柳剛流祖・岡田惣右衛門の「諱」について/(柳剛流)
- 2017/02/28(Tue) -
 柳剛流に関するウィキペディアの記述について、以前は間違いだらけのひどいものであった。

 しかし最近は、「柳剛流」にしても、流祖である「岡田惣右衛門」の項目についても、真摯な記述者の方々による適切な訂正によって正確な記述になっており、柳剛流を学び継承する者として、たいへん喜ばしく思っている。

 (なにしろ私は、ウィキペディアの編集の仕方が良く分からないので)


 そんななか本日、ウィキペディアの「岡田惣右衛門」の記述に関する編集履歴を確認したところ、2017年2月9日 (木) 11:30 に「松茸」というハンドルネームの方が、流祖の諱について「奇良」となっていたものを、以前のウィキペディアの記述であった「奇良、寄良」という両論併記に、書き直し、戻していた。

 その理由というのが、「出典元にある記載のため戻す」ということなのだが、その出典元である『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』の岡田惣右衛門の記述は、信頼性の低い質の悪いものである。



~以下、『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』から引用~

岡田惣右衛門 おかだ-そうえもん
1765-1826 江戸時代後期の剣術家。
明和2年3月15日生まれ。心形刀流を大河原右膳にまなび,各地で武者修行。すねをうつことで知られる柳剛流を創始。一橋家の師範をつとめ,江戸神田お玉ケ池で道場をひらいた。文政9年9月24日死去。62歳。武蔵(むさし)葛飾郡惣新田(埼玉県)出身。名は寄良,奇良。通称は別に十内。

~以上、引用終わり~




 流祖の諱については、現存する最古の頌徳碑である宮城県石巻市の「柳剛流祖岡田先生之碑」(嘉永元[1848]年建立)、同じく江戸期に建立された埼玉県幸手市の「柳剛流祖岡田先生之碑」(慶應元[1865]年建立)、以上のいずれでも、「奇良」となっている。

 また、明治以降に執筆された柳剛流関連の事績に関して、そのほとんどにおける出典となっている、明治35(1902)年建立の宮城県角田市長泉寺の「柳剛流開祖岡田先生之碑」でも、流祖の諱は「奇良」と記されている。

 さらに、現在、唯一現存する流祖直筆の書と言われる、宮前華表太宛ての柳剛流伝書でも、流祖の諱は「奇良」だ。

 一方で二次資料である三重県田丸のM家に伝わる『奉献御宝前』という掲額の「写し」や、流祖の孫弟子に当たる武州・岡安師範家の一部の伝書では、流祖の諱を「寄良」と記しているものがあるという。



 以上の点から、森田栄先生や辻淳先生といった近年の柳剛流研究者、また小佐野淳先生以下我々実技として柳剛流を継承している伝承者の間では、

 柳剛流祖・岡田惣右衛門の諱は「寄良」ではなく、「奇良」である

 というのが、最も一般的な共通認識となっている。

 加えて、今回の書き直しの出典となった『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』の岡田惣右衛門の記述は、諱以外にも、流祖と孫弟子の岡田十内を同一人物とするなど、私たち柳剛流伝承者や研究者からすれば、あまりにもお粗末なものであり、そのような質の悪い史料に基づいた訂正は、たいへん遺憾であると言わざるをえない。


 部外者にとっては些細な事なのかもしれないが、流儀を伝承する者としては、流祖の諱というのは非常に大切なものだけに、あえて加筆や訂正をするのであれば、信頼性の高い出典による適切な記述をしていただきたいと、強く望むところだ。

1610_石碑
▲流祖生誕の地である埼玉県幸手市にある、慶應元年に建立された「柳剛流祖岡田先生之碑」には、「諱は奇良、惣右衛門と称す」と刻まれている


 ■参考文献
 『日本剣道史 第十号 柳剛流研究(その1)』(森田栄/日本剣道史編纂所)
 『幸手剣術古武道史』(辻淳/剣術流派調査研究会)


 ■補遺(2017.2.28 20:43)

 本ブログをアップしたあと、再びウィキペディアの「岡田惣右衛門」のページを見たところ、流祖の諱について正しく、「奇良」と修正されておりました。
 本ブログを読んでくださった方が直してくれたのか、あるいはたまたまなのかは分かりませんが、柳剛流のいち修行人としてうれしく存じます。
 今後も、正しい記述が維持されることを望みます。


 (了)
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2月の水月塾本部稽古~柳剛流、伝書講義、荒木流、柳生心眼流/(武術・武道)
- 2017/02/27(Mon) -
 昨日は、水月塾本部での稽古。まだ暗い朝5時半に武州の草庵を出立し、甲州へ向かう。

 9時半に本部稽古場に到着し、午前中は小佐野先生に打太刀をとっていただいて柳剛流の稽古を行う。

 剣術、突杖、長刀の後、居合では体変換の捌き、斬りの際の拍子について手直しをしていただいた。



 昼休みには、お楽しみの伝書講義。

 今回は柳剛流今井派の切紙、目録、免許、さらに岡田惣右衛門創始の柳剛流とは別系統と思われる、紀州名倉村(現在の橋本市)に伝えられた「柳剛流柔術」の伝書類、さらに京都に伝えられた長谷川派新海流柔術の秘伝書を拝見し、師よりご解説をいただく。(柳剛流関連の伝書の詳細については、また稿を改めて記す予定)。

1702_柳剛流柔術伝書1
▲紀州に伝えられた「柳剛流柔術」の切紙


1702_柳剛流柔術伝書2
▲同じ「柳剛流柔術」の授受規則状


1702_新海流伝書
▲長谷川派新海流柔術の秘伝書。殺活の穴所が、1か所ずつ示されている



 午後の稽古はまず荒木流抜剣から。構えや運足、間合・拍子などについて、細かく手直しをしていただいた。

 その後は、柳生心眼流。

 「表」、「中極」、「落」、「切」の素振りの後、「取返し」7ヶ条をご指導いただく。28ヶ条の素振りの土台に立って、より即応性の高い技の錬磨となる点がたいへん興味深い。

 次いで、師にお相手をいただき向い振り。心眼流特有の重ね当の激しい衝撃が、ある種、稽古の心持ちとして心地よい。その後、各種実践技法についての指導と解説をいただき、夕方5時前に本日の稽古は終了。

