1月の水月塾本部稽古~柳剛流、荒木流、柳生心眼流、日本柔術/(武術・武道)
- 2017/01/30(Mon) -
 昨日は、月に一度の水月塾本部での稽古であった。

 午前中は、小佐野先生に打太刀をとっていただき柳剛流の剣術、突杖、長刀、そして居合をみていただく。

 次いで荒木流抜剣は、「岸波」、「後詰」、「誘引」、「筏流」を、柳生心眼流は「切」の素振り7本をご指導いただく。


 昼は、師が野外稽古に使っておられる、「とある場所」を教えていただく。

 雪を頂いた富士山を望む、眺望の地で抜く居合は実に爽快だ。

1701_柳剛流居合
▲霊峰富士を借景に、柳剛流居合「向一文字」を抜く


 午後は、午前中のおさらいの後、水月塾制定日本柔術(甲陽水月流)の稽古。

 奥伝逆取の形について、片手取りから胸取りまでの5本を学ぶ。いずれも、強烈な逆が一瞬で決まる業だ。

 本部所属で空手道の嗜みもある米国人Aさんを相手にした柔術の稽古は、一瞬の気も抜けない。しかし、そんな緊張感もまた、柔術稽古の醍醐味であり楽しみでもある。


 朝から夕方までたっぷりと稽古をした後は、いつものごとく師にご同道させていただき、馬モツ料理の名店でにごり酒の杯を傾ける。

 すっかりほろ酔い気分になったころ合いで、武州への帰路についた。

 (了)
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タイル針・コンクリート針を打つ/(手裏剣術)
- 2017/01/28(Sat) -
 工具としてして販売されているコンクリート針やタイル針は、代用手裏剣としてよく使われている。

 流派・会派ごとの手裏剣は、いずれも誂え物であり、あるいは最近は流派別の手裏剣のレプリカなども市販されているが、これらの多くも安価なものではない。骨董的価値のある時代のものの手裏剣にいたっては、言わずもがなだ。

 このため、特定の流派や会派に所属せず、武人の嗜みとして独自に手裏剣の稽古をしている人の多くは、コンクリート針やタイル針、あるいはタガネなどを代用手裏剣として使うことが多いだろう。


 私は手裏剣術の稽古に専念した当初から、専用の誂え物を使ってきたので、コンクリート針やタイル針は、あまり打ったことがない。

 加えて、翠月庵で通常使用している手裏剣は、長剣も翠月剣も、いずれも重さが100グラム以上ある重量剣であり、コンクリート針やタイル針に比べるとあまりに長さと重さが異なる。

 長さと重さが異なるということは、手の内をはじめとした打ち方が異なるため、これまではコンクリート針やタイル針は、そもそも代用品としても、あまり考えてこなかった。


 ところが過日、アマゾンで買い物をしていると、ふとタイル針が目について、「たまにはちょっと、打ってみるかな」という気になった。

 そこで、「イシイ 特殊タイル針 ローレット 大」(全長150ミリ、重さ29グラム、径6ミリ、丸型)と、「千吉 コンクリート針 大 NO.16」(全長160ミリ、重さ33グラム、径7ミリ、丸型)を購入して打ってみた。

 拙宅では、座打ちで2間、立打ちでは1間半しか取れないのだが、どちらも2間直打の座打ちで普通に刺さるので、立打ちであれば3間は通せるであろう。

 それにしても、このクラスのサイズの剣は、あまりにも軽く短くて打ちにくい。

 普段、私が使っている25年式翠月剣は、短刀型で全長255ミリ、身幅13ミリ、重ね6ミリ、重量144グラムである。これに比べると、コンクリート針もタイル針も、あまりに軽く短いため、手の内や手離れが全く異なるのだ。

 おまけに、普段の稽古では2~5間で打っているからか、2間座打ちはまったく違和感はないのだが、1間半の立打ちというのは間合いが近すぎてかえって難しい。

 超至近距離で、しかも剣があまりに軽いことから、普段の打ち方で打つとまったく首落ちがせず、剣が立ったままになってしまうのである。

 そこで、通常は禁忌としている手首のスナップを利かせ、滑走を大きくかけることで、ほどなく「板金を打つ心」で刺さるようになった。

 とはいえ、1間半というのは間合いが近すぎて、手裏剣術者としてはかえってストレスのたまる距離だ(苦笑)。

 やはり最低でも、立打ちで2間の間合いがとれるとよいのだが、我が家は間取りや欄間の関係で、立った姿勢ではこれ以上の距離はとれない。まあ、座打ちなら2間がとれるので、良しとするしかあるまいね。

 結局自宅での手裏剣の稽古は久々だったこともあり、気が付けば一刻ほども打剣に集中していた。

170128_004616.jpg
▲「イシイ 特殊タイル針 ローレット 大」を、1間半から立打ち直打、足幅を広げない古伝の一足立ちの姿勢のまま、踏み込みをせず、順体・逆体を織り交ぜて打つ。剣が軽量でしかも短いため、普段とは手の内と指置きを変えないと刺さらない。軽量の剣は本当に難しいものだ



 思うに、これらコンクリート針やタイル針のメリットは、誰でも簡単に購入できること、そしてコストが安いこと、この2点に尽きよう。ホームセンターでも、ネット通販でも簡単に買うことができ、しかも1本の値段はわずか数百円である。

