流祖生誕251周年/(柳剛流)
- 2016/04/21(Thu) -
 本日は旧暦の3月15日。

 今を去ること251年前の今日、明和2(1765)年3月15日、武州葛飾郡惣新田の豊かな農家にひとりの男の子が産まれた。

 幼名を惣右衛門と称し、長じて奇良(よりよし)と号す。

 幼くして文学を志し、またよく剣術を好む。

 家を弟の定助に譲り、18歳の時に家を出て江戸に向かい、伊庭軍兵衛直保の高弟・大河原右膳の元で心形刀流を学ぶ。

 積年の修行から廻国武者修行をへて深く剣の心妙を悟り、ついに「断脚之術」を加えて柳剛流と号す。

 その武名は海内に震い、一橋家の剣術師範役となる。

 さらに神田お玉ヶ池に教場を開き、その門人は数千に達したという・・・・・・。



 柳剛流の祖・岡田惣右衛門奇良の生誕から251年後の今、当流極意の柳剛刀を錬成できる喜びと、その責任の重さを痛感する。

IMG_0902_柳剛流剣術
▲柳剛流剣術「右剣」(打太刀・小佐野淳先生、仕太刀・瀬沼健司)

 ■参考文献
 「吉田村誌」/『幸手市史調査報告書 第十集 村と町・往時の幸手』(幸手市教育委員会編)

 (了)
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柳剛流の資料二題/(柳剛流)
- 2016/04/14(Thu) -
 国立国会図書館で閲覧ができる柳剛流関連の資料は、あらかた確認済みなのだが、過日、久しぶりに検索をかけてみると、平成17(2005)年に幸手市剣道連盟が編纂した『柳剛流』という資料が新たに収蔵されていた。

 そこで先日、ちょうど永田町でインタビューの仕事があったことから、立ち寄って確認した。

 合計112ページにわたるこの冊子は、従来の柳剛流関連の資料をダイジェストしたものである。奥付によれば、この冊子の編集に当たっては「昭和48年8月頃まで調査研究され日本剣道史第10号として編集途中であった大阪在住の森田栄氏より岡安源一氏に送られた、未完成の柳剛流についての小冊子も参考とさせていただきました」とある。

 内容に特別目新しいことはなかったが、明和2(1765)年3月15日の流祖・岡田惣右衛門奇良の誕生から、昭和54(1979)年12月23日の柳剛流岡安派三世・岡安尚の逝去まで、214年にわたる柳剛流の歴史を一覧にした合計10ページの「柳剛流剣術年表」と、「柳剛流系図譜」のページをコピーした。


 また過日、ヤフーオークションで『文武館 第17号』(平成13年/文武館出版部)を入手し、島谷俊行氏の調査・執筆による「武州青梅の武術資料より-調査結果と保存について-」を読むことができた。

 この記事は、八王子千人同心組頭で柳剛流師範であった、石川良助義綱が伝えた石川家伝来の柳剛流に関する武術資料の調査報告である。

 石川家の武術資料といえば、流祖直伝の伝書類や稽古面が知られているが、本記事では他ではあまり見られない柳剛流柔術伝書の調査結果が報告されており、立合17手・居取7手・裏手方18手の技法名など、たいへん興味深く読ませていただいた。

 柳剛流の柔術については、中山柳剛流の伝書あるいは岡田十内系の伝書などから、なんとなく手数の少ない補助的なものではないかと漠然と思っていたのだが、少なくとも宮前華表太の系統では合計42手と、意外に技法数が多いものであったことは新たな知見となった。

160414_173605.jpg
▲『文武館 第17号』(平成13年/文武館出版部)(右)と『柳剛流』(平成17年/幸手市剣道連盟)のコピー(左)

 (了)
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平成28年度 苗木城武術演武会/(手裏剣術)
- 2016/04/12(Tue) -
160409_桜