 今回も充実した1日であった。

 稽古後はいつもの通り、師の行きつけの酒処で小宴。すっかり酔い、千鳥足で武州への帰路に着いた。

 (了)
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旧友を悼む/(手裏剣術)
- 2017/02/23(Thu) -
 無冥流の鈴木崩残氏が、ご逝去されたとのことです。

 崩残氏には、翠月庵の立ち上げ以前、私が武学倶楽部として活動していた当時から、ひとかたならぬお世話になりました。

 一昨年、故あって私は氏と袂を分かちましたが、無冥流投剣術・鈴木崩残という手裏剣術者が希代の天才であり不世出の名人であったことは、10年来の旧友として、ここに改めて明言するところです。

 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 武術伝習所 翠月庵
 瀬沼健司
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武芸者の観相術/(武術・武道)
- 2017/02/22(Wed) -
 武芸の稽古は12歳から始めて今年で36年になるが、卜占の稽古は11歳からなのでそれより長く37年になる。

 武芸に剣術・柔術・長柄などといった分類があるように、卜占にも命・卜・相という分類がある。

 「命」というのは、その人の生まれた日時や場所によって規定される運命や性格の傾向であり、術としては西洋占星術や九星気学、四柱推命などがこれにあたる。

 「卜」というのは、占機に応じて神託を問うものであり、タロットやルーン、周易などに代表される。

 「相」というのは、その人の体に表れた兆候で運命や性格を読み取るもので、手相や人相がその代表だ。



 私は卜占においては、もっぱら周易やタロットなどの「卜」をメインとし、補助的に九星気学や占星術などの「命」を用いており、人相や手相といった「相」の類の占術は、あまり行わない。

 一方で武芸者としては、相手の「相」を知るというのは兵法=平法として非常に重要なことであり、特に人相を観て相手の性行や気質をある程度慮るという技術は、決して損になることではない。あるいは、己の人相や気色を相手に気取られないようにコントロールすることも重要な兵法である。

 そんなこともあって、卜占としては自分の本義ではないけれど、人相=観相術についても、かれこれ数十年、自分なりに学習を続けている。

 もっとも、人相観の名人というのは専門的にいうと「気色」や「画相」を観るわけだが、私ごときは到底、それらが観られるレベルではないので、せいぜい基本的な栄養質、筋骨質、心性質といった分類を土台に五官を観るのが関の山だ。

 五官とは眉、目、鼻、口、耳の5つの部位のことであるが、個人的にはなかでも目と口、この2つに注目することが多い。

 特に目は、その人の心性や性行、隠している感情や潜在意識が如実に表れる。

 口も同様だが、特にその人の対外的な性行や気質をここから観て取ることができる。

 それにしても、武芸では「一目二足三肚四力」というが、目というのは本当にその人の心根が出るものだ。

 では、それらがどのように目に出るのかというのは観相術の技術的な話であり、ここで逐一解説するのはたいへんなことになるので、興味がある人はまっとうな人相観の先生につくなり専門書籍で学ぶことをオススメするけれども、少なくとも武芸を本気で稽古してきた人であれば、ある程度は観相術的に相手の目=気質や性行を観ることはできるだろう。

 強気、弱気、おもねり、嘘、こびへつらい、虚勢、見下し、卑下、寝首を掻こうといった所々の感情や性格は、形稽古にせよ組手や撃剣のような自由攻防にせよ、人間を相手にした攻防をそれなりに経験してきた人であれば、多少なりとも観てとれるはずだ。

 このような帰納的な観相は、卜占としての演繹的な観相=人相観とほとんど一致するといって過言ではない。

 誤解を恐れずに言えば、卑怯な人は卑怯そうな目をしているものであり、嘘つきは嘘をつきそうな目を、いじめっ子はいじめる目を、いじめられっ子はいじめられる目をしているというのが、卜占としての観相術の基本的な見立て方である。

 そういう意味で、私は卜占の徒としては、冒頭に記したように「卜」と「命」がメインなので「相」はあまり観ないのだけれど、観相術的にあからさまに人相の悪い人というのはさすがにある程度分かるので、そういう人とはなるべくお近づきにならないように気を付けているし、やむを得ず接しなければならないときには、できるだけ速やかに疎遠になるように心がけている。

 そして、このような選択や行動が間違っていたことは、数えで48年となる自分の生涯を振り返ってみてもほとんどない。



 一方で、人相に代表される「相」というのは不変ではなく、本人の気の持ちようや志しによって変化するものでもある。

 生まれた日時や場所は変えることはできないし、問いに対して示された神託を三才の下に位置する人間ごときがどうこうすることは憚られる。

 しかし人相や手相については、本人の努力次第で変えることができるものなのである。

 人相が変わると運勢や性行・気質が変わり、性行・気質や運勢が変わると人相や手相が変わるという相関関係は、経験的な確信としてある。

 たとえば、もっとも簡単な観相術的開運法は、ニッコリと笑うことだ。

 「な~んだ、そんなことか」と多くの人が言うのだが、これは観相学的真理である。

 あるいは、これはちょっと話が脱線するこれども、もっとも簡単な狐憑きや悪魔祓いの方法は、憑依された人の部屋のカーテンを開き、窓を開け、日光と爽やかな風をその人の部屋にとり入れることだ。

 その上で、ベルガモットやネロリなどのアロマでも焚けば、下等な憑き物などはかなりの頻度で解消されると、とある高名なケイオス魔術の達人がその昔語っていたが、私もそのように思う。



 自分で言うのもなんだが、胡散臭げな卜占の疑似科学的論考を弄するまでもなく(苦笑)、「目は口ほどにものを言う」というのは身体論的事実であり、卜占の徒はもとより武芸をたしなむ人も、多少はこうした観相の術を知っておいて損はないであろう。

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 (了)
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曾根崎心中/(身辺雑記)
- 2017/02/21(Tue) -
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 国立劇場にて、『曽根崎心中』を鑑賞。

 初演時のままの演出だという天神森の段。

 近年の演出による外連味の強い最後に比べて、今回の徳兵衛とお初との道行の結末は、実に余韻のあるものであった。

 武芸も芝居も「残心」が大事なのだと、しみじみ思う。

 (おしまい)
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寒風一閃/(柳剛流)
- 2017/02/18(Sat) -
170218_柳剛流居合


