グルコサミンよりも、はるかに効果の高い一冊/(書評)
- 2015/11/28(Sat) -
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▲『頭と体を元気に-生涯さびないためのトレーニング』
  公益財団法人ライオン歯科衛生研究所 編/扶桑社



 1年がかりの労作(自分で書くなってか・・・)がついに発行!!

 表記上、著者は「公益財団法人ライオン歯科衛生研究所 編」となっていますが、実際に本書を取材・執筆したのは、奥付に「執筆協力」として名前が記されている医療記者さんのようですな・・・・・・。

 ま、印税じゃないので、売れても売れなくても、アタシの報酬は変わらないんですけどね。しかももう、原稿料受け取り済みだし(爆)。


 私の場合、雑誌や新聞、ムックの仕事が中心なので、こうした単一テーマの書籍の取材・執筆仕事は、2年に1本くらいしかやらないのだけれど、書籍を書くというのは独特の苦労と達成感があるものだ。

 さて昨今、中高年~高齢者向けの健康本は数あれど、この本の特長は、EBM(Evidence based Medicine:根拠に基づく医療)やサイエンスに基づいたスタンスで書かれていること。

 本書の内容や論旨は、監修者である元東京都健康長寿医療センター副所長の高橋龍太郎先生によるもので、延べ10時間以上に及ぶロング・インタビューを元に、不肖・私が一冊の原稿として取材・執筆したものである。

 グルコサミンやセサミンなどのサプリに大金を投じて、年間何万円もの代金をどぶにすてるような余裕があれば、たった760円+消費税の本書を買って味読する方が、はるかに認知症予防やアンチエイジングに効果があります。

 ただし、本書はあくまでも熟年世代・高齢者を対象にした内容なので、働き盛りの40代・50代の人が現状の自分に当てはめても、ピンとない内容なのでご注意を。そういう人は、60代以上のご両親やご親戚にプレゼントしてあげてください。


 なにはともあれ、まずはお近くの書店かアマゾンへ走れ!!!

 (おしまい)
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柳剛流の突杖/(柳剛流)
- 2015/11/27(Fri) -
 本日、武州の拙宅周辺は氷雨が降っていた。

 このため今日の稽古は、自室で居合を中心に・・・。

 っと思ったのだが、その前に突杖の復習を簡単にしておこうと杖を手にとる。

 柳剛流には、剣術・居合・突杖・長刀(加えて殺活その他の口伝)があるが、これらの中で突杖については、個人的にいままで、どうもしっくりこないというか、身体になじまないなあという感覚が強かった。

 ところが、今日の稽古で形を復習しているうちに、何やらだんだん「しっくりくる」というような、違和感のない感覚が芽生えてきた。そのきっかけが何かというのを、今の時点で明確に言葉にすることはできないのだが、これまでの違和感や、自分の動きに杖がなじまないような感覚が次第に、しかし明確に薄れていくようで、結局、稽古の始まりから終わりまで突杖に終始した。


 柳剛流の突杖は、「ハジキ」、「ハズシ」、「右留」、「左留」、「抜留」の5本。いずれも対剣術の形である。どの形もごくシンプルなもので、いかにも素朴な趣きだ。

 突杖は、当流では切紙の段階で剣術形2ヶ条、居合5ヶ条と合わせて教授されるものであり、仙台藩角田伝をはじめ武州伝、あるいは杖のみが現在も伝承されている龍野藩伝の系統などでも、形の名称や本数はおおむね共通している。

 一方で、武州伝のひとつであり天神真楊流の影響を受けた中山派柳剛流では、突杖を「突之刀法」という名称にしているのは実に意味深長である。また同派では形の本数が4本と少なくなっており、名称も「弾」、「外」、「電光」、「切落」となっている。

 さらに上総国川場村(千葉県東金市)に伝承された柳剛流の伝書では、突杖の名称が「乳根木」とされていることにも注目したい。ここでいう「乳根木」というのは、いわゆる「乳切木」と同じように、杖の寸法を杖術の名称にしたのであろう。


 「突杖」という名称や形の名前からも分かるように、この術は弾く、外す、突くといったたいへん素朴な動きで構成されている。しかもそこで使うのは、自在に扱うには習熟が必要な刀とは異なり、何の変哲もないただの杖である。

 柳剛流は剣術を表芸としながら、切紙伝授の段階で指導される剣術形はわずか2本しかない。一方で居合形は5本、突杖の形も5本がこの段階で伝授される。

 その意味について、居合に関しては以前本ブログで、「柳剛流の居合は、当流に必須の体捌きを習得するために必要な、下半身の鍛練的な意味も大きいのではないか?」と推察した。

 これに対して突杖は、即習得可能な護身術的な色合いが強かったのではないかと考えられる。

 剣術に不慣れな者でも、シンプルな突杖なら早期に習得ができ、しかもすぐに護身術として活用できる(一方で、突き詰めれば杖とはまた、実に奥深い術であるのだが)。

 柳剛流は総合武術であるゆえに、切紙の教習体系にはそんな意味が込められているのではないだろうか。


■参考文献
『幸手剣術古武道史』辻淳著/剣術流派調査研究会

 (了)
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すでにマーロウが、4歳も年下なのか・・・/(身辺雑記)
- 2015/11/26(Thu) -
 もうだいぶ永いあいだ私立探偵をやっています。独身の中年者で金はありません。留置場に入れられたのは一回だけではなく、離婚問題は扱いません。好きなものは金と女とチェスといったところ。警官には嫌われていますが、仲のいいのも二人ほどいます。サンタ・ローザ生まれのこの土地の人間で、両親とももう死んでいて兄妹も一人もなく、この稼業の人間にはよくあるように暗い路地で往生しても、悲しがる人間は一人もいません。
 (『長いお別れ』 レイモンド・チャンドラー/清水俊二 訳)



