柳剛流突杖が投げかける、「術」としての問い/(柳剛流)
- 2017/03/05(Sun) -
 昨日の翠月庵の稽古では、柳剛流突杖の稽古が中心となった。

 これまで本ブログで度々指摘してきたように、総合武術である柳剛流において突杖のみが、他の剣術・居合・長刀とは非常に異なる業の使い方をするものとなっている。

 その理由についてはつまびらかではないが、長年に渡る錬磨が必要である剣術、その体動を補完する居合、そしてそれらの鍛錬によって完成した当流ならではの動きと技で駆使する長刀という一連の体系に対し、突杖のみは非常にシンプルで、良い意味で即物的かつ簡潔な技法構成である点から、おそらく突杖は即応的な護身技法として位置づけられているのではないか? という推論も、本ブログの過去記事に記してきた通りである。



 「ハジキ」、「ハズシ」、「右留」、「左留」、「抜留」の5本を徹底的に繰り返していると、これらの形はいずれも、たとえば往時の農家の次男坊・三男坊といった剣の素養のないであろう者が仕太刀をとっても、気力と体力と熱意があれば、ある程度短期間で「武技」として仕上がっただろうなと感じられる。

 一方で対剣という想定上、たとえば1本目の「ハジキ」における剣の捌きの難しさ、2本目の「ハズシ」における入身の究極的な厳しさなど、柳剛流突杖は一見素朴ながら、実は武技としてたいへん高度な「術としての問い」も、術者に投げかけているのである。

 このような流祖から示された「術として問い」を、理屈ではなく己の心身で紐解いていくことが、現代における古流武術修行の醍醐味のひとつだといえるだろう。

1703_本部所蔵切紙


 (了)
 
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