平成28年を振り返って/(武術・武道)
- 2016/12/31(Sat) -
 親も無し 妻無し子無し版木無し 金も無けれど死にたくも無し
                                    (林子平)



 さて、平成28年も今日まで。

 昨年末、

 「この1年を振り返ってみると、周易でいえばさながら「水雷屯」といった趣の一年であった」

 と書いたが、この1年は屯卦どころではない、難卦である「山地剥」といった感じの過酷な年であった。

 末期がんの闘病の末5月に母が死に、出版業界は空前の大不況、11月には大口の出版元が倒産して多額の原稿料が不良債権となってしまうなど、仕事や私生活は本当に厳しい日々であった。

 おかげで、これまで多少ながらも積み立ててきた貯蓄は、今年で完全にゼロ円となってしまったわけだが、それにしても五十路目前にして、自営業で貯蓄額ゼロというのは、なかなか過酷かつ絶望的な状態だぜ(苦笑)。

 もっとも不幸中の幸いは、所帯を持っている人たちと比べると、子供の養育費や住宅ローン、車などといった借金もまったく無いことである。

 貯蓄は無いが借金も無いということで、私の生活のプライマリバランスは、これはこれで取れているのであろう(爆)。

 なにしろ親も妻も子も、金も版木も借金も無い六無斎ならぬ七無斎ゆえ、とりあえず我一人、借家と稽古場の家賃を払い、米と味噌を買い、月に1度本部へ稽古に行き、週に1回電車に30分乗って行田の稽古場に通い、必要最低限の武具や資料を揃え、破れた稽古着を繕い(最近裁縫が上達した)、日々稽古に励み、たまさかには好きな本を買ったり芝居や演芸を鑑賞し、紙パックの不味い日本酒や安ウイスキーをカブカブ飲むくらいの金と時間は工面できている。

 おかげで正月休みも、今回は大晦日と元日の2日間のみで、1月2日からはもう原稿書きをはじめなければならないのだが、仕事が無いよか、ましということだろう。


 ・・・・・・とまあ、仕事や私生活はなんともキツい年であったのだが、武術・武道に関しては、昨年に引き続きたいへん充実した1年であった。

 柳剛流については、2月に師より切紙をいただき、自分の稽古場にて門弟へ指導することをお許しいただけたのは、たいへん光栄かつうれしい出来事であった。

 また、翠月庵筆頭のY氏に加えて、居合や剣術を20年以上も稽古し、すでに自分の教場を複数運営している高段者のU氏や、手裏剣術と古流武術の有段者であるM氏と、2名の熟練した武術家が柳剛流を学ぶために新たに当庵へ入門してくれたのは、柳剛流の継承と普及を願う者として、本当に心強いことである。

 自分自身の修行という点では、師より、柳剛流はもとより八戸藩伝神道無念流、また昔からの憧れであった柳生心眼流、さらに荒木流抜剣などのご指導をいただき、加えて伝書の釈義や有職故実に関しても直接お教えをいただけるなど、35年に及ぶ自分の武術・武道人生の中でも、類を見ないほど充実した稽古や学びが得られた1年であった。

 一方で、手裏剣術と空手道については、今年はあまり稽古に重きを置くことができなかったのが反省点であり、来年の課題でもある。

 来年も引き続き、柳剛流をはじめとした武芸の実技研鑽と調査・研究を積極的に行っていくとともに、手裏剣に関しては年明け4月に毎年恒例の苗木での演武があるので、1月からはもう少し根を詰めて稽古せねばと考えている。


 さて、平成28年も、たくさんの方のお世話になりました。

 我が師である国際水月塾武術協会の小佐野淳先生には、実技から有職故実にいたるまでご指導とご助言をいただき、また稽古後には毎回楽しい酒席に同道させていただくなど、たいへんお世話になりました。来年も引き続きご指導を賜れること、光栄に存じます。

 また、全国各地から集まる水月塾の師範方や本部の先輩方にも、稽古にてたいへんお世話になりました。ありがとうございます。

 戸山流居合抜刀術美濃羽会中津川稽古会のO先生と同稽古会の皆さんには、10年来変わらぬ心暖まるお付き合いをいただき、本当にありがとうございました。次は春の演武会で、お会いしましょう。

 柳剛流について、 『増補・改訂 宮城県 角田地方と柳剛流剣術-日本剣道史に残る郷土の足跡-』の著者である南部修哉様、剣術流派調査研究会の辻淳先生、そして武術研究家のS様には、貴重な史料やご助言を賜りました。ありがとうございます。

 手裏剣を存分に打てる貴重な稽古場を提供してくださる家主様にも、心よりお礼申し上げます。

 本ブログを読んでくださる読者の皆さんにも、感謝申し上げます。ありがとうございました。

 そして今年も、身近で私を支えてくれた「S」へ、ありがとう。

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 それでは来年も引き続き、手裏剣術伝習所 翠月庵/国際水月塾武術協会埼玉支部を、宜しくお願い申し上げます。

 まずは皆さま、良いお年をお過ごしください。

 翠月庵主/国際水月塾武術協会埼玉支部代表
 瀬沼健司 謹識 

 (了)
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仕事納め/(身辺雑記)
- 2016/12/30(Fri) -
 午前中から書き始めて、原稿10本、ようやく執筆完了。

 これにて、本年の業務は終了である。

 ただし、仕事始めは1月2日から。

 4日までに6000文字のインタビュー原稿と、大学病院向けの企画書・見本原稿を書き上げねばならぬ。

 やれやれ・・・。


 さて、焼き鳥屋か蕎麦屋で、酒飲んでくるか。

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 (おしまい)
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武技としての体当たり/(武術・武道)
- 2016/12/28(Wed) -
 昨夜、寝る前に昭和11(1936)年発行の園部ひでを著『学校薙刀道』をつらつらと読んでいたところ、試合形15本のうちの8本目に当身業が組み込まれていて、「ほほう・・・」と思った。

