兵法のはやきといふ所、実の道にあらず/(武術・武道)
- 2017/05/21(Sun) -
 40代の半ば頃までは、居合や抜刀において、わりあい速く抜くことにこだわって稽古をしてきた。

 試し物を抜き打ちで斬る稽古などでも、いかに早く斬るのかについて、いろいろと工夫と鍛錬をしたものである。

 しかしここ最近は再び、稽古では穏やかに、そして丁寧に抜くことを心掛けている。

 それは、いまさらながらお恥ずかしい話であるが、武芸において、速い・遅いというのは、あくまでも相対する彼我の拍子の関係性において生じる現象であり、「柄に手をかけてから切先が鯉口を離れるまでコンマ何秒」などといった、表象的なものではないのだなということに、四十路半ばにして改めて思い至ったからである。

 こうした道理は、手裏剣術においても同様だ。

 かつて、私は打剣の速度をスピードガンで計測したり、剣が飛ぶ速度の向上に心掛けた時期もあったが、結局のところ、手裏剣術を武芸=彼我の攻防と定義すれば、速さはあくまでも相対的なものであり、剣が飛ぶ速度が時速80キロだろうが、35キロだろうが、自由な意思を持って我を攻撃しようと動き回る相手に、手裏剣が刺さればそれでよいのである。



 日本武芸におけるもっとも平易かつ深遠な、普遍的戦闘マニュアルである『五輪書』には、次のような一文がある。

「兵法のはやきといふ所、実(まこと)の道にあらず。はやきといふ所は、物毎に拍子の間にあはざるによって、はやきおそきといふ心也。其道上手になりては、はやく見へざる物也」(『五輪書』風之巻)



 こういうことを400年も前に、誰にでも理解できる分かりやすい言葉でさらりと言語化しているところに、宮本武蔵という武芸者の空前絶後な偉大さがあるといえよう。

 

 柳剛流の居合では、1本目の「向一文字」がすべての基本形となるわけだが、ここでもごぼう抜きは禁物である。

 スラスラと、序破急の拍子を十分に意識しての抜刀に心掛けねばならぬ。

 ただしそれは、剣先に蠅が止まるような気の抜けたものになってはならない。

 あくまでも、序破急の拍子と位がそこにあるからこそ、「ゆっくりに見えるが、実は速い」という業になるのだ。

 居合の稽古では、常にこうした理合を念頭に置きたいものだ。

170521_柳剛流
▲柳剛流居合「右行」


 (了)
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