松代藩文武学校武道会 第22回 春の武術武芸会/(柳剛流)
- 2017/05/30(Tue) -
 先の土日は、国際水月塾武術協会の一員として、私は初めて「松代藩文武学校武道会 第22回 春の武術武芸会」に出場させていただいた。

 まずは27日(土曜)午後、現地で小佐野淳先生と関西支部の山根章師範と合流し、松代藩文武学校武道会平成29年度通常総会に出席。

 議事において、松代藩文武学校武道会の諸先生方を前に、新会員としてご紹介をしていただく。



 翌28日(日曜)、まず午前中は近隣にある象山神社に参拝し、午後から演武会が始まった。

 我が水月塾からは、まず小佐野先生と山根師範による、松代藩伝無双直伝流和の演武。次いで柔術渋川一流から柔術と三尺棒が披露された。

 その後、小佐野先生に打太刀をとっていただき、私が仕太刀を務め、いよいよ柳剛流の演武となる。

 剣術は切紙の「右剣」と「左剣」を、さらに免許秘伝の長刀からは「左首巻」、「右首巻」、「上段右足」、「刀勝」、「切上」の形を披露する。

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▲柳剛流剣術「左剣」


 江戸時代後期に建築され、実際に松代藩士たちが武芸の腕を磨いた、当時のままの本物の藩校の稽古場で、こうして柳剛流の業を披露させていただくというのは実に貴重な機会であり、これまでの演武とは違った心地よい緊張感がある。

 また、松代藩文武学校武道会では、毎年2回、春と秋に文武学校で演武会を開催しているのだが、春の演武については各流の師範のみが参加を許されるものであることから、他流の先生方が一堂に会する中での演武ということで、これもまたいつもの演武とは違った緊張感を感じさせるものであった。

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▲柳剛流長刀「右首巻」


1705_松代演武_柳剛流_上段右足
▲柳剛流長刀「上段右足」


 こうして柳剛流の演武は、まずは滞りなく終了。

 個人的には仕太刀として、いくつか課題を実感する点はあったものの、諸流の先生方の前で、なんとか見苦しい演武にはならなかったのではないかと、ほっと胸を撫でおろしている。

 今回感じた課題については、次回、秋の師範演武でしっかりクリアしなければという決意を新たに、五月の爽やかな風と歴史が薫る松代を後に、武州への帰路についた。

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▲松代藩文武学校武道会の先生方と共に、象山神社にて


 (了)
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調整完了/(身辺雑記)
- 2017/05/26(Fri) -
 今朝も、朝8時半からかかりつけの治療院へ。

 月曜から毎朝通ったおかげで、首と肩の痛みはほぼ完治。肩甲骨周りに、若干のコリがまだ残っているが、日常生活には支障のないレベルだ。

 とりあえず今日も、マッサージと鍼を打ってもらい治療は終了。

 若い鍼の先生に、「日曜の演武、頑張ってください!」と、見送られる。

 これで、心置きなく演武に集中できるというものだ。


 それにしても、45を過ぎたあたりから、こうした体の不具合が如実に表れるようになったのは、実に困ったもんである・・・。

 「無事、これ名馬」

 というのは、空手道の恩師である土佐邦彦先生が、常々おっしゃっていた言葉であり、それをこの歳になって、しみじみと実感する。


 さてさて、この50年物にならんとするくたびれたカラダを、この先どれだけ長く大事に使っていけるのか?

 これもまた、市井のいち武術・武道人たる自分にとっての大きな課題だ。


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           ▲「剣の2」に曰く、健康も武芸もバランスが大事


 (おしまい)
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柳剛流免許巻の教え/(柳剛流)
- 2017/05/24(Wed) -
 首と肩、背中の痛みは、引き続き加療中である。