 「ほほう・・・」というのは、なんだかとても偉そうな表現であるが、他意はない、念のため・・・・・・。

 というか、先週で年内の取材は終わったはずが、昨日急きょ、都内でインタビュー取材、しかも政府関係者への1時間にわたる1対1の対面取材という超ヘヴィーな仕事を依頼され、あまつさえ年内に原稿をあげろという過酷なミッションにより、31日まで休めなくなってしまったことから、今の私はとてもナーヴァスなのである。

 閑話休題。

 武具を用いる武芸の形(業)に、当身などの体術的技法が含まれるというのは、古流武術においては特段珍しいことではなかろう。

 しかし、剣術なり居合なりの形に突きや蹴りなどの当身が入っていると、「武具を用いた術に、そのようにして体術の技を組み入れているのか!」と、目からうろことなることが少なくない。

 加えて、たとえば荒木流抜剣の蹴当てなどは、術理の学びはもちろんだが、有体にいえば「カッコイイ」のである(笑)。



 柳剛流剣術の中でも、目録で学ぶ柳剛刀6本のうちの一手に、このような体術的接触技法が含まれている。

 具体的にどのような技なのかは、師伝のためここでは伏せるが、実際に学び稽古をしていると、「なるほど、これは使えるな」と実感できるものだ。

 ルール未発達な幕末期の試合剣術で勇名を馳せた柳剛流だけに、この技は相当試合でも使われただろうと思う。

 過日、翠月庵の稽古納めの際、この形を指導するために私は打太刀をとっていたのだが、不覚にも少々右膝を痛めてしまった。幸い軽症で今日の段階で痛みはほぼないのだが、接触技法には気をつけねばならんね。



 ところで、剣術によく含まれる接触技法として、最も一般的なのがいわゆる「体当たり」であろう。

 私が10代の頃、旧師に学んだ剣術には、隠し技としてこうした体当たりでの当身が多く含まれていて、以来、それが私の得意技のひとつになったというのは、以前、本ブログでも書いた。

 (「当身の指導」/http://saitamagyoda.blog87.fc2.com/blog-entry-270.html

 また現代の剣道でも、体当たりはある種の「崩し技」として認知・活用されているようで、「剣道 体当たり」でwebを検索すると、現代剣道における体当たりの使い方を解説したページが多数ヒットする。

 そのなかで剣道6段の師範が解説している、

 「剣道の体当たり!コツを知って有効打突に繋げよう! 」,剣道中毒(http://剣道中毒.com/archives/3015.html

 というページを読んでいて、なるほどなあと思った。

 そこでは、剣道競技では危険な体当たりは反則になってしまうので、体当たりをするときには、「下から突き上げるような動きをしてはならない」という点が強調されている。

 これを武芸の視点からみると、「下から突き上げる」というのは、たいへん有効な体当たりの技化の方法のひとつであると言えよう。

 なお、剣術における接触技法としての体当たりについて、最も端的かつ実践的な教えは、『五輪書』にある「身のあたりと云うこと」だろう。

 また、現代の剣道における体当たりのように、向身で当たるのではなく、半身あるいは一重身で、かつきちんと相手の水月や電光(稲妻)などの急所を狙って、我の肩をぶつけることが重要だ。

 ちなみに『五輪書』では、我が左肩を、彼の胸に当てるよう教えている。この際、狙う急所は、壇中や雁下、水月などとなろう。

 ところで最近、伝統派空手道の稽古に参加していると、突きにしても蹴りにしても、「急所に当てる」という意識が希薄な者が多く、それどころか中段なのか上段なのかすらあいまいな突きをしている者が少なくないのは、たいへん残念なことだ。

 もちろん、激しく自由に動き回る相手の急所を的確にとらえることは、容易でないのは当たり前なのだが、だからこそ基本稽古や移動稽古、約束組手や形などで、拳足をしっかりと当てるべき部位=急所に向けて当てる稽古を心掛けるべきであろう。

 またまた閑話休題。

 話を体当たりに戻すと、現在私が、小佐野先生より柳剛流と合わせてご指導をいただいている柳生心眼流でも、技としての体当たりをよく用いる。それだけでなく、体当たりの技を練るための鍛錬法もあり、体当たり好き(?)の私としては、たいへん興味深く学ばせていただいている。



 さて、このような武技としての体当たりについて、現在、最もそれを練り上げているのは、やはり相撲であろう。

 横綱白鵬による至芸に達した「かち上げ」を見ると、まさに体当たりが一打必倒の技であることが実感できるはずだ。

 もっとも横綱が使う技としては、「かち上げ」はいささか品格に欠けるということも忘れてはなるまい。

 
 一 身のあたりと云事。
 身のあたりハ、敵のきはへ入込て、
 身にて敵にあたる心也。
 すこし我顔をそばめ、わが左の肩を出し、
 敵の胸にあたる也。
 我身を、いかほども強くなり、あたる事、
 いきあひ拍子にて、はづむ心に入べし。
 此入事、入ならひ得てハ、
 敵二間も三間もはけのく程、強きもの也。
 敵死入ほども、あたる也。
 能々鍛錬有べし。


出典:「武蔵の五輪書を読む 五輪書研究会版テクスト全文 現代語訳と注解・評釈」(播磨武蔵研究会「宮本武蔵」ホームページhttp://www.geocities.jp/themusasi1/index.htmlより)