 昨日は誕生日であった・・・(苦笑)。

 すでに、フィリップ・マーロウよりも年上となったクタビレタ中年男が、お誕生日もヘチマもないのだが、今年は親しい人から以前から欲しかった印伝の財布をプレゼントしてもらったり、FBでは学生時代の同級生や若いころのバイク仲間、武兄などからメッセージをいただくなど、素直にうれしく思う。


 そんなこんなで、46歳(!)を迎えたこの日の稽古は、たまたま空手の日。

 本日は初心者向けの平安4段の分解指導で、K先生の受けを命じられる。首相撲からの膝蹴りと、両衿をとっての膝蹴りの変化についてのご説明は、私もたいへん勉強になった。

 先生の指導の後、自習の際に何人かの初心者の皆さんから、「手刀受けの分解について教えてくれ」とのことだったので、差し手から入身しての手刀打ち→投げ→下突き→踏み潰しのコンビネーションを解説する。

 手刀受けというのは、競技組手ではまったく使うことのない技だが、武技としてはたいへん応用範囲が広く、味わい深い技だと思う。

 また、「差し手」は、攻めるにも守るにも使い勝手のよい技であり、空手の形の動作には数多く含まれている。しかしそれも、分解をしっかりと学ばないとなかなか思いいたらないだけに、質問されればできるだけ丁寧かつ具体的に解説したいと思っている。

 (了)
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PCSのルノルマン/(身辺雑記)
- 2015/11/24(Tue) -
 これまで、ルノルマン・カードには手を出していなかったのだけれど、パメラ・コールマン・スミス(PCS)の絵を使った「ピクシーズ・アスタウンディング・ルノルマン」というカード、しかも最近はやりの缶入りで出たということ。

 これ、欲しいなあ・・・。

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▲雲のもくもく感とか、いかにもPCSですなあ


 送料込みで3,000円足らずというものなわけだが、なにしろ今月は瞬間湯沸かし器が壊れてしまい(涙)、新品に買い換えたばかりなので、貧乏ライターは手元不如意なのである・・・。

 それにだね、そもそも今からルノルマンの使い方を覚えるのであれば、それよりも長年の懸案であるエッティラ版のお勉強の方が先だろうとも思うわけです。

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▲エッティラ版のお勉強は・・・・・・


 ま、卜占なんてもんは、何を使っても当たればいいわけで、しかも結局、ここ一番の時には八面賽一投の周易・略筮で、エイヤッ! っと一刀両断してしまうわけだが、夜半にテーブルでひとりカードを手繰るという味わい深さも、なんとも捨てがたいものなのである。

 そういえば、確かダンテの『神曲』では、占い師は首が後ろ向きになってしまうんだっけかね・・・。

 それでも、「見えない明日を知りたい」という人間のささやかな願いは、太古の昔から途絶えることはないのだろう。

 というわけで、本日のアタシの運勢は・・・。

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▲合気が外せない状態・・・


 嫌いじゃないよ、剣の2。いや、むしろ好きなカードだけど・・・、まだまだ安寧は遠いと。やれやれですな。


 ~すべての邪悪よ、本来のあるべきところへ帰っていけ。神の名のもとに、すべての邪悪の影響が、同胞に奉仕するためにささげられたこのカードから取り除かれんことを願う。そうなるように~

 (おしまい)
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「最終奥義」/(武術・武道)
- 2015/11/22(Sun) -
 ここしばらく、坂本龍馬の長刀の伝書が云々・・・という話題が、ニュースで取りざたされている。

 この伝書の話題そのものには言及しないけれども、その周辺で「龍馬は『最終奥義』を知らなかったから云々・・・」とかいう記事を目にした(http://news.livedoor.com/article/detail/10854685/?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter)。

 何はともあれ、こうした文脈での「最終奥義」という表現は、日本語の語感として「マッド・マックス 怒りのデスロード」並みにすごいなあと思う。それはたとえば、北斗百裂拳的な何かなんでしょうかね・・・・・・。

 ちょうどここ2日間、東京ミッドタウンで開催されていた某KO大学のイベントでインタビュー七連荘という人道を無視した過酷な取材をしていたのだけれど、その中である若きバイオ関連の研究者との会話中、「厨二病」という話題になった。

 自戒も込めて考えると、武術・武道界というのはある種、厨二病の温床みたいな世界であるわけで、私も気をつけなきゃあなあと思っていたところ、上記の「最終奥義」の話題を目にして、あらあらと思った次第。



 試みに、たとえば柳剛流の「最終奥義」的なものは何かと考えると、そのひとつは長刀であろう。

 何しろ流祖自ら、 「秘伝の長刀を伝授の上の者は、諸流剣術多しと雖も負くる事これ有るまじく候」と明言しているのだから。

 ではそれは、どれほどものすごい超絶的で空前絶後な、天地がひっくり返るような秘技なのであろうか・・・・?

