深い。これらについては、稿を改めて本ブログで報告するつもりだ。

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▲「一條家系譜探訪 柳剛流剣術」(一條昭雄 編)記載の、柳剛流の切紙。岡田(一條)左馬輔が弘化3(1846)年に出したもの。突杖は「突」と記され、多くの伝系にある「抜留」の形が無い。居合形も、岡田十内はじめ柳剛流第三世代の師範家が出した切紙では計5本なのが一般的だが、この切紙では「後詰」と「切上」が無く、計3本となっている。また「備之伝」にも変動があるなど、たいへん興味深い


 また、同じタイトルの別冊子には、千葉・持田両先生がご指導されている柳剛流剣術形7本の解説がまとめられており、事跡研究だけではなく、むしろ実技の稽古が目的の中心である私のような者にとっては、非常に貴重で参考になる資料である。

 以上、今回の訪問調査の結果を駆け足で取りまとめたが、次は8月2日(日曜)に、幸手市武道館で開催される武道館祭りの演武の際、見学にお邪魔させていただくことを約束させていただき、武道館を後にした。



 末筆ではありますが、同流とはいえ師伝の異なる稽古者である私を快く迎えてくださり、お話や形を披露してくださった、千葉仁先生と持田征男先生に、心よりお礼を申し上げます。ありがとうございました。

 また、他会派との交流・研究調査に関して快くご許可をくださった、我が師である小佐野淳先生にも、この場を借りて感謝を申し上げます。ありがとうございました。

 (了)
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合気を外し、枕を押える/(武術・武道)
- 2015/06/20(Sat) -
 何事につけてもタイミング、拍子というものは大切だ。

 「なすべき時」の拍子を外してしまうと、本来なら容易にできるはずのことも誤ってしまう。

 これは、武術・武道に限らず、仕事にしても、人間関係にしても、買い物や調理・食事といった些細な日常生活の上のできごとにもあてはまるものだ。もちろん、色恋沙汰にもネ・・・・・・(苦笑)。

 逆に言えば、相手の「なすべき時」を外してしまえば、難敵の厳しい攻めも、未発のうちに容易に制することができる。

 いわゆる「合気を外す」というやつですな。



 合気の外しかたについて、一刀流の高野佐三郎師は、

 「敵強く来たれば弱く応じ、弱く出ずれば強く対し、青眼にて来たれば下段にして拳の下、上り攻め、下段にて来たれば青眼にて上り太刀を押える、というように合気を外して闘うを肝要とす」

 と教えている。

 そして、合気を外すことと同時に、枕を押えることもまた重要だ。

 中澤流神伝護身術の流祖である中澤蘇伯師は、その著書『護身術奥義』の中で「合気法」として、

 「敵我に気合を掛けんとし、或いは我を打たんとし、刃は害を加えんとする瞬前、我より先に気合を掛け、或いは打ち込み、或いは間合いを離れて機先を制し、敵が害を加ふること能はざらしむる法にして、柳生先生の所謂『降ると見ば、積もらぬ先に払へかし。柳の枝に雪折れはなし』に一致す」

 と記している。

 あるいはまた、『五輪書』火之巻の「枕を押ると云事」も、具体的な術の教えとして見逃せない。

 柳剛流でいえば、切紙の備之伝に対する目録秘伝の備フセギ伝がまさにこれに当たり、小佐野淳先生よりご指導いただいた際にも、「これらは合気を外すための術である」とお教えいただいた。

 以来、日々の稽古でも、「備えはフセギ、フセギは備え」という、対待と連環の在りようを具現化した柳剛流の「術」の深みを味わいながら、「古流の稽古は奥深いなあ・・・」と、しみじみ実感している。



 このように古流の武術では、合気を外し枕を押えるといった「術」は、ある種普遍的な教えであり術である。

 そしてまたこうした「術」は、手裏剣術においても同様に表現される。

 たとえば、帯刀している相手がまさに柄に手をかけて抜刀せんとする拍子に、手裏剣術者たる我は手裏剣を上段に構える。あるいはその後、機をみて相手がスラスラと刀を抜いた拍子には、我は上段に構えた手裏剣を持った手を、体側に下げて自然体に構える。