 朝、鍼とマッサージをしてもらうと痛みはほぼ消失するのだが、それからず~っと机について原稿を書いていると、夕方にはまた、痛みがぶり返す。

 このため昨夜の稽古は、柳剛流剣術と長刀の形の確認、備之伝・備フセギ秘伝の考察に留め、軽く流した。

 その後、就寝前に、柳剛流の伝書をつらつらと読む。


 柳剛流の伝書は、各派によって様々な相違があるが、全体としては簡潔な記述のものが多い。

 印象として言うと、特に角田伝系の伝書は非常にシンプルな記述のものが多く、一方で武州の岡安伝系の伝書は比較的記述や内容が複雑になっているように思われる。

 角田伝の免許巻頭文と、流祖直筆と伝えられる石川家伝来の免許巻頭文を読み比べると、完全に一致していることが分かる。

 ソレ兵術拳法ハ業至ッテ利至ラザルトキハ足アリテ目無キガゴトシ。利至ッテ業心ニ至ラザルトキハ目アリテ足無キガゴトシ。理知圓カクノ者ヲ席トナシ術ノ至リトナス。コレニヨッテ武術者ハ身ヲ立テ家ヲ治メ仁孝忠ノ三第一。シカシテ教羽ノ肝要也。何ノ道ニアラズシテ弁舌博覧ニ勝ルヲ意ニ信トスルニアラズ。(柳剛流剣術免許巻)



 業に偏ってはならず、さりとて理に偏ってもならぬ。

 事と理と、そして心の一致をもって術の至りとなし、けして弁舌や博覧に優れることを目指すものではないというのが、流祖・岡田惣右衛門の素朴にして簡潔な教えだ。

 
 あるいはまた、殺活術を修めるに至った当流熟練の武芸者に対しては、粗暴のふるまいを厳しく戒めている。

 ソレ剣柔者ハ身ヲ修メ心を正スヲモッテ本ト為ス。心正シキハスナワチ物ヲ視ルコト明ラカナリ。コノ術ヲモッテタヤスク闘争ニ及ブハ我ガ党ノ深ク戒メル所ナリ。(柳剛流殺活免許巻)




 武技の錬磨を通して心身を涵養し人格完成を目指すというのは、近代武道の崇高な理念であるが、現実には多くの場合ほとんど実践できていない遠い理想でもある。

 しかし少なくとも、今日の稽古を通し、昨日の自分よりも僅かでも明日の己を高めたいと望むこと、「勁(つよ)い人でありたい」と願うことは、けして虚しいことはではないと信じたい。

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▲柳剛流長刀


 ■参考文献
 『増補・改訂 宮城県 角田地方と柳剛流剣術-日本剣道史に残る郷土の足跡-』(南部修哉/私家版)
 『幸手剣術古武道史』(辻淳/剣術流派調査研究会)

 (了)
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跳斬之術一考/(柳剛流)
- 2017/05/23(Tue) -
 一昨日の本ブログでは、「兵法のはやきといふ所、実の道にあらず」ということについてふれた。

 そんな折り、合気道家であり大森曹玄門下として直心影流を修めた剣客でもある、野中日文先生のブログの過去記事をつらつらと読んでいたところ、興味深い一文が目に留まった。


大陸で何人も人を斬ったという、村重さんという人がいた。ゆっくりと重くつかう人で、意外に思って「そんな速さですか?」「そう、こんなものだ。真剣を使う場では、さわぐな」これが秘訣のようだった。ベルギーで客死したが、ギャングに襲われたようだ。筆者はこの人に人の斬り方を教えてもらった。

「野中日文の垂直思考 武の世界からの直球・曲球」 阿部先輩のこと(2012/08/06)
http://nonakahihumi.blog.fc2.com/blog-entry-130.html




 今は剣で実際に人を斬る時代ではないが、こうした先達の箴言は十分に吟味する必要があろう。

 翻って我が柳剛流においては、その剣術は「跳斬之妙術」とも呼ばれ、斬撃に飛び違いを用いることを特長とする、いわば軽快・迅速な剣である。

 こうした点で、野中先生がご指摘されている、「ゆっくりと重くつかう」こととは、一見、対極にあるように思われる。

 しかし、柳剛流の剣における軽快さや迅速さは、たんなる形而下の軽さや早さであってはならないと、私は考える。

 流派を問わず、剣術の第一義が「殺人刀」である以上、我が跳斬之術も、軽快だが重く、迅速だがゆっくりとした、「さわがない太刀」であるべきであろう。

 これをどう、己の「形」=「術」に体現していくのかが、稽古における大きな課題だ。

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▲柳剛流剣術「左剣」


 (了)
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はじめての鍼治療/(身辺雑記)
- 2017/05/22(Mon) -
 先の土曜は、翠月庵で柳剛流剣術と神道無念流立居合、そして手裏剣術の稽古。

