フランク安田と柳剛流/(柳剛流)
- 2017/03/17(Fri) -
 27年前、私は学校を卒業してから3年間勤務していた警備会社を退職し、生まれて初めての辺境への旅へ出かけた。

 行き先は、アラスカ・ユーコン河である。

 たった3カ月間の気ままなヴァガボンドであったが、川辺に集落が点在するだけで、あとは半径数百キロの範囲内に人間が1人もいない無人地帯(ノーマンズ・ランド)の原野を放浪した日々は、今となっては忘れがたい青春の思い出だ。



 そもそも、なぜ地の果てのような極北のユーコン河を目指したのかといえば、当時心酔していたカヌーイスト野田知佑氏の影響と、フランク安田への憧れからであった。

 フランク安田(1868~1958)は、新田次郎の伝記小説『アラスカ物語』の主人公として知られる日系アメリカ人一世である。

 20歳でアメリカに渡ったフランク安田は、縁あってアラスカのバロー村にたどり着き、ここでイヌイットの一員として認められ家族を持つ。

 しかしある年、村で麻疹が大流行し病死者が続出。さらに鯨の不良が重なり、バロー村の住民たちは飢餓にさらされる。そこでフランク安田は、イヌイットたちの新たな安住の地を探すべく旅に出発。

 2年間に及ぶ過酷な原野での旅の末、ようやく村人が移住できる土地を見つけたフランク安田は、さらに3年の歳月をかけて200名余りの村人の移住を成功させる。

 アラスカの広大な原野において、これだけ大規模な移住を成功させたフランク安田の偉業は「奇跡」と称えられ、彼は「ジャパニーズモーゼ」あるいは「アラスカのサンタクロース」と呼ばれ、イヌイットたちの英雄となった。





 ところで、これはほとんど知られていないことだが、フランク安田は、仙台藩角田伝柳剛流と浅からぬ縁のある人物でもある。

 フランク安田の本名は、安田恭輔。宮城県石巻市の出身である。

 安田家は、代々医師の家系であり、父の安田静娯は医師で初代湊小学校校長、祖父の友琳は長崎蘭方医・漢学者であり武芸にも秀でた才人であった。

 この石巻の安田家近くにあったのが、柳剛流2代宗家・岡田(一條)左馬輔の指導する多福院門前の柳剛流岡田道場である。

 江戸での修行を終え、故郷の角田に柳剛流を伝えた左馬輔は、故あって後半生を石巻で過ごしている。このため石巻でも柳剛流は多いに興隆した。

 左馬輔の晩年頃、恭輔の祖父・安田友琳は40代前半、父・静娯は20代で、岡田家と安田家は、家族ぐるみでの親しい交際があったという。また、左馬輔の石巻における門下第一の逸材と言われた岡崎兵右衛門陳秀は、安田静娯と共に酒を酌み交わし詩を吟ずる盟友であった。

 こうした環境の中、幼少の安田恭輔は、武芸に通じた祖父の友琳から剣術の指南を受けていたといわれる。

 その剣術が何流であったのか明記された史料は確認できないのだが、上記のような岡田家と安田家の関係を見れば、それが岡田左馬輔直伝の仙台藩角田伝柳剛流であったろうことは、容易に想像できるだろう。

 さて不幸なことに、安田恭輔は16の年に両親を失う。

 3年後、19歳になった恭輔は、当時米国から帰国して横浜にいた岡田左馬輔の孫である左一郎(小輔)を頼る。

 岡田左一郎は、大柄だった祖父・左馬輔に対し、小柄であったことから「小さい左馬輔」と周囲から呼ばれ、このため「小輔」の名もあったという。

 戊辰の役では、仙台藩一門筆頭・角田石川家第14代当主・石川邦光に従い白河口の戦闘に参加、官軍と剣を交えた実戦経験を持つ柳剛流剣士である。

 左一郎は、自らを頼ってきた安田恭輔を快く受け入れ、アメリカ航路の見習い船員の職を斡旋する。

 しかもこの時、左一郎は18歳であった娘の秀を恭輔の許嫁とし、養子縁組をした上で渡航費などを負担し、恭輔をアメリカに送り出した。

 つまり安田恭輔、後のフランク安田は、渡米する前に、柳剛流宗家・岡田左馬輔の家系を受け継ぐ「岡田恭輔」となっていたのだ。

 ここまでくればほば間違いなく、若き日のフランク安田は、祖父やあるいは養父・岡田左一郎から、なんらかの形で柳剛流の剣を学んだであろうと考えるのが自然であろう。

 そして恭輔がその後無事帰国し、岡田秀と結ばれていれば、彼らの人生は静かで幸福なものとなっただろう。

 しかし「岡田恭輔」は、その後、二度と祖国に帰ることはなかった。

 アラスカの原野で波乱万丈の人生を送った末、「ジャパニーズモーゼ」フランク安田となった恭輔は、昭和33(1958)年1月、自らが開拓したアラスカ・ビーバー村で90年に及ぶ波乱の生涯を終える。

 許嫁であった岡田秀は、恭輔の渡米後、十数年間、彼の帰国を待ち焦がれていたというが、異国に旅立った恭輔からの音信はなく、後に角田出身の教師高橋敬治と結婚。昭和10(1935)年に63歳で亡くなったという。


 岡田秀とフランク安田との悲しい恋の結末は、千葉佐那と坂本龍馬との悲恋を彷彿とさせる、儚く切ないエピソードでもある。

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 ■参考文献
 『一條家系譜探訪 柳剛流剣術』一條昭雄/(私家版)
 『日本剣道史 第十号 柳剛流研究(その1)』(森田栄/日本剣道史編纂所)

 (了)
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