 伝統流派や現代流派の手裏剣の写しは、市販品でも1本数千円はするので、コンクリート針やタイル針のコストの安さは大きな魅力だ。

 また、手裏剣の稽古では、屋内でも屋外でも、外れたり跳ねたりした手裏剣を見失ってしまう事が少なくないのだが、この値段の剣であれば、最悪の場合紛失してしまっても、それほど負担にならない。

 耐久性についても、2時間打って、的に刺さっている剣の剣尾や側面などに、次に打った剣が度々当たったりしたが、剣先が激しくつぶれるなどのダメージは無かった。

 一方でコンクリート針もタイル針も、軽く、短いことから、打剣が難しくなることが最大のデメリットである。本ブログで以前から度々指摘しているように、手裏剣の打剣というものは、剣が軽く短いほど難しいのだ。

 できれば全長200ミリ、重さ40~50グラムほどのものがあれば、もう少し打ちやすくなるだろう。こうした点で、「イシイ 特殊タイル針 ローレット 大」よりも、「千吉 コンクリート針 大 NO.16」の方が、若干だが打ちやすかった。

 もっとも、中級以上の業前の手裏剣術者であれば、このような軽量で短い手裏剣でも、慣れれば立打ちで3間までは十分に通せるだろうし、稽古で間合い3間が通るのであれば、武術としての実践に耐えうると考えられる。

 ただしこの重量で、しかも刃の無い針型の手裏剣ゆえ、武芸としては二星を中心とした顔面部のみを打剣部位としなければならないだろう。

 ちなみに地稽古の経験上、顔面、ことに両目や眉間に投擲物が当たった場合、超軽量の物体(毛筆の筆など)でも十分に、相手の動きを一瞬止めることができる。

 そして相手の動きが一瞬居着けば、あとは斬るなり突くなり、蹴るなり殴るなり、投げるなり極めるなり、あるいは走って逃げるなりすればよいのは言うまでもない。

 逆に言えば、ただ手裏剣を打っただけで、こちらがその場で居着いているようでは、護身にも制敵にもならないということを、武術としての手裏剣術を志す者は忘れてはならない。

 いずれにしても、手裏剣術を看板のひとつにしている以上、たまにはこうした軽量の代用手裏剣も、打っておかねばならないなと改めて思った次第である。

 (了)
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深夜の荒木流抜剣/(武術・武道)
- 2017/01/27(Fri) -
 午前中から机にかじりつき、ようやく6000文字のインタビュー原稿を書き終えると、すでに日付が変わっていた。

 12時間以上もパソコンに向かい、社会保障制度改革に関するあれこれを調べつつ原稿をまとめていたので、目はカスミ、軽い頭痛もする。

 おまけに明日も仕事はてんこ盛りなので、とっととズブロッカでもあおって寝たいところだが、一方で1日まったく稽古をしないと、それはそれで気分が悪い。

 わずかでも稽古をしてからやすむか、それともさぼってさっさと寝酒をして眠るのか、いつもながらの葛藤である(苦笑)。


 結局、稽古意欲がわずかに勝り、仕事机の後ろに掛けてある稽古着にさっと着替えて居合を抜く。

 居合刀(模造刀)を使うか真剣を用いるかは、そのときの稽古の目的によって適宜使い分けているが、終日ディスプレイを見ながらキーボードをたたいていたため、なんとなく意識が濁っているような感覚が抜けないこともあり、気持ちを引き締めようと真剣をとる。

1701_刀
▲我が愛刀・監獄長光


 小半刻ほどかけて、荒木流抜剣の「落花」、「千鳥」、「折返」の形を丁寧に繰り返すと、刀を一閃させるごとに意識が引き締まり、濁ったような脳内の混濁感が解消されていく。

 これもまた、武術稽古の効用だ。

 さて、あとは入浴し、寝酒を呑んで眠るとするか。

 (了)
 
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空手道の初稽古/(武術・武道)
- 2017/01/26(Thu) -
 今更ながらであるが、昨日は今年になって初めて、空手の稽古へ。

 12月から1月までは多忙のため、柳剛流や柳生心眼流など古流の稽古に時間を割くのが精いっぱいで、空手の稽古にはほとんど参加できなかったこともあり、およそ2カ月ぶりの稽古である。

 久々に稽古場に行くと、年末に昇段審査を受けたAさんとBさんから、「初段に受かりました!」とうれしい報告。

 県連主催の初心者中心の教室で、稽古は週にわずか1回。こうした環境のなか、たとえばAさんは、7年がかりで公認の初段を手にした。

 またこの教室は初心者が多いため、稽古は基本と形が中心であり、組手はそれほどやらないのだが、そういったなかでも、組手も重要な審査項目となる公認段位の審査に合格したというのは、お二人の努力の賜物だ。

 わずかながら彼らの先を歩いている空手人として、これから先もさらに上の段位を目指して頑張ってほしいと思う。


 そんなこともあってか本日の稽古は、昨年からこの教室の教授陣に加わられた糸東流のC先生の指導により、基本から移動基本の後、打ち込み稽古を集中的に行った。

 刻み突き、逆突き、ワンツー、逆ワンツー、刻み突きから中段の蹴込み、中段蹴りから追い突きなどで、みっちりと汗を流す。

 そういえば試合に出ていた頃、私は逆ワンツーからさらに踏み込んでの追い突きが得意技のひとつであったな、などとふと思い出す・・・・・・。

 最後は、第一指定形のバッサイ大をご指導いただく。

 私は糸東流ではないのだけれど、指定形ではバッサイ大とセイエンチンを主な得意形としていたので、この2つの形は、自分の最も得意としている玄制流のローハイや祝嶺のバッサイとともに、これからも大事に稽古をしていきたいものだ。