 (了)
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普及・啓発と流派の「掟」/(柳剛流)
- 2016/12/27(Tue) -
 柳剛流に関しては、ネットの情報にしても紙の史料にしても、できるだけキャッチアップしようと心掛けている。

 とはいえ、特にネットで流れている柳剛流の情報は、その大半が漫画の話題で(流行りの漫画に柳剛流が出てくるそうな・・・)、残念ながら実になるものはあまりない。

 漫画とは関係のない話でも、小説の記述を元にした想像か、武術・武道関係者による記述でも「脛打ち」といった断片的なキーワードから、スポーツチャンバラなどの試合でよく見られるような脛打ちを元に語られているものがほとんどなので、「う~む、そういうもんぢゃあないんだがなあ・・・・・」と、首を傾げてしまうものがほとんどだ。

 こういうことを書くと、「だったら実技を動画で公開しろ」などといった声が聞こえてきそうだが、古流武術にはそれぞれの流派に「掟」というものがあり、今も昔も術技を安易に公開できないのは言うまでもない。

 柳剛流においても、たとえば諸派の目録には共通して、

 「仮に連枝、芝蘭の友のためといえども、断じて欺き漏らすべからず」

 と記されている。

 あるいは角田伝に付随する殺活免許の巻には、

 「殺活の伝を授けるが、親子兄弟にもあい伝えるべからず」

 などと書かれ、流儀の業や口伝が他に漏れることを固く禁じている。

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▲仙台藩角田伝の柳剛流殺活免許巻の序文。文末には、親兄弟にも口伝を漏らすことを禁じる記述がある


 流儀を後世へ伝承していくためには、一人でも多くの人に稽古をしてもらうことが一番であり、そのためにはまず流儀に興味や関心を持ってもらわなければならない。

 流儀の普及・啓発のために、相当なところまで術技を公開している流派や会派も見られるが、一方で公開するということは、悪意ある創作流儀や他流などに、術や業を盗まれることに繋がりかねない。

 もっとも個人的には、動画や演武を見ただけでは術や業の本質を理解することはできず、結局はカタチだけの模倣にしかならないというのは、盗んだ当人が最もよく理解できているのではないだろうか?

 ま、他流の業を模倣するような廉恥心の無い輩には、そもそもそういった「術」に対する真摯さがないのかもしれないが・・・・・・。

 いずれにしても、「どこまで公にするか?」というのは、現代の「古流」が抱える共通の課題であり葛藤であろう。

 そういう意味で当ブログでは、可能な範囲でできるだけ正しい柳剛流に関する情報を発信していきたいと思うのだが、あくまでもそれは流派の「掟」が許す範囲内に止まざるをえない。

 それでもこの1年で、新たに2名の、しかもすでに他流の武芸に熟達した武術人が、改めて柳剛流を学びたいと当庵の門下に加わってくれたのは、柳剛流を愛する者としてうれしい限りである。

 またわずかとはいえ門下が増えるというのは、彼等に恥じない「術」を伝えるために、自分自身の業をさらに向上させなければならぬという、私自身の稽古へのインセンティブにもなっている。

 とはいえ、元々があまり宣伝に熱心になれないタチなので、あくまでも「来る者は拒まず、去る者は追わず」というスタンスを変えるつもりはないのだが、今後も一人でも多くの人に柳剛流の正しい姿を伝えていければと考えている。


 というか、今回は柳剛流の二刀に関するある話題を書こうと思っていたのだが、なんとなく話が脱線してしまったので、それについてはまた、改めて書こうと思う。


 ■引用・参考文献
  『幸手剣術古武道史』(辻淳/剣術流派調査研究会)
  『増補・改訂 宮城県 角田地方と柳剛流剣術-日本剣道史に残る郷土の足跡-』(南部修哉)

 (了)
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県立武道館での稽古納め/(柳剛流)
- 2016/12/26(Mon) -
 昨日は久々に仕事のない休日ということで、朝からずっと飲んでいたのだが、日がな一日酔っぱらっているのも芸がない。

 県立武道館のスケジュール表を見ると、夜間は個人利用ができるということなので、仮眠と風呂で酔いを醒まし、木太刀や稽古用の長刀などを担いで武道館へ。

 さすがにクリスマスの、しかも日曜の夜だけあって、いつも使っている第二道場(剣道場)は私1人だけの利用である。しかし柔道場では総合格闘技らしき人々が、また弓道場では何人かの弓道家が弓をとっていた。



 黙想の後、まずは柳生心眼流の素振り21カ条で体を温める。

 次には裂帛の掛け声ともに、八戸藩伝神道無念流立居合12本を抜く。

 次いで荒木流抜剣。

 ここでひと息ついて、柳剛流へ。

 まずは5本の居合をじっくりと。鏡に向かいながら、「向一文字」、「右行」、「左行」、「後詰」、「切上」と抜く。

 そして剣術。鏡に映る己を相手に、「右剣」、「左剣」、「飛龍剣」、「青眼右足頭」、「青眼左足頭」、「無心剣」、「中合剣」、「相合剣」について、仕太刀と打太刀それぞれの太刀筋を錬る。

 次いで突杖。「ハジキ」、「ハズシ」、「右留」、「左留」、「抜留」の形を打つ。

 最後は、免許秘伝の長刀の形を7本。



 自宅での稽古は明日以降も休むことはないが、翠月庵の稽古は24日で稽古納めとしたので、きちんとした「稽古場」での年内の稽古は、これで最後である。

 広々とした武道館で存分に稽古を行い、心地よい疲労感を感じながら寒風の中家路についた。

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 (了)
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聖夜/(身辺雑記)
- 2016/12/25(Sun) -
 昨夜はクリスマスイブ、そして今日はクリスマスである。

 世のリア充の皆さんは、楽しい一夜を過ごしたのではなかろうか。また、世のイケてない野郎どもは、さぞかし無頼な夜を過ごしたであろう。

 私も若かりし頃は、妙齢の美女とさしつさされつの楽しいクリスマスイブを過ごしたこともあれば、一人無頼に飲んだくれて東中野や西新宿の街ですさんだ聖夜を過ごしたこともある。

 しかしまあ、40の坂を超えて50も目前ともなると、もはやそういった感慨も特段なく、さりとて妻も子も無い六無斎ゆえ、「子供たちへの今年のプレゼントはどうしようかねえ?」などと、頭を悩ますこともない。

 いつも通り、稽古を終えた後の静かで穏やかな週末である。


 そして今年は、ありがたいことに親しい人からご恵贈をいただいたので・・・・。

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 はい、世界一旨い日本酒ド~ン!