 などともったいぶって書くのもなんだが、稽古者としてまじめに記せば、それはあくまでも常識的な武芸の業の延長線上にあるものであり、魔法のような一手や、それを知るだけで天下無双になるような業ではない。

 これは、柳剛流で言えば免許秘伝の長刀だけなく、目録の「備十五ヶ条フセギ秘伝」、「二刀伝」や「小刀伝」などでも同じことである。

 「秘伝」や「奥義」、「口伝」というものは、流儀の理合に沿った初学からの地道な稽古の積み重ねの上で得られる、「術」の集大成としての形や業、あるいはコツであるというのは、いまさら言うまでもない。

 ゆえに「奥義」の本質といえるものは、実は最初に教わる一手の中にあるというのは、柳剛流に限らず多くの武芸に共通して言えることなのではなかろうか?

 そういう意味で柳剛流の真の奥義は、切紙で最初に学ぶ「右剣」と「左剣」の2つの形にあるのだと、私自身は考えている。

 いずれにしても、地道で確実な稽古の積み重ねこそが本来の「術」の到達すべき高みとしての「奥義」なのだが、冒頭の話題のように「最終奥義」などという言葉だけが先走ると、陳腐というか滑稽というか、イタイ物言い、いわゆる「厨二病全開」ということになってしまうのであろう。


 では、手裏剣術に「最終奥義」的なものがあるとすれば、それは何だろうか?

 これもまた魔法のような業ではなく、地道な打剣の積み重ねの上にある常識的なものである。

 その形態や表現は流儀ごとにさまざまであろうが、翠月庵ではそれを「生死一重の至近の間合からの、渾身の一打」とし、形としては手裏剣術運用形7本目の「突進」や、刀法併用手裏剣術基本形1本目の「先」などで表現している。

 一般的に対抗不能性という観点から、手裏剣術者はより遠くからの打剣を追い求める。しかしその究極が、逆に至近の間合からの打剣に転換するという点に、武術としての手裏剣術の本質があるわけだ。

 もっともこれは、対人攻防の経験の積み重ねがないと理解することができないであろう、行動科学としての武芸の奥深い理合であり、哲学でもある。


 ま、いずれにしても、厨二病にはご用心、ご用心。

 (了) 
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正拳突き10万回/(武術・武道)
- 2015/11/19(Thu) -
 ここのところ古流の稽古や仕事が忙しく、空手はサボリがちだったのだが、昨日は久々に稽古へ出る。

 基本稽古でこってりと絞られた後の休憩中、空手道歴1年半のAさん(推定年齢60代後半、柔道・合気道有段者)に声をかけられる。

 「どうすれば先生方や翠雨さんみたいに、突いたときに『バシッ』と音が出るようになるんですか?」
 「そうですねえ・・・、正拳突きの稽古を10万回くらいやれば出るようなるんじゃないですか」
 「・・・・・・」

 ちなみに、後でざっと計算したのだが、1回の稽古で基本や形、打ち込みなどを合わせて大雑把に300回ほど突きを行うとして、週2回の稽古で600回、1ヶ月で2400回、1年で2万8000回なので、4年も稽古をすれば10万回を超える計算である。

 一般的には、町道場で週に2回、4年ぐらい稽古を続ければ、普通の人であれば初段にはなっているだろうから、あながち間違った解答ではなかったと思う。

 個人的には、袖を長めにするとか衣擦れの音のしやすい稽古着にするというのは、邪道だと思う。



 ところで、これは剣術や居合の稽古の際の樋音も同じだけれど、音を鳴らすことそのものが稽古の目的になるのは大きな間違いであり本末転倒であろう。

 あくまでも樋音は、正しい刃筋、太刀筋の結果鳴るものであり、大きく派手な樋音を鳴らすことが稽古の目的ではない。

 樋無しの刀で、正しい刃音がする斬りこそが理想であろう。

 空手道の突きも同様に、突きの音を鳴らすことが目的ではなく、正しい突きを何度となく繰り返すうちに、自然と適切な突き音(?)というようなものが出るようになるのだ。

 ・・・・・・ということもAさんに説明しておいたのは、言うまでも有馬温泉。

 (おしまい)
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真夜中の神託/(身辺雑記)
- 2015/11/18(Wed) -
 晩酌に野菜の揚げびたしを肴に3合ほど飲んで、珍しく日付が変わる前にそのまま寝込んでしまう。

 喉の渇きを感じて目覚めると、深夜の3時。

 たしか『エミリー・ローズ』では、悪魔が活動する時間だとか言っておったのう・・・・・・。


 妙な時間に目覚め、なんとなく眠れなくなってしまい、手慰みにカードを手繰る。

 (こんな時間には、さすがに稽古などする気にはならない)。

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▲最近、タロット業界では缶入りカードがちょっとしたブーム? 確かに、紙箱入りよ
りも持ち運びには便利だ。出先でのテーブル上などでも扱いやすいサイズである


 おやおや、18番ですか。

 なんか“出て”きそうだね、こりゃあ(苦笑)。

 ま、まじめに読めば、不眠、不意な目覚めとでもしておきますかね。つうか、そのまんまやん・・・。

 しょうがねえ、もう1回、風呂入って寝なおそう。

 お後がよろしいようで。

 (おしまい)
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夜雨の奇/(身辺雑記)
- 2015/11/16(Mon) -
 なかなか手離れしない厄介な仕事に今日も追われ、朝から夜までひたすら机にかじりつく。