 帰宅後、晩酌をしていつのまにか気絶してしまう。

 すると明け方、左胸に肋間神経痛の痛みを感じ、不本意ながら目覚めた・・・。

 疲れがたまるとよく肋間神経痛が出るのだが、土曜の稽古は指導中心で、自分自身はそれほど疲労を感じるようなものではなかった。

 「急に気温が上がったからかなあ・・・・・・」などとボンヤリ思いつつ、日曜は終日、認知症グループホーム関連のインタビューのテープ起こしを行う。

 午後になると、胸の痛みは和らいできたのだが、こんどは肩こりがひどくなってくる。

 もともと、肩こりはあまり感じる方ではないので、どうしたのかなあと思いつつ、夕方には仕事を終えて晩酌、後、意識を失う。

 すると、深夜1時過ぎ、首と背中に激しい痛みを感じて目覚め、以後、まんじりともせずに夜明けを迎えた。

 子どもの頃から、よく寝違えで首を痛めることが多かったので、今回も多分、酔っぱらって寝てしまい、その間、無意識に肩や胸の痛みをかばっていたことから、寝違えてしまったのであろう。

 ことに、左の肩甲骨周りの痛みが激しいので、朝いちばんで、自宅から歩いて2分ほどの場所にある、かかりつけの接骨院へ向かう。

 たしか前回受診したのは、空手の稽古で腰を痛めたときなので、治療を受けるのは2年ぶりだ。

 ここの先生や職員の接骨医さんたちは腕が良く、また私の体質からか特にお灸がよく効くので、かくかくしかじかと症状を話してお灸をお願いしたところ、筋肉に炎症があるので今日はお灸よりも鍼の方が良いとのこと。

 そこでまず、20分ほどマッサージをしてもらった後、はじめての鍼治療を受ける。

1705_鍼
▲写真はイメージです(合衆国海軍による鍼治療だとのこと・・・)


 「う~む、これはリアル藤枝梅安だなあ・・・」などと思いつつ受ける鍼治療。

 首や背中、左腕などに10本くらい(?)鍼を打たれ、「この後は7分ほど、そのまま安静にしていてください」と言われ、あっという間に気絶。

 鍼には睡眠導入効果があるのか、いや、昨晩は痛みで熟睡できなかったからかもしらん。

 ブ~っというアラーム音で目覚め、本日の治療は終了。

 今週末には松代で柳剛流の演武があるので、「それまでに痛みはとれますかねえ?」と聞くと、では明日も来てくださいとのこと。

 ちなみに今、これを書いているのは治療が済んでから1時間後で、肩と首はまだ鈍く重い感じがあるのだが、肩甲骨周りの痛みはほぼ消失しているではないか!

 おそるべし、鍼治療。

 とりあえず、今晩の稽古は控えめにして明日も受診し、週末までには体調を万全に整えたいところだ。

 アラフィフの武術・武道人たるもの、持つべきものは腕のよいかかりつけの治療院だよなと、しみじみ実感した次第である。

 (おしまい)
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兵法のはやきといふ所、実の道にあらず/(武術・武道)
- 2017/05/21(Sun) -
 40代の半ば頃までは、居合や抜刀において、わりあい速く抜くことにこだわって稽古をしてきた。

 試し物を抜き打ちで斬る稽古などでも、いかに早く斬るのかについて、いろいろと工夫と鍛錬をしたものである。

 しかしここ最近は再び、稽古では穏やかに、そして丁寧に抜くことを心掛けている。

 それは、いまさらながらお恥ずかしい話であるが、武芸において、速い・遅いというのは、あくまでも相対する彼我の拍子の関係性において生じる現象であり、「柄に手をかけてから切先が鯉口を離れるまでコンマ何秒」などといった、表象的なものではないのだなということに、四十路半ばにして改めて思い至ったからである。

