やっぱ「湯けむり剣客」よりも、「湯けむり手裏剣」なのか・・・/(身辺雑記)
- 2015/09/30(Wed) -
201510_大人の癒し宿
▲『大人の癒し宿2016 西日本編 』(メディアパルムック/マガジントップ )


 9月28日発売の新刊。

 わたしゃ、30軒くらい書いたかなあ・・・。

 西方にも、良いいで湯はたくさんありますぜ。

 それを知るためにも、まずは書店か密林へゴー!!

※密林への入口
http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%99%92%E3%81%97%E5%AE%BF2016-%E8%A5%BF%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B7%A8-%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%83%E3%82%AF-%EF%BC%88%E7%99%BA%E8%A1%8C%EF%BC%89%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%97/dp/4802150458

 (おしまい)
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礼は異を弁かつ/(武術・武道)
- 2015/09/29(Tue) -
 過日、とある空手教室での出来事。

 準備運動からその場基本、移動基本がそろそろ終わるかなというころ、おそらく児童の保護者であろう男性が一人、稽古場に入ってきて見学席に座った。

 さてその男性なのだが、野球帽をかぶったままである・・・。

 ちらっと見て「なんだかなあ・・・」と思ったが、ここでは私は指導者や責任者ではないので、それを咎める立場ではない。

 気づかなかったのかもしれないが、誰かが注意するでもなく、そのまま稽古が続いた。


 この教室は個人や流儀・会派による個別の道場ではないこともあってか、作法や礼法については、かなりゆるい雰囲気である。

 それについて、私がとやかく言う筋合いではない。

 しかし、もしここが自分の稽古場であれば、そこで帽子をかぶっている正当な理由(抗がん剤治療中など)がないのであれば、その保護者に脱帽するよう促すであろう。

 また稽古開始、終了時には毎回黙想を行うわけだが、その際、ほとんどの場合、見学席で見ている保護者の誰かが喋っている。

 これもまた私の稽古場であれば、「お子さんたちが黙想しているのですから、保護者の皆さんもこの間は私語を謹んでください」と促すであろう。

 ま、当たり前の話である。


 しかし武芸の技術と同様、作法や礼法というものも、誰かに教わらなければ知ることができないものだ。

 現在、児童たちの保護者である人々は、おそらく20~30代が中心であろうが、これらの大人たちが、日本の伝統的かつ一般的な基本的作法について知らないのは仕方のないことであろう。

 だからこそ、こうした武術・武道の稽古の場で、それらの大人たちにも子供たちとともに、稽古という「場」を共有するための最低限の作法は諭す必要があるのではなかろうか。

 室内では脱帽する、稽古中の私語は極力控える、武具をまたがないなどといった、武術・武道における常識的な作法について、入会・入門時に、親子そろって簡単なレクチャーなどを受けさせるといった工夫が必要だろう。あるいは入会・入門時に、簡単なレジュメを配るのも、ひとつの方法かもしれない。

 いずれにしても、「礼は異を弁かつ」という意義を、まず大人が率先して学び、理解することが重要であろう。

 (了)
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長刀雑感/(柳剛流)
- 2015/09/25(Fri) -
 柳剛流の稽古で長刀(なぎなた)を学ぶようになって以来、私の中でこれがちょっとしたマイブームである(笑)。

 これまで長柄系の武具は、空手道の併伝武術として宗幹流系統の六尺棒を学んだが、これは日本の古流武術系統の棒術とは異なり、構えは右構え固定で、基本的に手の内の繰り出しのような操法がほとんどないものだったので、それ以前に剣術や居合を嗜んでいた者としては、六尺棒ながらあまり間合の有利さのようなものは感じられなかった。

 また武友のひとりに薙刀を専科とする人がいるのだが、私自身がこれまであまり長柄武器に興味がなかったので(スンマセン・・・)、ほんの僅か手解きを受けた経験しかなかった。

 そんな中、柳剛流の稽古の一環として師より長刀を学ぶことになった訳だが、実際に稽古をしてみると、いやこれが実に面白いではないか!!

 ご存知の通り、柳剛流の特徴は「断足之法」といわれる脚斬りにあるわけだが、これは長刀の理を剣術に取り入れたものであるという。ゆえに当流では、免許の秘伝として長刀の形が伝えられている。

 実際に学び日々稽古をしていると、長刀を鍛錬することによって剣術での足斬りの冴えが一段と高まることが実感できる。

 なぜかといえば、仙台藩角田伝柳剛流はかなり身体的な負荷の高い体捌きを要求されるのだが、それを刀よりもはるかに長大な長刀で行わなければならないわけで、これに熟練すれば3尺程度の刀の操法は、おのずから容易になるわけだ。

 もっとも原理的には、切紙から目録の段階で剣術と居合に十分習熟し、撃剣での地稽古でもみっちりと鍛えあげた上で、免許で伝授される長刀術を学ぶわけで、いわば長刀は柳剛流的な身体育成の総仕上げの術であるといえよう。


 武術の理合としてもあまりにも当然ながら、間合が長く、斬る・突く・薙ぐ、さらに石突での打突もある長刀は剣術に比べて圧倒的に有利であり、稽古をしていると何か自分が無敵になったような「妄想」に浸ることができる(爆)。

 以前、何かの記事だか書籍だかで某有名古流槍術の師範が、「槍と剣の試合では、槍が勝つのは当たり前です。そもそも間合が違うのですから・・・」と語っていたのを読んだ記憶があるが、長刀を稽古していて、まったくその通りだろうなと思う。

 長刀を青眼に構えて胴や面への向かえ突きの気勢を示せば、相手が剣であればまず引けを取ることはなかろうし、割合容易に位で詰めることも可能であろう。

 ゆえに流祖が、

 「秘伝の長刀を伝授の上の者は、諸流剣術多しと雖も負くる事これ有るまじく候」

 と伝えたというのも、大いにうなずける。

 もっとも一対一の立合いであれば、剣術に対して長刀や槍が有利だというのは当たり前っちゃあ当たり前なことであり、相手が同じく長刀を使っていれば互角、さらには長刀よりも間合の長い槍が相手であれば、今度はこちらが不利になるであろうことは、言うまでもない。

 近世以降、長刀は婦女子の嗜む武芸として発展したというのも、男性に比べて地力に劣る女性であっても、長刀に習熟すれば剣を振るう男を相手に、互角かそれ以上に渡り合えるからではなかろうか?


