初秋清貧/(身辺雑記)
- 2017/08/31(Thu) -
 今日で8月も終わり。

 こちら武州中山道の草庵では、驚くことにエアコンなしの部屋で仕事ができるほどの涼しさである。

 それにしても、この6~8月は多忙であった。

 それも今日と明日で、慢性腎不全患者の運動に関する記事と、青森にある社会福祉法人の紹介原稿を書けば、ようやくひと段落というところだ。

 そして週明け月曜からは、ラーメン店の取材が始まるのだが、私はそれほどラーメンが好きではないのと、ラーメンの取材は必ず体調を崩すので、ちょっと気が重い・・・・・・。



 この3か月間は、足掛け25年に及ぶ記者生活の中でも、おそらく最も仕事をしたのではないかと思う。

 しかし、昨年、今年と立て続けに両親が鬼籍に入り、それにともなうあれやこれや、なんだかんだのよしなしごとで、50歳を目前にして比喩ではなく本当に貯蓄金額がゼロ(!)になってしまったので、これから向こう10年間くらいは、このようなペースで休み無く仕事を続け、なおかつ相当な倹約生活を送らなければならないようである。

 一応現在の予定では、60歳までにはなんとか元の貯蓄水準に戻したいのだが、今の出版不況のことを考えると、そもそも10年後に、最低限の生活が維持できているかすら疑問だ。

 とはいえ幸か不幸か、妻も子もないのんきな立場なので、「子供の給食費が払えなくなったらどうしよう・・・」といった心配はなく、最悪の場合でも毎食サッポロ一番塩ラーメンで食いつなぐくらいは、なんとかなるであろう・・・・・・、多分。



 ところでサマージャンボの当選金についてだが、どういうわけか私の手元に入ってきた金額が、6億9999万9700円ほど足りないのは、まことに遺憾である。

 そこでやむを得ず、来週からもコツコツと仕事をし、食事は一菜一汁、晩酌は「月桂冠糖質ゼロ」というように食費と飲み代を切りつめ、休日は武芸の稽古以外はできるだけ無駄な外出はせず、本は買わないで図書館で借り、普段着はヤフオクで落札した中古の和服あるいは洋服はユニクロかしまむらで済ますといった、節約と倹約第一、生活半径50メートル以内のつつましく清貧な暮らしを続けていかなければならぬ。
 
 ま、振り返ってみれば、30代までに若造の身の丈に合わない酒池肉林を十分楽しんだので、50代になってのこんな貧乏暮らしも、また人生かと思う・・・・・・。

 ・・・・・・思うのだが、やはりたまには紙パックでないお酒というのを飲んでみたいものであるし、できうるならば「野田岩」の白焼きか「てんぷら近藤」のキス天でも肴にしながら、久保田の万寿をたっぷりと心ゆくまで呑み、仕上げは湯島の「琥珀」で世界で最も旨いマティーニをいただきたいなあなどと、遠い目になる初秋の午後であった。


 とりあえず今日の晩酌の肴は、うな次郎・・・・・・。

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▲地球の生態系と貧乏なオッサンに優しい、うなる美味しさ! 「うな次郎」


             一人分の米白々と洗ひあげたる(尾崎放哉)




 (おしまい)
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断脚之術小考/(柳剛流)
- 2017/08/29(Tue) -
 先日の翠月庵では、柳剛流剣術の基本である「右剣」と「左剣」について、丁寧に稽古をした。

 柳剛流といえば断脚之術、ありていに言えば脚斬りであり、そのエッセンスのすべてが凝縮されているのが、入門者が最初に学ぶ形である「右剣」と「左剣」であり、まさに基本にして極意の形=業である。



 多くの人が、脚斬りというと、たとえば上段や中段の構えから、あるいは帯刀の状態からおもむろに相手の脚を斬ると考えがちであるようだ。

 これは、スポーツチャンバラの試合のイメージの影響などもあるのかもしれない。

 たしかに、反射神経と動体視力にものを言わせて、ちょっとしたフェイントのみでいきなり相手の脚を斬るというのも、禁忌というわけではないが、流祖・岡田惣右衛門が編み出した柳剛流の業は、そのような浅いものではない。