 こうした道理は、手裏剣術においても同様だ。

 かつて、私は打剣の速度をスピードガンで計測したり、剣が飛ぶ速度の向上に心掛けた時期もあったが、結局のところ、手裏剣術を武芸=彼我の攻防と定義すれば、速さはあくまでも相対的なものであり、剣が飛ぶ速度が時速80キロだろうが、35キロだろうが、自由な意思を持って我を攻撃しようと動き回る相手に、手裏剣が刺さればそれでよいのである。



 日本武芸におけるもっとも平易かつ深遠な、普遍的戦闘マニュアルである『五輪書』には、次のような一文がある。

「兵法のはやきといふ所、実(まこと)の道にあらず。はやきといふ所は、物毎に拍子の間にあはざるによって、はやきおそきといふ心也。其道上手になりては、はやく見へざる物也」(『五輪書』風之巻)



 こういうことを400年も前に、誰にでも理解できる分かりやすい言葉でさらりと言語化しているところに、宮本武蔵という武芸者の空前絶後な偉大さがあるといえよう。

 

 柳剛流の居合では、1本目の「向一文字」がすべての基本形となるわけだが、ここでもごぼう抜きは禁物である。

 スラスラと、序破急の拍子を十分に意識しての抜刀に心掛けねばならぬ。

 ただしそれは、剣先に蠅が止まるような気の抜けたものになってはならない。

 あくまでも、序破急の拍子と位がそこにあるからこそ、「ゆっくりに見えるが、実は速い」という業になるのだ。

 居合の稽古では、常にこうした理合を念頭に置きたいものだ。

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▲柳剛流居合「右行」


 (了)
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緑泥の茶壺/(数寄)
- 2017/05/20(Sat) -
 数年前から常々、緑泥の茶壺が欲しいと思っていたのだが、なかなか手に入れる機会が無かった。

 そんな折、親しい人から茶器のセットをいただき、それがなんと緑泥の茶壺であった。

 そこでさっそく、茶を淹れる準備にとりかかる。

 まずは、流水にさらしながら、ブラシで茶壺を丁寧に洗う。

 その後、茶壺を鍋に入れて煮る。これは、茶壺の汚れや油分を取り去るためであり、新品の茶器を最初に使う際には欠かせないことだ。

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 30分ほどとろ火で煮たあと荒熱をとり、水気をふき取り、準備は完了。

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 晩酌の後、この茶壺で、とっておきの凍頂烏龍茶を淹れる。

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 抹茶もいいが、中国茶も実にいい。

 静かな初夏の夜、時がゆっくりと過ぎてゆく。



「宋の詩人李仲光は、世に最も悲しむべきことが三つあると嘆じた、すなわち誤れる教育のために立派な青年をそこなうもの、鑑賞の俗悪なために名画の価値を減ずるもの、手ぎわの悪いために立派なお茶を全く浪費するものこれである」(『茶の本』岡倉天心)

 (おしまい)
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賢者の箴言/(箴言集)
- 2017/05/19(Fri) -
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「悪意に対して悪意で応じると相手に力を与えてしまうのだなあ、ということを痛感したり。

 全く気にせず楽しく幸せにやっているのが結果的には一番効果的であるのではないかと思う」

 
                             (六葉氏/https://twitter.com/h_rokuyou


 
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柳剛流殺活術 五ヶ所大當/(柳剛流)
- 2017/05/19(Fri) -
 総合武術である柳剛流には、流祖以来、免許秘伝として殺活術が伝えられてきた。

 しかし残念ながら、仙台藩角田伝柳剛流においては現在、活法のみが口伝として伝承され、殺法については失伝している。

 ただし幸いなことに、仙台藩角田伝柳剛流や幕末から明治にかけて武州で興隆した師範家である岡安家系統の柳剛流については、文久年間から昭和初期にいたるまでの、複数の殺活免許の伝書や添え書きが残されている。