 以上のような長刀の利を、兵頭流軍学の用語で説明すれば、「対抗不能性」という簡潔な言葉で表現できる。

 そして、これと同様の対抗不能性は手裏剣術も擁しているわけだが、武術としてたいへん重要な部分で、薙刀や槍と手裏剣術とでは、同じように長大な間合を有しながらも決定的に異なっている点がある。この点については、また項を改めてまとめようかと考えている。

 いずれにしても長刀の稽古、興味深し!!

1509_なぎなた
▲下から稽古用の長刀、六尺棒、杖、刀、脇差


 (了)
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同好の士/(身辺雑記)
- 2015/09/24(Thu) -
 普段、和服を着ていることが多いので、外出するときなどはそれなりに目立つのだろうなということは自覚をしている。

 和服中心の生活をしはじめたのは、多分、2004年くらいからか。勤め人ではなく、取材の時以外は身なりにこだわらなくていいことから、「キモノもいいかな・・・」と思ったのがきっかけだ。

 時期的にも、ちょうどその頃が「男の着物」ブームみたいなものの走りだったように記憶している。

 その当時、都内のマンション(という名のアパート)に住んでいたのだが、和服で出歩いても特別目立つというのはそれほどなかった気がする。

 ま、なにしろお江戸は変わり者には寛容な街だから、ピンクのモヒカンにライダースジャケット&トゲトゲリストバンドでギターを抱えたお兄さんと、着流しに長羽織で博多の角帯に鉄扇をぶち込んだ私と、プラダのバッグにテーラードスーツのOLさんが、山手線の車内で並んで座っていても、何の違和感もなく平和な日常が続くわけだ。

 ところが5年ほど前に、都心から北へ電車で40分ほどの武州・中山道のとある町に引っ越してきたところ、まあ、外を歩くたびに、ジロジロと見られることはなはだしい。

 居酒屋の暖簾をくぐれば、昔のマカロニウエスタンのワンシーンのように店内の客が一斉にジロッとこちらにガンを飛ばし、図書館の受付のおばさんはオイラの足の先から頭のてっぺんまでをマジマジと見つめ、コンビニのレジのお姐さんは「咄家・・・!?」と小声でつぶやき、買い物帰りに歩道ですれ違うおばあさんは、人語を話す珍獣に遭遇したようにポカンと口を空けたままその場に立ち尽くす・・・(以上、すべて実話である)。

 ま、そうはいっても、この町での暮らしも幾年月が過ぎ、自分が立ち回る先の居酒屋やスーパーやコンビニなどでは、もう着流しや浴衣で出歩く私の姿が当たり前となり、たまさかにジーパンにB-15DフライトジャケットやM65フィールドジャケットなどを羽織って出歩いていると、顔見知りのお好み焼き屋のおばさんが、「洋服なんて、珍しいわねえ」などと声をかけてくれるようになった。


 そんなある日の稽古帰り、なじみの店とはいわないが、それまで4~5回ほど入ったことのある地元の洋食店で食事をしていたところ、店のおかみさんに「いつも和服なんですねえ」と、声をかけられた。

 「いやいや、道楽でして・・・」などと答えると、私の刀ケース(石神井 宇田川謹製)が気になったらしく、「居合か何かをやってらっしゃるのですか?」と聞かれた。

 説明するのも面倒くさいので、「ええ、まあ・・・」などと曖昧に答えていると、「うちによく来てくださる方で、お客さんみたいにいつも着物で来られる人がもう一人いるんですけどね。その方も、何か武道をやってらっしゃるそうなんですよ」とのこと。

 へえ~っと思い話しを聞いてみると、どうもS流の人らしい。

 その後、最寄り駅の周辺などで、その人物らしき和服姿で刀ケースを肩にかけた若い男性を2~3度見かけた。

 それにしても、こんなたいして大きくもない郊外の町に、古流をやっていて和服を着て出歩いているような変わりモンが、私も含めて2人もいるとは、なんとも奇特な話である。

 その後、くだんの洋食店からは足が遠のいてしまったので、そのS流氏と顔を合わすことはなかったが、同じ町に武芸と和服を愛好する同好の士がいるというのは、なんとなく心うれしく思う。

 (了)
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秋分雑想/(身辺雑誌)
- 2015/09/23(Wed) -
 銀色週間も今日で終わり。

 私は年明けに発行されるドライブ本の編集仕事があり、土日のみの休みであった。日曜は、甥っ子との相撲20番勝負で0勝20敗と負け越してしまい、そろそろ引退を考えねばならないのかもしれぬ。

 しかし、半年前には突き倒ししかできなかった4歳児が、今回は右四つからの上手投げとはたき込みを覚えていたのは、彼の両親の相撲英才教育の効果であろう。

 もう少し大きくなったら、伯父さんがとったりや外無双を教えてあげよう。

              *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  

 安保関連法案に関して思うこと。

 今回の成立過程を見ていると、手続きの筋論としてあまりに乱暴であり、立憲主義の根幹が破壊される様子が目の前で日々展開されていくのは、できの悪いB級映画を見ているようだ。