 稽古後、C先生から「あなたは、松濤館流ですか?」と尋ねられたので、「いえ、以前まで玄制流武徳会で、土佐邦彦先生から12年間ほどご指導をいただいておりました」と答える。

 土佐先生の門下を離れてもう6年が過ぎてしまったが、10代から学んできた古流の武術に思うところがあり29歳で空手道の門を叩いた私に、「瀬沼さん、青白きインテリではいけないよ!」と厳しく、しかし武人としての愛情をもって指導をしてくださった先生への御恩は今も忘れることができないし、故あってきちんとしたご挨拶も無しに門下を離れてしまったことは、今となっても慚愧に堪えない・・・。

 この教室の先生方の多くが糸東流であることもあってか、玄制流で学んできた私の空手は、周囲の皆さんに比べるといささか趣が異なるのだろうが、そういう流派色が自分の空手に沁み込んでいるというのは、誇らしくも感じている。



 現在、私の武術・武道人生の本義は、国際水月塾武術協会小佐野淳先生の門下として、柳剛流を中心とした古流武術の稽古・研究にある。

 加えて個人としてのライフワークは、手裏剣術の稽古と研究であることは言うまでもない。

 しかし、武道人たる己の基礎的素養のひとつとして、空手道の稽古はこれからも、細く長く続けていきたいと思う。

 (了) 
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武人の徳目~柳剛流の教えから/(柳剛流)
- 2017/01/24(Tue) -
 古来から武芸を深く学ぶ者には、その勁(つよ)さに見合った徳目、いわゆる「武徳」が求められてきた。

 たとえば我が柳剛流では往時、入門の際に次のような起請文を交わし、その流祖以来の教えを守ることを門人は神前に誓った。


起証文之事
柳剛流剣術棒

一、 武術之儀は護国之
一、 具忠孝之緒互励心得可有事
一、 武者身を脩るの儀なけは聊も争心可有事なかれ、争心有者は必喧嘩口論に及へは亦刃傷に至らんも難計、武道を学人は心の和平なるを要とす、去は短気我儘なる人は却而武道を知らさるをよしとす、大抵人之行ひ正敷して其上に武有はよし、行い正しあらさる時武有は人をも害あるのみならず、己をも害する事出来者也
一、 他流を誹る事、なかき無益の雑談する事、なかき礼儀正敷可為脩行事
一、 武道は生死を瞬息の間に決するの業なれは其道決すれはあるべからす、法の委鋪は学の熟するにあれは、流儀に入者は其極に至し事を願ふべきもの也
右之条々於相背は梵天帝釈四天王総而日本国中六十余州大小之神祇、殊伊豆箱根両所権現、三嶋大明神、八幡武大神、天満大自在天神、摩利支尊天部類眷属神罰冥罰可蒙者也、仍而起証如件
  于時
天保七丙申年
                                     柳剛流元祖
                                           岡田惣右衛門尉
                                                  源奇良
                                                   松田源吾
                                                   良教 印
                                           松田門人
                                               綱嶋武右衛元治
                                               同 猪 古 馬
                                               堀江庄作
                                               岡村豊吉
                                               中嶋七蔵
                                               赤山畠之助
                                               綱島縵谷
                                               森谷八重蔵
                                               星野茂太郎
                                               星野平次郎
                                               利根沢源蔵
                                               真田継治郎
                                               鈴木満太良

                                              (綱島家文章より)



 この起請文では、柳剛流を学ぶことは「身を修めること」であり、むやみに人と争うような心を持ってはいけないとし、

 「武道を学ぶ人は、心の和平なるを要とす」

 と明言していることに、十分留意をしたい。

 また、行いの正しい人に「武」=業や力があるのは良いが、品行の不正な者に「武」があるのは人を害し、己をも害すると諭している。

 さらに、「他流を誹(そし)る」ことを戒めていることも、忘れてはならない。

 以上は当たり前とえば当たり前、武人の徳目としてはごく基本的なこととはいえ、今から181年前に柳剛流を学ぶ者が、まずこうした教えを示し諭されていたというのは、武徳というものの時代を超えた普遍性を強く感じさせてくれる。

 一方で、先日、千葉県の中学校で起こった剣道指導者による生徒への暴行傷害事件を考えると、武徳を涵養することの難しさもひしひしと感じる。

 柳剛流を学ぶ者として、自分自身が「武器を振り回すだけの社会不適合者」になっていないか?

 門人を「トレーナーを着たゴリラ」にしてしまうような指導をしていないか?

 なによりも武技の修練を通じて、己と門下の人格が陶冶されているのか?