 ご存じのように、日本武芸における殺法=当身口伝には、多くの先達による豊富な先行研究の成果があるため、柳剛流の殺活術についても、各派各時代の伝書を突き合せ、それをさらに柔術諸流の当身殺法の伝承と比較することで、比較的容易にその術技内容を類推することができる。



 まず、仙台藩角田伝柳剛流における殺活術をみると、文久2(1862)年に斎藤数衛が氏家丈吉に伝授した柳剛流殺活免許巻には、

1.松風 2.村雨 3.水月 4.明星 5.面山 6.二星 7.骨当 8.玉連 9.剛耳 10.天道 11.稲妻 12.右脇 13.心中 14.雁下 15.虎走 16.玉水 17.高風市 18.虎一点

 以上、18ヵ所の殺が図解入りで示されている。

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▲文久2年に記された、仙台藩角田伝柳剛流の殺活免許巻


 同じく仙台藩角田伝柳剛流において、昭和14(1939)年に斎藤龍三郎が斎藤龍五郎に伝授した柳剛流殺活免許巻にも18ヵ所の殺が示されており、その全てが文久年間の伝書と一致している。

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▲昭和14年に記された、仙台藩角田伝柳剛流の殺活免許巻


 この2つの伝書は、歳月としては77年、伝承者の世代としては4代もの隔たりがあるのだが、両者を比較すると、術としての殺法は変化することなく脈々と伝承されてきたのが分かる。


 一方で、武州で大きな勢力を誇った師範家である、岡安家系統の柳剛流では、免許において口伝として、以下、13の殺法が伝授されていた。 

1.天車 2.面山 3.人中 4.村雨 5.二星 6.掛金 7.音当 8.女根 9.水月 10.脇腹 11.心中 12.玉水 13.亀之尾

 さらに岡安伝では、こうした当身殺法のなかでも、特に重要な当てを「五ヶ所大當」とし、天見、人中、秘中、水月、気海の5ヶ所の殺を示している。

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▲柳剛流岡安派の「五ヶ所大當」


 さて、岡安伝の「五ヶ所大當」を、角田伝の殺法、さらに当身の妙で知られる柔術流派である天神真楊流の殺法と対照させると、以下のようになる。


 天見(岡安伝)=天道(角田伝)=天道(天神真楊流)

 人中(岡安伝)=虎一点(角田伝)=人中(天神真楊流)

 秘中(岡安伝)=玉連(角田伝)=秘中(天神真楊流)

 水月(岡安伝)=水月(角田伝)=水月(天神真楊流)

 気海(岡安伝)=明星(角田伝)=明星(天神真楊流)



 このように、岡安伝も角田伝も「五ヶ所大當」にあたる殺点は、いずれの部位・名称も非常に天神真楊流に類似していることが分かる。

 従来、柳剛流の殺活術は、流祖・岡田惣右衛門が学んだ三和無敵流からきていると解説されることが多かった。

 しかし、上記のような柳剛流の殺法と天神真楊流の殺法との類似点を見ると、柳剛流の殺活については天神真楊流の影響もあったのではないかと考えたくなる。

 もっとも日本武芸全般において、殺活術については楊心流系の影響がたいへん大きいことを考えれば、これはいささか穿ちすぎなのかもしれない。



 いずれにしても、「五ヶ所大當」という柳剛流殺活術の当身秘伝は、古流武術はもとより、柔道や空手道、拳法や合気道などの現代武道を学ぶ者も含め、武術・武道をたしなむ者であれば誰もが最低限覚えておくべき、普遍的かつ基本的な急所だといえるだろう。


 ■参考文献
 『日本柔術当身拳法』(小佐野淳師著/愛隆堂)
 『増補・改訂 宮城県 角田地方と柳剛流剣術-日本剣道史に残る郷土の足跡-』(南部修哉/私家版)
 『一條家系譜探訪 柳剛流剣術』一條昭雄/(私家版)
 『幸手剣術古武道史』(辻淳/剣術流派調査研究会)

 (了)
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かくて円環はひらき、そしてとじる/(柳剛流)
- 2017/05/17(Wed) -
 取材やら、その後のよしなし事やらで、今晩の稽古は深夜から。

