位詰についての、ちょっとした体験と考察/(武術・武道)
- 2009/08/18(Tue) -
過日、とある酒席で・・・。

 「あんたはよく、”位”だとか”位詰”とかいうけど、それってインチキ臭い感応・暗示系の技とどう違うのさ?」

 っと、とあるアマチュア武術ファンの旧友から聞かれた。

 だいぶ酒も入っていたので、「シロウトのあんたにゃあ、説明しても分かんねえよ!」

 っと、いってやったのだが、あまりにしつこいので、「今度ブログで書くから、読んどけよ!」と言い含めておいた。

 まったく、シロウトはこれだから・・・(笑)。

 あっ、今度はしゃぶしゃぶ屋で一杯やろう! もちろん、あんたのおごりでな。

                   ※   ※   ※   ※   ※

 数年前までの一時期、私は空手道の稽古で、当時現役の全日本上位入賞者で、その頃のナショナルチームの選手でもあった、ある先輩に、度々稽古をつけていただく機会があった。

 剣術やら居合やら柔術やら、無駄に30年近くも稽古をして、まがりなりにも手裏剣術の稽古場の看板を掲げてはいるものの、こと伝統派空手道については、私のキャリアはたかだか10年。

 空手道については、当時も今も、市井の町道場の、いち有段者に過ぎない。

 そういう人間が、日本を代表するトップレベルの空手家に稽古をつけていただく機会というのはそうそうないのだけれど、もろもろの成り行きで、当時、度々稽古をつけてもらい、ときにはマンツーマンでも稽古をしていただく機会があったわけだ。

 その方、仮にAさんとするが、年齢やら、何年度の全日本の何位などと具体的に書くと、個人が特定されてしまうのであえて伏せるけれども、まあ当時のAさんはバリバリの現役であり、その後、年末の全日本でも大きな成果を残した。

 こういうレベルの人と、私のような町道場の壮年部黒帯、しかも空手の稽古のスタートは30歳から・・・というレベルの人間が、フリーとか地稽古で立ち合うとどうなるか?

 分かる人には分かりますね。

 これが、”位詰”というやつなわけです。

 稽古を検分されていた師範などは、「市村さん、A君が相手じゃ、地球がひっくり返っても勝てるわけないんだから、とにかく思い切りかかりなさいよ!」っと叱咤してくれるのだが・・・。

 なにをどうしても”あ、どうしようもないな・・・”という状態になってしまうわけです。

 これはまあ、若干の感応や暗示もないとはいわないけれど、インチキくさいふれずに倒す妙な演武とはまったく違うというのは、歯あ折ったり、肋骨砕いていてようやく有段者になれるような稽古をしてきた人なら、流儀や会派を問わず、わかってもらえるのではないかと思う。

 たとえるならば、鉄の壁に、生卵をぶつけるようなものなのである。当然、生卵はこちらだ(笑)。

 あるいは、朝青龍と村の奉納相撲の大関が立ち会うようなもんである。

 ありていに言えば、打ち込みようがないわけ、なにをどうしても。そして、なにをどうしてもやられるのが分かってしまうので、微動だにすることなく、「参りました・・・」ということになるわけ。

 これでちったあ、分かるかね、O君。

                   ※   ※   ※   ※   ※

 だから、位詰というのは、まったくのシロウトとか、精神に異状をきたしているキ●ガイの人とか、麻薬中毒患者や禁断症状でぶっ飛んでいる人間には通用しないものなのである。

 なぜなら、詰められる側が、相手(詰める側)との力量の違いを認識できるからこそ、詰まるのが”位詰”だからである。

 シロウトさんとかキ●ガイとか、ジャンキーは、自分の位はもちろん、相手の位(力量や置かれた状態での優劣)を判断できないのだから、相手の位がどんなに上でも、詰められようがないのである。

 だから、立ち向かえるわけです。

 そしてまた、だからこそ武術の口伝には、「相手が素人の場合は、できるだけシンプルな技で制圧せよ」という教えがあるのである。複雑な技は、かえって通用しないことがあるのよ、素人さんには。

 一方でまた、こうした性質上、ある意味で「位で詰める」というのは、感応や暗示によるいかさま演武と、紙一重の領域にあるものでもある。

 これには、我々、武術・武道人は、十分、注意することが必要であろう。

                   ※   ※   ※   ※   ※

 私ごときレベルでも、相手や状況によっては、位で詰めることができる。

 ま、相手次第ですよ、あくまでもね(笑)。

 そんなとき、相手に「どうすれば、そんなように(位詰めに)できるのですか?」とか、「手出しができません」などと言われることもあるのだが、いまから400年以上も前に、世阿弥がうまいことを言っていた。


  「また、初心の人、思ふべし。稽古に位を心がけんは、返すがえす叶ふまじ。位は
   いよいよ叶はで、あまつさへ、稽古しつる分も下がるべし。所詮、位・長とは、生
   得の事にて、得ずしては大方叶ふまじ。

   また稽古の劫入りて、垢落ちぬれば、この位、自れと出で来る事あり」

                                          (『風姿花伝』)


 つまり位詰などというのは、大方、生まれもってのもんで、学ぼうと思って学ぶもんではない!っと世阿弥先生は突き放しつつ、「しかし、ごく当たり前の稽古を重ねていくごとに、自然と習得できることもあるんだよ」というのである。

 そこで安易に道をそれ、「気」だの「精神」だの「身体操作」だの、あるいは「権威主義」だのに迷い込むから、結局、そこそこ稽古を積んで、けして弱くはない人たちですら、詐欺師まがいの暗示・感応系エセ武術・武道家にひっかってしまう人が少なくないのだ。

 こまったもんですな。

 そういう意味では、手裏剣術は「気」では刺さらないし避けられないだけ、また刺さるか刺さらないかが一目瞭然なだけに、精神衛生上、きわめて健全な武術・武道だといえるだろう。

 ま、権威主義はあるかもしらんがね・・・。

 (了)
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