 柔で言うところの崩しの理と同様に、技を施すにあたっての「作り」と「掛け」があり、それがあるからこそ脚斬りが完全に決まるという構造になっている。

 この理を学び、技を体に徹底的にしみこませ、「術」のレベルにまで押し上げるのが、「右剣」と「左剣」の鍛錬である。

 ゆえに柳剛流では、切紙の段階での剣術形は、この2本しかない。

 往時、初学者が学ぶ剣術の形は、このたった2本だけ。加えて居合で下半身の強さと運刀を学び、即効的な護身業として突杖を学ばせ、あとは徹底的に撓を使った撃剣稽古を行ったという。

 「右剣」と「左剣」は、基本でありまた極意である業だけに、非常に繊細な体の使い方を要求されるのだが、一方で、ある程度理合が分かれば、撃剣での激しい打ち合いにもすぐに応用できる、即応性の高い技でもある。

 この点が、理合有優先の形而上的な形との大きな違いと言えるだろう。



 登米伝柳剛流の大師範に、半田卵啼がいる。

 この人の師匠は幕府御家人で、流祖の直弟子であった吉田勝之丞という人であり、江戸・神田と登米を行き来しながら柳剛流を指導していた。

 ある日、江戸から登米を尋ねてきた弟弟子の吉田道四郎という若者と勝之丞が、撃剣で立ち合ったのだが、その激しさは目にもとまらぬ早さであり、稽古後、勝之丞は、「これくらいの立合いは、田舎ではめったに見られぬものだ」と語ったという。

 ちなみにこの吉田勝之丞は、当時、仙台本藩を代表する試合剣術の名手であった桜田敬輔と立合い、まったく寄せ付けなかったという。

 吉田勝之丞と道四郎との、目にも止まらぬ早さの立合いとは、どのようなものであったか?

 詳しい記録は残されていないが、「おそらくこのような業を使ったのではないか?」という見立てが、私にはある。

 そのヒントは、やはり「右剣」と「左剣」にあるのだ。

 この見立てが実際にどのようなものなのかは、実伝のためここでは書かないけれど、先日の翠月庵の稽古では、古流諸派の脚斬りの業との比較も交えて、その辺りの撃剣・試合剣術への応用法についても丁寧に説明・指導した。

 ひとつだけ明言できるのは、柳剛流においては、いきなり何の「作り」も「掛け」もなく、相手の脚に斬りつけるような業は、1つとして無いということである。



 流祖が編み出した「断脚之術」の形と理合を、一分も変えることなく大切に守り、次代に伝えなければならないことは言うまでもない。

 一方で、その形と理合を活きた業、つまり「術」として我がものとしていくことも、我々修行人の重要な使命であろう。

 なぜなら往時、江戸や武州、みちのくにおいて、柳剛流は実戦的な総合武術であると同時に、比類なき「試合剣術」としても名を馳せ、流祖自身、自ら面をつけ撓をとり、撃剣に励みながら、流儀を広めていったのだから。

 こうした点での稽古・鍛錬も、現在の柳剛流修行者が、改めて取り組むべき課題のひとつだといえるだろう。

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▲柳剛流祖・岡田惣右衛門が、撃剣の稽古に用いたと伝えられる面(石川家蔵)


 ■参考文献
 『日本剣道史 第十号 柳剛流研究(その1)』(森田栄)

 (了)
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10周年/(武術・武道)
- 2017/08/27(Sun) -
 昨日の定例稽古で、翠月庵は開設から10周年となった。

 「面壁九年」というけれど、いまだ武の悟りははるか彼方である。

 しかし、12歳で初めて柔と剣の稽古を始め、三十路後半に自らの稽古の「場」である翠月庵を開設。

 以来10年間、この「場」を継続できたというのは、庵主としてそれなりに感慨深いものだ。

 それもこれも、師や武兄、武友や門人、そして家主様など、たくさんの人たちの支えによるものなのだと、しみじみ思う。


 次回の定例稽古からは11年目となる。

 武術伝習所 翠月庵は、これからも粛々と、仙台藩角田伝柳剛流をはじめとした古流武術と、手裏剣術の研鑽に努めていく所存である。

170827_10周年



 「習へ遠く心や雲となりにけり
              晴てそたたぬ有明の月」(柳剛流 武道歌)


  (了)
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兵士の故郷(Soldier's Home)/(身辺雑記)
- 2017/08/25(Fri) -
 この夏は、初めて埼玉に甲子園の優勝旗がやってきたということで、さぞかし加須あたりは、盛り上がっているのだろう。