 昨日、武州でも春一番が吹いたかと思えば、本日はまた真冬の寒さ。

 寒冷酷暑は野天道場である翠月庵ならではの味わいだが、それにしてもこの寒暖差は身に沁みる。

 まずは柳剛流居合、「向一文字」を一閃。

 気・剣・体を一致させて、早春の寒風に向かうとしよう。


 寒き冬に雷遠聞へき心地こそ
              敵に逢ての勝を取べし(柳剛流道歌)


 (了)
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柳剛流修行者必読の書/(柳剛流)
- 2017/02/17(Fri) -
 柳剛流を稽古する上で、私自身はあくまでも武術の実践者であることから、第一義は術技の研鑽、第二義が伝承、そして第三義が流儀の事跡に関する調査・研究と心得ている。

 まずは何よりも日々の稽古によって武芸としての「術」を高めることが重要であり、その上で流儀の正しい業=形と事跡を次世代に伝えていく責任があり、調査・研究は業と伝承の「正しさ」を担保するために必要なものだ


 そこで柳剛流を修行する者であれば、

 1.『日本剣道史 第十号 柳剛流研究(その1)』(森田栄/日本剣道史編纂所)
 2.『幸手剣術古武道史』(辻淳/剣術流派調査研究会)
 3.『戸田剣術古武道史』(辻淳/剣術流派調査研究会)
 4.『柳剛流剣術古武道史 千葉・東金編』(辻淳/剣術流派調査研究会)


 以上、4冊の史料は、必ず手元に置いて精読・未読すべきものである。


 1.の森田栄先生著『日本剣道史 第十号 柳剛流研究(その1)』は、言わずと知れた本邦における柳剛流研究の嚆矢であり、基礎的文献だ。

 今から44年前の昭和48(1973)年に刊行されたものだけに、最新の調査研究からするといくつかの誤謬があり、あるいは実技に関する記述では肯定できない点もみられるが、パソコンもインターネットもない時代にゼロから柳剛流について広汎な調査をされ、これだけの事跡をまとめられたのということには、本当に頭の下がる思いである。

 2.~4.の辻先生の著作は、昭和から平成にかけて行われた長年のフィールドワークの成果と最新の知見も盛り込まれた、関東における柳剛流の事跡を一覧することができる、たいへん貴重なものだ。

 特に辻先生の一連の著作には、武州から下総にかけての柳剛流の事跡が克明に記されているのはもちろん、切紙から免許まで、さらには殺活の伝書やその添え書きに至るまで、実にたくさんの各派柳剛流の伝書が、写真、翻刻、読み下し文付きで、豊富に掲載されているのが魅力だ。

 このため私のような柳剛流修行者にとっては、業の研鑽においてもあるいは流儀の事跡研究に関しても、実に学ぶことが多く、読むたびに新しい発見のある書物である。

 以上の4冊に加えて、

 5.南部修哉氏の労作である 『増補・改訂 宮城県 角田地方と柳剛流剣術-日本剣道史
   に残る郷土の足跡-』
 6.山本邦夫先生の『埼玉武芸帳―江戸から明治へ』


 以上の2冊をおさえておけば、柳剛流修行者に最低限必要な流儀の事跡に関する知識は得られるであろう。

 学術論文関係では、村林正美先生の『柳剛流剣術について』と『柳剛流剣術の特色』、大保木輝雄先生の『 埼玉県の柳剛流(1)・(2)』の4つは、最低でも目を通しておきたいものだ。



 稽古場で実技の研鑽にいそしみ、草庵ではこれらの書物を味読・精読しながら過ごす。

 柳剛流修行者として、これほど充実した時はない。

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 (了)
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再び黒帯をしめる/(武術・武道)
- 2017/02/16(Thu) -
 昨日は空手の稽古。

 新たな気分で、2時間たっぷりと汗をかく。

 何が「新たな気分」だったのかというと、久方ぶりに黒帯をしめて稽古に参加したのである。


 私が今通っているのは、県連が主催する空手教室で、生徒は子どもたちと中高年の初心者が中心となっている。

 そもそもは、転居によって流派の本部に通えなくなり、そのほかにも思う所があって、その流派を退会したのが6年前。

 それでも空手道の稽古は継続したいと思っていたところ、自宅から自転車で10分の場所にある県立武道館に、この空手教室があるのを見つけて参加し始めたのが5年前だ。

 その際、初心者向けの教室であるし、私自身、この時は約2年ほど空手の稽古から遠ざかっていたので、気持ちも初心者に戻ろうと、稽古には白帯を締めて参加した。

 ところが、この教室は県連主催のため、いろいろな流派の先生方が指導に当たっており、その中に私が所属していた会のA先生もいらっしゃり、稽古参加初日から、「瀬沼さん、なに白帯しめてんの?(笑)」と言われてしまった話は、たしか以前、このブログに書いた。

 その後もずっと、私はこの教室には白帯で参加していたのだが、先日、この教室の一般の部生え抜きの生徒であるAさんとBさんが初段に合格し、晴れて黒帯をしめて稽古をするようになった。

 すると、指導に当たられているベテランのB先生が、

 「白帯の人が黒帯をしめるのは、みっともないだけだからいいけど、黒帯の人が白帯をしめて稽古をするのは、ちょっとズルいよなあ(苦笑)」と、私の顔を見ながら笑う。

 たしかに、この教室に入ったときには2年間の稽古のブランクがあったが、それから5年間この教室で稽古を続け、私の錆びついた空手の業前も、多少は錆びが落ちてなめらかになってきたかと思ってはいた。

 そんなこんなで、元の流派の師範であるA先生のご了解をいただき、先日の稽古から気持ちも新たに、改めて黒帯をしめて稽古に参加するようになったというわけだ。

1412_空手型試合
▲12年前、弐段をとったばかりの頃。形試合で「祝嶺のバッサイ」の形を打つ。若い・・・・・・。


 帯ひとつのこととはいえ、やはり黒帯をしめて稽古場に立つと、意識が一段と引き締まる。

 ま、有段者といっても全日本クラスの「ピン」から無名の「キリ」までいるわけで、もちろん私はキリの部類なわけだが、それでもキリはキリなりに、有段者としてあまりみっともないことはできないなということで、白帯での稽古とは違った「気」が入るというものだ。

 たかが帯、されど帯・・・・・・。

 (了)
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神道無念流立居合と荒木流抜剣/(武術・武道)
- 2017/02/14(Tue) -
 昨晩は、県立武道館で稽古。