 手裏剣術者は、このようにして相手の合気を外し、枕を押えることができる。

 こうした術理を根幹にして表現した形のひとつが、たとえば翠月庵の刀法併用手裏剣術五本目の「鞘之内」である。

 しかしこのような理合は、手裏剣術を単なる隠し武器としてしか認識していない、あるいは的打ちの経験しかない術者には、残念ながら心身に根ざした具体的かつ根本的な感覚として理解することは難しいだろう。

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▲翠月庵の刀法併用手裏剣術五本目・「鞘之内」の形の相対稽古



 一方で、合気を外すことや枕を押えるというのは、達人のみが行える驚天動地な術、などとというわけでもない。

 柔道・剣道・空手道など対人攻防の試合のある現代武道であれば、当事者たちは無意識ながらも普通に行っていることでもある。

 たとえば市町村レベルの空手道の試合などで、中学生クラスの組手を見ていても、きちんとした指導を受けている生徒であれば、彼我の拍子と間合が拮抗して攻めあぐねてしまった際など、いったん間合を切ったり、ステップのリズムや構えを変えたりすることで「合気」を外し、あるいはフェイントなどを交えながら「枕を押え」ることは、ごく普通に行っている。

 このように、合気を外し枕を押えるということについて、競技武道では子供たちでも普通にしているということは、空手道に限らず剣道や柔道などに携わったことのある人であれば、皆さんご存知であろう。

 しかし、単なる的打ちや据物斬りのみの稽古、あるいは惰性的で緊張感に欠けた形稽古しかしていないようでは、このような初歩的な合気の外し方や枕の押え方も理解できないだろうし、体得することは難しいのである。



 競技武道については、スポーツ化や均質化の弊害、生涯教育や文化伝承としての指導体系の不備不足など、さまざざまな面で問題点も少なくない。

 一方で「競い合い」という、うそ偽りのない状況の中で、武の理合を自ずから体得せしめることが可能であるという利点は、現代の古流稽古者が見失いがちな、稽古上の大きな意義であると思うのは私だけだろうか・・・?

 少なくとも私は、自分の武術・武道人生の中で古流の稽古を一時中断し、10年ほどだが競技武道を行ったことが、今、そしてこれからの自分の古流稽古や手裏剣術の稽古に、大いに資していると実感している。

 (了)
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柳剛流研究・覚書(1)/(柳剛流)
- 2015/06/19(Fri) -
 最近出版された、『日本武術・武道大辞典』(加来耕三編/勉誠出版)のチラシを見たが、神道無念流や北辰一刀流、甲源一刀流や天然理心流など、同時代に武州で興隆した剣術諸流はそれぞれ記載されているが、なんと我が柳剛流については掲載されていないというのは、む~ん、いかがなものか・・・・・・。
 

 さて、柳剛流の調査・研究について、これまで本ブログで疑問点として挙げていたいくつかの点について、稽古の折に師からご教授をいただいたほか、本ブログを読んでくださった各方面の皆さんからメールなどでご指摘やご助言をいただくことができ、新たにいくつか判明したことがあるので、取り急ぎここに摘録として書き留めておく。


・『剣道日本 続剣脈風土記 陸前柳剛流』の記事について
Q.この記事では、形について「勢法」と表記されている。これは、筆者(記者)が武術の形を示す一般的な名詞として「勢法」という言葉を使っているのか、あるいは柳剛流が固有名詞として形を「勢法」と呼んでいたのかが、記事として非常に曖昧である。
A.仙台藩角田伝柳剛流では、形について「勢法」という呼び方はしていない。この記者が武術の形を示す一般的な言葉として、「勢法」という言葉を使っているのだろう(小佐野淳先生談)。

・突杖について
Q.『幸手剣術古武道史』では、柳剛流の突杖は、「三尺の棒術」(同書P103)とあるが、その情報の出典と根拠について。
A.仙台藩角田伝柳剛流の突杖では、いわゆる「三尺棒(半棒)」を杖として用いる。ただし実際には、形の運用上その寸法は三尺以上の長さが必要である(小佐野淳先生談)。

・柳剛流の読み方/呼び方について
Q.「りゅうごうりゅう」か「りゅうこうりゅう」か?
A.三重に伝わった紀州藩田丸伝柳剛流でも、「こ」の部分はにごらずに、「りゅうこうりゅう」と読んで/呼んでいたとのこと(田丸伝について詳しいS様より、メールでご教授いただきました)。
 これにより、石川家文章、岡田十内派師範家の口承、山本邦夫教授の記述、仙台藩角田伝を学ばれた小佐野先生のお話に加え、紀州藩田丸伝でも、やはり「りゅうこうりゅう」であったとのことが明らかになった。