 私は軍事的合理性という観点から、集団的自衛権は必要だと考えるが、だとしてもその行使を実現するための手続きは、立憲主義に基づかなければならないのは言うまでもない。

 そういう意味で、時の政権の都合のよい解釈の拡大でガンガン押しまくり、横紙破りを繰り返す安倍政権=現在の自由民主党は、国力を無視して勝ち目のない愚かな戦争に突き進んだ、戦前の軍国主義者・国粋主義者たちと本質的には同じようにしか思えない。

 ことに、最近の自民党の若手・中堅議員に強く見られる、基本的人権や表現・報道の自由を制限すべきであるという思考は、非常に危険なものだ。

 結局のところ、われわれ市民にできることは、間接民主制という制度に基づいて各人の選挙権を行使することしかあるまい。

 しかし、その民主主義そのものが否定され、権利の行使が抑制されるような世の中が万が一到来するようなことがあれば、その時には井上日召の「一殺多生」という思想を、今一度見直さねばならないかもしれない。

 嫌な渡世だなあ・・・。

              *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  

 シルバーウィーク中は仕事といっても、なんとなく作業がはかどらないので、気分転換に早めの衣替えをした。秋~冬物の長着や羽織などを出して、風を通し、洗うべきものは洗い、たたみ皴ができてしまったものにはアイロンをかけ、ほつれを繕う。

 夏は浴衣姿の人を街中で見ることも多く、「和服の季節は夏」といったイメージを持っている人もいるようなのだが、実は夏は一番和装をしづらい季節である。

 なぜならば・・・、暑いから(爆)。

 昨今の日本の夏は、常軌を逸しているほど暑いので、絽や紗の着物だろうと浴衣だろうと、やっぱり暑いのである。

 この季節に一番涼しいのは、外出時は短パンにTシャツであろう。また室内では、やはり下帯一本だが、これは一人法師のみの特権だ・・・。

 ゆえに、乾いた秋風が吹くこれからの季節から、ようやく快適な和服生活が送れるようになる。

 もっとも和服生活などといっても、私の場合「着物を着たまま畳の上に寝転がって、ひじ枕で冷酒を飲んだり、カレー南蛮を盛大に啜りながら食べたい」という質素なものなので、木綿やウールなど気軽に洗濯やクリーニングができるものが中心だ。

 泥大島を着て松屋でカレー牛を食べたり、結城を着ながら池袋西口の安い一杯飲み屋で「タハ、オモチロイ・・・」などとつぶやきながら酩酊するガッツは私にはない。

 ま、そんな高価な着物は持っていないんだけどな・・・。


 てな訳で、去年の冬はあまり和服は着なかったが、今シーズンはできるだけ積極的に着たいものだ。

 (おしまい)
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二尺七寸/(柳剛流)
- 2015/09/18(Fri) -
 先日の水月塾本部の稽古では、師のご指導により二尺七寸の刀をお借りして柳剛流の居合を抜いた。

 普段、私が居合や抜刀術の稽古で使っているのは、最も長いもので二尺四寸五分、最も短いもので二尺一寸であり、一番よく稽古で使っているのが、二尺二寸一分の市原長光である。

201509_長光
▲我が愛刀「監獄長光」こと、市原一龍子長光。いつ見ても、惚れ惚れするねえ・・・



 以前、武友の差料を借りて何度か二尺七寸を抜いたことはあるものの、この寸法の刀はやはり長く、そして重い。しかも、柳剛流の居合は、かなりフィジカル的に厳しい体動を要求されるので、なおさらシビアに感じる。

 (二尺七寸でこんだけシビアなのだから、三尺三寸を抜くという某流とか某々流というのは凄いなあと思う)

 ところがどうだろう、小半刻もそれで稽古をしていると、二尺七寸という長さやその重さが、むしろなじんでくるように思える。形を行ずるごとに、「鍛錬をしている」という心地よい感覚が実感できるのである。

 もっともこの二尺七寸、師が拵えとして最適な鍔や柄、金具などを用いており、長さに比べて重さの負担が非常に少なくなるよう配慮された、絶妙なバランスの差料なのだ。

 ゆえにその長さに比べて、重さをあまり感じないのである。武用刀というものは、単なる長さや重さよりも、バランスが非常に大事なものだ。

 また形の理合としても、「ある程度の刀の長さがあればこその、柳剛流居合である」とのこと。


 がんばって小遣いを貯めて、稽古用に長めの居合刀がほしいところだが、なにしろ手元不如意な昨今。新調できるのはいつになることやら・・・・・・(苦笑)。

DSCN0681_柳剛流居合
▲仙台藩角田伝 柳剛流 居合「左行」。使っているのは二尺四寸五分

 (了)
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「湯けむりスナイパー」がいるのなら、「湯けむり剣客」がいてもいいじゃないか/(身辺雑記)
- 2015/09/17(Thu) -
201509_露天風呂
▲『露天風呂貸切風呂の宿2016』 (メディアパルムック)



 昨日9月16日発売の本書。

 さぞかし、温泉宿に詳しいトラベルライターさんが・・・(以下、ステマ自粛)。


 私の仕事は印税ではないので、成果物である本が売れようが売れまいが、報酬額は変わらないのだけれど、そうは言っても自分が記事を書いた本は、やはり売れればうれしい。

 ちなみに本書では、掲載されている宿のうち24軒を執筆させていただいた。

 というわけで温泉好きの皆さんは、最寄の書店または密林へ急げ!