 これらを常に厳しく、自身に問い続けていかなければならないと思う。

 (了)
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名著『武道の礼儀作法』から/(武術・武道)
- 2017/01/21(Sat) -
 千葉県の中学剣道部における体罰事件について、つらつらと思う。

 私が私淑している武人・野中日文先生は、名著『武道の礼儀作法』において、次のように指摘されている。


 武術は武士の表芸だが、往時の武術の稽古とはけっして人を人とも思わない、かつての軍隊における古年兵の「新兵いびり」のような野蛮なものではなかった。もっと大切に若者たちを扱っている。少年たちに対する「礼」があったのである。

 当然であろう。武士としての気位と恥を教えなければならない立場の者が、自分に教えを請う者たちを「人」として扱わず、そのプライドを踏みにじるとしたら、それは大きな自己矛盾であり、武道不覚悟、無知無教養の「下臈(げろう)」として武士社会から追放されたであろう。


 往時の武家社会には、幼い者たちを手ひどく扱う風習はなかった。



 本当の武道教育とは何か? 武道における人格の陶冶とは何か? 当事者である武術・武道人、ことに指導者層は、この課題に真摯に向き合わなければならない。

 私は武術・武道における競技の意義や効用をすべて否定するつもりはない。それどころか、武術・武道人にとって競技=自由攻防の経験は、必須のものと考えている。

 しかし、勝ち負けだけに一喜一憂するだけの競技優先・勝敗至上主義の武道は、結局は「トレーナーを着たゴリラ」を量産するだけであり、個人にとっても社会にとっても、百害あって一利なしであろう。

 そもそも武人において「勝敗は兵家の常」であり、修養としての武道教育に重要なのは、結果としての勝敗ではなく、どのように勝つか、そしてどのように負けるかである。

 昨今の学校武道における重大な受傷事故の事例を見ても、勝ち方(投げ方、打ち方)しか教えず、負け方(投げられ方、打たれ方)を正しく教えない勝敗至上主義が遠因にあるのではないか?

 武術・武道に関わる者は改めて、己の指導の在り方に思いを致すべきであろう。

1701_武道の礼儀作法
▲野中日文先生の名著『武道の礼儀作法』。武道の礼儀作法を、1つの「行動科学」として扱い、それが「術」として成立することを論考。さらに道場内の作法から対人関係、生活習慣にいたるまで、「術としての礼儀」を明快に解説している。武術・武道人必読の書であり、私の大切な座右の書である

 (了)
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人間のクズ/(武術・武道)
- 2017/01/19(Thu) -
<剣道部顧問>竹刀で殴り、女子部員入院 千葉県教委が処分

毎日新聞 1/18(水) 22:58配信

 千葉県鴨川市立中学の剣道部顧問の男性教諭(39)が練習中に女子部員に体罰をして重傷を負わせたとして、県教委は18日、停職6カ月の懲戒処分にした。

 県教委によると、教諭は昨年11月1日朝、素振りをしていた2年の女子生徒に「集中力が欠けている」などと言って正座させ、竹刀で頭を5回以上殴り、のどを突いて脇腹を蹴るなどした。生徒は脳しんとうや首の打撲など4週間のけがをし33日間入院し、現在も通院中。教諭は「かっとしてしまった」と説明したという。

 保護者が県警に被害届を出し、教諭は傷害罪で罰金50万円の略式命令を受けた。教諭は少なくとも2014年から複数の部員をたたくなどしていたという。現在は顧問、授業ともしていない。剣道部は全国大会にも出た強豪。【渡辺暢】

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170118-00000113-mai-soci


 以上、引用終わり。


 未熟な中学生の女子部員を、脳しんとうを起こすまで竹刀で殴り、突き、脇腹を蹴るなど、武道人の風上にも置けない愚かな人物の犯罪行為について(暴行は犯罪である)、県教委が処分をするのはもとより、その人物を統括する武道団体である一般財団法人全日本剣道連盟はどのように対処をするのかね?

 ステートメントの1つも出すべきではないか?

 集中力に欠けた生徒が稽古場にいるのなら、注意を促せばよいだけのこと。注意しても生徒が集中しないのであれば、稽古場から退出させればよい。そんだけのことである。

 立場も技術も指導者の隷属下にある年端もいかない無抵抗な生徒を、暴力でなぶるような下劣な品性は、一般的には「人間のクズ」と呼ばれる。

 そういうクズの存在は、まじめに稽古をしている全国の武術・武道人にとって、本当に迷惑極まりない。

 全剣連は、当該人物に対してすみやかに、段位や審判・指導資格等のはく奪なり、なんなりの厳重処分を下さなければならぬ。

 草葉の陰で、中山博道や高野佐三郎が泣いてるぞ(怒)。


剣道の理念
剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である

剣道修錬の心構え
剣道を正しく真剣に学び
心身を錬磨して旺盛なる気力を養い
剣道の特性を通じて礼節をとうとび
信義を重んじ誠を尽して
常に自己の修養に努め
以って国家社会を愛して
広く人類の平和繁栄に
寄与せんとするものである

昭和50年3月20日制定
財団法人全日本剣道連盟


剣道指導の心構え

(竹刀の本意)
剣道の正しい伝承と発展のために、剣の理法に基づく竹刀の扱い方の指導に努める。
剣道は、竹刀による「心気力一致」を目指し、自己を創造していく道である。「竹刀という剣」は、相手に向ける剣であると同時に自分に向けられた剣でもある。この修錬を通じて竹刀と心身の一体化を図ることを指導の要点とする。

(礼法)
相手の人格を尊重し、心豊かな人間の育成のために礼法を重んずる指導に努める。
剣道は、勝負の場においても「礼節を尊ぶ」ことを重視する。お互いを敬う心と形(かたち)の礼法指導によって、節度ある生活態度を身につけ、「交剣知愛」の輪を広げていくことを指導の要点とする。

(生涯剣道)
ともに剣道を学び、安全・健康に留意しつつ、生涯にわたる人間形成の道を見出す指導に努める。
剣道は、世代を超えて学び合う道である。「技」を通じて「道」を求め、社会の活力を高めながら、豊かな生命観を育み、文化としての剣道を実践していくことを指導の目標とする。