 そして、

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 山口県産トラフグの薄造りド~ン!!

 さらにトラフグのてっちりと、加えて広島県産の生牡蠣もいただいたので、卓上で焼きガキにして25個ほど食べたのだが、もうそのころは萬壽でグデングデンに酔っぱらっていたので、鍋や焼きガキの写真は撮っていない。

 しかし、萬壽は旨い! いや本当に、超絶的に旨い!!

 世界一旨い日本酒は久保田萬壽であり、世界一旨いウイスキーはアードベッグであり、世界一旨いウォツカはズブロッカだ。


 というわけで世のイケてない、翼なき野郎どもよ、ま、飲め。

 なにぃ? 酒が飲めないだと! では、饅頭でも食え。

 何はともあれ、今日は日曜だ。

 そしてまた、明日から仕事だ。正月休みはまだ遠いぞ!

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 (おしまい)
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柳剛流剣士ゆかりの古刹・三学院~岡田十内と伴門五郎(その1)/(柳剛流)
- 2016/12/23(Fri) -
 過日、柳剛流研究のフィールドワークに関して、「武州・蕨の三学院に、柳剛流剣士ゆかりの碑がある」との情報をいただいた。

 拙宅から蕨までは、電車で移動してもさほどの距離もなく、半日の余裕もあれば現地を訪ねることができるのだが、師走のバタバタでそれもままならず。

 やむなく、アームチェア・ディクティブよろしく手元の史料とネット、そして電話を駆使して予備取材を進める。



 まず、柳剛流の研究には欠かすことのできない辻淳先生の著作『戸田剣術古武道史』を紐解くと、三学院は柳剛流を代表する剣客であり幕末の江戸における大師範家であった岡田十内叙吉の菩提寺であり、その墓があることが分かる。

 また、十内の門弟で、彰義隊の幹部として上野戦争で戦死を遂げた幕臣・伴門五郎(貞懿)の碑があるのも、この三学院である(墓は谷中の全生庵にあり)。この石碑は、昭和43(1968)年に門五郎の百年忌に建立されたものだという。

 上記の点を確認すべくネットで検索をかけると、門五郎の碑に関しては、郷土史愛好家の方々の探訪記などがいくつかヒットした。

 次いで、実際に寺に電話をかけて話を聞いてみると、副住職が対応してくださり、確かに同寺には岡田十内の墓や伴門五郎の碑があり、時間があれば石碑について案内することも可能であるが、年末年始で多忙のため、年が明けて松が取れたころに改めて連絡の上、訪ねてほしいとのことであった。



 さて、岡田十内と伴門五郎との関係であるが、十内が残した全5巻の門弟帳(第2巻は近年遺失)である『神文帳』を確認すると、安政2(1855)年正月17日に「伴門五郎」の名がある。このとき門五郎、16歳である。

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▲岡田十内の門弟帳に記された、伴門五郎の署名(『戸田剣術古武道史』より転載、以下同)


 ここで話が脱線すると、伴門五郎が岡田十内に入門する半年ほど前、安政元(1854)年閏7月22日には、後に仙台藩角田伝柳剛流4代となる泉冨次師範が十内に入門している。

 泉師範は嘉永元(1848)年17歳の時に、角田で柳剛流3代の斎藤数衛師範の門に入り、同4(1851)年20歳の時に切紙を受領。さらに3年の修行をへて、23歳の時に江戸へ出て岡田十内に入門し、すぐに目録を許された。

 その後、およそ1年間の江戸での修行を終えて安政2(1855)年に十内の元を辞し、上総、下総、常陸、磐城の諸国を武者修行して角田に帰国。同時に斎藤師範より免許皆伝の印可を受けている。

 それにしても、目録受領から免許皆伝の印可まで、わずか1年であったというのはたいへんに興味深い。

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▲岡田十内の門弟帳には、我が仙台藩角田伝柳剛流4代である泉冨次先生の署名もみられる


 そしてさらに話を脱線させると、伴門五郎入門の2年後である安政4(1857)年には、一刀正伝無刀流の開祖であり、上野戦争の際には彰義隊と官軍との武力衝突回避に尽力し、おそらく彰義隊幹部であった門五郎とも折衝を行ったであろう幕臣・小野鉄太郎、後の山岡鉄舟が岡田十内に入門している。

 明治以降、多くの柳剛流剣士が、山岡の無刀流に移籍あるいは兼習したというのも、もともと山岡が岡田十内門下として柳剛流を学んでいたことに起因しているのだろう。

 さて、話を伴門五郎に戻せば、門五郎の入門は安政2(1855)年だが、それをさかのぼること13年前の天保13(1842)年、岡田十内の46番目の弟子として『神文帳』に名前が記されているのが伴経三郎貞栄、門五郎の義父である。