 このため、柳剛流の「備之伝」と「備十五ヶ条フセギ秘伝」に集中する。



 すでに何度も紹介しているように、備之伝は柳剛流において初学者が学ぶ15種類の構えの教えであり、備十五ヶ条フセギ秘伝は目録者が学ぶ、備之伝の15種の構えそれぞれに対応する必勝の構えの教えだ。

 一人稽古では、まず鏡に映る我の構えに対し、それに対応するフセギ秘伝の構えをとる。

 次の瞬間、鏡に映った我の構え(最初の構えに対応するフセギ秘伝の構え)に対応する、フセギ秘伝の構えをとる。

 その次の瞬間には、さらに鏡に映った我の構えに対する、フセギ秘伝の構えをとる。

 そしてまた次の瞬間、鏡に映った我の構えに対する、フセギ秘伝の構えをとる。

 つまり、彼(鏡に映った自分)のAという構えに対し我はBという必勝の構えをとり、次に彼のBという構えに対して我は必勝のCという構えをとる。さらに我は、彼のCという構えに対して必勝のDという構えをとり、次いで彼のDという構えに対して必勝となるEという構えをとる・・・・・・。

 これを延々と、頭で考えて構えるのではなく、条件反射で相手の構えに対応できるようになるまで繰り返すのだ。



 ただし、備之伝とフセギ秘伝における彼我の構えの関係は、正確にはAにはB、BにはC、CにはDというように、整列的に順序だったものではなく、AにはB、BにはL、CにはB、EにはGというふうに不規則な関係となっている。

 これは、備十五ヶ条フセギ秘伝が相手の特定の構え、つまり相手の構えから発せられるであろう固有の太刀筋やその防御的特性に対し、最も有効な我の対応が可能となる構えを示すという教えである以上、AにはB、BにはC、CにはDというような、機械的な整列順序にならないのは当然のことだ。

 ゆえに備十五ヶ条フセギ秘伝の構えには、頻出する特定の構え(対応する相手の構えの種類が、最も多い我の構え)があり、その構えが出てくると、そこから以降の彼我の構えの関係は、必ず同じパターンの連環が始まるのである。

 つまり、備之伝に示される15の構えのうち、彼が最初にどのような構えをとろうとも、最終的には必ず互いの構えの対応は、同じパターンの連環に帰結するのだ。

 ここに示されるのは、我を殺そうとする彼の太刀と、それを防ごうとする我の太刀との不思議な関係性、反発と誘引とが入り混じった、彼我の「位」の円環的世界を顕しているようで、実に興味深い。

 深夜の一人稽古はこのように、「術」に秘められた、ある種の思想のようなものを想起させてくれることが少なくない。


 ~月は我れ我は月かと思うまで
               隅なき月にすがる我かな(柳剛流 免許武道歌)~



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 (了)
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礼法も、また楽し/(武術・武道)
- 2017/05/12(Fri) -
 時折、一般の人や現代武道をやっている人から、「古武道は、作法や礼法がやかましかったり、面倒そうでねえ・・・」という話しを聴くことがある。

 たしかに古流の武芸には、それぞれに独特の作法・礼法があり、様々な所作や立ち居振る舞いが定められている。

 しかし、それを「つまらない」、「面倒くさい」、「敷居が高い」と敬遠するのは、いささかもったいない。

 私が稽古している武芸でも仙台藩角田伝柳剛流をはじめ、八戸藩伝神道無念流、荒木流抜剣、柳生心眼流、甲陽水月流には、全てに異なる礼法が伝えられており、実技はもとよりそれぞれの礼法も習得しなければならない。