※密林の入り口はこちら↓
http://www.amazon.co.jp/%E9%9C%B2%E5%A4%A9%E9%A2%A8%E5%91%82%E8%B2%B8%E5%88%87%E9%A2%A8%E5%91%82%E3%81%AE%E5%AE%BF2016-%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%83%E3%82%AF-%EF%BC%88%E7%99%BA%E8%A1%8C%EF%BC%89%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%97/dp/4802150385

 (おしまい)
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柳剛流と神道無念流/(武術・武道)
- 2015/09/16(Wed) -
 江戸時代後期、武州の中でも現在の埼玉県に該当する地域で盛んに行われた剣術といえば、以下の三流派が挙げられる。

 秩父を中心に北武蔵から西部の山沿いに教線を張った甲源一刀流、久喜や加須など県東部で盛んに行われた神道無念流、そして幸手や草加などの県東部から戸田・浦和・川口などの県南部で勢力を誇った柳剛流である。

 江戸時代が終わりを告げてから、およそ150年が過ぎた平成の現在、甲源一刀流は今も秩父地方を中心に脈々と受け継がれ、神道無念流も県内にいくつかの教場があると聞く。

 それに比べると、我が柳剛流の武州・埼玉での現状は、いささか寂しいものがある・・・。


 
 私が柳剛流を学んでいる小佐野淳先生は、八戸藩伝神道無念流も伝承されており、先の稽古からは柳剛流と合わせて神道無念流立居合のご指導もいただけるようになった。

 思えば、21世紀の今、自身の出生地とはまったく関係がなく親族がいるわけでもない武州で暮らし、しかも稽古場まで開いている私が、甲州の師の元で、かつて武州で多いに栄えていた代表的二流派の武芸を学んでいるというのも、なにか不思議なめぐり合わせを感じる。

 なお師の伝承は、柳剛流は角田伝、神道無念流は八戸伝といずれも奥州の系統であり、みちのくで伝えられてきた武術ゆえの、独特の剣風となっていることもたいへん興味深い。



 八戸藩伝神道無念流立居合の手ほどきを受けてまず感じたのは、手之内や運足などに非常に繊細かつ合理的な口伝が数多くあり、一方でその全体としての運刀はたいへん自然で無理のない術だな、ということだ。

 個人的な感覚として形の動きに違和感がなく、「しっくりくる」という手ごたえがたいへん強いものだった。

 また師によれば、

「柳剛流の特徴が『断脚之術』に代表される下半身への攻撃にあるのに対し、八戸藩伝神道無念流立居合は斬りつけはすべて袈裟であり、他藩のような正面斬りや真横の胴斬りもない。ゆえに両者を併せて学ぶことは、よい補完関係になる」

 とのことであった。



 21世紀の今、縁あって武州の地で暮らす流れ武芸者の「ささやかな使命」として、この2つの流儀の稽古と師からの伝承を、これからも大切にしていきたいと思う。

 (了)
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ゴヤの『巨人』/(身辺雑記)
- 2015/09/16(Wed) -
201509_ゴヤ


 ゴヤの代表作のひとつである『巨人』は、ナポレオンによるスペイン侵攻の暴力と恐怖、混乱と抵抗を象徴的に表現した作品と言われる。

 なんとも重苦しい絵画だが、どうも最近ニュースなどを見聞きすると、この絵が脳裏に浮かぶ。

 嫌な渡世だな・・・。

 (おしまい)
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とあるステルスマーケティング/(身辺雑記)
- 2015/09/13(Sun) -
1509_ディスカバー


 ただいま絶賛発売中の、『Discover Japan』 2015年10月号。

 今号の特集は京都なわけだが、ちょいとそれだけじゃあないんですよ、そこのお嬢さん!

 P218から掲載されている、「日本三景、松島の絶景は満月にありました」 という記事が、いいんですよ、いやホント。

 さぞかし熟練のトラベルライターさんが取材をして、記事を執筆したんでしょうねえ。

 ちなみにこのトラベルライターさんは、京都特集の中の、「京都定番スポットのめぐり方」というところの記事も、書いているみたいでずぜ。


 という、まあステマです、はい・・・・・・。

 ま、京都もいいけれど、松島の金波と銀波、まさにこれからが、最高のお月見シーズン。

 お時間のある方は、ぜひ松島へ!!

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 (おしまい)
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DVという「病い」/(時評)
- 2015/09/11(Fri) -
 過日、DV(ドメスティック・バイオレンス)防止法施行から15年ということで、仕事で専門家に話しを聞いた。

 DVの相談件数は年々増加傾向にあるというが、そもそものところで家庭内等での日常的な暴力がDVと認知されたのはここ10数年のことであり、潜在的な実態が、防止法の施行と社会の認知によって顕在化した結果が、こうした増加傾向にあるのではないかという。

 妻から夫へのDVというものも稀にはあるが、基本的にDVの大多数が、夫から妻への身体的・精神的暴力である。

 その際、多くのDV夫が口をそろえて言うのが、

 「殴ったのは良くないかもしれないが、自分を怒らせる妻も悪い」

 という弁明だという・・・。

 客観的に考えれば、これはまったく言い訳になっていないことは一目瞭然だ。


 「殴ったのは良くないかも知れないが、自分を怒らせる妻も悪い」

 「蹴りを入れたのは良くないかもしれないが、自分を怒らせる妻も悪い」

 「半殺しにしたのは良くないかもしれないが、自分を怒らせる妻も悪い」

 「包丁を突きつけたのは良くないかもしれないが、自分を怒らせる妻も悪い」

 「殺したのは良くないかもしれないが、自分を怒らせる妻も悪い」


 とまあ、こんな理屈以前の理屈が認められたら、世の中なんでもありになってしまうであろうことは、錦糸町のキャバクラのお姐さんたちでも分かる、社会の道理というものだ。

 「人を殴ってはいけません」というのは、社会の倫理として最も基本的な了解事項であり、幼稚園児くらいのときにはすでに理解しているべきことなのだが、DV男(ま、女でもいいけど)は、「自分だけは、それが許される」と勘違いしているところに、病根の深さがある。