 (了)
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急所を意識した打突/(武術・武道)
- 2015/06/17(Wed) -
 左膝のケガもほぼ回復したようなので、久方ぶりに空手の稽古へ。

 糸州流のN先生に、バッサイの形を手直ししていただく。N先生の形の指導は古伝の風格があり、分解についても適宜適切にご指導していただけるので、毎回楽しみにしている。

 稽古後半は、有級者の方々への指導を仰せつかる。

 基本的な形の指導はもちろんだが、できるだけ分解も踏まえた挙動の解説を心がけ、掛け手から引き込んでの関節蹴り、突き受けや投げなどについても簡単に説明する。

 ところでこれは最近の傾向なのかもしれないが、中段の突きの位置が高くなっている人が多いのは気になる(前にも書いたかな・・・)。水月を突くという意識が希薄なためなのだろうか?

 打突に際して、急所に正確に当てる意識がなければ、技の効果も半減してしまうことを強調しておいた。

 現代武道と言えども、空手人たるもの帯になんらかの色が付くようになったら、最低でも天倒、霞、人中、村雨、水月、稲妻、明星くらいの急所の位置は正しく理解し、それらを意識した打突を心がけるべきであろう。


 さて、これから寝る前に、柳剛流の突杖をおさらいしておこう・・・・・・。

 (了)
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「術」として構え/(柳剛流)
- 2015/06/16(Tue) -
■本日の稽古備忘録

 早朝の心地よい空気の中、柳剛流剣術の備之伝と備十五ヶ条フセギを、じっくりと復習する。

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▲『角田地方と柳剛流剣術-郷土が誇る武とそのこころ』(南部修哉著)より、柳剛流の切紙に示されている「備之伝」。この切紙は下記掲載の目録と併せて、大正13(1924)年に、宮城県角田中学校剣道師範の斎藤龍三郎より南部雄哉にあてて出されたものである


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▲同じく『角田地方と柳剛流剣術-郷土が誇る武とそのこころ』(南部修哉著)より、柳剛流目録。鑓と長刀の入伝の後に、秘伝として「備 十五ヶ條フセギ」が示されている


 現代の競技武道では「構え」というものについて、かなり基本的かつざっくりとした外形上の指導のみで、あとは各人に地稽古なり試合稽古なりで、その意味や効果を自得させるような教え方が多いのではなかろうか?

 それに対して古流では、構えそのものがひとつの「術」として存在しており、それぞれの構えに固有の意義と効果、その構えを遣うべき時宜、その構えからの勝口があり、それらを習得するための細やかな指導・教習体系がある。

 その典型例が、柳剛流剣術における備之伝と備十五ヶ条フセギなのだなと実感する。

 これは当流に限ったことではなく、例えば駒川改心流の黒田泰治師範が記した名著『駒川改心流 剣術教書』では、その第二章合計31ページすべてを使い、同流のさまざまな構えとその意義、遣い方や効果についての解説に当てているのが印象深い。

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▲『駒川改心流 剣術教書』(黒田泰治著/昭和38年)より、第二章「剣術の構えに就いて」。それぞれの構えについて、具体的な構え方はもとより、その場合相手はどのように打ってくるか、それに対してどのように対するかなど、「術」としての構えについて30ページ以上にわたり詳細に解説している


 さらに柳剛流で興味深いのは、こうした「術」としての構えを習得するための鍛錬法が確立・伝承されていることだ。

 それがどのようなものであるかは、実伝のためここでは具体的に触れないが、ある種、近代スポーツのトレーニングメニューのような感もする習得用メソッドが伝わっているのがたいへん興味深い。

 形や礼法、所作はもとより、こうした流儀独自の鍛錬法も、古流を伝承して後世に伝えていくためには欠かすことのできない、大切な古人の教えである。


 武術における構えとは、単なる外形的なものではなく、「術」そのものであるということを、忘れてはならない。

 (了)
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「生死一重の至近の間合からの渾身の一打」をめざして/(手裏剣術)
- 2015/06/13(Sat) -
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 実は今月はじめに左膝を痛めてしまい、しばらく本格的な稽古を休んでいたのだが、本日は久々に稽古場にて、のびのびと剣を打つ。