 とはいえ少しでも稽古をしようと、夜、仕事場を抜け出して外で木太刀を振るう。

 小半刻がすぎ、そろそろ突杖か長刀をやろうかと思ったとことろ、雨粒がポツリポツリ。

 「夜雨の奇」か・・・。なかなか風流じゃあないか。

 やむをえまいが、ここらで納めて部屋に戻ろう。

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 (おしまい)
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ツタヤ図書館的薄っぺらな世界/(時評)
- 2015/11/14(Sat) -
 先週は流祖墓参の折りに幸手の市立図書館へ、今週は都内での打ち合わせの帰りにさいたま市立中央図書館に立ち寄り、それぞれで以前から目をつけていた柳剛流関連の貴重な資料を入手することができた。

 ■幸手市立図書館で入手した資料
 『幸手市史 通史編Ⅱ』/「第二章 明治期の教育と文化・生活 二 柳剛流の発展」
 『幸手市史調査報告書 第10集 村と町-往時の幸手-』/「吉田村誌 第三節 武術家」
 『幸手市文化遺産調査報告書 第2集 幸手の石造物Ⅱ -吉田地区-』

 ■さいたま市立中央図書館で入手した資料
 『浦和市立郷土博物館研究調査報告書 第7集』/「綱島家の剣術について」(山本邦夫)
 『蕨市立歴史民俗資料館紀要 第6号』/「雑誌并見聞録」(小林雅助)

 なかでも、 『幸手市史調査報告書 第10集 村と町-往時の幸手-』に掲載されている「吉田村誌」は、大正7(1918)年にまとめられた筆書きの郷土史で、流祖・岡田惣右衛門奇良の生涯についての、たいへん貴重な一次資料である。流祖が18歳で葛飾郡惣新田から江戸へ出たこと、本家は流祖の弟が家督を継いだことなどは、この資料によって始めて明らかになったものだ。

 また 『蕨市立歴史民俗資料館紀要 第6号』に掲載されている「雑誌并見聞録」は、明治40(1907)年に記された蕨地区の郷土資料で、柳剛流を代表する剣客・岡田十内の来歴に関する重要な記述が示された一次資料である。

 剣術史家の辻淳先生は、従来別人とされてきた、十内の師である今井右膳と林右膳が、どうやら同一人物であるという点を指摘している。その根拠となってるのが、この「雑誌并見聞録」に記された証言なのである。

 これらはいずれも実技に関する資料ではないが、流儀の歴史に関するたいへん重要な資料であり、それらを味読できるのはなんともうれしい。

 さて、それぞれの資料についてのレビューなどはいずれ機会を改めてしようかと思うが、ここで話は武雄市や海老名市、小牧市などで話題になっている「ツタヤ図書館」問題へ飛ぶ。



 武雄市の図書館問題で一番腹立たしいのは、ツタヤの関連会社から仕入れたクズ同然の古本を収蔵するために、国会図書館にも収蔵されてない貴重な郷土史の資料を捨てててしまったということだ。この図書館の運営者であるツタヤの親会社は、公立図書館の管理者として常軌を逸しているとしか思えない。

 社会的使命を忘れ利益を最優先する民間企業、それに寄生して甘い汁を吸ういかがわしい政治家、何ごとにも事なかれ主義の地方公務員、こうした人々が集まった結果が、武雄市のツタヤ図書館問題なのである

 ちなみに、このツタヤ図書館を企画し建設を主導した前市長は、現在、ツタヤの関連会社に天下りしているそうな。時代劇風にいえば、引退した悪代官が越後屋の番頭になったということかね・・・。

 思うに、今後も全国各地で「民間委託」「規制緩和」という耳障りのよい言葉のもとで、図書館だけでなく地域のさまざまな公的サービスが、利益最優先の民間企業主導の施策で次々に劣化・破壊されていくことが予想される。

 そもそも図書館はおしゃれである必要はないし、カフェも要らない。お茶が飲みたきゃ、自販機置おいときゃあいいんだ。

 そういう「うわっつら」ではなく、本来あるべき図書館としての機能をより高めていけばよいだけの話だし、そういう理念を共有できる、三方よしの近江商人のような社会的使命を理解しているまともな民間企業に、地域の公共事業を委託すべきだろう。

 武雄市のツタヤ図書館運営者の行為は、人類の知や文化・芸術への冒涜としか思えない。

 全国の図書館がみなツタヤ図書館のようになってしまったら、 なんとなくおしゃれで明るい、けれど薄っぺらで深みのない館内そして蔵書の中で、「吉田村誌」や「雑誌并見聞録」のような資料は、他県のラーメン食べ歩きや年度落ちの資格の古本を仕入れるために、ごみとして捨てられてしまうのか・・・・・・。

 そんな「ツタヤ図書館的薄っぺらな世界」が、これから全国各地で出現するのかね・・・・?

 いや、幸手市立図書館やさいたま市立中央図書館の運営者や職員の方々、また幸手市民やさいたま市民は、そんな愚か者ではないことを信じたいものだ。一方で、うちの地元の図書館は・・・・・・・、いろいろあって、はなはだ不安である。


 とりあえず私は、今後もひとりツタヤ&ブックオフ不買運動、ひとり地域の書店&古書肆応援運動を続けていく所存である。

 ま、どうせツタヤには、『図解 手裏剣術』とか『日本剣道史』とか、あるいは『オースティン・スペアの魔術』とか『易学通変』とかは置いてないからな。

 あと、ひとりTポイントカード拒否運動も続けていこうと思う。

 つうか、レジで支払いをするたんびに、「Tポイントカードはお持ちですかあ~」と聞かれると、ほんとイラッってくるんだよな。Tポイントカード持ってません・いりません・くそくらえカードとかないのかね・・・。

