普及・啓発と流派の「掟」/(柳剛流)
- 2016/12/27(Tue) -
 柳剛流に関しては、ネットの情報にしても紙の史料にしても、できるだけキャッチアップしようと心掛けている。

 とはいえ、特にネットで流れている柳剛流の情報は、その大半が漫画の話題で(流行りの漫画に柳剛流が出てくるそうな・・・)、残念ながら実になるものはあまりない。

 漫画とは関係のない話でも、小説の記述を元にした想像か、武術・武道関係者による記述でも「脛打ち」といった断片的なキーワードから、スポーツチャンバラなどの試合でよく見られるような脛打ちを元に語られているものがほとんどなので、「う~む、そういうもんぢゃあないんだがなあ・・・・・」と、首を傾げてしまうものがほとんどだ。

 こういうことを書くと、「だったら実技を動画で公開しろ」などといった声が聞こえてきそうだが、古流武術にはそれぞれの流派に「掟」というものがあり、今も昔も術技を安易に公開できないのは言うまでもない。

 柳剛流においても、たとえば諸派の目録には共通して、

 「仮に連枝、芝蘭の友のためといえども、断じて欺き漏らすべからず」

 と記されている。

 あるいは角田伝に付随する殺活免許の巻には、

 「殺活の伝を授けるが、親子兄弟にもあい伝えるべからず」

 などと書かれ、流儀の業や口伝が他に漏れることを固く禁じている。

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▲仙台藩角田伝の柳剛流殺活免許巻の序文。文末には、親兄弟にも口伝を漏らすことを禁じる記述がある


 流儀を後世へ伝承していくためには、一人でも多くの人に稽古をしてもらうことが一番であり、そのためにはまず流儀に興味や関心を持ってもらわなければならない。

 流儀の普及・啓発のために、相当なところまで術技を公開している流派や会派も見られるが、一方で公開するということは、悪意ある創作流儀や他流などに、術や業を盗まれることに繋がりかねない。

 もっとも個人的には、動画や演武を見ただけでは術や業の本質を理解することはできず、結局はカタチだけの模倣にしかならないというのは、盗んだ当人が最もよく理解できているのではないだろうか?

 ま、他流の業を模倣するような廉恥心の無い輩には、そもそもそういった「術」に対する真摯さがないのかもしれないが・・・・・・。

 いずれにしても、「どこまで公にするか?」というのは、現代の「古流」が抱える共通の課題であり葛藤であろう。

 そういう意味で当ブログでは、可能な範囲でできるだけ正しい柳剛流に関する情報を発信していきたいと思うのだが、あくまでもそれは流派の「掟」が許す範囲内に止まざるをえない。

 それでもこの1年で、新たに2名の、しかもすでに他流の武芸に熟達した武術人が、改めて柳剛流を学びたいと当庵の門下に加わってくれたのは、柳剛流を愛する者としてうれしい限りである。

 またわずかとはいえ門下が増えるというのは、彼等に恥じない「術」を伝えるために、自分自身の業をさらに向上させなければならぬという、私自身の稽古へのインセンティブにもなっている。

 とはいえ、元々があまり宣伝に熱心になれないタチなので、あくまでも「来る者は拒まず、去る者は追わず」というスタンスを変えるつもりはないのだが、今後も一人でも多くの人に柳剛流の正しい姿を伝えていければと考えている。


 というか、今回は柳剛流の二刀に関するある話題を書こうと思っていたのだが、なんとなく話が脱線してしまったので、それについてはまた、改めて書こうと思う。


 ■引用・参考文献
  『幸手剣術古武道史』(辻淳/剣術流派調査研究会)
  『増補・改訂 宮城県 角田地方と柳剛流剣術-日本剣道史に残る郷土の足跡-』(南部修哉)

 (了)
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