 月曜の夜ということもあってか、自分以外誰もいない武道場で、存分に剣を振るう。

 今回は、神道無念流立居合と、荒木流抜剣の稽古に専念する。

 節電のため半分照明を落とした薄暗い武道場で、たった一人、鏡に向かって刀を抜いていると、まるで自分自身と剣を交えているような、奇妙な感覚になる。

 延々と刀の抜き差しを繰り返していると、これは目の錯覚なのだが、ときに鏡に映った自分の動きが、実際の動きよりも一拍子遅れて動くように感じられることがあるのが面白い。


 神道無念流立居合では刃筋と手之内に留意しつつ、荒木流抜剣では姫路支部長のN師範がブログで指摘されていた「無拍子」と「無色」を心にとめながら、剣を抜く。

 最初は半刻ほどで稽古を終えようと思っていたのだが、結局、閉館時間までおよそ一刻の稽古となった。

1702_荒木流 千鳥
▲先月の水月塾本部稽古にて、荒木流抜剣「千鳥」を抜く


 柳剛流はもちろんだが、神道無念流や荒木流、柳生心眼流や甲陽水月流についても、国際水月塾武術協会本部にて小佐野淳先生から直接ご指導をいただいている、私の武術人生の宝として、これからも大切に稽古をしていきたいと思う。

 (了)
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続・タイル針・コンクリート針を打つ/(手裏剣術)
- 2017/02/13(Mon) -
 過日、宿題になっていたタイル針・コンクリート針での打剣について、稽古場にてじっくりと再検討した。

 結論としては、翠月庵HP掲示板の稽古報告にも書いた通り、コンクリート針やタイル針は、そのままで3間直打も可能であった。

 しかしタイル針もコンクリート針も、あまりに軽すぎるために、速度が乗らず、精度・威力も低いことから、翠月庵としては手裏剣の代用か研究用の教材に止まるというのが実感である。

 この10年間、手裏剣術を専科としてきた経験から言えば、武用として信頼感を担保できる手裏剣は、軽量クラスでも最低重さ60グラム(できれば80グラム以上)、長さも18センチは欲しいところだ。

 この重さとサイズであれば、1間から4間程度まで変化する間合にも十分に対応でき、適度な重さから速度も十分にのり、速度がのるということは威力も担保できることになる。

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▲上から「タイル針」、「コンクリート針」、「明府真影流手裏剣」、そして全
長180ミリ/重さ60グラムで重心調整のために特殊な加工を施してある
「翠月庵推奨軽量剣」。



 ゆえに、

 「生死一重の至近の間合いからの、渾身の一打」

 という、翠月庵の目指す手裏剣術に最も理想的な剣は、やはり翠月剣であると改めて確信した次第である。

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▲間合い4間半から4寸的に、板金を打つ心で5本を打ち、2本を外す。集剣のため的に置きにいくような打剣とは異なり、一打で相手の死命を制する気勢で打ち込む「板金を打つ心」での打剣では、この間合でも全剣的中は難しい



 これは現実的にありえない想定だが、もし仮に我が命を1本の手裏剣に託さねばならないとすれば、私は迷うことなく翠月剣を選ぶだろう。

円明流短刀型手裏剣と翠月剣
▲「25年式翠月剣(短)」(全長230ミリ/身幅13ミリ/重ね6ミリ/重量126グラム)と、円明流手裏剣の写し

 (了)
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柳剛流剣術~流祖の志した剣の境地にふれる/(柳剛流)
- 2017/02/12(Sun) -
 昨日は翠月庵にて、柳剛流剣術をみっちりと稽古した。

 寒風が吹きすさぶなかでの野天稽古は厳しいものだが、互いに剣を交えれば、そんな寒さもいつの間にか忘れてしまう。

 まずは柳剛流剣術の基本的な構えを学ぶ「備之伝」、それに対して合気を外し不敗の構えをとる「備十五ヶ条フセギ秘伝」を稽古する。

 稽古においては、構えを融通無碍にとれるようになることはもちろんだが、同時に我と彼との間の間積もりと拍子、さらに位による気押しも意識し、学ばねばならない。

 また、備之伝に対応するフセギ秘伝を稽古をしていると、これはある種、打合いのない地稽古なのだということが強く感じられる。

 こうした意識と感覚がなければ、これらの稽古は単なるカタチだけの相対的舞踊に堕してしまうだろう点に、十分留意しなければならない。

1702_柳剛流稽古
▲柳剛流、備之伝と備十五ヶ条フセギ秘伝の稽古


 続いて、柳剛流の根本となる業=形である「右剣」と「左剣」、2つの形を稽古する。

 修行人はこの2つの形で、柳剛流ならではの体動と体捌き、そして流儀の真面目である「断脚之術」、いわゆる脚切りを学ぶ。

 ここで学ぶ「断脚之術」は、ただ闇雲に反射神経のみを頼りに飛び込んで相手の脚を斬るような単純なものではなく、拍子の位と当流独特の体動を活かし、斬るべくして相手の脚を斬る、流祖が見出した剣の理合を学ぶのだ。

 次いで当流極意とも称される、「飛龍剣」、「青眼右足頭」、「青眼左足頭」、「無心剣」、「中合剣」、「相合剣」の6本で構成される「柳剛刀」の稽古。

 これらの形は、基礎である「右剣」と「左剣」で十分に培った柳剛流特有の体動・体捌きを存分に活かした、極めてシンプルな実践刀法だ。

 いずれの形=業も、剣術の本旨である真剣と真剣との攻防はもとより、その方便である撃剣稽古においてもそのまま活用できる、簡素かつ合理的なものだ。

 それぞれの形の理合に深く心を向けながら、寒気を突き破るような裂帛の掛け声とともに長大な木太刀を振るえば、流祖・岡田惣右衛門の志した剣の境地に、わずかなりともふれられたように感じられる。


 平成の世で柳剛流を学び、それを伝承できる喜びをしみじみと感じられる、充実した稽古であった。

 (了)
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衝撃の体験!/(身辺雑記)
- 2017/02/11(Sat) -
 昨日は、医療とICT関連の取材のため、昼から日本橋に向かった。

 かなり寒かったのでコートにマフラー、さらに都内ではインフルエンザが猖獗を極めていることから、マスクに手袋という完全装備で、上野・東京ラインに乗った。


 平日の昼すぎということで、車内は空席はないが、立っている人もまばらといった状態である。

 網棚に鞄を乗せ、つり革につかまりながら埼玉新聞を読もうかとしたところ、ふと目の前に座っている青年と目があった。

 年の頃は20代前半位の、長距離ランナー風の容貌の体育会系の青年である。

 すると彼は、おもむろに席から立ち上がり、私に向かって「どうぞ」といったのである。

 私は一瞬、彼の行動と言葉の意味が分からなかったのだが、これはどう考えても、席を譲られたということなのだろう・・・・・・。

 オレが、電車で席を譲られる!?