 つまり岡田十内は、伴経三郎、門五郎と、親子二代に渡る柳剛流の師であったということだ。

 現在の武道修行でも、父が通っていた師の道場に息子も通うという話はよくあるが、同じようなことが江戸後期の剣術の世界にもあったというのは、なにやら親近感を感じるエピソードだ。

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▲岡田十内門弟帳の冒頭部分


 さてさて、このままでは話がどんどん脱線してしまい、収拾がつかなくなってしまいそうなので(苦笑)、とりあえずは年明け、松が取れた後に、三学院を実際に訪ねてみようと思う。

 ■引用・参考文献
  『戸田剣術古武道史』(辻淳/剣術流派調査研究会)
  『増補・改訂 宮城県 角田地方と柳剛流剣術-日本剣道史に残る郷土の足跡-』(南部修哉)
  『日本剣道史 第十号 柳剛流研究(その1)』(森田栄)
  「柳剛流岡田十内門弟帳の研究」(大竹仁)/『戸田市立郷土博物館研究紀要 第7号』

 (了)
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体が重い・・・/(身辺雑記)
- 2016/12/22(Thu) -
 日帰りで新潟まで出張し、インタビューを終えて夜帰宅。

 ここ数日、多忙やら所用やらで稽古をしていなかったので、さっと食事後、集中的に稽古。

 まずは柳剛流剣術、居合、突杖、長刀。

 次いで、神道無念流立居合12本。

 さらに荒木流抜剣。

 〆は柳生心眼流素振り21カ条。

 数日来の稽古不足からか、はたまた仕事の疲れからか、なんとも今日は体が重い。

 いや、ここのところ過食ぎみなので、実際に体重が増えてしまったのかもしらん。明日からまた、節食しなくては。


 さて、明日の午後からのインタビューで、年内の取材は終了。あとはひたすら原稿書きのみ。

 いよいよ師走も押し詰まってきた・・・・・・。

 (おしまい)
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ヘヴィーローテーション/(身辺雑記)
- 2016/12/20(Tue) -
 一昨日、ラジオで聞いて以来、ず~っと、『釜山港へ帰れ』が頭の中でヘヴィーローテーションして止まらない・・・。

 しょうがないので、仕事をしながらいろんな人が歌うのをyoutubeで聞いたんだが、ケイ・ウンスクの声が一番いい。

 てなわけで、明日から2日間、今年最後のインタビュー取材。新座~新発田~東京を移動しての旅巡業である。あと2時間ばかり資料に目を通したら、ズブロッカを飲んで寝よう。

 『釜山港に帰れ』を聞きながら・・・・・・。



 (おしまい)
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深夜、木太刀をとる/(柳剛流)
- 2016/12/16(Fri) -
 年末進行で超多忙である・・・・・・。

 外国人旅行者向けの国内観光地の案内記事を60本ほど執筆しつつ、サイバーセキュリティ関連のベンチャー企業CEOのインタビュー取材のテープを起こしを進める。

 一方で、来週は某六大学の政経学部長と、某技術系企業エンジニア2名へのインタビュー取材があるため、そのための取材準備をしつつ、某大学病院の患者向け冊子制作のコンペ用に、がん診療連携拠点病院に関する特集企画のレジュメを作らねばならぬ。

 これだけ仕事をしても、私の月収は3000ドルを超えないのだから、ライター稼業は生きるも地獄、死ぬるも地獄である。

 ま、でもいいんだ。来月には10億円が手に入るのだから・・・・・。


 ■稽古備忘録

 超多忙とはいえ、一日何も稽古をしないと逆に体の調子が悪いので、深夜1時、京都の絶景スポットに関する原稿を入稿した後、15分ほど稽古。

 団地住まいゆえ、深夜にドタンバタンはできないことから、姿見に向かい静かに柳剛流剣術の備之伝と備十五ヶ条フセギ秘伝を稽古する。

 柳剛流剣術における15の構えを学ぶ備之伝に対して、それぞれの構えに対応する必勝の構えをとるのが備十五ヶ条フセギ秘伝である。

 稽古では、相手を立て、彼が備之伝の15の構えをとるのに対し、我はそれぞれの構えに対応するフセギ秘伝の構えをとる。これを繰り返すことで、頭で考えるのではなく、無意識に体が反応するレベルで、対敵において最も適切な構えがとれるようにするのである。


 ルールに基づいた徹底的な競技化の結果、彼我の構えが事実上、中段と上段に収斂してしまった現代の剣道に対して、触れれば切れるのが前提であり、しかも全身のあらゆる部位が斬撃の対象となる古流の剣術では、勝つための、いやそれ以上に「負けないため」の条件としての構えというのは、現代の我々が考える以上に重要視されていたと思われる。

 実際、往時の他流試合に関する覚書では、「直心影流はもっぱら上段、柳剛流は上段・青眼・陰(八相)に構える」など、他流の構えを知るということに、その時代の剣士たちが大いに意を砕いていたことが分かる。

 そんなことに想いを馳せながら、深夜、ダイニングで2尺2寸の木太刀をとり、備之伝と備十五ヶ条フセギ秘伝を繰り返す。

 就寝前の15分稽古のつもりが、気が付けば四半刻が過ぎていた。

 さて、明日も締め切りが2つ。

 「師走」とはいったものである・・・・・・。

 (了)
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12月の水月塾本部稽古~柳剛流、柳生心眼流、忘年会/(武術・武道)
- 2016/12/12(Mon) -
 昨日は、国内各地の支部長が集まっての、水月塾本部での稽古納めであった。

 午前中は、小佐野先生と関西支部長のY師範に相手になっていただき、柳剛流の剣術と長刀をじっくりと稽古。

 午後は柳生心眼流の稽古を行う。

 ここでもY師範に相手になっていただき、小佐野先生のご指導のもと、受と捕を交代しながら表・中極・切の素振り21カ条の形を打つ。加えて「向捕り」という独特の稽古法で、さらに心眼流の業を練っていく。