平成19年3月14日制定
財団法人全日本剣道連盟


 (了)
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我より童蒙に求むるにあらず。童蒙より我に求む/(武術・武道)
- 2017/01/18(Wed) -
 時々外国の人から、手裏剣術や柳剛流についての問い合わせのメールがくる。

 熱心なのは関心なのだが、英文のメールで来るので、それを翻訳ソフトで訳し、返信を日本語でまとめ、それを再び翻訳ソフトにかけ、しかし翻訳ソフトは頭が悪いので主語や時制が変なのでそれらを直し、確認のため最初の翻訳ソフトとは異なる翻訳ソフトにもう1回かけて内容を読み直し、問題がないのを確認してから返信をする・・・・・・。

 ことほどさように手間がかかるので、ちょっとした問い合わせメールの返信をするのにも、1時間も2時間も時間がかかり、仕事で多忙なときなどはげんなりである・・・。

 翠月庵では開庵当初から、基本的に日本語の読み書きと会話ができない人には指導しないことにしているのだが、実際にはカタコト程度でも日本語で意思の疎通ができるなら、熱心な人に対しては入門を許している。

 このため、いままで何人かの外国人に指導を行い、現在もドイツ人のM君が熱心に、翠月庵の手裏剣術と柳剛流を稽古している。



 四書五経の帝王たる易に記された、「童蒙」の教えを説くまでもなく、本来、芸事の教授というのは、弟子が師に教えを乞うものであり、師が弟子に「学んでくださいな」とお願いする筋合いのものではない。

 「我より童蒙に求むるにあらず。童蒙より我に求む」

 (教育の理想は、我、すなわち師たる者から求めて童蒙に教えるのではなく、子弟・童蒙の方から進んで師に教えを求めることにある)。

 ゆえに、その「術」を学びたい・知りたいと異国の人たちが欲するのであれば、日本語の会話はもちろん、漢字・ひらがな・カタカナの読み書きも学んだ上で、教えを乞うべきものであろう。

 とはいえ古典的な武芸の学びに関しては、私を含めて日本人でも、伝書や史料などの読み書きや理解に難渋するものであるから、あまり高いハードルを外国人に課すのもかわいそうだなと思うので、庵の建前とはうらはらに、カタコトの日本語会話だけしかできない人にも、真摯に望む人には指導しているというわけだ。


 思えば、20代中盤から30代前半までは、習い覚えの旅英語を駆使し、トラベルライターとして北は北極圏から南はボルネオの熱帯雨林、西はボスボラス海峡から東は38度線を超えた先にある北朝鮮の金剛山まで、世界各地を旅ガラスのように飛び回っていた。

 またクルディスタンでの従軍を志し、トルコ・イラン・イラク・シリア周辺をうろついて取材や撮影もしていたので、最低限の英語の読み書き会話はなんとかできたものである。

29歳
▲19年前、イスラエル政府機関の招きで、同国内を各社で共同取材したときの一コマ。なぜか写真の日付が87年になっているが、実際には98年である。87年は、私はまだ高校生だ・・・・・・


 しかしその後、ここ15年ほどは国内で、医療や社会福祉に関する取材・執筆を専門とするようになり、海外からはすっかり足が遠のいた。それにあわせて私の英語力も劇的に低下し、いまとなっては、中学生以下のレベルであるが、ま、しょうがないかなと思う。

 仕事にしても武芸にしても、あるいは周易などの東洋哲学にしても、私には学ぶべきことが今も山積しているので、とてもではないが、これから英語の読み書きや会話を学びなおす時間は無いし、その意欲もない。

 そんなこんなで、英文メールのやりとりは実にストレスなので、問い合わせはできるだけ日本語でお願いします。

 実技も基本的には日本語でしか教えませんし、英語での指導を求められてもできませんので悪しからず。

 あとHPも、英文表記とかしませんし、ありません。頑張って、日本語で読んでください。

 って書いても、日本語が読めない人々には通じねぇか・・・・・・。

  (おしまい)
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「花嵐の剣士 ~幕末を生きた女剣士・中澤琴~」/(身辺雑記)
- 2017/01/14(Sat) -
 本日は寒風と風花が舞う中、稽古場でたっぷりと柳剛流の稽古。

 帰宅後、門下のU氏からいただいた年賀の地酒「やちよ桜」を飲みつつ、法神流の女剣士・中澤琴が主人公のBSプレミアムのドラマ「花嵐の剣士 ~幕末を生きた女剣士・中澤琴~」を鑑賞。

 上州の法神流で新徴組で中沢琴でドラマなんだから、次はぜひ、武州の柳剛流で彰義隊で池富でドラマを作ろうではないか!!!

