「武張らない」武人
- 2008/10/03(Fri) -
 長年,この道に携わり,いろいろな武術・武道人に接してきて思うのは,「いい年をして,殺気だった人間にはなりたくないなあ」ということである。

 これは以前にもどこかで書いたことだが,本来,武術・武道の稽古は,上位者が打太刀となり,下位者が仕太刀となって行うものである。

 ところが近年では,演武でも普段の稽古でも,それが逆になってしまっていることが少なくない。弟子や後輩を,ばったばったと斬り倒し,蹴り倒し,投げ飛ばして「悦に入っている」ような上位者や師範などをみるにつけ,「品位がないな」と思うのは,私だけだろうか?

 何かで読んだ話だが,合気道の開祖である植芝盛平氏もその晩年は,壮年期までもっぱら自分が取り(仕太刀)をやりすぎたことを悔いていたとか。

 はなはだしいのは,体術系の武術・武道などで,弟子が受け(打太刀)になり「あいたたた・・・!!!!」とか,「うおー!」とか「ギャー!」とか,痛みで叫び声をあげている(あげさせる)ような演武を,得意げにやっている流儀や会派。

 こういうのにいたっては,指導者も弟子も,お里が知られるというものである。

 弟子を痛めつけて得意になっている上位者や指導者など,普通の市民の目から見れば「脳みそまで筋肉製の粗暴な社会不適合者」にしか見えない。また,いちいち「ぎゃー!」とか「うわー!」とか声を上げながらやられている弟子には,「大げさなんだよ,このヘタレが!」と思ってしまうのは私だけではあるまい。


 一方で私も,こんなふうにネットという媒体で,ある種,斯界の批判・批評をしているわけだが,こうした言論の場でも,品位や節度というものが求められる。

 建設的ではない,たんなる当てこすりや,根拠のない自流自慢,検証なき自説の開陳などは,批評や批判とは言わない。また「当流こそ日本一!」,「当会のやり方こそ絶対!」と,あまりにあからさまに「オレがオレが・・・」と主張するのを目にすると,「この人は,社会に対するルサンチマンの塊なのだなあ」としみじみ思う。

  要するに,本性は隠し切れないということである。


 武術・武道人たるもの,まがりなりにも10年20年と稽古してきたのなら,美しく打太刀が取れるような者でありたい。

 そしてまた,そういう武人は,えてして平素から,武張ったような人はいないものだ。

 だいたい不惑を過ぎているにもかかわらず,平素からギラギラした殺気,攻撃心をむき出しにしているようでは,それだけで武人としては失格であろう。

 ま,誰とは言わないが・・・。


 一方で,見事な打太刀を務めておられる師範方の演武を拝見すると,これこそが日本の武人のあるべき姿だなあと,改めて実感する。そしてまた,こうした師範方は,えてしてその立ち居振る舞いや表情,雰囲気も「武張っていない」方が少なくない。

↓鹿島神流・稲葉師範の見事な打太刀

 


↓打太刀をとる体捨流・山北師範




 かなうことなら私も,こうした先達の方々のような,「武張らない」武人でありたいと思う。

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