 めでたい事である。

 とはいえ、私は埼玉県民になってまだ7年足らずだし、生まれも育ちも伊豆である。おまけに22歳から41歳まで、約20年間東京暮らしをしていたので、埼玉県の高校が甲子園で優勝したといっても、正直あまり感慨はない。

 一方で、「あなたの故郷はどこですか?」と尋ねられれば、「伊豆です」と答えるのだけれど、もう両親ともに鬼籍に入ってしまい、実家も引き払ってしまったので、盆や正月に帰省する家があるわけでもなく、土地との縁はもう切れてしまった。

 では、人生で一番長く暮らした場所である東京人を気取るのかと問われれば、

 「そんな、すだらもにゃあことは、絶対に言えにゃあら」

 と思う・・・・・・。



 埼玉在住といっても、この7年間、地元にいるときはほとんど家にこもって原稿を書いているか、部屋で酔っ払っているか、稽古場や県立武道館で稽古をしているかで、今住んでいる町については最寄りの駅と武道館周辺ぐらいしか土地勘がなく、特段、愛着もない。

 むしろ、柳剛流祖・岡田惣右衛門の生地であり、フィールドワークで何度も足を運んだ幸手市の方が、よほど土地勘もあり、愛着も感じている。

 資金と条件さえそろえば、いっそのこと幸手に引っ越してしまいたいとも思うのだが、何しろ六無斎ゆえ、そんな金も時間も機会もないのが残念である。

  そんなこんなで最近、己の土着性というか、帰属する土地についてのアイデンティティが崩壊気味で、まさに名実ともに、地に足のついていない浮草人生街道を、終点に向けて着実に歩きつつある私なのであった。


170825_石碑
▲埼玉県幸手市にある、柳剛流祖岡田先生之碑


170825_惣新田
▲流祖生誕の地である、埼玉県幸手市惣新田。江戸川沿いの平地に田畑が広がり、その合間に民家が点在する


   「話はそれだけ?」クレブスは言った。
   「そうよ。あなたは、自分の母親を愛してないの?」
   「ああ」クレブスは言った。
    母親は、テーブル越しにじっと彼を見た。その目はキラキラと輝いていた。彼女は泣きだした。
   「だれも愛せないんだよ、ぼくは」クレブスは言った。
                                (『兵士の故郷』E・ヘミングウェイ/高見浩訳)



 (おしまい)
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流祖が示す無限の円環/(柳剛流)
- 2017/08/24(Thu) -
 本日も深夜まで仕事であったため、稽古は柳剛流備之伝・備十五ヶ条フセギ秘伝を中心とする。

 等身大の鏡に写った我を相手に、気押しを込めながら備え、また防ぎ、無言の攻防を繰り返す。

 ある構えに対して不敗の構えをとり、その構えに対してさらに不敗の構えをとる。

 それはまるで、大陸に伝わる「矛盾」の故事のようで、どこまでも円環する無限世界を表しているようで興味深い。

 鏡に向かって気を込めながら、構えを次々にとるだけの静かな稽古であるが、緊張感のたいへんに高い集中力のいる稽古でもある。



 柳剛流備之伝・備十五ヶ条フセギ秘伝で示される多種多様な構えの中でも、最も重要な構えのひとつが中段=青眼の構えである。

 中段の構えの重要さなどというと、剣術や剣道に熟練した人からは「何を今さら」と苦笑されるであろう。

 しかし柳剛流備之伝・備十五ヶ条フセギ秘伝の稽古をしていると、剣術・剣道では当たり前とされている中段の構えの「強さ」や「厳しさ」を、改めてリアルに感じることができる。

 ことに真剣で稽古を行うと、よりその「強さ」と「厳しさ」が体感できるものだ。



 神道無念流の中山博道師は、

 「中段の構えの強いところは、如何なる術にも対応ができる点、また攻撃に最良な点である一方、我が入り易い分、敵も入り易い、結局難しい構えということになる」(『中山博道剣道口述集』より)



 と指摘している。

 これは柳剛流備之伝・備十五ヶ条フセギ秘伝の稽古においても全く同様であり、中段=青眼の構えは、非常に有用で即応性の高い構え=術であるが、彼我ともにその術を遣えば、互いの関係性、つまり勝敗は難しいものとなるのは言うまでもない。