 っと思ったのは、多分、日本全国で私ひとりくらいだろう。

 まあいいや、もう泥酔しているし、どうせメキシコで死ぬんだからな・・・・・・(嘘)。


 それにしても幕末もので、薩長や新選組とかでなく、江戸の新徴組のドラマってのがいいやね。

 となると、やっぱ次は彰義隊で、彰義隊といえば当然、柳剛流でしょう。

 女剣士もいっぱいいるしな、柳剛流には。

 ま、そういうことで、南無八幡大菩薩。

170114_184153.jpg

 (おしまい)
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上総伝柳剛流の興亡~『柳剛流剣術古武道史 千葉・東金編』を読む/(柳剛流)
- 2017/01/13(Fri) -
 辻淳先生の新著『柳剛流剣術古武道史 千葉・東金編』を読了した。

 本書は、上総国を中心とした房総に伝播した柳剛流剣士たちの記録である。


 房総においての柳剛流の一大根拠地は、上総国上谷村、現在の千葉県東金市周辺であったという。

 この地では今関登、古川貢、行川幾太郎、伊藤滝三郎といった若者たちが江戸に遊学し、柳剛流祖・岡田惣右衛門奇良に次いで東都での柳剛流興隆に大きな役割を果たした柳剛流二代師範・今井右膳(林右膳と同一人物)と、その子・今井亀太郎の門下となって柳剛流を学んだ。

 彼等は帰郷後、多くは地元で三代師範家となって柳剛流の指南に当たり、上総国上谷村周辺は柳剛流の一大勢力地になっていたという。

 そこに訪れたのが、かつて江戸にて流祖と立合い、破れてその門下に入った元小栗流の剣客・大塚治郎左衛門(?~1870)であり、流祖の直弟子である治郎左衛門は、以後この地に腰を据え、上総伝柳剛流の各師範家とともに、この地での柳剛流の普及に尽くした。

 上総伝柳剛流の大功労者である大塚治郎左衛門の事績については、従来ほとんどつまびらかではなかったのだが、辻先生の現地調査により、昭和57(1982)年、東金市内の無住の寺で、治郎左衛門の業績を記した石碑が発見され、ようやく明らかになった。

 半ば地中に埋もれたその石碑には、次のように記されていたという。


 先生、通称治郎左衛門、姓は大塚、三州牛窪の人なり。
 自ら幼きにして撃剣を好み、始めは小栗流の術を学ぶ。
 その術すこぶる熟し、東都に遊び、諸流と典(形)術を試し、先生の右に出る者少なし。
 たまたま柳の祖、岡田氏と術を較べ、自らその術に及ばざるを知る。
 先生に数年師事した後、両総の間に遊び、諸子弟を教授これにあきず。
 剣□□実に隠れた一君子なり。
 時に明治三庚午年二月二十三日病に瞑す。



 今井右膳門下の今関・古川・行川などの各師範家に、流祖の直弟子である大塚治郎左衛門を加えた上総伝柳剛流は、同じ時期に両総で興隆した不二心流と並んで、幕末の房総における剣術の一大流派として流名を響かせたという。


 また、上総伝柳剛流の師範家であった行川幾太郎の孫・民子は、柳剛流長刀を遣う女武芸者として知られ、後年は目黒で映画館を経営するなど、女性実業家としても活躍した。

 民子の使った柳剛流長刀の具体的な内容は伝わっていないが、同じ上総には柳剛流の大剣客・岡田十内の妻である鉄が創始した分派である柳剛心道流長刀が伝承されていたこともあり、行川民子の柳剛流長刀と、岡田鉄の柳剛心道流長刀との間に何か関係があったのではないか? などと想像の翼が広がるところだ。

 さらに行川幾太郎の弟子で、上総国正気村出身の剣客・東郷利平治は、新免正伝流(剣・居合・薙刀)の創始者として知られ、後に新潟や長崎、鹿児島で剣の指南を行った。

 あるいは上総伝柳剛流の師範家であった今関登や古川貢と同時代に、同じく上総から江戸へ出て今井右膳の元で学んだ伊藤滝三郎は、品川双葉町に道場を構え、文久3(1863)年には浪士隊に参加。その後は新徴組隊士となったところまでは記録が残されているが、その後の消息は明らかでないという。


 このように、幕末期に多いに栄え、数多くの剣客を輩出した上総伝柳剛流であるが、その後は流儀の継承者に恵まれず、明治の初めから中頃にかけて急速に衰退。大正、昭和、平成と時代は巡り、現在、その道統は全て絶えてしまった。

 いまや地元・東金市でも、かつてこの地が、断脚之術で雷名を轟かせた柳剛流という武芸の一大勢力地であったことを知る人は、ほとんどいない。

 このため、35年前に辻先生によって発見された大塚治郎左衛門の顕彰碑は現在は土と草の合間に埋もれ、柳剛流長刀の遣い手・行川民子の墓は無縁となりすでに解体・撤去されてしまったという・・・・・・。

 上総伝柳剛流の興亡は、武芸という身体文化がいかに失われやすく、儚いものであるのかをしみじみと感じさせる。


 ■引用・参考文献
 『柳剛流剣術古武道史 千葉・東金編』(辻淳著/剣術流派調査研究会)

 (了)
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『柳剛流剣術古武道史 千葉・東金編』の速報的感想/(柳剛流)
- 2017/01/11(Wed) -
 昨日、平成27年3月に発行された剣術流派調査研究会の辻淳先生著『柳剛流剣術古武道史 千葉・東金編』を、ようやく入手した。

 お恥ずかしいことに本書の発刊については、昨年末まで知らなかったのだが、当庵で柳剛流を稽古している幽玄会(http://www.geocities.jp/spirit_vision_lesson/index.html)代表の宇田川氏に教えられ、ようやく手に入れた次第である。

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▲本書は直接購入するほか、国立国会図書館、千葉県成東図書館、和歌山県図書館、鹿児島県図書館の4か所で閲覧できる


 本書は、『幸手剣術古武道史』、『戸田剣術古武道史』など、柳剛流に関するたいへん貴重な研究成果を次々と発表されている辻先生の新著であり、書名の通り、東金地域を中心とした千葉県における柳剛流の伝承についての調査をまとめたものである。