 
 今年もまた、満開の桜咲く美濃の名城にて、恒例の苗木城武術演武会が開催された。

 翠月庵の演武は、まず基本技として歩み足による順体の打剣。

20160409_演武打剣


 今回は実技の合間に行う手裏剣術の歴史や技術に関する解説も、例年よりも詳しく行った。

20160409_演武解説


 続いて、小太刀を手裏剣に打つ飛刀術。「上段」「鞘遣上下二刀」「抜打」の3つの形を披露。

 20160409_演武飛刀術


 次に手裏剣を馬手差しとして遣う掌剣術の基本形の後、演武の最後は手裏剣と小太刀による刀法併用手裏剣術、「先」「抜付」「左右敵」の3つの形を披露した。

20160409_演武刀法併用


 翠月庵の演武の後は、戸山流居合抜刀術美濃羽会中津川稽古会の皆さんの演武。基礎居合、小太刀の形、槍対太刀の形、そして竹の試物に対する斬りと、見事な業の数々を拝見する。

160409_中津川稽古会小太刀


 無事、演武会が終了し、その後は中津川稽古会代表のO先生のご自宅で、恒例の手裏剣術講習会。

 すでに皆さん、手裏剣術の基本は出来ているので、今回は主に2間順体で「板金を打つ心」での打剣を行ってもらう。

 「板金を打つ心」で2間を通せるようになれば、ようやく基礎のレベルから一段上がって、「武術としての手裏剣術」の入り口が見えてくる。

20160409_手裏剣術講習2


 たっぷり打剣をしてもらった後は、おいしい釜揚げうどんの夕食。そして、杯を片手に武術談義に花が咲く。



 翌朝は中津川稽古会と翠月庵との合同稽古。

 今回は私が講師となって、皆さんにごく初歩的な剣術技法の体術への展開例を体験していただいた後、警視流拳法の1本目「柄取」と2本目「柄止」を教材に、柄捌きの稽古をしていただいた。

 稽古の後は、名物の五平餅を昼食にいただき、2日間の日程が終了。

 次回は夏の納涼会と手裏剣術講習会・合同稽古での再会を約し、武州への帰路についた。

 O先生はじめ中津川稽古会の皆さん、今回もありがとうございました。

 (了)
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柳剛流の戦い方(その2)/(柳剛流)
- 2016/04/08(Fri) -
 長尾進教授執筆の論文、『試合剣術の発展過程に関する研究-「神道無念流剣術心得書」の分析-』(https://www.jstage.jst.go.jp/article/budo1968/29/1/29_17/_pdf)で、もう1つ興味深いのは、当時の剣術における構えの重要性である。

 本論文の考察対象となっている、神道無念流の武藤七之介が記した『神道無念流剣術心得書』では、各流の試合口(技術的特長)の文頭に、必ずその流儀の構えについての記述があるという。

 これについて長尾氏は、他の古文書も合わせて検討した上で、

 「他流試合活発化の初期段階において、対戦相手の構えについての情報というものが貴重であったことを窺わせる」

 と指摘する。

 さらに『神道無念流剣術心得書』では、

 「すべて他流試合は敵上段ならば此方勢眼、敵勢眼か下段ならば此方上段と、敵せざるところを此方にてすべし。これはその場に臨みて見切り専要なり」

 と、いわゆる「合気を外す事」の重要性を強調しているのは、たいへん示唆に富んでいるといえよう。

 共通ルールの徹底によって術技が均質化した現代の撃剣とは異なり、流派ごとの技術特性がいまだに色濃く、思わぬ一手が成立しえたこの時代の撃剣稽古、あるいは当時の剣士が想定していた実戦としての斬り合いにおいては、現代の武術人の想像以上に、「構え」というものが重要だったのであろう。

 これは以前、本ブログで指摘したことだが、たとえば駒川改心流の黒田泰治師範が執筆した名著『剣術教書』では、駒川改心流剣術の構えとその意味、それぞれの構えからの打ち込み方やその構えへの対応などが、じつに31ページにわたって詳述されている。

 あるいは柳剛流では、切紙の段階として初学の者に「備之伝」として15種類の構えを教え、目録では「備十五ヶ条フセギ秘伝」が伝授される。

 こうした例からも、古流剣術では「構え」とその運用法が、たいへん重視されていたことが分かる。


 さて、それでは柳剛流は、どのような構えで撃剣に臨んでいたのだろうか?