 また、多くのDV夫は、「夫の方が妻より偉い」「妻は夫を最優先にすべきだ」という価値観が強く、自分と同じ価値観を妻も持つべきだと、強く信じている傾向にあるという。

 「他者も、自分と同じ価値観を持つべき」という同質性の強要は、人種差別主義者や排外主義者にもよく見られるものだ。

 さらに、多くのDV夫は、「家庭の問題であるから、口を出すな」との言い逃れをよくするという。

 しかし、DV防止法の施行によって、

「(DV防止法では)配偶者等からの暴力を「暴力」と認め、かつ、それが「犯罪となる行為をも含む重大な人権侵害」だと規定し、暴力や人権侵害の根絶を図るために、保護命令制度の規定、婦人相談所(千葉県では女性サポートセンターになります。)や婦人相談員の位置付け、関係機関相互の連携協力の義務付けなど、被害者支援のための仕組みを規定」(千葉県ホームページより)

 することにより、DVは単なる家庭内の問題ではなく、社会の問題として扱われるようになっているのである。


 一方で、武術・武道という人間の暴力を扱う専門の立場から考えると、DV傾向のある人間というのは、何かに対する恐れが過剰なのであるまいか。

 一見、最も身近な人間ながら、本質的には他人である妻に、無条件で自分のすべてを受け入れてほしいという、ある種の幼児性が成人後も解消されないというのは、本人のアイデンティティに何か大きな不全があるのかもしれない。

 さらに「武徳」や「修身」という観点から考えると、DV男というのは、己よりも圧倒的に立場や力の弱い相手である女性に対して暴力をふるうことで、己の承認欲求を満たそうとし、あまつさえそれを身勝手な理屈で正当化するという、いわば、

 人間のクズ

 なのだから、そのふるった暴力に見合った刑罰を受けるなり、心療内科や精神科の治療を受けるなりして、本人の家族はもちろん、地域社会全体にも迷惑をかけないようにしていただきたいものである。


 「子どもは成長に伴って抑制力を身につけ、一つの行動を持続できるようになります。強い心とはよけいな刺激に惑わされないこと、優しい心とは自分の行動を抑えて他人を受け入れることです。心を育むとは抑制力をつけることと言えますが、一方で、抑制を上手に解くことにより、創造的な行動が生まれます」信州大学繊維学部助教・森山徹

 (了)
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中山派柳剛流/(柳剛流)
- 2015/09/09(Wed) -
 ヤフオクに、中山派柳剛流の誓詞の巻物が出ている。

 落札日まであと2日、現時点で3,100円なり。

 目録や免許の伝書ではなく誓詞なので、技法研究の資料としては必須ではないだろうけれど、流史を学ぶための資料としてはやはり興味深い。

 とはいえ、オークションの定石として、おそらく入札終了間際に、急激に落札価格が上昇するであろう。安けりゃ、私が落としたいけどなあ・・・。

 ヤフオクといえば以前、1万8,000円から入札が始まって競り合いになり、結局2万円以上も出して競り落とした『日本剣道史十号 柳剛流研究 その一』が、今、同じ出品者から9,800円で出品されており、しかももう何ヶ月も落札されていないというのは、いささか腹立たしい(苦笑)。もしや、「つり上げ侍」の仕業だったのだろうか・・・。

 閑話休題。


 中山派柳剛流は、剣一世の中山多七郎満足(1802-1854)が、流祖・岡田惣右衛門奇良の高弟である今井右膳祐行より柳剛流を、磯又右衛門正足より天神真楊流を学び、剣二世の幾之進吉寿(1825-1885)が、両流を合わせて興した流儀である。

 なお、柳剛流に関する資料では、「岡安派」や「深井派」、「飯箸派」など「○○派柳剛流」といった記述が多く見られ、私も本ブログでは便宜上よくこうした表記を用いる。

 しかし、剣術史家・辻淳先生は、その著書である『幸手剣術古武道史』にて、

 「自然に何々派とか何々柳剛流と称せられたのはこの英名録(市村注:『万延武術英名録』)が編纂された当時の初期だけであって、この後各地にいた柳剛流師家や門人が自ら何々派とか何々柳剛流と称したことなどはない。つまり、各地にあった門戸は柳剛流であり、本当の意味での分派とか新流派ではない事を記しておきたい」


 と指摘。その上で、中山派柳剛流については、

 「しかし、書き出したなかで中山派柳剛流だけは中山柳剛流として正式な分派として実際にあった」

 と強調している。
 

 中山派柳剛流剣一世の中山多七郎は、武州足立郡草加在吉蔵新田(現在の埼玉県川口市)にて、同地の開発者であった中山作兵ェの孫として生まれた。一度養子に出されたが、後に故郷に戻り中山家を興し、学識や武技、人望の高さから「里正(庄屋)」に命ぜられたという。

 川口市史編纂室蔵中山家資料の『家系録』には、その人となりが次のように記されている。


 「中山太(ママ)七郎満足ハ人ト為リ剛毅果決、筆翰能クシ、剣槍柔術ニ達シ、剣術ヲ岡田惣右衛門尉源竒良ノ高弟今井右膳源祐行ニ学ビ(別ニ無念流ヲモ学ンデ其ノ奥義ヲ極ムト云ウ)柔術ヲ神田お玉が池在住、天神真楊流元祖磯又右衛門ニ学ンデ何レモ其ノ極意ヲ得タリ」 


 多七郎自身は、「中山派」を名乗ってはいなかったようだが、自らが居を構えた現在の埼玉県川口市や草加市で教線を張り、多くの門人を育成。剣二世となった息子の幾之進吉寿が、柳剛流と合わせて父・多七郎から学んだ天神真楊流を取り入れ、「中山柳剛流」と称した。

 万延の『武術英名録』には16名の中山派柳剛流剣士の名前が記されているが、これは岡安派の27名に次ぐものであり、同派が武州伝柳剛流を代表する有力な一派であったことが推察される。