 次いで水月塾制定の日本柔術を学び、平成27年の本部での稽古は終了した。

1612_水月塾稽古納め


 稽古後は、場所を移して忘年会。料理と酒を楽しみながら、師を囲んで武術談義に花が咲く。

 いつものごとく私は、師のシーバスリーガル・ミズナラを調子に乗ってがぶ飲みしてしまい、すっかり泥酔。粗相はなかったと(たぶん)思うのだが、いささか記憶が心もとない・・・(爆)。

 稽古による心地よい疲労と愉快な酔いを感じながら、武州への帰路についた。

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 (了)
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原稿料の話/(身辺雑記)
- 2016/12/09(Fri) -
 キュレーションサイトの不適切な記事やら、それに掲載をするために1文字1円以下の原稿料という、劣悪な条件で記事を書かされているライターさんたちのことがネットで話題になってる。

 かくいう私も、最近、雑誌や本の仕事がめっきり減ってしまい、webの仕事の依頼が多い。

 たとえばこの11月から12月にかけては、雑誌のインタビューが1本、製薬会社のパンフレットに載せる記事が1本だけで、あとの仕事はすべてwebに掲載する原稿である。

 感覚的には、この2カ月は仕事の8割がweb媒体という感じであった。

 それにしても、web媒体の仕事は紙媒体の仕事に比べると原稿料が安い。

 本当に安い・・・・・・。

 たとえば、私が毎月1回担当している医療経営者向けの月刊誌の巻頭記事は、1時間インタビューをし、それを6000文字の原稿にして、原稿料は6万円である。

 これは、1文字換算で10円の仕事だ。

 この仕事、お恥ずかしいことに、今私が抱えている仕事の中ではそこそこ単価の高い部類の仕事なのだけれど、数年前までは逆に、私のやっている仕事の中では、かなり原稿料の安いものであった。

 それがここ数年、一気に出版業界や医療広告業界の原稿料の相場が値崩れしてしまい、今や割合単価の良い部類の仕事となってしまったのである。


 私の感覚では、同じ文字数でも取材の手間や内容の専門性によって、原稿料やそれにともなう労働実感は様々なのだが、ものすごい大雑把な表現をすると、原稿料が1文字10円を切ると「安いなあ・・・」と感じ、1文字5円を切ると「取材しての原稿は書けない。これじゃあ食っていけねえ!」という感覚である。

 たとえば以下の記事は、先月に私がインタビュー取材をして原稿を書いたものなのだが、いずれも原稿料は1文字に換算すると6~8円だ。

『最先端の光学領域VRが比類なきイノベーションを生む』
https://frontier.bizreach.jp/vr-ar/optis-japan/

『製造業に自由をもたらす「モノづくりの民主化」を目指す』
https://frontier.bizreach.jp/business-model/kabuku/

『人工知能でニュースにスピードと質の革命を。報道機関向けソリューション「Newsdeck」』
https://frontier.bizreach.jp/artificial-inte/spectee/

『目覚ましカーテンから始まる日本発「メイカー」の挑戦』
https://frontier.bizreach.jp/business-model/robit/


1時間弱のインタビューをして2500~3000文字の原稿を書きあげ、1文字6~8円という値段は、取材をして原稿を書くギリギリのレベルであり、これよりも原稿料が安くなると、残念ながら同じ条件での仕事のクオリティを求められるのであれば、依頼を断らざるをえない。

 これらの仕事、紙媒体の感覚だと、どう考えても1文字10円以上の手間とクオリティなのだが、web価格だと1文字6~8円になってしまうのである。

 一方で現場取材なし、資料のみで書くweb向けの原稿執筆依頼の場合、現場取材やインタビューの手間が減る分さらに原稿料が安くなり、私の場合、1文字4~5円が受注できるギリギリ下限である。

 たとえば、今日の昼間書いたweb向けの観光記事は、1文字4.6円(!)だ。

 ちなみに、やはり今日の昼間書いた、雑誌向けの旅館の紹介記事は、1文字13円である。

 現時点で、webでも紙でも、1文字4円未満の依頼はお断りしているのだが、今後、仕事の発注量が減り、さらに業界全体の原稿料の単価が安くなるようであれば、もっと安くても仕事を受けなければならなくなるだろう。

 ま、これが、「高級ライター」でも「1円ライター」でもない、とあるキャリア22年のフリーライターの現実である。


 それにしても、くだんのキュレーションサイトの記事の原稿料が、なんと8000文字で2000円、1文字0.25円とか、それはもう著述業ではなく、web内職といったほうが適切だろう。

 その料金で、根拠のある、事実に基づいた、コピペや剽窃ではないオリジナルの文章、しかも専門性の高い医療記事を書けというのが、どだい無理な話であり、諸悪の根源は、そのような異常な料金設定で仕事を依頼しようという事業者側にあるのは言うまでもない。

 そういえば、ちょうど1年ほど前、私のところにもとあるネット関係者から、、「介護保険制度関連の解説記事を書いてもらえないか?」という依頼があったのだが、原稿料を聞くと記事の裏トリ込み1本600文字で500円とかふざけたことを言いやがるので、

 「その料金設定は常軌を逸していますね。絶対に無理です」

 と丁重にお断りすると、

 「ですよねぇ。ありえないですよね。はははは・・・・・・・」

 との答えであった。


 ま、ネットの普及で、情報はタダで手に入るものだと、多くの人が思い込んでしまっている以上、こういう風潮は、さらに加速していくのだろうし、そういう時代の中で、我々のような取材をし、裏をとり、『チェック、ダブルチェック』で原稿を書く、無署名のフリーライターなどというのは、遠からず滅びゆく、あらほましき一族なのであろう。