 かれこれ48年間生きてきて、北極圏内にあるアサバスカ・インディアンの村で一文無しになるまで連中と一緒に泥酔したり、シリアで秘密警察に拉致されそうになったり、トルコで武装ヘリに威嚇されたり、タイでは警官に手錠を掛けられて金を脅し取られたり、マレーシアではディスコのトイレでゲイでヤク中のオッサンにレイプされそうになったり、北朝鮮では殺(や)る気まんまんの国境警備の軍人に撮影済みのフィルム百数十本を取り上げられそうになったりと、これまでもいろいろと奇特な体験をしてきた私であるが・・・。

 電車の中で青年に席を譲られるというのは、もちろん生まれて初めてのことだ。

 つうか私はまだ、昔風にいえば「男ざかり」の世代に属する中年のオッサンである。

 しかも、ほぼ毎日武芸の稽古に励み、週に1度は体力的に結構ハードな空手の稽古も行っている。このため、特段体力に自信があるわけではないが、さりとて同世代に比べて虚弱というわけでもないという自覚がある。

 また、この日は体調が悪かったというわけでもなく、徹夜明けだったわけでもない。

 薄毛ではないし、極端な白髪頭でもない。ひどい肥満でもないし、腰が曲がっているわけでもない。

 にも関わらず青年は私を見て、「この人に席を譲らねばならない!」、という使命感を感じたのだ。


 今から25年ほど前、23歳の時に渋谷駅で、朝のラッシュの中をでかいカメラバッグを担いで歩いていたとき、内田有紀チャン似の制服女子高生からすれ違いざまに、「邪魔なんだよ、ジジイ!!」と言われた時もショックだったが、ま、今回の件もかなりヘコむね。

 いやほんと本気(マジ)で・・・。

 よく、電車やバスで席を譲られて、「私はそんな年寄りじゃない、バカにするな!」などと怒り出し、親切な若者たちの好意を踏みにじる老害が話題になったりするが、自分がその立場になって、ようやく少しその気持ちが分かったような気がする。

 もちろん私も、「年寄り扱いするな!」っと青年を一喝し、立ったままでいた・・・・・・。

 ということはもちろんなく、「かたぢけないデス・・・」などとぼそぼそつぶやきながら素直に譲られた席に座らせてもらい、しかしなんとも気恥ずかしいものだから、そのまま上野まで寝たふりをしていたのは、言うまでも有馬温泉。

 それにしても、オレが電車で席を譲られるなんて・・・・・・・・。

 (おしまい)
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柳剛流が結ぶ縁/(柳剛流)
- 2017/02/10(Fri) -
 一昨日、本ブログで「柳剛流に関係する方から、半年前にご連絡をいただいていたのだが、今日までそれに気づかず・・・云々」という話を書いた。

 その日のうちに、ご連絡をくださったIさんへ、慌ててお詫びのメッセージをさせていただいたところ、ありがたいことに改めてご返信をいただき、こちらの非礼をご寛恕いただくことができた。

 本当にありがとうございます。


 Iさんは、仙台藩角田伝柳剛流の伝系において、非常に重要な役割を示した大師範家であるI家の御子孫である。

 そのような方からご連絡をいただけることは、I先師から我が師である小佐野淳先生まで4代を経て、日々、柳剛流を稽古をしている私にとって、この上なく光栄なことだ。

 Iさんのお話しによれば、同家における柳剛流の道統は残念ながら御祖父様の代までで、史料などについても大火などで失われてしまったとのことだ。

 しかし機会を見つけて御父上様に、柳剛流について見聞きしたことなどがあれば、伺ってくださるとのことであった。

 このように、柳剛流という流儀が結んでくれる皆さんとの縁を、流儀を学び伝承する者として、これからも大切にしていかなければならぬとしみじみ思う。


 ところで私は残念なことに、仙台藩角田伝柳剛流の故郷である角田や丸森、あるいは登米や石巻などを、まだ訪ねたことがない。

 近いうちに青春18きっぷなどを使って、各駅停車でのんびりと旅してみたいと思う。

 かの地へ想いを馳せつつ、今晩も拙宅にて、柳剛流居合を小半刻ほど抜いて、慌ただしい一日を終えた。

1702_柳剛流向一文字
▲柳剛流居合「向一文字」

 (了)
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流祖直筆伝書の謎/(柳剛流)
- 2017/02/09(Thu) -
 現在、発見されている柳剛流の伝書の中で、流祖・岡田惣右衛門直筆と伝わるものは2つしかない。

 それが石川家史料にある、目録と免許の伝書だ。

 これらの伝書は、岡田惣右衛門が、弟子の宮前華表太に与えたもので、後年、それを宮前が弟子の石川良助に伝授したのものと伝えられている。


 さてこれについて、過日、柳剛流研究の先達であるS氏から、以下のような疑問をうかがった。

 
1.そもそも、これらの柳剛流伝書が流祖直筆であるというのは、誰が何を根拠に言ったのか?

2.元の伝書を流祖が書き、伝承者が次代の継承者の名前を書き足したのか? あるいは継承者が全文を新たに書いて次のものに託したのか?


 実際に、これらの伝書を直接じっくりと調査したS氏は、

 ・宮前華表太は神官の仕事をしていたにも関わらず、伝書に書かれた石川良助の文字があまりに悪筆であったこと

 ・その下手な字が伝書の別のところにも見受けられるが、それが石川良助の字なのかというと、それも違うこと

 などから、

 「そもそもこの伝書が流祖直筆であるという点に、大いに疑問がある」

 と指摘された。

 その上で、やはり柳剛流に詳しい剣術流派調査研究会の辻淳先生にお話しをうかがう機会があれば、ぜひこの点について話を聞いてみるとよい、とのご示唆をいただいた。

 そこで先日、辻先生とお話しする機会があり、この疑問をぶつけてみると、やはり辻先生もこの点については、以前から疑問に思っているとのことであった。

 その理由は、

・当該の免許伝書が岡田惣右衛門から宮前華表太へ発行された日付は文政9(1826)年だが、この年は流祖の没年である。亡くなるその年に稽古をつけ、伝書を直筆で記すというのは、いささか不自然ではないか?