 そこで、柳剛流の備十五ヶ条フセギ秘伝には、中段=青眼の構えに対する不敗必勝の構え=術が置かれているわけだ。

 ところがさらに、その中段に必勝の構えに対して、さらに不敗の構えがあり、さらにさらにその不敗の構えに対する必勝の構えが存在する・・・・・・。

 こうした彼我の剣による、不敗必勝の無限の円環を学び、感じることで、私は200有余年の時空を超えて、柳剛流祖・岡田惣右衛門の見い出した「剣の境地」に触れられるような気がしてならない。

 これぞまさに、古流武術を修行する者だけが知る醍醐味なのではなかろうか。

170823_柳剛流


 「兵法は立たざる先の勝にして
              身は浮しまの松の色かな」(柳剛流 武道歌)



 (了)
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8月の水月塾本部稽古~柳剛流、伝書講義/(武術・武道)
- 2017/08/21(Mon) -
 昨日は、水月塾本部での稽古。

 朝9時半から夕方4時半までみっちりと、師に柳剛流の稽古をつけていただく。

 剣術は、備之伝・フセギ秘伝をはじめ、右剣、左剣、無心剣について、長刀では特に切上について、師に丁寧に手直しをしていただいた。

 普段、翠月庵の稽古では、どうしても指導が中心となるため自分で仕太刀を執ることが少なく、毎日の一人稽古では主観に傾きがちになるため、こうして業や心法の偏りや歪みを師に直接正していただけるのは本当にありがたいことだ。
 


 昼食後、本部稽古恒例の伝書講義では、甲陽流武学の伝書を拝見、師にご解説をいただく。

 一般的に軍学・武学では、個別的な戦闘技術である武芸について語られることは少ないのだが、この伝書は鎧櫃に描かれる「前」の字についての故実や意義を説きつつ、剣術の心法などについても触れている、たいへん興味深いものである。

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 稽古後半は、来月23日に長野県松代町で行われる、松代藩文武学校武道会の秋の演武会で披露する柳剛流の形を、師に打太刀を執っていただきじっくりと稽古する。

 古流修行者にとって、演武は「真剣勝負の場」だ。

 諸流の先生方やその門下の皆さんに対して、恥ずかしくない柳剛流の業前を披露できるよう、さらに精進をしていかねばならない。



 稽古後は、いつものごとく、師に同道させていただき、しばし酒宴。

 たっぷり盃を傾けた後、ほろ酔い気分で武州への帰路についた。

 (了)
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有楽町で柳剛流/(柳剛流)
- 2017/08/18(Fri) -
 本日は夕方から有楽町で、医療雑誌取材の打ち合わせ。

 灼熱の埼玉からくると、東京は涼しくてよい。

 帰路、京浜東北線のホームからふとビックカメラの建物を見ると、auのキャラクターである三太郎のでかい看板が目に入る。

 浦島太郎は晴眼、桃太郎は八相、金太郎は下段をはずした無構えか。

 ふむ、では柳剛流備十五ヶ条フセギ秘伝にて、それぞれの相手の構えに対すれば・・・・・・。

 と、思わずホームで脳内稽古に励んでいた。

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 「月は我れ我は月かと思うまで
               隅なき月にすがる我かな」 (柳剛流 武道歌)


   (了)
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深夜、無声にて形を打つ/(柳剛流)
- 2017/08/17(Thu) -
 「武芸における掛け声は、威力を持った固有の武技である」

 というのは、私の昔からの持論だ。

 また、武芸者の発する掛け声はひとつの年輪であり、掛け声の様子によって、ある程度その人の業前さえ推察することができる。

 故に、特に初学の者には、掛け声についてしっかりとかけるように指導したい。

 有声の掛け声は、「どこから声を出すのか?」を意識させることで、上・中・下の各丹田を認識させるのに有効であるし、ごく初歩的な「気・剣・体の一致」を体現させるためにも有用だ。



 昨晩の稽古は、屋外でしかもかなり夜遅い時間であった。

 仙台藩角田伝柳剛流では、形において短く「エイ」、あるいはやや伸ばして「エーイ」という掛け声をかけるのであるが、深夜の屋外ではそういうわけにもいかぬ。

 そこで、本来は有声である掛け声を、無声として行う。

 有声の掛け声も無声の掛け声も、本質的にはその意味や効果は同じものであるが、有声の掛け声の効果・効用を同じように無声で実現させるためには、より質の高いレベルでの呼吸・意識・体の運用が求められる。