 『神道無念流剣術心得書』によれば、柳剛流は勢眼・上段・陰の構えを取るという。

 これに対して他の諸流は、たとえば一刀流は下段、直心影流はもっぱら上段、鏡心明智流は左足前上段、新陰流(肥後)は勢眼、そして神道無念流は勢眼・上段に構えるという。

 前回紹介した試合口では、柳剛流は「五尺の体をきらいなく打つ」として、最も多彩な打突部位を誇っていた。

 構えにおいても、他流が1~2種類であるのに比べ、柳剛流は「勢眼・上段・陰」とより多彩であったようだ。



 平成の今、古流の剣を学ぶ我々は、ともすると構えについて「形骸化した様式」と捉えかねない。

 しかし、往時の剣士たちの生の記録から学べるのは、「構え」とはそのような形骸化したものではなく、いきいきとした「術」そのものであるということだ。

 逆説的にいえば、現代に古流の剣を学ぶ我々は、

 「構えを『術』とするレベルにあるのか?」

 を、常に己に問うていかねばならない。

 (了) 
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30 years ago/(身辺雑記)
- 2016/04/06(Wed) -
1603_柄巻3

 柄糸が切れてしまったので、巻き直しに出していた居合刀が本日帰還。

 この居合刀は、16歳の時に先師にいただいたもので、かれこれ30年ほど稽古に使っている。

 30年・・・・・・。

 最近、武術関係にしても、仕事関係にしても、ふと気がつくと、その場で自分が一番年長というシチュエーションになっていることがしばしばある。

 取材などで地方に行った際、夜の宴席でディレクターやプロデューサーに上座を譲ろうとすると、「いや、そこは年功順ということで」などといって席を譲られてしまうと、我ながら「なんだかなあ・・・・・・」と複雑な気分だ。

 謙遜とかではなく、さりとて若作りをしたいというわけでもなく、純粋に自意識としての年齢感と己の実年齢が一致せず、そのギャップを突きつけられて呆然あるいは愕然としてしまうことが、最近は少なくない。

 ま、年齢を重ねるというのはそういうことなのか。

 (おしまい)
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柳剛流の戦い方(その1)/(柳剛流)
- 2016/04/05(Tue) -
 過日、明治大学の長尾進教授が執筆した、『試合剣術の発展過程に関する研究-「神道無念流剣術心得書』の分析-』(https://www.jstage.jst.go.jp/article/budo1968/29/1/29_17/_pdf)という論文を読んだ。

 この論文は、常陸国多賀郡助川村(現在の日立市)の郷士であった武藤七之介が、神道無念流剣士の立場から諸流派の防具着用状況、竹刀の形状、試合口(技術的特徴)を詳述した『神道無念流剣術心得書』という古文書について考察したものである。

 この『神道無念流剣術心得書』に記されている諸流派の中に柳剛流があり、往時の柳剛流の撃剣稽古の様相を知ることができる。


 柳剛流の「試合口」について、撃剣稽古は面・小手・胴、そして竹の脛当てを付けて行い、その断脚之術=足打ちは「他流になき事なり」と記されているのは、まさに当流の面目躍如だ。

 ただし、ここで注意しなければならないのは、たしかに断脚之術は柳剛流の最大の特徴であるが、それが他流に皆無の技ではないことだ。

 この心得書を記した武藤自身も、柳剛流の試合口の部分では足打ちについて「他流になき事なり」と書いている一方で、一刀流との試合対策として「敵つよき時は、上段より足を打つ。勢眼の時は、敵の頭と足を打つようにすべし」と記している。