 やはり、手裏剣術の稽古は爽快だ。

 一打必倒の気概を込めた渾身の一打が、ドン! と的に刺さる感覚の心地よさは、手裏剣術者だけが味わうことのできるものである。


 今日の稽古では、3~4間間合を中心に、順体順歩を基盤とした打剣にじっくりと取り組んだ。

 歩み足や送り足での順体の打剣、また送り足や歩み足での逆体の打剣でも、私にとっては形而上の打法の基盤は順歩順体にあるということを、ここ数年とみに実感している。

 こうした感覚は、手裏剣だけしか知らない人には、どうしても本質的・直感的に理解できないのだろうが、逆に言えばごく初歩的なレベルでも剣術や居合・抜刀術、あるいは柔術など、日本の伝統的な武術の素養がある者であれば、容易に体感できることだ。

 思うに現在、江戸後期に成立した古流にせよ明治以降に成立した現代流派にせよ、国内の手裏剣術流派の打剣の主流は逆体となっているが、それは伝統的な日本武術の技術体系とその身体動作の範疇では、極めて特異的なものなのではなかろうか。

 これは、いままで8年間(翠月庵の前身の時代も合わせると、もう10年か・・・)、稽古会や出張講習会などでの指導も含め延べ人数で大雑把にカウントすると100人くらいに手裏剣術を手ほどきしてきた上での感覚なのだけれど、居合・抜刀術や剣術、合気道など純日本的な武術の素養のある人ほど順体での打剣に親和性が高く、一方で武術や武道の未経験者ほど逆体での打剣に親和性が高かったことからも、強く感じられるものだ。

 ちなみに同じ体術系でも、空手道や現代武道の拳法に習熟した人などは、順体よりも逆体への親和性が高いというのは、また意味深長である。

 今後は、こうした順歩順体を形而上の基盤にした打剣について、もう少し明確に翠月庵の手裏剣術の教習体系に位置づけていければと考えている。

 おそらくそれにより、手裏剣術の範疇としての刀法併用手裏剣術や飛刀術の質的向上はもちろん、剣術や居合・抜刀術との併用という点でも、「より質の高い手裏剣術」への階梯が開けるのではないかと考えている。


 「生死一重の至近の間合からの渾身の一打」

 という、私の理想の手裏剣術への道は、まだ遥か遠い。

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 (了)
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今後の柳剛流調査・研究の手控え/(柳剛流)
- 2015/06/11(Thu) -
 今後の柳剛流調査・研究の課題について、手控えとしてまとめておく。

■共通事項
・流儀の稽古で使われていた木太刀について(形状・重量・寸法)。
→深井派(埼玉)の木太刀は調査済み。岡安派(埼玉)の木太刀については、同派剣三世・岡安尚(1908-1979)に伝承があったほか、村の青年団に寄贈されているとのこと(『幸手剣術古武道史』より)。他の地域(埼玉・宮城・三重等)での所在や有無についても要調査。
・突杖について
→龍野藩伝の柳剛流杖術(突杖)が、無外流居合兵道の中川士龍師~塩川寶祥師によって各地に伝播されているが、その普及の経緯及び仙台藩伝の突杖との相違等について。
→『幸手剣術古武道史』では、柳剛流の突杖は、「三尺の棒術」(同書P103)とあるが、その情報の出典と根拠について。ex.深井派剣三世の深井源次郎は、常に三尺ほどの木太刀を杖代わりにして肌身離さず、眠るときにも木太刀を布団の下に忍ばせるなど手放すことがなかったというが、この「三尺ほどの木太刀」は「三尺の棒術」という突杖の代わりなのか?
・居合について
→仙台藩伝以外の居合の伝承とその有無について。
ex埼玉県与野市、上尾市にて、昭和後期まで伝承があったとの情報あり。
・長刀について
→仙台藩伝以外の長刀の伝承とその有無について。
・柳剛流の読み方/呼び方について
→「りゅうごうりゅう」か「りゅうこうりゅう」か? ex.石川家文章、岡田十内派師範家の口承、山本邦夫教授の記述、仙台藩伝を学ばれた小佐野先生の証言等では、いずれも「りゅうこうりゅう」であったとのこと。その他の師範家や伝系では、どのように読んで/呼んでいたか? 両者が混在してた可能性もありか?