 まずはざっと読んだ上で目を引いたのは、「編纂にあたっての序」として、柳剛流という流派名の読み方について触れている点である。

 「柳剛流」の読み方については、一昨年、私は本ブログにて最初の疑義を示したうえで、仙台藩角田伝柳剛流の伝承においては、師である小佐野淳先生や、『増補・改訂 宮城県 角田地方と柳剛流剣術-日本剣道史に残る郷土の足跡-』の著者である南部修哉氏が指摘している通り、「りゅうごうりゅう」ではなく「りゅうこうりゅう」であるということを度々述べてきた。

 その際、辻先生にもお話しをうかがい、「岡田十内伝においても、『りゅうこうりゅう』と呼ばれていた」というご指摘をいただいたことについても、本ブログの過去記事に記している。

 こうした経緯も踏まえた上で、今回、辻先生の新著冒頭において柳剛流の読み方について、岡田家の関係者の方の証言に加え、複数の史料も示された上で、「往時から、りゅうごうりゅうではなく、りゅうこうりゅうと呼ばれ、『柳行流』や『流行流』といった当て字も用いられていた」ということが示されているのは、武道史的にもたいへん大きな意義があると思われる。

 加えて、以前のウィキペディアにおける柳剛流の解説記事の誤り(現在のウィキペディアの柳剛流の記事は、加筆者によって非常に正確な記述に修正されている)などについても触れるなど、時事性の高い指摘がされていることも意義深い。

 また、柳剛流の実践者・伝承者という立場から本書を読むと、たとえば千葉県で伝承されていた柳剛流今関派の実技と、仙台藩角田伝との術技の共通性について確認できるのは、非常に興味深い。

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▲『柳剛流剣術古武道史 千葉・東金編』に掲載されている、柳剛流今関派の目録。柳剛流において、特に目録で教授される形については各派ごとに異同が多いのだが、千葉県に伝播した柳剛流今関派の目録における形の構成と名称は、仙台藩角田伝とほぼ完全に一致している


 以上、初見の感想を速報的に取りまとめたが、改めて精読した上で、本ブログで所感を報告したいと思う。

 (了)
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苦い思い出/(時評)
- 2017/01/09(Mon) -
 今日は成人の日。

 フェイスブックなどをつらつら見ていると、同級生の息子や娘が成人式へ行ったなどという記事も少なくはなく、改めて時の流れの早さを感じる。

 ニュースなどでは、荒れる成人式だとか、有頂天になった新成人の愚行などが伝えられ、「まったく、バカな奴らだナア・・・」と思うのだが、28年前の成人式を思い返せば、自分も相当なバカ野郎であった。



 悪ガキ仲間であったトモダチと3人で結託し、1人は高倉健さん風の着流し、1人は印半纏の職人姿、そして私は革ジャンの上に袖をぶった切ったジージャンを重ね、600CCにボアアップしたカワサキのバイクで会場に乗り付けて式典に出席した。

 もっとも当時の私は、横浜ケンタウロスのボスの教えを堅く守る「本格のバイク乗り」を自任していたので(苦笑)、会場をバイクで暴走したりすることはもちろん式典の妨害をするようなことは一切しなかったのは言うまでもない。

 あくまでも、この格好にバイクで会場に乗り付けて、静かに式典に参加したわけだが、それにしてもやっぱりバカ野郎だったなと、今はしみじみ思う。

 おかげで成人式の後の集合写真には、振袖やスーツ姿のちゃんとした同級生たちに交じって、とんまな恰好をした3人組のバカ野郎どもが写っているのである・・・・・・。

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▲この格好とこのバイクで、成人式に出席したバカ野郎・・・・・・


 そんなこともあって、毎年、成人式の荒れる若者といったお約束のニュースを見るたびに、私はちょっとほろ苦い思いになるわけだ。

 若さとは、バカさである。

 やっぱりこういう式典には、ちゃんとした格好で静かに出席するのが一番かっこいいのだと、48歳になったオジサンは思うよ、本気(まじ)で。

 (おしまい)
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稽古後の一服/(身辺雑記)
- 2017/01/08(Sun) -
170108_茶碗


 3連休も休みなく、今日も朝からひたすら原稿書き。

 仕事の後、今年初めて真剣で居合の稽古。

 二尺二寸の愛刀・監獄長光で荒木流抜剣をひとしきり抜いた後、お気に入りのかいらぎ茶碗で茶を一服。

 抹茶の苦みが、気を静めてくれる。


  さて明日もまた、ひたすら原稿書きだ。

  (了)
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翠月庵の稽古始め/(柳剛流)
- 2017/01/07(Sat) -
 本日は、翠月庵の稽古始め。

 都合によりいつもの行田稽古場ではなく、夕方から埼玉県立武道館にて稽古を行った。

 今回は、柳剛流をじっくりと稽古する。

 備之伝、備フセギ秘伝の後、剣術の仕太刀と打太刀を一通り行い、その後は「右剣」と「左剣」を丁寧に、徹底的に繰り返す。

 本ブログでも何度も指摘してきたが、柳剛流の基本的体動、根幹的な理合、実践的な戦術のすべてが、この2つの形に凝縮されている。まさに、最初に学ぶこの2つの形こそが、柳剛流の原点であり極意でもあると、しみじみ感じる。