・そもそも流祖直筆といわれる史料は、これら石川家の伝書以外には現在見つかっておらず、筆跡等を突き合わせて検証することができない。

 ということである。

 辻先生によれば、この疑問については、辻先生と森田栄先生との間でも話題になり、「流祖直筆という点には疑問が残る」という結論になったという。

 以上のように、石川家に伝わる伝書がはたして本当に流祖直筆であるかは、現時点では真偽は定かではない。

 事実を確認するためには、新たに流祖直筆の別史料が発見されることが求められているというのが、正しい現状認識ということになろう。

 ちなみに辻先生によれば、流祖が一橋家の剣術師範であったという逸話についても、実は確かな史料がなく、疑問の余地があるとのことであった。


 史実の研究や古文書の解読、民俗史料のフィールドワークについては、私は全くの素人であり、あくまでも柳剛流という武術のいち修行人に過ぎないわけだが、流儀を伝承して門下を育成していく以上、こうした歴史的経緯や史実についても、できる限り調査や情報収集に努めて、正しい柳剛流の伝承を次代に繋げていきたいと考えている。


 ■引用・参考文献
  『幸手剣術古武道史』(辻淳/剣術流派調査研究会)
  『日本剣道史 第十号 柳剛流研究(その1)』(森田栄/日本剣道史編纂所)

 ■補遺
 小佐野淳先生の鑑定では、この2つの伝書は流祖直筆であろうとのことでした。謹んで追記致します。(17.2.10)
 
 (了)
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今朝も、柳剛流いろいろ・・・/(柳剛流)
- 2017/02/08(Wed) -
 こんなブログを書いていたり、稽古場のHPを開設したりしているが、正直言って私はITとか苦手だ・・・・・・。


 今朝、フェイスブックを見ていてふと、メッセージの欄の表示のところになんか見慣れないのがあるのでクリックしたところ、なんと、昨年の5月にいただいたメッセージが未読であった!

 驚いてすぐにメッセージを開封してみると、角田伝の柳剛流に関連するある方からのメッセージであった。

 メッセージをいただいていることにまったく気づかず、半年以上も返信をしていなかったわけで、慌ててお詫びの返信を送らせていただいた。

 気づいていなかったとはいえ、たいへん失礼致しました。

 こちらのブログでも改めて、お詫びを申し上げます。


 それにしても、フォイスブックももう何年もやっているが、いまだになんだかよく分からん機能が大半である。

 ついでに言うと、私はスマートフォンというものを持っていないのだが、ファイスブックはフューチャーフォンからは投稿するどころか、最近は見ることすらできないのはいかがなものか?

 ヤフーもそうだが、とにかくガラケーをないがしろにする風潮が強くて、腹立たしい。だからといって、スマホに代えるつもりも毛頭無いのだが・・・・・・。

                       *  *  *  *  *  *  *

 ヤフオクのアラートで、「柳剛流」というキーワードを入れていあるので、関連する品が出品されるとパソコンのメールに連絡がくる。

 今朝、メールに柳剛流の切紙、目録、免許がまとめて出品されているとの知らせがあった。

 押っ取り刀で確認するといずれも今井右膳系統の伝書で、明治20~30年代に同じ人物が同じ師から受けたものであった。

 現状でアップされている画像を見る限り、切紙は他派とほぼ同様、目録は角田伝や岡安伝、岡田十内伝などとは異なる業の構成、免許は長刀秘伝の記載があるもののようだ。

 とりあえず、切紙は5000円まで値段をつり上げたところでいったん入札を見合わせる。目録と免許は入札しておいたが、いずれもまだ1000円代であり、落札締め切りが来週であることから、まだまだ値段がつり上がるだろう。

 どこまで競るのかだが、まあ、なにしろ相変わらずの貧乏浪人暮らしであり、春には演武の予定も重なっているのでなにかと出費がかさむだろうから、多分落札は難しいだろう。

 落札した人は伝書を大切にして、webや出版物などで内容を公開してくれると、柳剛流の実践者としてはたいへんにありがたいと思う。

 密かに所蔵して、箪笥の奥にしまいこむのだけは、やめてもらいたいものだ。

 (了)
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生兵法は大ケガのもと/(武術・武道)
- 2017/02/07(Tue) -
 とある時代劇作品で有名な漫画家さんで、独自の「実戦武術」を行っているという方がいる。

 このセンセイが動画で、

 「空手の蹴りはモーションが大きく遅いので、(自己流?の柔術の)素早い手技には通じない、云々」

 みたいなことを言っていた・・・・・・。

 この程度の事にいちいち反論することもないだろうし、また多くの武術・武道人もそう思っているからこそ、この方の発表しているちょっと人様に公開するのはいかがなものか? というレベルの、結構な数になる「実戦武術」動画なるものにも、いちいちモノ申す人がいないのだろう。

 ま、お年寄りは大切にしなきゃあならん。

 またこのセンセイは、「日本の古流武術はみんな形骸化していて、云々」「私はいつでも立合う」みたいなことをweb上で公言しているのだが、古流を稽古している者の中にも血の気の多いのがいるので、たとえばかつての柳龍拳事件のようなことにならなければいいのだがと、他人事ながら心配になる。


 それにしても、「(空手の)蹴りはモーションが大きくて遅いから役に立たない」というのは、いくらなんでもいただけない。

 どうもこのセンセイ、これまで本格的に武術・武道の稽古をしてきたわけではなく、創作活動にともなう独自研究が中心のようなので致し方ないのだろうが、少なくとも「武芸における速さ」という概念については、認識を改めた方が良いだろう。

 そのほうが、作品の内容にも深みが出るんじゃないかな?

