柳剛流祖・岡田惣右衛門の「諱」について/(柳剛流)
- 2017/02/28(Tue) -
 柳剛流に関するウィキペディアの記述について、以前は間違いだらけのひどいものであった。

 しかし最近は、「柳剛流」にしても、流祖である「岡田惣右衛門」の項目についても、真摯な記述者の方々による適切な訂正によって正確な記述になっており、柳剛流を学び継承する者として、たいへん喜ばしく思っている。

 (なにしろ私は、ウィキペディアの編集の仕方が良く分からないので)


 そんななか本日、ウィキペディアの「岡田惣右衛門」の記述に関する編集履歴を確認したところ、2017年2月9日 (木) 11:30 に「松茸」というハンドルネームの方が、流祖の諱について「奇良」となっていたものを、以前のウィキペディアの記述であった「奇良、寄良」という両論併記に、書き直し、戻していた。

 その理由というのが、「出典元にある記載のため戻す」ということなのだが、その出典元である『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』の岡田惣右衛門の記述は、信頼性の低い質の悪いものである。



~以下、『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』から引用~

岡田惣右衛門 おかだ-そうえもん
1765-1826 江戸時代後期の剣術家。
明和2年3月15日生まれ。心形刀流を大河原右膳にまなび,各地で武者修行。すねをうつことで知られる柳剛流を創始。一橋家の師範をつとめ,江戸神田お玉ケ池で道場をひらいた。文政9年9月24日死去。62歳。武蔵(むさし)葛飾郡惣新田(埼玉県)出身。名は寄良,奇良。通称は別に十内。

~以上、引用終わり~




 流祖の諱については、現存する最古の頌徳碑である宮城県石巻市の「柳剛流祖岡田先生之碑」(嘉永元[1848]年建立)、同じく江戸期に建立された埼玉県幸手市の「柳剛流祖岡田先生之碑」(慶應元[1865]年建立)、以上のいずれでも、「奇良」となっている。

 また、明治以降に執筆された柳剛流関連の事績に関して、そのほとんどにおける出典となっている、明治35(1902)年建立の宮城県角田市長泉寺の「柳剛流開祖岡田先生之碑」でも、流祖の諱は「奇良」と記されている。

 さらに、現在、唯一現存する流祖直筆の書と言われる、宮前華表太宛ての柳剛流伝書でも、流祖の諱は「奇良」だ。

 一方で二次資料である三重県田丸のM家に伝わる『奉献御宝前』という掲額の「写し」や、流祖の孫弟子に当たる武州・岡安師範家の一部の伝書では、流祖の諱を「寄良」と記しているものがあるという。



 以上の点から、森田栄先生や辻淳先生といった近年の柳剛流研究者、また小佐野淳先生以下我々実技として柳剛流を継承している伝承者の間では、

 柳剛流祖・岡田惣右衛門の諱は「寄良」ではなく、「奇良」である

 というのが、最も一般的な共通認識となっている。

 加えて、今回の書き直しの出典となった『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』の岡田惣右衛門の記述は、諱以外にも、流祖と孫弟子の岡田十内を同一人物とするなど、私たち柳剛流伝承者や研究者からすれば、あまりにもお粗末なものであり、そのような質の悪い史料に基づいた訂正は、たいへん遺憾であると言わざるをえない。


 部外者にとっては些細な事なのかもしれないが、流儀を伝承する者としては、流祖の諱というのは非常に大切なものだけに、あえて加筆や訂正をするのであれば、信頼性の高い出典による適切な記述をしていただきたいと、強く望むところだ。

1610_石碑
▲流祖生誕の地である埼玉県幸手市にある、慶應元年に建立された「柳剛流祖岡田先生之碑」には、「諱は奇良、惣右衛門と称す」と刻まれている


 ■参考文献
 『日本剣道史 第十号 柳剛流研究(その1)』(森田栄/日本剣道史編纂所)
 『幸手剣術古武道史』(辻淳/剣術流派調査研究会)


 ■補遺(2017.2.28 20:43)

 本ブログをアップしたあと、再びウィキペディアの「岡田惣右衛門」のページを見たところ、流祖の諱について正しく、「奇良」と修正されておりました。
 本ブログを読んでくださった方が直してくれたのか、あるいはたまたまなのかは分かりませんが、柳剛流のいち修行人としてうれしく存じます。
 今後も、正しい記述が維持されることを望みます。


 (了)
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