■埼玉県
●幸手市剣道連盟伝関連
・幸手市剣道連盟伝柳剛流について。どの系統の形を復元したものなのか

→岡安派の形の復元? あるいは仙台藩伝系統か?
・現在、復元・稽古されている形はどのようなものか。仙台藩伝との相違等。
→ex.仙台藩伝その他、主な系統では共通している切紙で学ぶ剣術形「右剣」「左剣」の名称が、幸手剣道連盟伝では「右頸」「左頸」となっている。剣術形以外の復元もしているのか、など。
・伝書や武具(木太刀)など、伝来品や資料の有無。
→特に木太刀の所在。
・現状でどの程度の規模(人数や頻度)で稽古をしているのか?
・形(実技)の見学。

●その他
・諏訪家文書(北本市)の確認

→口伝の技法を絵図と文章で解説した「柳剛流虎之巻」「柳剛流奥之巻」が、諏訪家に残されているとのこと。
・流祖の墓参(幸手市)。
・岡田十内、差料の実見(戸田市郷土博物館)。


■宮城県
・仙南(角田周辺)、仙北(登米市周辺)、石巻での伝承とその現状について。
・ごく最近まで伝承者がいたとされる、「柳剛流柔術」について。


■三重県
・松坂市での伝承とその現状について。


 遠からず、角田や松坂での現地調査にも取り組みたいが、まずは地元・埼玉周辺での調査・研究を地道に進めていくつもりである。

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▲仙台藩伝柳剛流剣術 「右剣」(打太刀・小佐野淳師、仕太刀・瀬沼健司)

 (了)
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周易、一刀両断の妙/(身辺雑記)
- 2015/06/10(Wed) -
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 周易、なかでも略筮は、占的に対して一刀両断の妙がある。

 タロットでもワンオラクルをはじめ、二枚引きや三枚引きといったシンプルなスプレッドがあるけれど、本来、タロットを用いた卜占は、インスピレーションと照応に基づいた「物語性」に術の妙味があると考えているので、イエス・オア・ノー的一刀両断の占断には向いていない・・・、というか自分自身がタロットのそういう使い方はやや苦手なのである。

 ビシッと決めたいときは周易の略筮、思索を深めながらあれやこれと考えたいときにはタロットを・・・、というような使い分け(というか実際には、そのときの気分と占的とのフィーリング?)で、東洋占術と西洋占術の違いを楽しんでいる。


 その上で易もタロットも、卜筮の術を深めるほどに、それは「義理(哲学)」に近づいてゆく。

 ことに易は四書五経の王として儒学経典の最高峰となっているだけでなく、道教の根本でもあり、その生々流転・循環する宇宙観は、科学的ですらあるところが、なんとも興味深い。

 易もタロットも共に「神」なるものを語るけれど、易がいうところの神は、 「天地間における陰陽の現象の至妙至幽にして測るべからざる作用」、それ自体を指していると、元東京帝国大学支那哲学科の高田真治教授は指摘する。

 ややこしい神や時に恣意的となる善悪を語らない、こうしたある種の科学性、ひいては思想的清々しさは、ある意味で究極のプラグマティズムである武芸に通ずるところがあり、私が特に周易という哲学を愛好するゆえんである。

 ま、いずれにしても易道は深い・・・・・・。 


 「易に聖人の道四あり。以て言う者は其の辞を尚(たっと)び、以て動く者は其の変を尚び、以て器を制する者は其の象を尚び、以て卜筮する者は其の占を尚ぶ」(『周易繋辞上伝』)


 (了)
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放哉的泥酔の記/(身辺雑記)
- 2015/06/07(Sun) -
 仕事柄、初対面の相手と膝つき合わせて2~3時間も1対1で話しをすることがあるかと思えば、自宅にこもりっきりでひたすら原稿を書き、まる2日間、一言も口をきいていなかったなどということもある。

 なんとも極端な生活だが、それもまた人生。

 かの六無斎先生は、

 「親も無し妻無し子無し版木無し 金も無けれど死にたくも無し」

 と詠ったが、まさにそんな暮らしを、誠意実践中だ。

 おまけにここしばらく多忙で、日々の稽古もままならないこともあり、ストレスがたまる。

 そしてストレスがたまれば、我々、「酔っ払い村」の住民は、当然ながら酒を飲むのである。

 尾崎放哉のように・・・。



 俳人・尾崎放哉といえば、中学生の教科書にも載っている、「咳をしても一人」という自由律句で有名だが、この人の句の良さはもっと別の所にあるし、なによりある種の書簡文学ともいえる残された400通以上もの手紙が、私のようなダラシナイ酔っ払いにとっては無類に面白い。