 中山派の剣脈は、剣三世となる孫の金五郎吉長まで続いた。

 また、剣二世・幾之進の高弟であった高橋芳太郎は、大正年間に鳩ヶ谷警察署の剣道師範として活躍。ここで、天神真楊流や真蔭流などの柔術に達し、講道館柔道精錬でもあった、歯科医の山岡長降を後継者とした。道統を受け継いだ山岡は、1937(昭和12)年に開催された「紀元節奉祝全国古武道型大会」に出場したと伝えられている。


 それでは、中山派柳剛流の技法面の特徴を伝書類からみてみよう。

 まず、明治15(1882)年に、中山幾之進が石井三次郎に出した「初目録」(切紙)をみると、剣術の「備之伝」が「刀法之備」という名称になっている。ただし、内容は他の柳剛流諸派と同じである。

 また突杖は、「突之刀法」という名称となり、本数は諸派より1本少なく合計4本、形名も「弾」「外」「電光」「切落」と、他派とは一部異なっている。

 その他、剣術形、居合形については、諸派と同様となっている。

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▲『幸手剣術古武道史』辻淳著/剣術流派調査研究会に掲載されている、中山派の
切紙。居合の形名は諸派と同様だが、突杖の名称が「突之刀法」となり、形の本数と
名称も諸派とは異なる


 目録については、これは中山派に限らず柳剛流諸派で、記載されている形の本数や名称に多様な異同がある。この点については、項を改めて考察したい。

 その上で、中山派の特徴は、目録伝書に「組手」と称する柔術形が記載されていることだ。他の諸派では、柔術技法や殺活術は免許段階で伝授される場合がほとんどである。

 中山幾之進が、元治元(1864)年に八木下歳蔵に出した「目録之巻」をみると、中山派の組手形は、

・組固
・胸取外
・捨身
・小手返
・壁添
・後当
・髪捕
・唯〆
・腕挫

 以上、9本である。

 それぞれの技法がどのようなものであったか、具体的な手控えなどの資料がないのでなんとも言えない。

 しかし、中山派の柔術技法は天神真楊流から来ていることを念頭に置き、また一般的な柔術技法も踏まえて形名から推測すると、それなりに技法のイメージは湧くのではなかろうか。

 ちなみに岡田十内派では、免許の段階で「手詰伝」として、柔術的な技法を伝授しているようである。参考までに、その形名を以下に記すと、

・柄カラミ
・頭カエシ
・足カウクダキ
・柄トリメツキ
・砂トリメクチ

 以上、5本である。

 中山派目録の「組手」と、岡田十内派免許の「手詰伝」の形名を見比べてみると、何とはなしにだが中山派の「組手」はいわゆる一般的な柔術技法であるのに対し、岡田十内派の「手詰伝」は、いわゆる帯刀した状態での柄捌き系の技のように感じられるのだが、いかがだろう?


 江戸時代後期に活躍した剣客の習いとして、中山派・剣一世の中山多七郎は五十路を越えてもなお、盛んに数多くの他流試合(撃剣による地稽古)をしていたことが記録に残されている。

 そこには、川越藩剣術師範として著名な神道無念流の大川平兵衛英勝、あるいは同じ柳剛流で後に武州伝柳剛流の最大派閥となる岡安派の剣一世・岡安禎輔(英斎)の若き日の名も記されている。

 その多七郎の『修行帳』の巻末には、次の道歌が記されていたという。

 「まけてのく 人を弱しと思うなよ 智恵の力の強き人なり」


■参考文献
『幸手剣術古武道史』辻淳著/剣術流派調査研究会
『埼玉県の柳剛流(その2)』大保木輝雄/「埼玉大学紀要(体育学篇)」第15巻
『ルックバック わらび』加藤隆義(編)/蕨市相撲連盟
『浦和における柳剛流』山本邦夫/「浦和市史研究」第2号
 
 (了)
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知新流印可伝授書に見る、打剣の秘伝/(手裏剣術)
- 2015/09/07(Mon) -
 藤田西湖著の『図解 手裏剣術』(名著刊行会)は、手裏剣術を志す者であれば必ず手元に置いておくべき基本資料だ。

 個人的には、本書に掲載されている知新流関連の記述は、二次資料ながらも、武術としての手裏剣術に関してたいへん重要な示唆の数々を与えてくれるという点で、何度となく精読している。


 これはあくまでも現時点での私見だが、根岸流に代表される江戸末期以降の近代的な手裏剣術の打剣が、「弓の形、剣の精神」ということで、逆体での打剣をベーシックにしたことにより、打剣距離を一気に伸ばした一方で、武術としては「剣術の理合との乖離」「居着きやすさ」というマイナス面を抱えてしまったことは、否めないのではなかろうかと推察している。

 一方で順体を基盤とした手裏剣の打剣は、剣術の理合との乖離が少なく、また送り足にせよ歩み足にせよ運足を伴いながらの打剣がより自然で違和感なく居着きにくい。

 こうした点を踏まえた上で、知新流のような古い時代の順体をメインとした手裏剣術の伝書や資料をよく読むと、さまざまな発見や気づきがある。


 ところで順体・逆体についての考察とは異なるが、過日の稽古中、改めて実感したのが『図解 手裏剣術』に記載されている知新流印可伝書に記された“秘伝”だ。

 そこには下記の図を示した上で、

 「此の通りに当たる様に不立様に打たせる事也ケ様教えれば則ち立なり是秘伝なり」

 と記されている。

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▲藤田西湖著の『図解 手裏剣術』(名著刊行会)より。知新流の秘伝の図


 翠月庵では、直打で剣を打つ際のコツとして、初心の段階から「剣を回転させず、的に立ったままぶつける心持ちで打て」と徹底的に指導しているが、この知新流の秘伝の内容も同じ事である。