 このような感覚を養う意味で、本来は有声であるべき形=業を、時には無声で行うというのも有効であろう。

 ただし、こうした稽古はあくまでもある程度熟達した者が行うべきものであり、初学者はあくまでも流儀の定める掟の通り、腹の底から大きく掛け声を掛けなければならないことは言うまでもない。

 一方で指導者は、「掛け声とはどのようなものか?」「掛け声にはどんな意味・意義・効果があるのか?」「どこから、どのように、どんな拍子で声を出すのか?」といった点を、明確にして指導しなければならない。

 「四の五の言わず、ハラの底から大声を出せ!」

 という軍隊式・体育会式の指導も結構だし、私自身、若いころはそのように教えられてきたのだけれど、最近の若い人はこうした教え方ではあまり納得してくれないようだ(苦笑)。

 一方で指導者たるもの、

 「声出せ、声出せって言いますけど、ボクシングじゃあパンチ打つ時、声出さないっスよね?」

 といった素朴な弟子の問いに明確に答えられなければならないし、そのためには単なる大声と「威」のある掛け声の違いについて、明確に理解し、それを弟子に説明して指導できなければならないだろう。

 掛け声は、力なり。

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▲裂帛の掛け声とともに技を繰り出す柳剛流長刀


 (了)
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跳び違い/(柳剛流)
- 2017/08/16(Wed) -
 今晩は武道館に行って稽古をする時間は無かったのだが、長刀を振りたかったので拙宅前の私道にて稽古。

 折よく稽古をしようと思ったところで、朝から降り続いていた雨が止んだのは幸いであった。

 長刀の前に、まずは剣術で体を温めようと木太刀を執る。

 雨上がりのアスファルトの上で、ジョギングシューズ履きで飛び違いながら木太刀を振るうと、武道場で白足袋を履いて稽古をするとき、あるいは翠月庵の野外稽古場で足袋を履いて稽古するときとも違った独特の滑り方で、足元がふらつき安定しない。

 しかし本質的には、履物や地面の状況に関わりなく、どんなところでも適切に飛び違いながら剣を振るうのが柳剛流の真面目であり、正しく体が動いていれば、そのようになるはずだ。

 にもかかわらず、飛び違いでの斬撃が安定しないということは、木太刀と身体の使い方に、何らかの不具合があるということである。

 剣術の形を丁寧に行じながら、動きの不具合を調整していくと小半刻ほどで、なんとか跳び違いが安定するようになってきた。

 要は「太刀の道」に従わず、脚力で地面を蹴っていることから、摩擦の低い路面でうまく飛び違いができなかったわけだが、こうした動きを、地面や履物などの状況に関わらず、あらゆる状況で常に適切にできなければならない。



 気が付けばあっという間に時間が過ぎ、結局今晩は、長刀ではなく剣術メインの稽古となってしまった(苦笑)。

 ま、そんな日もある。

 (了)
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スタンドアローン/(身辺雑記)
- 2017/08/15(Tue) -
 お盆の休暇も昨日で終わり。

 出先からの帰路、日付の変わる間際の東海道線の車内はかなり空いていた。

 ちょっと奮発をしてグリーン券を買い、2階席の窓際に座って缶のハイボールをちびりちびりと飲みながら、この夏の私的課題図書(笑)であるスティーブン・キングの『IT』を読む。

 20数年ぶりの再読であり、またキング特有の微に入り細を穿った描写のために、かなり新鮮な感覚で第一巻を読了。

 本の影響か、車窓の街灯りを眺めるともなく眺めていると、少年時代の記憶が断片的に蘇る。



 この数日間、いろいろと出かける用事があり、また少々思うところがあって、ネットはほとんど見ないでいた。

 一方で普段は仕事柄、現場取材をしている時以外は、四六時中、パソコンに向かっている。

 このためちょっとした作業の合間にも、ちょこちょことSNSをのぞいて読み書きをしたり、誰かのツイッターやブログを読んだりしてしまいがちだが、そういうのはどうも、いろんな意味で精神衛生上よろしくないなと思うことが最近少なくない。