 旧東京帝大を卒業し、超エリートサラリーマンとなった放哉だが、最終的には瀬戸内の小豆島にある庵で、孤独と貧困、栄養失調と結核にさいなまれながら、42歳の厄年で生涯を終える。

 一方で、その死の直前、1~2年の間に詠まれた句の数々はいずれも傑作として読み継がれ、今も私のような偏屈で酒癖の悪い中年男の心の渇きを潤してくる。その孤独で透明な、人生の悲哀に満ちた自由律句の魅力は、子供や若者、そして下戸には分かるまいね。

 なにしろ放哉が世間からも、家族からも、多くの知人からも見放され、孤独に死んでいった原因というのは、その酒癖の悪さなのだ。いや「癖の悪さ」などという生ぬるいものでなく、それはようするに「酒乱」であった。

 放哉の悪酒は、酔って暴れたり暴力を振るうというようなものではなく、帝大出の鋭敏な頭脳で時に辛辣に、時にネチネチと、相手かまわず他者を揶揄する、からみ酒であったらしい。

 平素は無口で温和な人なだったというだけに、そのギャップも大きかったのだろうが、職を失い、人の縁も切られるほどのからみ酒というのは、相当なもんである。

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▲岩波文庫版の『尾崎放哉句集』(池内紀 編)。放哉の句集は全集から文庫まで多数あるが、この岩波版が一番スマートで手に取りやすい



 さて、過日、30年来の友人と痛飲したあげく、完全にブラックアウトした。

 最近、どうもブラックアウトの頻度が高いのである。

 その後、くだんの友人からのメールで、

 「あんたとは、もう四半世紀以上も一緒に酒を飲んでいるが、昨夜はいままでで最悪の酒だったぞ・・・。消えた記憶をたどりながら、たっぷり自己嫌悪を味わえよな。ま、今度は楽しい酒を飲もうぜ」

 と諭された私としては、そんな放哉の人生が他人事とは思えない。

 生マレテ スミマセン・・・・・・。



 「わが顔ぶらさげてあやまりにいく」(尾崎放哉)

 「世間では独身男ほど楽しいものはないと言っているけど、それはまちがいだね。どうせただ年をとって、達者なだけで意地の悪いじいさんになるだけのことさ」(スティーブン・キング 『ザ・スタンド』)

 「飲むのなら自尊心を忘れないようにして飲みたまえ」(レイモンド・チャンドラー 『長いお別れ』) 


 (おしまい)
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幸手市の柳剛流~(予告編)/(柳剛流)
- 2015/06/05(Fri) -
 インターネットの情報だけに頼ると、なにごとも視野狭窄になる・・・・・・などといいながら、己自身がその魔境に陥りかけているのがなんとも恐ろしい今日この頃である。


 先日、本ブログで、

> 剣術史家・辻淳氏著の『幸手剣術古武道史』によれば、近年、柳剛流岡安派師範家の剣三世・
>岡安尚(1908~1979)の門人であった岡安源一氏と宮澤裕彦氏が幸手市剣道連盟と一体
>となり、柳剛流の形の研究・復元を計り、剣術形7本の形を復元させたという。

> 17年前の1998(平成10)年には、埼玉県伝統武術連盟主催の第三回埼玉県伝統武術演武
>大会に出場されたということだが、最近の同連盟の演武会では柳剛流の名前を目にしない。

> 現状で、この幸手剣道連盟伝の柳剛流剣術形が、どの程度の規模で稽古・継承されているのか、
>非常に興味深いところであるが、今のところあまり情報がないのが残念である。

 と書いたわけだが、その後の調査の結果、幸手市剣道連盟伝の柳剛流は現在も、流祖・岡田惣右衛門奇良生誕の地である埼玉県幸手市内にて毎月2回ほどの稽古を行っており、年に1回、同市武道館のイベントで演武も行っているということが分かった。また地元の中学校では、生徒を対象に体験講座も行っているということである。

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▲昨年12月15日に幸手東中学校で開催された「ふれあい体験講座」にて、柳剛流の体験・指導が行われたとのこと。幸手市立東中学校発行『東中だより』(平成27年1月号)より転載