 たとえば柳剛流の礼法では、形を行ずる際に必ず袴の股立ちをとることが定式化されている。

 あるいは神道無念流では、帯刀する際に我が差料の鎺や鯉口を検分する所作が、刀礼に盛り込まれていたりもする。

 こうした各流派特有の礼法や所作、立ち居振る舞いには、それぞれの流祖や先人たちが込めた、武芸としての意味や社会的な意義があり、我々の知的好奇心を多いに刺激する。

 さらにそれを一歩進めて、礼法や作法、立ち居振る舞いを、武人としての行動学や処世の術へと昇華できれば最高であろう。


 礼法や所作を、単なる形式ではなく古人が伝えた活きた行動学として捉え、それを学ぶことで往時の社会や文化に想いを馳せる・・・・・・。

 それは古流を学ぶ者だけが知る、密かな楽しみであり喜びだ。

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▲柳剛流居合における刀礼

 (了)
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其殺伐の念慮を驀直端的に敵心へ透徹する/(武術・武道)
- 2017/05/10(Wed) -
 形稽古を中心とした武芸において、演武は何ものにも代えがたい貴重な「真剣勝負」の場のひとつだ。

 神前に奉納する、あるいは来賓や観衆に披露する己の形=業が、単なる手順を追った殺陣のごとき動作ではなく、活きた武技として見事に発露されているかどうかを、常に自省しなければならない。

 そのために、私がまず第一に心掛けているのは、

「夫剣術は敵を殺伐する事也。其殺伐の念慮を驀直端的に敵心へ透徹するを以て最用とすることぞ」(平山子龍『剣説』より)

 という心法だ。

 この「殺伐の念慮」を表に出せば「懸中待」であり、内に秘めれば「待中懸」となる。

 「懸」と「待」は、易における「乾」(陽)と「坤」(陰)のように、常に連環し、時に入り交り、また時には相反し、究極的には宇宙の根源たる太極を生み出す。これすなわち、武芸における「懸待一致」ということか。

 もっとも私ごとき凡俗は、未だ「懸待一致」などという境地にはほど遠く、非才なりに全身全霊を込めて形を打ち技を発して、ひたすら「殺伐の念慮を驀直端的に敵心へ透徹する」ことを志すのみである。



 少なくとも演武においては、それが「懸中待」であろうとあるいは「待中懸」でも、観る人に武技としての「威」を感じさせるような形=業が披露できるよう、心掛けていきたいと思う。

 (了)
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柳剛流祖生誕252周年と奉納演武/(柳剛流)
- 2017/05/08(Mon) -
 先のブログでも少しふれたが、去る5月4日は、柳剛流祖・岡田惣右衛門の生誕252周年であった。

 流祖は明和2年3月15日(1765年5月4日)に、武州葛飾郡惣新田(現在の埼玉県幸手市惣新田)に生まれた。

 幼少の頃から神童の誉れ高く、18歳で江戸に上った後、大河原右膳に師事して心形刀流を学ぶ。その後、諸国を遍歴し、三和無敵流をはじめとした諸流を学んだ上、「断脚之術」を編み出して柳剛流を打ち立てた。


 それから200有余年。

 流祖生誕日の翌日にとり行われた、国際水月塾武術協会主催の富士北口諏訪明神社奉納演武会にて、柳剛流の剣術と居合、そして長刀の演武を神前に奉納させていただけたというのも、何かの縁を感じる。

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▲柳剛流居合 「向一文字」


 また今回の演武では、我が師である小佐野淳先生のお導きにより、柳剛流剣術と合わせて免許秘伝の長刀についても演武させていただいた。

 これは、200年以上に渡る柳剛流の歴史の中でも初めてのことであると思われ、この点でも今回の演武は、柳剛流の歴史において大きな意味のあるものとなった。

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▲柳剛流長刀 「左首巻」


 2世紀を超える時代の荒波をくぐり抜け、先人・先達の方々の尽力により平成の現在まで受け継がれてきた柳剛流という「宝」を、この先さらに100年、200年と絶えることなく伝えられるよう、非才ながらも微力を尽くしていきたいと、志を新たにした奉納演武であった。

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 (了)
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水月塾主催 第32回諏訪明神社奉納演武会/(武術・武道)
- 2017/05/06(Sat) -
 昨日、水月塾主催第32回諏訪明神社奉納演武会がとり行われた。

