其殺伐の念慮を驀直端的に敵心へ透徹する/(武術・武道)
- 2017/05/10(Wed) -
 形稽古を中心とした武芸において、演武は何ものにも代えがたい貴重な「真剣勝負」の場のひとつだ。

 神前に奉納する、あるいは来賓や観衆に披露する己の形=業が、単なる手順を追った殺陣のごとき動作ではなく、活きた武技として見事に発露されているかどうかを、常に自省しなければならない。

 そのために、私がまず第一に心掛けているのは、

「夫剣術は敵を殺伐する事也。其殺伐の念慮を驀直端的に敵心へ透徹するを以て最用とすることぞ」(平山子龍『剣説』より)

 という心法だ。

 この「殺伐の念慮」を表に出せば「懸中待」であり、内に秘めれば「待中懸」となる。

 「懸」と「待」は、易における「乾」(陽)と「坤」(陰)のように、常に連環し、時に入り交り、また時には相反し、究極的には宇宙の根源たる太極を生み出す。これすなわち、武芸における「懸待一致」ということか。

 もっとも私ごとき凡俗は、未だ「懸待一致」などという境地にはほど遠く、非才なりに全身全霊を込めて形を打ち技を発して、ひたすら「殺伐の念慮を驀直端的に敵心へ透徹する」ことを志すのみである。



 少なくとも演武においては、それが「懸中待」であろうとあるいは「待中懸」でも、観る人に武技としての「威」を感じさせるような形=業が披露できるよう、心掛けていきたいと思う。

 (了)
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