 そして本日の稽古では、いかにして「踏み切らずに飛ぶか?」に留意して形を行じた。

 また打太刀の立場からは、脚切りに対する見切りと運足、体捌きについて、丁寧に見直しながら稽古を行った。

 その後、柳剛流居合、突杖、長刀を一通り行って、2時間の稽古を終了。

 ゆっくりと黙想をしてから帰路についた。


 今年も1年、粛々と、そして爽快に、稽古に励んでいきたいものだ。そしてまた、柳剛流を学び伝承したいという新たな門人の登場を期待したいと思う。

 来る者は拒まず、去る者は追わず、当庵の門戸は常に、求道の士に開かれている。

 (了)
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小寒/(身辺雑記)
- 2017/01/06(Fri) -
 昨日は今年初めての取材のため、朝から銀座にいたのだが寒いこと寒いこと。

 ま、二十四節気では小寒なのだから寒いのは当たり前なのだろうが、年末年始が暖かかっただけに、一段と北風が身に染みる。

 昼過ぎにインタビューとその後の打ち合わせを終えたあと、銀行や郵便局で支払いやら郵送事務やらをしていて思いのほか時間をとられ、武州中山道の拙宅に戻った頃はもう夕方。

 その後、来週ある病院の広報誌のプレゼンについて電話打ち合わせ。

 続いて、某大学のパンフレット用の記事のリライトを一本。

 本当はさらに、年末に行った若手技術者へのインタビューのテープ起こしもやっておきたかったのだが、なんとなく気力が失せて、今日の業務は終了。


 年末年始の暴飲暴食で体重が1.6キログラムも増えてしまったので、夕食はサラダとささみ肉をゆでたのとおかゆ。〆て約500キロカロリーなり。

 朝食はぬき、昼間は駅の立ち食いソバでかき揚げ蕎麦を食べただけなので、本日の摂取カロリーは1200キロカロリーほどであろうか。

 とりあえず1週間ほど、1日のカロリー摂取をこれくらい(糖尿病患者用の食事なみ)にしておく予定。

 なにしろ柳剛流は動きが激しいため、体重が増えると思うように業が遣えなくなるのだ。

 また柳生心眼流についても、これ以上体が重くなると「ムクリ」ができなくなってしまいそうであるからして、ウェイトコントロールは必須なのである。

 もちろんダイエット期間中は、酒は飲まない・・・・・・たぶん。


 食後、一刻ほど休んでから稽古をしようかと思ったのだが、なにやら急に右肩に鈍い痛みが。

 試しに柳生心眼流の素振りを1つ打つと、腕を振るうことはできるが、なんとなくイヤ~な感じが肩にする。どこかにぶつけた覚えもないので、おそらく本日の急激な寒さが原因だろうか?

 大事をとって・・・・・・という理由付けで今晩の稽古はさぼり、葛根湯を煎じて飲み、ゆっくりと入浴して茶を一服。

1606_黒織部
▲寒い季節は、筒茶碗で温かく


 なんとも気ぜわしい1日であったが、1月はずっとこんな感じが続きそうである。

 南無八幡大菩薩。

 (おしまい)
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自宅での稽古始め/(身辺雑記)
- 2017/01/05(Thu) -
 多忙である・・・・・・。

 すでに正月2日から、原稿書きをはじめている。

 とはいえ2日や3日は、夕方には仕事を終えて、あとは親しい人からご恵贈いただいたお節をつまみながら、初売りの樽酒で酔っぱらっていたので、なんとなく正月気分であった。

 4日からはもはや平常運転で、夕方までに6000文字の原稿を仕上げ、その後は翌日の取材準備などで、気が付けば12時間以上も机にかじりついていた。

 原稿書きに集中するあまり、この日が空手の稽古始めであることを、すっかり忘れてしまい、稽古に行きそびれてしまったほどである(苦笑)。

 幸か不幸か、この1月は例年の2倍近い仕事の依頼があり、果たして本当にそれらの締め切りをすべて守ることができるのか、我ながらはなはだ疑問だ。

 しかし、なにしろ私は本格的に貧乏なので、まともな社会生活を維持し、なおかつ許容できる必要最低限の武術・武道生活を実現しつつ、人なみの貯蓄を再びしていくためには、バルザックのことく原稿を書きまくって、とにかく金を稼がねばならないのである。

 もっとも、これだけ書いても今月の原稿料は、自分の年齢×100ドルに届かないのが、なんともむなしいところだ。これくらい原稿を書いたら、15年前なら楽勝で月50万は超えていたんだがね。

 ま、過去を懐かしがってもしかたあるまい。

 出版業界のヨイトマケであるワタクシは、ただひたすら働くのみである。



 とまあ、正月早々こんな調子なので、例年は元日か2日に始める自宅での稽古も、今年は4日の深夜からとなった。

 さすがにこの時間から外では稽古はできないため、屋内で短い木太刀を手にとり、まずは柳剛流備之伝と備フセギ秘伝。続いて剣術から突杖まで、仕太刀と打太刀それぞれについて、ゆっくりと理合を考えながら形を打つ。

 今年も柳剛流の業について、じっくりと学び、体に沁み込ませていこうと思う。

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 さて、明日は午前中から都内で初取材。

 某大学教授に、社会保障と税の一体改革について1時間のインタビューである。

 やるべし!

 (了)
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新年/(身辺雑記)
- 2017/01/01(Sun) -
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 新年となりました。

 今年も武術伝習所 翠月庵/国際水月塾武術協会埼玉支部を、宜しくお引き立てのほど、お願い申し上げ奉ります。

 庵主 拝
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