 その上で、幸手市剣道連盟伝の柳剛流を稽古されている先生方と連絡を取ることができ、柳剛流調査・研究の一環として、今月下旬に直接お会いしてお話を伺えることとなった。

 (なお当然ながら、今回の調査・交流は、私の師である小佐野淳先生のご許可をいただいた上でのものである)。


 当日は、

・幸手市剣道連盟の柳剛流は、どの系統の形を復元したものなのか?
・現在、復元・稽古されている形はどのようなものか?
・伝書や武具(木太刀)など、伝来品や資料の有無
・現状でどの程度の規模(人数や頻度)で稽古をしているのか?
・可能であれば、形(実技)の見学

 などについて、取材させていただければと考えている。

 なにはともあれ、続報にご期待あれ。


 それにつけても取材や調査は、やっぱり自分の頭と足、耳と眼を使わなければいかんネ。

 (了)
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ポストアポカリプスの大叙事詩/(書評)
- 2015/06/04(Thu) -
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 スティーブン・キングの小説の中でも、もっとも好きな作品がこの『ザ・スタンド』だ。

 分厚い文庫で全5巻という大叙事詩ながら、毎年1回は読み直している。そしてまたここ数日、いろいろと忙しい生業の合間や、寝る前のベッドの上で読み返しはじめてしまい、止まらない(笑)。

 この物語は、一見、キリスト教的な善悪の二元論のようでいて、実は人はだれでも善の側から悪の側へ魅入られる可能性を持ち、あるいは悪をなしながら結果として善をなすこともあるといった、人生の矛盾や多面性をいきいきと、そして詳細に描いていて興味が尽きない。

 私自身、いつ何時、「闇の男(ウォーキング・デュード)」に魅入られるか分からない、いやすでに魅入られてしまっている哀れな存在なのかもしれない・・・。

 ハロルドの魂が、神に祝福されますように。

 (おしまい)
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伝承していくことの難しさ/(柳剛流)
- 2015/06/03(Wed) -
 1860(万延元)年に刊行された『万延英名録』(真田玉川,江川英山編)は、関東近辺の剣術家の氏名と住所、流儀を掲載した紳士録であり、ある種の道場案内とも言えるものだ。

 本書に記載された総勢664名に及ぶ剣士を流派別に集計すると、以下のようになる。

・柳剛流   149名
・北辰一刀流136名
・神道無念流 64名
・天然理心流 64名
・甲源一刀流 32名
(以下略)

 本書は何しろ江戸時代の刊行物なので、関東一円を対象に剣術家を掲載したといっても、当該地域を満遍なく調査したというものではないだろう。

 それにしてもこの時代、関東でいかに柳剛流が興隆していたのかがよく分かる資料である。

英名録3
▲柳剛流のほか、柳剛流中山派、深井柳剛流、飯箸柳剛流などが掲載されている『万延英名録』。ただしこの写真の版は、一般に流布している版とは掲載内容が一部異なるものとのことである


 さて、それから155年。

 21世紀となった現代、上記の流派は、いずれも当時と同じ関東地方でそれぞれ流派の命脈を保っているが、唯一、柳剛流のみはかつての興隆とは対照的に、衰退しているというのはなんとも残念なことだ。

 剣術史家・辻淳氏著の『幸手剣術古武道史』によれば、近年、柳剛流岡安派師範家の剣三世・岡安尚(1908~1979)の門人であった岡安源一氏と宮澤裕彦氏が幸手市剣道連盟と一体となり、柳剛流の形の研究・復元を計り、剣術形7本の形を復元させたという。

 17年前の1998(平成10)年には、埼玉県伝統武術連盟主催の第三回埼玉県伝統武術演武大会に出場されたということだが、最近の同連盟の演武会では柳剛流の名前を目にしない。

 現状で、この幸手剣道連盟伝の柳剛流剣術形が、どの程度の規模で稽古・継承されているのか、非常に興味深いところであるが、今のところあまり情報がないのが残念である。


 いずれにしても、先述の『幸手剣術古武道史』や『戸田剣術古武道』などみると、明治以降、戦前の大日本武徳会の成立とその影響力の拡大とともに、多くの柳剛流師範家やその傘下の剣術家たちは、しだいに古流としての柳剛流の稽古から近代的な撃剣=剣道の指導へと移行していく様がよく分かる。