 また、ある程度熟練した者でも、間合の変化などで剣が刺中しにくくなった場合、動きをリセットする意味で、「あえて的に刺すことを意図せず、剣を立ったまま的にぶつける」ということを推奨している。

 その際に、上記の図のイメージを視覚化しながら打つと、非常に効果的だ。

 ある程度手之内ができ上がり、「板金を打つ心」(フルパワー)での打剣ができるようになると、無意識のうちに手首のスナップに頼ってしまい、首落ちが多くなることがある。そうした場合、上図を意念の上で視覚化しながら打つことで、首落ち=手離れのタイミングを適切に補正することができる。

 過日の稽古中、三間から四間、四間から二間などと、間合を変えながら打つ稽古の際、改めてこの「イメージ化」の重要性を再確認した次第である。

 古人の教えは、奥深いものだ。

 (了)
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生死一重の至近の間合からの、渾身の一打/(手裏剣術)
- 2015/09/05(Sat) -
 この9月で、我が翠月庵は結庵から丸8年が過ぎ、本日は9年目の最初の稽古。

 いつも通り打剣に集中した。

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 思えばこの8年、いろいろとあった(苦笑)。

 おそらく9年目の当庵は、大きな変革の年となるであろう。

 しかし一方で、いままで通り淡々と稽古を継続していくことであろう。

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 翠月庵は、武術とはかけ離れた単なる的打ちや、奇抜な見世物芸のような手裏剣投げに堕することなく、あくまでも伝統的な日本武術の「事」と「理」に即した、

 「生死一重の至近の間合からの、渾身の一打」

 を、今後も粛々と追及していこうと思う。


 どのような技芸にしろ、おもてにあらわれる基本の動作は単純なものである。
 だが、ちから充ちて、技が熟すにしたがい、これらの動作の反復をさぐればさぐるほど深さに切りがなくなる。
 矢を放って的を射るという一事に、人間の精神と肉体の高揚が無限に発揮されねばならぬ。
 それを追いもとめることへの情熱は、他のどのような仕業にもあてはまることだといえよう。
 (池波正太郎)



 手裏剣術伝習所 翠月庵
 市村翠雨 謹識

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玉城町から届いた、紀州藩田丸伝柳剛流演武の資料より/(柳剛流)
- 2015/09/03(Thu) -
 昨日、玉城町で行われた紀州藩田丸伝柳剛流の演武についての記事を書いたが、つい先ほど、玉城町の担当者の方から以下の資料が届いた。

1)町制60周年記念式典 式次第
2)玉城町町制60周年記念式典における柳剛流演武詳細
3)柳剛流(ナレーション用原稿)
4)構え一覧

 そこで、昨日の記事では書いていなかった点について、補遺として以下にまとめる。

 まずは、資料の摘録と考察。

・演武当日は、剣術の組太刀6本のほか、切紙の「備之伝」も公開された。

・本演武で公開された紀州藩田丸伝の備之伝の名称について、小佐野淳先生から私が学んでいる仙台藩角田伝の備之伝の名称、および武州系・仙台藩伝系の各切紙伝書類と付き合わせたが、すべて同一で差異はなかった。

・三村幸夫先生に当流を伝えた、先代の清水誓一郎先生の肩書きが「北辰一刀流剣道範士」となっている。

・仕太刀をとった三村幸也先生は、免許受領者であるとのこと。

・流儀を紹介する記事でも、また演武中に流されたナレーションでも、流儀の名称の読み方/呼び方は「りゅうごうりゅう」となっており、りゅうごうの「ご」の字は濁る発音となる。


 次に、『町制60周年記念式典 式次第』に掲載された紹介文。

 柳剛流(りゅうごりゅう)

 幕末に台頭した剣術の一流派 であり、 元祖、岡田総右衛門奇良 (明和二年(1765年) )は、 幼少のころから文学武芸を志し、十八歳で諸国を武者修行し諸流の玄妙を知り、脛を斬ること考案、柳の柔にして剛なる心をとって柳剛流と号したと言われています。
 柳剛流は剣術・居合・長刀 ・突杖 ・甲冑当・活法・真剣もぎとり等を含んだ総合武術であり試合を得意とした実践剣法でもあります。
 紀州藩田丸領同心であり、紀州藩剣術師範となった橘内蔵介(文政三年(1820 年) )が伝えた系統が伝承され、現在は、7代目三村幸夫先生が柳剛流剣術・卜伝流鎖鎌を継承、教授されています。
 明治13年、弟子119名が内蔵介の還暦を祝って玉城町宮古の広泰寺に建立した「橘老白翁寿蔵碑」が現存しており、これには村山龍平翁の名も記されています。



 最後は、当日演武中に流されたナレーション原稿。

 柳剛流(りゅうごうりゅう)

 柳剛流は剣術・居合・長刀・突杖・甲冑当・活法・真剣もぎとり等を含んだ総合武術であり、試合を得意とした実践剣法でもあります。
 紀州藩田丸領同心であり、紀州藩剣術師範となった橘内蔵介(文政三年(1820年))は、安生5年(1858年)に江戸に招かれ、赤坂の藩邸において徳川14代将軍(徳川家茂)の前で柳剛流剣技を披露し、帰国の後に田丸城剣道指南役となりました。
 また、内蔵介は田丸ほか13か所に道場を開き、師事する者の尊敬を集め、門人は三千人に及んだとの記録があります。
 明治13年には弟子119名が内蔵介の還暦を祝って玉城町宮古の広泰寺に「橘老白翁寿蔵碑」を建立し、これが現存しています。
 なお、この碑には朝日新聞創始者で玉城町名誉町民第1号である村山龍平(りょうへい)翁の名も記されています。