 私は前日から稽古のため現地入り。

 終日みっちりと稽古をし、夜は師行きつけの酒処で前夜祭を楽しむ。



 そして当日、まず拝殿で参拝を済ませた上で、定刻通り5月5日午後1時から、奉納演武がスタートした。

 警視流居合、神道無念流立居合、力信流居合、荒木流抜剣に続き、私は柳剛流居合を奉納。

 師の2尺7寸の居合刀をお借りして、「向一文字」、「右行」、「左行」、「後詰」、「切上」の5本を抜く。

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▲柳剛流居合「右行」



 居合演武のトリは、小佐野淳先生による関口流抜刀である。

 その後は、組形の演武が続く。

 柔術澁川一流、力信流剣術、穴澤流薙刀、力信流棒術の後、いよいよ小佐野先生に打太刀を執っていただき、柳剛流剣術・長刀の演武である。

 まずは柳剛流剣術から、「右剣」と「左剣」を演武。

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▲柳剛流剣術「左剣」



 次いで、柳剛流の免許秘伝である長刀を奉納する。

 柳剛流長刀について、公開の場での演武は、柳剛流二百有余年の歴史の中でも初めての事であろう。

1705_柳剛流長刀2


1705_演武_柳剛流長刀
▲柳剛流長刀「右首巻」


 この後、演武全体のトリは、小佐野先生と関西支部長・山根章師範による天道流二刀小太刀の妙技で締めくくられた。



 つつがなく奉納演武を終えた後は、門下一同で師のご自宅にお邪魔し、秘蔵のワインの数々をいただきながら武術談義に花が咲く。

 その後さらに場所を移し、宴の楽しいひと時は夜まで続いた。

 充実した2日間であった。

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▲奉納演武終了後、打太刀をとっていただいた小佐野先生と記念撮影

 (了)
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一年祭と墓参/(身辺雑記)
- 2017/05/03(Wed) -
 今日は伊豆にて、母の一年祭(仏教でいうところの一周忌)。

 その後、先月他界した父の墓参も済ます。



 そして明日は本部稽古、明後日は諏訪明神社奉納演武会。

 ちなみに明日、5月4日は、柳剛流祖・岡田惣右衛門の生誕252周年でもある。



「死別はもう逢えないだけのことで、それ以上でもそれ以下でもないから、必要以上に哀しまないことだ」(伊集院静)

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 (了)
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4月の水月塾本部稽古~柳剛流、伝書講義、甲陽水月流柔術/(武術・武道)
- 2017/05/01(Mon) -
 4月、当初は2日に本部での稽古予定だったのだが、当日、体調を崩してしまい、残念ながら行くことができなかった。

 このため昨日、本部にお邪魔し午後からの稽古に参加する。

 まずは柳剛流。

 師に打太刀をとっていただき、剣術、長刀の稽古。次いで居合。抜付の拍子と位、受けや斬りの際のポイントなどをご指導いただく。



 休憩中は、恒例の伝書講義。

 今回は柳剛流の切紙と、宮本武蔵ゆかりの岡本流の伝書を拝見する。

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▲岡本流の伝書と、師ご所有の十手、鉤縄、万力。いずれも貴重な、時代の物である



 三つ道具をはじめとした図解が興味深い。また、日本武芸では珍しい、手盾類についての記載も目を引く。伝書の一部を読むと、丸い手盾は、半弓や長道具などを持った籠り者を捕縛する際に用いるとある。

 なるほど、現在の警察や軍における、制圧時の盾やライオットシールドの運用のようなものか。

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▲岡本流の伝書では、各種の手盾についても図解されている



 稽古後半は、水月塾制定の日本柔術である、甲陽水月流柔術の稽古。

 初伝逆取の「七里引」、「横固」、「捩閻魔」、「引落」、「肘落」の5本を復習。

 本部門下で空手道有段者でもある米国人B氏を相手にしての柔術の稽古は、良い意味で気が抜けずやりがいがある。

 剣術や居合などと異なり、柔術は現代的な意味で護身術としての意義も高いだけに、こうした「稽古しがいのある手強い相手」と積極的に組んで、自分の業を磨いていきたいものだ。


 稽古後は、いつものように師に同道させていただき小宴。

 極上の馬モツとにごり酒で、今回はかなり酔ってしまい、千鳥足のまま武州への帰路に着いた。

 (了)
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