 というわけで、1円にもならないブログをこんなところで校正しながら2時間もかけてつらつら書いている暇があったら、今晩中が締め切りになっている、1文字4.6円のweb用の観光記事をあと7本、さっさと書けという天の声が聞こえてきそうなので、今宵はこれにて。

 なおちなみに、今回のこのブログの記事、合計約2000文字なので、原稿料にすると2万円くらいが私の相場における適正価格なのである・・・・・・(苦笑)。


「人生は過酷だ。生きていくためには金がいる」(サム・ペキンパー)

「生まれて初めて見た映画は朝鮮戦争のころだ。客の半分がGIだった。特ダネとモラルの話さ。都落ちした記者がカーク・ダグラスでさ。ニューヨークから流れ流れてアルバカーキ。砂漠の田舎町。連発するんだ。記事にするならチェック、ダブルチェック。憧れたね。チェック、ダブルチェック。こいつが言いたくて新聞社に入ったようなもんだ」(映画『クライマーズ・ハイ』より)



 (おしまい)
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柳剛流長刀の稽古用に落札したのだが・・・・・・/(柳剛流)
- 2016/12/08(Thu) -
 過日、柳剛流長刀の稽古用にと、オークションで時代の物風の稽古用長刀を落札した。

 はじめは当庵で柳剛流を学んでいるUさんがオークションで入札していたのだが、他の入札者と競り合いになって値段がつり上がってしまったため、彼は途中で降りたという。

 では私が入札してみようかということで、落札したものだ。


 この長刀、全長は6尺1寸7部と短めだが、刃部の形も大きく柄も太目の男長刀で、しっかりとした革鍔がつき、石突部分の形状も無骨で時代を感じさせるものであった。

 しかし大変残念なことに、到着した実物を手に取ってみると・・・・・・、軽い!

 普段、私が自宅で柳剛流長刀の稽古に使っているのは7尺2分の全日本なぎなた連盟規格の稽古用長刀で、これが重さ約1キログラムであるのに対し、今回購入した長刀は755グラムしかない。

 250グラムの重さの違いは、稽古で使ってみると歴然である。

161007_010514.jpg
▲上から、今回購入した長刀、連盟規格のなぎなた、古い学校教育用と思われる薙刀



 また材質に関しても白樫や赤樫ではなく、おそらくブナのようなものではないかと思われ、実際に打合っての稽古ではかなり脆そう・・・・、というか柳剛流の長木刀で思い切り打ち込んだら、一発で折れそうである。

 刃部を見ても、これまで打ち合った形跡が見られないことから、おそらくこの長刀は神楽などの伝統舞踊などに用いられていたものか、あるいは奉納用か芝居用などではないかと思われ、武具として用いられていたものではないようだ。

161208_104958.jpg
▲刃の部分には、形稽古などで打ち合った形跡がまったくない


 それなりの金額で落札したものなので(連盟規格の稽古用なぎなた×2本分超)、結構がっかりなのだが、ま、これも後学のための設備投資ということか。

 長刀としての形状そのものは悪くないので、一人稽古用として時々使っているけれど、やはり軽いので今一つしっくりこない。

 オークションとは、難しいものである。

 全長7~8尺で刃部が大きく柄の太い、形稽古で存分に打ち合える稽古用の男長刀が欲しいものだが、気長に骨董店を回るか、特注で作るしかないか・・・・・・。

 (了)
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さらば鬼平/(身辺雑記)
- 2016/12/06(Tue) -
 先週末放映の『鬼平犯科帳 THE FINAL』で、中村吉右衛門版の鬼平が、28年の歴史に幕を下ろした。

 ドラマはもちろん、原作のファンでもある立場からするとさみしい限りだが、はじまりがあれば終わりもある。止むをえまい。

 そんな気持ちで見ているからかもしれないが、前後編による最終話となった「五年目の客」と「雲竜剣」は、いずれも役者たちの芝居はもとより、セットや劇中のちょっとした小物に至るまで、とても丁寧に作られていたように見えた。


 白鸚、ヨロキン、丹波など、歴代の名優が演じてきた長谷川平蔵だが、我々40代後半のファンにとっては、吉右衛門こそが長谷川平蔵そのものだ。

 吉右衛門版鬼平の記念すべき第一回である「暗剣白香梅」などを改めて見返すと、40代半ば、男盛りの吉右衛門が、同年齢の長谷川平蔵を生き生きと演じている。

 それから28年。

 吉右衛門も72歳となり、もはや40代の長谷川平蔵を演じるのは、限界ということであろう。

 まさに、

「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。 よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。 世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」

 というところか・・・・・・。



 先月、親しい人にご招待をいただき、国立劇場で「通し狂言 仮名手本忠臣蔵 第二部」 を見ることができた。

 七段目「祇園一力茶屋の場」で、大星由良之助を演じたのが吉右衛門である。

 歌舞伎鑑賞として邪道であるのは重々承知の上だが、私はそこに、リアルな長谷川平蔵をみるような気がした。

 劇場で目の前にする吉右衛門の芝居の迫力、存在感はまさに比類のないものだった。

 もはやブラウン管・・・、いや液晶画面の向こうに新たな長谷川平蔵を演じる吉右衛門の姿を見ることはできないが、劇場に行けばこれからも、人間国宝二代目中村吉右衛門の芝居をじっくりと、心ゆくまで堪能することができる。

1611_国立劇場


 なにはともあれ、さらば鬼平。

 ありがとう、播磨屋!