 さて、今回判明した情報で、今の時点で私が気になる点は3つ。

 第一に、備之伝について、今回いただいた資料は、構えの名称と読みがなの記載のみなので、構えそのものがまったく同じかはつまびらかではない。機会があればぜひ一度拝見して、仙台藩角田伝の備之伝と比較してみたいものである。

 第二に、先代の清水誓一郎先生の肩書きが、「北辰一刀流剣道範士」となっていること。武術家が複数流派を稽古・継承していることは、特段珍しいことではないが、当流と北辰一刀流とは、いろいろな意味で接点や関連性があるので、たいへん興味深い事実である。柳剛流と北辰一刀流とのことについては、また項を改めてまとめたいと思う。

 第三は、くどいようだが、柳剛流の読み方/呼び方について(苦笑)。田丸伝では「りゅうごうりゅう」と読んで/呼んでいることが分かった。ま、これはすでに以前のブログでも書いたけれど、読み方/呼び方は「りゅうごうりゅう」でも、「りゅうこうりゅう」でも、どちらでも良いのだろうし、どちらも往時から読まれ・呼ばれていたのだろう。

 (了)
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玉城町で紀州藩田丸伝柳剛流の演武が披露されたとのこと/(柳剛流)
- 2015/09/02(Wed) -
 先月、ネットで柳剛流に関する情報をつらつらと調べていたところ、去る5月17日に三重県の玉城町で行われた町制施行60周年記念式典にて、柳剛流の演武が行われていたというブログの記事を見つけた。

『尚之介のひとりごと』
http://tamamaru-taiko.jp/blog/

-以下、引用-

「玉城町町制施行60周年記念式典」(2015年5月26日記事)

 5月17日(日)町制60周年記念式典が田丸小学校体育館で挙行された。式典の前には有田神社の獅子舞が長更獅子舞保存会により披露された。また。幕末に台頭した剣術の一流派である柳剛流の剣術が披露された。

-以上、引用終わり-


 玉城町といえば紀州藩田丸伝柳剛流興隆の地である。

 となると当然ながら、演武は松坂市にて田丸伝の柳剛流を伝えている養心館道場・三村幸夫師範とそのご一門によるものだったのだろうと推察するものの、上記の記事には演武者の氏名や演武の内容などは書かれていないため、詳細は不明であった。


 その後、このニュースについて、本ブログで何か書こうかなあとつらつら考えていたところ、Twitteでこの件について書いている人がいて、「ありゃりゃ、先に書かれちゃった・・・」と思い、なんとなくそのままになっていた。

「三重県の玉城町で柳剛流剣術が演武されたらしい。」
https://twitter.com/inuchochin/status/635342169864187904

 ま、新聞のスクープ記事というわけではないので、「先に書かれちゃった」も何もないのだろうけれども(笑)。

 私も、「玉城町で柳剛流の演武が行われた」という事実しか把握していなかったので、それ以上の情報がないと改めて自分のブログで書く意味もないかなあ・・・、などと思っていたわけです。


 さて、そんなこんなで今日、私は朝から机に向かって高齢者のリハビリテーションに関する原稿を書いていたのだけれど、午前中に別件の仕事がらみでいささか腹の立つことがあり、なんとなくクサクサとした気分で筆がのらず、午後からは夕方まで仕事がほとんどはかどらなかった。

 そこで、何か気分転換がしたいなと思い立ち、「ぢゃあ、玉城町役場に電話取材でもするか(キリッ!」っと、発作的に思い立った次第(爆)。

 その結果、玉城町町制施行60周年記念式典での紀州藩田丸伝柳剛流の演武は、次のような内容だったことが分かった。


・打太刀は養心館道場三村幸夫先生、仕太刀は師範の御令息である三村幸也先生。

・演武内容は剣術の組太刀7本
 1.無心剱
 2.中道別剱
 3.獅子乱刀
 4.青眼右足刀
 5.捨輪刀
 6.相知刀
 7.右剱  
 ※演武時、6本目で木太刀が折れるトラブルが起きたため、7本目の右剱は披露されなかったとのこと。

・今回の演武は、町制施行60周年記念式典のイベントとして初めて行われたもので、定期的なものではない。


 上記7本の剣術形について、手元資料にある武州系および仙台藩角田伝系の切紙・目録伝書に記されている剣術形名と突き合わせると、すべての形について、いずれかの伝書に同一の形名があることを確認することができた。

 なお、取材に対応してくださった役場の担当者氏の話では、上述の通り今回の演武は町制施行60周年記念式典の一環としての単発イベントであり、今後、何からの形で同町で紀州藩田丸伝柳剛流の演武を継続的に行うといった予定は、今のところはないとのこと。


 いずれにしても、伝系が異なるとはいえ当流が西国でも脈々と受け継がれているという事実は、たいへん喜ばしいことだ。

 機会があればぜひ、後学のために田丸伝の演武も、直接拝見したいものである。

 (了)
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撞木足、長刀での運足と体捌き/(柳剛流)
- 2015/09/01(Tue) -
■本日の稽古備忘録

 先日、本部で師に手直しをしていただいた点に留意しながら、柳剛流の剣・居合・突杖・長刀を復習。


 全体的に撞木足が甘くなりがちなので、この点にも注意。

 古い写真で見た、往時の影山流の少年剣士の見事な撞木足が理想だが、私など到底及ぶところではない。

 重く、長い長刀を、当流独特の運足と体捌きで遣うのはかなりの難しさだが、それができてこその柳剛流である。

 逆に、この運足と体捌きで長刀が自在に遣えるならば、剣術での運足と体捌きは容易だ。

 鍛錬すべし。

 居合。師から、納刀時の姿勢の崩れを指摘されたので、この点に意識をおいて形を反復。

 突杖。杖を長く、低く遣うこと。ここでも撞木足が重要だ。

 (了)
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