 また南部修哉氏著の『角田地方と柳剛流剣術』をみると、二代目岡田左馬輔信忠以来の伝系を誇る角田でも、昭和30年代にはすでに柳剛流の稽古は、組織的にはほとんど行われていなかったことが記されており、南部氏は「角田地方ではすでに柳剛流は失伝してしまった」との旨を書き記している。


 150年という歳月の長さをどう評価するかにもよるだろうが、かつて武州一円で、これほど多くの人々が学び、受け継いできた柳剛流が見る影もなく衰退しているというのは、なんとも残念なことだ。

 一方でそのような状況の中、師との貴重なご縁をいただき、流儀の業を学ぶ者としての責任の重さもまた、ひしひしと感じるところである。

 伝統の業とは、受け継ぐことは難しく、失ってしまうのは容易なものだ。

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▲柳剛流居合、「後詰」

 (了)
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医療不信と情報源~ネット依存による視野狭窄/(医療・福祉)
- 2015/06/01(Mon) -
 日経メディカル・オンラインで、興味深い記事を読んだ。

「政府のワクチン接種推奨への不信感、その背景にあるのは」( 国立国際医療研究センター 国際医療協力局 和田耕治)
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/special/flu/topics/201505/542269.html


 最近、オーストラリアの首相が、ポリオ(小児まひ)や破傷風など、子供への予防接種を拒否した家族への児童手当などを原則的に支給しないと発表したが、どこの国にも、陰謀論や偽医療のデマに惑わされて医療ネグレクトを繰り返す、無責任な大人が少なくないのだろう。

 残念なことである。

 上記、国立国際医療研究センター国際医療協力局の和田耕治氏は、ワクチン接種に対する不信感を持つ人がどれくらいいるのかとその要因について、20~69歳の日本人約3000人を対象に調査を行った。

 その結果、政府のワクチンに関する推奨に不信感が「ある」または「まあある」と回答した人は、全体の24%だったという。ここでたいへん興味深いのが、不信感と情報源の関連だ。

~以下、引用~

「不信感と情報源の関連を男女別に見たところ、次のような特徴が見られた。まず男性・女性共通して、最も信頼する情報源として医療従事者を挙げた群を基準とすると、友人やインターネット、書籍を挙げた群では不信感を持っている人が有意に多かった。

 また、男性においてはテレビを、女性においては家族や新聞を、それぞれ最も信頼している情報源と回答した人は、医療従事者を信頼している群と比較して有意に不信感を持っていた」

~以上、引用終わり~


 ようするに、ネットをはじめ、非科学的な書籍や興味本位で制作されたテレビ番組などを見ている人ほどワクチン接種=標準医療に対する不信感が強く、かかりつけ医や地域の保健師、看護師などの医療従事者から直接、医療に関する科学的で正しい情報を得ている人ほど不信感が少ないということが、有意に証明されたということである。


 これは医療に限ったことではないが、ネットや書籍の情報「だけ」に依存することは、とてもリスキーなことだ。

 なかには、ジャーナリストを自称しながら、「情報源はネットだけ」と言う、ちょっと常識では理解できない人も最近はいるそうなのだが、かれこれ20年ほど記者を生業としている私からしたら、到底、理解の範疇を超えている・・・・。

 取材とかインタビューとかしないの? 論文とか読まないの? 裏トリとかダブルチェックとかしないの? ジャーナリストなのに・・・。

 そしてこれも医療分野に限ったことではないが、このように「情報源はネットだけ」というような人たちほど、自覚のないうちに自分の都合のよい情報のみを選別し、断片的な情報のみで都合のよい解釈をし、最終的には自分だけが世界の真実を知っている!、と思い込んでしまう傾向があるようだ。

 しかし考えてみれば、ネットに世界の隠された真実や、国際的陰謀、薬害の事実などが、ゴロゴロ転がっているわけがなかろうに・・・、とは思わないのだろうか?

 ラーメンだって、ネットの口コミを読むだけでは、味が分からない。何はともあれ、自分で食べてみなきゃあね(笑)。


 ネット依存は、人の視野を狭める。

 自戒も込めて、しみじみと思う。

■参考文献
・Wada K, Smith DR. Mistrust surrounding vaccination recommendations by the Japanese government: results from a national survey of working-age individuals. BMC Public Health 2015; 15:426
http://www.biomedcentral.com/1471-2458/15/426
 (了)
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