 そもそも武芸の対敵動作における「速さ」というのは、拳足や刀などの単純なスピードではなく、

 意思と感情を持った彼と我との間における、拍子や位という概念を伴った「相対的な速度」である

 ということを、このセンセイはご存じ無いし、体験したことも無いのだろう。

 これは、観念的な約束稽古や仲間内だけのぬるい自由攻防のみに終始し、気を入れた形稽古や地稽古、互いに本気で勝敗を決しようとする試合稽古などを行っていない人たちが陥りがちな、典型的な思い込みのひとつである。


 「一見ゆっくりなのに、かわせない」

 「動きは見えているのに、避けられない」

 あるいは逆に、

 「一見スピードはあるが、十分にかわせる」

 「そのものの動きは早くて見えないが、簡単に避けられる」


 こうした技や動きというのは、普通に稽古を積んできた武術・武道人であれば、空手家でも剣道家でも柔道家でも、柔術家でも剣術家でも居合術家でも、多くの人が地稽古や試合稽古、あるいは非打ちのような応用的な形稽古でなどでも、何度となく実感し体験することだ。

 それかあらぬか、「蹴りはモーションが大きく遅いから役に立たない」というのは、中学生の格闘技談義レベルで、あまりにも痛々しい。

 たとえば私は、空手道については市町村レベルの選手権大会組手一般男子有段者の部2~3回戦負け程度の、どこにでもいる無名の中年有段者で、もう6年も試合に出ていないナマクラだが、それでも一連の「実戦武術動画」を見るかぎり、このセンセイに蹴り技を入れることは容易いだろう。

 もちろん頼まれても、そんなことはしないけれども(苦笑)。

 たしかに一義的には、蹴り技は手技に比べればモーションが大きく、足が動く速度は手が動く速度よりも遅い。

 しかし、武芸における対敵攻防というのは、単に拳足や武具の速度が速い・遅いというレベルのものではなく、相対的なものなのだ。

 本来、まっとうな武術・武道人はこういった武芸の道理を、厳しく緊張感のある、時には痛みや苦痛もともなう稽古を積み重ねることで、理屈ではなく「身体知」として獲得していくわけだが、おそらくそういった経験が無いであろう70歳を超えるご老人に、経験と理解を求めようというのも酷なことだろう。



 最近、武芸に関するネット動画などが普及したこともあってか、現実世界での厳しい稽古を通してではなく、「動画を見た」「ネットで読んだ」「話を聞いた」といったバーチャルな体験と知識、あるいは仲間内のなれ合いのようなぬるい稽古の経験だけで武術・武道を語る「頭でっかちな人」が、これまで以上に増えてきたように感じるのは私だけだろうか?

 本当に強く実力のある人は、あまり多くを語らない。そして、むやみに他者や他流を批判しない。

 これは、時に愚行を犯しがちな私自身への戒めであり、武術・武道に携わる者に求められる普遍的な素養でもある。

 確かな稽古を伴わない生兵法は、大ケガのもとであろう。

 (了)
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県立武道館での稽古/(武術・武道)
- 2017/02/06(Mon) -
 昨日と今日、二晩続けて埼玉県立武道館で稽古をした。

 県立武道館は、個人利用の可否が2日前にならないと確定・確認できないのが玉に瑕だが、なにしろ拙宅から自転車で10分足らずという絶好のアクセスにあり、しかも1人1回360円という格安の利用料で最上級の本格的な武道場が存分に利用できるというのだから、これを利用しない手はあるまいというものだ。

 昨夜は私のほか制定居合(?)の人が2名、今晩は私1人の利用であった。

 両日とも、柳剛流の剣術、居合、突杖、長刀を中心に、さらに荒木流抜剣、神道無念流立居合、柳生心眼流の素振り二十八ヶ条をたっぷりと稽古する。

 それにしても、みっちりと二時間稽古をした最後の〆に、柳生心眼流の素振りの「切」七ヶ条行うのは、実に過酷である。

 何がどう過酷なのかは師伝のためここでは伏せるが、「表」、「中極」、「落」に比べ、「切」のフィジカルなキツさは、2時間の稽古の〆にこれをやるのは体に悪いかも? っと思うほどだ(苦笑)。

 とはいえ爆発的に気を燃焼させて、当身を次々と入れていく「切」の素振りは、過酷であるが爽快でもある。

 たっぷりと汗をかいて、寒風の中を帰路についた。

 (了)
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「潜竜」の教えと、横井伯典先生/(身辺雑記)
- 2017/02/05(Sun) -
 古代中国の義理(哲学)の書であり卜占の経典でもある「易」は、私の人生哲学だ。

 中でも、「潜竜」に関する教えは、私にとって最も大切な座右の銘である。

 曰く、

 潜竜用いるなかれとは、何の謂ぞや。
 子曰く、竜の徳あって隠るるものなり。
 世に易(か)えず、名を成さず、世を遯れて悶(いきどお)るなく、是とせ見(ら)れざれども悶るなし。
 楽しめばこれを行い、憂うればこれを違(さ)る。
 確乎としてそれ抜くべからざるは、潜竜なり。



(潜竜を用いるなかれとは、いかなる意味か?
 孔子は言う。竜のごとき徳、聖人の徳がありながら、最下層に隠れている人のことである。
 世の中の移り変わりによって主義を変えることもなく、世間に名を出そうともしない。世に用いられずに隠遁していても、むしゃくしゃすることはないし、だれにも正しいとされなくても、不平を抱くことがない。
 世に道あって、社会的活動がこころよく感じられるときは、その道を世に行い、乱世で、わが身が汚される憂いのあるときは、ただちに世間に背を向けて去る。
 そのようにしっかりとして、その志を奪えないもの、それが潜竜である)



 思えば卜占については、11歳からタロットや西洋占星術などを学んできたのだが、思うところあって周易を勉強しようと志し、初めて本格的に紐解いたのが、横井伯典先生の名著『現代の易』であった。

 以来、直接ご師事させていただく機会はついになかったけれど、易学の師として長年に渡り私淑させていただいてきた。


 ちょうど昨日も、翠月庵へ稽古に向かう電車内で、オークションで一昨日手に入れたばかりの昭和41年に発行された先生の著作『人相の見方』を読んでいたのだが、帰宅後、なんとなくネットをつらつらと見ていたら、先生の主催されていた日本開運学会のホームページを初めて見つけた。

 早速ページを読んでみると、なんと横井先生はすでに3年前の平成26年9月24日に、89歳でご逝去されていたという。

 これは全くの不覚であった。

 すでに相当なご高齢であるということは知っていたが、いまだに元気でご活躍をされているのかと思っていた・・・・・・。


 易学の泰斗として、数多くの門人を育ててきた横井先生は、築地で易学の教室を開いておられた。1992年に上京した私は、以来、何度か先生の教室への入門を真剣に考えたのだが、その都度、仕事やら武芸の稽古やらで機会と時間が取れず、結局最後まで書物を通して私淑するだけであった。