 おまけに先日は不覚にも、フェイスブックのアカウントを一時的に乗っ取られてしまった・・・・・・。

 そんなこんなで、これまでもネット上での活動はそれほど積極的に行っていたわけではないけれど、今後はさらに必要最小限にするべきだなと思っている。

 そもそも武術・武道というものは、事理一致、実力本位の世界である。

 あるいは史実の研究は、学問のルールに従って公正に行うべきものだ。

 業には業で、史実には史実で対すればよい。

 シンプルなことだ。



 五十路を目の前に、自分に残された時間はもう限られているのだから、人生はできるだけ簡素な方がいい。

 私は私の志を全うすべく粛々と、柳剛流の稽古・伝承・普及、そして流儀の調査・研究を中心に、各古流武術の錬成そして手裏剣術の練磨に専念をすればよい。

 そんなことを改めて確信した、短い夏季休暇であった。

1705_松代演武_柳剛流左剣
▲柳剛流剣術 「左剣」

 (了)
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夏季休暇/(身辺雑記)
- 2017/08/11(Fri) -
1706_柳剛流「右剣」
▲柳剛流剣術 右剣


  「まけてのく人を弱しと思うなよ
              智恵の力の強き人なり」 (中山柳剛流 武道歌)



  (了)
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付け焼刃/(身辺雑記)
- 2017/08/09(Wed) -
 気が付けば深夜1時。

 今日は稽古はさぼろうかとも思うが、一方で「さぼると下達するぞ・・・」という声なき声が聞こえる。

 ある種の強迫観念である。

 ま、ちょっと、15分だけ、しかももう丑三つ時に近いのだから、軽く心眼流の素振りだけにしておこうと独り言ちて、いそいそと稽古着に着替える。

 表、中極、落、それぞれの向い振り、切まで振り、さらに取放、取返をおさらいすると、側坐核が刺激され、不思議とやる気が出てくるのが面白い。

 そこでさらに、基本の単独素振り、実践応用技法もおさらい。

 さらに思うところあって、柳剛流突杖の「ハジキ」で稽古を〆ると、あっという間に半刻ほどが過ぎ、もう夜中の2時である。



 柳生心眼流の稽古では、「素振り三年刃のごとし」、というのだとか。

 私の素振りなど、いまだに到底「刃(やいば)」というレベルではないけれど、学び始めたばかりの頃に比べれば、付け焼刃ぐらいにはなってきただろうか?

 いやいや、咄嗟に当身を入れようとした際、いまだ無意識のうちに心眼流の拳となっていないようでは、まだまだ鍛錬が足りないということか・・・(苦笑)。

 とりあえずひと風呂浴びて、今晩はやすむとしよう。

 (おしまい)
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柳剛流突杖の奥深さ/(柳剛流)
- 2017/08/08(Tue) -
 お盆休み前の原稿ラッシュが、ようやく峠を越えた。

 まだ今週中に取材と編集作業があるものの、とりあえず締め切りのある原稿は来週末までなく、今週末は人並みに休暇が取れそうだ。



 今晩も拙宅の稽古では、柳剛流の突杖を。

 先週末の翠月庵の稽古では、指導をしながら自分なりに改めて学ぶことが多く、さらにこれまでの手控えを再確認しながら、ひとつひとつ形を繰り返す。

 その上で改めて、突杖特有の手之内について、なるほどという気づきを得ることができた。



 柳剛流の体系において、突杖はやや特異な位置付けというか技術的な特性があり、また私自身、これまでの武術・武道人生で「杖」というのは専門的に取り組んでこなかった領域であった。

 このため突杖については、柳剛流の他の三術(剣術・居合・長刀)に比べると、特段、深い感慨はなかったのだが、先週末の稽古以来、「いや突杖も、実に奥深いなあ・・・」と、いまさらながら改めて実感した次第である。

 弾き、外し、巻き落とし、抑え、そして突く。

 この簡素で剛強な業が、稽古をすればするほど味わい深くなるのだから、武芸というのは面白い。

 また、何の変哲もないわずか四尺足らずの杖をもって剣を制するというのは、よほど深い術でないと到底使い物にはならないことは、言うまでもない。

 こうした武芸としての難しさ、厳しさを、術者に明確に感じさせるという点は、ある意味で手裏剣術にも共通するようにも思える。

 柳剛流突杖。

 実に奥深い術である。

 (了)
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一打必倒の気勢~柳剛流突杖/(柳剛流)
- 2017/08/05(Sat) -
 本日は午後より、翠月庵での定例稽古。

 稽古場の気温は31.3℃、湿度86%、無風、不快指数86。

 本当に、いや本当に暑い・・・・・・。

 しかし、この武州中山道の猛暑酷寒の野天稽古場にて、四季を問わず刀を振るい木太刀を打ち合うのが、武州埼玉発祥である我ら柳剛流の稽古の真面目と言えよう。

 当稽古場からは少々離れてはいるが、同じ武州埼玉の惣新田で252年前に生を受けた流祖も、我々の昔ながらの野天稽古を草葉の陰から見て、微笑んでくれているのではなかろうか?