 あ、ちなみに今、私はシラフです。酔っ払ってませんよ、念のため・・・・、これから飲むケド(爆)。

 (完)
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一重身、一文字腰、撞木/(柳剛流)
- 2015/11/13(Fri) -
 稽古では、まず準備運動をかねて、師よりご指導いただいた浅山一伝流の構えによる足腰の鍛錬法をみっちりと行う。もうこれだけで、下半身がパンパンである・・・(苦笑)。

 次いで木剣と長刀の素振りの後、柳剛流の形を復習する。



 先日の本部稽古で、師より一重身についてご指摘をいただいたので、本日はこの点に一段と留意をする。

 そこでハタと思い至ったのは、一重身がしっかりとれていない時は、必ず撞木足が崩れている。逆に、しっかりと撞木足ができている場合、いやでも腰は一文字腰となり、身は精緻な一重身になるということだ。

 ま、当たり前といえば当たり前の事、古流においては基本のキであり、何をいまさらという感じであるが、一方で正しい一重身、正しい一文字腰、正しい撞木足というのは、なまなかにできるものではない。

 ある意味で、「完全な一重身」「完全な一文字腰」というのは名人・達人の領域であり、私のような凡俗は日々、その理想の身勢を念頭に稽古を繰り返していくしかない・・・・。



 この点に意識をおいて、しっかりとつま先を開いた撞木足での構えと運足を心がけると、より精緻な一重身をとることができる。

 それは、ほんの2~3寸ほどの、つま先の位置の違いだ。

 しかし、このほんのささいな点に、死命を制する重要な身体の使い方があるというのが武術の醍醐味であり、それに気づいた時の喜びというのは、武芸を学ぶ者のみが知る至福の瞬間なのである。

 (了)
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田辺は美味しい口熊野/(身辺雑記)
- 2015/11/12(Thu) -
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 絶賛発売中の、『Discover Japan 2015年12月号』。

 なかでも下記のページ(P118~)の、「クリエイティブ姉妹Y2がめぐる 田辺は美味しい口熊野」という記事は秀逸ですねえ。ページをめくるごとに、口(くち)熊野=和歌山県田辺市の魅力が伝わってくるようです。

口熊野


 しかも、いきなり夜の飲み屋街から旅の記事が始まるというのが、われわれ酔っ払いの旅心をそそりますな。

 この記事を書いたフリーランスの記者さんは、さぞかし・・・・・・・・・・・・・・・・・、酔いどれなのでしょう。

 なにはともあれ、書店か密林へGo!!

 食も酒も人も風土も、熊野はたいへん良い所でした。

 (おしまい)
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柳剛流の刀法に関する誤りについて/(柳剛流)
- 2015/11/10(Tue) -
 柳剛流の刀法といえば、多くの人がまず相手の脚を斬る技を思い浮かべるだろう。確かに当流の“術”の根幹が「断脚之術」「斬足之法」であるのは事実である。

 それに加えてもう1つ、関連資料などによく書かれている点に、

 「脛を払い相手にかわされたら、そのまま切先を返し、刀の峰の部分の刃で切る」

 というものがあるのだが、これについては大きな誤りであることを指摘しておきたい。

 なぜなら、仙台藩角田伝にも、あるいは幸手市剣道連盟の先生方が伝承されている仙台藩伝にも、そのような技が含まれている形はない。紀州藩田丸伝については、私はその具体的な形を拝見したことがないのだけれど、同伝に詳しい研究者の方が個人的に教えてくれた話でも、「そのような技は無いだろう」とのことであった。


 それではなぜ、このような実技・実伝として存在しない刀法が、あたかも柳剛流に存在するという誤った情報が流布してしまったのか? それは現在も残されている岡田十内の差料の切先が、たまたま両刃造りだったからであろう。

 この刀を見た武術の実践経験のない研究者の方々が、 「柳剛流は脛を払うのだから、それを相手にかわされたら、そのまま返す刀のミネの部分の刃で切るために、切先を両刃造りにしたに違いない・・・」と、早合点したのだと考えられる。

 実際のところ、岡田十内の差料の切先が両刃造りであるということ以外、伝承されている形においても、あるいは残された伝書や覚書などにも、「切先を返して云々・・・」という伝承や記述、技の説明などは皆無なのである。

 さらに、こうした誤解を生んだ大きな要因のひとつに、昭和48年発行の森田栄先生著『日本剣道史 第十号 柳剛流研究(その1)』の記述がある。

 同書は、本邦における柳剛流研究の嚆矢であり、その功績の大きさは計り知れない重要な資料であるが、こと実技・実伝に関しては、記述の信頼性に少なからず瑕疵がみられる。

 たとえば本書の14ページには、長刀(薙刀)に関する一般論として、以下のような記述がある。

「長刀は双刃が特長で、薙ぎ込んで、その技が成功しない時は、その儘返して背の刃で切るのが特長で、この足薙ぎの特長が剣法に応用されたものと認めます」 

 私は薙刀(長刀)術はそれほど詳しくないのだけれど、 「長刀は双刃が特長」「薙ぎ込んで、その技が成功しない時は、その儘返して背の刃で切るのが特長」というのは、あまり聞いたことがない。

 また、一部の古流には刀や太刀の峰側を使って剣を交える形もあるようだが、基本的には打刀にしても薙刀にしても、構造上、峰の部分に力がかかるような運刀は、刃切や破折の可能性が高く、心得のある武芸者であれば避けるものであろう。

