柳剛流免許巻の教え/(柳剛流)
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- 2017/05/24(Wed) -
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首と肩、背中の痛みは、引き続き加療中である。
朝、鍼とマッサージをしてもらうと痛みはほぼ消失するのだが、それからず~っと机について原稿を書いていると、夕方にはまた、痛みがぶり返す。 このため昨夜の稽古は、柳剛流剣術と長刀の形の確認、備之伝・備フセギ秘伝の考察に留め、軽く流した。 その後、就寝前に、柳剛流の伝書をつらつらと読む。 柳剛流の伝書は、各派によって様々な相違があるが、全体としては簡潔な記述のものが多い。 印象として言うと、特に角田伝系の伝書は非常にシンプルな記述のものが多く、一方で武州の岡安伝系の伝書は比較的記述や内容が複雑になっているように思われる。 角田伝の免許巻頭文と、流祖直筆と伝えられる石川家伝来の免許巻頭文を読み比べると、完全に一致していることが分かる。
業に偏ってはならず、さりとて理に偏ってもならぬ。 事と理と、そして心の一致をもって術の至りとなし、けして弁舌や博覧に優れることを目指すものではないというのが、流祖・岡田惣右衛門の素朴にして簡潔な教えだ。 あるいはまた、殺活術を修めるに至った当流熟練の武芸者に対しては、粗暴のふるまいを厳しく戒めている。
武技の錬磨を通して心身を涵養し人格完成を目指すというのは、近代武道の崇高な理念であるが、現実には多くの場合ほとんど実践できていない遠い理想でもある。 しかし少なくとも、今日の稽古を通し、昨日の自分よりも僅かでも明日の己を高めたいと望むこと、「勁(つよ)い人でありたい」と願うことは、けして虚しいことはではないと信じたい。 ![]() ▲柳剛流長刀 ■参考文献 『増補・改訂 宮城県 角田地方と柳剛流剣術-日本剣道史に残る郷土の足跡-』(南部修哉/私家版) 『幸手剣術古武道史』(辻淳/剣術流派調査研究会) (了)
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