 これもまた、運命における「縁」の有無だと思うが、今となっては1度でも、先生の講義を直接伺っておくべきであったと後悔をしている。

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 まことにもって遅ればせながら、横井伯典先生のご冥福をお祈り致します。

 (了)
 
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立春/(身辺雑記)
- 2017/02/04(Sat) -
 ひさびさに、締め切りの無い週末。

 昨夜も結構飲んだのだが、意外に早く目覚めてしまったため、まずは朝風呂。

 その後、手裏剣の巻物の補修をしたり、本部稽古での覚書を清書してまとめたりしながら午前中を過ごす。

 こんなにのんびりした土曜の午前は、今年に入って初めてだ。

 ゆっくりと昼食をとって、その後、翠月庵の稽古に向かうとしよう。

 今日は小春日和なので、稽古がしやすそうだ。

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▲そろそろ剣尾の巻物は、新しく巻き直さねばならぬ


 (おしまい)
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柳剛流雑記~節分の記/(柳剛流)
- 2017/02/03(Fri) -
 先日、『幸手剣術古武道史』や『柳剛流剣術古武道史 千葉・東金編』の著者である、剣術流派調査研究会の辻淳先生とお話しをさせていただく機会を得た。

 今回は、現在、全国でも唯一の流祖直筆伝書といわれる石川家資料について、以前、武術史家のS氏よりお示しいただいた疑問を、辻先生に伺ったのである。

 話の内容については、稿を改めて本ブログにまとめるが、まだまだ流儀の史実や事績には、謎や疑問点などが山積みである。

                        *  *  *  *  *  *  *

 現在、柳剛流の実技を伝えているのは、私たち国際水月塾武術協会のほかに、我々と同じ仙台藩角田伝の系統である幸手市剣道連盟の岡安源一先生、そして紀州藩田丸伝の三村幸夫先生の系統がある。これらはいずれも、柳剛流剣術を中心とした体系の伝承となっている。

 一方で龍野藩伝の柳剛流に関しては、先年逝去された塩川寶祥先生の系統が突杖のみを伝承しており、「柳剛流杖術」という名称で広く行われている。

 私は、この系統の柳剛流突杖の実技を拝見したことはないのだが、「真伝無外流居合兵道会」のホームページに、柳剛流杖術のページがあり(http://msmugairyu.web.fc2.com/ryugoryu.html)、そこで突杖の写真が一部公開されているのを知った。

 これらを見ると、仙台藩伝と龍野藩伝では、形の名称や業の大筋には異同はないが、実技の細かい部分や趣は、かなり異なっているようである。

 私の記憶が確かならば、『真伝無外流居合兵道―塩川寶祥の武芸極意書』という書籍に、龍野藩伝柳剛流突杖の形の解説があったはずで、機会を見つけて確認しておかねばと思いつつ、まだ果たしていなかった。

 同書は、国会図書館か都立中央図書館に収蔵されているので、近々に確認しておこうかと思う。

                        *  *  *  *  *  *  *

  柳剛流は江戸後期から明治初頭にかけて、江戸や武州、下総などで数多くの師範家が活躍し、門人数千と評される師範家も複数存在した。

 これほど興隆した柳剛流だけに、今も関東各地に各師範家の子孫の方々が数多くいらっしゃる。

 昨日、こうした柳剛流師範家の子孫の方が、福祉関係の施設を新築され、柳剛流から「柳」の1文字をとって、新施設の名前に付けたという記事を見つけた。

 いずれ機会を見つけてぜひ、お話しをうかがってみたいと思う。

                        *  *  *  *  *  *  *

 武術伝習所翠月庵/国際水月塾武術協会埼玉支部では、武術・武道経験の有無にかかわらず、柳剛流を学び伝承していきたいという志しのある人に門戸を開いています。

1609_柳剛流長刀稽古
▲柳剛流免許秘伝長刀(打太刀/小佐野淳師 仕太刀/瀬沼健司)

 (了)
 
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疲れたときは、この一服/(身辺雑記)
- 2017/02/02(Thu) -
 過日、ベテランカメラマン3人との、年に1回の飲み会で錦糸町へ。

 焼肉をバリバリと食べながら、マッコリをがぶがぶと飲む。

 そこで疲労回復が話題となった。

 私を含め皆、キャリアうん十年という古兵だけに、年々、体がキツイのである。

 思えば、20~30代は、原稿書きで徹夜明けのままさらに1日地方取材などというのも、なんのことは無かったのだが、知命の歳を目に前にする今となっては、徹夜すると翌日1日は、ほぼ使い物にならない。

 ま、ポルコ・ロッソも、いい仕事をするためには徹夜は禁物だと言っていたしな・・・・・・。


 そんなこんなで、私はここ数年、仕事や稽古、病中・病後、夏バテなどの際の疲労回復には、薬物の力を借りるようにしている。

 「薬物」といっても、イケナイお薬などではない。漢方薬である。

 以前、親しい薬剤師さんに相談したところ、すすめてもらったのが「補中益気湯」で、これを煎じて飲むと、疲労回復はもちろん、ちょっとした体調不調はほとんどすぐに良くなった。

 以来、疲れがひどく気力が出ないとき、夏バテのときなどは、コイツの力を借りている。

 この漢方、ツムラやクラシエなどから、医師の処方箋がいらない市販薬(OTC)として売られているので、誰でも気軽にドラッグストアやネット通販などで買うことができる。

 しかし、お値段がちと高い(ツムラの市販薬で、12日分定価4000円。アマゾンでは約1800円)。

 なので、漢方を処方してくれる医師の診察を受けて、処方箋を出してもらって薬局で購入するほうが、コストパフォーマンスが良い。また、OTCより医療用製剤の方が成分が濃いので、より効くような気がする(笑)。

 なお、「漢方には副作用がない(少ない)」と思っている人がいるが、これは間違い。

 漢方にも副作用がある。

 なので、医師や薬剤師に相談の上で、服用をするのがベストなのは言うまでもない。

 もっとも市販薬であれば、それほど神経質になることはないので、古兵・老兵の皆さんは、ぜひお試しあれ。

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 (おしまい)
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