 さらにいえば両刃造りの切先というのは、切先を返して峰側で斬るというよりも、刺突の効果向上を狙ったものであると考えるのが、より合理的かつ一般的ではなかろうか。

 にもかかわらず、柳剛流研究の原書ともいえる『日本剣道史』に上記のような記述があり、しかも岡田十内の差料の切先がたまたま両刃造りだったということから、

 「柳剛流では脛を払い相手にかわされたら、そのまま返す刀のミネの部分の刃で切るのだろう・・・・・・・・・たぶん

 ということで実技にも、伝書や覚書にも記述のない架空の技が、あたかも存在するものとして伝播されていったのではあるまいか。

 
 このように、真摯かつ権威のある研究者の方々の著述にも、武術の実践家という立場からみると誤謬としか思えないことが書かれていることが少なくない。

 たとえば森田栄先生とならぶ柳剛流の先行研究者として、埼玉大学で地域の武術史を研究されていた故山本邦夫先生がいらっしゃる。同先生も「浦和における柳剛流」という論考の中で、ここまで述べてきた「切先を返して云々・・・」という誤りをそのまま記述をしている。

 さらに同論考の中で、

 「(柳剛流の特徴は)頭や胴体、手足のどことも決めず、斬るのではなく突いて突いて突きまくる点にあった」

 とも書いているのだが、これなども大きな間違いだ。

 同先生は、おそらく柳剛流研究の重要な資料として知られる、三重県田丸の「奉献御宝前」という掲額にある、

 「身體四肢無一所不斬突也」

 という記述を参照して、このような一文を書いたと思われるのだが、この一文のどこをどう読めば「斬らずに、突いて突いて突きまくる」となるのだろうか?

 ちなみに森田栄先生はこの一文を、

 「身体四肢何処を斬っても突いてもよい」

 と訳している。

 私もそのように読むし、おそらく誰が読んでも、先の一文はそのようにしか読めないだろう。

 あるいは山本先生は、「奉献御宝前」以外のなんらかの資料を基に、「斬らずに、突いて突いて突きまくる」と書いたのだろうか? そうだとすれば、その出典となる資料、あるいは証言者について明記すべきであるが、同論考にはそのような記述はないのである。

 しかし記述の根拠や原点を知らず、加えて流儀の実技も知らない人からすれば、「高名な大学の先生が論文で、『斬らずに、突いて突いて突きまくる』と書いているのだから、柳剛流とはそういうものなのだろう・・・」と思ってしまうのはいたしかたなく、その誤解がまた拡大再生産されて広がっていくというわけだ。


 このように、「切先の峰で斬る」「斬らずに、突いて突いて突きまくる」といった曲解や誤読がされてしまう要因は、ほとんどの先行研究者が柳剛流の実技そのものを知らなかったということが第一であり、さらにいえばそもそもの部分で、多くの研究者が武術・武道の実践家ではなかったからだともいえるだろう。

 武芸というものが身体文化である以上、実技・実伝が伴わない考察や論考は、どうしてもこのような間違いを犯しがちなのである。

 一方で、実践家である武術・武道人には、流儀の事跡や歴史的な部分の調査・研究に関心の低い人も少なくない。このため、行為としての形や技だけが残されても、その技が意味する理合や、その形が成立する根拠・背景などがまったく受け継がれなくなってしまったり、あるいは伝書をはじめとした歴史的価値の高い資料が失われてしまったりするわけだ。

 古流武術という貴重な文化を正しく伝承し、活きた文化・行動科学・哲学として稽古をしていくためには、実技の研鑽と事跡の調査・研究を両輪として、バランスよく取り組まねばならない。



■参考文献
「日本剣道史 第10号 柳剛流の研究 その1」、1973年/森田栄
「埼玉県の柳剛流(その1)」『埼玉大学紀要(体育学篇)』第14巻、21-35、1979年10月/大保木輝雄
「浦和における柳剛流」『浦和市史研究』第2号、132-158、1987年/山本邦夫
「埼玉の剣術 : 神道無念流・甲源一刀流・柳剛流 第7回特別展」1991年/戸田市立郷土博物館

 (了)
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『日本大百科全書(ニッポニカ)』の柳剛流/(柳剛流)
- 2015/11/06(Fri) -
 以前、本ブログにて「ウィキペディアの柳剛流」というタイトルで、記述の誤りや疑問点などを指摘した(http://saitamagyoda.blog87.fc2.com/blog-entry-741.html)。

 同様に、『日本大百科全書(ニッポニカ)』に掲載されている柳剛流の記述について指摘しておこう。なお参照した原文はwebで公開されている記事(https://kotobank.jp/word/%E6%9F%B3%E5%89%9B%E6%B5%81-1607116)である。


1)流祖の諱の読み方を「キリョウ」としている。
→森田栄先生は流祖の諱のヨミについて、石川家に伝わった伝書から「ヨリヨシと読むのが適当」としている。

2)流儀の武技のひとつとして、杖とは別に「棒術」を挙げている。
→総合武術である柳剛流は、剣術を基盤に居合・突杖・長刀・柔術が含まれているが、棒術があるというのは聞いたことがない。これまで確認できた角田系や武州系の伝書類にも棒術の記載は皆無であり、これは明確な誤りではなかろうか。

3)岡田十内を「2代目」としている。
→柳剛流の道統において、流祖から「岡田」の姓とともに2代目の名跡を受けたのは角田伝の祖となった一條左馬輔信忠である。そもそも岡田十内は流祖の高弟であった今井右膳の弟子であり、柳剛流剣士としては第三世代に当たる。


