名著『武道の礼儀作法』から/(武術・武道)
- 2017/01/21(Sat) -
 千葉県の中学剣道部における体罰事件について、つらつらと思う。

 私が私淑している武人・野中日文先生は、名著『武道の礼儀作法』において、次のように指摘されている。


 武術は武士の表芸だが、往時の武術の稽古とはけっして人を人とも思わない、かつての軍隊における古年兵の「新兵いびり」のような野蛮なものではなかった。もっと大切に若者たちを扱っている。少年たちに対する「礼」があったのである。

 当然であろう。武士としての気位と恥を教えなければならない立場の者が、自分に教えを請う者たちを「人」として扱わず、そのプライドを踏みにじるとしたら、それは大きな自己矛盾であり、武道不覚悟、無知無教養の「下臈(げろう)」として武士社会から追放されたであろう。


 往時の武家社会には、幼い者たちを手ひどく扱う風習はなかった。



 本当の武道教育とは何か? 武道における人格の陶冶とは何か? 当事者である武術・武道人、ことに指導者層は、この課題に真摯に向き合わなければならない。

 私は武術・武道における競技の意義や効用をすべて否定するつもりはない。それどころか、武術・武道人にとって競技=自由攻防の経験は、必須のものと考えている。

 しかし、勝ち負けだけに一喜一憂するだけの競技優先・勝敗至上主義の武道は、結局は「トレーナーを着たゴリラ」を量産するだけであり、個人にとっても社会にとっても、百害あって一利なしであろう。

 そもそも武人において「勝敗は兵家の常」であり、修養としての武道教育に重要なのは、結果としての勝敗ではなく、どのように勝つか、そしてどのように負けるかである。

 昨今の学校武道における重大な受傷事故の事例を見ても、勝ち方(投げ方、打ち方)しか教えず、負け方(投げられ方、打たれ方)を正しく教えない勝敗至上主義が遠因にあるのではないか?

 武術・武道に関わる者は改めて、己の指導の在り方に思いを致すべきであろう。

1701_武道の礼儀作法
▲野中日文先生の名著『武道の礼儀作法』。武道の礼儀作法を、1つの「行動科学」として扱い、それが「術」として成立することを論考。さらに道場内の作法から対人関係、生活習慣にいたるまで、「術としての礼儀」を明快に解説している。武術・武道人必読の書であり、私の大切な座右の書である

 (了)
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