 その上で本論文の筆者である長尾氏は、『加藤田平八郎東遊日記抄』に記された、「北辰一刀流千葉周作道場では、長竹刀を使う場合は足を払うことを認めていた」ことなども引用しつつ、

 「足打ちは必ずしも柳剛流のみに行われたものではなく、相手との強弱関係や対応関係、用いる道具などによっては、柳剛流以外の流派においても打突の方法の一つととらえられていたことが窺える」

 と指摘する。

 次いで武藤七之介は、柳剛流剣士との対戦のコツを以下のように記す。

 自分は下段にとり竹刀先を下げて、「敵の頭」(起こり頭の意味か?)を打つように心がける。敵はこちらの「五尺の体をきらいなく打つ」ので、近くに寄せないようにすべきである。あるいは自分はもっぱら上段に構え、相手の隙を見て遠間から片手打ちを繰り出すのも良い。

 ここでもう1つ注意しておきたいのは、柳剛流の剣士は「五尺の体をきらいなく打つ」という点だ。

 当時は、防具を付けての竹刀での打ち合い稽古の過渡期であった。このため、面と小手についてはおおむね大多数の流派で着用して打ち合うことが一般的であったが、胴については防具を付けない、つまり打突部位としない流儀も少なくなかった。

 本論文によれば当時、新陰流や鏡新明智流、義経流や浅山一伝流は、面と小手のみで胴の防具は使用していなかったという。そして、この心得書の筆者である武藤七之介が学ぶ神道無念流も、撃剣ではもっぱら面と小手のみを着用した流儀として知られている。

 このため武藤は、鏡新明智流との試合口において、「敵も胴なき事なれば腹・足は打つべからず」と戒め、撃剣稽古の公平性を強調している点にも注目したい。

 このように当時の撃剣稽古では、各流派ごとの防具着用の慣習から打突部位が限定されている中で、柳剛流は面・小手・胴そして足と全身の各部位に打突部位を定め、「五尺の体をきらいなく打つ」ことが大きな特徴と捉えられたのだろう。


 柳剛流の刀法の特徴は、「斬足之法」「身体四肢無一所不斬突也」「棄剣手捉以決勝敗」の3つにある(文政3[1820]年の「奉献御宝前」額文より)。

 『神道無念流剣術心得書』からは、これらの柳剛流の特徴が、竹刀と防具を用いた打ち合い稽古にも如実に表れていたことが分かる。

 (つづく)
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春爛漫/(身辺雑記)
- 2016/04/04(Mon) -
 昨日は、水月塾本部での稽古であった。

 朝9時から夕方4時まで、小佐野先生に柳剛流の剣術・突杖・居合・長刀、水月塾制定日本柔術の稽古をみっちりとつけていただく。

 今回の稽古では、ドイツ支部長をはじめ、関西支部長や兵庫県明石支部長、本部会員の皆さんなど多くの人が集まっており、自分自身の稽古の合間に、師と皆さんの稽古の様子を見ているだけでも学ぶことが数多くある。

 多彩な武術が継承されている水月塾だけに、見取り稽古も実に興味深い。


 稽古後は、師を囲んで皆さんと小宴。

 古民家を使った小粋な店で、地酒と肴に舌鼓を打ちつつ武術談義に花が咲く。

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▲地酒飲み比べ。荒ばしりが気に入った


 すっかり酔ってしまい、我が家への終電ぎりぎりで帰宅。

 すでに日付も変わっていたが、旅装を解いてから酔い醒ましに、拙宅隣の桜並木を少し歩く。

 春だねえ・・・・・・。

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▲『夜桜お七』を頭の中でリピートさせつつ、夜の桜並木を歩く

 (了)
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