 以上、ざっと見て気になる点、誤りと思われる点をまとめた。

 なお、この記事の執筆者は「渡邉一郎」となっており、おそらく『幕末関東剣術英名録の研究』の著者として知られる、渡辺一郎先生であろうかと思う。

 著名な先達研究者の記事に対して、市井の実践者のひとりに過ぎない私が誤謬や疑問を指摘するのはおこがましいかもしれないが、特に上記の2)と3)については明確な誤りと思われるので、あえて指摘しておきたいと思った次第。

 (了)
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柳剛忌/(柳剛流)
- 2015/11/05(Thu) -
 本日11月5日は旧暦の9月24日、柳剛流の流祖である岡田惣右衛門奇良の祥月命日である。

 そこで秋晴れの心地よい日差しの中、武州葛飾郡惣新田(現在の埼玉県幸手市)にある流祖の生家へ、墓参に伺った。


 明和2(1765)年3月15日にこの地に生まれた岡田惣右衛門奇良は、18歳にして剣を志して上京し、心形刀流の大河原右善有曲に師事する。

 その後諸国を修行して巡るなか、柳の枝の風に折れぬ柔能く剛を制すの心を持って柳剛流と号す。その独創である「断脚之術」は多く人の知るところとなり、一橋家剣術指南役に就任。神田お玉が池に開いた道場は多いに栄え、門弟幾千人とも言われた。

 年積もって文政9(1826)年9月24日、江戸にて病没。行年62歳。

 亡骸は牛込の幸国寺に葬られたというが、同寺は安政6年の大火で消失。火災後、墓石から逆に作成した過去帳には文政9年9月24日に鈴木氏として、その法名が記されるのみであり、墓石などは残されていない。

 一方で、武州葛飾郡惣新田の生家では、流祖の墓が今も大切に守られている。

 墓石は2つあり、古い方は建てられた年代は不詳という。隅丸角柱型の墓石には、

 智光院泰穏日照居士

 という流祖の戒名が、妻・むめの戒名などとともに刻まれている。

151105_流祖墓石1
▲向かって右から2番目の墓石に、流祖と妻女の戒名が刻まれている


 もう1つの墓石は、明治43(1910)年頃に、流祖の業績を偲んで建てられたもので、やはり流祖の戒名とともに、妻や子孫の名が刻まれている。

151105_流祖墓所にて
▲明治に建てられた墓石横にて。生家の方が
是非にと写真を撮ってくださった


 墓参を済ませた後、流祖生家であるA家でお茶をいただき、少々お話をうかがいながら郷土史家が編纂した資料などを拝見させていただいた。


 A家を辞し駅への道を歩いていると、どうしたことかこんな季節に桜の花が咲いている。

 植え込みにある説明板を読むと、秋から花を咲かせるジュウガツザクラなのだという。

 何かとても清清しい気分になり、家路に着いた。

151105_ジュウガツザクラ
▲墓参の帰路、通りではジュウガツザクラが満開であった

 (了)
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うな鐵で酔っ払っていたんだが・・・/(身辺雑記)
- 2015/11/04(Wed) -
 毎年文化の日は、明治神宮で日本古武振興会の演武が行われている。

 私は、ずいぶん前にちょっと拝見したのが最後だ。


 昨日は徹夜明けで、昼過ぎに制作会社にゲラ戻しを納品(五十路を前にして徹夜仕事はもうツライ・・・)。脳細胞ヘロへロの状態のままひとりで池袋のうな鐵へくり込み、昼日向から鰻の串焼きを肴にあさ開の熱燗で「タハ、オモチロイ・・・」などとつぶやきながらへべれけに酔っ払っていたので、演武会は見ていない。

 んでもって今日、ツイッターに昨日の演武会のプログラムがアップされているのを見たのだけれど、2つほど気になったことが。

 まず天神真楊流の代表者氏名が、先年お亡くなりになった久保田敏弘先生のままになっているのだが、これは当代の代表者に対して、ちょっと失礼なのではなかろうか。だれも校正とかしないのかね・・・。

 公の出版物においては、屋号、氏名、電話番号、この3つだけは絶対に間違えてはならないというのは、基本のキですぜ。


 もう1つ気になったのは、根岸流の名前がプログラムに載っていなかったこと。

 当日、たまたま明治神宮にいった知り合い(武術にはまったく詳しくない普通の人)がSNSで、「手裏剣とかもあるんだね」とコメントしていたので、てっきり根岸流の演武があったと思ったのだけれど。

 出てなかったのか、はたまた単にプログラムへの記入もれなのか。


 ま、細かいことだし、アタシには関係ないことなんですけどね・・・。

 (おしまい)
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なんかダサイ・・・/(時評)
- 2015/11/02(Mon) -
 昨日の朝日新聞の日曜版『朝日新聞グローブ』で、インスタグラムを紹介する記事に、こんなフレーズがあった。

 曰く、

「ツイッターやフェイスブックなど、SNSはそれまでも使ってきた。でも『長々と文章書くのは、なんかダサイ』。インスタグラムは写真が中心。サイトにはオシャレな投稿写真があふれている」

 のだそうな。

 なるほど、長々と文章を書くのは、「なんかダサイ」んですな。


 長々と文章を書くことで、20年ほど飯を食っている者として考えると、たしかに長いだけの悪文を読まされるのは、なんとも苦痛なものだ。

 ゆえに、長い文章を読む/書くには、そのための修練が必要になるわけで、たとえば大学生の稚拙な卒論レベルでも、幼・小・中・高・大と学んできたからこそ、ようやく一定の分量の長文が読めて書けているわけだ。