 本日は、杖道5段で古流の神道夢想流杖術も修めているS氏に、剣術や居合に次いで、柳剛流の突杖を集中的に指導する。

 「ハジキ」、「ハズシ」、「右留」、「左留」、「抜留」と、わずか5本の体系であり、しかも杖の専門流儀として深遠な術理を誇る神道夢想流に比べると、きわめて素朴な柳剛流突杖の業ではある。

 しかし、一打必倒の勇猛な気勢で打太刀を一撃に突倒すのが柳剛流突杖の神髄であり、一刻ほどの稽古を終えて、そんな当流の杖の一端にふれてもらうことができたのではないかと思う。

 一手一手、形の稽古を重ねるごとに、流儀を学び、受け継ぎ、伝えることの喜びを感じられる、厳しくも爽快な稽古であった。


 ~敵は剣身をば柳江修行して
             心せかづに勝を取るべし(柳剛流 武道歌)~



  (了)
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13番の札/(身辺雑記)
- 2017/08/04(Fri) -
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 お盆前進行の、原稿&編集作業ラッシュが続く。

 週末と言っても、明日も明後日も原稿書きが続くので、晩酌は控えめにゲーリックコーヒーを1杯。

 濃い目に入れたコーヒーとスコッチの香りを楽しみつつ、19世紀にイタリアで作られた「デラロッカのタロット」の写しを手繰る。

 13番のカードは、いわゆる「死神」とか「死」、あるいは「名前のないアルカナ」と呼ばれるもので、一般的にはたいへん忌まわしい札として知られている。

 しかしこの札の意味することは、ようするに「メメント・モリ」であり、破壊とその後にある再生であり、武芸者にとっては「人をころす刀は、人をいかすつるぎなるべきにや」ということで、個人的には嫌いな札ではない。

 天然理心流の近藤勇は、背中にしゃれこうべを描いた稽古着を着ていたというが、「死を忘れるなかれ」というのは、洋の東西を問わない箴言ということか。



 さて、明日の午後は、翠月庵の稽古。

 今回は、柳剛流の突杖を集中的に指導する予定だ。

 少しおさらいをして、今晩はやすむとしよう。

 (おしまい)
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剣術における危険な接触技法(体術)について/(柳剛流)
- 2017/08/02(Wed) -
 柔や捕手の業はもとより、剣術における危険な接触技法(体術)については、活法や蘇生術、あるいは一般的な応急処等を習得していない者は、安易に指導をするべきではない。

 柳剛流には、目録で学ぶ剣術の柳剛刀という一連の形の中に、「相合剣」という非常に激しい体術的接触技法を含む形がある。

 そして、これに対応するように、免許段階では各種の活法・蘇生術が伝授される。

 その上で、稽古では上位者が打太刀、つまりやられ役となって、この激しい体術技法を下位者に習得させるのだ。

 ゆえに、この業を指導する柳剛流の剣士は、畳や板の間はもちろん、地面やコンクリートの上でも、十分な受け身がとれなければならないし、万が一の場合、適切な蘇生・応急処置ができなければ、指導や稽古をする資格がないのである。



 活法や蘇生術、応急処置などを習得していない、未熟な指導者による素人体術の指導は非常に危険であり、厳に慎むべきであることを強調しておきたい。

1708_相合剣
▲非常に激しい体術的な接触技法を含む柳剛流剣術「相合剣」

 (了)
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至誠に悖るなかりしか/(身辺雑記)
- 2017/08/02(Wed) -
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 「あなたは、誰かの怒声や罵倒やけんか腰の態度に、『ああ、そうだな、この人の言う通りだ』と納得したことがありますか? 僕は一度もない。人の心を動かそうとするためには、自ずと言葉や態度は、丁寧で、誠実になるはずなのだ。だから、攻撃的な態度で臨んでくる人に自分が対応する必要はない」(小池一夫)


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