 (おしまい)
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合同稽古・手裏剣術講習会・忘年会/(武術・武道)
- 2016/12/05(Mon) -
 この週末は毎年恒例となっている、翠月庵の友好団体である戸山流居合抜刀術美濃羽会中津川稽古会との合同稽古・手裏剣術講習会・忘年会のため、岐阜県中津川に向かった。

 あずさとワイドビューしなのに揺られること数時間。今年の12月の中津川は、例年に比べるとたいへん暖かかった。

 駅にて中津川稽古会代表のO先生と再会。ご自宅で着替えをさせていただき、まずは合同稽古。

 中津川稽古会の皆さんと共に、組太刀の相対稽古を行う。

 O先生と私が元立ちとなり、中津川稽古会門下の方々が順々に相手となって、受け流しやかい潜り、切り落としなど、戸山流の組太刀に含まれる業を適宜ピックアップし、それらを相手を変えて繰り返す。

 普段、翠月庵での剣術の稽古はほぼ個人指導、マンツーマンでの形稽古なので、このような形式で10人近い剣士が入れ替わり立ち代わり木太刀を交え、存分に打ち合う稽古というのはフィジカルで心地よい。

 同じ業でも、相手を変えるごとに、間合、拍子、そして位が異なる。またこちらは元立ちとして、下位者の学びに合わせた拍子や位で、なおかつ上位者としての品位を失わぬようにしながら、単なる力任せの打合いではない太刀を振るわねばならない。

 途中、私は新人のAさんの木刀を叩き折ってしまったりもしたが(ゴメンネ・・・・・・)、まずはつつがなく2時間の合同剣術稽古は終了。心地よい汗をかくことができた。 


 この後、O先生のご自宅に戻り、庭にて手裏剣術講習会を開始。

 中津川稽古会での手裏剣術講習会は、毎年春・夏・冬の3回行っており、初めての開催から9年が過ぎた。このため、すでに3間を通す人も少なくない。

 今回は、今年中津川稽古会に入会したばかりで、手裏剣術は初体験であるAさんとBさんを中心に、指導・講習を行う。

 ところがこの2人、元々センスがよく、加えて私の指導が素晴らしいこともあってか(爆)、生まれて初めて手裏剣を打つにも関わらず、2時間ほどで3間直打で刺中が見られるようになった。ま、短期促成で3間直打を達成させるのは、我が翠月庵の手裏剣術指導の十八番なのだ。

 講習会後半からは、他の皆さんも交えながら、各々手裏剣を打ってもらう。

1612_手裏剣講習
▲ベテランのIさんによる順体での打剣。的に向かって直打で飛ぶ手裏剣がはっきりと写っている


 手裏剣の講習の後は、おまちかねの忘年会である。

 具沢山の鍋を囲み、中津川稽古会の皆さんとともに、食べかつ飲む。

 酔いが回るほどに武術談義に花が咲き、いつものごとく私の失言&暴言がさく裂。今年の爆笑キーワードは、「f●●k off! 」(「失せろ」や「あっち行け」の意)であった。

 ただし例年と違うのは、私が記憶を消失していなかったことである・・・・・・。

1612_忘年会
▲うまい料理とうまい酒。そして武友たちとの武術談義が最高の酒の肴だ


 翌朝、O先生宅で朝食をごちそうになってから、武州への帰路へつく。

 稽古に交流に、楽しい時間を過ごすことができた。

 O先生、また中津川稽古会の皆さん、ありがとうございました。

 次は春の苗木城武術演武会でお会いしましょう!

 (了)
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美濃へ/(身辺雑記)
- 2016/12/03(Sat) -
無銘_備前

 さて、目釘と鍔の点検は済んだ。

 本日は午後から美濃にて、年末恒例の武者修行。

 出立まで、一刻ほど仮眠しよう。

 (了) 
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当流極意柳剛刀/(柳剛流)
- 2016/12/01(Thu) -
 柳剛流剣術においては、切紙の段階で当流の入門であり精髄でもある「右剣」と「左剣」、2つの形を学ぶ。

 その上で、次の段階である目録の階梯においては、‟当流極意柳剛刀”と称される剣術形を学ぶこととなる。

 この柳剛刀は、伝系や師範家によって異同がかなり見られるのだが、仙台藩角田伝においては、

・飛龍剣
・青眼右足頭
・青眼左足頭
・無心剣
・中合剣
・相合剣

 以上、6カ条の形で構成されている。

 これらの中でも、「青眼右足頭」と「青眼左足頭」は、ある意味、最も柳剛流らしい業(形)といえるものだ。

 これらの形はいずれも、切紙で学ぶ「右剣」や「左剣」と同様に相手の脚を斬る、柳剛流の真面目たる断脚之術である。

 しかし、「右剣」や「左剣」がある種、当流の理合の筋道を示し同時に鍛錬でもある形なのに対し、「青眼右足頭」と「青眼左足頭」は極めて直接的な実践用法を示している。

 これらの形を学んでいると、「なるほど! 往時の柳剛流剣士たちは、撃剣の際、このように相手の脚を打っていたのだろう」というイメージがたいへん明確になり、はっきりと腑に落ちるのだ。

 同じように、「飛龍剣」や「無心剣」、「中合剣」や「相合剣」についても、シンプルかつ実践的な剣の術理を示した形となっており、剣戟はもちろん撓を用いた撃剣稽古でもすぐに遣えるものである。

 ただし、これら目録で学ぶ柳剛刀を自在に遣いこなすには、切紙の段階で剣術や居合の稽古を通し、当流ならではの飛び違いを用いた独特の体捌きをしっかりと錬り込んでおく必要があることは言うまでもない。

1602_中合剣
▲柳剛流剣術「中合剣」

 (了)
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