 その昔、売文稼業の先輩に、「長い文章が書ける記者は短文も書けるが、短文しか書けない記者は長文が書けない。だからブンヤの書く長文は悪文が多いのだ。ヤツラに6000文字くらいの原稿書かせてみろ、ヒドいもんだぜ・・・」などと、江古田の居酒屋あたりでよく言われたもんである。

 これは今考えると、出版業界カーストにおける最下層民としてのわれわれ雑文屋の、業界ではバラモン的存在であるブンヤさんたちに対するやっかみが多分に含まれていると思うけども。

 やっぱ同じ売文稼業でも、厚生年金がかかってる連中にはかないません・・・。


 文章を書くという行為においては、1つの事象について、より短い語句で核心を突きつつそれを表現するというのは、いわば達人の領域である。だからこそ、芭蕉や放哉は偉大なのだ。

 それにしても、一言半句でモノゴトの核心を突くというのは、容易なことではない。

 武芸で言えば、名人・達人の業なのである。ゆえに売文屋や作家の卵たちは駆け出し時代、とにかく大量に書いて「筆力」を養う必要があるし、そうやって鍛えられる。ある意味でこうした過程も、武術の稽古とよく似ている。

 1000枚でも2000枚でも書ける人間が書いた一言半句と、10枚しか書けない人間が書いた一言半句は、まったくレベルが違う文章なのだと開高センセイも北方センセイも言ってる・・・、オレは会ったことはないけどな(爆)。

 とはいえ時候の挨拶どころか、メールに宛名も書かない人が多い昨今、それこそこんな長文をだらだら書いているのは「ダサイ」のだろう。

 ま、いいんだ。オレたちは滅び行く、あらほましき一党なのだから・・・・・・。


 ところで「ダサイ」という言葉は、死語にならなかったのだねえ。

 なにはともあれ、ナウなヤングは頭がピーマンにならないよう、インスタを楽しんでくれたまえ。

 ぢゃあ、バイビー。

 (おしまい)
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田んぼの中心で掛け声を叫ぶ/(身辺雑記)
- 2015/11/01(Sun) -
 本日は仕事を「半ドン」で抜け出し(半ドンって、もう死語か・・・)、わが翠月庵の稽古場へ。

 ここのところ仕事や所用、雨天などがかさなり、稽古場に行くのは3週間ぶりだ。

 稽古場の脇に家主さんが丹精している畑があるのだが、ふと見ると前回の稽古時にはまだ芽も出ていなかった小松菜やほうれん草などが、大きく葉を茂らせている。

 時は流れているのだな・・・。

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▲稽古場も秋の気配に包まれる


 ここのところ、平素の稽古では柳剛流に専念しているため、三間以上の本格的な打剣は久しぶりである。

 しかし、思っていたほどには腕は鈍っていなかったようで(苦笑)、通りすがりの老夫婦が、「ちょっと見ていていいですか?」と問うので「どうぞ」と答えた後に打った四間直打は、5本ともほぼ八寸的に収まったのには我ながら大満足。

 つうか、演武の時より調子が良いではないか!!

 もっとも、「では、これで・・・」と夫婦が立ち去った後の三間打ちで、いきなり全剣失中とか、打剣に波がありすぎなのは相変わらずだ(爆)。

 それにしても、自宅では二間座打ちしかできないだけに、やはり屋外の稽古場でのびのびと剣を打つのは実に爽快だ。 「板金を打つ心」で、ズドン! と的に剣が打ち込まれた時の爽快感は、手裏剣術者だけが味わえるものだろう。

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▲四間、順体での直打。翠月剣



 稽古後半は、八戸藩伝神道無念流立居合に専念。

 これもまた手裏剣術と同様、平素の稽古では存分にできないので、ここでみっちりと行う。

 稽古場以外での平素の稽古は、自室かあるいは団地前の私道で夜間にやることがほとんどなわけだが、神道無念流立居合の稽古は実際に刀を使い、しかも大きな掛け声を伴うので、自宅の稽古では存分にできないのだ。

 なにしろ、夜中に屋外や自室で、大声を上げながら刀を振り回したりすると、お巡りさんのお世話になりかねないのでね・・・。

 その点、翠月庵の稽古場は屋外ながら郊外の田園地帯の中であり、また近隣にお住まいの方々のご了解も十分に得られているので、心おきなく存分に掛け声をかけながら刀を抜くことができる。

 武芸における掛け声の重要性は、私の師である小佐野淳先生が、稽古の折りや著作を通して重ねてご指摘されていることだ。

 私自身も己の稽古や試合の経験から、「掛け声は武技のひとつ」という信念を以前から持っていて、自身の稽古における重要な眼目としている。

 また、私が現在も断続的にご指導をいただいている糸州流空手道のA先生も、「掛け声は、その人の修行の年輪ですよ」と、よくおっしゃっている。

 いずれにしても、腹の底から掛け声が掛けられる稽古環境というのは、たいへん貴重なものだと思う。

 稲刈りが終わった田園地帯にて、「エイ! ヤッ! トー!」の掛け声を掛けながら、のびのびと刀を抜くひと時。

 思う存分稽古ができるというのは、いやまったく、幸せだなあ・・・。

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▲剣を打ち、刀を振るう。楽しからずや

 (了)
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